ターフの魔術師   作:スーミン・アルデンテ

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更新を怠り、誠に申し訳ありません。
本業の方がやや落ち着きを見せたので、投稿を再開します。
感覚が戻りきっていない部分もありますが、ご容赦ください。
お待たせしました。


第27話:激動

「捉えられない、追い縋ることさえ許さない! 今、ゴールイン! 七馬身差。圧勝です。メジロマックイーン、帝王への挑戦権を手にしました。二着はナイスネイチャ」

「このまま逃げ切るのか⁉︎ 後続をグングン突き放して…! 歳の差をモノともせず、先頭を駆け抜けた! メジロ最高傑作、メジロマックイーン、盾を射程距離に見据えます。二着はマヤノトップガン」

 

 破竹の勢い、という言い回しがある。

 九月下旬から十月上旬にかけて、この言葉はマックイーンのためにあるかのようだった。

 菊花賞と秋の天皇賞、両レースのトライアルレースに出場し、見事勝利を収めた彼女は、連続出走の疲れを見せることなく練習場に姿を表した。その様子は鬼気迫るものではなく、かといって安定とは程遠い。

 ただ、異様であった。

 一つの蕾みが開花期を迎えようとしている。

 今の彼女は、例えて言うならば、小石によって生じた波紋が衰えることなく水面を行き来しているかのようである。ある時点で切り取って見てみれば、何の変哲もない。実際のところ、彼女のメニューはそれまでのモノと比べて目新しいものではなかった。しかし、タイムなど数値で示される指標とは別のところで、彼女はめざましい進歩を遂げている。

 それを肌身で感じているのは、チーム内のメンバーではなかった。ヤンをはじめとするフリープラネッツの面々が特別鈍かったわけではない。変化があまりに些細なために、以前のマックイーンを知る者でなければ気づかないのである。

 あじさい色の髪のウマ娘の上に揺蕩う潮流を最も鋭敏な嗅覚でもって捉えていたのは、おそらくマヤノトップガンであろう。

 先日の神戸新聞杯。マヤノはマックイーンと同じく逃げを打った。しかし、結果は二着。肩を並べる瞬間すらなかった。

 菊花賞はマックイーンとテイオーの対決となる。

 それは揺らぐことのない観測であり、マヤノ自身も重々承知している。

 が、そこに割り込んでこそ、幸か不幸か彼女らと同学年に生まれたウマ娘の意地を見せられるというものだった。

 トレーナーの葵も担当ウマ娘を献身的に支えている。

 彼女の生家、桐生院家に蓄積されたノウハウを以ってメニューを組み立て、マヤノの要求に応え続けた。琥珀色の瞳をギラつかせる彼女は間違いなく最高の仕上がりであったし、並の相手ならば百戦百勝することは疑うべくもない。

 が、相手はそこらのウマ娘とは別格の存在であった。

 トップスピードではテイオーに及ばず、スタミナではマックイーンに劣る。

 相手がテイオーだけであれば、序盤から大きく突き離す「逃げ」の作戦が有効である。また、マックイーンのみを意識するならば、徹底マークをした上で最後の直線で抜き去る「差し」の作戦が有効である。

 

(ならば、その二人を同時に相手取るための作戦は…)

 

 葵が最も苦悩している点はそこにあった。

 さらに輪をかけて彼女を懊悩に追いやっているのは、選択肢の多さである。マヤノはどんな作戦でも卒なくこなす。逃げ、先行、差し、追込。彼女が苦手とする作戦は無く、格下相手であれば当日の気分で走り方を変えるほどである。作戦を絞れるはずが無かった。

 

(理想を言えば、最後の直線に入った時点でマックイーンさんがバテている。そして、テイオーさんが追いつけない位置についておきたい。でも、そんな方法…)

 

「葵ちゃん、どうしたの? 怖い顔。よく寝ないと、せっかくの美人が台無しだよ」

「マ、マヤノ⁉︎ すいません、ボーッとしちゃってて」

「もー、しっかりしてよね。葵ちゃんが倒れちゃったら、マヤはレースどころじゃないんだからね」

 

 苦笑して琥珀色の瞳を見る。彼女は怒るわけでも呆れるわけでもなく、ただ純粋にトレーナーを気遣っていた。その親切が有り難くもあり、同時に情けない。レース前のウマ娘の集中を削ぐなどあってはならなかった。

 もし、と何度心中で呟いたか分からない。

 自身がもっと完璧なトレーナーであったならば…。

 彼の首席トレーナーのように、華麗な采配で担当ウマ娘を勝利に導くことができたならば…。

 彼の新人トレーナーのように、粘り強く担当ウマ娘と向き合い、コンディションを好調に保つことができたならば…。

 

「大丈夫です。今日もちゃんと寝ましたし」

「ホントかな? 嘘だったら、今夜はしっかり休んでね」

「そういえばマヤノ、併走はいつも通りリギルの方と行う形で良いですか? 」

「ノープロブレムだよ。でも、どうして今さら聞くの? 」

「いえ、疲労が溜まっているようなら違うメニューにしよう、と思いまして。ほら、併走トレーニングって結構疲れ……」

 

 葵はそこで言葉を区切った。

 マヤノは二の句を待つも、一向にその気配はない。彼女のトレーナーは心ここにあらずといった様子で、ただ遠くを眺めている。

 呼びかけてみても反応が全くない。

 マヤノは大きく息を吐いた。

 医務室へ運ぼうと葵を背負う。

 位置を整え、踏み出した瞬間だった。

 

「マヤノ!」

 

 いきなり両肩を掴まれた。不意のことで動転してしまい、彼女はトレーナーごと仰向けに倒れ込む。葵がクッションになったからか、さほど痛くはない。マヤノは飛び退くと、下敷きになった彼女のトレーナーを覗き込んだ。

 その目はまっすぐと担当ウマ娘を見ていた。

 

「思いつきましたよ。あの二人に対して勝利をおさめる方法を…! 」

 

 葵は空に手を伸ばし、太陽を掴み取った。

 

 

 

***

 

 

 

「一生の不覚だわ、トホホ…」

 

 夕暮れ時。それは仕事帰り、あるいは部活帰りの人々の雑踏が商店街にひしめく時。

 暦上での夏が過ぎ、秋分まで幾日と迫ったからか、日がやや短く、太陽はすでに地平線と約半日ぶりの接吻を交わそうとしていた。

 空気が澄み、アーケードの奥に馴染みの球体が赤々と燃えている。雑踏の演出者たちは誰一人として振り向かない。

 彼ら彼女らにはそれぞれ急がねばならない理由がある。

 

(あんなにキレイなのに…)

 

 久方ぶりに商店街に顔を出したネイチャには、アーケードの奥に沈んでいく夕日が一層際立った印象を与えた。そして、その美しい夕陽に足を止めている者が自分一人のみ、という事実にささやかな優越感が湧いてくる。直視するには少し眩しすぎるが…。

 

「ネイちゃん、どうしたんだい? 道のど真ん中で黄昏れて。もうすぐレースだろうに…」

 

 ハッとして声の主を見やる。いつも顔を出す青果店の店主だった。禿げあがった頭が容赦なく照らされている。

 

「おじさん、いやー、卵切らしちゃってさ。レース前はポーチドエッグって相場が決まってるのに…」

「珍しいこともあるもんだな。ま、それだけ練習をがんばってるってことさ。

しっかし、ついにネイちゃんもクラシック三冠レース全てに出場か。くーぅ、鼻が高いぜ」

「いやいや、出場だけでそんなに喜ばれても困るし。そもそも、なんでおじさんの鼻が高くなるのさ…」

「そりゃあオメエ、お得意様のウマ娘がG1 出れるってのは自慢じゃねえか。ウチらの誇りって言っても過言じゃあるめえよ」

「なにそれ…」

 

 変なの、と付け加え彼女は笑みをこぼす。

 久しぶりに微笑んだ気がした。

 ありがと、と口の中で呟く。あまり、今の顔を見られたくはなかった。きっと酷い顔をしている。

 彼女の内心を知ってか知らずか、店主はよく通る声を響かせた。

 

「そうだそうだ。ネイちゃんに渡すものがあるんだった」

 

 そう言って店主は奥に引っ込んだ。

 再び姿を現すと、彼は片手に半透明のビニール袋を引っ提げていた。

中には檸檬が十個ほど。袋越しにその鮮やかであろう自身の色彩を主張している。

 

「ありがとう、おじさん。でも、なんでレモン?」

「あぁ、これから練習いっぱいするんだろ? そしたら、疲れる。で、そんな時にゃぁコイツの蜂蜜漬けが一番よ」

「それは、そうだけど…。こんなに食べきれないでしょ」

「何言ってんだ。お友達の分に決まってんだろ。ほら、いつも一緒にいるあの3人。あの娘たちにも作ってやんな」

 

 一つ頷くと、ネイチャは控えめな面持ちで袋を受け取った。軽く礼を伝えて、店を後にする。歩く先は、ちょうど夕陽に向かって。

 右手に持つ檸檬は少し重い。ウマ娘にとっては軽いはずだが、トレーニングで疲れが溜まっているからか、彼女はその質量をしっかりと感じていた。

 

「友達か、そう見えていたんだね」

 

 先ほどの店主の言葉を反芻する。

 と、も、だ、ち。一音一音区切って呟いても、元の言葉そのものは変わらない。

 確かに、気づいたら一緒にいるかもしれない。でも、全員チームはバラバラで。得意な作戦もちょっとずつ違う。

 逃げ切り先行型。

 追い抜き先行型。

 自由奔放な天才。

 そして、私。

 テイオーとマックイーンの二人は入学前から注目されていた。それも当然のことで、方やあのルドルフ以来の逸材と評されており、方やあのメジロ家における最高の才能と噂されていた。学園のトレーナーで彼女らの獲得を一度でも望まなかった者はいなかったであろう。同様に、彼女らを凹ましてやろう、という健全な対抗心を燃やしていたウマ娘も少なくなかった。ネイチャもその例に漏れない。が、彼女らの走りを実際に見てからは諦観が心の内に広がった。それはみるみる内に学年中に伝播し、今では彼女らに挑もうとする気概のあるウマ娘の方が珍しい。そして、一度は折れたものの、もう一度彼女らに挑戦しようとするウマ娘はおそらくネイチャただ一人であろう。

 心を折ったのが彼女らであるなら、立ち直らせたのも彼女らであった。

 

「ボクも最後まで気が抜けないよ。だってネイチャの末脚は怖いんだ」

「後ろが見えない、というのは楽かもしれませんが、同時に厄介でもあります。思わぬ伏兵がやって来るものですから。貴女のような、ね」

 

 中・長距離路線を選ぶウマ娘の多くが挑む登竜門 —— ホープフルステークスを目前に控えたある日、彼女らは確かにそう言ったのだ。

 振り返ってみれば、友人としてのリップサービスだった可能性もなきにしもあらずだが、その何気ない一言にネイチャは感化された。以来ネイチャは彼女らの脅威たらんと励んでいる。

 その年の暮れ、帰省したネイチャの口から右のような経緯を聞くと、彼女の母は辛辣な論評を下した。

 曰く、豚も(おだ)てりゃ木に登る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

『ここで臨時ニュースをお伝えします。本日午後、日本トレーニングセンター学園に在籍するトウカイテイオー選手が練習中に発生した脚部の違和感のため、病院に救急搬送されていたことが学園の広報部より明らかにされました。発表された内容によりますと、その後の検査によってテイオー選手は…右脚の骨折が判明し、今週末に出走を予定していた菊花賞を断念する、とのことです。———— 繰り返しお伝えします……』

 

 

 




突然の凶報に動揺を隠せないマックイーンら。
役者が出揃わぬままジュニア・クラシック最後の一冠をめぐるレースが始まった。
次回、ウマ娘英雄伝説『菊花賞』
ウマ娘の歴史がまた一ページ。
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