帰りの新幹線に揺られるものの、オグリはなかなか意識を手放せないでいた。たしかな昂揚とささやかな焦燥が心の中でせめぎ合って、およそ止まるところを知らなかった。
ひとつには、つい一時間前に目の当たりにしたトゥインクル・シリーズの菊花賞を見て同学年の −− 特にBNWと称せられる3人の −− 実力を目の当たりにしたことが原因である。結果としてはビワハヤヒデが制したが、他二人とは半バ身も差がついていない。紙一重の勝利と言ってよかった。が、勝利は勝利である。BNWは本意にしろそうでないにしろ、仲良くクラシック三冠を分け合うかたちとなった。
が、世間の採点は彼女らに対してひどく辛い。
いわく、『皇帝』ルドルフの前では井の中の蛙。
いわく、クラシックまでの運命。
改めて学園のトップに君臨するウマ娘の抜きん出た実力を思い知らされた。一概に比べるのはいささか見当外れではあるが、クラシック三レースを総ナメし、三冠を果たした彼女はBNWが束になってようやく対抗できる存在なのだ。
そのルドルフの存在がオグリの心を掻き乱す。
生徒会長にしてトゥインクル・シリーズ史上最強のウマ娘。クラシック三冠、秋シニア三冠・春シニア三冠をすでに達成し、二年連続の秋シニア三冠をもはや確実視されている絶対強者。ジュニア・トゥインクルから足掛け四年もの間、全戦全勝。
相手にとって不足はなかった。そのような絶対的強者がいるからこそ、遠くカサマツの地から移って来たのだ。オグリがかつてのトレーナーから聞いていた通り、いやそれ以上に中央のレベルは高い。それはシンボリルドルフのような強者が引っ張り上げているのか、それとも……。
ふと傍らでスヤスヤと寝息を立てているマックイーンを見やった。久方ぶりに立つG1の舞台でほかのウマ娘たちを欺く大芝居を打ったのだ。精魂尽き果てていてもおかしくはない。
音を立てずに窓外の景色が途絶えた。わずかな間をおいて無機質な明かりがプログラム通りに車内の闇を追い払う。トンネルに入ったようだった。
はめ込まれたガラスに充実した寝顔が映し出された。同じチームのメンバーとしてオグリは彼女の追い込みを間近で見ていた。それだけに、報われてよかったと思う。だが、彼女がウイニングライブを終えたあとに見せたあの表情。勝利の余韻とそれにともなう一抹の寂しさからにじみ出す影との調和がとれた騙し絵のような二面性。それはオグリには身に覚えのあるものだった。
競い合うライバルがレースにいない。マックイーンはあまりにもあっさりと勝ってしまったのだ。ヤンの作戦勝ちで、それ自体は褒められるべきだろう。が、あじさい色の髪のウマ娘からすればいささか物足りない。レース中にしのぎを削る、あるいは身をすり減らすようなギリギリの戦いを心のどこかで渇望していた。
これはトレセン学園に所属するウマ娘たちの本能とも言うべきであった。大なり小なりの隔たりはあれど、彼女らは皆すべからく好戦的で偏執的である。さもなければ、レースにおいて勝ち残ることはできない。
トンネルを抜けた。
車窓から差しこむ夕陽が申し訳なさそうに彼女を照らし、色白の肌を黄金色に染めあげた。あじさい色の髪がわずかに揺れうごく。オグリは腰を浮かせて窓に手を伸ばし、ブラインドを下げてやる。マックイーンが器用に寝返りをうって身体を壁にもたせかけた。
オグリは制カバンの中からケータイをとりだす。留守役であるサブトレーナーにメッセージを送るためであった。
『タキオン、帰ってからすこし練習したいのだが良いだろうか? 』
『構わないが、ウェンリー君の許可はとってあるかい? 』
『ヤントレーナーは寝ている…』
『そうかそうか。それなら練習する旨をグループの方で言っておいてくれ。後で説明する手間が省ける』
『了解だ』
すすっと画面を切り替え、フリープラネッツのグループチャットに連絡すると、間髪置かずに既読が2ついた。
『先輩、アタシもご一緒させて頂いてもよろしいでしょうか? 』
『先輩、オレも一緒に練習したいです! 』
ほぼ同時であった。意識してのことかはオグリの与り知らぬことだが、彼女らは文面でも互いに先を争っているらしい。
***
学園に戻り、オグリとヤンが練習場に向かうのを見送ると、マックイーンは寮に向かった。肩にかけた旅行カバンがひどく重く感じる。
空は紫紺に染まり、わずかに地平線から夕日の残り香が滲みだしているのみだった。
自室に入り勝負服のクリーニングを申請すると、彼女はひとつ息を吐いた。長かった一日がようやく終わりを迎えようとしている。あとは夕食と入浴、そして就寝を残すのみであった。早速そのひとつ目を済ませてしまおう、とドアノブに手をかけるや否や向こうからノックの音が響いた。控えめにドアを開きつつ顔を覗かせると、ノックの主は果たしてナイスネイチャであった。
「一緒にご飯たべない? 」
との申し出をマックイーンは二つ返事で快諾した。
食堂に向かうと、すでにマヤノが席をとっており、ブンブン手を振って場所を知らせてくれた。テイオーもいる。ネイチャとマックイーンの姿を認めると、にわかに顔を輝かせた。
四人が夜のメニューを受けとり席につくと、テイオーが咳払いをした。3人の視線があつまったのを認めると、スープカップを掲げ、
「マックイーン、菊花賞おめでとう! 」
と、音頭をとり、ネイチャとマヤノもそれに和した。
マックイーンは突然のことにとまどい、紫水晶の瞳を白黒させている。一方の空色の瞳には茶目っけがたっぷりと蓄えられていた。
テイオーがこらえきれずに笑みをはじけさせ、事情を説明した。
「ごめんね、マックイーン。やっぱりボク達が最初にお祝いしたくて」
あじさい色の髪のウマ娘はようやく思考リズムを取りもどす。皐月賞のときも、そしてダービーのときも彼女ら3人は真っ先にテイオーへ祝意をつたえていた。そのお返しのつもりらしい。
「ありがとうございます、3人とも…」
「まあね、これぐらい友達として当然のことをしたってだけで…」
それよりもさ、とネイチャが身を乗り出す。
「今日の作戦、アンタが考えたの? すっかり手のひらの上で転がされちゃったんだけど」
「あ、それマヤも聴きたい! 葵ちゃんも言ってたもん。こんな作戦を実行にうつすなんてって」
「あれは、ヤントレーナーの入れ知恵ですわ。勝つためには最良の作戦だと…」
やっぱり、とテイオーは心の中でつぶやいた。彼女自身に予感があったわけではない。ただ、トレーナー室で中継を見ていた際にラインハルトが突如イスを蹴って立ち上がったのだ。その整った顔は紅潮しており、口元には不敵な笑みを浮かべていた。
「そうだ、そう来なくてはな」
というつぶやきをその場にいた全員が耳にした。彼の語りかけた相手がウマ娘でないことは誰の目にも明らかであった。
***
レースの直後ということもあり、祝勝会はほどなくして終わりを迎えた。
「今日は本当にありがとうございました。お陰様でゆっくり眠れそうですわ」
「そんじゃ、私もお暇させてもらうとしますか。明日からまた授業だしねー」
マックイーンもネイチャも先に自室へと帰った。さすがに疲労とは無縁でいられないらしい。
テイオーは同室のウマ娘に先に部屋にもどって入浴することを勧めた。
「ありがとう! テイオーちゃんも気をつけて帰ってきてね。まだ怪我してから日が経っていないんだから」
「わかってるよ、もー、あんまり子供扱いしないでよね」
マヤノは手を振って走り去っていった。琥珀色の瞳のウマ娘のみはまだ元気があまっているようである。
テイオーは二本の松葉杖を引き寄せ、立ち上がった。この動作にもだいぶ慣れてきた。初めのころは無意識に怪我をした足を使ってしまい、周囲をハラハラさせていたが…。
カシャンカシャンと規則的に金属の音が響く。すっかり耳に馴染んだ音だ。
階段では降りるときは松葉杖を先に下ろす。昇るときはその逆。今や自然と杖をあつかうことができる。
さしたる苦労もなくテイオーは寮の自室に戻ることができた。
ドアを開けると、シャワーの音が聞こえた。隠しきれないすすり泣きの声も。空色の瞳のウマ娘はこの時ばかりは自らの耳の鋭さを恨んだ。
松葉杖を机に立てかけ、ベッドに腰掛ける。壁にかけたコルクボードが嫌でも目に入る。
『無敗の三冠ウマ娘』
かつての彼女の目標である。怪我さえなければ、達成される可能性はあった。万全の状態で臨むことができたら、少なくとも互角のたたかいを演じたであろう。が、それらは所詮たらればであり、菊花賞はあじさい色の髪のウマ娘が勝ちとった。
テイオーは油性ペンを取り出し、二本の直線で「三冠」の文字に大きくバツをつけた。
皐月賞も日本ダービーも制した彼女の手はたしかに夢へ届こうとしていた。が、そうはならなかった。ならなかったのだ。
彼女は争うことすら許されなかった。
ついにその時がきた。
東京レース場をあじさい色の風が駆け抜ける。
次回、ウマ娘英雄伝説『連戦』
ウマ娘の歴史がまた一ページ。