ターフの魔術師   作:スーミン・アルデンテ

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第3話:始動

「それでは、ヤンさん。しばらくは一人のウマ娘にかかりきりになる『専属トレーナー』としてよろしくお願いします」

 

 理事長秘書で、当初から何かと世話を焼いてもらっている駿川たづなに案内されトレーナー棟へ向かうと、当てがわれた部屋の前で別れた。

 30分後にこの部屋で担当するウマ娘と顔合わせの予定である。名はメジロマックイーン。中等部2年生の生徒らしい。先程手渡された資料を次々とめくっていく。どうやらウマ娘界隈では名の知れた家の出身で、天皇賞制覇を目標に掲げ一年目から積極的にレースに出ている。中等部、特に一年生は出走可能なレースが少なく、G1の勝利こそないものの、G2で1勝、G3で3勝しており、かなり優れた成績を残している。

 順調に勝利を積み重ねつつ2年目に突入するはずが、担当していた年配のベテラントレーナーが持病の悪化に伴い退職。残されたマックイーンが宙に浮いた状態だったところ、ヤンに白羽の矢が立ったわけである。

 

「こりゃあ、厄介事の臭いがプンプンするぞ」

 

 ヤンは一人つぶやく。

 

(そもそも、前トレーナーが外れたあとにすぐ後任を決めなかった理由はなんだ。そんなに優秀なら貰い手に困らないだろう。この中途半端な6月までフリーでいるなんて、よほどアクの強い子なのか? )

「資料のどこにも彼女を悪く言う部分はなし、と。まあ、それもそうか。軍に保存されていた私のプロフィールにも “片付けが下手” とは書かれていなかった。こういうのに悪口を書くやつらの神経は理解できないが、良いところばかり挙げる作成者の熱心ぶりにも辟易するね……と」

 

 資料の最後に前トレーナーからの連絡事項などが書いてある。得意なメニューと苦手なメニュー、彼女の脚質など。随分マメな性格らしく、項目ごとに詳細に書かれている。その最後に、

 

『彼女は非常に優秀なウマ娘で努力を惜しまず、トレーナーとしては文句のつけどころが無い。しかし、実家の名を深く背負いすぎているのか、自分を締め上げる傾向がある。なので、次に彼女を担当する者には以下のことに留意してもらいたい。適度に息抜きさせること、コミュニケーションを綿密にすること、そして最後に、レースの度に褒めてあげること』

 

 と手書きの文章が添えてあった。随分大事にされていたようだ。

 さらに読み進めようとしたところ、トレーナー室の扉がノックされた。はっきりとした音が室内に響く。どうぞ、と声をかけると一人の少女がおずおずと入室する。後ろ手に扉を閉めると、しげしげとヤンの顔を見た。

 

「はじめまして、今日から君のトレーナーをさせてもらうヤン・ウェンリーだ。よろしく頼むよ」

 

 ヤンの声で我に返ったのか、目の前の少女は不躾な態度をごまかすように咳払いをして、

 

「メジロマックイーンと申します。未熟者ですが、何卒ご指導のほどよろしくお願いいたしますわ」

 

 と、優雅に一礼した。

 名家出身というのは本当らしい。ヤンが感心していると、マックイーンはソファに腰を下ろした。

 

「コーヒーか紅茶なら、どっちが良い? 」

「紅茶をお願いしますわ」

「砂糖とミルクは? 」

「砂糖は要りません。ミルクをたっぷりと入れて下さいませ」

 

 ティーバックを入れた2つのカップにお湯を注ぎ、マックイーンのもとに行く。こちらの世界に来て早々に紅茶党を見つけ、ヤンは上機嫌気味だった。

 

「マックイーン。練習は明日からだが、なにか希望はあるかい? 基本的に前トレーナーの方針を踏襲するつもりだが」

「特にはありませんわ。強いて言うなら次のレースを見繕って下されば。トレーナーのいないウマ娘はたとえpre-OPであっても出走できない決まりですので」

「了解、この時期だとG3の七夕賞だ。準備期間は一ヶ月でいけるかい? 」

「十分ですわ、完璧な仕上がりで臨んでみせます」

「そんなに気負わなくても良いさ、君はレース勘を取り戻すぐらいの感じで構わない。あとは僕への挨拶みたいなものかな」

 

 ウィンクをして笑いかけると、マックイーンも顔を綻ばせた。

 

「では、なおさら磨きをかけなくては。メジロのウマ娘として貴方に最初の勝利を差し上げます」

 

 彼女は一口紅茶を含むと、目の前の男を観察する。はじめはどんな男かと思っていたが、どちらかと言えば好印象で、マックイーンからすれば無問題だった。なにしろ、久しぶりのレースが決まったからである。

 

(やっと、遅れを取り戻せます。秋の天皇賞は10月後半、あと3ヶ月と少し。やって見せます。メジロ家のウマ娘として! )

 

 走りたい気持ちが湧き上がる。足がウズウズする。鎮めるために紅茶に繰り返し口をつけていると、もうすでに中身はなかった。

 

「あの、今日少し練習して帰ってもよろしいでしょうか?」

「ああ、それなら第一練習場を使っても良いと言われているから、行こうか」

「ちょっと待ってくださいまし! 」

「どうした? いきなり大きな声を出して」

 

 マックイーンは声が出なかった。拍子抜けなほど簡単に言ったが、第一練習場は学園NO.1のチームが使うものと決まっている。つまり、今はチーム『ギャラクシー』、ラインハルトのチームの拠点なのだ。

 

「大丈夫なのですか? 勝手に使わせてもらって」

 

 マックイーンは戦々恐々だった。なにしろ、そのトラックには皇帝、女帝、怪物、恐ろしい二つ名のついた優駿がいる。さすがの彼女も引け目を感じ、遠慮したい。

 

「許可はもらっているって言ったろ? それに向こうも顔を見せに来いってうるさくてね。こういう用事は早めに済ませたいんだ」

 

 練習すると言い出したのは自分のはずなのに、半ば引きずられる形で第一トラックに向かった彼女を待ち受けていたのは、この学園最高の施設だった。周囲の道から一段低く構えられた空間は中央にダートコースを備え付けた照明付きトラックが2本、専用テラス、さらに奥には屋内プールが見える。まさに至れり尽せりの設備。あれだけ怖がっていたのも忘れ、目の前の光景に思わず心を奪われる。

 

(私もいつかここで)

「コイツは圧巻だ。読書にはこれ以上ない適地だな」

 

 呆けているマックイーンの横で、これまた馬鹿げた感想を漏らすヤン。

 この二人を迎えた生徒副会長エアグルーヴは早速こめかみを押さえた。

 

「たわけが、貴様もトレーナーならウマ娘を見るべきだろう」

 

 ラインハルトから二人をもてなすように言われたのだが、投げ出そうかと考えないでもなかった。チームメンバー全員がレース出走翌日で自由練習のため、邪魔とまではいかなかったが、本来使うべきではない者たちである。少しは殊勝な態度でいてもらいたい。

 

「お疲れ様です。エアグルーヴ先輩。突然お邪魔して申し訳ありません」

「構わないさ、閣下が許可されたのだから。それに会長とテイオーは外出、グラスは図書館でエルの勉強相手をしている。使うのは私しかいないから、寂しかったところだ」

 

 たしかに、この設備を一人で使うとなるといささか持て余すだろう。

 

「それじゃ、ご厚意に甘えて手前のトラックを使わせてもらうよ。マックイーン、アップをしておいてくれ。2400を2回走って欲しい」

 

 笑顔で頷くとマックイーンは小走りでトラックへ向かった。足取りは軽く、調子は良さそうだ。彼女の後を追ってスタート地点へ向う途中、エアグルーヴが並んでくる。

 

「なぜ2400なのだ? 秋の天皇賞ならば2000、春なら3200だ。どっちつかずなのはどうかと思うが…」

「別にそこだけを意識しているわけじゃないさ。ただ、前任者がやたらと2400と3000のタイムを測定していたから、何か意味があると思ってね」

「貴様は意外と堅実なのだな。てっきり、自己流で全てやってしまうのではないか、と思っていたぞ」

 

 おそらく始業式の際の印象が尾を引いているのだろう。ヤンは肩をすくめて見せた。

 

「先人の努力をフイにすることはポリシーに反するんだ。私は過去を通して物事を見るタイプの人間でね」

 

 言い終わるや否や、ヤンはスタート地点近くの芝に無造作に腰を下ろす。なれた様子であぐらをかき、じっとコースを見つめる。エアグルーヴは彼の横に立ち、アップで飛んだり跳ねたりしているマックイーンを見やった。

 

(さて、お手並み拝見といくか)

 

 エアグルーヴとマックイーンはどちらも中距離に適正があるため、去年、一度だけ同じレースに出走している。その時の印象は才能の原石だった。

 2000mの校内レースで彼女と同じ先行策を取っていたが、第四コーナーまで一切ペースを乱さずにいた。結局マックイーンは終盤の伸びが足りず、ギリギリ入着という結果に終わったが、育成一年目の彼女が後ろにつけているという状況が驚嘆すべきことだった。

 それ以来、彼女と共に走ったことはないが、あのまま順調に行っていれば、前の皐月賞は一着争いに加わっていたであろうことは想像に難くない。

 

(そうなればテイオーの目標は砕け散っていただろう……)

 

 マックイーンが手を挙げ、準備ができたことを知らせる。

 

「いくぞ、芝2400よーい、ドン! 」

 

 ゲートが開くとともに勢いよくスタートを切る。緩やかに速度を上げていき、第一コーナーを曲がり切る頃にはスピードに乗った。そのまま中盤を終え、第四コーナーに差し掛かる。

 前トレーナーの記録では2400m走の際、2000から100mごとに細かくまとめていた。ヤンの手元のタブレットにコース上の装置から100mごと、つまり6秒強ごとにタイムが送られてくる。

 2100、2分13秒45。

 2200、2分19秒70。

 2300、2分26秒12。

 2400、2分32秒55。

 マックイーンはゴールした後、しばらく流し、クールダウンを兼ねて駆け足でヤンの下へ向かった。

 近づくにつれて見えたのは、難しい顔をしているエアグルーヴと、何やらタブレットを忙しなく操作するヤンの姿だった。

 

(なにか不味かったのかしら? )

 

 感触としては悪くない。最初からスピードに乗り、そのまま緩めることなく駆け抜けた。タイムもそう悪くないはず。たしかにギャラクシーの面々と比べると見劣りするかもしれないが……。

 

「トレーナーどうでしたか? 私の走り」

 

 ヤンは目線を上げ、マックイーンを見ると柔らかく微笑んだ。

 

「良いタイムだ。前のトレーナーが計測した時よりも1秒も上がっている。素質としては十分だ」

「ありがとうございます。もう一本走るということでしたが、何か気をつけることはあるでしょうか?それとも同じようにすればよろしいかしら? 」

 

 マックイーンの目は力強い。このままいける、と言わんばかりだ。

 

「特に注文はつけないよ。ただ、少し条件が変わる」

 

 ヤンは目線をマックイーンからエアグルーヴに移す。女帝は彼が何を言うのかを察したようで、観念したように一つ息を吐いた。

 

「私も走れば良いのだろう? 距離的には問題ない」

「話が早くて助かる。マックイーン、先にゲートに入っておいてくれ。僕は彼女に耳打ちすることがあるから」

「ええ、わかりましたわ」

 

 マックイーンは頷くと、手で耳を覆って歩いていった。尻尾は歩調に合わせて左右に揺れており、先程の手応えの良さが見て取れる。

 

「さて、エアグルーヴ。僕のトレーナーとしての最初のアドバイスだ。心して聞いて欲しい」

 

 ヤンの戯れに対して鼻を鳴らして答えた副会長だったが、続いて出された指示には納得しかねた。

 

「貴様、本当にそれで良いのか? その程度のことであの走りに何か変化があるとは思えんが」

「僕の予想が正しければ、効果は抜群のはずさ。まあ、君には効かない手だろうね」

 

 納得しかねる表情をしたまま、エアグルーヴは先客の横に並んだ。

 

「二人とも準備は良いかい? 」

「ええ」

「ああ」

「じゃあ行くぞ。よーい、ドン」

 

 2人は同時に駆け出した。スタートはマックイーンに分がある。そのまま加速し、ペースを作る。エアグルーヴはなぞるように後ろを進む。

 

(エアグルーヴ先輩の得意な形は差し気味の先行策。私の後をつけてくるのは想定通り)

 

 そのまま第4コーナーまで行き、最後の直線に入ろうかという所でエアグルーヴが前を狙う。グングン伸びる彼女に対して、マックイーンはスパートをかけれないでいた。

 

(あと少し、あと少しですのに!)

 

 結局、彼女は3バ身の着差をつけられ、敗北を喫したのだった。

 エアグルーヴはゴール地点で項垂れる後輩に声をかけられないでいた。それは自分が打ちまかした相手に対する遠慮からではない。目は真っ直ぐにヤンの方を見ていた。

 

(過去の資料とたった一度の計測で担当ウマ娘の弱点を見抜いたのだ。化け物め)

 

 彼女の知る限り、そのような芸当が可能な人物は一人しかいない。先日、彼の言った言葉が思い出された。

 

(最初に鼻っ柱を折られたのは私だ。私は閣下に育て上げられたことに驕っていた。彼以上のトレーナーなどいないだろう、と。愚か者だ。目の前に現れたではないか。恐るべき対抗者が)

 

 握った拳がわなわなと震える。情けないやら、申し訳ないやらで背筋がひりつく。

 そんな女帝にはお構いなしに、ヤンはマックイーンに近づいた。

 

「お疲れ様。今日はこれで終わりだ。明日から練習を始めるから、放課後、第二共用練習場に来てくれ」

 

 それだけ告げて踵を返したヤンはトラックを後にし、自室に戻った。その背中を見つめるのはマックイーンだけではない。蒼氷色の双眸がテラスから全てを見下ろしている。夕焼けが黄金色の彼の髪に宝石を散りばめていた。




新しい環境は得てして戸惑いを生む。
それはヤンとマックイーンの間にも。
次回、ウマ娘英雄伝説『雨の匂い』
ウマ娘の歴史がまた一ページ。
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