申し訳ない。
ウイスキー→ブランデーに修正しました。
指摘してくださった方ありがとうございます!
完全に勘違いしてました…。
「これだけ、ですの? 」
それが練習終わりの彼女の感想である。アップから最後まで目新しいことはなかった。特筆すべき点といえば、体幹を中心としてメニューが組まれていたこと、練習の最後に500m走10本を行ったことぐらいであった。
「1日に10,000m走ったからと言って、すぐに実力がつくわけじゃないさ。さて、このあと時間はあるかい? これからのトレーニングメニューの予定を伝えたい」
「ええ、構いませんわよ。でも、長引くと困りますわ。ご飯の後、自主トレの走り込みをする予定なので」
自主トレ、という言葉にピクリとヤンが反応し、こちらを向いた。
「それは、困る」
「はい? 今なんと? 」
予想外の言葉にマックイーンは思わずヤンを睨みつける。
彼の方は別段ひるむ素振りも見せず、頭をかきながら、
「困るんだよ」
と、繰り返した。
ベレー帽を脱ぎ、形を整え頭に戻す。
「その点も含めて、トレーナー室で話をしよう」
「ええ分かりましたわ」
マックイーンはもはや自重するでもなく、口を尖らせて返事をした。先を行くヤンの後ろをついていく道中も、彼女の腹はぐつぐつと煮えている。
トレーナー室に入ると、普段より荒々しく扉を閉め、音を立ててパイプ椅子に腰を下ろした。
「紅茶は何が良い? オレンジペコーとダージリンがあるよ」
「ペコーをお願いします」
やかんを火をかけると、ヤンはマックイーンの向かいに座った。
「さて、どう話したものか…」
「自主トレが禁止とはどういうことでしょう」
ヤンの煮えきらない態度に腹を立てたのか、マックイーンの方から問いを発した。彼女の紫水晶の目はヤンの目をじっと見つめている。
「何もずっと禁止というわけじゃない。トレーニングの後に自主トレをすることはダメって言ったんだ」
「ですから! それはどうして」
「自主トレはいつも何をしているんだい? 」
感情的になるのを抑えきれない自分に対して、落ち着きはらっているヤンが、マックイーンにとって得体の知れないもののように感じられた。まるで、海に漂うあいだは果てが見えないように、彼の腹が読めない。
「主に走り込みです。10kmほど行って帰ってきます。門限に遅れたことはありませんわ」
「それはずっと続けているのかい? 」
「いえ、先生、前のトレーナーさんがお辞めになってから、つまり去年の年明けからです」
「なるほど、つまり半年以上続けている」
「その通りですわ。効果も徐々にですが現れています。昨日のタイムも悪くなかったはずです」
「ああ、悪くなかった。しかし、そのあとの内容は正直なところ、良くはない」
「それは、私の力不足によるもので、次は必ず! 」
勢いたつマックイーンに合わせるように、やかんの笛が鳴った。ヤンは再びキッチンに立ち、二つのカップにお湯を注ぎ、テーブルに置く。
「安直に力不足と決めつけるのはいかがなものかと思うよ、マックイーン」
今度はヤンがマックイーンの目を見る番だった。黒い瞳が覗き込む。凄みを効かせているわけではないのに、知らず知らず気圧されている自分にマックイーンは驚いた。
「どういう、ことですの? 」
振り絞るように声を出す。先ほどまでの言葉のキレはなりを潜めていた。
「まず、昨日の敗因は力不足というよりは経験不足によるものだ。君は後ろをつけるエアグルーヴの圧力に耐えかねて掛かってしまい、最後のノビを欠いた。しかし、これはあくまで表面的な原因に過ぎない。もっと君の深いところに根ざした原因があるんだが。分かるかい? 」
「その前に、少しよろしいでしょうか? 」
ティーカップの縁を指で軽く叩くと、ヤンは目で話の先を促す。
「最後のノビを欠いた、というのはどういうことでしょう? 一本目と二本目はタイムがほとんど変わらなかったはずですが」
ヤンは目を丸くしたあと、タブレットを操作して、ホワイトボードに画面を投影した。
映し出されたのはマックイーンのタイムだ。昨日から嫌というほど見た。
「相対的なノビの話さ。一般的に、最初から最後まで全速力で走れる者はいない。短距離レースと言われるものでも、1200m。ウマ娘がトップスピードを維持できるのは600mほどだから、短距離レースでさえ、皆どこかで調整している。その調整の仕方が最初に飛ばしてその勢いのまま行くか、それとも最後まで温存しておいて一気に抜き去るか、この違いが作戦の違いだ。
一方、君の特長は走りが洗練されていて、ムラがないことだ。エアグルーヴもタイプとしては似ているが、彼女の方は距離ごとのタイムが若干増減している。これをペースの乱れと指摘するのは可哀想だが、身体からすれば、立派な乱れだ。なにしろ、負荷が行ったり来たりするんだから。ただ、彼女の場合は最後の400mに関しては下振れがない。ペースとしては上がっていっているんだ。つまり、スパートをかけているわけだ。翻って君を見ると、2本目最後の400mは見事に下振れを起こしている。足を残している他のウマ娘からすれば、失速したと感じられるだろう」
「なるほど、理屈はわかりましたわ。しかし、それと自主トレの禁止とがどのように繋がるのでしょう? 」
「まさに、その自主トレこそが今回の結果を招いた最大の要因だからさ」
血が沸騰するのをマックイーンは肌で感じた。今までの半年におよぶ努力をすべて否定されたようで、憤りを感じずにはいられなかった。
「それはあんまりではないですか! 私にアドバイスをしてくれる人はいませんでした! それでも盲目的に頑張ってきましたのに……。それをいざアドバイスを貰えるようになったら、無駄だから辞めろ? 冗談じゃありませんわ! 」
今にも掴みかからんばかりの勢いで机を叩いてまくしたてる。言葉を吐き出すたび、陶磁器のカップが音をたてて跳ねる。ヤンは自分の分を持ち上げ、難から逃していた。
「無駄だなんて、とんでもない。むしろそれは長所を形づくっているよ」
「では! なぜそれを続けることがダメなのですか!その長所を伸ばすことが勝利に繋がるのではありませんか!」
ヤンはカップを机の上に戻し、ティーバックを取り出した。マックイーンもそれに倣う。少し濃いめの液体の中にひとかけらの茶葉が舞っている。波打つ水面に映る自分がひどくちっぽけで、小さなカップに吸い込まれるような気がした。
「すこし脇道に逸れたけど、本題にもどっても良いかい?」
「本題と言うと? 」
マックイーンは熱くなって、そもそもの話を忘れたことに赤面し、耐えかねていた。メジロ家のウマ娘として、気品ある振る舞いを貫かんとする彼女は、ヤンに隠れて内腿をつねる。感情に任せて話の脈絡を見失うなど、あってはならないことであった。
「君が昨日の2本目のタイム測定で最後のノビを欠いた本質的な原因さ」
ヤンは席を立ち、カウンターから酒瓶を携えもどってきた。
「それは何ですの? お酒のように見えるのですが」
ヤンは照れ臭そうな笑みを浮かべた。言おうか言うまいか逡巡したようだが、すぐに開き直り、ラベルを見せてきた。
それはどこでも買えるようなブランデーの瓶だった。
「紅茶に入れるんですの? 」
「まあ、そうさ。それで、本質的な原因だが、レース勘が鈍っていることさ」
ヤンはブランデーを少々入れ、香りを楽しんでいる。マックイーンの目線は酒瓶に注がれるが、ヤンは大事な娘を隠すように後ろに置いた。
「ダメだよ、お酒は成人してからだ」
「ケチですわね。まあ、今は良いですわ。レースからはここ半年たしかに遠のいていますが、それとこれと関係がありますの? 」
「大アリさ。まず、誰かと走るということはそれだけで体力を使う。気にするな、と言ってもどだい無理な話だ。徒競走とレースは違う」
諭すように懇々と説明していく。マックイーンは不思議と不快感を感じなかった。反発するでもなく、肯定するでもなく、じっくりと耳を傾けている。
ヤンはトラックの模型を机の下から取り出し、2つのウマ娘の駒と共に卓上へ置いた。
「ここでふと考えて欲しい。最終コーナーに入るときの速さを1とする。そして、最後の直線でこの1の速さで走りながら1.1の速さの相手を抜くのと、1.1の速さで走りながら1の速さの相手を抜くのを比べたとき、簡単なのは後者だろう」
マックイーンは頷く。ヤンは紅茶で口の渇きを癒やし、さらに続ける。
「ウマ娘のレースにおいて常に1の速さで走って良いのは逃げの場合のみだ。2番手以降に大差をつければ駆け引きもなにも無くなるからね。だが、君の先行策の場合、終盤に抜きん出るための駆け引きが必ず生まれる。これに打ち勝つためには3つの要素がカギになる。なにか分かるかい?」
「速さと位置取りでしょうか?あと一つは分かりませんわ」
カップの縁をなぞりながら、彼女は答えた。ヤンは指を鳴らした。
「その通り! あと一つは展開さ」
「それは、位置取りとは違うのですか? 」
「ああ、ここでは少し別のものと考えよう。位置取りはコース取りの問題、展開はレース全体の問題さ」
マックイーンは得心がいった。エアグルーヴに競り負けたのは最後の直線でも1のままだったからだ。
「話はわかりました。その上で質問をさせていただきます。私は勝てるのでしょうか?」
キョトンと首を傾げるヤンを見て、マックイーンは慌てて言葉をつなぐ。
「決して変な意味ではなく! それでしたら私は走れば必ず負けると言っても過言ではないのでは? 」
自身が1の速さでしか走り続けられないとなれば、スパートで1.1の速さで上がってくる後続をかわすのは不可能なのではないか、彼女のなかで懸念がむくむくと首をもたげてくる。
ヤンは優しく微笑む。
「そうならないための作戦、それを全うするためのレース勘、そして、そのための経験だ」
マックイーンは紅茶を飲む。あまり飲み込めていない様子を見たヤンはさらに続ける。
「頭が硬いよ、マックイーン。今までの話はあくまで比喩だよ。実際のレースではそれぞれの1が違う。それに、君もちゃんと最後にスパートをかけられるんだ。そのための駆け引きは学ばないといけないがね」
ヤンは言い終わると、紅茶の残りを一気に喉に流しこんだ。
「さて、まだ何かあるかい? 」
「いいえ、ありませんわ」
マックイーンもカップの残りを一気に飲み干した。しかし、茶葉が喉に引っかかってしまい、盛大にむせてしまう。
「大丈夫かい?」
「ええ、ゴホッ、お構いなく」
咳が落ち着くと、彼女は大きく2回深呼吸をした。
マックイーンは立ち上がり、向かいに座っていたヤンの下へと歩み寄った。ヤンも彼女に合わせて立ち上がる。
「ヤン・ウェンリートレーナー」
「なんだい? 」
マックイーンは右手を差し出した。
「これからもトレーナーとしてよろしくお願いいたしますわ。私の片翼として、良き指導者として私に盾を手にさせてくださいまし」
ヤンはその手を握りかえす。儚く、小さな手だった。かつて握手を交わした面々とは違う、無垢なままの紫水晶色の瞳が黒い瞳をのぞきこむ。
「ああ、末永く頼むよ」
マックイーンは左手をさらに添えた。ヤンは驚き、手を引っ込めようとしたが、ウマ娘の力は思いのほか強い。結局、彼女が満足するまでそのままだった。
衝突は繰り返すもの。
しかし、そのたびに相手を知り関係はより強固になる。
次回、ウマ娘英雄伝説『会食』
ウマ娘の歴史がまた一ページ。