ターフの魔術師   作:スーミン・アルデンテ

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第7話:羽休め

 4人とも同じ寮のため、待ち合わせはするまでもなく朝の寮食堂で落ちあい、そのまま向かう予定だった。しかしマヤノとテイオーが来ず、2人は待ちぼうけを食らっていた。

 時刻は9時半。目的のアスレチック場までは学園の最寄り駅からバスがあり、午前中は30分に1本来る直通便で20分ほどだから、替えがきかないわけではない。

 しかし、おそらく寝坊しているであろう彼女らを待つ理由も2人には見当たらなかった。

 

「まったく、あの2人は何をしているんですか。寝坊するなら、すると言っておいてくれたらこちらも考えますのに」

「分かっていたら苦労がないんだな、これが。で、マックイーン、どうする? 」

「叩き起こします」

「は? ちょちょ待ちなよ、まず私がもう一回電話かけて見るからさ。その反応を待とうよ」

「いいえ、待ちません。夢の世界から連れ戻すには横っ面を引っ叩くのが1番ですわ」

 

 言うや否や、マックイーンは腕まくりをして席を立った。ネイチャはケータイを耳にあてながらついてくる。残念ながら予想通り応答はないらしく、コール音だけがかすかに聞こえる。

 テイオーたちの部屋の前に来ると、中からは着信音が虚しく響いてくるのみだった。外にまで聞こえる音量をものともせずに夢の世界を楽しんでいるようである。

 

(大した根性ですわ。それとも、疲れがたまっているのでしょうか? )

 

 ふと後ろを見やり、ネイチャと目を合わせる。彼女は小さく頷いた。

 着信音にあわせてマックイーンの尻尾がリズムをとっている。

 何も知らずに彼女たちの後ろを通っていた者たちは友達を起こしに来たのだろう、と微笑ましく思った。だからこそ、次にマックイーンのとった行動は完全に予想外だった。しかし、当の本人からすれば、それは予定通りの行動である。なぜなら、彼女はテイオーらを『叩き』起こしに来たのである。

 それは集約されたエネルギーのなせる技だった。優雅に右手はドアの前に、刹那閃き、鋭くドアを捉えた。続いて一発。さらにもう一発。

 お手本のようなノックである。力加減を除いて、の話だが。

 中からもぞもぞと動く気配がする。おそらく、夢と現実の境界線上にいるのだろう。

 

「テイオー! マヤノ! 早く起きてくださいまし。置いていきますわよ! 」

「お二人さん〜、疲れてるんならまたの機会でも良いよ。でも、そろそろ起きないと朝ごはんなくなっちゃうよ」

 

 布団を跳ね上げる音がした。さらに、鍵を開ける音。ドアがゆっくりと開く。その隙間からテイオーがおそるおそる顔を出した。

 彼女が起き抜けに見たものはお手本のような笑顔であった。しかし、笑顔は必ずしも内心を表すものではない。テイオーには自分が犯した失態も相手の気持ちも分かりきっている。

 

「おはようございます。テイオー、よく眠れまして? 」

「お、おはよー、ございます。すぐ用意します」

「大丈夫? 疲れてるんなら、今度でもいけるよ」

「いや、今日で大丈夫! たっぷり寝かしてもらったから、元気ハツラツだよー」

「あら、それでは私たちは食堂で待っていますわ。朝ごはんは取っておいた方がよろしいかしら? 」

「よろしく、マックイーン。ボクはトーストと果物だけで良いよ。マヤノは? 」

「マヤは、フルーツゥ……」

「んもう! マヤノ、しっかりして」

 

 いまだ寝ぼけているマヤノをゆすりながら、テイオーは白いパーカーとカーキのショートパンツに手早く着替える。マヤノも眠たそうな声を発しているものの、着替え終わったようで、ブラウンのカットソー、クリーム色のショートパンツに身を包んでいた。

 マヤノの腕を引き食堂までやってくると、2人はテイオー達の分を取り、紅茶とコーヒーをそれぞれ楽しんでいた。

 用意してくれた分を牛乳で流し込む。だが、それをテイオーはすぐに後悔することになる。

 きっかけはマックイーンの何気ない一言だった。

 

「走れば次のバスに間に合いますわね。食後の運動にちょうど良いですし、走って駅まで急ぎましょう」

 

 そう言うや否や有無を言わせる暇すらなく、席を立った。ネイチャもマヤノもそれに続く。テイオー自身も走ることは吝かではなかったから、提案に乗った。

 だが、ロータリーで彼女は腸の動きが活発になるのを感じていた。辛うじて逆流を防いだものの、今の状態は非常によろしくない。

 このことがあったからか、アスレチック場でのテイオーは嗜虐心のかたまりと化した。

 当初、マックイーンが先頭だったが、彼女は恐れるばかりでなかなか前に進まない。途中の休憩ポイントで交代し、先頭を代わった。そこからは暴君としか言いようのない行いである。

 足元と両脇の手すり代わりの計3本の縄だけで構成された橋に差し掛かった際には颯爽と進み、後ろのマックイーンが渡り始めるのを確認すると、思いっきり跳ねて揺らし始めた。マックイーンは悲鳴をあげる。落ちれば助かるのだが、命綱がそれを許さない。ギブアップするのは友人の手前プライドが邪魔をする。途中からはマヤノも後ろから参戦し、縄はさらに揺れた。ぎゃあぎゃあ言いつつもマックイーンは渡り終え、テイオーを睨んだ。

 

「末代まで呪いますわ。必ず、天罰がくだります」

「うん、楽しみにしてるよ♪ ひとまず、まだ半分きたところだから、期待してるね。マックイーン」

 

 来るまでの浮かない顔はどこへやら、テイオーはすっかり上機嫌だった。

 コースを終えた頃にはマックイーンはヘロヘロになっていた。よほど地面が恋しかったのか、膝をつき、頬ずりせんばかりである。

 

「私は生き抜きましたわ。お母様、私は生きています」

 

 彼女らは程よく疲れた身体を近くのイタリアンレストランへと運び、遅めのランチと洒落込んでいた。

 テラス席で各々パスタを頼み、一枚のピザを分け合った。

 6月にしては珍しく晴れ渡った空のもとゆるやかな時が流れている。いつもは芝の上でコンマ一秒を争っている彼女らも陽気には勝てない。

 

「このあとどうするー? 」

「まだ時間あるよね、寮に帰る前にちょっと寄り道して行かない? このまま帰るのはマヤ反対」

「なら、商店街はどう? チケット譲ってくれたおじちゃんにお礼言いに行こうさ」

「良いですわね、たっぷり楽しめましたし、是非感謝の意を伝えましょう」

 

 この後の予定が大まかに決まったところで、デザートとハーブティーが運ばれてきた。全員の目の前に並べられると、ネイチャは意外そうな顔でマックイーンを見る。

 

「あれ? マックイーン、今日スイーツの日だっけ?」

 

 マックイーンが厳しい体重管理をしていることは彼女の近くにいる者にとって周知の事実であった。多くても週に一回しか口にせず、レース前などは完全に絶つ。その習慣はレースに出られない間も続いてたので、人前でスイーツを食べるのはたしかに珍しい。

 

「ええ、ヤントレーナーに言われまして、次のレースまでの間、少し管理を緩めていますの」

「マックイーンが素直に言うことを聞くなんて、明日は雨かも?」

「失礼なことを言わないでください。それに、あんな言い方をされたら誰だってこうしますわ」

「へー、どんな言い方されたの? 」

「そ、それはこの際どうでも良いのでは……」

「いや! マヤは気になるよ。マックイーンの心を動かした文句を聞いてみたいな」

 

 マックイーンは躊躇いを見せた。紫水晶の目が揺れ動いている。心なしか彼女の顔が紅潮しているように見えた。

 咳払いを一つ、そのあと彼女は声色をやや低くした。

 

「マックイーン、我慢は良くない。人間は欲望に打ち勝つようにはできていないんだ。ましてや君は成長期。レースに勝つための強い身体づくりにも努めなければならない。スイーツ一つで鈍るほど君の脚はなまくらではないだろ?」

 

 言い終わった瞬間、ネイチャは吹き出した。テイオーは手を叩いて喜び、マヤノは手を口に当てて笑いを噛み殺している。

 

「それでそれで、マックイーンちゃんは何て返したの?」

「我慢するからこそ高みを望める場合もある、と。それをあのトレーナーときたら、首を振って否定するばかりで…」

「じゃあ、やられっぱなしで終わったわけ? 」

「そんなことあり得ませんわ。今年、私が秋の天皇賞で3着以内に入らなければ、ブランデーを没収すると伝えました」

「わお、過激だねぇ。さすがマックイーン」

「当然のことをしただけですわ。私の苦しみの片鱗でも味わえば良いのです」

 

 彼女のきかん気は友人の3人にとってはいつものことだが、それがトレーナーに対しても通常運転で動くとは思っても見なかった。だが、彼女の節制は友人である彼女らが贔屓目に見ても過度なものであり、それをどのような形であろうとも、たしなめてくれたヤンに3人は心中ひそかに感謝した。




休息も束の間、久々のレースに向けて準備をするマックイーン。
一方のヤンはウマ娘について詳しく知るため、ある人物のもとを訪れていた。
次回、ウマ娘英雄伝説『地固め』
ウマ娘の歴史がまた一ページ。

日常回の次回予告はどの路線にするか

  • いつものナレーター風
  • ゴルシ

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