ターフの魔術師   作:スーミン・アルデンテ

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これから少し投稿ペース落ちるかもしれません。
最低でも、週2本は守りたいです。
また、アンケートですが、非常に拮抗しているためしばらく様子を見ます。
次の日常回予告の際に参考にする予定です。
どうぞよろしくお願いします。
追記:タキオンの一人称を完全に間違えていました。指摘してくださった方ありがとうございます! 流石にやってはいけないミスだと思います…。
その他の誤字報告に関しても、その都度目を通し、適切に対処しています。
いつもありがとうございますm(__)m
拙いながらも書き進めていこうと思いますので、よろしくお願いします。


第8話:地固め

「さて、マックイーン。七夕賞まで残り3週間だ。ここからの練習はレースを意識したものになる」

 

そう言ってヤンはホワイトボードに七夕賞のレース情報を投影し始めた。

 

「芝2000m・右回り、場所は福島レース場。このコースの特徴は独特の起伏と第3コーナーから第4コーナーにかけてスパイラルカーブと呼ばれる形が採用されていることだ。これらについて何か知ってるかい? 」

「ええ、スタートからいきなり下りと上りが交互に2回ずつあります。特に直線から第二コーナーにかけての下り坂はキツい傾斜ではありませんが、長い坂が続きます。あとはゴール前のアップダウンですわ。一つ一つの坂は大したものではありませんが、全体としては侮れません。

 スパイラルカーブに関しては授業で習いましたわ。なんでも、スピードを落とさずに入れる、と」

「その通り。コースを一周する間に2度もアップダウンをするのは、この福島レース場の特筆すべき特徴だ。坂を苦としない技術が求められるだろうね。一方のスパイラルカーブだが、こちらはコーナリングが難しい。というより、よほど慣れてもいない限り曲がり切るのは不可能に近い」

 

 そこまで言うとヤンは先程お湯を注いだカップからティーバックを取り出し、ブランデーを垂らした。カップを顔に近づけ香りを楽しんでから、瞑目して一口飲む。

 その隙に、マックイーンは酒瓶をひったくり、ヤンの手が届かないところに遠ざけた。

 

「手癖が悪いよ、マックイーン。勘弁してくれ。いつまで飲めるか分からないんだから」

「そんなに大事なら、しっかりトレーナーとして励めばよろしいのでは? そもそも今は勤務中です。お酒は自室でお楽しみくださいまし。

 それで、七夕賞に向けてどのようなメニューを作られたのですか? 」

 

 ヤンは口を尖らせながらファイルを手繰り、一枚の紙を差し出した。

 先日組まれたメニューと変わりばえせず、異なる点といえば、最後が坂道ダッシュになったことぐらいだった。

 

「まず、これからは坂道に慣れるための練習をメインにする。スパイラルコーナーに関しては自主課題ということでお願いするよ。好みがあるからね」

「ということは、自主トレは今まで通りトレーニングのない日ならば、やっても構いませんのね」

「ああ、ただメニューを一つ指定させてもらう。裏の神社の階段駆けだ。あそこは学園のものだから、トレーニングに使っても問題ないだろう」

 

 マックイーンは露骨に顔をしかめて見せた。神社の階段駆けは学園で最も過酷なメニューの一つである。その原因は悪意しか感じられない設計にあった。踏面わずか20cm、蹴上30cmという寸法は爪先で駆け上がることを強いる上、計1000段と長いためスタミナも要する。

 

「坂道ダッシュではダメなのですか? 」

「ダメ」

 

 一刀両断。取りつく島もない。

 マックイーンにもその理由は推察できる。同じトレーニングを続けていると、刺激の鮮度が落ちる。そのため効果が期待できないのだ。だが、それを差し置いてでも、マックイーンは階段駆けだけは遠慮したい。

 

「他のトレーニングで代替することは……」

「ダメったら、ダメ」

 

 この攻防は理論に基づいているヤンに分がある。

 マックイーンは駄々をこねるのを諦め、未来の自分を労った。その自分はここで引き下がったことを恨むだろう。しかし、そこまで悲観的に捉える必要はなかった。彼女はスイーツ管理を緩めて以来、疲労の回復が極めて速くなったことを感じていたのである。体幹トレーニングの効果も出始め、最近はコーナリングもメキメキと上達し始めた。

 内心、ヤンのトレーナーとしての力量には舌を巻かざるを得ない。彼自身の談によれば、就任以前はウマ娘を見たことすらなかったらしいが、これは疑わしかった。出す指示のひとつひとつが的確で、理由を訊けばスラスラと答えてくれる。外連味のない練習法は熟練トレーナーのそれでもあった。

 マックイーンは自分が右肩上がりに成長していることを実感しており、レースに出ていないがために他のウマ娘たちへ抱いていた隔意とは縁が薄くなっている。まるで翼を得たように身体は軽く、毎日が煌めいていた。

 その彼女にも坂道を主眼に据えたメニューはこたえたらしい。珍しく肩で息をしながら練習場を後にし、寮での食事のあとは自室で正体もなく寝入った。

 マックイーンが夢の世界でスイーツを両手にタップダンスを踊っていた頃、ヤンはトレーナー棟で書類に向き合っていた。新しく作ったメニューを見て彼はため息をつく。前々からの懸念が現実の問題として立ちはだかる気配を見せたのだ。

 

(ウマ娘について知らなさすぎる…)

 

 彼の知の泉は源泉があってこそ真価を発揮するものである。ラインハルト率いる帝国との戦いでは古今東西の歴史が彼の背中を支えたし、トレセン学園では前任者のファイルが彼の頭脳労働を容易ならしめた。

 しかし、マックイーンが自分を高めるにしたがって過去のデータに基づいたファイルの輝きは褪せていく。決して失われはしないものの、自分に期待されている役割を十全に果たすためには、源泉から湯を引き入れる必要がある。こればかりは彼一人の努力では不可能だった。

 次の日、ヤンの行動は迅速をきわめた。

 朝早く登校する生徒たちを尻目に理事長室へと向かい、彼の雇い主のもとを訪ねたのだ。

 

「申し訳ありません、理事長は午前いっぱい席を外しておりまして、どのような用向きでしょうか? 」

 

 珍しく太陽に従って起きたため、秘書のたづなの言葉はヤンをひどく気落ちさせた。が、立ち止まっているわけにもいかずに事情を話すと、力になれるかもしれない、と言って案内を申し出てくれた。

 二人が向かったのは旧校舎だった。30年前に建てられたものでまだまだ現役だったが、生徒数の激増に伴い、生徒の収容という役割を新校舎に譲り、図書室や実験室などの限られた機能が残されているのみである。

 最上階の突き当たりに大きな実験室がある。

 たづながノックすると、中からどうぞ、と気の抜けた声がした。

 

「失礼します。アグネスタキオンさん、お久しぶりです」

「これはこれはたづな女史。3週間2日と16時間とんで54秒ぶりじゃないか、しかもお連れさんまで」

 

 部屋主は白衣に身を包んだウマ娘だった。ダークブラウンの髪は跳ねてはいるものの、手入れはされているらしく、ツヤを失ってはいない。しかし、眼はどこか仄暗く、斜に構えた態度がツンツン漂ってきていた。

 

「ヤンさん、こちらはアグネスタキオン。高校生ながらウマ娘生理学の研究に精を出していまして、特別に実験室の一つを与えられているのです」

「やあやあ、こんな辺鄙なところだが、キミの噂はかねてから聞いているよ。ウェンリー君。頭の固いトレーナーたちから派手に嫌われているらしいじゃないか。同じ境遇の者同士、通じ合えるといいね」

 

 そう言ってタキオンは白衣で拭った右手を差し出した。握手に応じると、彼女は意外そうに口元を歪める。

 

「私に初対面で握手をしてくれたのは理事長とたづな女史を含めて4人目だよ。君はなかなかに奇特な人物のようだ」

 

 そう言うと、黒いカーテンの奥へと姿を隠した。

 丸椅子に2人して腰を下ろすと、たづなは声をひそめて、

 

「悪く思わないでください、ヤンさん。彼女は一種の奇人でして……」

「ええ、僕もその類は見慣れたと思っていましたが、どうやら新種に出くわしたらしい。彼女もこの学園の生徒ということは、レースの合間を縫って研究を進めているのですか? 」

 

 たづなは首を振った。

 

「では、研究だけで身を立てているのですか? 」

 

 再びたづなは首を振った。やがて奥を見やると視線を戻し、目を伏せた。口元は何事かを紡ごうとしているが、空気を震わすには至っていない。

 

「もちろんだとも!」

 

 答えは再び姿を現したタキオンから寄せられた。手には紅茶たっぷりのビーカーが2つ。どうやら来客用らしい。

 

「少なくとも私はそのつもりさ! それをここのトレーナーときたら、走れ走れの一点張り。理由を尋ねれば、キミには素晴らしい素質がある。ハッ! 全く、新規性のかけらも窺えない。頑迷なトレーナー諸君から逃げ、引きこもって研究に没頭していたら、今度は走らないウマ娘は要らないと囀り、挙句は理事長を突き上げて僕を追い出さんとする。そうだろう、たづな女史。今度はどんな条件を持ってきたんだい? 」

 

 視線を向けられた彼女は懐から三つ折りの書面を取り出した。躊躇いがちにタキオンの前に差し出すと、彼女はひったくり、勢いよく広げた。

 

「なんだって!? 次の校内レースに出なければ、退学ゥ? どういうことだい? 今までは停学で済んでいたじゃないか」

「理事長や生徒会長をもってしても庇いきれないのです。この学校はトゥインクル・シリーズ、さらにはドリームトロフィー・リーグへ出走するウマ娘の育成を主目的とする機関です。数多のウマ娘が編入を望むなか、貴女はその貴重な一枠を握ったまま無為に時を過ごしている、と判断されたのです」

「それをどうにかするのが、キミたちの役目だろう。何とかならないのかい? 」

「どうにも……。もう理事会で決定されてしまいました。生徒会長でも踏み込めない次元の話です」

 

 タキオンは大きく息を吐いた。がっくりと項垂れる。

 

「私はどうすれば良いんだ」

「どうしても、レースに出たくないのかい? 」

「そうさ! レースに出るぐらいならトレーナーにでもなった方がマシというものだ。幸い海外のトレーナー免許なら持っている。たづな女史、その方向で話を進めてくれないだろうか?」

「それも、できません。理事長はトレーナー委員会と大揉めに揉めたばかりです。ほとぼりの冷めないまま次の横車を押すことは不可能です」

 

 その恩恵に浴しているヤンとしては耳の痛い話である。皺寄せを彼女が一身に受けるのはあまりに哀れに思えた。

 

「良かったら、僕のチームに入るかい? 」

 

 言った瞬間タキオンの目は輝き、たづなの目は見開かれた。

 

「それは良い! キミのとこなら上手くやっていけそうだ。なにより、あの煙たい連中に媚びなくて済む」

「いけません! ヤントレーナー! あなたはまだ免許を持っておらず、いくら特例だとしても、チームを持つことまでは許されていません」

「たしか夏休みにある試験に受かれば、正式にトレーナーになれるんだろう。そこまで待ってくれても良いじゃないか。そこで僕が残念な結果に終われば、その時はその時で考えれば良い」

「たしかに……執行猶予なら通るかもしれません」

「そうか! その手があったか! いやあ、助かるよウェンリー君。キミは悪知恵が働くみたいだ」

「褒め言葉として、受け取っておくよ。だが、僕も君に頼み事をしたいんだ」

「いいとも! 何が欲しい? 即効性かつ後に残らない睡眠薬かい? それとも、目が冴えて一マイル先まで見通せる点眼薬かい? 要望があれば実現しよう! なあに、任せておくと良い」

「いや、そういう怪しげな薬じゃなくて、ウマ娘について教えて欲しいんだ」

 

 タキオンは目を点にした。自分の作品が怪しげ、と決めつけられたことなど、頭から消え去っている。

 

「ちょっと待ってくれ、キミは今、学園でトレーナーをしているんだよな」

「そうさ、メジロマックイーンという娘を預かっているよ」

「名前はこの際のことだから脇に置いておく。とにかく! ウマ娘のトレーナーをしているということで間違いないかい? 」

 

 ヤンは力強くうなずき、紅茶に口をつける。容器がビーカーであることで味が幾分か削がれているが、それでもなおティーバックの数段上を行っていた。

 

「キミは今まで一体どうやってウマ娘の面倒を見てきたんだ!?」

「有能な前任者と優秀な担当ウマ娘のおかげさ」

 

 ヤンはビーカーに口をつけながら、茶目っ気たっぷりにウィンクをした。

 タキオンは思わず同伴の理事長秘書を見る。口元に微笑をたたえて微動だにしていない。

 追い詰められていた白衣のウマ娘は前門の虎後門の狼とはよく言ったものだ、と人知れず感心していた。

 

「すこし、考えさせてくれ」

 

 彼女はようやく、それだけ捻り出すと来客を帰した。

 すっかり時間が経ち、西日が実験室に差し込んでいる。




降り頻る雨は止み、木々の緑は深みを増す。
たった10日。
非情な時計は着々と針を進める。
次回、ウマ娘英雄伝説『追い切り』
ウマ娘の歴史がまた一ページ。
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