ムネーメーは踊る   作:むにゃ枕

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1 ドーナツホール

 勾田公立大学附属病院。その一室に里見蓮太郎は用があった。顔馴染みとまではいかないが、顔を覚えられているだろう受付カウンター。待合室を併設したそこで用件を告げる。

 書類に必要事項を記載している最中に蓮太郎は背後から妙な視線を感じた。値踏みされているような視線だ。少なくとも蓮太郎にはそう感じられた。

 民警が相手の実力を測るために相手をぶしつけに眺めるということはよくある。しかし、蓮太郎はすぐに視線の質が違うことに気が付く。この視線はもっと嫌なものだ。かつて、実験体だった蓮太郎が科学者やスポンサーから向けられた視線、それと背後から向けられる視線の質は似通っている。

 

 大学病院内で、このような視線を唐突に向けられる覚えが蓮太郎にはなかった。しかし、よく考えてみると、ここには室戸菫がいる。蓮太郎の知り合いの死体愛好家(ネクロフィリア)の狂人。もとい天才。蓮太郎にとっては天災かもしれない人物だ。その室戸菫の関係者なら、新人類創造計画のモルモットだった蓮太郎に、こんな視線を向けても不思議はない。

 

 不快な気分になった蓮太郎は、受付を終えると、視線の来た方向を睨んだ。しかし、そこには蓮太郎の想像したような人物はいなかった。蓮太郎の視線の先には、虚空を眺める病人に、フードですっぽりと顔を隠した少女。それに荷物を運ぶ看護師しかいなかった。勘違いか。蓮太郎は内心でそう呟く。どうもさっきガストレアとやりあったせいで、随分と神経が過敏になっているようだった。もしくは、これから菫と会うという事実が、蓮太郎に過去を回想させたのかもしれない。

 

「里見蓮太郎……」

 

 小さな呟き。病院のエントランスホールには完全な静謐は訪れていない。だが、その呟きが蓮太郎の耳に入るにはこの場所は静かすぎた。声の主はパーカーのフードで顔をすっぽりと隠した少女だ。先程、蓮太郎に向けられた視線もおそらくは彼女のものだったのだろう。

 

「さっきから俺のことを見ているようだが、俺に何か用かな?」

「………………」

 

 少女は蓮太郎のことを無視した。フードの下から覗く瞳には警戒の色が浮かんでいる。少女は蓮太郎をぶしつけに眺めていたくせに、直接の接触は避けたいらしい。わざわざ蓮太郎を避け、大回りをして受付へ向かう。蓮太郎としては少女の自分自身への対応は意味不明なものだった。

 

「なあ、なんか俺に……」

「近づかないでください。警察を呼びますよ……」

「えっ、俺なんでそんな扱いされるの? 初対面だよね?」

「里見蓮太郎。イニシエーターの間では怪人として有名な人物です。見ただけで幼女の全てを見抜く瞳に、世界中の女の尻を揉んだ手、そして不幸面をしてラッキースケベを狙っているという薄気味悪い魂胆。しかも、エンジュという少女を嫁と称して、性的虐待を働いている。私が把握している噂でもその品性の下劣さは疑えません」

 

 全くのとばっちりである。蓮太郎自身は小児性愛者でもなければ、ロリコンでもない。彼にはロリ体形とはかけ離れた天童木更という想い人がいる事実からしても、この噂は事実無根である。蓮太郎は目の前の少女の口から出る根も葉もない最悪な噂にしばし停止したのち、再起動した。

 

「誤解だ……誤解なんだ! 俺はロリコンじゃない! 不当な噂だ!」

「でしょうね。知ってました。私は噂で人を判断するような愚か者では有りません」

 

 少女は言い切った。しかし、棒読み気味であり、蓮太郎の目を見てもいなかった。フードの下にはチベットスナギツネのような眼差しがあるのだろう。

 

「どこでそんな噂を聞いたんだ? ていうか、お前イニシエーターなのか?」

「はい。私は東都情報社民間警備部に所属するイニシエーターです。そして、噂の出どころは私のマスターです」

「ハハっ……勘弁してくれよ」

 

 東都情報社民間警備部。名前からして東都情報社とも関係があるのだろう。東都情報社は、ガストレア戦争で疲弊した情報インフラをいち早く復旧し、戦後の東京エリアの情報インフラを一手に引き受ける企業である。ライバルを蹴散らして情報インフラを握っており、陰では東京エリアの支配者とも言われている企業だ。言わずと知れた超巨大企業である。その企業の軍事部門のイニシエーターが、蓮太郎に関する事実無根な悪い噂を知っているのだ。蓮太郎でなくとも天を仰ぎたくはなるだろう。

 

「安心してください。里見さんの悪い噂は社内では広まっていません。マスターから噂を伝えられた私が、社員の精神安定を守るために天童民間警備会社をブラックリストに入れただけです」

「そうか。いや待て、その噂の大本って……」

 

 蓮太郎の頭に噂の伝播に関しての方程式が出来上がった。この少女が蓮太郎と同じ方向に向かっていることも、確かな裏付けとなりそうだ。室戸菫。この噂の犯人は彼女だろう。

 

 階段を降りると趣味の悪い扉があった。悪魔を象ったデザインらしい。蓮太郎は部屋の主の性格の悪さを端的に表した扉だと想っている。

 

「うわぁ……」

 

 蓮太郎の隣で少女がドン引きしている。当然だろう。この扉を見て何も思わない人間がいるのなら是非とも連れてきて欲しいものだ。

 

「ようこそロリータコンプレックスを拗らせた里見蓮太郎くん! 見ず知らずの初対面の少女に気持ち悪がられるという稀有な体験はいかがだったかな?」

「やっぱあんたの仕業かよ先生……人の悪い噂を流すのはそんなに楽しいのか?」

「いや。ほんの冗談のつもりだったのさ。私が言ったのは、里見蓮太郎が幼い少女と同居している。その少女から結婚を迫られているということぐらいさ」

「じゃあ、誰があんな尾ひれを付けたんだよ」

 

 菫が噂をばら撒いたという蓮太郎の推測は、的外れとまではいかなかったが正しくはなかったようだ。

 

「そりゃあ、そこのイニシエーターのプロモーターさ。あの人間として一線を越えた道端の反吐より劣る女に決まっているだろう」

「だってよ。言われてるぜ。お前のプロモーターってそんな人間なのか?」

 

 少女は何度も激しく頷いた。

 

「そうです。マスターは人非人です。容姿はそこらへんにいるくたびれたOLですが、性格が最悪です。人の不幸が三度の飯よりも好きで、ド吝嗇(ケチ)な守銭奴です。あの女郎(めろう)とは進んで関わるべきでは有りません」

「おっ、おう。随分な言われようなんだな……」

「はい。私のマスターである法野(ほうの)奈佐(なさ)は狂人です。まああれでもマスターですし、私は裏切りませんよ……あっ、これは社外秘です。黙っていてくださいね」

 

 仮にもプロモーターである法野の悪口を饒舌に語る少女に、蓮太郎はドン引いた。

 

「里見さんはマスターの言ったようなドクズではないようなので、名刺を送りますね。東都情報社社長補佐官および、東都情報社民間警備課長相当官の茶江洲(ちゃえす)織種(おりね)です。よろしくお願いしますね」

「あっ、ああ」

 

 少女が懐から名刺を取り出し、蓮太郎に差し出す。蓮太郎も名刺交換に応じ、名刺を渡した。

 

「個人用はこちらです。個人として私に頼りたいという時にはこちらに連絡をお願いします。警備部の方では小隊からしか依頼を請け負っていません。私個人なら応相談です」

 

 金を取るのかよ……と貧乏な蓮太郎は複雑な思いを抱いた。名刺を仕舞い、ふてくされたような顔をしている菫に蓮太郎は目を向けた。菫は男の死体を縫いぐるみのように抱いている。死体を抱いている菫の前で、蓮太郎と織種が名刺交換をしたのだから、端から見れば奇妙極まりない。

 

「さて、蓮太郎くん。君が倒したステージⅠのガストレアだが、もっと綺麗に倒せなかったのかな? おーっと、そうだったな。君は木更に恋心の一つも伝えられない人間だったんだ。すまない。蓮太郎くんが無能だという事実を忘れていたよ」

「そんな言い方ないだろ。そんなに俺は絶望的なのか?」

「ああ、絶望的だね。早く木更に告白でもして盛大に振られてしまえ」

「ここ、薬品臭いのと、死臭がするんで早く帰りたいです。マイクロSDを渡すんで帰っていいですか?」

「うん。ああ、そこに置いておきたまえ。シッシ」

 

 菫は犬猫を追い払うように、織種を部屋から追い払った。織種は、そのまま部屋から出ていった。

 

「さて、蓮太郎くん。彼女について話そう。どうせ、部屋の外で聞き耳を立てているだろう。茶江洲織種という存在は中々興味深い。彼女が所属しているのは、東都情報集約公社だ。政府と結託して何やらやっている半官半民の企業だよ。そして彼女のプロモーターの法野奈佐は、東都情報社の社長だ。まあ、厄ネタだよ。法野とは、あの実験以来の知り合いだし、どうせ君のことも私のことも知っている。あいつは一言で言えば外道だ」

「待てよ先生。織種のバックにいるやつがヤバイってのは分かった。結局、何が言いたいんだよ!?」

「ああ、つまりは気を付けろってことさ。木更や、延珠ちゃんが大事だろ?」

 

 不幸体質な蓮太郎だったが、今回もいつもの例に漏れず不幸だった。今回は菫が引き合わせたようなものなので、人為的に引き起こされたものかもしれない。蓮太郎が倒したモデル・スパイダーのガストレア、その感染源に関しては擬態型だろうということで、ひとまず話がまとまったのだ。

 

「はぁ、ついてねぇ……今日のメシどうすっかなぁ」

「フフっ、話は聞かせてもらいました」

 

 音もなく蓮太郎の背後に降り立つ織種。蓮太郎は咄嗟に天童式戦闘術の構えを取る。緊迫した空気が流れるが、すぐに織種の方から、緊張を解く。

 

「人生で使ってみたい言葉ってあるじゃないですか。お前はもう包囲されているとか、開けろ! デトロイト市警だ! とか、動くな動くと撃つぞ! とかですね。つまり何を言いたいかというと、さっきの台詞は私が言いたかった台詞なんですよ」

「なるほど。確かにそうだな。うちの延珠もしょちゅうアニメの台詞を言ってるぜ。って、そうじゃないだろ。おかしな台詞が混ざっていたからな! 流されんぞ!」

「まあ、それは置いときましょう。私は里見さんの事情をほとんど知らないんです。あのスパイ騒動で、マスターが興味を持たれて、里見さんについて調べて愉悦で口元を歪めていたことで、覚えていただけなんです」

「ああ。アンドレイ・リトヴィンチェフの事件か」

「そうです。大事件にも関わらず、隣人トラブルを解決したという成果しか得られなかった民警がいたことから、マスターはあなたを調べました。それで、面白い情報を得たようです。マスターはケチなので、私に何も教えずに、そのくせ情報料を要求してきました。里美蓮太郎という人間を調べて、法野奈佐が愉悦を浮かべたことを知った代金だそうです。割引込みと言ってましたが、数か月分の給料が飛んだんですよ……」

「それは、大変だったな……」

「ええ。500万も取られました……」

「はぁっ、ぼったくりだろ! いや、それが数か月分ってお前、給料高くないか!?」

「何が起きても、マスターを守る仕事ですから……それくらい貰わないとやってられませんよ!」

 

 織種の背中がすすけているように蓮太郎には感じられた。なんとなく同情してしまう。

 

「愚痴はともかく。マスターに命じられない限り、名刺交換した相手は殺しませんよ。一族郎党皆殺しなんてやるもんじゃないんです」

「織種……お前、人を殺したことが……」

「さて、どうでしょうね。まあ、短い付き合いにならないことを祈りますよ。あっ、会社のブラックリストからも外しておきますね」

 

 

 蓮太郎と知り合う人間はマイルドに言って変人、悪く言えば狂人ばかりだ。そんなことを思いながら、蓮太郎は延珠の待つアパートに帰る。ふと見上げると、全裸の延珠が窓から身を乗り出している。蓮太郎の精神安定上、その光景は非常に良くないものだ。蓮太郎は頭が痛くなった。

 

 夕食を終えると、延珠が蓮太郎に18万円もするノートパソコンを買ったことを告げた。蓮太郎は世知辛い気持ちになった。茶江洲織種。昼間会ったイニシエーターも高給取りだった。恵まれたイニシエーターは蓮太郎よりも給料が良いらしい。素寒貧な蓮太郎は天から金が降ってこないかなぁと思った。

 延珠とのじゃれ合いが終わり、蓮太郎は延珠に浸食抑制剤を注射する。ガストレアウイルスを体内に保有する赤い目の子供たち(イニシエーター)にとって、浸食抑制剤は無くてはならないものである。ガストレアウイルスの保有者(キャリアー)である彼女たちは忌み嫌われる存在であり、国際イニシエーター機構(IISO)を通じて、イニシエーターになるか、ストリートチルドレンになるかくらいしか、選択肢はないのだ。つくづく、因果な世界だと蓮太郎は思った。

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