東都情報社の社長室。そこに二つの影が有った。一つは成人の女のもので、もう一つはフードを被った幼女のものだ。
「うんうん。楽しくなってきたな。あのネクロフィリアのクソ女は気に入らないけど、織種、君はいい出会いをしてくれた。奴に僕のデータを渡したのは癪だが、渡した価値が君と里見君との出会いにはあったね。織種、君は舞台に上がったんだ」
目の前にはテンションが高い自身のプロモーター。奈佐の民警免許は金とコネで取ったらしく、資格として便利だから持っているだけだとからしい。織種は、奈佐の芝居がかった言い回しに辟易していた。蓮太郎との会話でも、目の前の女の話し方がうつったかもしれない。そんなことはないはずだ。織種は前世での経験を持った真っ当な社会人である。狂っているとは自覚しているが、割合まともなほうだと自負しているのだ。
「織種ちゃん。里見君のこと知りたくないかな? どうして僕が、こんなにも機嫌がいいのか知りたくないかな? 僕は、これから何が起きるのかわかっているんだ。壮大な陰謀が有るんだよ……」
「マスターは情報料として法外なお金を取るに決まっています。マスターがどうしても話したくてたまらない。料金は取らない。というなら聞いてあげてもいいですよ」
「やめた。やめた。僕は情報屋なんだ。情報不足で死んでも知らないからね。まっ、君がどうやったら死ぬのか分からないけど」
目の前の一人称が僕である地味顔の女を殴りたい。しかし、織種が本気で殴れば奈佐は死んでしまうだろう。優しく殴ってもイニシエーターの力なら奈佐が死んでしまう可能性は否定できない。社長を失った東都情報社は困難に見舞われ、終いには倒産してしまうかもしれない。織種はもとより冷静である。舌打ちをして脳内で奈佐を殴るが、現実では手を出さない。
「社長は、もっと私に情報を開示するべきです。マスターが情報を出し渋るせいで私が何回酷い目に遭ったと思っているんですか?」
「僕はちゃんと選択肢を与えているよ。君が代金を払えばいいだけじゃないか」
「なんで身内なのに料金を取るんですか! あなたがちゃんと喋ればいいんです! それに私にマスター呼びを強制させるのも!」
奈佐は溜息を吐くと、織種のパーカーのフードを捲った。そして、織種の短く切り揃えられた艶のある黒髪を撫でる。織種はびくりとして奈佐を跳ねのけようとした。しかし、跳ねのけようとしただけで、跳ねのけはしなかった。脳内の冷静な部分が、このままじっとしていれば機嫌のいい奈佐が情報を吐くかもしれないという考えを導きだしたのだった。決して撫でられるのが気持ちいとか、安心すると感じたわけではない。多分。
「満足しましたか?」
「ああ。君の髪の毛はいつもツヤツヤだ。撫でていて気持ちがいい。君はこんなにも可愛らしいのだから、もう少しおめかしすればいいものを。いつもフードを被って顔を隠していては、世界の損失だ」
「嫌です。以前も言いましたが私は前世では男でした。前世の記憶が有るんです。可愛い格好なんて嫌ですよ」
「君が年齢の割に賢いのは認めよう。そして、私の知らない知識を持っていることも知っている。しかし、現に君は可愛いじゃないか。元男? 関係ないね。可愛いいものには義務があるのさ。ノブレスオブリージュの可愛い版みたなのが。そうだ、君には自身の新しい制服を選ぶ権利がある。ゴスロリメイド服か淫紋&マイクロビキニ。どちらがいいかな?」
織種は腹立たしい気分になった。奈佐は人の話を聞かない。それに趣味が人の嫌なところを突つくことである。会話すること自体が大変な苦痛だし、存在が不愉快なのだ。
「情報なんてもうどうでもいいですよ。くたばってください、と言いたいところですが、くたばられると会社の運営が大変になります。なので、性格を矯正してください」
「優しいねえ。でも嫌だね。これは僕の趣味だ。君は僕の玩具なんだよ。君だって自覚してるし、正気の証明を僕に依存しているじゃないか。他者を殺すのは気持ちがいいだろう。自分にレッテルを貼り付けて見下している愚民を殺すのなら猶更楽しいんじゃないか?」
奈佐の言葉は、織種の心の弱い場所を突いた。織種はこの呪われた世界が憎いし、自分の心の隅で憎悪が渦巻いていることも知っている。奈佐に拾われてから仕事として人を殺したこともある。自分が前世の一般的な人間の定義からはかけ離れてしまっていることも分かっている。それでも、織種は正気であろうとしたのだ。奈佐を憎悪を込めて睨みつける。奈佐への恩義は有るし、契約もある。だが、感情は別だった。
「くたばれクソ女!」
罵倒を残して、織種は社長室を後にした。苛立ちを隠さず寮への通路をどしどしと歩く。フードが外れ、激情に合わせ、呪われた子供たちの象徴である赤い目が輝く。社員がぎょっとした顔で織種を見た。ひそひそと噂話をしている者もいる。
正面から悪口を言えばいいのだ。そうすれば、織種は相手をボロクソに言い負かすことが出来るし、正当防衛にかこつけて連中を殴れるかもしれない。
ピロン、と携帯端末が鳴る。メールが来たようだった。織種は寮に戻ってから見ることに決めた。急ぎの用事では無いだろうと判断したのだ。社長室がある本社ビルから寮までかなり近い。なので、時間的な食い違いは発生しないはずだ。
「おや織種じゃないか。帰る途中かい? 明日の件についた法野さんと話があるんだ。要件はメールに書いてあるけど、丁度いいから君も会議に参加していくといい」
織種に話しかけてきたのは、民間警備部の社長を務めている新田だ。東都情報社民間警備部は東都情報社の子会社であり、会計上は別の会社として扱われている。社屋は本社の周辺の土地を買い取って建造したため、本社を囲うような形で存在している。意図したものではないが本社を防備するような建物の配置になっている。
新田は奈佐から呼ばれているようだ。織種は奈佐と喧嘩別れしているので、正直今は顔も見たくなかった。しかし、新田に誘われたのならば行った方が良いのではないか。織種は少し逡巡すると、仕方なく新田と共に会議に出ることに決めた。
情報不足は危険な事態に繋がりかねないのだ。最も織種は奈佐にぼったくられてまで情報を求める気はないのだが。
「社長。茶江洲課長相当官も今回の件に関係しているのですか?」
「ああ。どうも関係が有るらしい。僕はまだ知らないんだ。法野さんが織種に伝えてくれと私に伝えてきたんだ」
「なるほど。納得しました」
「それは良かったよ」
新田に連れ立っていたのは藤堂だ。女性ながら身長が高くスーツ姿の新田と比べても見劣りはしない。ショートポニーと、胸のふくらみが無ければフェミニンな男性でも問題なく通るであろう。さらに、右目に付けた大きめの眼帯が彼女を見る者に忘れられないような強烈な印象を残す。よく見ると、右手にはグローブをしておりそこにも何か事情があるだろうことが見て取れる。
「茶江洲課長相当官。以前も顔を合わせたことがありますが、改めてよろしくお願いします」
「あっはい。よろしくお願いします」
織種は新田と藤堂の後について会議室に向かった。新田と話したことで冷静になっており、織種の赤目は引っ込んでいる。フードを被るような気分ではなかったのか、織種は美貌をあらわにしている。
「警備部社長の新田です。藤堂、茶江洲と共に参りました」
「ご苦労。入りたまえ」
織種も新田と藤堂の後に続いて会議室に入る。奈佐は、織種をニヤニヤしながら見ている。織種が内心で気まずくなったいるのを察しているからだろう。
「やあ新田くん。突然呼びつけて悪かったね。防衛省の方から呼び出しが掛かったんだ。ガストレア捜索だってさ」
「それはそれは。しかし、わざわざ捜索依頼が出るとは厄介ですね。うちの監視システムでも見つからないんですか?」
「見つかってたらわざわざ呼ばれないさ。僕だって人類だよ。モノリス内に侵入したガストレアを発見しても通報しないなんてことはしない」
奈佐が織種に目を向ける。意地の悪そうな笑顔が奈佐の顔には張り付いていた。織種はこめかみをぴくぴくさせる。
「さて織種ちゃん。君はモノリス内に侵入した例のガストレアがどこにいると思う?」
「……人間の体内でしょうか? 寄生虫の因子を取り込んだものが人間の体内に潜んでいる可能性を排除できる材料は有りますか?」
「うーん不正解。というか、君あの女のところでガストレアの死体見たんだろ? 死体は寄生虫だったのかい?」
「……違いました」
奈佐が行儀悪くキャスター付きの椅子を転がして織種に近づき、そのまま髪を弄る。奈佐は織種の髪を弄ることが好きなのだろう。
「私が見たのは蜘蛛でした。寄生虫では有りませんでした……」
「うんうん。自信満々で間違えた織種ちゃんは可愛いなあ」
新田が咳ばらいをした。奈佐は膝の上に織種を乗せ、そしてそのままの体勢で話を続ける。
「ま、ということで、ガストレアが見つからない政府が民警を招集するってことさ」
「しかし、妙ですね。確かにモノリス内に侵入して一人を感染させたガストレアは脅威です。しかしわざわざ民警会社を呼ぶ。話によると他社も呼ばれるということですよね。言葉は悪いですが、たかだか一匹のガストレア相手にそこまでコストをかける必要はないのでは?」
新田の指摘は鋭かった。ガストレアはたった一匹なのだ。ガストレア自体には、東都情報社が発見できない程度の隠蔽能力が備わっている。だが、それだけだ。民警だって無能ではない。遅かれ早かれ、そのガストレアは駆除されるだろう。わざわざ政府が民警を集める合理性がそこにばないのだ。
「新田くん鋭いねえ。ワケ有りってやつさ。詳しい事情を知ったら確実に政府に狙われると思うよ。それでも知りたいというなら、情報料を払いたまえ。僕は止めはしないさ」
奈佐はチェシャ猫のような笑みを浮かべた。
「小官にはその情報は不要です。過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉もありますし」
「ああ。藤堂が言うとおりだ。うちは政府とも仲良くやらせてもらってるんです。下手に墓穴を掘るわけにはいかない」
「どうせぼったくりでしょう。不要です」
三人は奈佐の申し出を拒否した。金を取られた上に知ってはならない情報を知るというのは、理不尽の極みすぎるのだ。更に言えば、東都情報社は自衛隊と共同してモノリス内へのガストレアの監視任務も行っている。民間警備部の構成員には、自衛隊の傷痍軍人も多く含まれている。わざわざ政府との蜜月を捨て去るような真似は不要だった。
「あんなクソ政府なんて気にしなくてもいいのになあ。僕の情報が買われないなんて、情報屋としては悲しいよ。知っちゃいけないってことを人間は知りたくなるんだろう?」
「一般論としてはそうかもしれませんが、今回は例外ですよ。法野さんが危険だと前置きを置く情報を誰が欲しがるんです?」
「仕方がない。サーバーを増やすのは延期にするか。新田君お金を貸してくれないかな? サーバー代が洒落にならないレベルまで来ているんだ」
「私は人に金を貸さないようにしているんです。人に金を貸すな、がうちの家訓でしてね」
奈佐は獲物を狙うかのように藤堂を見た。藤堂がびくりと震え、ポニーテールが跳ねる。
「小官は薄給の身でして……」
「おやおや。親会社の社長と自社の社長の前で、給料の低さを嘆くのかい? 勇気があるねえ」
「いえ、小官にはそのような意図は有りません。小官は給金を義手や義眼の返済金に当てたいのです」
「殊勝な心掛けだねえ。良い部下じゃないか」
「お褒めに預かり光栄です」
藤堂は、自衛隊からの退職者である。防衛大学出身であり女性としては異例のレンジャー記章持ちであった。その異例の経歴から上に疎まれ危険度が高いモノリス警備部に赴任させられ、数年後に右腕と右目を失った。障がい者雇用制度は財政的に苦しい東京エリアでは有効には働いていない。そのため、彼女は苦境に立たされたが、知り合いの伝手から東都情報社民間警備部に再就職したのだった。
「まっ、サーバー代は経費で落ちるからいいか。会社のためだし趣味と実益を兼ねてるからね」
「では、失礼します」
「ばいばーい」
織種は新田と藤堂と共に部屋を出ようとして、奈佐に腕を掴まれた。
「舞台の開幕は明日からなんだ。どんな結末になるにしても僕を楽しませてくれ」
奈佐の瞳は期待と切望に焦がれていた。
「せいぜいマスターの期待に応えます……」
げんなりした顔で織種は返事をした。
「おっと忘れていた。これだこれ。念のためこのタトゥーシールを貼っておきな。目立たない場所でいいからさ」
奈佐が織種に渡したのは、五芒星に三枚の羽根の意匠があしらわれたタトゥーシールだ。織種は趣味が悪いと思った。どこかの組織のトレードマークか何かなのだろう。面倒ごとに巻き込まれるのではないか。そんな予感を織種は嗅ぎ取った。