織種と蓮太郎は病院を後にした。院内で不安定な様子を見せた織種が蓮太郎には気掛かりだった。幸い織種の足取りはしっかりしている。しかし、蓮太郎はそれで安心はできなかった。
「なぁ、大丈夫か? あんま元気に見えないんだが」
「……大丈夫です。問題ありません」
「いや、問題は有るだろ。顔色が悪いしちゃんと食べてるか? 子供が一人で歩くには問題な時間だ。送っていくぜ」
蓮太郎の親切は織種にとっては厄介なものだった。なにしろ織種には今夜の寝床すら決まっていないのだから。昨日間借りした外周区の廃アパートでは、蓮太郎に要らぬ勘繰りをさせてしまうかもしれない。蓮太郎に正直に事情を打ち明けることに、織種は抵抗があった。
「どこまで送っていけばいい? 東都情報の寮とかか?」
「…………必要ないです。ひとりで帰れます。放っておいてください」
「お前、もしかして家出でもしたのか??」
蓮太郎は妙に冴えていた。織種は蓮太郎の質問に対し、言葉を詰まらせた。
「別に…………」
「はぁー。その調子じゃ本当に家出みたいだな。行く当てもないんだろ。ウチに来いよ」
「…………」
「それと、あの子の怪我はお前のせいじゃない。あいつを撃った警官が悪いんだ。俺も自分の無力さに苛ついてるよ」
「精神が参ってる時に優しくしないでください……私に優しくしてもお金くらいしか出ませんよ……」
「いやいや、金目当てじゃねえよ! 泣いてる子供がいたら助けるのが大人だろ」
「このロリコン……」
織種は人になつかない野良猫のようだと蓮太郎は思った。女を連れ帰ったと延珠は蓮太郎を責め立てるかもしれない。それとも暖かく織種を迎えるだろうか。二人は、安普請のアパートが目と鼻の先にある交差点に差し掛かった。
「お疲れのようだね里見くん」
声の主は仮面の怪人、蛭子影胤だった。蓮太郎は咄嗟に愛用の拳銃を引き抜く。蓮太郎と影胤。二人の持つ二丁の銃が交差した。光源の乏しい深夜。それでも星月の明かりが影胤の銃を映し出す。刺々しいスパイクが施された悪趣味な銃だ。各所がカスタムされており、実用性はそれなりにあるのだろう。しかし、持ち主の性格を反映した暗い絢爛さが銃にはあった。
「随分悪趣味な銃だな。蛭子影胤」
「こんばんは里見くん」
影胤は、蓮太郎に向けていた銃を下ろした。
「なんの真似だよ? テメェ何しにきやがった?」
「実は話をしに来たのだよ。そちらも銃を下ろしてくれないかな?」
蓮太郎には一つしか選択肢が無い。
「断る」
当然、それは拒絶だ。
影胤は、指をパチンと鳴らす。
「小比奈、邪魔な右腕を斬り落とせ」
蓮太郎は反射的に後方に跳躍した。直後、耳障りな甲高い金属音が響いた。
「斬れなかった」
「私を忘れては困ります」
小比奈の二刀を、織種は肥大化した爪で受け止めていた。
「腕を斬り落としたはずなのに」
「私を殺したければ、細胞の一片も残らずに焼却するべきでしたね」
「厄介」
目もくらむような銀閃を、織種は見事に捌いていく。しかし、蓮太郎には織種が守勢に入り、決定打を持たないように思えた。
「蓮太郎。妾に黙って浮気か?」
「違えよ。この状況を見ろよ」
蓮太郎の本来のイニシエーター藍原延珠が静かに真横に降り立った。
「おい、影胤。さっさと言いたいことを言え。ここでの戦闘は周囲に迷惑だ」
小比奈は、殺気を込めて織種を睨むが、空気を察したようで二刀を鞘に納める。張り詰めた空気が漂う中で、影胤が口を開いた。
「単刀直入に言おう。里見くん私の仲間にならないか?」
「は?」
「実は、最初見たときから、なぜか君のことを好きになってしまってね。殺すには惜しいと思っていた。私の仲間になれ。君を殺したくない」
「ボーイズラブ……」
シリアスな空気をぶち壊したのは、織種の一言だった。蓮太郎と影胤が、織種を凄い目で見た。
「はぁ……仮にも俺は民警だ。それに、大瀬さんを殺して晒したお前を、俺が許すとでも思っているのか?」
「フンッ。こういうやり方は趣味ではないんだが、明日学校に行ってみるといい。現実を見て後悔してももう遅い」
影胤は捨て台詞を残して去っていった。含みのある影胤の言葉は、蓮太郎に不安の種を植え付けるのには十分なものだった。
日が昇ると蓮太郎は布団の中に違和感を感じた。昨夜のこともあり身体は重く、頭は働かない。それでも、違和感の原因を探るべく必死に頭を働かせる。
「えっ、延珠……?」
蓮太郎の布団の中に潜り込んでいたのは、延珠だった。結果として蓮太郎は10歳の少女と同衾したことになった。
「たく、なんで延珠が俺の布団に……」
部屋の中からは二つの寝息が聞こえる。一つは当然延珠のものだ。もうひとつの寝息の主に思い至るまで蓮太郎には少しの時間が必要だった。
「ああ、コイツを泊めたからか。頭痛ぇ」
蓮太郎は顔を洗い、鏡で自分の顔を見た。いつも以上に疲れた顔の、目つきの悪い青年がそこには写った。
「おい、お前ら朝だぞ。起きろ。学校に寝坊するぞ」
「うう、眠いのう。蓮太郎、妾におはようのチューはないのか?」
「無ぇよ。つうか、したこと無いだろう」
「つれないのう」
延珠が蓮太郎にキスをねだる横で、織種はスヤスヤと布団にくるまっていた。
「して、コイツは誰なのだ?」
「ああ、延珠は初対面だったな。コイツは茶江洲織種。東都情報社のイニシエーターだ。どうも家出したらしい」
「ふぅん。蓮太郎がまた新しい女を引っ掛けて来たのかと思ったのだ。そうでないのなら心の広い妾は許そう」
「またってなんだよ。俺がいつそんなことをした!?」
「忘れた振りをして誤魔化すつもりか? 妾はいたく傷ついたぞ」
「いや、俺の記憶が正しければそんなことはない」
「むっ、慰謝料として妾にキスをすれば許そう」
「また、ネットでそんな言葉を覚えたのか……にしても、コイツ全然起きないな」
蓮太郎と延珠が馬鹿話をしている間も、織種は起きるそぶりを見せない。寝息を立てているので死んでいるわけでは無さそうだ。
「おい起きろ。お前も学校があるだろう」
「チッ……うるさいですね」
「学校があるだろ。いつまでも寝てないで起きろよ」
「今日は休みです。私は頭がいいので学校なんて必要ありません」
「ああ、そうかよ」
蓮太郎は織種がくるまっている布団を引きはがした。ぎゃあ、という悲鳴が上がる。
「何をするんですか!? 私と布団の仲に嫉妬したんですか!? 全てのロリを掌中に収めないと気が済まないなんて、なんて淫獣!」
「俺の扱い酷くないか? お前を泊めたのは俺なんだが……」
「ああ。お金ですね。現金は少額しかないので電子決済で払います」
蓮太郎の携帯端末が鳴る。振込が完了したという通知が現れる。蓮太郎はその額を見て、何か言おうとしたがその前に織種が言葉を挟んだ。
「数日の間、この場所をお借りします。これはそのための代金です。泊めてくれた感謝という風に捉えてくれても構いません。返金には応じませんから」
蓮太郎の口から乾いた笑いが飛び出した。
「はぁ……分かった。俺は何も言わないからな」
蓮太郎には織種が意地を張っているように見えた。織種のぼさぼさの髪を蓮太郎は撫でた。
「あっ、風呂は自由に使って構わないからな」
織種は、蓮太郎の一言で自分が暗に臭いと言われたと思ったようだ。袖の匂いを嗅いだり。自分の身体の匂いを嗅いでいる。
「朝飯食うだろ?」
蓮太郎はキッチンに向かったために、真相は不明だった。朝食を終え、登校する二人を見送ってから、織種は自分の身体の匂いをじっくり嗅いだ。臭いかもしれない。早急にシャワーを浴びなければ。幸い、蓮太郎とのエロイベントは発生しなかった。
シャワーを浴びて、すっきりした織種は、着ていた服を複雑な気持ちで見た。二日着ていたものである。下着もそうだ。履き替えたい。いつまでも裸のままではいられないので、仕方なく今まで来ていた服を着なおす。まだ、体温が残っていて生暖かかった。
「はぁ……仕方ないか」
織種は、いやいや携帯端末を点けた。
『やっと、元気になったかい? 僕は君のおかげで、右足を骨折したよ。まあ気が済んだら早く戻ってきな』
「なっななな……なんでですか!? さては、監視してましたね。物凄い棒読みでしたよ」
織種のタイミングを見計らったように、遠隔通話が開始される。画面越しに見る奈佐は、右足にギプスを巻いていた。
『正直暇だったんだ。君という玩具、じゃなくて遊び道具でもなくて……えーっと』
「はいはい。よかったですね。もう切っていいですか?」
『ああ。まあいいか。タイミング良いし。じゃあね』
奈佐が残したタイミングという言葉の意味が分かるのはすぐだった。慌ただしく、階段を走り上がる音がする。壁の薄い安普請のアパートでは普通ならばしない行為だ。つまりは異常だ。足音はどんどん織種の元に近づいてくる。織種は、用心のためにナイフを抜いた。不審人物であれば、対処する予定だった。
「延珠ッ!!」
派手な音を立てながら、扉を開いたのは蓮太郎だった。目に見えて憔悴している。蓮太郎は、血走った眼で室内を見回した。織種と目を合わせると、はっとした表情を浮かべる。
「織種! 延珠を! 延珠を見なかったか!?」
「残念ながら、見ていません」
「クソッ!!」
蓮太郎ば、荒い息を吐きながら玄関にへたり込んだ。
「落ち着いてください。まずは、事情の説明を」
「落ち着いていられるかよ! 延珠が! 延珠がッ!!」
蓮太郎は、織種にほとんど八つ当たりのような態度を取っていたことに気が付いたのだろう。小さく詫びた。それから事情を説明し始めた。
「つまり、影胤の一味が延珠が呪われた子供たちであることを、学校にバラし、それが生徒に広まり延珠ちゃんがショックを受けて行方不明になったということですね」
「ああ。そうだ。落ち着いた。ありがとな織種」
「で、どうするのですか?」
「延珠が学校を飛び出して行く場所は限られている。多分、元居た外周区だろう。当然、探しに行く」
蓮太郎の瞳に意志の炎が宿った。
三十九区駅。そこで蓮太郎と織種は電車から降りた。東京エリアはモノリス設置後に再統合され四十三区制となっている。数字が小さいほど外周から遠く、数字が大きいほど外周に近い。外周区には遺伝子改良されたミラクルシードを育てる畑と、原発を含む発電所。そして他の区から出たゴミが捨てられるゴミ捨て場が存在する。それ以外に政府は関与せず、廃墟は放置されている。ゆっくりと朽ちていく廃都。それが外周区だ。
荒廃した街並みに、時折横切る野犬。人の生活の跡はあるものの、人間の姿はない。
「人、いませんね」
「ああ。ここにいる奴等は基本的に弱者だ。銃をぶら下げた民警の前には、のこのこと現れない」
「なるほど」
掲示板には行方不明者の捜索ビラが張り付けてある。辛うじて文字を読めるものはあるが、殆どが色褪せ、風化しかけている。十年前のガストレア戦争時に残されたものが未だに残っているようだ。
「多分、ここだ」
「これって、マンホールですよね……?」
「ああ。そうだ」
蓮太郎が目を付けた場所はマンホールだった。織種だったら完全に見過ごしているような場所である。蓮太郎が、コンコンと蓋を叩く。しばらくすると蓋が持ち上がった。中から出てきたのは七八歳の少女だった。目が赤い。この少女も呪われた子供たちなのだろう。
「おにーさんは?」
「民警だ。この子を探している。見覚えはないか?」
「知りませんねー」
「他の人にも尋ねたい。出来れば大人がいいんだが」
「じゃあ、長老になりますねー。付いてきてください」
少女が蓋を開けると、むわっ臭気が広がった。せっかくシャワーを浴びたのに、織種はまた臭くなるようだった。下水道は織種のイメージしていたものよりも清潔だった。しかし生活排水の臭気がする。光源は僅かにマンホールの隙間から漏れる光だけだ。そんな臭気と暗闇に包まれた下水道の奥から、杖で地面を着きながら誰かが歩いてくる。
「おやおや民警さんですか?」
「あんたが長老さんか」
「長老はあだ名ですよ。本名は松崎と言います。ここで子供たちの面倒を見ています」
織種は松崎と蓮太郎のやり取りに興味が無かった。それよりも奥の方でこちらを伺う視線の方が気掛かりだった。松崎から、延珠を見てないと言われ、蓮太郎は織種に戻るぞ、と言った。その背中に松崎が呼びかけた。
「君は、どうして延珠ちゃんを探すのかな? そこの彼女は新しいイニシエーターなんだろう? 延珠ちゃんに拘泥する理由が何かあるのかい?」
「有るに決まってんだろ! 俺はあいつがイニシエーターだから探しに来たんじゃねぇよ! 延珠が家族だから探しに来たんだ!」
蓮太郎の怒鳴り声は、下水道に反響した。
「悪い。怒鳴るつもりじゃなかった。別の場所を探すぞ織種」
「里見さん。延珠さんならすぐそこに隠れてますよ」
織種は全く空気を読まなかった。