「里見さん。延珠さんならすぐそこに隠れていますよ」
生活排水の臭気が漂う下水道。そこで織種が漏らした一言は場に変な空気をもたらした。
「なあ織種、言っていい冗談と、言っちゃダメな冗談が有るんだよ。俺は延珠のことを本気で心配してるんだよ。それを馬鹿にしないでくれ」
「いえ、決して里見さんを馬鹿にしたわけではありません。現に延珠さんはそこにいますし……」
「はっ。それならどうして松崎さんはいないなんて言ったんだよ」
「それは、複雑な乙女心があったからでしょう。里見さんが本当に延珠さんのことを大切に思っているのかかそれを知りたかったんですよ。里見さんだって、延珠さんと出会った時から家族同然だったということはないですよね。人は変わるんです。傷ついた延珠さんは、里見さんが変わってしまったことを恐れたんでしょう」
蓮太郎は、渋い表情を浮かべ、頭をボリボリと掻いた。ばつが悪そうだった。
「延珠、いるなら出てこい。俺にはお前が必要だ。俺はお前がパートナーじゃないと嫌なんだ」
「ふん……それは木更よりも妾を選ぶということなのだな?」
「バカ、延珠も木更さんも両方とも大事だよ。今は、お前の方が大事かもしれないけどな」
延珠は蓮太郎に勢いよく抱き着いた。それを受け止めた蓮太郎は、少しよろめく。延珠の頬を伝った涙の跡は、すぐに笑顔に隠れて消えた。
「それはともかく、お主、よくもバラしてくれたな!」
「痛っ、痛いんですけど」
地上に上がった織種を待っていたのは、延珠の肘内だった。地味に鋭いそれは、織種を痛がらせるには十分だった。
「何が、乙女心か。お主の方が妾の繊細な乙女心を壊してくれたわ」
「面倒くさ……」
「うるさいわ」
じゃれ合っている二人を見ながら、蓮太郎は安堵の溜息を吐いた。ぼんやりと廃都を眺める蓮太郎の視界の端に、一人の通行人の姿が目に入る。どこかの組織の制服らしきタクティカルベストを身に着けた服装は、一般人には見えない。
胸部の膨らみが、通行人の性別が女であることを示す。蓮太郎は緊張したが、すぐにその女の正体に思い当たった。
「あんた、確か……」
「里見さんでしたか。小官は東都情報社オペレーターの藤堂です。こちらには茶江洲さんを迎えに参りました」
「ああ。なるほど」
藤堂は、静かに織種に歩み寄る。そして、何事かを話す。延珠とのじゃれ合いでフードを被っていなかった織種は、フレーメン反応を起こした猫のような表情をした。要は間抜け面だった。
「織種、馬鹿みたいな顔をしてるのだ」
「…………はぁ。なるほど。そういえば、そんな生物もいましたね……」
「うん? 何を見てるんだ?」
藤堂の持参したPCの画面に映し出された画素数の荒い画像には、白い凧のようなものが写っている。その画面を覗いた蓮太郎も驚愕を顔に張り付ける。延珠は、画像を見てもキョトンとした表情を浮かべるだけだ。
「何が変なのだ?」
「コイツが目的のガストレアなんだよ」
「うん? 蓮太郎、蜘蛛というのはこんな形のものもいるのか?」
「コイツは空を飛ぶ蜘蛛なんだよ。世界には糸でグライダーを作って滑空する蜘蛛がいるんだ。その因子がこのガストレアに発現したんだよ」
「ほぉー。空を飛ぶ蜘蛛なんじゃな……」
「ああ。ざっくり言えばそうだ」
蓮太郎は、画像を見せた藤堂を見る。
「で、コイツはどこにいるんだ? それよりもアンタら民警だろ。自分たちで駆除すればいいんじゃねぇか?」
藤堂は、黙って右腕の義手を蓮太郎に突き付けた。バラニウム製の黒光りする義手を見て、何か事情があることを蓮太郎は理解した。
「ああ。そういうことかよ」
「ヘリを用意しています。小官が案内します」
四人は、黙って廃墟を歩いた。建造物が倒壊し原野に浸食された空間が目的地だったようだ。
「間もなくヘリが来ます」
上空のローター音は段々と近づいてくる。近づいてきた機体を見て、蓮太郎は思わず呟いた。
「いや……改造機じゃねえか。機銃付いてねぇか」
「付いてますね。ちなみに、私はアレ苦手なんですよね。当たらないんです」
「ああ分かるぞ。俺も狙撃は苦手だ」
「凄いぞ蓮太郎!武装ヘリだぞ!妾たちはアレに乗れるのか!?」
蓮太郎は、重量制限という問題に気が付いた。そもそもあのヘリは織種を迎えに来たもので、蓮太郎たちが乗れるという保証はどこにもなかったのだ。
「問題ありません。法野社長から、里見ペアを丁重にという言伝を預かっています」
「はあ。どうも」
地面すれすれでホバリングしているヘリに四人は乗り込んだ。民生品としては随分としっかりした作りなので、元軍用の払い下げ機の改修機か何かなのだろう。正面に付いているのは、蓮太郎の見間違いでなければミニガンの類だった。しかし、今回はそれは使われないらしい。ヘリ内にマウントされた12.7ミリのブローニング機関銃には、藤堂がついた。
「茶江洲さん、法野社長からIインジケーターを預かってます」
藤堂に渡された、眼鏡型の情報端末とイヤホンをいやいや織種は身に着けた。M2機関銃のために開け放たれたドアからは風が吹き込んでくる。レンズ越しに見る窓の外は、ARのように進行方向を示す矢印が浮かんでいた。
「やっぱりこれ便利ですね……」
しばらくして、Iインジケーターに、敵の表示が現れる。目標が近いということだろう。
「目標を発見しました。ドローンを散布します」
藤堂のロボットじみた発言と共に、ドアから荷物が蹴りだされ、そこから十数体のドローンが空中に広がる。
「周辺よし、視界アシストよし。射撃管制よし、後方よし。撃ちます」
ブローニング機関銃の重厚な発射音がヘリを揺らす。織種のIインジケーターには、ガストレアの所在が表示されていたし、肉眼でも白いものが微かに見えるのだが、攻撃ともなればそれは別の話だ。織種は、藤堂の能力に舌を巻いた。
「当たってやがる……」
蓮太郎も息を吞みながら地面に吸い込まれるガストレアを見ていた。
「ギッ、ギキッ……」
ガストレアは虫の息だった。時折関節がガクりと動くが立ち上がる気力を見て取ることは出来ない。着陸したヘリから一目散に延珠が駆け寄り、止めを刺した。
「先を越されましたか……それは延珠さんのものです」
「なっ、本当にいいのか!?妾はそんな欲張りではないぞ」
「ええ。先着順ですし。藤堂さんも問題ないですよね?」
「ああ」
藤堂は、駐機しているヘリの中で機関銃の整備をしており、上の空で返事をした。蓮太郎は、死骸からジュラルミンケースを見つけると、それを織種に渡した。
「なんのつもりですか……?」
「俺にはそいつを持つ資格が無ぇよ。それに、俺が運ぶよりもそっちがヘリで運んだ方が早い。いいだろ延珠?」
「うむ。妾は構わんぞ」
「はぁ……仕方がないですね」
織種は、ジュラルミンケースを乗せ、防衛庁に向かった。許可が下りたようで防衛庁のヘリポートを使用できた。藤堂がジュラルミンケースを持ち、機外に降りる。ヘリポートでは四人の男が、待ち構えていた。男たちは下卑た表情をしている。
「ご苦労。民警風情にしてはよくやったよ。ああ名乗ってなかったね。僕は保脇卓人。聖天子様の護衛隊長をしている。薄汚い赤目とその保護者を聖天子様に関わらせるわけにはいかないからね。そのケースを渡してもらおう」
「これは、正式な命令ですか?」
「ああ。正式な命令だ。もしかして元軍人かい?なら分かるだろう。命令は絶対だ。それを渡せ」
こういって手合いは厄介だ。それも権力を持っている人間だとさらに厄介なのだ。織種は藤堂に耳打ちした。ここで問題を起こしても、意味はない。藤堂は素直に保脇にケースを渡した。保脇の口元に一瞬だけ下種い笑みが現れたが、それもすぐに消えた。保脇たちは建物の中に消え、織種と藤堂も機上の人となった。そして、事態は全て収束したかのように思われた。
「ケースが奪われた!?」
「そうだね。防衛省はメンツをぶち壊されたのか、まだ発表してないけど」
「なんで、そんなバカなことになっているんですか!?」
「そりゃあ簡単だよ。内通者がいるからさ」
東都情報社の社長室で奈佐から打ち明けられた事実は衝撃的なものだった。
「聖天子護衛隊とかいう愚連隊は、全員が死亡し、ステージⅤのガストレアを呼び寄せられる七星の秘宝は奪われた。下手人は蛭子影胤とそのイニシエーター蛭子小比奈と推測されている」
「内通者というのは、愚かなんですか?ステージⅤを召喚できる危険物をまんまと奪わせるなんて!?」
「毒をもって毒を制すともいうだろう。それに毒には解毒剤がある。つまり、恐ろしことに内通者側にはステージⅤを倒せるか御せる手段があるんだよ」
織種は、絶句したまま固まった。
「おーい織種ちゃん大丈夫かい?僕はまた暴力を振るわれたくはないんだ。痛いのは好きじゃないからね」
奈佐は固まったままの織種の頬を揉んだり、鼻を摘まんだりしていた。
「……理不尽ですね」
「うん?何がだい?」
「全てがです。世界も、人間も、全てが理不尽です。街は差別で溢れ、それが日常になっている。そして、権力者は保身のために何もしない」
「その話、長い? だから織種ちゃんに情報を渡すのやなんだよね。面倒くさいメンヘラだから。あっ、泣かないで。ごめん本音が出ちゃった」
織種は、舌打ちをして社長室を出ていった。残された奈佐は、松葉杖を撫で溜息を吐いた。
「過去の呪縛か。彼女は、幻影からいつになったら逃れられるのだか。彼女のための用意はあるけど、戦争はしたくないなぁ」
翌日、防衛省はプライドを捨て七星の秘宝が再び奪還されたことを民警に通達した。七星の秘宝、ステージⅤの召喚触媒は影胤によってモノリス外の未踏査領域に持ちだされたと結論付けられたのだ。ガストレアがうようよ蠢き、ウイルスに侵された巨木が生い茂る森は、人類には危険すぎる場所だ。それでも、十数人の民警が危険を恐れず、この任務に名乗り出ていた。
「おう、織種お前も参加したのか?」
「里見さんこそ。想い人の木更さんを残して死ぬつもりですか?」
「バカ。俺は死なねぇよ。延珠だって参加してるんだぜ」
「はぁっ」
延珠は、背後からズボンを下ろそうと織種に手を伸ばした。しかし織種のズボンはしっかりベルトで固定されているし、織種にはその攻撃は完全に見切られていた。
「い、痛いぞ」
「蓮太郎さん。延珠さんに対しての教育がなってないんじゃないですか?」
「ああ。すまん。延珠はこういうやつなんだ」
織種は、延珠の頭をぐりぐりすることを止めた。
「隙有り」
「ふっ」
「固いっ?」
「お返しです」
織種は容赦なく延珠のスカートをまくり上げた。すらりとしつつも肉感がある太腿が晒される。濃茶色のロングブーツから伸びた日に焼けていない白い太腿は、ブーツと対照的なコントラストを発揮し、非常に生々しいエロさを醸し出す。そして蓮太郎の前には延珠のジュニアショーツに包まれた尻があった。純白の綿のパンツは延珠の未成熟な尻をすっぽりと覆っている。
「なっ!?れ、蓮太郎……見た……?」
「おっ、おう」
蓮太郎は、延珠の見慣れない表所にドギマギするが、性的興奮を覚えたわけではない。多分。きっと、そのはず。
そんなこんなしているうちに、時間が過ぎた。織種は単体で行動するために蓮太郎と同じ機体に同乗した。今回は近接武器も所持している。
「なあ、それすげぇな」
「私の戦闘スタイルと言いますか、殴ればいいので楽なんです。銃は弾が限られるので今回はありません」
織種は、巨大なバラニウム製棍棒を肩に乗せている。洗練されていない無骨なデザインだ。表面に傷がないことから新しいもののようだ。
「のう織種。織種は何の因子を持ってるのだ?」
「秘密です」
「むぅ。釣れないのう」
ヘリから民警たちが降下していく。ヘリが安全に着陸できるような開けた場所は今回の作戦では無い。なので、民警たちはロープを伝いヘリから黒い森に降下した。夜間の森は想像よりも遥かに暗かった。本来の森なら、それでも静寂と漆黒に紛れて生物の息遣いがどこからか聞こえてくるはずだ。しかし、このガストレアに侵された森は物音が何かに吸い込まれてしまったかのように静かだった。
ガストレアウイルスに罹患し、醜く膨れ上がった樹木も見る者の恐怖を煽る。
「れ、蓮太郎……」
「はぁっ……面倒ですね。ドローンの中継機がいるようで私の情報端末の電波は問題ありません」
「ああ。すまん。世話になる」
蓮太郎は、古い地図を持ってきてはいたが、正直その地図の正確さに不安を覚えていた。
「ドローンがマッピングをしてるみたいです。最新データと古地図を比較したものが来ました。ナビが可能です」
「織種はすごいのぅ。蓮太郎ももっと頑張るのだ」
「いや、それチートだろ。ナビ機能付きとか俺も欲しいわ」
織種は蓮太郎にIインジケーターの値段を告げた。蓮太郎は口を閉ざした。三人の探索はまだ始まったばかりだった。