まちがった青春をもう一度。   作:滝 

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その修学旅行は、青春ラブコメ的には正しい。

 晩秋の京都は、制服のブレザーを正しく着込んでいても少し冷える。

 いや少しの寒さで済んでいるのは、この土地柄かもしれない。かの有名な清水寺。その本堂へ、そして清水の舞台へと並ぶ生徒たちの列がなければ、きっともっと厳しい寒さに晒されていたと思う。

 

「おぉ〜」

 

 結衣は身を乗り出しそうな勢いで欄干に近寄ると、眼下の京都の町並みと紅葉に嘆声をもらした。

 まったく、何度目であっても見事なものだ。紅葉の季節は終わりかけてはいるが、だからこそより一層赤く燃えるようにその葉を染めている。

「ヒッキー、写真撮ろ! 写真!」

「お、おぉ⋯⋯」

 いつだったかもここで写真を撮ったな、なんて思い出していると、結衣は携帯のカメラをインカメラに切り替えて俺に寄り添いハイチーズ。やはり雪乃にセルフィーの撮り方を伝授したのは結衣だったか、と身を以て知る。⋯⋯っていうかガハマさん、ちょっと近くない? 絶対前より近いよね?

「あとで送っとくね」

「あぁ⋯⋯」

 妙な汗が出てきて、いったい何歳になったんだと我ながら呆れるしかない。

 写真を撮り終えると、そのまま人の流れにのって歩いて行く。その先にあるのは、恋占いの石がある地主神社だ。

「なんか、いい感じだね」

 そう言う結衣の視線の先にいるのは、海老名さんと戸部だ。俺と、俺たちの、それぞれの依頼人。

 ここ修学旅行に至るまでの奉仕部への依頼は、俺の知る青春時代をなぞっていた。葉山が戸部たちを引き連れ奉仕部を訪れ、戸部は海老名さんへの告白を手伝って欲しいと依頼する。

 何か違いがあったとすれば、戸部から「ヒキタニくんに相談はないわ〜」と言われず、結衣も怒ったりせずに済んだところぐらいだろう。文化祭の折り、相模にあの時ほど酷い事は言っていないし目撃者もいなかったお陰で、聞くに堪えない(そし)り言を耳にする事もなかった。

「やべー、これ全然分かんねぇわ。真っ直ぐでいいのこれ?」

 戸部は目を瞑った状態で、二つの岩の片方から歩き出した。およそ十メートル離れた岩へ、目を瞑ったまま辿り着ければ恋が叶う、というあれだ。

「そう、まっすぐまっすぐ」

「違う、ちょっと右」

「ちょー、右って俺から見て右? どっち?」

 何でも人のアドバイスを受けて岩に到達した場合、人の助力があればその恋は成就するらしい。

 であれば、そのジンクスは正しいのかも知れない。

 俺の知る世界線では、社会人になってからようやく二人は付き合うようになった。想いを募らせながらも諦めなかった戸部と、海老名さんの心の変容によってそれは成就したのだ。

 

『あの時、比企谷くんがお願いをきいてくれたお陰だよ』

 

 久々にあった海老名さんの、まるで何年も砂漠を彷徨った旅人がようやくオアシスを見つけたようなあの表情を、俺は忘れる事ができない。だから俺の行動は、縛り付けられてしまう。

 この修学旅行の三日目の夜、俺はまた海老名さんに虚偽の告白をするだろう。たとえ違う世界線だとしても、俺にはわざと二人の将来を壊す事などできない。

 しかしそれは、また彼女たちを傷つけるという事だ。それを回避する手段をずっと考えて、堂々巡り。未だにこれという解決策は思い浮かばず、修学旅行の最中にあってもそれは変わらない。

「ちょ、マジどっち?」

「左!」

「右!」

 困惑する戸部の姿を、海老名さんは「あはは」と小さな笑みを浮かべて見守っている。

 恋占いの石。

 さて、そのジンクスは“正しいのかも知れない”と表現したのは。

 

「っとぉ!」

「危な⋯⋯」

 

 戸部が転倒しかけて、それを葉山が助けたからだ。はや×とべ的には美味しい展開だな。

 しかしせめて、岩までは辿り着いて欲しかったところだ。

 こっちは覚悟を、決めているのだから。

 

 

       *       *       *

 

 

「知らない天井だ⋯⋯」

 

 見慣れない天井に、がばっと身を起こして周囲を見渡す。これが元いた世界線の病室であればよかったのだが、そんな事はない。俺はまだ誰も救えていないらしく、ここはホテルの一室だ。

「あ、八幡。やっと起きた?」

 どうやら俺はまた、宿について食事をとった後すぐに寝てしまっていたらしい。まあ清水寺から南禅寺に移動した後、銀閣寺までのそこそこ長い距離を歩いたのだ。朝も早かったし、寝落ちしてしまうのも致し方あるまい。

 葉山と戸部たちはジャラジャラと麻雀牌をかき混ぜ、まさに修学旅行の夜といった一幕だ。

「ああ⋯⋯。ちょっとコーヒー買ってくる」

 うん、と頷いて手を振り送り出してくれる戸塚を背に、俺は部屋を後にした。そう言えば、一日目の夜は材木座が部屋に突撃してきた気がするが、まあいいか。心優しい戸塚が相手をしてくれるだろう。

 一階に下りて、自販機の前に立つ。一応マッ缶を探すが、当然ラインナップにはなかった。認めたくない事だが、千葉以外でマッ缶は市民権を得ていないのだ。

 俺は仕方なしに、一番甘そうなカフェオレの缶を購入する。それを手にベンチを探していると、ふと見知った顔が視界に入った。雪乃と結衣が、肩を寄せ合いベンチに座っている。

「あ、ヒッキー⋯⋯」

「比企谷くん⋯⋯」

 なんなのその悪口言ってたら本人来ちゃったみたいな反応⋯⋯。

 それにしても、こんなシーンはあっただろうか。湯上がりなのか髪をアップにした雪乃の姿には見覚えがあるが、お団子頭をおろした結衣に会った覚えがない。

「⋯⋯珍しいもん飲んでんな」

 しかも二人とも、今しがた俺が買ったのと同じカフェオレの缶を握り込んでいる。こんな時間に飲んで寝れなくなっても知らねぇぞ。

「あはは⋯⋯うん」

 妙に意味深な雰囲気を醸し出しながら答えられてしまうと、これ以上訊くのも憚られる。俺はベンチの横に立って背を壁に預けると、ぷしゅっとプルタブを開けた。

「明日の相談か?」

「うーん、まあそんなところ」

 さっきから答えるの結衣ばっかりだな、と雪乃の顔をちらりと盗み見る。カフェオレの缶を握る彼女は、その表情にも動作にも強張りのようなものが感じられた。

 しばらく無言で缶を傾けていると、カツカツと音を鳴らしてまた別の人影が現れる。

 こんな夜更けだというのに、平塚先生はコートを羽織りサングラスをかけていた。

「な、何故君たちがここに⋯⋯」

 明らかに狼狽えた様子を見せる平塚先生は、記憶の通りならまた天一にラーメンでも食べに行くのだろう。いいな。久しぶりの天一のラーメン。

「いや、ただ飲み物を買いに」

「そうか⋯⋯。まあいい。口止め料を払うから、ついて来い」

 俺たちの顔を一人ひとり見た後に、平塚先生は颯爽と歩き出す。どこか開き直った様子に、思わず笑ってしまいそうになる。

「あの先生、どこに⋯⋯」

「まあ、ついて来れば分かる」

 雪乃の問いにまともに答えず、平塚先生はホテルの正面玄関から外に出た。俺たちもそれに続くと、そのまま通りの方まで歩いていく。

 平塚先生がさっと手を挙げると、すぐに一台のタクシーが路肩に停まった。

 ところでタクシーの席に座る順番というのをご存知だろうか。この場合一番目上にあたる平塚先生が運転席の後ろに座るべきだが、普通に助手席に座ってしまった。では上座から順番に俺たちが座ると、どうなるか。

「⋯⋯狭い」

 そうですね、一番下座の後部座席中央が俺の席で確定ですね。

「そんなに肩を縮こまらせるから狭く感じるのよ」

「別にそんなに避けなかったらいいだけなのに⋯⋯」

 普通に上座である運転席の後ろに座った雪乃が言い、左隣に座った結衣もそれに続く。が、お言葉に甘えられないのが俺なのだ。既に十分に近いし、風呂上がりのいい香りが鼻腔を満たして落ち着かない。

「一乗寺の天一まで」

 平塚先生がそう言うと、タクシーは滑るように走り始める。

「てんいち⋯⋯。てんかいち?」

「惜しいけど、絶対お前が思ってるのと違うぞ」

 結衣は頭の上にハテナを浮かべているが、むしろ天下一武闘会を思い浮かべるお前の方が不思議だという話だ。女の子でもドラゴンボールとか見るのだろうか。

 僅かばかりのナイトクルージングを終えると、俺たちはいつかの店の前に立つ。

「これが天下一品総本店⋯⋯」

 いや、ぶっちゃけ二回目なのだが、やはり久し振りに来ても感動する。そんな俺の感慨の理由など知る由もない雪乃と結衣は、気の抜けたような表情で看板を見上げていた。

「さあ、入るぞ」

 平塚先生に促され、店内に入る。こんな夜更けのラーメン屋に美少女二人とサングラス美女というアンマッチさは相当目立つらしく、テーブル席に座っていた男性客にジロジロと見られていた。まあ俺たちの様子じゃ、〆のラーメンって感じでもないし、この三人の見た目なら致し方ないだろう。でもやっぱ俺の奥さんジロジロ見んじゃねぇぶっ殺すぞ。

「さあ、口止め料だ。遠慮なく頼みたまえ」

 席に着くと、メニューを開きながら平塚先生はそう言った。とはいえ説明も無しにメニュー見せただけでは混乱するだろう。

「お前らはこっさりかあっさりぐらいがいいと思うぞ」

「いえ、何か見ているだけでお腹がいっぱいになるからいいわ」

「あはは⋯⋯あたしも」

 他のお客さんが食べているこってりを見た二人は、普通に引いていた。まあ、あの見た目じゃ頼むのにも勇気がいるだろう。

「ではあっさりを頼んで二人で分けて食べるといい。もし多くてもそこの育ち盛りが食べるだろう」

「⋯⋯残飯処理係の素敵な言い換えですね」

 というか普通に間接キスになり得ることを提案してくるとか、この当時の俺の自意識過剰っぷりを考えたら大分とぶっ込んだ提言だ。仮にも女性教師なのだから、もっと気にした方がいいと思いました。

 

 店員さんを呼んで注文を告げると、数分の後に着丼する。俺と平塚先生はこってり、雪乃と結衣はあっさりだ。

 いただきます、と言って食べ始めてしばらくしてから、平塚先生は麺リフトをしながら言う。

「順調に依頼をこなしているようだな」

 ちゅるる、とそう言った後に平塚先生は麺を啜る。一体それは、どの依頼の事を言っているのだろうか。

 戸部からの依頼をこの時点で知っているとは思えない。あるいは、雪乃から連絡が行くことになっているのかも知れないが。

「特に文化祭の依頼は、上手くいったな。相模も文化祭の件で、だいぶ自信をつけたようだ」

 その事か、と俺は僅かに身体に巡っていた緊張を解いた。

 文化祭以降の相模の様子を見ていると、確かに平塚先生の言うように以前のような卑屈さは感じず、自信さえ持っているように思える。文化祭を何とか成功させたお陰で、彼女の自己承認欲求と自尊心は正しく満たされたらしい。

「しかし雪ノ下。私の、彼に対しての依頼を覚えているか?」

 雪乃は平塚先生にそう問いかけられると、髪を耳にかけながらラーメンを食べようとしていた動作を止めた。すっと背筋を伸ばすと、平塚先生に向き直る。

「確か『彼の捻くれた孤独体質の更生』、でしたね」

「そうだ。自分では、どう感じている?」

 雪乃はチラと俺を見てから、顎に手をやり考える。結衣はそんな俺たちの様子を見て、食べる手を止めた。

「そんな依頼、あったんだ」

「ええ⋯⋯」

 俺の方をチラと窺う視線が、二人分に増える。そういう話、本人の前でするのやめてくれないかなぁ⋯⋯。

「⋯⋯正直、よく分かりません。依頼のこなし方は苛烈ですが、意外にまともというか⋯⋯」

 ごにょごにょ、とそこで言葉は尻すぼみになっていく。

 まとも、か。それは過大評価のように思える。千葉村での留美の件は、結局一度グループを破壊しているし、相模のサポートの件では誤判断を起こさない為に相当厳しい事を言って彼女の自尊心をズタズタにした。結果は良かったものの、まともと称するのは違和感がある。

「まあ、斜め上だよね。ヒッキーの考えること」

 結衣は雪乃の意見に同調するように、うんうんと縦に首を振った。

 その表現なら、少し納得できる。やはり結衣には、この時から色々なことが見えているのだと感心するしかない。

「では孤独体質についてはどうだ?」

 その問いに、今度は雪乃も結衣も黙りこくった。頭の中での検討が長引いているのか、二人とも僅かに首を傾げている。

「⋯⋯孤独体質というより、孤独であることをただ選んでいるだけのような気がします」

「うん⋯⋯。そんな気がする」

 そんな風に見えていたのか、と俺は自らの行いを回顧する。

 確かに基本的にはあの頃の再現をしなければ、と意図して孤独でいるようにしていた。高校生の彼ら彼女らともっとコミュニケーションを取ろうと思えば、きっとあの時よりもまともなやり取りはできていたのだろう。しかしそれでは周りから余りにも奇妙に見えるだろうし、関わる人は選ぶべきという考えは変わらない。

「そうだな。そうなのかも知れない。では、君たちとはどうだ?」

 平塚先生の言葉に、二人ははっと顔を上げた。その言葉の意味するところを反芻するのは、彼女たちには一瞬のことだったらしい。どこか居心地悪そうに、二人は視線を合わせると、そのまま小分けにされたラーメンに視線を落とした。

 ⋯⋯一体なんなの、君たちの態度。

 平塚先生の言いたい事は分かってはいるが、気付かない振りをする事にした。平塚先生の伝え方はシンプルかつストレート過ぎるし、その言葉の持つ意味は陽乃さんが時折口にする真実めいた言葉と似て強い。

 

「⋯⋯ラーメン、冷めるぞ」

 

 俺はそう一言だけ言って、箸で掴んだまま冷めてしまった麺を啜った。

 

 

       *       *       *

 

 

 修学旅行も二日目。本日最初に向かう先は、 太秦(うずまさ)映画村だ。

 紅葉シーズンで大混雑のバスでぎゅうぎゅう詰めにされつつも、何とか目的地に到着する。時代劇の撮影にも使われる江戸時代の町並みを歩き見ながら入る事になったのは、いつぞやと同じお化け屋敷だ。

 

「うわぁ⋯⋯やっぱあたしこういうの苦手⋯⋯」

 

 まるで雪乃に寄り添う時みたいに近い距離で、結衣はそう言った。

 あれ行ってみようよ、と提案したのは君なんですが⋯⋯。まあ、戸部と海老名さんをくっつける為の作戦なんだろう、というのは俺も分かっているけど。

 

「い、今なにか変な声が⋯⋯」

 

 そして俺のブレザーの左側の裾を引っ張ってくるのは、川なんとかさんだ。さっきから戸部がビビり倒す声でこっちもビビるという負の連鎖を生み出している。貴女も十分近いので、自重して頂きたい。

 

「八幡は、平気そうだね」

 

 そう訊いてくるのは戸塚で、そういう彼女──いや彼は、まったく平気そうだった。

 

「まぁな⋯⋯」

 

 だって二回目だし⋯⋯。とはもちろん言えない。俺は息遣いさえ聞こえてくる彼女たちの近さにこそばゆさを感じながら、お化け屋敷の中を歩き続ける。

 しかしまあ、川なんとかさんが怖がるのは無理もない。お化け役は本物の役者が演じているし、セットの死体は生体から模って作ったリアリティのあるものだ。二度目でなければ、俺もそこそこビビっているだろう。

「戸塚は全然平気そうだな」

「うん。僕はこういうの結構好きだから」

 リアルな死体造形と死装束の演者が? と思わず阿呆な事を考える。

 それにしたってこの二日目は、特に変化を与える予定のイベントもなく、気楽なものだ。明日の夜の事を考えると、こうやって楽しんでいられるのも今日までだろう。

 俺はちらりと、左隣の人物を窺い見た。かわ⋯⋯川⋯⋯思い出した。川崎沙希はさっきから普段の気怠げで威圧的な態度は鳴りを潜めさせ、年齢相応な少女然として怖がっている。

 それを見ていて、俺はふとひらめいた。そのフラッシュアイデアは、もし二日目に変化を与えてみるならこれしかないだろうという、確信めいたものに変わっていく。

 

「ね、ねぇ比企谷。さっき何か聞こえなかった?」

「ん? いや、何も聞こえなかったけど⋯⋯」

 

 ──嘘だ。

 俺は確かに気付いていた。今まさに俺たちを驚かそうと、僅かに動き出した人影に。

 

「ぶるぁっ!」

 

 死体に擬していた役者がそう叫び声を上げながら起き上がると、川崎はビクーン! と背筋を伸ばし、直後に無言の全力ダッシュ。

 

 俺が変化を与えるのは、ここだ。

 

「うわあああぁぁぁぁ!!」

 

 俺は川崎の無言の叫びを代弁するかのように、絶叫を上げながらその背中を追いかけ走り始めた。

 その名も『川なんとかさんはいつも怖いから、こっちから怖がらせてみよう作戦』である。

 

「──! ひっ、きっ──!」

 

 振り返った川崎は俺の姿を認めると、涙目になって走り続ける。もはや何を言っているのかも分からない。

 さほど広くもない板張りの通路を、青みがかった長髪に掴み掛からんと全力で走る。血飛沫の散った障子が、おどろおどろしい色に染められた欄間が、視界の両端へと流れていく。

 

「かぁぁわぁぁさぁぁきぃぃーーー!!」

「ひいぃっ! ひ、ひきっ、比企谷がゾンビ化したぁぁぁぁーーー!!」

 

 大変失礼な事を絶叫しながら、やがて川崎は出口の扉まで到達する。

 彼女に扉を開けている時間などない。

 そして、俺を振り返り──。

 

「死ねぇぇ!」

 

 川崎の突き出した腕に首をひっかけられ、俺は(したた)かに後頭部を打ちつけたのだった。

 

 

       *       *       *

 

 

「本当、ありえない⋯⋯。マジでありえない⋯⋯」

「あはは⋯⋯。まああれは、全面的にヒッキーが悪いよね」

 

 お化け屋敷を出たところにあった軒下のベンチで、俺は川崎の恨み節を聞きながら垂木を見上げていた。

 川崎渾身のラリアット⋯⋯というか俺が走ってきた勢いをのせた自爆ラリアットで見事にぶっ倒れ、軽い脳震盪を起こして休憩中である。

「ヒッキー、まだクラクラする?」

 俺は結衣の膝枕をして貰いながら、額には濡れハンカチが置かれ完全に被介護状態。我ながら阿呆な事をしたものだが、結衣から話を聞いた戸部と海老名さんが爆笑してくれたのだけは良かったと思う。それで二人の仲が近付いたかどうかと問われると、答えを濁すしかないが。

「ああ⋯⋯まだちょっと⋯⋯」

 俺は結衣と目が合うと、そう言って目を閉じた。

 それにしても結衣の太もも──略して結衣もも⋯⋯。雪ももも素晴らしいが、結衣ももも味わい深いな⋯⋯。

 目を閉じるのに合わせて、結衣は俺の瞼の上にそっと手を置いた。まるで寝かしつけられる子供のようで、くすぐったい。

「あんれー。ヒキタニくん、まだダメなん?」

「あ、うん。まだっぽい」

 声に目を開くと、パッと覆い被さっていた結衣の手は外され、見下ろしてくる戸部と目が合った。という事は恐らく近くに葉山もいる事だろう。奴にこんな姿を見られるのも癪なので、まだ頭がふわふわするが起き上がる事にした。

「すまん、もう大丈夫だ」

 よっこいせ、と立ち上がってみても、目眩のような症状もない。首をぐるりと回してみるが、少し痛みが残っているぐらいで問題なさそうだ。

「ヒキタニくんも、茶目っ気あるんだねぇ。隼人くんにもしてみたらいいのに」

  愚腐腐(ぐふふ)、と笑うのは、戸部と一緒に近くに来ていたらしい海老名さんだ。その提案も中々楽しそうだが、奴の場合は素で返してきてこちらがダメージを受けそうだから、絶対やらない。

「もう大丈夫なのか?」

 三浦と土産物屋の方から歩いてきた葉山は、俺を上から下まで見てからそう言った。あんな阿呆なことをしてこいつに心配されるというのは、随分居心地が悪い。ならするなって話だが。

「ああ、すまん。時間ロスったな」

「いや、どうせ土産物は見たかったし。じゃあ、そろそろ行くか」

 葉山は皆に向けてそう言うと、口々に肯定の言葉が返ってくる。次の移動先は 洛西(らくさい)エリアだ。

 

 

 俺の提案で激混みバスを回避してタクシーに乗り込むと、次の目的地である 仁和寺(にんなじ)に到着した。かの有名な徒然草の第五十二段に出てくる、古典随筆オタク的には聖地にあたる寺だ。

 確かあの話は、とある法師についての一編だ。法師が石清水八幡宮を参拝し、極楽寺や高良神社に行ってよし全部まわったぞ、と思っていたらまだ他にも参拝すべきところがあって、だから些細な事にも案内役はいて欲しいよね、って話だ。現代ならちゃんとググってから行けカスと言われてしまう案件である。

 さてでは俺はというと、もちろん案内役など必要ない。これから向かうことになる 龍安寺(りょうあんじ)で、たまたま雪乃と会ったのをよく覚えている。映画村での時間ロスはあったが、バスの待ち時間をカットしたから、大体あの時と同じスケジュールで事は進んでいるはずだ。

 拝観受付を済ませて敷地内に入ると、道に沿って歩き、石段を登っていく。やがて見えてくるのは、方丈と呼ばれるお堂だ。そこに入って見えるのは、テレビや何やらで有名な枯山水、龍安寺の石庭である。

 結衣たちは「うわぁ」と声を上げながら石庭を撮ったり、それをバックに写真を撮ったりとそれぞれに散って行く。

「⋯⋯⋯⋯」

 それじゃ雪乃さんはどこかなーと縁側を探すのだが、総武高校の制服姿はいくつか目につくものの彼女の姿はなかった。見落としているという事は、ありえない。俺のゆきのん限定千里眼はそこいらのレーダーよりも高精度なのだ。

 おいおいマジかよ。これはタイムマネジメントを失敗したか⋯⋯と絶望しかけていると、不意にトントンと肩を叩かれる。

「こんなところで奇遇ね。比企谷くん」

 振り返ると、探し人は僅かな微笑みを浮かべてそこに立っていた。真後ろにいられたら、流石に検知範囲外だ。

「なにをキョロキョロしていたの?」

「⋯⋯いや、どの角度から撮るのがいいかなと」

 お前を探してたんだよ、と言いたいところだが、勿論そんなことはしない。それにしたって予想通り会えただけで、うっきうきのルンルン気分が表情に出てしまいそうだ。京都の名所で見る雪乃の立ち姿は本当に絵になる。それある。

「そう」

 雪乃はそう言うと、周囲を見渡した。見知った顔が近くに居ないのを確認すると、雪乃は軽く俺の袖口を引っ張る。

「ちょっとこっちへ」

「へ? お、おぅ⋯⋯」

 なんだこの記憶にない展開は⋯⋯と戸惑っていると、方丈の端の方へと連れて行かれる。そう言えば、あの時同行していた雪乃のクラスメイトたちはどこに行ったのだろうか。

「その⋯⋯写真を撮って欲しくて」

 携帯を取り出した雪乃を見て、あぁなるほどと俺は頷いた。これだけ見事な枯山水なのだ。それを背景に写真を撮って欲しいというのだろう。それこそクラスメイトを見つけて撮って貰えばいいと思うのだが、頼みづらいのかも知れない。はしゃいでいると思われたりするの、嫌がりそうだし。

「ああ、いいぞ」

 貸してみ、と携帯を受け取ろうと手を伸ばすが、何故か雪乃は携帯を手放さない。

 えぇ⋯⋯なにこれ。あなたに携帯を預けるわけがないでしょう自分ので撮って送るのよ、とか言われちゃうやつ?

「そ、そうじゃなくて」

 雪乃は携帯を操作すると、インカメラを起動した。頬には朱を、眉には不安をのせ、もじもじと非常に言いにくそうに言った。

 

「その⋯⋯一緒に、撮りたいのだけれど⋯⋯」

 

 あかん。

 これあかんやつや。

 可愛過ぎて死ぬ。可愛いが致死量超えて悶死する。

 思わず関西に来ているからといって方言がうつってしまいつつ、俺は平静を装うのに必死だった。恥ずかしがりながら一緒に写真を撮りたいとおねだりしてくるゆきのん可愛いのん♪ あ、これ全然平静じゃねぇや。

「きゅ、急にどうした」

 とりあえず二つ返事でオーケーするのもこの当時の俺らしくないかと思って、そう聞いてみる事にした。

「せっかく会えたのだし⋯⋯。それに由比ヶ浜さんとは撮ったのでしょう?」

 返ってきた答えに、思わず仰け反って反応してしまいそうになる。マジっすか君たち。そんな事まで情報共有済みとか、仲良すぎでは?

「あー⋯⋯まあ、いいけど」

 俺がそう答えると、雪乃は 愁眉(しゅうび)を開く。

 言葉ではそう言うが、むしろ撮りたい。撮らせて下さいって土下座でお願いするレベルだ。JK時代の奥さんと晩秋の京都でツーショットとか最高過ぎる。

「じゃ、じゃあ」

「ああ⋯⋯」

 会話になってないな、と思いながらも俺は石庭を背に雪乃の隣に並んだ。肩同士に握り拳三つほど間を空けて、雪乃は携帯を構える。

「⋯⋯比企谷くん、もうちょっとこっちに」

「お、おぅ⋯⋯」

 別に俺からしたら初めての事でもないのに、妙に緊張してしまう。それもこれも、雪乃が自撮りに慣れていないせいだ。

 俺の記憶のある限り、雪乃はかなり慣れた様子でツーショットの写真を撮っていた。おそらくそういう機会が多くなり、慣れてきた来たのはもう少し先。たぶん一色いろはが奉仕部に入り浸るようになってからとか、そのぐらいの事なのだろう。という事は指南役はいろはか? まあ辿々しい手つきで頑張って自撮りしようとする雪乃が可愛いから、もうどっちでもいいか。

「まだ見切れてるわ」

「あ、はい⋯⋯」

 完全に肩はくっつき、枝毛の一つすらなさそうな黒髪が頬を撫でる程に近い。ふわりといつものサボンが香って、嗅ぎ慣れた匂いだというのに心臓は早鐘を打つ。

 カシャ、とシャッター音が鳴る。顔を赤くした雪乃と俺は、僅かにのぞく石庭と共に小さな画面の中に収まった。

「あ、ありがとう⋯⋯」

「おう⋯⋯」

 名残惜しさを感じながらも、肩を離して距離を取る。制服越しにも感じられた熱が、体内に染み入ってくるように熱く感じられた。

「じゃあ、戻るわ」

「⋯⋯ああ、またな」

 胸の前で小さく手を振り、まだ顔に赤さを残したまま雪乃は踵を返した。

 二歩、三歩と離れていく。半ば放心してその後ろ姿を見ていると、重大な事に気が付いた。写真を──さっき撮った写真を、送って貰わなければ。

 

「雪乃!」

 

 焦ってそう呼んだ瞬間、俺はしまったと口を押さえる。つい、地の呼び方が出てしまっていた。

 振り返った雪乃は想像もしていなかっただろう状況に瞠目し、身体ごとフリーズさせると、ぱちくりとその大きな目を瞬かせた。その頬には、また赤みが戻ってきている。

「な、なに⋯⋯?」

「その⋯⋯。後でいいから、さっき撮った写真、送っておいてくれ」

「え、ええ⋯⋯」

 そう言うと雪乃は再び背を向けて、その場を後にした。まるで逃げるように、さっきよりも早足に。

 

「はぁー⋯⋯」

 

 深く、深く息を吐き出す。何やってんだ、俺。

 方丈の端っこで、一人ぐしぐしと頭を掻きむしる。しかしどれだけ時間が経っても頬の熱さと後悔は、中々抜け落ちていかないのだった。

 

 

 






お読みいただきありがとうございました。
サブタイトルの通り、今まで一番ラブコメらしい、ほのぼのした話になりました。
さて次は修学旅行後編。八幡が憂鬱に感じているあの告白はどうなるのか。
次回も読んで貰えたら嬉しいです。毎回書いてますが、感想を頂けると更に嬉しい。
ではまた来週の土曜日にお会いしましょう。
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