今回、いくつかの話に分けます。
「おい、風邪ひくぞ」
今のトレーナーさんと出会ったのは、しんしんと雪の降る日。私は意味もなくぼおっと立ち止まっていて、ちょっぴり雪が積もっていた。彼は懐から使い捨てカイロを開封して投げ渡した。
「君、サイレンススズカって言うのか。俺は斉藤。ちょっと早めに
寒さと気分の落ち込みで殆ど聞いていなかったから、目の前のトレーナーバッジを付けた男が一応、斉藤というトレーナーであることだけしか知らなかった。
「まあ、春からだけどよろしく頼むよ」
それから二ヶ月ほど後、彼は正式にトレーナーとして着任した。
「おっ、確かあの日の……」
「斉藤トレーナー……ですよね」
「ああ、久しぶり。にしても、国内最大なだけあってここは素晴らしいなあ……」
彼は地方からやって来たらしく、私自身はあまり知らなかったが、トレーニング器具やグラウンドなども地方トレセンと比べると上等なモノらしい。かなり熱弁されたが、適当に相槌を打つしかなかった。
「斉藤トレーナーは担当ウマ娘は決まっているんですか?」
学園所属のウマ娘なら、みんな誰だろうと気になる話題だ。そもそも中央に来る時点である程度の腕がある事は分かっている。
限られた数のトレーナーを自分との相性や様々な要素を踏まえた上で勝ち取りに行くしかない。レースに出るにはトレーナーが必須なので、前年度をもって若くして引退したトレーナーさんの代わりを私は探していた。
「いや〜上から担当をお願いされた娘もいるけど一人だけだし。気が乗ればもう一人か二人くらい監督するかもな」
「気が乗るって……」
「俺は結構気分屋なんだよ」
私も大概適当だけど、この人もかなり適当だな。と思った。
「あ、そういやお前トレーナーの間じゃあそこそこ話題だぞ。……優駿を誰が担当するかってな」
「そうなんですか」
デビュー戦は割と調子良く走れたのだが、次レースではてんで上手く行かなかったもので、調子は良くなく、くすぶるものがずっと胸中にはあった。斉藤トレーナーが少し言い淀んだのはレースがメイクデビュー以外ボロボロだったからだろう。あまり良い言われ方をしてなかったのか、彼の眉間には皺が寄っていた。
『先頭の景色を譲りたくない』
ただ、それだけで走っていたが、走れば走るほどに先頭は遠ざかっていく。一時期は夢にまで出てきた。幼いころ走ったあの草原を思い出す。どこまでも自由で、解放されていた。しかし、今はどうだ。見えない枷と鎖が身体中に纏わり付いているみたいだった。
「ま、まあ、そんなことはともかくさ。俺もトレーナーの端くれとして君の走りが見たいんだが……いいかな?」
「午後から模擬レースありますよ……」
トレーナーなら頭に入ってそうだったが、こうしてしきりに鼻の頭を掻くこの人なら忘れていそうだった。短い間だが、何となく彼の性分が分かりかけてきていた。
「しまった、忘れてた」
やっぱり。
# # # # #
中央のトレセン学園へやって来たのはこれで二度目だった。ぼたん雪の降る中、柔らかい足元を踏みしめながら散策していた。
体も冷え、転倒の危険もある為にウマ娘の姿はちらほらとしか見えないが、ぼんやりと虚空を見つめる美しいウマ娘へと俺は惹かれ、ほんの一時我を忘れて注視していた。
しかし、自分を客観的に見るとただの不審者と気付き、気を取り直し、彼女へ話しかけようと試みる。ほんの出来心だったが、無視してしまうには惜しかった。
「おい、風邪ひくぞ」
可愛らしい頭に少しだけ雪がちょこんと積もっているのは、心中での勝手な言い訳の理由として最適だった。
彼女の名前はサイレンススズカと言うらしい。
トレーナーとして、直感的に謎の閉塞感を抱える彼女を放っておけなかった。だが、何らかの引っ掛かりを出会って数分の俺が理解できる訳がないので、ほんの少しの自己満足を得るためだけのエゴに満ちた行為でしかなかった。
俺は偶々あった貰い物のカイロを渡して、適当な話をする。もう少しだけ長く彼女と喋っていたかった。
「ーーそれでね。まあ、春からだけど、よろしく頼むよ」
正式に此方へと移籍するのは新年度からと制度で決まっていた。空気感に慣れようとしてここまで来たが、もう目の前の
地方と中央ではかなりレベルが異なり、今ちらほら湿ったグラウンドに居る名前も知らないウマ娘たちでさえ、地方ならかなり優秀な成績を叩き出せる程だとトレーナーの観察眼は言っていた。
地方から中央に来たウマ娘ではオグリキャップが特に有名だが、アレは例外中の例外のようなものであり、冗談みたいなシンデレラストーリーだった。地方からやって来た大抵のウマ娘は二種類に分けられる。適応するウマ娘と、落伍するウマ娘。
上手く合えば、勝てなくてもそれなりに良い成績を残せるかもしれない。だが、本当に恐ろしいのは落伍するウマ娘だ。レベルが隔絶している事を嫌でも分からせられ、折れる。それには心理的な意味も、物理的な意味合いも含まれていた。どうであれ、折れてしまったウマ娘は致命的なモノを抱え、そして知らぬ間に消える。
勝負の世界であるからこそ、強い者は生き残り、弱い者は淘汰されていく。
過去に自分の担当していたウマ娘がこうなってしまったらと思うと身震いがする。一部の繊細過ぎるトレーナーは頭がおかしくなる奴も実際にいたらしい。トレーナーの基本に『図太く、繊細であれ』と一見すると矛盾した文言を、トレーナー養成学校で口を酸っぱくして言われるのはそれが理由だった。
(やはり、中央。二流はない訳だ……)
「それじゃあ、俺はそろそろ。体調に気をつけてな」
「はい……カイロ、ありがとうございます」
それだけ告げて、別れていく。
そうして、雪もすっかり溶けた頃。再び彼女と出会ったのだ。
# # # # #
ーー理事長室
「うむ、ではそれを見て欲しい」
「はい」
半ば形骸化した慣習のようなものだが、一応担当するウマ娘に関する書類を受け取る。
本当は既にデータは所持しているが、理事長曰く『儀式のようなものだ』と仰っていた。正直よく分からないが、ウマ娘は異世界のウマ?なる生き物からウマソウルなるモノを受け継いでいるなんて噂がまことしやかに囁かれるくらいだから、儀式なのは案外本当なのかも知れない。
「スペシャルウィーク、良いウマ娘ですよ」
早々にこんな原石と出会えるとは幸運だった。正確な走行データ等はないが、身体データや来歴からある程度の推測は可能だった。磨かなくとも光るだろうが、トレーナーの磨き方次第で玉にも石ころにもなりうる、可能性を多分に秘めたウマ娘。それがスペシャルウィークだった。
「確認ッ!よろしく頼むぞ、斉藤トレーナー!」
この学園名物のちびっ子理事長は見た目相応の可愛らしい八重歯を見せた。
「私なりに善処を尽くしてみます。新米ですが、これからよろしくお願いします」
深く礼をしてから、理事長の満足そうな顔を扉の間から見て退出した。俺はスペシャルウィークとの待ち合わせ場所へ向かう。すると、既に待っていて辺りをキョロキョロと見回していた。
「えっと……斉藤トレーナーですか?」
ガチガチに緊張している様子が、微笑ましい笑いを誘発するがここは我慢しておこうと俺は思った。
「ああそうだ。よろしく、スペシャルウィーク。早速だが、着替えてグラウンドに来てくれ」
「分かりました!」
勢いよく駆け出したが、更衣室とは逆の方向で俺は少し心配になってきた。大きく息を吸い込んで、声を張り上げる。
「おい!スペシャルウィーク!逆、逆!!」
「あ、す、すいません……」
今度こそ更衣室に向かってくれた。しばらく書類を読み込んでいると、親しげな様子でスペシャルウィークはサイレンススズカと共にやって来た。
「あ、斉藤トレーナー……」
「サイレンススッ……すまない、スズカと呼んでも?」
舌を噛んだ。実況の人は噛みそうになる名前をよくもまあスラスラと言えるなあ、と密かに感心した。
「構いませんが……」
スズカから一先ず確認を取り、スペシャルウィークに
「スペシャルウィーク、スズカとは知り合いだったのか?」
「はい、同室なんです!」
そう自慢げに言うくらいスズカはスペシャルウィークに影響を与えていた。
「へえ、そうなのか。多分迷子になってる所を拾ってくれたんだろう?」
「そうですね。スペちゃんが迷子になってたので、グラウンドまで案内しました。でも、まさか斉藤トレーナーが担当なんて思いも寄らなくて」
「はぁ、スペシャルウィーク、ほれ」
「地図ですか?」
「これ後でやるから、しばらく使いな」
それなりに使い込まれた地図。地図が無ければ、方向音痴らしい彼女はこの広いトレセン学園では辛いだろうと思ってだった。
「それでは、私はこれで」
そろそろ練習にスズカは行こうと思っていたし、二人もこれ以上スズカを拘束するべきではないと考えていた。
「スズカさん!ありがとうございます」
「俺からも礼を言わせて欲しい。ありがとう」
スズカはこの二人が何となく似た者同士だと思った。彼らは初めてにも関わらずかなりの相性だった。
(練習を見て、良かったなら……トレーナーの申請をしてみようかしら……)
それから7日後、サイレンススズカは正式に斉藤トレーナーのもう一人のウマ娘となるのだった。
「これからはよろしくね、スペちゃん、斉藤トレーナー」
サイレンススズカの仲間入り。それが新たな波乱を呼ぶことになるとは、三女神ですら知らないだろう……
いよいよ明日はオークス。白馬って競馬に出るんだなあと驚き。
あんまり触れたことのないジャンル開拓が出来るんで、ゲームも結構良いもんですよね。