ちょっとホラーかも
俺の担当、エイシンフラッシュ。ウマ娘の中でも群を抜いて美人で、とても強いのだが……少々変わり者だ。
「トレーナー、2分の遅刻ですよ」
「悪りぃな」
彼女は分単位で綿密なスケジュールを組み上げて、しっかりとこなしてしまう思春期のウマ娘にしては珍しい娘だ。けれどトレーナー程の知識は持ち合わせない高校生なので、俺が修正を細かく行なっている。
「それでは始めましょう」
「アップは済ませてるな?じゃあ柔軟してからタイムを計ろう」
「はい」
彼女のトレーナーとして楽なのは前準備をある程度済ませて、必要以上にする時はこちらに相談してくれる事だ。社会人は『ほうれんそう』が大切だと言われるが、ウマ娘に於いてもそれは同じ。健康状態は特に気を遣うので、この学園では定期的に学生を対象とした健康講習がある。それでも過剰な練習で怪我を負ったり、怪我が原因で引退したりするので常に会議の議題として取り上げられる。中々難しい問題で、熟練のトレーナーでも悩む。まあ、エイシンフラッシュにそんな心配をする必要が少ないのは救いだなと俺は思うのだ。
「トレーナー?」
「うおっ!?」
考え事をしていると、目前にフラッシュの綺麗な顔。いくらトレーナーと担当という関係でも、美人との距離が近ければ驚く。ウマ娘は美少女なので誰だってこうもなる。こういった事に天然なのかフラッシュにはドギマギさせられる事が多い。好きなのかな?と自惚れてみるが、まずあり得ないし、決して担当ウマ娘に手を出すクズではないのだ。と自らを必死に戒めた。それでも頬の一つでも染めて欲しいと考えてしまうのはバカな男の性だった。
「最近惚けていることが多いです。トレーナーの体調が崩れては困りますよ」
「ああ……うん」
語気を強めて言われると立つ瀬が無い。
「なので、今日のトレーニングが終わったら少し待っていて下さい。渡す物がありますので」
「分かった。でも、何を?」
「後でのお楽しみです」
「うん、楽しみに待っとくよ」
浮き足立った心を時々フラッシュに指摘されたのは流石に赤面したが。
「じゃ、しばらく休憩だ。俺はトイレに行ってくるから」
「分かりました」
少し喉も渇いたし、トイレに行きたい気分だった。少し遠いので漏れないよう駆け足で済ませてフラッシュの元に戻ろうとすると、花の匂いに似たフレグランスの香りが微かにした。匂いの源には馴染み深い緑色が見える。
「やっぱりたづなさんか。こんにちは」
「あら、こんにちは。最近どうですか?」
トレーナーに成り立ての頃、ラーメンを食べに行っていると彼女と遭遇した。そこから意気投合して偶に外出するようになったが、実に楽しい。担当ウマ娘相手では出来ない話でも色々出来る上に理事長の秘書なだけあって相談が上手い。何度も助けられた。
「そうだ、今度食べに行きません?」
「ええ、勿論」
穴場の店を見つけたらしく、外食の約束をした。彼女はそこら辺の鼻が効くので間違いなく絶品だろう。
「それではまた今度!」
「はい!」
何故か背筋に冷や汗が流れたのだが、きっと今日は少し暑いからだろう。
「やば、間に合うか?」
話し込んでしまい、時間がかなり押していた。
「こりゃ、駆け足じゃなくてダッシュ決定だな」
急いでグラウンドに向かった。着く頃には息絶え絶えで、汗をかいていた。
「はぁ、はぁ……間に合った?」
何とか30秒前には着いた。シャワーを浴びたかったが、取り敢えず携帯している汗拭きシートとタオルで汗を拭った。
「そんなに汗をかいてどうされました?……そうですか。ええ、トレーニングを開始しましょう」
しまった、と俺は別の冷や汗が出るのを感じた。フラッシュには僅かだが不機嫌になる時がある。そんな時は素っ気ない態度や冷たさの切れ味が増す事があった。機嫌取りも楽では無かった。幸いにもコミュニケーションは必要最低限はしてくれるので、まだウマ娘の中では楽な部類だった。
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ドイツから来て、内心不安な私を支えてくれたのは今のトレーナーだった。普通なら歯の浮くような言葉を素面で言う天然トレーナーは、汚い言葉になるが馬鹿だった。そして、そんな彼に惚れてしまった私は大馬鹿者だった。
トレーナーはバカなので、好意を知らず知らずの内にまき散らしていた。なので、計画を練りに練って実行した。ほぼ全てにリタイアしていただいたが、最後の大きな難関が私の前に立ちはだかった。
駿川たづな。あの卑しい女はトレセン学園理事長秘書。トレーナーとは長い付き合いで、偶に食事にも行くと確認している。
トレーナーからはあの女の臭いがすると、スケジュールを全て破り捨てたくなる衝動に駆られる。私の限りなく完璧な計画をめちゃくちゃにして、私のトレーナーを不遜にも誑し込む畜生風情には我慢ならないことが山程あるが、畜生相手に憤怒を表わにする事は実に愚かで誤りだった。
トレーナーも気があるような態度を取るから悪いのだ。そう気づいた私は彼を手元から離れないようにすることにした。
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「で、渡したい物って?」
空が紅く染まる頃にプレゼントを渡したいと彼女は言っていた。空気も何もかも紅く染まって不気味だったが、あまり気にはならない。
「はい、どうぞ」
俺が使っているトレーナーノートと全く同じ物だ。包装は剥ぎ取られ、使用済みのノートが一つ渡された。表には何故か俺の本名が達筆な字で書かれており、綺麗な字だと感心した。
「見てもいいか?」
感謝のメッセージでも書いているのかとフラッシュに許可を貰って中身を見た。
「……は?」
上から下までびっしりと俺のスケジュールが何十年分も、秒単位で書かれていた。俺のあらゆる個人情報も載っていた。そのノートは俺そのものだった。
「え、……いや?」
あまりの密度に二度見、三度見と繰り返したが内容に間違いはなかった。
「そんなに心配しなくても大丈夫です。ずっと、ずっと私と一緒に修正すれば良いんですからね」
ニコニコと華のような微笑みを見せる彼女が、表情筋の痙攣を張り付けただけの、エイシンフラッシュを被った肉の塊としか認識できなかった。助けを求めようにも周囲に人気は無い。グラウンドの真ん中なのに、誰もいない。まるで悪夢そのものだった。
「はーーあ、あ……」
混乱。恐怖。困惑。様々な感情がカオスの体をなしている。腰が抜け、言葉も出ない。ただ、意味の無い音の連なりが声帯から紡がれるだけだ。
「どうしました?そんなに恐怖しなくていいんですよ?」
身体の動かし方を忘れた。俺は無我夢中でじたばたと後退する。一方、捕食者のような彼女はゆっくりとした歩みを止めない。本能的に判るのは、追いつかれた瞬間に俺が終わることだった。
「いただきます」
ぱっくりと開けた口は大きくて、真っ赤で、濃密な血の色をしていた。内で優しく、激しく咀嚼された俺は一瞬で意識を散らした。
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「はッ!!はぁ……はぁ……い、い、生きてる?」
白いベットの上で、シーツを掛けられた俺はびっしょりと滝のような汗を流し、湿り気を帯びていた。ぺたぺたと体を触る。どこも欠けていないし、痛みは無い。強いて言えば腰や節々が痛かった。
「どうかしたの?」
緑のローブを着た声の主に俺は構わず抱きついた。花の香りに顔を埋め、彼女もそれを黙って受け入れた。
「……!」
無言で頬を膨らませて怒る彼女。生の実感と暖かみが冷たい身体には必要だったが、性急すぎたかと俺は少しだけ反省した。
「うなされていたけど……大丈夫?」
「ああ、お陰で落ち着いたよ。コーヒー貰っていいかい?」
良い香りと湯気がカップから漂っていた。コーヒー特有の臭気は心を幾分か落ち着かせてくれた。
「どうぞ。インスタントだけど」
熱いコーヒーを口に含み、内容をぼかしながら悪夢を話した。
「ふふっ、こわがりさんね」
「やめてよ恥ずかしい……」
その後、俺たちは急いでトレセン学園に戻った。慣れたもので、スムーズにいつも通り、隠し通せたと俺は思い込んでいた。
「トレーナー、臭いですね」
トレーニング開始前、呼び出された俺は開口一番にそう言われた。
「……そうかな?」
担当ウマ娘にそう言われて、大変にショックだった。俺は落ち込んだ。
「ええ、とっても。卑しい、とても卑しい女の臭いがべったりついています」
「?」
言葉に脳が追いつかなかった。
「我慢の……限界ですッ!」
リクエストのハルウララには時間が掛かりそう。ハルウララで書くのって意外と難しい。書けてもなったかいかない。