35話 襲来
一昨日から、産屋敷邸付近の森の中に設置した警戒用やぐらに夜間だけ玄弥君が待機している。
森の木々に隠れて立つそれは、お屋敷からの距離にして1町(およそ109メートル)程もあり、お庭や座敷の一部も見渡せる。無惨がやって来たとしてもおそらくお屋敷の中に直接現れると考え、この距離なら大して警戒されないと判断し設置したものだ。
玄弥君の手には、スコープを付け、長距離狙撃用の長い砲身に付け替えたあの銃。これで無惨の体に薬を撃ちこむ算段だ。原作では珠世さんが自らの手で直接無惨に薬を打ち込むが、そのまま吸収されて殺されてしまう可能性が高いので、銃撃という手段を取ることにしたのだ。現代の長距離スナイプはキロ単位かもしれないが、一発必中を狙うため、警戒心を抱かれないギリギリの距離まで近づく必要があった。大事な役割だが、今の玄弥君の腕なら外すことは無いだろう。
無惨襲来の2日前。
「玄弥君、君に重大任務がある」
玄弥君の長距離狙撃の腕前を実際に見た俺は切り出した。
「ここ2、3日の間に、無惨が鬼殺隊本部に襲来する」
「えっ?」
玄弥君は驚きで息を呑んだ。
「お館様が本部の位置をわざと知られるようにした。お館様は無惨をおびき寄せ、ヤツを巻き込んで自爆なさるおつもりだ」
俺は努めて冷静に玄弥君に告げる。
「何で!?何でそんなことするんすか!?そこまでしなくても俺たちで勝てるよな、倫道さん?」
玄弥君が俺の肩を掴む。俺は静かに首を横に振る。
「残念だがまともに戦っては分が悪い。戦力が分散されるから、無惨と上弦の鬼たちを同時に相手取る事態は避けたいところだ。お館様は、殺せはしないまでも初手で無惨に損傷を与え、夜明けまでの時間を稼ごうとなさっている。無論、お館様や皆様に怪我が無いように細工はしてあるが……」
玄弥君は眉根を寄せて口を引き結び、この戦いの厳しさを再認識しているようだ。みんなが命懸けで臨んで初めて勝機が見えてくるギリギリの戦い。お館様までが、自分の命を犠牲にしてまで何としても勝利を掴もうとしているのだ。
「そこで、君の射撃の腕を見込んで頼みたい。爆破の衝撃は無惨に集中するように調節してあるが、ヤツはすぐに再生を始めるだろう。だが少しの間、その場から動けなくなるような仕掛けもしてある」
「倫道さん。俺は何をすりゃいい?」
「蝶屋敷で研究に研究を重ねた、無惨を弱らせる種々の毒が配合された特製の”お薬”。この薬の入った弾を遠距離からヤツに撃ち込んでもらう。名付けて”ヤシマ作戦”だ」
「?」
怪訝な顔をする玄弥君。いきなりそんなことを言われてもピンと来ないだろう。
平安時代末期、源氏と平家による一連の戦の1つである屋島の戦いにおいて、弓矢の達人である那須与一が、海上に漂い揺れる船の上に掲げられた、小さな扇の的を見事射抜いたという故事にちなんだものだと説明した。
……ではなぜカタカナ表記なのか?
本当は言わずと知れたあのアニメからヒントを得たからだが、玄弥君にエヴァの話をしても通用するはずはないのでここは黙っておく。
重大な役目だが、大丈夫、君ならできる。
「俺が那須与一……そういうことっすか。そんな大事な場面で俺を……。ありがてえ、やってやりますよ。必ず当ててみせる」
玄弥君はしばしの沈黙の後、覚悟を決めた様子で頼もしい返事をくれた。そう、君は碇シンジ……じゃなかった那須与一だ。
「上手く命中させても気を抜くなよ。それと念のためこれを渡しておく。……絶対に死ぬなよ。そんで絶対に勝って、兄ちゃんと2人で平和な世界を生きてくれ」
俺は緊急事態に備えて珠世さんからもらったお守りを渡した。
「倫道さんも……。もし危ない時は俺が絶対助けるから!」
「ああ。その時は頼むよ」
こうして俺たちは何気ない約束をしてそれぞれの持ち場へ向かった。
後にその約束が果たされることになろうとは、この時は予想もしなかったが。
この作戦を思い付いた瞬間からエヴァのあの有名なBGM、「battaille decisive(”決戦”の意)」が俺の脳内でループ再生されており、我ながら厨二っぽくて一人気恥ずかしさを覚えるが、総力戦というムードがより高まる。まさに決戦の火蓋が切られようとしている今、テンションが上がる効果もあり、悪くない思い付きだと自画自賛している。
だが珠世さんの思い詰めた様子はとても気になり、愈史郎君からも危険な事をしないように言ってもらっていた。
そして、その時が来た。
鬼殺隊本部、産屋敷邸の座敷。産屋敷耀哉が横たわり、妻のあまねが付き添っていた。
漆黒の闇ではない。
月の光がわずかに照らす、座敷の縁側にほど近い庭の一角。
何の前触れも無かった。座敷の燭台の炎は揺らめきもしなかった。
淡い月の光を背後から浴びて黒い人影が突如現れ、座敷へと近づいて来た。座敷の燭台の灯りが徐々に人影の周囲の闇を消していく。その者の眼底が光を反射して猫の目のように煌めき、仄白い顔が浮かび上がった。
「やあ……来たのかい……?初めましてだね、鬼舞辻無惨……」
産屋敷輝哉は横たわったまま、人影にそう声をかけ、まるで旧知の仲であるかのように迎えた。耀哉に寄り添っていたあまねも大きな動揺は見せなかった。
鬼の始祖、鬼舞辻無惨が庭から座敷へと土足で踏み入って来た。
「何とも醜悪な姿だな、産屋敷」
眉目秀麗な洋装の若い男性が、酷薄な笑みを浮かべ産屋敷耀哉を見下ろしていた。仰々しく何とも芝居がかった服装だった。上等な仕立ての背広の上下にネクタイを締め、立派な外套を羽織っている。ジャケットの下にはベストまで着込む念の入れようだ。しかしその顔色は不自然なほどに蒼白い。
顔だけでなく体中に包帯を巻き、自力で寝返りを打つことさえできない耀哉はしかし、驚きもしない。
「拍子抜けだな。下らぬいたずらばかりして私の邪魔をして来た鬼殺隊の長……。私自ら殺してやろうとわざわざ出向いて見ればこのザマだ。既にお前は屍同然ではないか」
嘲り言い放つ無惨。
耀哉はただ呼吸するのさえ苦しそうであったが、やっと口を開いた。
「君と私は元は同じ血筋……。それは知っているね?……君のような怪物を……出してしまったせいで、私の一族は天罰を受け……呪われている。みな三十年と生きられない……。私も半年も前には、明日にも死ぬと医者に言われていた……。今日まで生き長らえたのは、君を倒したい一心ゆえだ……」
耀哉は弱々しい声で呟いた。
あまねに支えられながら何とか上半身を起こしたが、目や鼻から出血し、包帯がまた赤く染まっていく。
「天罰だと?私が鬼になったことと、お前たちが早死にすることには何の関係も無い。この私には何の天罰も下っていない。いちいち数えたことはないが、私は何千という人間を殺している。配下の鬼を合わせれば殺した数は幾万にも届くだろうが、私は許されている。神も仏もこの千年ついぞ見たことが無い」
無惨はそう言い切って不敵に笑う。その傲岸不遜そのものの態度は、何者にも脅かされないという自信の現れであった。
瀕死の人間を前にしても無惨は感情の揺らぎをほとんど見せなかったが、あれ程目障りだったはずの鬼殺隊の長と会話をしているというのに、逆に憎しみが湧いて来ないことには少しばかり当惑していた。
この屋敷の様子に奇妙な懐かしさすら感じることに違和感を覚え、無惨は周囲の気配を改めて探った。屋敷には当主の耀哉、妻、娘が2人。護衛の隊員もいない。ずいぶんと遠間に一つ気配があるが、気配から見て柱ですらなく、攻撃など届くはずもない。あるいは銃でも撃つもりなのか。しかし無惨は銃などに少しも恐怖を感じていなかった。銃撃を受けたところで即座に再生すれば良いだけの話だ。
(もうすぐ私はこの男を殺す。他の者を呼ぶ時間も無い。そんなに遠くに居て何の意味があるのか)
無惨は半ば呆れながら嘲笑した。
「無惨……、君の夢は……何だい?」
唐突に耀哉が聞いた。
当てて見せようか?耀哉は包帯の下でうっすらと笑う。
「君は……永遠を夢見ている……。違うかい?」
ズバリと核心を突いた。その声は所々掠れ、相変わらず消え入りそうに弱々しい。
「その通りだ。禰豆子の隠し場所にずいぶんと自信があるようだが、この場所を探り当てたように禰豆子の居所もすぐに分かるだろう。私は禰豆子を手に入れ、日光すら克服して永遠不滅の完全な生命となる。その望みは間もなく叶う」
本心を言い当てられるが、無惨は怯んだ様子も見せずに答えた。
耀哉は目を瞑ってじっと聞いていたが、フッと軽く息を吐き、見えぬ目を開いた。
「鬼舞辻……無惨」
耀哉はゆっくりと語りかける。
「君は…、思い違いを……している。君の永遠とは、自分1人で永遠に……生きて行くことなのかい?……そうではない。私は……永遠とは何か……知っている。永遠とは……人の想いだ。人の繋がりから紡がれた……想いだよ。……無惨、君には慕ってくれる者はいるかい?何でも話せる友はいるかい?……君は許されていると言ったが、そういう者が傍にいないことは、天罰ではないかな?……鬼殺隊の子供たちは、みな強く結びつき互いに思い合っている。……そして、大切な人の命を奪った者を許さない、そんな悲しみを誰にもさせないという強い想いを抱いている。……可愛そうな子供たちは大勢死んだ。だがその想いは受け継がれ、鬼殺隊が滅ぶことは無かった。君には理解できないだろうね」
耀哉は一度言葉を区切った。
声量はさほど変わっていないはずなのに、耀哉の声に芯が通り、言葉が熱を帯びていく。聞く者の心を揺さぶるその声が、力を取り戻し始めている。光を失ったはずの目が無惨を見据えた。
「命に限りがある人間にとって、君たち鬼に対抗する光があるとすれば、それは絆だ。想いを繋いでいく人間同士の絆だ……。たとえ一人の命が尽きて潰えたように見えても、それは誰かに受け継がれて再び輝く。それこそが永遠、それこそが不滅なんだ」
死にかけた人間とは思えない程に耀哉の気力が充実していく。無惨はそれを薄気味悪く感じていた。
「君にはこれが理解できないだろうね。なぜなら君たち鬼は……君が死ねば全ての鬼が滅ぶのだろう?」
耀哉は包帯の下でまた微笑む。
無惨は一瞬言葉を失った。
「どうしたのかな……?空気が揺らいだようだ。当たり、かな?」
耀哉は微笑みながら、無惨の動揺をも言い当てた。無惨は、言葉の刃が自分を追い詰めているように感じ、初めて怒りを覚えた。
「もういい、黙れ」
無惨は耀哉を殺そうと、頸に手を伸ばそうとした。
「こんなに話を聞いてくれるとは思わなかったが……。もう一つだけ、いいかい?無惨。……月は、見えるかい?」
「月だと?」
「この世の最後の月だ……どんな様子だい?」
無惨は不審に思いながらも、部屋の中心から縁側に近づく。
庭では、耀哉の2人の幼い娘がわらべうたを歌いながら紙風船で遊んでいる。夜であることを除いては、長閑そのもの。
何か仕掛けてくるとしても、こんなに身内が近くにいるのだ。おそらく、今それはあるまい。
無惨は多少の警戒は抱きつつも縁側に立って空を眺め、三日月が出ている、そう言おうとした。
「お館様!?」
あまねの声が響く。
それが合図。
耀哉の横たわる布団と無惨との間にある畳が反転して立ち上がり、無惨に向けて大量の爆薬が露わになり、同時に畳は輝哉とあまねを護る防護壁になった。あまねが素早くヘッドフォンを装着すると、耀哉の耳を塞ぎ頭を抱えるように覆い被さって爆発の威力から護る態勢を取った。庭のひなき、にちか姉妹は予め高性能の耳栓を装着している。
潜んでいた倫道が、仕掛けた爆薬を起爆した。
腹の底から、体ごと揺さぶられるような大轟音。
爆発は夜空を赤く染め、衝撃波と熱風は座敷から縁側に向かってまっすぐに伸びて、無惨を襲った。