炭治郎は、無惨の血によって死の淵を彷徨ったが順応し、鬼となって目覚めた。全身に負っていた大小の怪我も鬼化することによって急速に治癒し、タイミングを見計らってすかさずしのぶが“鬼を人間に戻す薬”を数本投与した。
炭治郎の意識の中で鬼と人間がせめぎ合う。鬼化した炭治郎は苦しがって暴れたが大勢の隠隊員や直接戦闘に関わっていない隊員たちが必死で抑制し、誰も傷つけず、自分の体も傷つけることはなかった。炭治郎は苦しんだ後、やがてまた気絶してしまった。
炭治郎は夢を見た。
それは、遺伝子に刻まれた古の記憶が見せる幻だった。
俺は、家族みんなで暮らしていた懐かしい自分の家の前に佇んでいた。でも、どうしてか少し違和感があった。
いや、よく似てるけど家じゃない?どこだろう?
どうして俺はこんなところにいるのだろう?
無惨と戦っていたはずなのに……。
「とーたん」
幼い子が、着物の裾を引いてかわいらしく俺を見上げ、ある方を指さしていた。
とーたん、て俺のことか?戸惑いながらその幼子の指さす方を見ると、来訪者がいた。
以前夢で見た始まりの剣士。縁壱さん、と言ったか。穏やかで、何故かとても寂しそうだった。
「炭吉、すやこ。お前たちに少し話しを聞いて欲しくなった」
そう言った。
俺は、挨拶をしようとして気づく。これは、先祖の炭吉さんの記憶を辿っているだけなんだ。だから匂いも感じないし、俺の思ったことを喋れない。
俺は縁壱さんと並んで縁側に座り、暖かな日差しを受けながら話を聞いた。
「私は双子の弟として侍の家系に生まれた。忌み子だった」
縁壱さんは懐かしそうに語り始めた。
「忌み子の私は、常に兄とは分けられていたが、兄はそんな私にも優しかった。いつも剣術の稽古をしていた兄に憧れ、兄に次いで強い侍になりたかった。叶わぬ夢であったのは分かっていた。武家の家督を継ぐことが決まっていた兄とは違い、私は寺へ出され、出家することが決められていたからだ。七歳の時、母が亡くなったのを機に家を出て放浪し、後に妻となる少女、うたと出会った。うたは、糸の切れた凧のようだった私をしっかりと繋ぎ留めてくれる人だった。うたと話しているうちに、生き物の体が透き通って見える人など聞いたこともないと言われ、そう見える自分は人と違っているのだと初めて知った。他の人とは違う、私の漠然とした違和感の正体が分かった気がした」
体が透き通って見える……さっき猗窩座と戦っている時に見えた、あれのことだ。縁壱さんもそれができたのだ。しかも子供の頃から自然に。
「10年後2人は夫婦になり子供を授かった。出産も間近となり、産婆を呼びに行って戻ると、うたと腹の子供は殺されていた。自分が命より大切に思っているものでも、他人は容易く踏み付けにできる、そう悟った。うたと子供の亡骸を抱きながらぼんやりしていると、鬼を追って来た鬼殺隊の剣士たちがやって来て、鬼の仕業と教えてくれ、人を殺して喰らう鬼の存在を知った。これをきっかけに私は鬼狩りの剣士となった。数年後、たまたま鬼に襲われていた兄とその家来を助けた。家来を大勢殺された兄も、それが縁で鬼狩りに加わった。私は嬉しかった。また兄と一緒に居られるようになった」
「そしてある日、鬼の始祖、鬼舞辻無惨に出会った。暴力的なまでに生命力に満ち溢れ、火山から吹き上げる岩漿のように、全てを飲み込もうとしているようだった。出会った瞬間、私はこの男を倒すために生まれたのだと理解した。無惨の攻撃は強く速く、掠るだけでも致命傷になるものだった。私は生まれて初めて背筋がひやりとした。透き通る感覚によって、男には脳が5つ、心臓が7つあることが分かり、そしてこの瞬間私の剣技の型が完成した」
完成した型……。十三個目の型のことか?教えて欲しい!
「私は無惨の頸を斬って落としたが死ななかった。そして千八百もの破片に分裂して逃げられ、結局討ち果たすことができなかった。無惨と一緒にいた珠世という鬼の娘は、無惨に復讐を誓っていた。無惨が弱ったためにその支配から逃れ、戸惑いながらも無惨を倒すために協力してくれることになった。しかし無惨と会敵しながら討ち果たせず、珠世と言う鬼を見逃し、さらに兄が鬼になってお館様を殺して逃げた。私はその責めを負って鬼狩りを追放された」
縁壱さんは感情の揺らぎも見せず淡々と語り、そして一旦言葉を区切った。
「私は、大切なものを何一つ護れず、人生において為すべきことを為せなかった者。何の価値も無い男だ。私が無惨を討ち漏らしたせいで、これからも多くの人の命が奪われてしまう。それが心苦しい」
縁壱さんは静かに語り終え、悲し気にうつむいてしまった。
言葉が無かった。俺には、この人にかけてあげる言葉なんて何も思いつかない。
縁壱さんは何も悪くない。何も悪くないのに、何でこんなに辛い目に遭うんだろう?
炭吉さんが何か言ってくれるかと思ったが、沈黙が続いた。炭吉さんになった俺の傍らで、おとなしくしていた娘のすみれちゃんが、縁壱さんに抱っこをせがんだ。
「抱っこしてやってください。すみれは高く持ち上げてやると喜ぶんで」
俺の口から、炭吉さんの言葉が漏れる。縁壱さんはすみれちゃんを抱っこして高く差し上げた。きゃっきゃと無邪気に喜ぶすみれちゃん。
無垢なその笑顔が、その声が、掴めなかった小さな幸せを思い出させたのか、縁壱さんの目から不意に涙が零れた。
抱っこされて喜ぶ幼子、幼子を抱っこしてあやす大人。
日常の中の、平和で尊い光景だ。縁壱さんの求めた幸せは、きっとこんなありふれたことなんだ。妻のうたさんと子供、愛する家族の顔を見ながら一緒に暮らす。そんな、ありふれた暖かい夢。
でも、それすらも縁壱さんには許されなかった。
こんなに強い人でも耐えられない悲しみはある。それをずっと一人きりで抱えて来た切なさを思い、炭吉さんも涙を流した。
そこに炭吉さんの妻、すやこさんが帰って来て、すみれちゃんを抱きしめて静かに涙を流す縁壱さんと、それを見て泣いている炭吉さんを交互に見た。
「そんなに泣いて、どうしたの?お腹いっぱいご飯食べさせてあげますから!」
この強いお侍さんが涙を流すほどの、何か辛い事があったに違いない。すやこさんはすぐに察した様子だったが、精一杯明るい態度と声でそう励ました。
それからすやこさんは、剣の型が見たい!と縁壱さんにせがんだ。縁壱さんは照れながらも日の呼吸の剣技を見せてくれた。
炭吉さんはそれをつぶさに見て、一つの動作すらも疎かにせず目に焼き付けた。炭吉さんになった俺も、その美しい型を、本人が直に剣を振るうその型を見つめた。日の呼吸の型は、瞬きをするのも、息をするのすら忘れるほど美しかった。剣を振るう縁壱さんは、人ではなくまるで精霊のように見えた。
「縁壱さんの刀は戦う時だけ赤くなるのね。普段は黒曜石みたいな漆黒なのに。……とっても奇麗」
縁壱さんが日の呼吸の型を見せてくれた後、すやこさんが、人間だった頃の禰豆子そっくりの顔で語りかけていた。
日の呼吸は、神楽の舞として驚くほど正確に竈門家に受け継がれていたが、実際に“正解の形”を見ることで格段に理解度が上がり、自分の無駄な動きに気付くことができた。足の運び、体の捻りや手首の角度。ほんのちょっとした違いでも、刀に乗せられる力が全く変わって来る。刀を振った後の安定感が大きく増してくる。
これはただの夢なのかもしれない。だが、俺にとっては数年間の学びにも等しい経験だった。
「また来てください」
炭吉さんはそう言ったが縁壱さんはそれには答えず、耳飾りをくれた。
それは、まるで形見のようだった。この人は、もうここには来ないのだと分かった。
「貴方は価値の無い人なんかじゃない!貴方に護られた命で、俺たちが後に繋ぎます。この耳飾りも、日の呼吸も、必ず後世に伝えます。約束します!」
去ってゆく縁壱さんに、炭吉さんの言葉があふれた。
「ありがとう!」
縁壱さんは一度だけ振り返って、心に沁み通るような笑顔を見せて手を振った。
俺の方こそ、ご先祖様を助けてくれてありがとうございました。貴方がいなければ、俺は、禰豆子は、この世に生まれてすらいません。
遠ざかって行く物悲しい後ろ姿に、俺は願った。もう何百年も前に亡くなっているこの人の心が、ほんの少しでも救われることを。
俺は思い出して、理解した。
約束。
「この神楽と耳飾りだけは、必ず途切れさせず継承していってくれ。約束なんだ」
父さんがいつも言っていた、“約束”という言葉の重さ。縁壱さんとの大事な約束。俺のご先祖様たちが大切に守り、代々受け継いで来たこの思いを、俺も受け継がなければならない。
薬の助けを借り、鬼化を自らの意思で押しとどめ、炭治郎は目覚めた。一時的な鬼化で、傷も完全に治癒した。
そして、日の呼吸の十三個目の型を推測した。円舞から、炎舞へ。同じ音には何かきっと意味があるはずだ。
(正しい呼吸ができれば、炭治郎もずっと舞える)
それから、父さんのあの言葉。
舞い続ける。
十二の技を繋いでいくこと。一連の技の流れが、十三個目の型になるのではないだろうか?
「大丈夫ですか?」
しのぶが炭治郎に声をかける。
「俺はもう大丈夫です。倫道さんは?」
炭治郎が心配そうに愈史郎に聞いた。
「水原さんは貴方よりも重傷でした。一度は完全に心臓が止まっていましたから。幸い……と言うか、鬼化で肉体的には修復が完了しましたがまだ意識が……。鬼の力と人間の心がせめぎ合っているのでしょう。でも強く人間であろうとすれば必ず戻って来るでしょう。今愈史郎さんも懸命に治療しています。もう少し時間はかかるでしょうけど、大丈夫ですよ」
(みんな、必死になって戦っている。前線のみんなも、倫道さんも。一緒に無惨を倒すんだ!俺も戻らないと!)
「ありがとうございます!俺は戦いに戻ります。倫道さんの事、よろしくお願いします!」
炭治郎はそう言って、前線へと飛び出して行った。