48話 鬼の王
無惨の巨体は、大量の塵のような粒子となって地面に崩れ落ち、砂煙のようにもうもうと周囲に立ち込めた。粒子は昇り始めた陽の光を反射して、まるで金粉を撒いたようにキラキラと輝きながら風に吹かれて消えていく。光の中、太陽を背に、両手に赤く輝く刀を持って突っ立っているシルエットが徐々に浮かんで来た。下を向いているためにその表情は見えなかった。
「水原……か……?」
「倫道さん……?」
生きているのか?大丈夫なのか?次々と起こる予想外の事態に固唾を飲んでただ見守る一同。刀の赤い輝きは徐々に収まり、通常の黒刀に戻っていた。
光の中に立つその人影は、うつむいたままゆっくりと目を開けた。虹彩が赤く輝き、瞳孔は細く縦長であったが、すぐに黒く丸い人間のそれに戻った。そして一瞬ニタリと笑った後、口元の牙は消え、顔をあげてみなの方を見た。
生還。
倫道はみなを見渡し、咳き込みながら帰還の第一声を放った。
「ゲェホッ!ゲッホ!ゴェェッ!口に入っちゃった!……あーびっくりしたー!俺、死んだかと思ったわー。いやマジで!」
光の中から生還したのは、普段と何も変わらぬいつもの倫道であった。
「……はぁ?」
緊張感の無さに一同は固まる。
(どうしたのみんな?無惨の体は?自分が取り込まれると思ってなかったからな……。こんなの原作と全然違うから分かんねえよ)
倫道はキョトンとしている。
(おい、生きてるぞ)
(なんかもう普通にしゃべってるじゃねえか……。ホントに人間かあの人?)
(何か心配して損したな)
一同はざわついた。
(えっ、何っ?俺、何かやらかしちゃった?)
倫道は狼狽えて不安げにキョロキョロする。
「でも無惨……消えたよな」
「そうだ、崩れて消えてった」
「じゃあ……俺たち、勝っ……」
一瞬の後。
「うおおおおおー!!!」
朝日が静かに照らす街に、大歓声が自然に沸き起こり響き渡る。拳を握り涙する者、殺された人の名を空に叫ぶ者、抱き合って喜ぶ者。
「倫道さん!!」
「水原!!」
「水の……なんとかの人!」
そして、倫道に雪崩を打って駆け寄る大勢の隊員たち。
「お、押さないで!押さないでください!ハイハイ分かったから落ち着いて!イダダダ、ちょっとどこ触ってんのアンタ!」
プロレスの入場のような大騒ぎになり、倫道が頭を叩かれたり、ハグされたりともみくちゃにされていた。本部でも輝利哉初め、くいな、かなた姉妹、村田もこの光景を見て抱き合って泣いた。途中から本部にいたにちか、ひなきも、大急ぎで耀哉とあまねのいる部屋に報告に行った。そして極度の緊張状態から開放された八歳の輝利哉は、怪我人の手当てを、そう言って気を失った。
(珠世様……。あいつらの事、護ってくださったのですね……。終わりましたよ。勝ちました)
日差しを避けて、建物の影からこれを見守っていた愈史郎も1人、珠世の形見のかんざしをそっと胸に抱きながら静かに涙を流していた。その傍らには、同じように主を失った飼い猫の茶々丸が、労わるように愈史郎を見上げて寄り添っていた。
鬼の始祖、鬼舞辻無惨は滅びた……かに見えた。
(良かった、気づかれてない。まあ疑う者もいないだろうが……)
倫道は心の内で密かに笑う。
消滅の少し前、無惨は迫る死を目前に、様々な想いを巡らせていた。
死の影。それは生まれる前から常に私のそばにあり、片時も離れてはくれなかった。
私の心臓は母の胎内で何度も止まり、生まれた時には死産であった。荼毘に付されようとした時、もがいてもがいて、長く深い闇を抜け、ようやくこの世に生を受けた。
成長してからも病弱で、何度も病気で死にかけた。二十歳までは生きられないと言われた私を憐れんで、ある医者が薬を調合した。薬を飲み続けたが状態は良くならず、私は腹を立ててその医者を殺した。
薬が効いていると分かったのは殺して間もなくのことだった。それまでの病弱な体が嘘のように、病気どころかどれ程動いても疲れなくなり、怪我も立ちどころに治った。
だが、太陽の光を浴びると死ぬと本能的に分かった。
そして、人間の血肉への渇望。
私は鬼となった。飢えは人を喰えば良かったが、昼の間は行動が大幅に制限されることは屈辱であった。陽の光でも死なない体になりたい。その思いが強くなり、いつしか陽の光を克服することは私の悲願となった。
水原倫道。私の血に順応し、あの男と同じ呼吸を使う者。お前ならば、容易く陽の光をも克服できるだろう。この者が、今私の手の中にある。
私は感動していた。産屋敷の言っていた事は本当だった。人の想いこそ永遠。
私を倒したいと願う者たちの想いが連綿と繋がり、千年の戦いに終止符を打とうとしている。感動で私の目には涙が浮かぶ。
私の肉体は、克服したいと強く願い続けた陽の光によってもうじき滅びる。しかし私の意志を継いでくれる者に託すことができる。人間の想いが永遠ならば、私の想いもまた永遠であるはずだ。私の想いを。血を。能力の全てを、この水原倫道と言う若者に託す。
目覚めろ、水原倫道。鬼の王として。
全ての生命の頂点。陽の光すら克服した、完全無欠、究極の生命体として。
私はこの世界の王となったお前の中で永遠に生き続けよう。
目覚めろ。そして私の意志を継いでくれ。
鬼となり、この世界の王となる、お前が強くそう願えば、この忌々しい人間化の薬の効力を打ち破り、私の能力の全てを得られるはずだ。
目覚めろ、その魂――。
俺は巨大化した無惨に取り込まれたのだった。
俺の中に無惨の血が流れ込み、思念が読めるようになる。現実とは隔絶された意識の世界。一面の暗闇。
意識の中の暗闇の世界から屋外へ、一瞬で景色が変わった。
雪が降るなか、山の中に一人佇む俺。ここは雲取山、だろうか?鬼滅の刃の世界はここから始まるのだが……。降りしきる雪の中に人影が見える。
「水原倫道。私の意志を受け継ぐ者よ」
人間態の無惨が、俺を見つけて両手を広げ、微笑んでいる。俺も無惨に笑顔で駆け寄り……思い切り殴りつけた。無惨はひっくり返り、俺も勢い余って前につんのめって転んだ。雪の中を走り、相手を殴りつけただけで息が切れたが、それでも立ち上がって倒れている無惨に叫ぶ。
「ふざけた事を言うなっ!誰が受け継ぐなどと言った?お前は一体どれほどの人を殺した?!どれほどの人生を踏みにじった?!お前は死の恐怖に慄きながら滅びろ、無惨!」
鍛え抜いた漫画世界の肉体ではないのか、威力が全く出ない上に殴りつけた拳が痛い。
無惨は口を切り、血を流しながらヨタヨタと起き上がり、それでも微笑んだ。
「私は生存本能に従ったまでだ。太陽の光を克服するため、増やしたくもない同胞を増やし、その方法を探させた。……その過程で確かに少しばかりの人間どもが死んだこともあったが、それが何だというのだ?お前はそんな些末なことを気にせずとも良い。……お前は私の力と意志を受け継いでこの世界を統べるのだ!」
そう言って無惨も笑いながら殴り返す。
「お前は私に代わり、鬼の王となれ」
腕は普通の人間のもので、背中や大腿部の管も無かった。鬼の力ではなく、殴られて吹き飛ぶようなこともないが、殴られた音が自分の耳でも聞こえる。頭の芯にガンと衝撃が来て、頬も地味に痛い。リアルそのものの感触だった。口の中を切って血の味がした。
俺も負けずにさらに殴り返す。身に着けた格闘技の動きができない。雪が降っていて足を取られるせいもあるが、体ごとつんのめるような態勢で殴り、せっかく修練してきた空手技の突き刺すような前蹴りも、巻き付くような回し蹴りもできず、子供の喧嘩のような無様な蹴りを放つ。人間態の無惨も今までの様子が嘘のように鈍重な動きで、腕で俺の攻撃を防ぐのがやっとのようだった。
大声を上げながら、腕を振り回すようにして殴りかかってくる無惨。
俺と無惨は互いに殴り殴られを繰り返し、もつれて一緒に倒れ、腕や足が届くと素人の喧嘩のようにぐだぐだのパンチやキックを打ち合った。2人とも激しく息を切らし、再び立ち上がって睨み合った。
「お前には鬼の王となる資格がある!鬼狩りを、歯向かう者を滅ぼし、全てを統べる者となれ!」
無惨はまた俺に殴りかかりながら叫ぶ。
「何をトチ狂った事を言ってやがる!世界の王だと?!お前自分で言ってて恥ずかしくないのか?!鬼殺隊からこそこそと逃げ隠れしてたくせに、ゴキブリ野郎!」
俺は鬼なんかにならないよ。俺はただ、鬼のいない世界でみんなにほのぼのと暮らして欲しいだけだ。
俺も無惨に組み付き、胸倉を掴み合ったまま数回殴り殴られをまた繰り返した。
色々な作品の小ネタや要素が入ったこの世界。
降りしきる雪の中で男二人が殴り合う、またもやどこかで見たようなシーンが展開されていた。
「日光さえ克服すれば弱点は無くなるのだ!そうすれば不老不死、究極の生物になると言っている!」
「不老不死なんて俺はそんな化け物になりたくねえ!お前ら鬼がいなくなればいいんだよ!大体、日光を克服してたらお前はこの世界の王になれたのかよ?!」
お互いに息切れで動けなくなり、俺と無惨は再び睨み合った。
「私1人では不可能だったかもしれん。しかし私の力を全て受け継いだお前ならばできる!鬼のいない世界、それがどうしたというのか。鬼がいなくなったとしても、人間は互いに殺し合うではないか!しょせん人間とはそういう生き物だ。お前が全ての生き物を力でねじ伏せて従えれば、争いも無くなる。どんな世界も思いのままだ。……自分のことだけを考えろ。自分以外の者を信じるな。仲間など必要無い。痣の代償に死んでもいいのか?永遠の命、不老不死の究極の肉体は目の前にあるのだぞ!」
俺の脳裏に、この世界での様々な思い出が鮮やかに巡る。
蝶屋敷で、伊之助君とどちらが多くバレずにつまみ食いできるか対決したこと。アオイさんにめっちゃ怒られた。そんなに怒らなくてもいいのに……。マジで凹んだ。おまけに、こんな落ち着きのない柱の人は見た事ないって呆れられた。伊之助君は尻を叩かれていた。
村田さんのヘアケア用の椿油にごま油をこっそり混ぜたこと。3日間口利いてくれなかった。
会津の任務の時、佳代ちゃんに小川の向こう岸のキレイな花を摘んであげようとみんなで手を繋いで取ろうとして、みんなで川に落ちてずぶ濡れになったりもした。
訓練中の善逸君に禰豆子ちゃんの声マネして声援を送ってたら、本人じゃないとバレて雷のように怒られたこと。それは勝手に勘違いした君が悪いんじゃないか?
……ああ、なんだか下らないことばっかりだな。もうちょっとましな思い出もあるはずだが?俺は何をやってんだろう。
下らないけどかけがえのない、本当に宝物のような思い出ばかりだ。俺は、この世界で共に過ごした人たちを、その人たちの平和な暮らしを護りたい。そのためにずっと頑張って来たのだ。
たとえ自分が生きてその傍らに居られないとしても。
みんなのところに帰ろう。人間として。
……でも痣はどうすんだ?
「まだ分からないのか、お前にしかできない!お前は神に選ばれし者だ!私の意志を継いでくれ、頼む!私を置いて行かないでくれ!!私を1人にするな!!鬼となれば、お前の望む治癒の力も血鬼術として手に入る!だから!」
無惨が俺に縋りついて懇願する。放せ、見苦しいぞ!俺は人間としてみんなのところに帰るんだ。俺は鬼になんかならない。
無惨のその肉体が崩壊し、塵となって消えゆく時が来た。精神もおそらくは滅んでいくはずだ。
だが……何か気になるな、さっきの一言。なんつった?治癒の力?ふーん……。
「……俺が、鬼の王か。無惨の力を使い、世界を統べる……。よく考えたらそれも面白いかもしれないな。じゃあまず手始めに、面倒な鬼殺隊の連中から抵抗する力を奪うとするか」
俺は無惨の思念体に笑いかける。
お前を受け入れる。共に行くか。
無惨は喜びの涙を流しながら消えて行き、俺の心の中に宿った。
鬼の始祖、鬼撫辻無惨に代わる、鬼の王が新たに誕生した。