「しのぶさん、義勇」
倫道は、義勇と彼を診ているしのぶに歩み寄った。呼びかけて、ふぅ、と一息つくと、尻もちをつくように傍らに座った。
「2人とも、俺の手を取ってくれ。ともに戦った記念だ」
倫道は2人に手を差し出す。
「ハンドシェイク、ですか?ハイカラですね」
「?」
しのぶと義勇は、それぞれ倫道の手を取り、しっかりと握る。しのぶ、義勇の痣が消えた。
「2人は戦って生き残った。多くの人を護った。これからは、自分の幸せのために生きる権利がある。命を大事にね。自分が死ねば良いなんて、もう絶対に考えちゃだめだ」
倫道は語りかけた。
「倫道、俺は」
言いかけた義勇に、
「立派な戦いぶりだったよ。お前に命を繋いでくれた人は、みんな誇りに思っているに違いない。さすがは最強の水柱・冨岡義勇だね!」
倫道は精一杯の敬愛の念を込めて笑いかけ、そう言葉をかけた。
「そうか。……ありがとう!」
義勇は顔を上げ、胸のつかえが取れたように、傷だらけの顔で爽やかに笑った。
(眩しい……。こんなにいい顔するんだな)
解き放たれたような笑顔だった。倫道は、初めて見せる友の晴れやかな笑顔を眺め、改めて彼が背負っていた物の大きさを認識する。
「義勇、柱稽古の時に……、お姉様が、その……無駄死にだなんて言って……ごめん」
背負う重圧や色々な感情があるのは重々承知の上で、倫道は柱稽古の時に激しく叱咤した。その時、弱気になる義勇がもどかしいあまりに、お前の姉さんは無駄死にではないか、と言ってしまったことを、ずっと気にしていた。この機会を逃せばもう会えないかもしれない。倫道はこの機会に謝った。
「……許さん」
(え……?こういう時は、普通“気にするな”て言うもんじゃないの?そんなに怒ってたの?)
義勇の返事に倫道は少し狼狽える。
「あの時お前の言いたかったことは理解した。弱気な俺を元気づけようとしたことも分かったが、納得できない部分もあった。そのことは許すから、今後俺とずっと友達付き合いをしろ。勝手に離れることは許さん」
(分かりにくい!まあ今に始まったことじゃないし、元々友達だし。でも、タイムリミットが迫ってるんだ。ずっとは……約束できない。ごめん)
「何だ、そんなことか。もちろんだ。俺はいつもみんなの傍にいる」
倫道はホッとしながら、動揺を隠して微笑みかけた。
「水原さん、貴方がいなければ童磨は討てませんでした。本当にありがとうございました」
その様子を微笑ましく眺めていたしのぶも、立ち上がって礼を言う。
「しのぶさん、役に立てて良かった。でも、みんなに助けられたのは俺の方だって分かったから。だから俺の方こそお礼しなくちゃいけないのに」
倫道は頭を下げ、立ち上がる。お礼をしなければならないが、もう時が迫っている。
「どこへ行くんですか?もう休んでいてください。貴方に言うのもなんですが、すぐに診ますから」
歩き出す倫道をしのぶが止めようとする。
「平気平気!それに、俺はどこへも行きませんよ。いつも。……みんなの傍にいます」
ひらひら手を振り、倫道は少しふらつきながら炭治郎の方へ歩いて行った。
倫道の精神の内の無惨は、何故か急激に重くなる体に異変を感じていた。
(おい、どうしたのだ。体が重く――)
倫道は、ニヤリと笑う。
(ここからだ。最後に炭治郎の力を奪えば、俺以外にもう痣の者は居なくなる!)
内なる無惨に言い聞かせ、炭治郎の元へ向かった。一方で、
(頑張れ!頑張れ自分!もう少しだ!もう一回だけ……!)
自分自身を懸命に鼓舞していた。
残り僅かな命の火を精一杯に燃やして。
炭治郎は、隠の隊員とカナヲに付き添われ、横になってはいるが話をしている。
カラスからの連絡で、禰豆子は先程無事に人間に戻り、完全に記憶を取り戻してこちらに向かっていると連絡があった。
「炭治郎君、本当に……良くやったな。君と一緒に戦えて、楽しかったよ。最後に、握手だ」
倫道は手を差し出す。炭治郎は上体を起こし、がっしり握り返した。
炭治郎の痣は、妓夫太郎戦ではっきりと発現した物から、以前の火傷の跡の状態に戻った。
炭治郎は、一瞬だけ僅かに鬼の匂いを感じ、周囲を見回したがそれらしい物は見当たらなかった。無惨が崩壊して塵となり、消えてゆくのを確かにこの目で見た。
(まさかな。もう無惨は滅びたんだ)
そう思い直した。
「倫道さん。禰豆子のことも、那田蜘蛛山のことも。色々ありがとうございました。本当に、俺……」
倫道の手を取りながら、正座して肩を震わせる炭治郎。
「炭治郎君。君はいつも、決して逃げることなく困難に真正面からぶつかって行った。俺の方こそ君の姿を見て頑張れた。励まされた。ありがとう」
倫道もこれまでのことを思い出し、思わず涙ぐむ。
「体が良くなったら、ゆっくり会いましょう。禰豆子もお礼がしたいだろうし」
炭治郎が微笑みかける。
「そうだな、またみんなで会おう。体調が回復したら、そのうちに」
倫道は最後に嘘をつき、手を振って炭治郎のもとから離れていった。
隠の隊員、後藤も感動していた。
(良い場面だな。炭治郎も水原様も頑張った。死にかけたはずなのに2人ともよく無事で……。でもあの横顔、どっかで?)
「隠のみなさんも、ありがとうございました!」
倫道はそう言って後藤たちに手を振ってから、目だけを出し、両手で口と鼻、額を覆う仕草をして見せた。
(あっ!あいつ!)
隠として、何度も一緒に救護活動していた水谷だった。
(どこからともなく現れて、とんでもない速さで治療をしていく……。剣士もやってたのか、しかも柱……何て人だ)
倫道と言葉を交わし、握手した柱たちと炭治郎。
(まるで別れの挨拶でもしに来たみたいだな)
みな一様に違和感を覚え、何とは無い不安を感じる。飄々としたいつもの様子ではなく、どこか寂しそうな倫道の姿。
(よし、これで痣は残らず吸収したぞ。彼らに痣の力は、いや、呪いはもう無い。血鬼術の効力が消える前に治療が間に合って良かった……。俺のミッションは完了だ)
倫道はホッとしてみなから離れて人の居ない方へ歩いて行く。全集中で踏ん張っていないと今にも倒れそうだった。何とか体を支えながら、ハアハアと息を切らし、ふらつく足取りで歩みを進めた。建物の壁に寄りかかると、荒い息を吐きながらズルズルとそのまま崩れるように座り込んだ。
(倫道、今こそ滅ぼせ、鬼狩りたちを。まずはその第一歩だ)
心の内の無惨は、全ての痣の者の力を取り込んだ倫道の体を使い、今こそ鬼殺隊を滅ぼせと告げる。だが、倫道の体には既にほとんど生命力が残されていなかった。
倫道の血鬼術は、痣の呪いによる遺伝子の暴走をも止める治癒の効果。痣の者たちは治癒を果たし、痣の力は失われた。
一方不完全な鬼化がもたらすこの血鬼術は、重大な代償を必要とする。
代償は、鬼の力を失っても消えることはない。その代償とは。
それは術者自らの生命。
(倫道、今こそ鬼狩りを滅ぼせ!油断している奴らなど、殺すのに雑作もない……どうした、力を吸収したのではなかったのか?!これでは)
慌てた無惨が呼びかける。
(痣は“寿命の前借り”と黒死牟が言っていなかったか?10人の人間の“痣の代償”を肩代わりしたらどうなると思う?それに、鬼を人間に戻す薬は効いている。鬼の力が無くなって行くだろう?それに、血鬼術の代償を俺自身が払わなければならない)
してやったり、倫道の精神は笑う。
(何だと!最初からこの者たちの代わりに死ぬつもりで私を取り込んだのか!騙したのか!貴様っ!貴様ああっ!!)
無惨の精神は半狂乱となるが、倫道の精神は冷淡に言い放つ。
(お前な、今までさんざん人を殺しておいて、ちょっと騙されたくらいでキレるな)
(おのれ倫道、許さぬ!貴様の肉体を乗っ取って……)
無惨は怒り狂う。
(乗っ取って、どうする?すぐに死ぬんだぞ?)
倫道は呆れる。無惨の精神はなおも激昂するが、倫道の肉体は限界を迎えていた。
記憶が蘇る。行ったことの無い場所、体験したことがない様々な事象、前世でも会っていない人々。思い出した。前世の最後も、こんな夢を見た。そして気付く。
(俺は多重転生者なんだな。前の時――この世界に来る時も、こんな夢を見てた)
そして記憶が途切れて、この世界にいた。
この世界で暮らすうちに、ある日突然目覚めた。
(無惨、お前本当に可哀そうなヤツだな。まあ仕方ない、俺と一緒に来い。俺は何度も転生を繰り返す運命のようだ。完全な生命とは違うが、永遠の命に近いぞ)
倫道の精神は子供をあやすように内なる無惨に語りかける。
(本当か!それならば、転生した世界で鬼の王となれば良い。私の力を存分に使え!)
無惨は新たな希望を見出し、さっきまでの半狂乱が嘘のように歓喜に震えている。
(この力が使えたなら、お救い申し上げられたかもしれないのに……)
倫道の心残りは耀哉のこと。
(倫道。私のことは、もういいんだよ)
(耀哉様!?)
倫道の頭の中に、耀哉の声が響く。
(みんな、良くやってくれた。私の可愛い子供たち……。君も本当に頑張ってくれたね。君のおかげで大勢の子供たちの命が救われた。痣を出してでも戦うことを選んだ子供たちも、君が救ってくれた。だから私はもういい。安心して逝くことができる。ありがとう、倫道)
(耀哉様……)
倫道は、耀哉が息を引き取ったことを悟り、涙を流した。
「タイムリミット……か」
倫道の肉体は、ポツリと呟く。
倫道は、目を開けてゆっくりと周囲を見渡した。真冬の早朝の凍てつく空気の中、動ける者は瓦礫の後片付けや負傷者の救護に忙しい。だが、みんな誇らしげに、生き生きと笑顔で働いていた。
(この愛おしい人たちが、もう二度と武器を取って戦うことがありませんように。どうかほのぼのと穏やかな暮らしを。そして、どうか笑顔で天寿を全うできますように)
心からそう願う。
その傍らで、共に生きて行くことはできなくとも。
原作を捻じ曲げた代償として、その存在が完全に排除され、痕跡すら残らなかったとしても。
陽が昇り、朝の光が世界を満たす。陽光が、戦場となった街と血の気を失った倫道の顔を穏やかに照らした。
(みんな、生きている……それこそが、俺が生きた証……)
「リンドー、リンドー……」
アーマーを解除したマスカラスが倫道のすぐそばにやって来て、落ち着き無く歩き回る。
「マスカラス……。また、な」
倫道は、眩しそうに目を閉じた。
「倫道さん!どうしたんですか?倫道さん!」
炭治郎が心配そうに駆け寄り、呼びかける。
緑川と尾崎も駆け寄って来た。
異変に気付いた他の者たちも駆けつける。座っていた倫道の肉体が力無く横に倒れた。炭治郎がしゃがんで抱き起こそうとするが、その手は空を掴んだ。
倫道の体は幻のように揺らめいて消えていき、後には何も残らなかった。そして、一羽のカラスが悲しそうに一声鳴き、どこかへ飛び去って行った。
炭治郎は信じられない思いでそれを見ていた。声をかけようとしたが、何故か名前が出てこない。
「……あれ、名前が……思い出せない。なんで?ああ……あれ、俺、今……何を?何か大事な物を……」
炭治郎は不安そうに立ち上がって辺りを見渡す。
「炭治郎、お前なんで泣いてんだ?」
「緑川さんだって泣いてるじゃないですか」
炭治郎と緑川は顔を見合わせて首を捻る。
周囲の人々も、何で集まったんだっけ?と思い出せない様子だった。そしてみな、何か違和感を覚えながらも、それぞれの作業に戻って行った。
(無くしちゃいけない物を無くした気がする。忘れちゃいけない物なのに。こんなに悲しいのに!何で!)
炭治郎は頭を抱えて立ち尽くしていた。
俺の存在は排除され、痕跡すら残らない。ありがたい配慮だ、それでいい。
仲良くなって、大事な存在になるほど別れるつらさ、失う悲しさは大きくなる。忘れてしまうのが一番手っ取り早い解決法だ。
そんなつらさをもし誰かにさせるとしたら。
俺は耐えられない。
こうして、俺の熱く濃密な素晴らしい鬼殺隊生活は終わった。
まだ少し続きます。もうしばしのお付き合いを。