斗和と倫道は十九歳となる歳を迎え、倫道の階級は丙(ひのえ)となっていた。鬼殺隊では、煉獄杏寿郎が下弦ノ弐を倒し、新たな炎柱に就任。煉獄槇寿郎は正式に引退となった。
ある日倫道が土柱邸にやって来て、斗和にまた相談をしていた。
「そう言えば、斗和さんは何かチート能力無い?」
「チート?」
「そう。転生者と言えばやっぱりチート能力でしょ!転生特典みたいなヤツ」
この問いに、斗和はこの世界で目覚めてからのことを振り返りながら考え込んだ。
(私に特別な力なんてないよね……。筋力は女にしてはある方だけど本当に鍛えた男の人には敵わないし。野菜を育てる事くらい?)
斗和はそう考えながら苦笑して、倫道に問い返した。
「うーん、私は無いかなぁ。倫道君は?」
だが客観的に見れば、斗和の体の操作能力は超人レベルだ。単純な筋力も確かにすごいが男性の柱には劣る。それでも斗和の斬撃が破壊的威力なのは、生み出した力を体の中心部から末端へ、そして武器へと無駄なく伝達し、狙った一点に集中させる制御能力によるものだ。自分の攻撃を、相手のどこにどう当てれば、どのタイミングで当てれば最も効果的か。それを瞬時に判断し、イメージした通りに寸分の狂いも無く正確にアウトプットする。自分の体勢、相手との間合い、タイミング。最大威力が発揮される時間的、空間的な“点“を絶対に外さないことで、規格外の攻撃力を生み出せるのだ。だが斗和は特別それを意識したことは無く、自然と身に付け、自然に使いこなしていた。
「俺のは、色々な他作品の技を真似できる能力かな。ハードな練習は必要だし光線技は無理だけど、真空波できるようになったよ。龍狼〇の空破山、衝破山」
「ええ、すごい!」
「後は、ヤバい時に気配を消す能力とか、大事なことがなかなか言えない能力とか、肝心な時にいない能力とか」
「それ特殊能力なの?」
「あと視線を合わせた相手に一分間だけ都合良い幻を見せる能力。”邪眼”って言うんだ」
「それは反則じゃない?」
「でも、カナエさん助ける時に童磨に使っちゃったんだよね。だから上位の鬼にはもう使えないと思う。それともう一つ、便利なのがあるんだけど、それは今は秘密!」
秘密にしている能力を除けば、倫道の最大の能力は、関わった人の力を引き出し開花させる喚起の力、”エンパワーメント”だ。”共に頑張ろう”、”君ならできる”と、暑苦しく熱血に、時に静かに涙しながら松岡修造ばりに鼓舞し、おだて、いつの間にかその気にさせてしまう。倫道本人は特に意識せずに使っているが、その能力は天性の詐欺師、いや現代風にインフルエンサーとでも言うべきであろうか。
だがその倫道をもってしても、頭を悩ませる難物がいる。
元炎柱・煉獄槇寿郎。
斗和の”中の人”の推しだ。炎柱・煉獄杏寿郎の父にして、現在やさぐれて、一日中酒を飲んではごろごろしているダメ親父。原作では柱になった息子の杏寿郎に悪態をついたり、そればかりか死んだ杏寿郎を侮辱するような発言をしていた。”野良着の隊士”の世界では、立ち直らせようとした斗和を殴り、顔に怪我を負わせている。
倫道と斗和は二人で頭を捻る。杏寿郎の父、煉獄槇寿郎をどうやったら目覚めさせることができるか。そして倫道は斗和に危害が及ばないよう、槇寿郎が暴れ出したら絶対に止めると決意していた。
倫道は一つ思いついた案があった。幻を見せる能力、”邪眼”を使う方法だ。槇寿郎を邪眼にかけ、亡き妻・瑠火の幻影を見せて奮起を促す。場合によってはさらにショッキングな別の映像を見せることも倫道は考えていた。
「うん、それで行ってみようよ。鬼には使えないかもしれないけど人間には大丈夫なんでしょう?」
「大丈夫なはずだよ。同じ人間には二十四時間以内にはかけられないけど。童磨相手に一回使ったから、もう鬼には使えないと思って忘れてたんだ。あいつら生意気に情報共有するでしょ。でも考えてみたら人間には使えるよね」
こうして作戦を練り、斗和が杏寿郎に手合わせを申し込むと、すぐに了解が取れた。
斗和は畑で収穫したサツマイモを毎年こっそり煉獄家に届けており、煉獄家の場所は良く知っていた。斗和は杏寿郎との手合わせのため、倫道は見取り稽古のため付き添うという口実で、二人で煉獄家を訪ねることにした。
だが、斗和が実際に杏寿郎と顔を合わせたのは先日の炎柱就任の際が初めてで、いきなり
「父上を立ち直らせたいから会わせて欲しい」
と言っても会わせてくれるとは思えず、例え煉獄家に招かれたと言っても槇寿郎に会うためにはどうしても強引な手段が必要だと倫道は考えていた。そしてずっと以前、新米だった斗和を助けている槇寿郎も、大勢助けた下級隊士の中の一人など覚えているはずが無かった。つまり今回がほぼ初対面だ。あの状態の槇寿郎が初対面の斗和と倫道に会うことはあり得ず、まして説得に聞く耳を持つとは思えないが、それでも斗和と倫道は僅かな可能性にかけて煉獄家に向かった。
斗和とお手伝いの夏世が、焼きお握りと粕漬、芋羊羹まで作って幾つもの重箱に詰めてあり、倫道は両手にいっぱいの重箱の入った風呂敷包みを持たされ、さらに背中にもたすき掛けにした風呂敷包みを背負わされ、憮然としながらも斗和に付き従って煉獄家にやって来た。
(いくら何でもお土産多すぎだろ……。でも俺も現代風お手製スイーツ持って来てるんだぜ。見て驚け!)
実は倫道も、夏世から何本かサツマイモをもらい、お土産にすべく独自にスイーツを作り、秘密で持参していたのだった。
「蓬萊、よく来てくれた。そちらの彼は?」
たくさんの荷物を持った二人に、とりわけ倫道に杏寿郎は少し驚いたようだったが、にこやかに斗和と挨拶を交わし、後ろに控える倫道にも改めて目を遣った。
「丙(ひのえ)・水原倫道です。蓬萊さんに土の呼吸を教わっています。本日は他の柱との手合わせと聞き、見学のため同行しました」
倫道は名乗り、頭を下げた。
「そうか、感心だ。千寿郎にも見取り稽古をさせようと思っていたところだ。良く見ておくといい」
新炎柱・煉獄杏寿郎は快活に言い放ち、斗和と倫道を道場へと案内した。
手合わせが開始された。
最初は憧れの杏寿郎との立ち合いに緊張して動きが硬かった斗和だったが、最後は互角に打ち合い、柱としてその強さを示していた。
手合わせの後は、千寿郎が煎れたお茶に斗和が作った焼きお握りと粕漬け、デザートの芋羊羹を食べながら、斗和の特殊日輪刀や土の呼吸を派生させた時の話しを肴に賑やかな食事となった。
「うまい!うまい!!」
杏寿郎が芋羊羹を食べて原作通りのセリフが飛び出し、斗和は思わず感動したが、ここで倫道がある物を取り出す。
「これ、俺も作ってみたんですが」
倫道は家でせっせと作って来たスイートポテトを皆の前に並べた。バターや卵もしっかり入れてコクを出し、わざと芋の皮も少し残して手作り感を演出、レモン汁を入れて香りと味のアクセントもつける念の入れようだ。
(ちょっと倫道君?!何やってるの!)
いきなり現代風スイーツを出して自分より目を惹く倫道に斗和はあ然とした。
「この芋団子は水原が作ったのか?柑橘の香りも良いな!」
杏寿郎はパクリと一口食べ、動きを止めた。
「口に合いませんでしたか?」
倫道は固唾を飲んで見守ったが、一瞬の後、
「うんまい!ワッショーイ!!」
杏寿郎は叫んだ。
(やった!”わっしょい”頂きました!斗和さん、これで心証が良くなるね!……斗和さん?いつから般若のお面を)
だがそれは般若の面ではなかった。杏寿郎たちから見えない角度で、斗和が恐ろしい顔で倫道を睨んでいた。
「せっかく私が色々作ったのに!美味しいとこ持ってかないでよ!」
「ひええ、ごめんなさい」
小声だが斗和の怒りが倫道に伝わる。斗和が杏寿郎に抱いているのは単なる憧れなのか、異性としての好意なのか判然としなかったが、この時点では杏寿郎がとても気になっており、現代風のスイーツという反則技で最後に高評価をかっさらう倫道に怒り、倫道は斗和の剣幕に恐れをなして小さくなって謝った。
(つい前世のお菓子作りの趣味が……。スミマセン)
杏寿郎はスイートポテトを夢中で食べていたが、千寿郎は斗和と倫道の間に一瞬流れる不穏な空気を察知して戸惑った。
煉獄家に来た目的は手合わせだけではなく、むしろ槇寿郎を立ち直らせる方が主とも言えた。斗和と倫道は何とか槇寿郎と話をしようと隙を伺うが、話が弾んでなかなかチャンスが訪れなかった。
杏寿郎も自分より先に柱になっている斗和の実力は聞いて知っており、今日の手合わせでもその力を肌で感じている。そして屋敷に毎年サツマイモを届けてくれたのが斗和だと知って、好感を持って接していた。その斗和の頼みなら、無下には断れないと読んだ倫道が斗和に目と口パクで合図を送る。
(斗和さん、ここで煉獄さんに強引に頼んで会わせてもらおう!言って!言っちゃって!)
杏寿郎に嫌われたくない思いも分かるが、次はいつ会えるか分からない。多少強引にでも面会を、倫道はさらに斗和を促すが、斗和は踏ん切りがつかない。するとここで、突然チャンスがやって来た。杏寿郎が厠へ立った。
(ここは強引にでも会わせてもらうしかない。杏寿郎さん、千寿郎君、ごめん!)
倫道はすかさず動いた。
「千寿郎君、蓬萊さんは以前お父様に命を救われていて、この機会に御礼がしたいんですよ。お父様のところに案内してください。こちらですか?」
倫道は悪そうな笑みを浮かべて千寿郎に話しかけ、さっさと歩き出した。千寿郎はかなり戸惑っていたが、倫道がどんどん歩き出してしまったため、慌てて小走りで追いかけてついに槇寿郎の部屋まで案内してしまった。
「こちらです。でも、話ができるかどうか」
千寿郎は不安そうに下がり眉をさらに下げる。
「大丈夫です。ご挨拶をするだけですから」
倫道は緊張を隠して満面の作り笑顔をしてみせ、斗和も心の中で覚悟を決めた。
「父上、土柱様とお連れのかたが、父上にご挨拶をなさりたいと……」
千寿郎がふすま越しに声をかけると、中から槇寿郎の怒声が帰って来た。
「うるさい、帰れ!」
「父上、ですが」
おろおろする千寿郎を他所に、倫道はいきなりふすまを開けた。あっ!と千寿郎が腰を抜かすほど驚いたが、倫道はズカズカと勝手に槇寿郎の部屋に入り込み、正座して挨拶を述べ始めた。
「失礼いたします。土柱・蓬萊斗和と、私、丙隊士水原倫道と申します。先代炎柱・煉獄槇寿郎様。本日は杏寿郎様に手合わせいただくために参りましたが、槇寿郎様にもご挨拶を申し上げたく、お邪魔いたしました」
「誰が入って良いと言った?出て行け」
槇寿郎は頬杖を突いて寝そべり、倫道たちに背中を向けたまま静かに言った。背中越しの抑えた声音が却って怒気の強さを物語っており、父が暴力を振るうのでは、と千寿郎はハラハラしていた。
「槇寿郎様。私は五年前、炎柱であったあなた様に命を助けられた者です。生き長らえ、こうして柱になることができました。お会いすることができず、ご無礼をいたしておりましたが、本日こうして御礼を申し上げることが叶いました。その節は本当にありがとうございました」
斗和も部屋に入り、正座して畳に手を突き丁寧に頭を下げた。槇寿郎は特に反応を示さなかったが、少しして言葉を返した。
「杏寿郎と言い、お前と言い、さも自慢げに……。柱になったから何だ。下らん、どうせ大した物にはなれない。さっさと出て行け」
槇寿郎は持っていた酒瓶をあおると、ドンと乱暴に置きなおした。
「これは、元炎柱様のお言葉とも思えません。柱になるまでにどれほど血反吐を吐く鍛錬を積んだか、良くお判りでしょうに。それにしてもまあ、元柱ともあろうお方が昼間から、何というザマだ。まあいいや、槇寿郎さん。こちらを見てください。日の呼吸についての書物ですよ。見たいですか?」
千寿郎が青ざめているのも構わず、倫道は丁寧な口調から一転してぞんざいな口調になり、挑発するように言い放った。
(ああ、父上を怒らせてしまう)
千寿郎の顔が益々青ざめる。
「何だと貴様!」
槇寿郎は頬杖を止め、上半身を捻って肩越しに倫道を睨んだ。
正座から立ち上がった倫道が書物を自分の顔の横にひらひらと掲げて見せる。本の表紙には、わざとらしく”日ノ呼吸秘伝書”と書いてあった。中身は白紙だ。槇寿郎は立ち上がり、怒りを滲ませながら倫道たちの方へゆっくり歩み寄った。そしてそれを引っ手繰ろうと手を伸ばす。
「へええ、読みたいんですか?何のために?また打ちのめされるだけでしょう?日の呼吸にずいぶんと執着しておられるようだ。いや、ただの劣等感かな?……おっと」
今までの緩慢な動作が嘘のようだが、倫道は薄ら笑いで意地悪くその手を躱す。
「歴代の炎柱様の手記は、あなたが無力感を抱くほどの内容だったのですか?そんな時に奥様を亡くされて、誇りも情熱も失ってしまわれた。お辛い気持ちは良く分かります。しかしいつまでそうやって誤魔化すおつもりなんですか!柱の責務は放り出す、息子たちの相手はしない。仕事も家庭も失格です。瑠火さんが見たら何とおっしゃるでしょうね」
今度は斗和が正座したまま語り始め、最後は槇寿郎を睨み上げた。
「何故そんなことを知っている?!お前は一体何者だ!……吐かせてやる!」
倫道に摑みかかろうとしていた槇寿郎は、正座したままの斗和の襟首を掴んだ。
「それを言ったらあなたは悔い改めるんですか!息子さんたちに歩み寄ってくれるんですか!変わらないでしょう?!私はあなたに冷たく当たられて、それでも頑張っている杏寿郎さんと千寿郎さんを助けたいだけです!あなたの苦しみはあなたにしか分からない。だけど、いつか取り返しがつかなくなった時に泣いて後悔する!あなただけじゃない、みんなが悲しむんです!そうなって欲しくないから今止めてるんです!」
斗和は襟首を掴まれても槇寿郎を睨み続け、言い返した。
「父上!」
千寿郎は槇寿郎を止めようとするが逆に突き飛ばされて、倫道がそれを受け止めた。
「知った口を!」
槇寿郎は拳を振り上げ斗和を殴ろうとした。
「愛した奥様の遺した息子さんたちを誇りに思ってください!……それから」
斗和は涙を浮かべながら怒鳴った。
「いい加減目ぇ覚ましやがれ!このクソじじい!!」
殴られるのを覚悟で斗和は最後に叫んだが、槇寿郎が斗和に拳を振り下ろそうとする瞬間、危ういところで倫道が槇寿郎を羽交い絞めにして斗和から引きはがした。
「貴様ら!!」
「槇寿郎さん、俺の目を見ろ!」
振り向いた槇寿郎は怒りに燃える目で倫道を睨む。倫道も強い視線で槇寿郎を見返す。
(かかった!)
倫道の邪眼が発動した。
(槇寿郎さん、良く見ろよ!生と死が凝縮された、俺の渾身のショートフィルムだ!)
―
――
―――
――――
(ここは、どこだ?)
今まで周囲に居た人間たちが見えなくなっていた。槇寿郎はいつの間にか隊服を着て刀を腰に差しており、白地に炎の意匠が入った炎柱の羽織を着ていた。どうやら自宅にいるのは間違いないようだが、何がなんだか分からない。人の声がする方へと歩いて行ってみると、瑠火が――死んだはずの妻が、仏壇の先祖の霊に向かって手を合わせ、一心に何かを祈っていた。
「瑠火!」
槇寿郎は歩み寄って声をかけるが、瑠火は気付かず、懸命に祈り続けている。
「どうか御無事で……槇寿郎様……!」
瑠火は任務に出た槇寿郎の無事を祈っていた。その真剣な様子に躊躇われたが、槇寿郎はまた声をかけた。しかし、こんなに近くに居てもやはり瑠火は槇寿郎に気付かなかった。
(俺は幻を見ているのか?何にせよ、また瑠火の姿が見られるとは)
場面が急に変わった。瑠火が子供を出産したところだった。大きな泣き声とともに無事に男の子が産まれた。
「元気な男の子ですよ」
産婆はそう言って赤ん坊を瑠火に見せた。
瑠火の顔は汗と涙にまみれていたが、元気に泣く赤ん坊を愛おしそうに見るその表情は慈愛と誇りに満ちていた。
「男の子……。きょうじゅろう、杏寿郎ですね。杏寿郎、あなたは強くなって、お父様のように人々を護るのですよ」
(これは、杏寿郎が生まれた日の……)
槇寿郎は悟っていた。自分は任務で杏寿郎が生まれて直ぐに会うことができなかったが、この光景は、その時のものなのだろう。
(瑠火……)
槇寿郎は胸が詰まる思いであった。槇寿郎の耳に、周囲から聞こえる自然の音の他に聞きなれぬ楽器の美しい音が重なって届いていた。倫道は雰囲気を盛り上げるため、幻影にBGMを付加するサービスも行っていた。
また場面が変わった。
瑠火が物心つく前の千寿郎を抱きながら、幼い杏寿郎に語りかけていた。
「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさねばならない使命なのですよ。決して忘れることのないように」
幼い杏寿郎は健気にも、「はい!」と元気よく返事をして母を見上げている。
「私はもう長くは生きられない……。でも、強く優しい子の母になれて幸せでした。父上と千寿郎を頼みます」
瑠火は涙を流し、杏寿郎を抱きしめていた。
そして、それから一ヶ月も経たないうちに瑠火は逝ってしまった。瑠火の葬儀の時、杏寿郎はじっと涙を堪えており、その姿には既に強くあろうとする男としての姿勢が見えていた。
(瑠火……瑠火は最後まで俺たちのことを案じて……。それに杏寿郎も、十分に分かっていたのだな)
場面が変わる。
脱線した列車の横で、杏寿郎が戦っていた。その傍らにはケガをした少年隊士等がいた。相手の鬼の目には“上弦”、“参”と刻まれていた。激しい攻防を繰り広げる杏寿郎と鬼。杏寿郎は見事な技で斬撃を入れていくが、鬼はすぐさま斬られた体を再生し、杏寿郎を追い詰める。
(上弦だと!……杏寿郎!)
槇寿郎は我が子の成長を驚きをもって見つめる。杏寿郎は次第に傷つき、さらに追い詰められていく。しかしその気迫は全く衰えない。
「俺は俺の責務を全うする!ここにいる者は誰も死なせない!」
そして、炎の呼吸奥義、玖ノ型・煉獄を繰り出した。杏寿郎の技と鬼の技が激突する。激しい戦闘に似つかわしくない美しい旋律が流れる。倫道がBGMに選んだのは、ショパンの“別れの曲”だった。そのクライマックスが響く。
(杏寿郎!ああっ!)
夜明けが迫っていた。
杏寿郎は腹を拳で貫かれ、それでもなお鬼の頸に刀を突き立てている。そして絶対に離すまいと鬼を捕らえ、自身の命と引き換えに陽の光で焼き殺そうとしていた。しかし鬼は捕らえられた腕を自ら引きちぎって逃げ、討ち取ることは叶わなかった。
美しい音楽をバックに、壮絶な戦いの末の残酷な光景が繰り広げられていた。
「弟の千寿郎には、自分の心のまま、正しいと思う道を進むように伝えて欲しい。父には、体を大切にして欲しい、そう伝えてくれ」
杏寿郎の腹部の血液の染みがどんどん広がっていく。ボロボロになった杏寿郎は少年の隊士にそう言い残して死んだ。
(杏寿郎……!)
槇寿郎の目に熱い涙が溢れていた。
その時、杏寿郎が勢いよく槇寿郎の部屋の方にやって来た。
「みな、ここだったか!父上?父上!どうされました?」
槇寿郎が空中の一点を見つめ、ぼうっと突っ立っており、その目からは涙が流れていた。尋常ではない父の様子に、倫道が制止するより早く杏寿郎が大声で呼びかけ、肩を掴んで揺さぶった。
(しまった!術が解ける!)
――――
―――
――
―
倫道の邪眼はオリジナル程強くないので、外界からの刺激があると術が解けてしまうのだ。槇寿郎はハッと現実に引き戻された。
「父上?」
杏寿郎が心配そうに父の顔を覗き込んだ。
(ヤバい)
倫道はばつが悪そうに顔を背けている。槇寿郎はハッと我に返った。
「貴様、何か奇術を使って俺に幻を見せたな?」
槇寿郎はとぼけている倫道を睨んだ。涙を流していた槇寿郎の目に、再び燃えるような怒りの炎が灯った。
倫道の目の前に、槇寿郎の拳が迫っていた。
「ありがとう、私、煉獄さんが“推し”っていうか、その……。だから、槇寿郎さんもどうしても立ち直らせたくて、倫道君も巻き込んじゃった。ごめんなさい」
帰りの道中、斗和が申し訳なさそうに言った。“野良着の隊士”の世界では、槇寿郎を立ち直らせようとした斗和は殴られている。読者である倫道は全て知っているし、杏寿郎を救いたい、槇寿郎を立ち直らせたいのは同じ思いだ。
(この時点では斗和さんは煉獄さんが好きなんだよね。でもそのうちもっと好きな人が現れるんだけど。“中の人”が槇寿郎さん推しなことまで良く知ってるよ。でもこの世界での俺の推しは斗和さんだから……)
ここまで考えて、倫道はふと思った。
(俺は槇寿郎さん推しの斗和さんが“推し”……。推しの“推し”は⦅推し⦆ってことで)
「こっちこそごめん、上手くいかなかったね。また別の手を考えようよ。絶対立ち直らせよう!そうじゃないと、俺は殴られ損だよ」
そんなことを考えつつ、殴られて痛む頬をさすりながら倫道は答えた。
(まあ仕方ないか。いくら立ち直らせるためと言っても、心の傷をほじくり返すようなことした訳だし。夢で人を操るなんて、やってることは魘夢と変わらないし、褒められたもンじゃないけども。どうすれば目覚めてくれるのか……)
幻を見せたことが槇寿郎にバレて殴られ、杏寿郎からも、その手はいかがなものか、とやんわりと怒られて、倫道はしばらく煉獄家を出禁になってしまった。倫道は自身の出禁もさることながら、杏寿郎や千寿郎に心配をかけたことも申し訳なく思い、またそれ以上に斗和が煉獄家に来にくくなったことを心配していた。それを言うと、
「大丈夫だよ、しばらくは野菜を持って玄関先に置くだけにするよ」
斗和がそう言ってくれたので少し安心し、二人はトボトボと帰路に就いた。
(あの小僧どもめ!)
槇寿郎は憤慨していた。憤懣遣る方無いとはこのことだ。自分を立ち直らせようとしたようだが、全く余計なお世話だった。
たかが幻。
しかし、まるでその場面に立ち会っているかのような精度で、あの幻を見せる奇術には驚いた。
(癪だが、感謝はしないでもない……瑠火の生きて動いている姿が見られたのだから)
また頼んでみようか、そんなことまで考えてしまった自分を慌てて否定しながら、槇寿郎は悩んでいた。
(これではまんまと術中に嵌るようなものではないか)
悔しいが、しかし槇寿郎には僅かな変化が見られていた。
瑠火が、亡き妻が今の自分の姿を見たらどう思うであろうか?あの女性隊士にそう言われて、気になっていた。それに最後に見た杏寿郎の戦う場面は一体……。杏寿郎が腹を貫かれて死ぬ、あの場面が頭から離れず、槇寿郎はしばらくスッキリとしない日々を送ることになった。