「では、私はこれで。状態が安定したら、蓬萊さんは蝶屋敷でお引き受けします」
しのぶは手術の成功を確認し、一足先に帰って行った。
手術操作が全て終了し、呼吸、循環が安定しているのを見極め、倫道は斗和の麻酔を覚ましていく。そして人工呼吸器に繋がる管が斗和の喉から抜かれた。
「斗和さん、上手くいったよ。良く頑張ったね」
麻酔から覚める頃、そう声をかけられて斗和はゆっくりと目を開けた。
突然、光が視界を埋め尽くす。一瞬、前世である令和なのか大正の世界なのかが分からなくなるが、頭と口許を覆った男が話しかけて来て、大正の現実に戻ることができた。
(あ、倫道君……あれ、私……?ああそうだ、手術受けたんだ……。終わったのかな)
斗和は、倫道や珠世、愈史郎その他手術に関わってくれた人たちに感謝し、同時に別の事を考えていた。全身麻酔で深く眠ったのと、出血や体外循環装置の使用で体の環境が一気に変わった影響もあったのだろうか。
前世の記憶の一部を取り戻していた。
(無限列車編の映画、私は観てない。観ずに帰ったんだ)
手術中、斗和は大正のこの世界のことでなく、何故か前世の一場面を夢に見ていた。
机の上の何かの書類とそれを指し示す男性。男性の顔は思い出せないが、自分に向けた嫌悪の視線は鮮明に思い出した。
もう少しで全ての記憶が戻りそうな気がした。思い出しそうになるといつも酷い頭痛がして、それ以上思い出せなかった。それはおそらく自分の死やそれに繋がる記憶。
(きっと良い思い出じゃないんだろうな)
斗和はそう思って密かに苦笑した。
「ありがとう。また……助けられちゃった」
意識がはっきりしない中でそんなことを考えながらも、斗和は倫道に感謝を込めて微笑んだ。
「いいんだよそんなの」
倫道は手術台の斗和に声をかけ、軽い足取りで手術室から出ようとしたが、足腰から力が抜け、膝から崩れて床に座り込んでしまった。
(あはは……。もう全然動けないや)
極限まで集中力を高め、長時間に渡りそれを維持し続けた反動だった。手術終了後、大きな緊張から解放された倫道は目まいと疲労感に襲われ、動けなくなった。
「まったくお前は毎度毎度……。いい加減にしろ」
「スミマセン……」
愈史郎は倫道をベッドまで引きずって行き、寝かせてやった。
倫道は死力を尽くした。
術中の手技も上手くいき、斗和は麻酔から無事目覚めてくれた。術直後は何の問題もなく、手術は成功だった。
充足感と安堵。そして斗和を再び戦場へと送り出すことになる罪悪感。
しかし、斗和は感謝の言葉をかけてくれた。それだけで倫道は十分すぎるほど嬉しかった。
(経過を見なきゃいけないけど、おそらくこれで大丈夫、準備ができた。これからが本番だ!)
倫道が斗和に行ったのは、生き延びるためではなく、戦う体を取り戻すための根本的治療だった。この時代どころか、現代でもなかなか見られない大がかりな治療。
心臓は生命そのもの。心の宿る臓器。心臓の停止は即ち生命活動の停止を意味し、その他の臓器とは違う。そう考えられていた時代。
当時心臓の手術は日本ではタブー視すらされていた。欧米でも事故などで心臓に明らかな外傷がある場合、それを修復する程度の、ごく簡単な手術が行われるようになったばかりであった。倫道は斗和を助けるため、現代医療の知識と経験をフル活用し、万全の準備を整えてそれを成功させた。そして、珠世と愈史郎も、胡蝶姉妹も持てる力を出し切った。
斗和は倫道の想いが嬉しかった。一番ではないにしろ、倫道は自分のことを想ってくれているのだろう。だが状態が安定して蝶屋敷に移り、見舞いを受けているうちに、自分の本当の気持ちが誰にあるかに気付き始めてしまい、斗和自身が一番驚き、戸惑っていた。
(そんなはずはない、私は煉獄さんを……。でも)
面会が許可されると大勢の人が見舞いに訪れた。元継子の館坂佳成や土柱邸を守るお手伝いの夏世は頻繁に訪れ、柱たちや同い年で仲の良い村田、任務で一緒になった隊士たち、斗和を慕う隠の隊士たちも来た。中でも煉獄杏寿郎と不死川実弥は良く訪れていた。斗和は最初、苦手にしていた不死川の見舞いに驚き恐縮していた。
「不死川さん、また怪我してますね」
不死川実弥は任務明けの早朝などに良く寄っていく。二人きりで何を話して良いか分からない斗和は、不死川の怪我を見つけて話題にすることが多かった。
「大したことはねェ。こんなモン唾でもなすっときゃ治る。それよりお前はどうなんだァ」
「前回来ていただいた時とあまり変わりません。だってニ、三日前ですよ」
不死川の何度目かの来訪で、斗和はようやく慣れてきた。
「そうか、早く治せェ。また手合わせしてやる」
「……」(それはご遠慮申し上げます……言えないけど)
あまり会話も弾まず、時にはお互い何を話すでも無く数分間一緒にいるだけだが、斗和は不死川の不器用な優しさを感じて暖かい気持ちになり、不死川が帰った後はまた会いたいと思うようになっていた。
無限列車で杏寿郎を助けるために自分はこれまで頑張ってきた。なのに、何故自分は違う人にこんなにも惹かれるのか。怖くて苦手なはずだったのに、どうして……。
それもまた斗和を悩ませる一因になっていた。
斗和は恋愛には疎く、それについては考えるのを意識的に避けていた。
そもそも自分はこの世界にいるはずのない人間なのだ。想いが通じることはない、無理やりにそう思い込んでいた。
(上せるな、蓬萊斗和)
顔だけでなく、胸にまで傷のある醜い女が何を浮かれているのか。斗和は自分で自分を罵倒した。
病室で不死川と二人で過ごす時間は短かったが、泣きたいほど優しく、温もりに満ちていた。だが斗和は、そんな一片の温もりを求める心さえ冷水を浴びせるように否定し、蓋をした。
(早く体を治して、自分の責務に向き合え)
そして、自分自身に強くそう言い聞かせた。
手術の傷の痛みもやがて消え、表皮に縫い痕を残さない倫道の縫合術により、傷跡は盛り上がって残ることはなく、良く見ないと分からないくらいきれいになった。脈の乱れも消え、移植した心臓の細胞も生着して力強く鼓動していた。
手術から約半年後、徐々にリハビリが始まった。問題が無ければ早々に本格的な訓練を再開することになっていたが、体を動かし始めてから不調が出る懸念もあり、もうしばらくは入院したまま経過観察を受けなければならなかった。斗和は蝶屋敷に入院したまま新しい年を迎えたが、経過は極めて順調だった。
年明けと前後して、斗和のメニューは早くもリハビリから基礎訓練へと移った。療養中は身体活動が制限されていたため久しぶりの運動はきつかったが、元来活発な斗和は体が動かせる解放感を味わっていた。
斗和は、鬼滅の物語で生きるために実家を出てから、これ程長くボーッとすることがなかった。記憶を戻してから初めての長期療養で、様々な事を思い出していた。
そして、思い出してしまった。
前世で斗和の夫であった”あの人”は、斗和自身の意思に反して強引に結婚を迫り、夫婦となった。しかし一年後には他の女に乗り換え、斗和を疎んじるようになった。そんな時、斗和はたまたま読んだ”鬼滅の刃”の登場人物、煉獄杏寿郎に惹かれた。明朗快活で仲間思いなところ、自分の命を懸けて人々を護る強きその姿。そんな杏寿郎のことを考えていると、つらい現実から逃れられた。
”あの人”は今度は斗和に離婚を迫った。斗和はせめて思い出にと煉獄杏寿郎の出てくる無限列車編の映画に誘ったが拒否され、一人で観に行った。
映画館で、夫であるはずの”あの人”が、可愛らしい女性と楽しそうに座っていた。
斗和は自分が酷く滑稽に思え、考える間もなく逃げるようにその場を去った。上映は始まっておらず、映画は全く観ていなかった。寒々とした家に辿り着き、本を胸に抱いているとようやく悲しみがこみ上げ、涙が溢れた。泣いていると、いつもの軽い胸の痛みが訪れた。
泣いているうちに、斗和は異変に気付いた。いつもの胸の痛みがどんどん強くなっていく。痛みは今までに無いくらい強く、心臓を潰されるような激烈なものとなった。痛みのために嘔吐し、冷や汗が流れ、呼吸さえできなくなった。そして気が遠くなり、それきり斗和の記憶は途絶えた。
(私はあの時死んで、生まれ変わったんだ)
斗和は全てを思い出した。
その日倫道が斗和の病室を訪れると、斗和の目が赤いことに気付いた。
斗和は泣いていた。
(前世のつらい記憶を……?物語では無限列車の後で思い出すはずだけど、やっぱりこれは避けられないのか。忘れたままの方が良かったんだけど)
倫道は察し、胸を痛めた。
「斗和さん、大丈夫?お腹空いたの?お饅頭取ってこようか?」
倫道はどうして良いか分からず、冗談めかして聞いた。
「ありがとう、大したことじゃないから。お饅頭は要らない」
「つらい時は美味しい物でも食べて忘れよう。お饅頭じゃなくて、もっと良い物もらって来ようか?それともチーズケーキ作ってこようか?」
倫道は何とか重い空気を変えようと、オロオロしながらも必死に笑いを誘った。
「大丈夫、それに私そんなに食いしん坊じゃないよ!」
斗和は目に涙を滲ませながらもそれに乗ってやり、泣きながら笑った。
「前世のこと、思い出しちゃった。あんまり良い死に方じゃなかったから……。でも大丈夫だよ」
斗和は気丈に答えたが、大丈夫でないのは明らかだった。
「斗和さん……」
斗和のつらさを分かっている倫道は、それ以上何も言えず黙り込んでしまった。
「蓬萊斗和さんはこちらか」
その時、部屋の外から低く落ち着いた男の声がした。
「はい、どうぞお入りください」
どこかで聞いた声だ。
だがすぐには思い出せず、斗和は取り敢えず返事をした。
「失礼する」
入って来たのは、日に焼けて浅黒い顔に髭を貯えた巨漢。倫道は入り口へ向き直り来訪者を確認した。ベッドにいる斗和からは、倫道の陰になって男の姿は丁度隠れ、誰なのか分からない。
(この人は!)
一目で歴戦の強者と分かる来訪者に、倫道は一瞬警戒したがすぐに正体に気付いた。
二メートル近い身長に、服の上からでも分かる筋骨隆々の体格、右眼に眼帯をした厳つい顔。既に五十歳を超えているが、鍛え抜かれた肉体は全く衰えを感じさせなかった。
「お、すまんなお二人さん。邪魔しちまったか?俺は出直して来よう」
隻眼の大男は斗和と倫道の何となく湿っぽい空気を察して出て行こうとした。
「西盛さん、大丈夫です!」
厳つい外見に似合わず繊細な気遣いのできるこの男だが、倫道が慌てて引き止めた。男が振り向く。
(えっ?西盛って)
これに反応して、斗和も男をまじまじと見た。
男も斗和の姿を確認しながらゆっくり歩み寄り、声をかけた。
「蓬萊斗和か?久しぶりだな」
斗和は懐かしいその声をようやく思い出し、驚きに目を見張った。
「えっ?ええっ!えええっっ!!師匠?西盛師匠……!」
斗和の育手、西盛胤篤(にしもりたねあつ)。直接会うのは八年ぶり、斗和が巣立った時以来であった。斗和が暇を持て余し、近況報告を兼ねて書いた手紙を読んで会いに来たのだった。
「は、はい、斗和です!師匠……!本当に……師匠だー!」
斗和はベッドから降りて西盛に抱き着いた。
「おいっ、子供じゃないんだ!昔みたいに抱き着くな!」
「えへへ、いいじゃないですか師匠!……本当にお久しぶりです!」
斗和はそう言いながら、入門した十二歳の時のようにわざと強く抱き着いた。
「お前、いい加減にしろって!」
西盛は、十分大人の女である斗和に抱き着かれて少し赤面し、慌てて斗和を引きはがした。
(やっぱりいい人だな、西盛さん。斗和さんも嬉しそう)
厳つい西盛が顔を赤らめ、斗和が子供の様に抱き着いている。倫道はそんな二人のやりとりを微笑ましく見ていた。
(感動の再会、いいもんだなあ。でも……ああ、だめだ、俺も目から鼻水が)
だが斗和の目に新たに浮かぶ涙を見てしまい、師弟の絆の強さにもらい泣きしそうになって目を背けた。
「あの、俺はこれで」
席を外そうとした倫道だったが、
「お前さん、斗和の友達か?悪いが少し付き合ってくれ。二人だとどうも湿っぽくなっていかんからな。だが俺のことをよく知ってるな」
そう言って西盛は笑った。
倫道は慌てて立ち上がり、自己紹介をした。
「水原倫道、階級・甲です。斗和さんから聞いてた通り、熊みたいなおっさ――」
「ゲホッ!ゲホンゲホン!!ゴホン!ゴッホン!!」
倫道が「熊みたいなおっさん」と口を滑らせそうになり、余計なことを言うなと斗和は倫道を横目で睨んだが、察した西盛は豪快に笑った。
倫道がもう一つ椅子を出して西盛に勧め、斗和はベッドに座り、久しぶりの師匠との再会にすっかり笑顔になっていた。
「俺は斗和の育手で西盛という。こいつは最初、俺のところへ岩の呼吸を習いに来たんだ。だが色々あって、”土の呼吸”を派生させて、今じゃ柱か。俺のことをクソおやじ!って呼んで、べそかいてた小娘が……立派になったな。俺も鼻が高い」
西盛は倫道に名乗り、斗和に向き直って笑いかけた。斗和は厳しかった師匠に面と向かって褒められ、「師匠はますますおっさんになりましたね」と照れ隠しの憎まれ口を利いている。
「そうだ師匠、今、巷ではこんな面が流行ってるのを知ってますか?上野や浅草じゃみんなこんな面をつけて」
斗和はベッドサイドの棚からひょっとこの面を出してきて、いたずらっぽい顔で西盛を騙しにかかる。
「あ、嘘ですよ」
「ちょっと倫道君、なんでばらすのよ!」
倫道が表情も変えず、斗和の行き当たりばったりの嘘を潰すと、斗和が怒って言い返す。
「お前らなかなか良い相方だな」
仲の良いその様子を見た西盛は面白がってニヤニヤ笑っている。斗和がそんな師匠に聞いた。
「でも師匠、いきなりどうしたんですか?よく蝶屋敷にいるって分かりましたね」
斗和の手紙には心臓の手術を受けたと書いてあり、西盛は心配して埼玉の山奥から見舞いに来たのだった。
「斗和、済まなかったな。心臓が悪いこと気付いてやれなくて。手術だって言うからよ、心配して来たんだ。それにしても心臓を手術なんて、とんでもないことをするヤツもいたもんだ。本当に大丈夫なのか?」
術者本人がいるとは知らず心配そうに言う西盛に、斗和は手術後既に半年以上経過して、治るのを待つだけだと答えた。
「様子見ながら鍛錬も始めてるんです。それに……命を預けるくらいには信用してましたから」
斗和はさらりと答えて笑った。
(ありがとう斗和さん!)
倫道は心の中でバンザイをしながら聞いていた。
「治ってもまた死ぬほど鍛えなくちゃいけないですけど」
おどけて見せる斗和に、西盛は感慨深げに語った。
「本当はお前に引退を勧めに来たんだ。少しでも迷ってるなら無理にでも辞めさせようと思っていたんだが、その必要も無いようだな。命を預けられるほど信頼する仲間や、お前のためを思ってくれる仲間。良い仲間ができたみたいじゃねえか。本当に成長したな、斗和。今度はお前がそいつらの支えになってやれ。元気で頑張れよ!」
「斗和をよろしく頼む」
西盛は倫道にも丁寧に頭を下げ、そう言って帰って行った。
師匠が自分を認めて一人前に扱い、暖かく励ましてくれた。
(前世なんかに囚われてる場合じゃない。私はここで、この世界で生きていくしかないんだから。頑張らないと!)
斗和の心に新たな情熱の火が点った。
その後も訓練は進み、訓練の強度を上げても心臓の不調が現れることはなく、斗和は晴れて退院が許可された。それと前後し、斗和は炭治郎たち主人公組が、と言うより玄弥が気になり、玄弥に接触するために最終選別を見に行くことにした。