蛇杖…医術の神アスクレピオスの持つ蛇が巻き付いた杖。医療のシンボルとしてしばしば用いられる
人物紹介
不死川実弥…傷が増える
胡蝶しのぶ…姉を亡くし、蝶屋敷の主人になって間もない
鬼殺隊において、戦闘の事後処理や、直接の戦闘行為以外の様々な雑務を請け負う部隊、“隠”。倫道が最終選別に通った後、手慣れた様子で救護活動をする見慣れない隠の隊員が所々で出没するようになった。
戦闘において発生する外傷の処置に関しては先輩隊員よりも詳しく、包帯の巻き方や静脈内への注射の仕方、骨折の処置から、心臓マッサージなどの一次的な心肺蘇生の基本を隠の先輩隊員にも指導したり、時には傷の縫合や切開などの専門的処置をしたりしていた。
「お前、名前は?」
先輩のある隊員が聞いた時に、
「みっ、水……たにです」
と言っており、その後も水谷で通していた。
誰もが恐れる、後の風柱・不死川実弥が怪我を負った際、普通の隠隊員ならおっかなびっくり、最優先で治療をするが、彼は
「貴方は後だな」
不死川の傷をちらりと診てそう言い、平然と後回しにしてより優先度の高い重傷者を治療したのだ。
(一番前面にいながらあの程度の傷で済むとは。さすがに柱になる人は違う)
この怪しい隠は他の隊員の処置をしながらも、不死川に感心することしきりであった。不死川の処置の際も、他の隠たちが震え上がるなか全く動じる様子もなかったが、不死川と例の隠の間で、妙なやりとりがなされていた。
「まぁた傷が増えちまうなァ」
「丁寧に縫いましたので、今回の傷はほとんど残りませんよ」
十数か所の傷を超速で縫合し、隠の隊員はそう告げていた。
「おい、傷跡残らねぇのかァ?」
「よく見ないと全く分からないくらい綺麗になりますね」
「本当に残らねえのかよォ」
「残らないって言ってるじゃないですか」
「本当に……全然残らねえのか?」
「残りませんよ、安心してください」
隠が苦笑してそう言うと不死川は少し考え込んだ。
「おい、ちょっと残るようにはできねえのか?」
「何言ってんだよあんた!」
隠は思わず大きな声を上げ、周囲の他の隠隊員は腰を抜かした。
(こいつどこかで見たような?)
縫合処置後、そう思った不死川は、
「どっかで会ってねぇか?」
と聞いたが、隠は初対面だとはぐらかしていた。この時の傷はほとんど痕も残らず治癒し、不死川はちょっとがっかりしていた。
正体について本人はバレていないつもりであったが、目立ってしまい不審に思われたこともある。
数年後、また違う現場でのこと。
頭部を強打して、救助後に意識レベルが低下した隊員の頭蓋骨に手回しドリルで穴を開け、血腫を吸い出す手術をしているところに、たまたま胡蝶しのぶが来た。
(あんな隠の隊員はいましたっけ?たしか蝶屋敷にはいなかったのでは?)
当の本人は、何やら太い釘の様なもので怪我人の頭蓋骨に穴を開けている。
「あなたは何をしていますか?」
しのぶはそう声をかけた。
「頭蓋骨に穴を開け、血腫を吸引して除去します。これをしませんと、脳が圧迫されて死にます」
その隠隊員はしのぶを見もせず、処置を続けながら答える。
(やはりこの隊員は見た事がありませんね。新たに配属された者かしら?それにこの技術は……?何にしても手際が良すぎる)
「お名前は?」
しのぶは気になり、さらに聞いてみた。
「ええと、みず……たにです」
隠は口ごもりながら答える。
「この方の処置はお任せします。私は他を見て来ますので」
知識も十分あると判断し、しのぶは取り敢えずこの隠に任せることにした。屋敷に帰ったら詳しい出自を聞いてみよう、そう思いながら他を見て回り、気になって戻ってみるともうその隠はいなかった。
(あの隊員は一体……。まあ、いずれ分かるでしょうけど)
以後しのぶはこの隠隊員の動向をさり気なく注視するようになった。
俺は階級・癸の正隊員となり、少しづつ任務をこなしていった。またそれと並行して、隠隊員に擬態して秘密裡に救護活動も継続して行っていた。
顔が隠れているのを良いことに、現場ではもう最初からいたような顔で医療班の活動に参加し、慣れて来るとだんだん大胆になり、手つきが怪しい隊員には指導も行い、原作に登場する後藤さんとも顔見知り(互いに目のあたりだけだが)になった。名前を聞かれたが、ぱっと思いついた水谷という名前を名乗っておいた。不死川さんが怪我をした時も、彼は1年足らずでもう甲まで階級が上がっており、周りから尊敬され、同時に怖がられていたが、その時はもっと処置を急ぐ者がいたのでやむなく後回しにした。
「俺は後で良いから他の隊員の治療を頼む」
みんなは驚いていたけどどう考えても不死川さんより重症度が高かったし、不死川さんもそう言っていたし仕方ない。縫った後、
「まぁた傷が増えちまうなァ」
と言っていたので、
「丁寧に縫いましたので、今回の傷はほとんど残りませんよ」
そう説明すると、
「残らねえのか?」
しつこく聞いてくるので、心配ありません、残りませんと答えた。すると、
「おい、ちょっと残るようにはできねえのか?」
無茶な要求をする不死川さん。わざと下手に縫えってことか?そんなことできる訳ないだろう。医者をバカにしてんのかアンタ。
「何言ってんだよあんた!」
俺は思わず言ってしまったが、聞き耳を立てていた他の隠隊員が飛びあがって驚いていた。
不死川さんは何だか残念そうにしていて、謎だ。
「どっかで会ってねぇか?」
不意にそう言われたので、
「いいえ、初めてお会いします」
とびびらずに答えておいた。処置中はなんか気が大きくなるんだよね。不死川さんにすらびびらないくらい。
でも、別の現場で急性硬膜外血腫の処置をしている時、
「もしもーし、あなたは何をしていますか?」
としのぶさんに聞かれた時は驚いた。だって全然気配がしなくて、いつの間にか背後を取られていたから。口から心臓がまろび出るところだった。医療活動をしている時には、全集中 “蛇杖の呼吸”を使っていて、他にあまり意識が回らなくなってしまうのだ。
「頭に血の塊ができているので、それを吸い出します。これをしませんと、脳が圧迫されて死にます」
正体が露見しないよう作り声で何とか答えたが、ヒヤヒヤした。血腫を吸引して閉創し、見つかる前にどさくさに紛れてさっさと逃げ、事なきを得たが。
大きな戦闘になると何処からともなく現れて、任務後はこのようにいつの間にかいなくなり、懇親会みたいな物にも何かと理由をつけて一切顔を出さないので、隠の同僚のみなさんには徐々に怪しまれつつあるような気もするが、俺の秘密の救護活動はその後もバレずに(多分)続いている。とにかくとても忙しく、情報収集のためマスカラスを連日飛ばしている。
「オマエハアタイガイナイト、何ニモデキネーナ!」
そう言いながらも頑張ってくれているので、俺は頭が上がらない。
俺はこの世界でも夢を見る。前世でも見た悪夢を。
命が流れ出すように血が流れる。濃厚な死の匂いが漂う。死が迫って来る。処置台に横たえられた体から、1秒ごとに命が零れ落ちて行く。脈も触れず、呼吸も止まりかけ、強心剤を打ちながら処置をする。仲間は何故かどこにもいない。独りでこの重症者を治療するのか。冷や汗が流れ、脚が震える。
どこだ。探せ。出血源は、どこだ。胸を開く、腹を開く。
――血の海――。
用意した輸血用の血液はとっくに使い果たし、循環を維持するには普通の点滴を入れるしかない。腹の中に圧迫用のタオルを入れながらそれでも血は止まらず、いくら吸引しても、血があふれてまるで追いつかない。出血源が特定できない。肝臓か、大血管か。立っているのもやっとだった。脚に力が入らず、今にも倒れてしまいそうだ。
自分の力が及ばない恐怖。死なせてしまう恐怖。俺に何ができる?焦りが冷静さを奪っていく。
初めは鮮紅色だった血液が黒ずんだ色になり、やがて水のように薄くなった。
開いた傷口から、手足の傷から、気管チューブから。至る所から血液が力無く流れ続けて、処置台の下に池のような血だまりを作っていた。
形を成さないが、血液も臓器の一つであり、酸素が生き渡らなければ死んでゆく。立ち上る強烈なアンモニアの匂い。それは死んだ血液の匂いだ。静寂の中、人工呼吸器の作動音と心静止を告げるモニターのアラームだけが響く。
――救えなかった。
いつもいつも、纏わりつく記憶。何度も見る悪夢。
俺はこの世界で、救うことができるのか。護ることができるのか。