鬼殺隊本部・産屋敷家の庭。
玉砂利を踏みしめ、禰豆子の箱を肩に担いだ不死川が現れた。
突然現れた、見るからに粗暴な男。その男が、大事な妹が入った箱をこれ見よがしに掲げている。何のために来たのか考えるまでも無い。鬼である禰豆子を殺すためだ。
「あ……ああっ!」
炭治郎の口から悲痛な声が漏れた。
「不死川さん。勝手なことをしないでください」
「不死川君!まだ何も決まっていないのよ!禰豆子さんを放して!」
会議を進行しているしのぶ、炭治郎たちを擁護するカナエが非難の声を上げ、冨岡も鋭い視線を向けた。
しのぶ、カナエ姉妹の咎めるような言い方にも一切頓着せず、不死川は凶暴な笑みを浮かべ、肩に担いだ禰豆子の箱を左手に持ち替えた。
「あの、不死川さん。すみませんがその箱をこちらへ返してくれませんか?」
炭治郎の隣にいた倫道が立ち上がり、不死川に遠慮がちに、愛想笑いで話しかける。
「鬼殺隊はなァ、鬼を見逃すほど甘くねえンだよ。返して欲しけりゃ力ずくで取り返してみなァ」
不死川は倫道にすぐ気付いた。
斗和と手合わせした時、一緒に稽古する隊士がいると聞いてどうしても気になり、呼び出して稽古を付けたあの隊士だ。その時は力を隠して臨むという舐めた真似を――しかも手を抜いていることを巧妙に隠して――したヤツだ。
「不死川君!止めて!」
不死川が抜刀した。カナエの悲鳴のような声が響く。
不死川が禰豆子を刺そうとする瞬間、倫道がダッシュし、刀を持った不死川の右腕をガッチリと押さえた。不死川と倫道は、腕だけでなく全身で押し合う力比べの体勢になった。
「止めるだけだなァ……テメェはよォ!」
「何の……話ですか……!」
「護るなんぞと……ぬかしやがる……!気に食わねェんだよ……!」
全力で押し合いながら、途切れ途切れに言葉を交わす不死川と倫道。不死川は刀を握りなおして右腕にさらに力を込め、倫道もさらなる力で対抗、その腕を押さえる。
「テメェには……同じかよ……この鬼も」
「だから……!何の話」
「つまらねえ……野郎だァ!」
不死川は倫道の腹に突き刺すような前蹴りを繰り出して自ら跳び離れ、押し合いの膠着状態から離脱した。新たな動きを警戒し、禰豆子を奪還する隙を伺う倫道。
しかし、不死川は禰豆子の箱を自ら放り投げた。
「禰豆子!」
箱は柱たちの前にいる炭治郎の近くに落ち、炭治郎は慌てて箱を後ろに庇い、不死川を睨む。
「不死川さん、ありがとうございます」
意図は分からなかったが、禰豆子を返してくれた不死川に頭を下げる倫道。
「鬼を護ってやるとはご立派だなァおい。テメェはそうやって護るだけなんだろ?斗和のこともよォ」
不死川が、倫道にだけ聞こえるようにボソッと呟いた。倫道は一瞬不死川を睨み、すぐに下を向いた。
誰にも同じように接する。密かに想いを寄せる人がいても、決して態度には出さない。惚れた女がいても想いも告げず、我慢してただ見ているだけ。不死川は倫道の想いが何となく分かった。だから余計にそんな煮え切らない倫道の態度を嗤ったのだ。倫道は下を向いたまま動きが止まり、足許の一点を見つめて表情を強張らせた。
(俺は登場人物みんなを救いたい。同じでなきゃいけない……いや、同じじゃないけど!)
自分の果たすべき使命のため、口にはしない、できない想いがある。
(倫道さん、どうしたんだろう?あの人と何か話して……急に匂いが変わった……!)
炭治郎は、不死川から無傷で禰豆子を取り返すことができて安堵していたが、倫道から何故か悲しみの匂いを感じて不思議に思った。倫道が感情の揺らぐ匂いをさせることはこれまで滅多になかった。
倫道はギリッと歯噛みし、固く拳を握った。
「あんたに何が分かるんだ?斗和さんと俺の……何が」
倫道は呟いた。必死に感情を押さえたその声には、不死川がゾクリとするほどの深い悲しみがあった。
「不死川さん。買ってやるよ、その喧嘩」
倫道が顔を上げ、不死川に鋭い視線を向けた。
普段の穏やかな雰囲気は無い。凍てつくほどの冷たい殺気が見る間に周囲に広がる。
「ようやくその気ンなりやがったなァ」
予想以上の倫道の反応に、不死川は再び凶暴な笑みを浮かべて臨戦態勢になった。
ガツッという鈍い衝撃とともに急に不死川の視界が揺れ、地面が目前に迫る。一瞬不死川の意識が飛び、倒れそうになったが危うく堪えた。
倫道から仕掛けてくるとは思わず、多少油断はしていた。だが倫道の動きが予想をはるかに超えていた。
日本拳法の技、”縦拳”。正拳突きのように拳を捻り込まず、ファイティングポーズに構えた状態のまま、拳を真っすぐに打ち出す。こうすることで拳は両腕のガードの間をすり抜け、さらにハンドスピードも格段に上がる。これが倫道のフットワークと合わさると、初見では不死川ですら躱すのが難しい”マッハパンチ”となる。不死川は目にも止まらぬ倫道のジャブを顎に食らい、脳を揺らされたために一瞬意識を飛ばしたのだ。
「テメェ……!」
不死川は血の混じった唾を吐き捨て、倫道を睨む。
素手による激しい戦闘、いや喧嘩が始まった。
(ふむ!不死川に一撃を入れるとは!素手とは言え、気迫のこもった良い立ち会いだ!あれは蓬萊と一緒に来ていた隊士だな!だが少々剣呑だな)
杏寿郎は二人の手合わせを興味深く見ていた。
(一撃を入れただけでなく、不死川を防戦に追い込んでいる!)
伊黒は目の前で見るその事実に驚きを隠せない。
(不死川が一般隊士ごときに後れを取るなどありえないが、この殺気は少々気になる)
伊黒は木から降りて様子を見守った。倫道から発する闘気が急速に膨れ上がり、柱たちは異常な気配に反応、何事かと二人を見た。ぼんやりしていた時透さえ二人の戦いを食い入るように見ていた。
互いの肉を打つ重い音が響き、地面を蹴る度にお庭の砂利が爆ぜる。不死川が圧倒すると思われた戦闘だが、むしろ倫道が押し込んでいる。息もつかせぬ連続技から、密着しての攻防を嫌って間合いを取る不死川。
「空破山!」
倫道が不死川を追いながらロングフックのように腕を振り回すと、真空の刃が幾筋も不死川を襲う。飛び出した真空刃はお庭の木々の一本を切断し、石灯籠を傷つけた。悲鳴嶼は、闘志というよりも怒りの感情を剥き出しにして技を繰り出す倫道を心配しており、
(おいおい、派手で結構だがさすがにしゃれになんねーだろ)
産屋敷家のお庭で強力な真空刃を躊躇無く使う倫道の戦い方に、宇髄は止めに入るタイミングを考え始めていた。
(この野郎、素手でカマイタチを撃ってきやがる!離れるのは得策じゃねえな。望み通りちけェ間合いでやり合うか!)
不死川はパンチの連打から圧をかけて前に出る。初めての手合わせの時と同じような展開だが、このショートレンジでの攻防こそ倫道の狙いだった。超接近戦は詠春拳の間合い、そして投げ技の間合いだ。
不死川が高速パンチの連打で一気に間合いを詰め、倫道が巧みに攻撃を誘いながら躱し、下がる。ついに不死川のパンチが倫道の顔面を捉えたが、それも次の攻撃を呼び込むための倫道の打った布石であった。倫道は強烈なパンチを食らいながらも、その軌道から目を離さなかった。
(引き付けて投げかよ?!同じ手が通用する訳ねえだろォ!)
以前の手合わせを思い出す不死川だが、倫道はパンチを打った不死川の右腕を捕らえ、心の内でニヤリと笑う。
(甘いよ不死川さん。同じ攻め手だと思うなよ)
以前立ち会った時は捕らえただけだったが、倫道は掌が上を向くように不死川の腕を捻り、自分の体を不死川にぶつけるように密着し、不死川の肘を支点に関節が逆方向に曲がるように投げを打った。並の相手ならこれだけで肘関節を完全に破壊されるが、不死川にはさすがに通用しない。一方、投げられる瞬間に攻撃を狙った不死川も、関節技のポイントを外して関節が破壊されるのを防ぐことしかできなかった。不死川は背中から叩きつけられないよう身を捻って着地、さらに腕が離れた瞬間に反撃を狙っていた。だが今回倫道の仕掛けた複合技は投げで終わりではなく、本命はこの後だった。
腕の関節を極めながら投げを打ち、投げ切って地面に叩きつける前、まだ空中にある相手の頭部に蹴りを叩き込んで止めを刺す技――陸奥圓明流・雷(いかずち)。だが倫道は最後の蹴りは打たなかった。
「!」
強力な攻撃の気配を察知し、不死川は全力で飛び離れた。
不死川は右肘を押さえ、倫道は鼻血を拭い、二人はそのまま大きく間合いを取って睨み合う。次にどちらかが仕掛けたら勝負が決まる。緊張感が一層高まっていく。
「お館様の御成りです」
お屋敷の中から声がして、鬼殺隊当主・産屋敷耀哉が現れた。それまでの殺伐とした空気はすぐに厳かなものに変わった。居並ぶ柱たちは一瞬の間に横一列に並び、片膝を突いて頭を垂れ、恭順の意を示した。
(少し熱くなり過ぎた……こんなことで怒ってるようじゃ、俺もまだまだ人間ができてないな)
倫道は気持ちをクールダウンし、柱たちに倣って列の後ろで同じ姿勢を取った。
「この竈門炭治郎なる鬼を連れた隊士について、ご説明いただきたく存じます」
不死川はキョトンとしている炭治郎の頭を押さえて平伏させ、耀哉に挨拶を述べた後付け加えた。
「君たちが何を言いたいか、分かっているよ」
聞く人に不思議な安らぎを与える耀哉の声が応じた。
鬼を殺す組織の一員でありながら、鬼を連れているなど許されることではなかった。ましてやそれが身内の者であるとすれば尚更だ。
「禰豆子の存在が受け入れられないのも無理は無い。鬼と化した大事な人を斬る、そうせざるを得なかった子供たちもいた。本当につらかっただろう……。炭治郎、そのことは分かってくれるかな?」
――「鬼が見ず知らずの他人なら殺すが、身内なら殺さないのか」――。
もしこのような非難を受けたら、鬼殺隊の存在意義が根本から揺らぐことになる。炭治郎が犯しているのはそれ程重大な隊律違反だ。
(俺は鬼殺隊を辞めさせられるのか……、いや、禰豆子共々殺されるのか!俺はどうなってもいい、禰豆子だけでも助けてもらえないだろうか)
決死の覚悟で炭治郎が抗弁しようとした時、だが、と耀哉は続けた。
「炭治郎と禰豆子のことは私が容認していた。そしてみなにも認めてもらいたいと思っている」
炭治郎がはっと顔を上げる。耀哉は鱗滝の手紙を代読させた。そこには、禰豆子がもし人を襲った場合、炭治郎の他に、鱗滝、冨岡、倫道も切腹して詫びると書いてあった。
「人を襲わないという保証はできないが、禰豆子が二年以上人を喰わずにいるという事実があり、禰豆子のために四人もの命が懸けられている。これを否定するためには、否定する側もそれ以上の物を差し出さなければならない」
それでも納得しない柱もいるが、耀哉は穏やかに言った。
そして耀哉は、炭治郎が無惨と遭遇し、無惨が炭治郎に追手を放っていることも明らかにした。大騒ぎになる柱たちに、耀哉はさらに付け加えた。
「禰豆子には鬼舞辻も予想しなかった変化が起きている可能性があり、鬼舞辻は禰豆子を手に入れようとしている。それにこれは私の直観だが、禰豆子は……、いや竈門兄妹は、鬼殺隊を勝利に導く鍵となる、そんな気がしているんだ」
柱たちは驚愕し、竈門兄妹を擁護するカナエ、しのぶすらもこれには驚いた。柱たちはみな、代々の産屋敷家当主の優れた直感と直観を知っている。その上耀哉は斗和たちに未来の事も聞いており、その思いは確信に近い。
「分かりません、お館様!」
不死川が叫ぶ。
「人間ならば生かしておいても良いが鬼はダメです!俺が証明しますよ。鬼というものの醜さを!」
不死川は禰豆子の箱を引っ掴み、耀哉らがいる部屋に飛び込んだ。
炭治郎が駆け寄ろうとするが、伊黒が炭治郎の背中に肘を落とし、全体重をかけて圧迫し、押さえ込んでいる。屋敷の中では不死川が自分で腕を切って血を流し、超稀血で禰豆子を誘い出そうとしている。倫道はどちらを止めるか迷っていたが、先に炭治郎を押さえている伊黒を引き剥がそうとした。
「出て来い鬼!お前の大好きな人間の血だァ!」
不死川は自分の血を箱の上にボタボタと垂らしているが、禰豆子は懸命に堪えてなかなか箱から出て来ない。
(血が欲しくなるようにしてやるぜ)
不死川は箱の上から禰豆子を刀で突き刺し、箱の中から禰豆子の悲鳴が響く。
(畜生、やりやがった!)
倫道は炭治郎を押さえている伊黒の左腕を掴んで力ずくで引き剥がし、禰豆子をさらに斬りつけようとする不死川を止めに、お屋敷の中に飛び込もうとした。炭治郎は縛られた縄を自分で引き千切り、縁側まで駆け寄って禰豆子の名を呼んだ。
「正体を表せェ!」
不死川が禰豆子の箱をもう一度刺そうとしたその時。
「さね……不死川さん!!」
耀哉たちがいる部屋の奥のふすまが勢い良く開き、斗和が現れた。斗和はこの後の柱合会議で柱への復帰が発表される予定であり、隣の間に控えてこの騒動を見ていたが、禰豆子が傷つけられるのを見て、思わず飛び出して来たのだった。
「もう刺さなくてもいいじゃありませんかっ!」
不死川は禰豆子を刺そうとしたが、刀を持った右腕を斗和に捕まえられて舌打ちし、立ち上がってきた禰豆子に血塗れの左腕を突き出した。斗和は禰豆子を保護してやりたかったが、物語の展開の都合上、禰豆子が不死川の超稀血を我慢する場面は不可欠であるため、じっと我慢して見守った。
斗和と倫道は、鬼滅の原作では禰豆子が耐え抜くのを知っている。だがここは二人が干渉して変わってしまった世界、斗和はそう思っており、倫道は野良着の隊士の世界ではこの場面が描かれていないため、どうなるか分からなかった。斗和と倫道は別々の不安を抱えながら固唾を飲んで見守った。
禰豆子は涎を垂らしながらも我慢を貫き、そっぽを向いた。腕をずっと絡ませていることに気付いて斗和と不死川は互いに一瞬顔を赤らめたが、斗和は思わず禰豆子に駆け寄って抱きしめた。
「ではこれで、禰豆子が人を襲わないことの証明ができたね」
耀哉は変わらず穏やかな声で全員に告げた。炭治郎と禰豆子の存在は、晴れて当主、並びに柱公認となった。カナエは笑顔を見せ、表情は変えなかったものの、しのぶも心中はホッとしていた。不死川は悔しそうな顔でそれを見ていたが、諦めたように他の柱たちの列に戻り、倫道も炭治郎の背中をポンと叩いて柱たちより一段後ろに移動して控えた。炭治郎と禰豆子はカナエ、しのぶの計らいで、蝶屋敷へと搬送されていった。
「では、柱合会議を始めよう。……斗和、倫道」
斗和と倫道は、柱たちから一段前に出て、改めて控えた。
「みなも知っているかもしれないが、斗和は心臓に病気を抱えていた。だが長期間の治療に耐え、こうして帰って来てくれた。基礎訓練からやり直して以前よりも強くなったと聞いている。本日から柱に復帰してもらいたいが、構わないかな?」
「はい!」
斗和は緊張しながらも笑顔で返事をした。
「倫道は今回の戦いで下弦ノ伍を倒している。それに柱に相応しい実力もある。柱への昇格、受けてくれるね?」
「はい。微力ではありますが、謹んでお受けいたします」
倫道も真面目な顔で返事をした。
「では、倫道には二人目の水柱を務めてもらうことにする。斗和の土柱再任と倫道の水柱就任の件、みな異存はないかな?」
「御意」
柱たちは一斉に頭を下げた。
耀哉の代になるまで、柱の定員はその漢字の画数と同じ九人であり、九人が埋まることは稀であった。だが当代、鬼殺隊はかつてないほどの戦力が揃っている。花柱の胡蝶カナエが復帰して柱は十人となっていたが、斗和の土柱復帰、倫道の二人目の水柱就任で柱はかつてない数、十二人となった。
実力のある者を相応しい任に就けるという耀哉の判断であり、鬼殺隊史上、柱の陣容は名実ともに最強となった。
ここで、予想外の事態が斗和を襲った。
「斗和、倫道。ここへ上がってみなに挨拶を」
耀哉がそう言って、縁側に上がって一人ずつ挨拶するよう促したのだ。
(ええっ、ど、どうしよう、何にも考えて無かった!)
斗和は十八歳で柱に就任した時も、他の柱たち全員の前での就任披露をしていない。就任のお披露目を全力で断り、後日報告のみとなった経緯があった。倫道は斗和の慌てた様子をチラリと見て、時間稼ぎのため自分が先に挨拶した。
「この度水柱を拝命しました水原倫道です。まだまだ力不足ですので皆様方の足を引っ張ることも多いかと存じますが、どうかご指導のほど、よろしくお願いいたします」
倫道は丁寧に頭を下げ、縁側からお庭に降りてさらに柱一人ひとりに頭を下げて回った。
「不死川とあそこまで渡りあうんだ、実力は認めてやる。だが先程の件、忘れるなよ。俺はお前を柱として完全に認めた訳じゃない」
伊黒は倫道を睨んだ。
「いえいえ、不死川さんが手心を加えてくださっただけですよ。俺の実力なんて大したことは。それと先程の件はすみません、改めてお詫びにうかが――」
「断る」
愛想笑いで必死に取り繕う倫道だったが、伊黒は言い終わるのを待たずに冷たく突き放し、そっぽを向いてしまった。倫道は仕方なく不死川の前へ移動した。
「不死川さん、先程は大変失礼いたしました。どうかよろしくお願いいたします」
倫道が何度も頭を下げて挨拶すると、
「これからは同じ柱、対等だ。そう畏まることはねェだろォ、気楽にしろよ」
不死川は全力でやり合って倫道の実力を認めたのか、殴りかからず普通に返していた。
「おう、そうか。んじゃあよろしく頼むわ、さねみん」
倫道は調子に乗り、急にでかい態度で接した。
「テメェは程度ってもンが分かってねえようだなァ、オイ」
顔中に血管を浮き上がらせた不死川にそう凄まれ、
「すみません、本当にすみません」
倫道は再びぺこぺこと頭を下げていた。
(何やってんのこの人は)
呆れて見ていたしのぶは、全身に傷を負った瀕死の怪我人が運ばれてきたため、治療のため途中退席して急いで蝶屋敷に戻って行った。
「斗和、みなに何か一言、挨拶を」
耀哉は斗和に挨拶を促した。
「ええと……、あの……」
斗和は他人から注目を浴びると極度に緊張してしまう。この時も頭が真っ白のまま、ぎこちない動作で縁側に上がったが、声も無く立ち尽くしてしまった。
(緊張して上手く喋れない斗和さんをフォローしなければ!そうだ、あの手だ!俺がカンペ―さんになってあげよう!)
倫道は動く。さり気なく宇髄の隣、柱たちの一番左端に移動し、懐から何やら取り出した。
「あ、あの、ほ、蓬萊、と、斗和です。こ、こうして挨拶するのは初めてで……」
やっとの思いでそれだけを絞り出した斗和だったが、もう続きが出てこない。倫道は他の柱に見えないように、大きめの紙の束に何ごとかを書き、それを頭上にかざして斗和に注目を促した。
『この度 再度土柱を拝命しました 蓬萊斗和です』
それは、現代で言う”カンペ”であった。
「!」
斗和は倫道の頭上にあるカンペに目を止め、緊張しながらも倫道に軽く頷いて見せた。
「こ、こ、この度は……、再度土柱を、は、拝命しました、ほ、蓬萊斗和です」
斗和は少し落ち着きを取り戻し、次の倫道のカンペを待った。
『これからもさらに強くなって 柱の名に恥じぬよう』
「これからも、さらに強くなって、柱の名に恥じぬよう」
順調に挨拶が進む。
『一層精進いたします そして』
「一層精進いたします!そして」
『無惨を倒した暁には』
「む、無惨を倒した暁には?って、ン?」
『不死川さんと夫婦になります』
「不死川さんとめお……ってちょっと何言わせるのよ!!」
柱たちはざわめき、倫道はさっさと紙をしまって明後日の方を向いて知らぬふりをしている。
「す、すみません……よろしく……お願いします……」
斗和は消え入るような声で挨拶を終わり、赤くなったり青くなったりしながら放心状態となった。
(まあ!告白だわっ!ここで愛の告白なんて!)
甘露寺は勝手に盛り上がり、
(蓬萊さん、意外と積極的なんですね)
カナエは感心し、
(へえ~あの芋娘が、あの不死川と)
宇髄は不死川にも感心していた。(※作者注 宇髄さんは斗和さんを”芋娘”と呼んでいます)
耀哉は心中密かに喜びながらも、斗和が恥ずかしさでブラックアウト寸前であるのを悟ってそれ以上は触れず、カナエに斗和の介抱をさせた。その後本格的に会議となり、幾つかの話し合いが行われ、散会となった。
柱合会議の後、斗和を手合わせに誘いたかった不死川だったがさすがにバツが悪く、宇髄に何か話しかけられても応じることなくさっさと帰ってしまった。他の柱たちも三々五々帰って行く。
(斗和さんに悪いことしちゃったな。ま、カナエさんたちが付いてるから大丈夫だろ。会議も終わったし帰ろっと)
倫道が産屋敷邸を出ると、背中に強烈な視線が突き刺さり、ゾッと寒気がした。
(何だ、どうしたんだ?ヤバい気配だ!俺の勘が全力で逃げろと言ってる!!)
異様な気配に総毛立ち、倫道は振り向きもせず逃走しようとしたが、背後から呼び止められた。
「り・ん・ど・う・くーん?」
倫道が恐る恐る振り返ると、仁王立ちの斗和がいた。
「ちょっとお話し良いかなァ?」
一見すると笑顔なのだが、良く見ると顔中に血管が怒張し、片側の頬はピクピクと痙攣し、歯を剥き出しながら、斗和は恐ろしい表情を浮かべていた。
「いやあああっ!!」
倫道は思わず悲鳴を上げて逃げ出した。
「待てっ!倫道!」
「いやだっ!殺される!」
二人の超高速追いかけっこは小一時間続いた。
その後捕まった倫道が土下座して謝り、運動して怒りのエネルギーをいくらか発散した斗和は仕方なく許し、カンペ事件は手打ちとなった。二人は途中までが同じ方向であったため、話しながら帰ったのだが、倫道には気になっていた事があり、道中でそのことを聞いた。
「斗和さん、禰豆子ちゃん助ける時、実弥さんって言いかけてなかった?」
「!……違うの、あれは」
「あーそうなんだー……。良いんだよ、みなまで言わなくても俺には分かる!不死川さんに思いが通じたんだね?」
「全部言ってるじゃないの!ま、まあ、その……」
(間違って下の名前で呼んだだけでそこまで分かるの?)
斗和は少し疑念を抱いたが、今回の事で耀哉と柱たちにも知られてしまい、いずれは知られることだと諦めた。時々見せる斗和の幸せそうな表情に、倫道も本心を出すことなく冗談めかして祝福した。
これ以上突っ込まれたくない斗和はあることを思い出し、話題を変えた。
「それより明日鍋しようよ。倫道君の柱就任祝い!みんなですき焼き食べたいって前に言ってたでしょ」
「えっ?本当に?!ありがとう!じゃあ俺、良い肉買っていくよ!」
「土の呼吸の三人と夏世(かよ)ちゃんで良いよね?明日の夕方に家に来て!佳成には来るように言っておくから」
二人は明日のすき焼きを楽しみに別れた。斗和は早速夏世のところに明日の事を知らせた。夏世は普段、近くにある藤の花の家紋の家から斗和の家に通っており、その知らせを見て喜んだ。
夏世も楽しみだった。
斗和と倫道の柱就任を祝うため、明日は朝から忙しくなる、そう思った。佳成も任務を終え、今日は帰って来ているはずだ。いつも張り合っている倫道が柱になったと聞けば、きっと素直に祝って一緒に喜ぶだろう。強くなりたい、いつもそう言っていた佳成は、それを励みに自分も頑張るに違いない。
よりよい未来に向かって気勢をあげる、そんな大げさなものではないが、ささやかでも暖かい時間を、久しぶりにまた過ごせる。三人は楽しみにしていた。
だが、その時間は訪れることはなかった。
翌日、夏世は朝から張り切って準備をしていた。昨晩には戻っているはずの佳成がまだ戻っていないのは少々気がかりではあったが、予定より早くなったり遅くなったりすることは珍しいことではない。
昼頃、隠の隊士が二人やって来て、対応に出た夏世に何事かを告げた。夏世は相手が何を言っているのか意味が理解できなかった。
隠が夏世に何かを手渡した。夏世は大きく目を見開いてそれを見つめ、わなわなと震え始めた。ようやく事態が飲み込めたのだ。
「……斗和ちゃん!!!」
悲鳴のような、尋常でない夏世の叫び声に、斗和が玄関の方に飛び出してきた。項垂れて立ち尽くす二名の隠と、何かを胸に抱いて泣き崩れる夏世。
知らせを聞いた斗和もしばし立ち尽くした。あまりのことに、すぐには涙すら出なかった。斗和は、激しく泣き続ける夏世の背中を呆然と見つめた。
夏世が抱いていたのは、血に染まり、折れた佳成の日輪刀の柄だった。
――館坂佳成(たてさかよしなり)、上弦ノ壱と交戦、死亡――。
佳成の戦死が伝えられた。周囲を捜索したが、遺体は見つからなかったとのことだった。
夏世はフラフラと出て行き、それきり斗和の家に戻って来ることは無かった。