8話 残酷
俺は平時、実家で自己鍛錬を続けていた。近くの雲取山でトレーニングをしていると、山に住んでいる炭焼きの一家の子供たちとも顔見知りになった。
立ち木の間を飛び回ったりくないを投げたりしていると、通りかかった子供たちの長男が小さい兄妹達に、見ちゃだめだよ、と言って目を隠したりしていた。
炭治郎君ひどいな、人を護るためにやっているというのに。
それでも実家に度々炭を配達してもらっているうちに、俺がそんなに危ない奴ではないと分かってもらえたようで仲良くなった。
倫道さんは麓の町のお屋敷の息子さんだった。俺より五つ年上のお兄さんで、俺が十三だから、十八歳。小さい時から顔見知りだけど、話すようになったのは2年くらい前からだ。すごく優しい感じで、連れて行った兄妹も懐いていた。
でも竹雄や禰豆子に空手みたいな事を教えるのは止めて欲しい。家に帰ってから真似して困るから。
それに、山の中で鍛錬をしている時は別人だった。突き蹴りで木を倒したり、手裏剣みたいなものを投げて木を粉々にしていた。倫道さんは芝居で武士や忍者の役をやる練習だと言っていたので、それ以上は聞かなかった。
年の瀬も近いある日、朝から続いた雪の中、炭治郎君が一人で炭を売りに来た。俺たちの家の者は、幼くして一家を支える感心な少年と思っていたので、少し早いお年玉を用意していたのだ。しかし翌朝、家の者がそれを渡し忘れたという。それに気付いた俺は届けに行く役を買って出、急いで装備を整えて雲取山に急行した。
今日だったか……あのイベントだ。間違いないだろう。
竈門家の悲劇はもう止められないが、とにかく行ってみるしかない。
雪の雲取山の登山道を駆け上って竈門家に着くと、そこは地獄絵図だった。
竹雄君、花子ちゃん。時々炭治郎君と一緒に家にも来てくれた子たちが、血塗れの死体になっていた。お母さん、茂君、まだ本当に幼い六太君まで。
必ず仇を討ちますから。
俺は手を合わせてそう誓い、炭治郎君を探した。もう姿が見えないが、山を下っているはずだ。辺りを見回していると、炭治郎君の物と思われる新しい足跡を発見した。足跡はいつもの緩やかな道でなく、急な最短経路の方だ。
義勇が来る前に事態を把握しなければならないと考え、急いで後を追う。
しばらく走ると炭治郎君の気配がして来た。もう少し走ると、禰豆子ちゃんを背負った炭治郎君を発見、大声で呼んだ。
「倫道さん……」
炭治郎君は立ち止まって振り返り、泣き出しそうな声で言った。
その時背負われた禰豆子ちゃんが暴れ出し、2人は木立の中へ転げ落ちてしまったので俺も後を追った。炭治郎君と2人で禰豆子ちゃんを探すと、数メートル先に立っていたが明らかに雰囲気が違う。
顔を上げた禰豆子ちゃんは、鬼になっていた。
人間が鬼になるところを、初めて見た。可愛らしかった表情は凄まじく歪んで血管が浮き上がり、歯を剥きだした口からは牙も生え、
「グルルルル……」
低い唸り声が漏れている。
「ああ……禰豆子……」
ふらふら近づく炭治郎君を手で制し、俺はゆっくり禰豆子ちゃんに近づく。
「炭治郎君、禰豆子ちゃんが鬼になったようだ。近づくな」
「倫道さん!でも……」
俺がさらに近づくと、
「ガアア!」
禰豆子ちゃんが襲い掛かって来た。
少女とは思えない物凄い力だが、まだ耐えられる程度だ。地面に押さえつけられながら観察すると、目の虹彩が紅くなり、瞳孔は猫の様に細い縦長になっている。変化したばかりだが、日常よく目にする鬼になっていた。ぐわっと、一段階パワーが増し、体が膨れ上がった。
「禰豆子!止めるんだ!」
炭治郎君が泣きながら禰豆子ちゃんの背後にしがみついて俺から引き剥がそうとする。
「がんばれ禰豆子!鬼になんかなるな!」
炭治郎君の涙の叫び。
「禰豆子ちゃん!目を醒ませ!」
胸を打たれ、俺も心に届くように叫ぶ。
急に力が緩んだ。俺から手を放した禰豆子ちゃんは、ふらふらと立ち上がった。鬼の気配が小さくなる。俺は起き上がり、炭治郎君は禰豆子ちゃんの顔を覗き込む。禰豆子ちゃんは目も牙もそのままだが、やや人間らしい表情に戻ってぽろぽろと涙を流していた。
これなら大丈夫かと思ったのだが。俺の聴覚が足音を確かに捉えた。
「危ない!」
一瞬早く俺は炭治郎君と禰豆子ちゃんを抱えて地面に伏せ、間一髪で斬撃を避けた。そしてその鋭い一撃の主を見る。義勇が来た。でも親友で弟弟子の俺が説明すれば大丈夫、なはずだったのだが。
「久しぶり――」
俺は平静を装って言いかけたが、
「何故庇う」
義勇は冷徹な声で俺の言葉を遮り、露骨な殺意をぶつけながら問いかける。いきなり刀で斬りかかるこの男は誰なのか、目的は何なのか。少なくとも友好的な存在ではなく、炭を買いに来たのではないことは炭治郎君にも分かっただろう。
斬るために来た。鬼を、妹を。
このまま説明だけで納得させられるほど甘くはないようだ。でも義勇、この子は違うんだよ。
「俺の……妹なんだ」
炭治郎君が前に出る。
「どうして鬼になったか分からないけど……誰も傷つけさせない!必ず治すから!だから!」
炭治郎君が必死で叫ぶ。
義勇は日輪刀を抜いたまま戦闘態勢を崩さない。禰豆子ちゃんは義勇に向かい唸っているが、俺や炭治郎君に危害を及ぼす様子は無い。
「倫道、お前は何をやっている。庇い立てするならお前も斬る。鬼を斬るための攻撃は隊律違反にはならん」
炭治郎君が俺の方をちらりと見る。
「大丈夫、安心して」
俺は炭治郎君を安心させるため笑いかける。
「義勇、この子は鬼になったが人間の理性を保っている。現に彼、炭治郎君や俺に対して攻撃しない」
一応弁明はしてみたが、納得しないか……。致し方ない、どうしてもやるというなら。
「隊員同士の戦闘はご法度だ。それに俺は今刀を持ってない。それでもやるなら――」
俺が言いかけた時、斬撃がきた。殺す気か!いや殺す気だね。
俺は本当に紙一重で、義勇の斬撃を必死に避け続けた。そう、彼は柱になっているのだった。柱に対して丸腰の俺と素人の炭治郎君。分が悪すぎる。原作の進行に必要だからという説明は出来ないし、どうしたものか。ここは賭けだが、一芝居打つか。
義勇は、訳が分からずにいら立つ。鬼にされた人間など過去何人も見て来た。人間に戻ることなどないはずだが、こいつらは何故こうも必死に庇うのか。ましてや倫道は鬼殺隊の一員だ。鬼になってしまった家族に殺されるなど、珍しくもないことは知っているはずだ。
炭治郎はどうしてよいか分からない。安心しろと言われても、倫道は刀を持った相手に素手で挑み、殺されそうになっている。ついに追い詰められて仰向けに倒され、刀を突き付けられている。自分たち兄妹のために命を張ってくれている。
炭治郎は義勇に突撃していた。義勇は一瞬にして態勢を入れ換え、炭治郎の攻撃を躱し、禰豆子を奪った。
「義勇、止めろ!」「妹を殺さないで!」
頸に日輪刀を突き付けているのを見て、倫道と炭治郎が同時に叫ぶ。
「もうこれ以上……俺から奪うのは止めてください……どうか……妹を殺さないでください……」
炭治郎は、泣きながら土下座し、義勇に懇願した。倫道を制しつつ禰豆子の頸にも日輪刀を突き付けたまま、義勇はさらにいら立つ。
「生殺与奪の権を、他人に握らせるな!奪うか奪われるかの時に主導権を握れない弱者が、妹を治すだと?笑止千万!」
そう言い放った。
「弱者には何の権利も選択肢も存在しない。弱者は強者に只ねじ伏せられるのみだ!俺もお前のことなど尊重しない。――妹は死んでもらう」
口ではそう言いながら、義勇は少し期待していた。
(怒れ。純粋な怒りこそが、お前を動かす原動力となる。脆弱な覚悟では、妹を守ることも、家族の仇を取ることもできはしない。お前の力を見せてみろ!)
義勇は禰豆子の肩口の辺りを日輪刀で斬った。炭治郎は堪らず、斧を拾って義勇に向かって行く。
義勇もたった一人の肉親である姉を鬼に殺されている。炭治郎の気持ちは痛いほどにわかっているが、一方では鬼殺隊の柱として、鬼を斬らねばならない責任感があった。
倫道は、何とか義勇に分かって欲しかった。この子たちは、違うのだと。このチャンスは逃せない。原作通り奇襲は失敗、炭治郎は、義勇の峰打ちで失神した。
「炭治郎!しっかりしろ!死ぬな!」
倫道は気絶した炭治郎のもとに駆け寄り、大袈裟に叫んで抱き起した。
(只の軽い峰打ちだが?)
倫道の不審な行動に、一瞬義勇の注意が向けられる。その隙に禰豆子が脱出、炭治郎と倫道の前に立ちはだかり、大きく腕を広げて2人を守ろうとした。
(この娘は鬼に変わったばかりで飢餓状態のはずだ。一刻も早く人の血肉を食らいたいだろうに、2人を守り俺を威嚇するか)
義勇は信じられない思いで3人を見た。
(こいつらは、違うのかもしれない)
義勇は禰豆子に近づき、手刀を頚部に一閃、簡単に気絶させた。
「この子は人間の心を保っている。普通の鬼とは違うと言っただろ?」
倫道が笑いかける。
(こいつ、それを分からせるためにわざと?)
義勇は呆れつつ感心し、禰豆子に竹で口枷を作った。
「この子は、禰豆子ちゃんは、強く人間であろうとしている。必ず人間に戻れる、俺はそう思えるんだ。それに炭治郎君もとても意志の強い子だ。見どころがある」
倫道は気絶している2人を見る。
「義勇、鱗滝さんに面倒を見てもらおう」
義勇はうなずき、鎹カラスに鱗滝へのメッセージを付け、放った。
「お前の言っていることは分かった。後は頼んで良いか?」
倫道がうなずくと、お前も息災にな、そう言って義勇は帰って行った。
俺が目を醒ますと、禰豆子も無事で、口に竹の枷が付けられていた。
「目が醒めた?」
倫道さんの声がした。
一体、何がどうなっているのか。体の痛みと禰豆子の変化。これは現実だ。家族が殺されたことも、禰豆子が鬼になったことも。
「現実を受けとめ切れないかもしれないが、聞いてくれ」
倫道さんは話し始めた。この世界には、人間を喰らう鬼がいる。それを狩り、人々を護るのが鬼殺隊。あの刀の男は、冨岡義勇。兄弟子だ、そう言った。ということは。
「俺たちもその一員なんだ。俺がやっていたのはそのための鍛錬」
だからあんな事を。
「禰豆子ちゃんを人間に戻し、家族の仇を討つ。それには鬼と戦う術を身に着ける必要がある。鬼殺の剣士になり、その方法を探す……。できるな?」
倫道さんは、見た事の無い厳しい表情だった。
家族は殺され、妹は鬼になった。どうして俺の家族がこんな目に合うんだ。どうして……。悲しくて、自分の無力さが情けなくて、涙が溢れてどうしようもなかった。少しの間、俺は思い切り泣いた。そして、決心がついた。
「俺を……鬼殺隊に入れてください!」
倫道さんはいつもの優しい顔になって、頭を撫でてくれた。
「君が踏み出すのは、とてつもなく厳しい道だ。生半可な覚悟では歩めない。でも君ならば必ずできる。俺はそう信じているよ」
そして、自分の握り飯を分けてくれた。
「ゆっくりで良い。動けるようになったら、狭霧山の鱗滝左近次という人を訪ねるんだ。手紙を書いておいたから、必ず君を導いてくれる。まずは鱗滝さんのもとで修行して正隊員を目指すんだ。それと、俺の実家にはいつでも寄ってくれ。家の者はみんな君を応援している。もちろん俺もだ。――強くなれよ、炭治郎君」
倫道さんはそう言って去って行った。
俺はその後、家族を埋葬した。
さっきまでの風は止んでいた。
こんなにも残酷な出来事があったと言うのに、雪は全てを覆い隠すようにしんしんと降り続いていた。
俺は悲しみを堪え、禰豆子の手を引いて歩きだす。
もう涙は出なかった。
その後炭治郎君は鱗滝さんに弟子入りし、幽霊ではなく生身の錆兎にも鍛えられて強くなっていった。俺も何度も顔を出して稽古をつけた。
あの悲劇から2年、炭治郎君が最終選別に通ったと連絡があった。
俺も狭霧山に駆けつけ、その夜はみんなでささやかなお祝いをした。今までの厳しい修行を思い出したのか、2年間眠っていた禰豆子ちゃんが無事に起き出して来たからなのか、炭治郎君はまた涙ぐんでいた。
今日だけはゆっくりと休んでいいんだよ。
とにかく、おめでとう炭治郎君!これが始まりだ。
ようこそ、鬼殺隊へ。
ようこそ、修羅の道へ。
原作スタートまで何とかたどり着きました。