ほのぼの鬼殺隊生活(完結)   作:愛しのえりまき

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館坂佳成(たてさかよしなり)…【野良着の隊士】オリジナルキャラ。斗和の継子であったが黒死牟により鬼にされ、上弦ノ伍・虎狼(ころう)として斗和の前に現れる


第二十八話 今日の日はさようなら~無限城編・後編~

 

 獪岳の攻撃によって虎狼は戦闘に引き込まれ、甲冑の声がさらに強くなった。

 

 この甲冑は、精神的、肉体的苦痛を取り除き、肉体の損傷を抑えるために脳が設定したリミッターをも簡単に外してしまう。生きるために戦うのではなく、戦うことのみを目的にした呪物。使用者の命など顧みることはない。例えば使用者が骨折しても、まるで整形外科の手術のように、鋼の刃が使用者を外側から固定、強制的に整復する。取り込まれた使用者は疲労や苦痛や恐怖を一切感じない狂戦士(バーサーカー)として命尽きるまで戦い続けることになる。

 

 この甲冑の闇に取り込まれそうになりながら、虎狼も必死に抗っていた。この甲冑の力に精神も肉体も委ね、狂戦士の状態となった虎狼に勝つのはこの三人でも不可能であったかもしれない。だが激しく戦闘を重ねるうちに虎狼の心の内に芽生えた小さな違和感は大きくなり、迷いながら戦う虎狼は甲冑の力を引き出せず、その動きは装着前よりも鈍くなっていく。

 

 水の呼吸 肆ノ型・打ち潮

 雷の呼吸 伍ノ型・熱界雷!

 

 倫道が波状攻撃を仕掛け、前後にピタリと重なるように獪岳が続く。

 

 土の呼吸 陸ノ型・粒子舞撫煙(りゅうしぶぶえん)!

 

 斗和は二人の背後から跳躍し、空中から高威力の連続攻撃を叩きつける。

 

(俺は以前にこの技を受けたことがある……。おかしな感覚だ。そして、何故この女は泣いていた?この涙も見たことがある)

虎狼は巨大な質量をもつ大剣を振り回して相殺しようとするが、受けきれず後退した。

 虎狼の精神の深淵にある、鬼になる前の記憶。それは失われたのではなく、封印されていただけだった。虎狼の精神の核までも闇に飲み込もうとした甲冑の意志が、却って人物の本質に近い記憶を呼び覚まし、解放するきっかけとなった。

 

 倫道と斗和が緻密に連携し、動きの鈍った虎狼を連撃で押し返している時だった。隙を見て飛び込んだ獪岳の胸元に、揺れる翡翠の勾玉があった。

 

(勾玉……御守り……)

 

そして倫道が虎狼の目の前にまで迫る。

 

(間合いに入られた!)

間合いの内に入った倫道に、虎狼は大剣で頸を護りつつすかさず拳打を繰り出すが、それは倫道の体をすり抜けた。倫道は大振りせず、飛び込んだ勢いで撫で斬るように刀を使い、すれ違いざまに虎狼の頸を斬りつけた。虎狼は柔軟な動きで威力を殺し、斬撃は深手とはならなかった。

 

(攻撃がすり抜ける!そしてこの緩急自在な動き……俺はこの技を見ている!思い出せない、何だこの感覚は!)

三人の連携攻撃は虎狼の頸に届きかけていた。斬られても瞬時に再生するが、虎狼の動きは目に見えて鈍っていた。

 

(このまま狂戦士にならないうちに討ち取れれば……!だが抗ってるのか?鬼となってもなお)

倫道は胸が痛むのを悟られないよう攻め続けるが、それは斗和も獪岳も同じだった。

 

 虎狼は違和感と頭痛を覚えながら戦っていたが、違和感は益々膨れ上がっていき、神経が焼け付くような頭痛はさらに激しく強くなる。

 

(こいつらを相手に動きを止めるのはまずい!)

虎狼は焦りを覚えるが、力を引き出せない甲冑は枷にしかならない。虎狼は遂に身動きもできなくなってしまった。

 

「ううっ……!」

虎狼は大剣を取り落とし、背中を丸めて頭を抱えた。

 

「待て!」

異変を悟った倫道が獪岳を手で制した。

 虎狼の頭の中で激しい記憶の奔流が巻き起こり、封印されていた人間時代の記憶が戻り始めた。人間から鬼へと変わり、その間に何があったか、何をしてきたかも、自分自身の記憶としてはっきり認識された。自分の武器を生み出し、黒死牟に稽古をつけてもらい、強くなった実感はあった。強くなりたい、その思いだけがあった。理由は分からない。ただ鍛錬している時間だけが救いであったかもしれない。だが鬼となってからの記憶はそれだけではなかった。

 

 蘇ったその記憶の数々は、耐え難い地獄の苦しみとなって虎狼を襲った。

 

「うわあああ!!!」

感情の昂ぶりそのままに虎狼は叫び声を上げ、荒く不規則な呼吸を繰り返した。

 

(俺はあの時鬼になった。それから……)

闇の力が押さえ込まれ、甲冑が消えた。ガシャッと音がして、頭部を覆っていたパーツの口の部分が上下に開き、収縮して下顎の部分に収納され、首輪のように残った。呆然とした表情を浮かべた虎狼の素面が露わになった。

 

「ああ……あああ……」

大きく眼を見開いてあらぬ方角を見つめ、半開きの口からは言葉にならない声が漏れた。虎狼は頭を掻きむしりながらふらふらと数歩その場から後退りした。

 

(俺は多くの人を……。鬼殺隊の仲間を……喰った)

 

 

「うっ!うう……。おええ!…うげえええ!げえええっ!」

黒い眼から涙を流す虎狼だったが、突然猛烈な吐き気に襲われた。虎狼は立っていられなくなり、蹲って喉に手を当てて嘔吐(えづ)き、臓腑を全て吐き出すかのように激しく嘔吐した。

 喰ったものを今さら吐き出せるはずもなかった。少量の胃液らしき物の他には何も出なかったが、虎狼は嘔吐し続けた。余りにも激しく嘔吐したために食道粘膜が裂け、出血した。嘔気(おうき=吐き気)が止まらず、食道粘膜の傷は塞がってもすぐにまた新たな傷ができて出血を繰り返し、虎狼は血を吐きながら悶え苦しみ、それでも嘔吐は止まらなかった。

 

「うわあああ!!あああ……!」

しばらく苦しんだ後、虎狼は叫び声を上げながら泣いた。

 

「師範……!」

顔を上げた虎狼は斗和を見上げた。大粒の涙を流すその眼には上弦の証が刻まれているが、吊り上がっていた目許は幾分か優しくなり、人間の時の顔に近づいていた。

 

「お前の名は?」

斗和が静かに問う。斗和の眼からも堪えていた涙が流れ落ちる。

 

「師範、倫道さん、獪岳……俺……」

虎狼は、やっとのことでそれだけ言うと子供のように泣きじゃくった。虎狼は――佳成は人間の記憶を完全に取り戻した。

 

 

 

 

 

「虎狼の……気配が……変わった……」

この戦場に向かっていた鬼が、ふと歩みを止めた。佳成が人間の記憶と心を取り戻したことに気付き、六つの眼をギラリと光らせて呟く。

「いつか私をも超え……あの方をお支えする存在にと期待したが……。やむを得ぬ」

鬼は口調に残念な気持ちと強い怒りを滲ませ、戦場へと歩を進めた。

 

 

 

 

 佳成は人間の心を取り戻した。本当の意味で佳成と再会できたというのに、斗和と倫道は重大な事実に気付き、新たな悲しみに胸を抉られる。

 人間化の薬は全て禰豆子と無惨に使ってしまった。製造法は記録してあるが、大変な苦労をしてやっと製造したあの薬を朝までに作るなど不可能だった。従って、佳成をすぐに人間に戻してやることはできない。それはつまり、無惨の討滅と同時に、無惨によって作られた鬼である佳成も消えることを意味する。

 

 しかし、鬼となった佳成を倒す必要が無くなったことは大きな前進だった。光明が見えて来た、そう思った矢先だった。

 

 倫道が飛び退き、佳成も斗和と獪岳を抱えて飛び退った。

突如、広間に残っている柱や格子戸が幾つも切り裂かれて崩れ落ち――その鬼は現れた。

 

「虎狼……貴様、何をしている。上弦にまで取り立てていただいた御恩……忘れたか……」

上弦ノ壱・黒死牟。上弦ノ伍・虎狼のもう一人の師とも言える者。そして佳成を鬼にした者だ。

 

(よりによってこのタイミングでこいつが!やっぱりそう上手くは行かねえか)

このまま三人とも無事で、あわよくば佳成も仲間に加え、他の上弦との闘いに加わろうと目論んだ倫道だったが、新たな難敵の出現に唇を噛む。

 

 月の呼吸 弐ノ型・珠華ノ弄月

 

 黒死牟は抜く手も見せぬ早業で三連撃を放った。斬撃の周囲に多くの三日月の刃が発生し、鋭いきらめきを放ちながら迫る。

 

(黒死牟様!)

佳成は大剣の一閃と自らの体で斬撃を受け止め、三人を護った。佳成が黒死牟に向ける視線には複雑な感情があった。

 佳成の素養に目をつけ、鬼へと変えたのは黒死牟だ。その意味では憎むべき相手とも言えるが、鬼になってから佳成を鍛え上げたのはその黒死牟であった。そこには師弟と言えるほどの関係があった。

 

「黒死牟様。俺の名は“虎狼”ではない。――俺は鬼殺隊士、館坂佳成(たてさかよしなり)!土柱・蓬萊斗和の継子だ!!」

佳成は真っすぐに黒死牟を睨む。

 

「下らぬ人間の感情を捨て切れぬとは……何たる惰弱……!鬼狩りどもと一緒に始末してやろう」

 

 斗和、倫道、獪岳に鬼化した佳成が加わり、上弦ノ壱・黒死牟との激しい戦いが始まった。

 

 

 

(この二人、今まで相手にしたどの剣士より強い。おそらくは当代の他の剣士とは飛び離れた実力者であろう……。油断ならぬ!加えて鬼の虎狼が寝返っている)

黒死牟は斗和と倫道を観察した。そして、継国縁壱がいない今、最強の敵と言って良いと警戒し、自ら鍛えた虎狼の実力も侮り難いと判断した。

 

(ならば、まずは浮いた駒から狩って頭数を減らす)

黒死牟は最も弱い箇所を攻め、それを護ろうとする動きを誘発して崩そうと狙いを定めた。

 

 

 

「獪岳!前掛かりになるな!連携だ!」

倫道は逸る獪岳を諫める。

 

「こいつには借りがあるんだ!佳成のことも!許せねえ!!」

獪岳が怒鳴る。

 

「何時ぞや……私から運良く逃げ果せた者か……。拾った命をわざわざ捨てに来るとは……愚かな」

黒死牟が蔑むように獪岳を見て言い放った。怒らせて攻撃を仕掛けさせ、“浮かせる”狙いだ。

 戦いの盤面において、浮いた駒から狩っていくのは常識だ。しかし斗和と倫道は、鬼の佳成も即座に戦力として組み込み、実力的には劣る獪岳も活かす、チームとして統率の取れた戦い方を完成させつつあった。

 

「こいつはあの時とは違う」

倫道が、一歩進み出て黒死牟を見据える。

 

「人間は、良い師や良い仲間に出会うことで学び、変わる。過去に囚われている貴方とは違うのですよ、伯父上」

倫道は獪岳をちらりと見ながら黒死牟に真っ向から言い返す。

 

 黒死牟は伯父上という言葉に一瞬怪訝そうに目を細める。

 

「継国縁壱の他にもう一人、黒い刀を使う者がいたこと。“日の呼吸”を継承した者がいたこと。お忘れなら思い出させて差し上げよう。――貴方の陰我、俺が断ち切る!」

 

 日の呼吸 円舞!

 

 倫道は日の呼吸を使い、攻撃を開始した。

 

 黒死牟ははっきりと思い出し、驚愕した。四百年前、赤い月の夜。年老いた縁壱と相対し、頸を斬られかけた。だが縁壱は戦いのさなかに自然死を迎えたため、討たれずに済んだ。その時付き添っていたのが、縁壱の息子と名乗る青年だった。憎しみの余り縁壱の亡骸を両断しようとしたが、付き添っていた青年が黒死牟の両腕を切断し、それを許さなかった。その技はまさに“日の呼吸”。討たれることを覚悟したが、縁壱に迫る実力と思われた青年は何故かそれ以上攻撃せず、「立ち去れ」そう言って黒死牟を見逃した。

 

(馬鹿な!あの男があの時と同じ年恰好で現れるなど……!生まれ変わりだとでも言うのか?)

黒死牟は両腕に未だ残るあの時の傷を思い出し、戦慄した。

 

(根絶やしにしたはずの日の呼吸が蘇り、鬼が鬼狩りに組する……。あってはならぬ事だ。いずれにせよ全身全霊を以てこの者たちを葬る!)

全力を解放する合図であるかのように、黒死牟の体から先程とは比べものにならない重圧が発せられ、得物“虚哭神去(きょこくかむさり)”が本来の巨大な姿となった。

 

(黒死牟様を倒すには、この力を使うしかない!)

佳成は密かに決意し、血に飢えた古の甲冑の力を呼び起こそうとした。

 

「いかん佳成!!その力を使うな!今度こそ冥府魔道に堕ちるぞ!」

倫道は気配を察知し、即座に佳成を止めた。

 

「佳成!絶対に動くなよ!」

 

 水の呼吸 伍ノ型・干天の慈雨 浄

 

 倫道は佳成の顔面には傷一つ付けず、佳成の頭を覆いかけた甲冑の頭部を縦一文字に斬った。獣を模した頭部にピシリと切れ目が入り、真っ二つに割れて佳成の体内へと戻って行く。同時に、佳成は自分でも甲冑の声が封印される感覚が分かった。

 

「これで甲冑の力は封印した!一緒に戦おう、人間として!」

倫道は佳成に笑いかけ、

「ありがとう!倫道さん!」

佳成が爽やかに応じた。

 

 

 

「俺が前に出ます!隙を見て攻撃を!」

佳成が飛び出した。佳成は自身の鬼の特性を活かし、自らを盾にして突進を繰り返す。獪岳は爆薬を使ったトリッキーな動きで撹乱、倫道は日の呼吸を使い黒死牟に肉薄した。さらには斗和と佳成、二人の土の呼吸の連携は強力だった。

 

 日の呼吸 飛輪陽炎・影抜き!

 

 倫道は黒死牟の高速打ち下ろしを誘い、その軌道に飛び込む。影抜きとは、相手の斬撃をすり抜けるように躱し、こちらの斬撃を当てる技。相手の斬撃を刀で受けると見せかけて受けずに引き戻し、体捌きだけで軸をずらして斬撃を躱し、引き戻した刀を再び振り下ろし攻撃を通すのだ。要は高度なフェイントなのだが、相手は“斬撃をすり抜けて斬られた”と錯覚を起こす。倫道は飛輪陽炎の幻惑効果でこの技を強化し、黒死牟の頸に刃を届かせた。

 

 

(虎狼。せめて無惨様のお役に立てるようにしてやろう)

戦闘が熾烈を極める中、黒死牟はある機会を狙っていた。

 

 月の呼吸 拾陸ノ型・月虹 片割れ月

 

 獪岳を狙って斬撃の雨が降り注ぎ、佳成が直ぐさま獪岳を護る動きをする。黒死牟はこれを予見していた。むしろ佳成がそうするように仕向けたと言って良い。

 

 月の呼吸 捌ノ型・月龍輪尾

 

 黒死牟は矢継ぎ早に技を放つ。繰り出された斬撃が弧を描き、渦を巻くように大量に発生した三日月の刃が、助けようとした斗和と倫道の行く手を阻み、獪岳と佳成が孤立した。

 

「佳成!」

斗和の悲鳴のような声が響いた。黒死牟は獪岳を庇っていた佳成の四肢を切断し、再生するより早く佳成の頸をヘッドロックのように極めて佳成を吸収した。佳成も抵抗を試みたが、四肢を切断されてから一瞬のうちに、佳成の体の大半が吸収されていた。

 

「てめえ!!」

気付いた獪岳が黒死牟に斬りかかろうとするが、黒死牟がさらに技を放った。

 

 月の呼吸 伍ノ型・月魄災渦

 

 刀の振り無しで多数の三日月の刃が繰り出された。

(しまった、脚を!)

獪岳を抱えて退避した斗和だったが、獪岳を庇ったため左脚に深い傷を負った。

 

「せめてお前の肉体を吸収し、あの御方をお守りする私の糧としてやろう。……案ずるな、人間の魂は完全に消してやる。やがて苦痛は感じなくなる」

「ぐわああ……」

佳成は苦痛の呻き声を上げるが、その身体は見る間に吸収されていく。

 

「佳成!」

獪岳がまた斬りかかろうとして倫道に止められた。

「逃げろ……!逃げ……て……!」

吸収されながら三人に叫び、佳成は見えなくなった。佳成を吸収した黒死牟からは今までよりさらに強力な闘気が発せられた。

 

(黒死牟の剣技に佳成の剛力……本格的にまずいぜ。無惨とやり合わなくちゃいけないのに、その前にこんな化け物が出て来やがる!)

倫道の背中に冷たい汗が流れた。

 黒死牟は一回り体が大きくなり、虚哭神去を右手に、佳成が持っていた大剣を左手に持ち、巨大な二つの剣を軽々と振り回して構える。六つの眼からは見る者を射すくめる鋭い眼光、武人としての圧倒的な威圧感が放たれた。獪岳は初めて遭遇した時の恐怖と絶望感を蘇らせ、斗和と倫道ですら怖気を震うほどだった。

 

 

 

 

 佳成は暗闇の中で意識を取り戻した。

 

(俺はまだ死んでない!消えてない!俺はまだ……役に立てる……!)

佳成は黒死牟の体内、精神の中に閉じ込められていただけで、感覚も共有していた。外界の音も聞こえるし、景色も見えていた。自分にできることを探っていた佳成は一つの結論に達した。

 

 

 佳成は黒死牟の視界を通して感慨深く三人の戦う姿を見た。さらに強化されてしまった黒死牟に一度は気後れしたが、見事な連携で再び激しく戦っている。

 

(大丈夫、あの三人なら必ずやってくれる!頼むぞ。一世一代、俺の最後の大働きだ)

黒死牟の意識は、現在ほぼ全てが斗和、倫道、獪岳との戦闘に向けられている。まさか吸収した者の意識がまだ残っており、しぶとく逆転を狙っているとなどとは思いもよらないであろう。意識だけになった佳成はふっと笑った。作戦を実行する決意を固めた佳成には、もう迷いも恐れも無く、清々しい気持ちだった。ただ機会を見誤らないようにくれぐれも慎重に臨む必要があると、佳成は気を引き締めた。

 機会は一度だけ、許された時間は短い。だが、斗和、倫道、獪岳ならば必ずこの好機を活かしてくれると佳成は信じていた。

 佳成は黒死牟の意識の奥深くにもう一度潜み、その時を待った。

 

 

 

 月の呼吸 拾肆ノ型・凶変 天満繊月 

 

 強化された鋭い斬撃と滝のように降り注ぐ三日月の刃が広範囲に押し寄せる。

 

 土の呼吸 捌ノ型・土嚢城壁(どのうじょうへき)!

 

 斗和と倫道は懸命に防御壁を同時に展開、何とか防ぎきる。

 

「二人とも先に行け!ここは俺が!」

倫道が前に出て斗和たちに宣言したが、

「バカたれ!!」

背後から怒声を浴びせられ、倫道は驚いて振り向いた。

 

「佳成を大事に思ってるのは倫道君だけじゃない!悔しいのも悲しいのもみんな同じだよ!自分だけだって思うな!!」

斗和が、憤怒の表情で倫道を睨んでいた。

 

「俺もやるぜ。あいつがいなけりゃ今頃、俺はどうなってたか」

獪岳も懸命に食らいつきながら言った。この極限状態での命のやり取りで、獪岳は爆発的に戦闘力を成長させていた。          

 

「そうだったな!俺たちみんなで佳成を救ってやろう!」

倫道がそう呼びかけ、一斉攻撃を仕掛けようとした。

 

(やはり同時に向かって来るか。これでこちらも三者同時に仕留められる)

同時に向かって来たとしても、三人まとめて両断して終わりだ、そう思った黒死牟だが、突如異変が起こった。

 

 呼吸の間もないほど次々と攻撃を繰り出し、三人を追い込んでいた黒死牟は右手に持っていた虚哭神去を取り落とし、見えない何かに拘束されているかのように急に動きを止めた。

 

「貴様!……まだ意識を残して……!邪魔を……するな!」

だが異変はそれだけではなかった。虎狼の大剣を握ったまま左腕が徐々に上り、ついに自らの頸に大剣を押し当てた。左腕の動きはそこで止まらず、大剣はじわりじわりと頸に食い込み、頸からは血が噴き出した。

 

(体が……動かぬ!虎狼、貴様!)

佳成の意志が体の自由を奪い、大剣を押し込む左手に力を込め、さらに自分の頸に刃を食い込ませる。

 

「貴様ァアアア!消えろ!!」

黒死牟の意志は必死の叫び声を上げてそれに抗い、大剣を持った左手を右手で押し止めようとしていた。同じ体の中で、黒死牟の意志と佳成の意志が激しくせめぎ合う。

 

(あれは……まさか佳成の残留思念が?!自分で自分の頸を斬ろうとしてるのか)

斗和と倫道は状況を察する。

 

「早く頸を!俺が消える前に!……早く!!」

黒死牟が佳成の声で叫んだ。その声に、獪岳にも事態が飲み込めた。取り込まれた佳成の意志が、精一杯の力で黒死牟の体を一時的に支配しているのだ。体の自由を奪うだけでなく、左手に持った大剣で自らの頸を斬ろうとしている。虎狼の大剣はもともと佳成の日輪刀と鬼の細胞を融合させた物だ。頸を斬れば鬼は死ぬ。

 ――二人ともに。

 

 

「早く……!もう……もたない!斬ってくれ!……頼む!!」

「ぐぅアアア!ぬァアアアア!!」

体の中での激しい争いを表すように、佳成が叫び、すぐ後に黒死牟の怒号が響いた。大剣を持つ左腕は徐々に右手に押し返されており、頸の傷が見る間に塞がってきていた。

 

(……できない……できないよ)

斗和は特殊日輪刀を構えていたが、それを下ろしてしまった。

 

(上手く斬れば、佳成を助けられるんじゃないか?何とか黒死牟だけを斬れないのか?!……無理だ、体は完全に吸収されてる、斬ったら佳成も……。でもこのままじゃ佳成が作った最後のチャンスが!ああ……決断できない……!)

倫道もギリギリと歯噛みする。

 

 三人とも分かっていた。今しかない。これ以上の大きなチャンスはおそらくこれからも訪れない。時間が経過するほど人間は疲弊し、傷が増え、勝ち目が薄くなっていくのだ。

 今、頸を斬れば黒死牟を倒せる。だが同化した佳成も死ぬ。

 他の誰かではなく、自分たちの手で佳成を討ち、この地獄から解放してやりたかった。それは生半可な覚悟ではなかったはずなのだが、その思いの一方、殺したくない思いで全員の動きが止まる。しかしその間にも佳成の精神の吸収も進んでいき、意志の力が弱まっていく。黒死牟の意識は左手を押し返し、食い込んでいた大剣は完全に頸から外れ、左手から滑り落ちた。一気に畳みかけようと、黒死牟の右手が虚哭神去を拾い上げようとした。

 だがその時、押し戻された左手がもう一度動き、右手をガッチリと掴んでそれを許さなかった。

 

「貴様……っ!どこまでも邪魔を!」

黒死牟は凄まじく顔を歪め、左手を振りほどこうと躍起になってている。

 

(佳成!分かった、お前の意志は無駄にはしない)

佳成の凄まじい執念が、倫道の覚悟を促した。倫道は刀を握りしめて何度か荒い息を吐いた。強く握るあまりに、刀の柄がギチギチと音を立てる。

 

 

(落ち着け!心を平静に、穏やかに……あの技を使うには、心を静めなければ)

倫道の覚悟はもう揺るがなかった。倫道は嗚咽を堪え、乱れた呼吸をやっとのことで整えた。口からはヒュゥゥゥ、と呼吸音が漏れ、黒死牟の頸へと狙いを定めた。

 

 

 水の呼吸 伍ノ型・干天の……慈雨…………

 

 

 

 

 

 

(佳成。俺、できるようになったんだぜ)

獪岳は左脚を一歩引いた前傾姿勢を取り、居合スタイルになった。

 

(先生に頭下げて、もう一度教わりに行ったんだ。今までのこと洗いざらい白状して、もう一度修行させてくださいって。そしたら、弟子を導くのは当然、って言ってくれて……。拍子抜けするぐらい普通に接してくれた。相変わらず厳しかったけどよ。善逸の野郎も「まだできないの」ってバカにしやがったけど、コツを教えてくれて、稽古に付き合ってくれたよ。苦しかったけど、頑張ったら俺にもできたんだ。佳成、お前に見て欲しかった。褒めて欲しかった。雷の呼吸、全ての基本であるこの技。お前に……使うことになるなんてな)

 

 シイィィィ……。

 

 獪岳の口からは蒸気のような呼吸音が漏れ、獪岳の身体の周囲にパチパチと青い火花が散る。気迫が満ち、閉じられた眼からは涙の雫が溢れた。

 

(見ててくれよ!これが俺流の壱ノ型だ!)

獪岳はカッと眼を見開き、滲んだ視界に目標を見定めた。

 

 雷の呼吸 壱ノ型・霹靂一閃 雷吼!

 

 

 

 

 二つの斬撃が黒死牟に迫った。

 

 

 

 

(どうすれば良い?……師匠、西盛師匠!私、どうすれば)

斗和は心の中で、師である西盛胤篤(にしもりたねあつ)に問いかける。

 

(蓬萊斗和。お前は何だ?お前は鬼狩り、しかも柱だろう?だったらやることは一つしかねえ。それに弟子の不始末は師匠の責任だ。そこまで面倒見ねえで、弟子なんぞ取るんじゃねえ)

心の中の師、西盛胤篤の隻眼が、心の底までも見透かすように斗和を見据える。念話が使える訳でも無く、師匠の声は斗和自身の声だ。

(分かってます……私は柱も、鬼狩りとしても失格です……。でも失格で良いから佳成を助けたい!)

 

 

 

「待って……ダメだよ……斬らないで!」

斗和がハッと顔を上げると、倫道と獪岳が黒死牟に突進していた。斗和の眼から、止め処なく涙が溢れた。蒼白く、血の気が引き始めた斗和が力を振り絞り、倫道と獪岳に呼びかける。しかし、思いを込めた二人の技は止まらなかった。

 

 

 

「ダメ――――!!!!」

斗和の絶叫が響いた。

 

 

 

 黒死牟の頸は切断され、宙を舞った。

 

 

 

 

 

「何故……何のために、私は……」

黒死牟は頸だけになり、何かをブツブツと呟いていた。

 

「巌勝殿。――伯父上」

倫道は黒死牟の頸に歩み寄り、声をかけた。

 

「お前は……?」

弱々しい声で黒死牟の意識が倫道に語りかけた。

 

「私は縁壱の養子、倫影。――おそらくは貴方と無惨を倒すため、再びこの時代に生を受けました」

倫道が穏やかに答える。

 

「そうか……お前たちのその技……見事……。本懐を……果たすが良かろう」

黒死牟・継国巌勝は静かに言った。

 

「巌勝殿。私の目を見るんだ」

巌勝は、双子の弟である縁壱に対し、骨まで灼けるような強烈な嫉妬心を抱いていた。しかしその縁壱の孤独な人生を、果たしてどれほど分かっていたのだろう?

 倫道は死に際の巌勝に邪眼を使い、様々な光景を見せた。

 

 幼少期、この世に自分は居ないものとして、息を潜めるようにひっそりと生活する縁壱の姿。出奔して束の間の自由な時間を得たが、愛おしい者、護りたかったささやかな幸せは容易く奪われた。

 巌勝が鬼になった後、優しかった兄がどうして鬼になってしまったのか、どうして何もしてやれなかったのか、後悔する縁壱の姿。

 

 場面が変わり、巌勝の“もしも”の世界。

弟の縁壱との違いは“差”ではないのだと気付き、無惨の誘惑に打ち克ち、縁壱とともに鬼殺隊を支えた世界。当時のお館様を殺し、鬼殺隊を裏切って鬼に寝返るという愚行を働かなかった世界。一度は捨てた妻子ともきちんと和解して復縁し、“黒死牟”にならない世界だった。

 

(そうであったか……詳しく語らなかったが縁壱は……私をそのように思い、そのように生きてきたのか……)

黒死牟は多くのわだかまりが解けていくような不思議な感覚に襲われたが、決して不快ではなかった。

「このような贈り物があるとはな……。私からの礼だ……最期の別れを」

黒死牟が穏やかに微笑むと、その顔が変わっていった。斗和と獪岳も頸の傍にやって来た。

 

 

「すみません師範……強くなりたいって思ったら、こんな風になっちゃって……。俺、役に立てましたか?」

少しづつ消えようとしていた頸が佳成の顔になり、涙を流して斗和たちに微笑みかけた。

 

「佳成、ありがとう。佳成がいなかったら倒せなかったよ」

斗和が蒼白になった顔で微笑みかけた。

 

「そうですか、良かっ……た……」

佳成の頸がさらに灰になる。

 

(お前は護りたくて、強くなりたくて、鬼に……。そうだったのか、済まなかった)

倫道は聞きながら、心の中で詫びていた。

 

「佳成、俺の目を見ろ」

倫道は佳成に邪眼を使い、渾身の力で幸せな幻を見せた。

 

 戦いが終わり、斗和と不死川、倫道も獪岳も祝福する中、夏世と幸せな祝言を挙げる。やがて子供が生まれ、共に歳を重ねていく穏やかで幸せな人生。

「ありがとう……倫……」

佳成は声を絞り出し、穏やかな表情で礼を言いながら消えていった。

 

「良い夢……見られたか?」

倫道は消えた佳成の残骸に言葉をかけた。

 

 倫道の後ろで、獪岳がガックリと肩を落とし、声を殺して泣いていた。

「俺たちの手で佳成を解放してやれたんだ。良かったじゃないか」

倫道は背中越しに獪岳に声をかけた。つらい気持ちを隠し、務めて明るい声で話しかける倫道に獪岳が食ってかかった。

 

「良いわけねえだろう!アンタ鬼を殺すしか興味がねえのかよ!おい!」

獪岳は激昂し、倫道の肩を掴んで乱暴に振り向かせた。だが、無理矢理に作った倫道の笑顔に何も言えなくなり、獪岳の憤りは行き場を失ってしまった。倫道の笑顔はあまりに透き通っていて、そのまま空に溶けて消えてしまう、そんな錯覚を起こすほどだった。

 

「獪岳、まだ戦いは終わりじゃない。お前は先に行け。俺は斗和さんの治療をしてから行く。大丈夫、軽傷だから心配するな」

斗和は獪岳を庇って負傷した。倫道は獪岳を気遣って嘘をつき、獪岳を先に行かせた。

 

 佳成が吸収され始めた時、ノーモーションで放たれた三日月の刃。斗和は、激昂して不用意に斬りかかった獪岳を庇って退避したが、脚を深く斬られており、出血が止まっていなかった。戦闘中はアドレナリンが大量に分泌されていたため何とか気持ちを保っていられたが、今は痛みと出血で失神していた。

 

 斗和の方へと駆け出そうとした時、倫道の右手が一瞬実体を失い、支えを失った刀が落ちた。実体を失った右手はゆらゆらと淡く光って揺らぎ、また元に戻った。倫道は大きく目を見開き、自分の右手を見つめた。

 

(そうか、急がないともう時間が……。実体を保っているうちに斗和さんを助けないと)

店じまいを悟った倫道は、怪我をしている斗和のところに駆け寄ろうとした。

 

 その時、立っていられない程の振動が起きた。大広間全体が激しく揺れ、天井も一部が崩落し、残っていた柱が倒れかかってきた。

 

 無限城の崩壊が始まったのだった。

 

「斗和さん!」

天井が崩落し、瓦礫が斗和を覆っていた。倫道は必死に瓦礫を掘り起こそうとするが激しい揺れはまだ続き、斗和の上に瓦礫が落ちないように体でカバーするしかなかった。

 周りが静かになり、倫道は状況を確認する。戦闘で左大腿部を深く斬られ、大血管の損傷とそれに伴う出血があり、多量の瓦礫が直撃したことで斗和は腹部からも出血していた。

倫道は自分の上に落ちた瓦礫を吹き飛ばすように抜け出た。

 

「斗和さん!大丈夫か?!」

斗和の周りの瓦礫を掘り起こしながら呼びかけるが、弱々しい呻き声がするだけだった。倫道は必死に瓦礫を取り除いた。

 無限城は崩壊し、瓦礫ごと地上に排出されていた。

 

 既に血の気を失った斗和の顔を、三日月が照らしていた。

 

「斗和さん……心臓も治ったのに……そんな……」

左大腿だけでなく腹部からも出血しているが、腹部は大きな瓦礫が直撃しており、体表面の外傷だけでなく腹腔内臓器の多くが損傷を受けていると容易に推測された。既に左脚からの出血も多く、最早開腹手術による止血も間に合わない状態だった。

 

「あはは……。仕方ないなぁ、今回が最後だよ?ホントに世話が焼けるんだから。命がいくつあっても足りないよ」

倫道はそう呟くと、先程までの泣き出しそうな表情を一変させ、何故かニッコリと笑った。絶望的な状況には全く不似合いな爽やかな笑顔だった。

 

 斗和は既に意識が無く、浅く速い呼吸を繰り返していたが、見る間に呼吸はさらに浅く心許なくなり、顎を軽くしゃくるような、死に瀕した呼吸――下顎呼吸に変わって来た。

 

「大丈夫、まだ助かる」

倫道は斗和の傍らに片膝を突いてしゃがみ込み、右手を取った。そして自分の両の手で斗和の手を包み込んでしっかりと握り、祈りを捧げるように自分の額に押し当てた。

 

 

 

 

 

 斗和は夢を見ていた。

今までの色々なシーンが頭の中を駆け巡り、鮮明に蘇る。その中には、思い出したくもない、前世での“あの人”のこともあった。転生し、これまでの色々な人々との触れ合いや、鬼との激しい戦いもあった。たくさんの思い出の中、何故か一番心に残ったのは夕日に照らされて斗和を見つめる少年の姿。

 

(これは誰?私、どこかで会ってる。どこだったかな)

水の中をフワフワと漂っているように、自分の体がどこにあるのか分からない。自分と世界との境界が曖昧になり、自分の体が溶けて無くなるような感覚だった。しかしそれはやがて治まり、斗和は目覚めた。一瞬、全身に、特に黒死牟に斬られた左大腿部と、無限城崩壊の際、瓦礫が直撃した腹部に激しい痛みを覚えたが、痛みはすぐに引いていった。

 

(私は生きてる?!無限城の崩壊に巻き込まれて……ここはどこ?戦いは今どうなってる?)

暗い夜空に三日月が浮かんでいるのがぼんやり見え、自分は地上に出て仰向けに寝ているのだと分かった。斗和の意識ははっきりとしてきて、それまでの状況も思い出した。

 気付くと誰かが自分の右手を握っていた。まるで女王陛下にかしずく家来のように片膝を突き、恭しく右手を取っている。斗和が目覚めたのを悟って、その人物が顔を上げた。

 

(あの男の子!?)

斗和のぼんやりとした視界に映ったのは、思い出の中のあの少年と思いきや、もう一度良く見るとそれは倫道だった。

 

「よかっ……た……」

倫道は斗和が無事に目覚めたのを確認して蒼白い顔で微笑み、安心したように呟いた。そして握っていた手を放すと、目を閉じてゆっくりと崩れ落ちた。

 

「倫道君?!しっかりして!!」

斗和は慌ててはね起きた。体はもうどこも痛まなかった。

 

(あの子が倫道君……?でも今はそんなことはどうでも良い!倫道君を助けないと!)

斗和は崩れた倫道を仰向けにし、状態を確認する。全身に怪我があるが、腹部と左大腿辺りが血に染まっており、明らかに重傷であった。斗和は倫道の状態を確認しながら、自分も怪我をしていたことを思い出し、ふと自分の左大腿部と腹部に手をやった。

 

(傷が無くなってる……?)

あるべき傷が無い。明らかに不自然であった。

何故自分は無傷なのか?更に、倫道の傷は自分と同じ箇所であることに気付き、斗和は愕然とした。

 

 倫道の能力、KIZ(キズ)。他人の傷を自分に移す能力だ。倫道は隠に擬態して医療活動を行ううち、最近になってこの異常な力に気付いた。思い起こすとその兆候はあった。カナエを珠世の診療所に運んだ時、あれ程の重傷であったにも関わらず、途中で死ななかったのは幸運だけではなかった。倫道が珠世の診療所までカナエを搬送する時、幾つかの傷は倫道に移り、出血を減らす事に役立っていた。だが自分が逃走や手術を行うのに影響が大きい傷は、無意識に移すことを避けていたのだった。

 

 

 

「倫道君!」

斗和はすぐに状況を悟った。どんな理屈なのかは分からないが、倫道は斗和の傷を自分に移したとしか考えられない。

 

「倫道君!しっかりして!すぐに隠の人呼ぶから!カナエさんとしのぶさんも呼ぶから!誰でもいいから早く来て!!令和!!お願いだから早く来てよ!令和!令和ぁぁぁ!」

斗和は狂ったようにカラスを呼ぶが、地中から抜け出る時に離れ離れになり、令和の姿は見えない。倫道の体は所々ぼんやりと光って揺らめき、次第に実体が少なくなっていた。

 

「倫道君!どうして?!」

「斗和さん……、もう……いい、誰も呼ぶな」

倫道が薄っすらと目を開ける。

 

「斗和さん、手を握ってくれ。消える前に……やることがある」

倫道は手を差し出した。斗和はその手を黙って握り返した。

 斗和の顔の真ん中、鼻から左の眼の下を通り、左耳の近くにまで走る横一文字の大きな傷。治っても肥厚性瘢痕となって少し盛り上がり、化粧でも隠せないほどだ。

手を繋いで数秒後、倫道の左頬に同じような傷が薄っすらと見え始めた。斗和は驚きで大きく眼を見開き、自分の左頬を撫でた。指先には、触れるはずの傷の盛り上がりが無い。斗和の傷跡は完全には消えていなかったが、かなり薄くなっていた。

 

「もう……力が出なくて……。全部取れなくてごめん……でも……半分こだ」

倫道の体は光りながら実体を失っていく。

 

「そんなことどうでも良いよ……だから死なないでよ……」

 

「斗和さん、後は……頼む。大丈夫、必ず勝てる……。生きて」

倫道の瞼が閉じられ、支えを失った頸が横を向いた。

 

「倫道君!!」

斗和は倫道を抱き起こそうとしたが、倫道の体は光る粒子となって空中にふわりと散っていき、斗和の腕は空を抱いた。

 

 斗和はしばし呆然と夜空を見上げた。

 

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