斗和は地面に跪いたまま、呆然と空を見上げた。遠くで剣戟や爆発の音が響いていたが、斗和には別の世界の出来事のように感じられた。
目の前で人が死ぬのは何度経験しても慣れることは無いが、今回はそれに輪をかけて精神的ダメージが大きかった。
上弦の鬼と化した佳成を倒し、良き理解者である倫道も死んでしまった。
佳成は斗和にとっては初めての弟子であり、大切な仲間であった。倫道は自分と同じく転生者であり、大きな秘密を共有し、この物語をハッピーエンドに導こうと共に頑張ってきた同志であった。しかも倫道は自分に命を与えるように死んでいき、跡形もなく消えてしまった。
(私も死んだらこうなるの?もともと存在しない人間だから、死体も残らないんだな。……それとも戦いが終わって役目を終えたらあんな風に消えてしまうのかな?)
知ってしまった自分の末路。だが斗和はどこか冷めた目で自分の運命を見つめていた。
「行かなきゃ。みんなが……待ってる」
傷は治ったが、肉体的、精神的疲労で全身が鉛のように重かった。斗和は虚ろな表情でフラフラと立ち上がったが、二、三歩歩いてまた膝を突いてしまった。
(倫道君、佳成……。私にできるかな?原作だと、死んでいった人も生き残った人も、みんな立派に戦ってた。でも、こんなに苦しくてつらいなんて!)
「斗和チャン!オ願イ、立ッテ!」
斗和の頭の上から声が降ってきた。柱である斗和のことをちゃん付けで呼ぶのは倫道の鎹カラス、マスカラスだけだ。斗和がはっと顔を上げると、瓦礫の上から二羽のカラスが斗和を見つめていた。瓦礫からやっと抜け出したのだろう、二羽は傷だらけであった。
「カアァァ!!蓬萊斗和ッ、土柱ッ!マダ終ワリジャナイ!!リンド―ノ分マデ戦エ!」
久しぶりに聞く令和の声。いつも静かな令和が、こんなに熱く呼び掛けるのは初めてだった。
(マスカラス!令和!良かった、二人とも生きてた!でも……ごめん、マスカラス……。倫道君は……)
どうやって知ったのかは分からない。あるいは戦いの前に、マスカラスにはこうなることを知らせていたのかもしれない。マスカラスは倫道の死を既に知っているようだった。
(そうだ、倫道君は“後を頼む”って言った。私に命を託したんだ)
斗和はマスカラスの悲しみを思う。そして改めて倫道と話し合ったことを思い出した。
(倫道君は言ってた。人々が理不尽に命を奪われないために、みんながほのぼのと平和に生きていけるようにって。今度は私が誰かを護る。命を繋ぐ!倫道君の分までやらなくちゃ!私は柱、そして世界を変える者!ここで止まる訳にはいかない!)
最終決戦はもう始まっているはずだ。仲間が命懸けで無惨と戦っているのにここで立ち止まっている時間は無かった。斗和は歯を食いしばり、悲しみを堪えて立ち上がった。令和とマスカラスが先導するように飛び出し、斗和は戦場へと全速力で走り出した。
(音が近い、もう少しだ!みんな、無事でいて!)
斗和は懸命に駆けた。剣戟の音や、宇髄と獪岳の使う爆薬のものであろう爆発音も近づいてくる。遂に戦闘が目視できる所まで来たその時。
『いかん!!』
空中から戦いを見下ろしていた何者かが無惨の全方位攻撃を察知し、動いた。
激しい戦闘が展開されていた。鬼殺隊側が攻勢に出ている、傍目にはそう見えなくもなかった。だが無惨にはまだまだ余裕があった。
ひと際大きな音がして、無惨に攻撃を行っていた隊士たち全員が突然吹っ飛ばされ、戦場に静寂が訪れた。
今までの攻撃よりもさらに速く、鋭く。無惨は伸縮する二本の腕刀、背中の九本の管、さらに両側の大腿部からの八本の管で全方位同時に薙ぎ払い攻撃を行った。
(受け身を取ったか。あの状況の中で)
無音となった戦場で、無惨は周囲を見回した。鬼狩りどもが残らず吹き飛び、周囲の建物の壁に叩きつけられている。多くの者が失神していたが、土埃の中の気配を探ると一人も死んでいないようだった。
鬼の首魁・鬼舞辻無惨。その姿は完全な異形となり、最早ヒトの体を成していない。体中に口が開き、両上肢は至る所に刃物が付いた鞭のように変形し、背中から出た九本の管が標的を見定めるようにゆらゆらと空中を漂っている。
(今、一瞬妙な気配がしたが……。それにしても、まだ生きているとは全くしぶとい蠅どもだ。面倒だが一匹ずつ潰していくより他にあるまい)
無惨は攻撃の瞬間に一瞬感じた気配を訝しく思ったが、それよりも攻撃が十分効果を発揮しなかったことにイラ立ちを滲ませ、手近な者から止めを刺そうと動き出した。
「鬼舞辻無惨!!」
ザザッと足音も荒く駆けつけた何者かが、無惨の背中に怒声を叩きつけた。
(また湧いてきたか、異常者め。鬱陶しいことこの上なし)
無惨がゆっくりと声の方へと向き直ると、そこには鍬(クワ)のような形の大ぶりな刀を手に、睨みつけてくる女剣士がいた。無惨は不快そうに僅かに顔をしかめ、歯を剥き出して激しい怒りを露わにする女剣士を睨み返した。
斗和は鬼の始祖・鬼舞辻無惨と初めて直に対面した。
(あの男は!)
鬼滅の原作漫画を読んでいたからではなく、斗和はこの男に見覚えがあった。日常的に、身近に接していた覚えがあった。
(これは因縁か)
嫌な記憶が蘇る。その時は瞳孔こそ縦長ではなかったが、その冷たく鋭い眼差しで見られるだけで斗和は体が萎縮し、息が詰まるような思いがしていた。
(こいつが全ての元凶、倒すべき敵!私にとっても因縁の相手……)
斗和は思いを馳せる。鬼に殺された人々や、愛する人を奪われた人々に。
鬼殺隊士として、斗和自身も嫌という程目にした光景が蘇る。目の前で貪り食われた隊士、無念の表情を浮かべたまま絶命した隊士。みんな大切な仲間だ。このような悲劇を生み出し続ける鬼というものに、それらを止められなかった自分自身への不甲斐なさに、改めて激烈な怒りが湧き、炎となって燃え盛る。
斗和はこの戦いの意味を改めて噛みしめる。無惨を倒して鬼殺隊を勝利に導き、前世からの自分自身の因縁にも決着を付けなければならない。
(こいつだけは絶対に許せない!)
土の呼吸 壱ノ型・土龍爪(どりゅうそう)!
舞い立つ土の粒子が竜となり、無惨に襲いかかる。斗和はたった一人で無惨に立ち向かった。
斗和は懸命に攻撃を続ける。一瞬でも間を置けば無惨の集中攻撃が押し寄せ、攻撃密度で簡単に押し切られてしまう。
斗和の高威力の攻撃が何発も無惨に決まる。しかし、無惨は我武者羅に攻撃を続ける斗和を嘲笑うように敢えてそれらを真正面から受け止める。
(大した威力だが何の意味もない)
斗和の攻撃で何本もの管が千切れ飛ぶが即座に再生され、再び斗和に襲い掛かる。斗和の攻撃は無惨本体には届かず、逆に無惨が一気に攻勢に転じた。
無惨の攻撃は多数の管と腕刀による斬撃、刺撃と、それらを鞭のように使っての打撃。それ自体は単純だが、どれもが超高速であり、それ故に威力も高く、人間には猛毒となる無惨の血が付加されている。そして両上肢の多数の口から息を吸い込み、近くにある物を引き寄せる“吸息”も厄介だ。防御したと思っても体ごと引き寄せられ、体勢を崩されて攻撃を食らってしまう。
現在戦っているのは斗和一人、当然無惨の攻撃が集中する。斗和は全身に傷を負いながらも、致命傷となる怪我は何とか避けていた。しかし十分に呼吸する間も無く全力で動き続けたため、わずか二、三分の間で疲労困憊となり急速に動きが鈍くなった。無惨は両側大腿部の管は温存して敢えて使わず、腕刀のスピードもやや抑え、それでも己の圧倒的優位なこの状況を戦闘の息抜きとして楽しみ、斗和を甚振(いたぶ)っていた。
(やはりお前たちに私を倒すことなどできまい。後からやって来た此奴も所詮はこの程度、誰も彼もあの男には遠く及ばないのだ。私を追い込んだのはあの化け物だけだ)
そろそろ切り上げて他の者も始末しようと、無惨は斗和に対して一斉攻撃を行った。斗和は特殊日輪刀を高速で振り回すことで防壁とし、無惨の攻撃を何とか凌いでいたが、何度目かの波状攻撃を防いだ時、バキン!と大きな異音が響き、斗和の刀は半ばから折れた。
これまで戦ってきた斗和の特殊日輪刀は、攻撃を全てを受け止めた代わりに、蓄積したダメージにより折れてしまった。斗和自身も衝撃を殺しきれず、数メートルも吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられて転がった。斗和は全身が痺れ、体が言うことを聞かない。疲労に加え、強く頭を打ったせいで目が霞み、近づいてくる無惨の姿はボンヤリと滲む。それでも斗和は折れた刀を片手で構え、もう一方の腕で必死に這い、間合いを取って体勢を立て直そうともがいていた。無惨はそんな斗和を冷徹に見下ろし、止めを刺すべく刃物となった腕を振り上げた。
(畜生、こんなところで!……でももう体が動かない……実弥さん、みんな、後は頼みます。倫道君、せっかく命を託してくれたのに本当にごめんなさい)
無惨の腕刀が斗和へと迫る。斗和は固く目を瞑った。
(今度は直接手を下すのか。まあ前世の死に方よりはましかな)
斗和の頭の中で、走馬灯のように今までの人生が巡る。今世だけでなく、前世の事までも思い起こされ、自分が死んだ場面までもが蘇る。
『……ら…るな……あき…めた…だめ……!』
斗和の頭の中に遠くから声がした。
『斗和さん!諦めるな!諦めたらそこで試合終了だよ!』
途切れ途切れだったその声は急速に輪郭を帯びてはっきりと形になり、斗和の頭の中に響いた。それは倫道の叫びだった。
(お前たちはもうじきに滅ぶ。私は太陽を克服して完全な不死身の体を手に入れる。そして新しい神となる)
無惨は斗和を見下ろす。地べたを這い、まともに動くことすらできない瀕死の人間がそこにいた。
(お前たちは地を這い回るだけの、まるで虫けらだ)
無惨は殺した人間の命に思いを巡らすことなどなかった。人間など食糧に過ぎず、殺されて当然の弱い存在だ。だが鬼狩り共は別だった。誰の恨み、彼の仇と馬鹿の一つ覚えのように同じセリフを吐き、執念深く自分の命を狙う目障りな異常者の集まり。中でも、目の前のこの女。
殺される間際というのに命乞いもせず、必死の形相で抗うことを止めないこの女は、何故か無性に腹立たしかった。
(私に従っていれば良い。大人しく消えろ)
無惨は腕刀を振り下ろした。目の前の女は血飛沫を上げて絶命する、はずであった。
ガッ!
腕刀が大きく地を抉ったがそこに斗和の姿は無く、無惨の一撃は斗和の命を奪うことはできなかった。
斗和は大きく跳び退き、無惨の一撃を躱した。
(何っ?!)
緩慢な動作で地を這っていた女が、この数瞬で体力を回復させたのかと無惨は目を疑った。
(珠世の鬼の術で隠れた者がまだいるのか?だがこの女以外の者が動いた気配は無かった。どういうことだ?)
立ち上がるどころか満足に動くこともできないはずの斗和が、十数メートルの距離を跳躍して無惨の攻撃圏外へと逃れた。
(体が勝手に動いた?)
斗和自身にも何が起こったのか分からなかったが、まるで何かに操られたような動きだった。
白く輝くもやのようなものが斗和の背中から抜け出した。同じく、吹っ飛ばされた隊士たちの体からも白いもやが抜け出した。もやは斗和の傍に集まって人の形となり、次の瞬間斗和の視界が完全に閉ざされた。
(ここはどこ?無惨に殺されそうになって、でも体が勝手に動いて)
疲労は極限に達し、全身傷だらけのはずであったが、斗和はいつの間にか自分の足で立っていた。
周囲を見回すと一面の暗闇で、戦場の音や匂いも感じられなかった。
背後から淡い光が現れ、親しい人の気配を感じて振り向くと、全身に白い光を纏った倫道が微笑んでいた。
「倫道君!じゃあ私も死……?」
斗和は自分の状況を推測した。
『大丈夫、斗和さんは死んでない。ここはあの世じゃないから安心して』
「倫道君はもう……?」
『うん、俺はこの世に未練があって、三日間の期限付きで一時的に帰って来ただけ。帰って来たヨッパライならぬ、帰って来たリンドーだね』
自分も死んでしまったのかと勘違いする斗和に、倫道は買い物のついでのような気楽さで語りかける。
「何それ」
死んでも冗談を言う倫道に、斗和も思わず笑った。だが倫道の輪郭が淡く、声は耳からでなく頭の中に入って来る。ここにいる倫道は思念だけの存在、つまり幽霊なのだと実感し、斗和は切なくなった。
「確か市街地で戦っていたはずだけど、ここはどこなの?」
ニコニコと笑っている倫道に、斗和は改めて疑問をぶつけた。
『ここは主人公の回想シーンなんかに出てくる、外界と隔絶された無の空間。主人公に許された特権だ。それとここでの一時間は外界での一秒にも満たない。だから時間も気にしなくても大丈夫だよ』
「全然意味分かんないんだけど……。確かに物語の世界にいるけど私は主人公じゃないし。どういうこと?」
斗和は事態が呑み込めず戸惑いの表情を浮かべている。今まで戦っていた市街地ではなく、二人は一面の闇の中にいた。倫道自身が淡く光り、お互いの姿がはっきりと見えていた。
『ここに来てもらったのは、斗和さんに話さなきゃいけないことがあったからなんだ。知らない方が幸せなのかもしれないけど……。話すよ、本当のこと。気をしっかり持って良く聞いてね』
倫道の表情は変わらず穏やかだが、これから打ち明けようとするのはこの世界の根幹に関わる重大事項だった。その重さが伝わり、斗和は真剣な表情になった。
『ここは、実は鬼滅の刃の世界じゃないんだ。鬼滅の刃から派生した二次創作の物語の世界。物語の主人公の名は――蓬萊斗和』
倫道は今まで隠していた事実を話し始めた。
『現実世界の令和の世で、俺はその読者だった。本来物語の中では、斗和さんの心臓病は治らない。状態が悪くなるのにそれでも戦い続けて、最後は無限城で上弦になった佳成と戦って命を落とす。決戦の前、自分の死期を悟っていた斗和さんは、不死川さんへの想いを手紙にして令和に託す。決戦後、傷が癒えた不死川さんがその手紙を読んで、斗和さんを想うところで物語は終わる』
斗和は驚愕で息を吞んだ。何故なら、本部に預けてある遺書とは別に、斗和はこの世界でも不死川宛てにこっそり手紙を書いており、もし最終決戦で自分が死んだら届けて欲しいと隠の後藤に頼んであったからだ。
『俺は救いたかった。悲しい結末を何とか変えられないか、そう思ってた。そうしたら自分自身がある日この世界に居たんだ。最初は鬼滅の世界だと思ったけど、そうじゃなかったんだ。気が付いた時は驚いたよ。まさかの転生、しかもこの世界に!でも、前世で医者だった俺になら何かできる、いや、やらなきゃいけないって思ったんだ』
倫道はあくまで淡々と事実を述べた。しかし大事な仲間を二人失い、そんな時にこの衝撃の事実を告げられ、斗和の混乱と動揺は収まらない。
「そんな……。そんな訳ないじゃない、何言ってるのよ!私は今まで全部自分の意志で来たのに。そんなの嘘に決まってる」
自分は他の誰かに作られたキャラクターで、この世界は虚構の産物。思考も、行動も、物事の流れも全ては決められた通りに進んでいるに過ぎない、そう言われてすぐに信じられる者はいないだろう。この世界での喜びも悲しみも苦しみも、登場人物にとっては紛れもない現実だが、全ては物語の中でのこと。初めからそうなるように仕組まれていたことだった。
『俺が捻じ曲げて大きく変わったこともあるから、全部が物語の通りじゃないけど、俺はこの世界のことは何でも知ってる。斗和さんの前世の事も、目覚めたきっかけも、鬼殺隊に入ってからの事も全部』
倫道は前世で読んだ小説のままに、斗和本人しか知り得ない内面の事も含めて語っていく。斗和は反発しつつも、その時々の心情まで言い当てられ、信用せざるを得なかった。思い出してみれば、倫道が全てを見通して行動していたことに斗和は何となく合点がいった。同時に自分が物語の登場人物であったという事実は、かつて斗和自身が耀哉に説明したのと同じであり、今となっては何とも皮肉に感じられた。
『隠に擬態して付いて行ったら、女性剣士が戦ってた。その人は顔に傷があって野良着姿、相手の鬼は独楽を操る十二鬼月。それから十二鬼月がもう一体が現れて……。その時点で、ここは鬼滅じゃなく前世で読んでた小説の世界だって気付いた。俺たちは転生者だけど、斗和さんは原作を読んでいる転生者という設定の主人公、俺は物語に紛れ込んだ異物。同じじゃない。今まで黙っててごめん』
衝撃を受け混乱する斗和を気遣いながらも、倫道の告白は次第に熱を帯びる。斗和は愕然とした様子であったが、その顔は徐々に険しくなっていた。
『斗和さんの心臓病は治せた。でも俺のやるべきことはまだ終わってない。だから戻って来た。俺はきっと、斗和さんを幸せにするためにこの世界に転生したんだよ。この戦いに勝って、不死川さんと幸せな未来を掴んで欲しい。悲しい物語の結末なんか、ハッピーエンドに書き換えてやればいい。斗和さんやみんなを護って、この戦いを勝利に導く。目的を果たせたら、あとは思い残すことなく消えていける!あともう少しなん……だ?斗和さん?あの……』
斗和はそれまで倫道を凝視していたが、途中から視線を逸らし、下を向いていた。斗和の中で、行き場の無い様々な思いは別の感情へと変化しつつあり、それは急速に膨らんだ。倫道は斗和からだんだんと怒りのオーラが出ているのが気になったが、熱心に語り続けた。
しかし、ついに斗和は堪えていた感情を解き放った。
「……ふーん、知ってたんだ?」
斗和は怒気を含んだ低い声で倫道の話を遮った。視線を合わそうともせず、足元をじっと見つめたまま斗和は肩を震わせていた。悔しい、悲しい、切ない、一気に沸き起こる様々な感情はまず怒りへと変わる。
「知ってたんだよね?私やみんながどうなるか全部知ってて……佳成の事も知ってて黙ってたの?!酷い!最低!最悪!!」
斗和は顔を上げ、倫道を睨んだ。斗和の瞳には涙と同時に強い怒りの色が滲んでいた。
『それは……。ごめん、知ってた。佳成のことも色々と精一杯頑張ったんだけど、力が足りなくて……。本当にごめん……ごめんなさい』
倫道は戸惑いを隠せず言葉に詰まりながら答えたが、斗和の怒りが強いことが分かると、言い訳の声も小さく弱くなり、最後は消え入りそうに力なく項垂れる。
「今さら謝んないでよ!!何で!何でそうなのよいつもいつも!!一人で知ったような顔して!!ふざけるのもいい加減にしてよっ!!」
斗和の怒りは収まらず、さらに勢いを増した。
「自分は先に死んじゃったくせに!人には幸せな未来?はあ?何をお目出度いこと言ってんの!何カッコつけてんのよ!バカじゃないの?!」
斗和は言葉を叩きつけた。
「何で言ってくれなかったの!何でいつも黙ってるのよ!全部自分一人でやって、良い気になって!!」
斗和はさらに激しく感情のまま叫ぶ。温和でいつも遠慮がちな斗和が、倫道に対してこんなにストレートに感情をぶつけ、言葉を荒らげるのは初めてだった。
『違うよ、そんなつもりじゃ』
「友達でしょ?!同士でしょ?!何で自分一人で背負うのよ!!何で一人で死んでんのよ!!……傷も治してもらってない!チーズケーキも作ってもらってない!絶対に許さないから!!」
『斗和さん……本当にごめんなさい……』
倫道は俯き、小さくなってひたすら頭を下げた。
「謝るなって言ってんのよ!!……お願いだから……謝らないで……!分かってるよ、倫道君が本当に頑張って……死ぬほど頑張ってくれてたことなんて……分かってるから!!……分かってたのに……ありがとうって言わないうちに死なないでよバカ!!……倫道君を犠牲にして生き残ったって、そんなの嬉しいわけないじゃない!!!何を考えてんのよ!……“目的を果たしたら消えていける”?勝手に自己完結して消えようとするな!!……私がちゃんとお礼を言うまで、消えるなんて絶っっ対許さないから!!!」
『えっ?斗和さん……?』
倫道は思わず顔を上げ、呆けたように斗和を見つめた。ポロポロと大粒の涙を流し、しゃくりあげながら言葉を絞り出す斗和を呆けたように見つめていたが、数秒後に理解できた。
独りよがりな行いを責められていると思っていたが、本当に斗和が言いたいことはそうではないのだと。
不器用で、自分の気持ちを素直に伝えるのが苦手な斗和が、精一杯の感謝を伝えてくれているのだとようやく気付いた。
同時に、斗和に対する無償の想い、そればかりに囚われていた自分を恥じた。独りよがりで、前のめりで、その思いを受け取る側の心の負担に気持ちが及ばなかったと気付かされた。
信頼していなかった訳ではない。余計な心配をかけまいと全て自分が背負い込み、一人で解決しようとしていた。そんな行き過ぎた気持ちが斗和を傷つけた。
倫道は、斗和を悲しませたことを申し訳なく思いながら、それでも斗和が本当に自分に感謝してくれていることを知った。
倫道の目からも、感動の涙がどっと溢れた。
「倫道君!いつも見ててくれたんだよね……?今まで……本当にありがとう!……ちゃんと言えなくてごめんなさい……ごめんなさい!!」
『斗和さんこそ謝らないで。俺はもう十分報われてるんだから……。この世界に来て良かった。今まで頑張って本当に良かった。斗和さんに感謝の言葉をもらって――。こんなに嬉しいことはない』
「倫道君幽霊になったのに泣きすぎ!そんなに鼻水も垂らして」
顔を上げた斗和は、倫道の盛大な泣き顔を見て自分も泣きながら笑った。
『斗和さんが泣かせるからだよ!それに斗和さんだってめっちゃ泣いてるじゃん!まあ俺は泣いてないけどね、目から鼻水が出ただけで』
「またしょうもないこと言ってる!」
二人は共に顔をくしゃくしゃにしながら泣き、お互いの泣き顔を見て笑い合った。お互いの気持ちが本当に通じ合えた、初めての瞬間だった。
だが、別れは刻々と迫っていた。
『斗和さん、俺の最後の責務は、この戦いを勝利に導くことだ。でも、俺個人としても無惨と決着を付けなきゃいけないんだ。俺は前世で現代人として生きるもっと前の人生で、無惨と戦って死んだ』
倫道は涙と鼻水を拭って真顔になり、斗和に真正面から向き直った。
「ちょっと待って、無惨と戦ったって……どういうこと?」
『俺は多重転生者なんだ。四百年前、俺は継国縁壱の養子となり、日の呼吸を継承した。じっちゃんが死んだ後しばらくして、俺も無惨と対決した。だけどその時は敗れた。今度こそ』
「た……多重……転生?縁壱の養子?」
余りの情報の多さと怒涛の展開について行けず、斗和は益々訳が分からなくなった。
『ごめん、訳が分かんないよね。俺は何度も転生を繰り返して、色々な世界を巡る運命らしい。それぞれの世界でタイムリミットがあって、俺がこの世界にいられるのはあと三日。もう一度斗和さんと、みんなと一緒に戦って、無惨と決着を付けたい』
倫道は斗和を見つめた。
『俺はもう実体がないから物理攻撃はできないけど、一体化すれば斗和さんの神経系にブーストをかけられるはずだ。そしたら反射速度が格段に上がる。ガンダムのマグネットコーティングみたいなもんだよ。さっきの無惨の攻撃も、咄嗟に分散してみんなの体に入って防いだんだ。だから斗和さんもいける。無惨の速さにも十分対応可能になるし、俺が身につけた技も使える。……日の呼吸も』
今の説明で、斗和は何故倫道が日の呼吸を使えるのかその理由が分かった。それは想像を超えるものであったが、倫道にも自分と同じく無惨との因縁があることも理解した。
「ガンダムは知らないけど、力を貸してくれるの?でも私、刀が」
斗和は折られた愛刀に視線を遣った。この戦場には、斗和の特殊日輪刀に代わる物は無い。
『心配ない、代わりに丁度良いのがある』
「えっ?」
『斗和さんと一緒に戦いたいのは俺だけじゃない』
外界の一部が映し出され、倫道は瓦礫の一角を指差す。すると、まるでそれに応えるように瓦礫の中から仄かな光が漏れ始めた。
『おーい、こっちこっち』
倫道は映し出された瓦礫の一角に向かい手を振る。光は急速に強くなり、爆発するように瓦礫を吹き飛ばして何かが飛び出し、突然この空間の斗和と倫道の傍に現れた。
(あれは……!)
光を放っていたのは、佳成が遺した折れた刀身だった。周囲を覆っていた鬼の細胞は消え去り、折れた日輪刀がそのままの姿で空中に浮かんでいる。斗和は驚きに目を見開いてそれを見つめた。
「佳成……。力を貸して!」
共に戦う。湧き上がる思いと共に斗和が光に語りかけ、折れた刀を構えると、刀身は斗和の刀と融合し、一層眩い光を放った。眩しさに斗和は目を瞑り、思わず刀から右手を放して光を遮った。光が収まって再び目を開けた時、斗和の左手には刃長三尺もある大刀が握られていた。
『師範!俺も一緒に戦いたいです!』
佳成の声が頭の中に響いた。
「ありがとう佳成!一緒に戦おう!」
嬉しい再会に再び目を潤ませ、斗和は刀に語り掛け、そっと刀身に触れた。
『役者も揃ったことだし、仕上げといこう。斗和さん、仰向けで横になってくれる?一体化するときのお約束だから』
「こう?」
倫道が妙な事を言い出し、斗和は疑問に思いながらも刀を脇に置いて横たわる。
『いくよ』
横たわる斗和の足元に立った倫道は、残像を残しながら斗和の体に倒れ込む。二人の体がぶつかる瞬間、倫道が斗和の体に吸い込まれていった。
『気分はどう?』
一体化し、立ち上がった斗和に倫道が聞いた。
「体力が戻った!それに、毒も消えた!」
斗和が元気を取り戻したのは気のせいではない。倫道はこの世界に留まるためのエネルギーまでも全て注ぎ込み、斗和は全回復以上の体力状態となった。斗和は体の隅々まで力がみなぎるのを感じ、改めて大刀を両手で握ると、刀身は深い漆黒へと色変わりしていった。
握った大刀からは暖かで力強い佳成の波動が流れ込んでくる。そしてこの色変わりは倫道の日の呼吸の適性によるものだ。
『死ぬべき主人公が運命に抗い、生きて人生を切り開く新しいページが追加されるんだ。その先はきっと素晴らしい人生が待ってる。――俺たちも一緒に戦う!頑張って!!』
斗和の頭の中に倫道の励ましの声が響き、先程までの絶望感や激しい疲労感は吹き飛んだ。何より共に戦う二人の存在が心強く、斗和は胸が熱くなり、完全に気力を取り戻した。
「よし、行こう!」
戦列に復帰しようとする斗和だが、ちらりと懸念が過る。
(倫道君と佳成の息は合うのかな?また喧嘩しないと良いけど)
『佳成、刀ちょっとでかいな、もう少し小さくなれよ!斗和さんが使うんだから!』
佳成が作り上げた刀は刃長だけで三尺(90センチ)以上の長さだ。斗和の身長は約170センチ、適正なバランスを大きく超える刀の大きさに倫道がクレームをつける。
『えっ、このくらいじゃないですか?』
佳成が異議を唱える。
『でかいよ、斗和さんが使うんだぞ?一回り小さく!』
『師範が使うんだからこのくらいで良いんじゃないですか?』
霊体になり、斗和の体内に同居しても相変わらずの倫道と佳成。
(再会したばっかりでもう揉めてる)
斗和は苦笑したが、改めてこの大刀を眺め、数回振ってみた。このずしりとした重さが手に良く馴染み、存分に力を発揮できると感じた。
「いや、これで良いよ。元の刀とあんまり変わらないし、この大きさでいこう!」
斗和がもう一度刀を軽々と振り回して見せると、風を切る鋭い音がする。何より佳成の魂が込められているおかげなのか、武器というよりまるで体の一部のように、思い通りに軽く扱えるのだ。
『えっ?……ほ、ほら、だからこのままで良いって言っただろう?佳成は分かってないな』
『おおいっ!倫道さんがでか過ぎるって言い出したんでしょ!全くこの人は!』
倫道の意味不明の負け惜しみ、文句を言う佳成。相変わらずの展開に斗和は思わず笑った。
『さあ反撃だ!やられたらやり返す!今までの分は倍返し、いや千倍返しだ!』
『はい!』
バツが悪くなり、誤魔化すために倫道が気合を入れ、何も知らない佳成は素直に返事をする。どこかで聞いたセリフに斗和は一瞬微妙な表情を浮かべるが、気を取り直して戦闘再開を宣言した。
「倫道君、佳成、ありがとう!絶対に勝つよ!!」
斗和の周りの空間が現実に戻る。時間が元通りに動き出し、十数メートルの間合いを保ったまま斗和と無惨は再び睨み合った。
(生存本能のなせる業か)
ボロボロの状態だった斗和が、無惨が止めを刺そうとした瞬間に十数メートルの距離を跳躍して逃れた。無惨は驚いたものの、それも一時的な回復で、虚しい抵抗だと思った。
斗和は抜き身の大刀を右手に真っすぐに立ち、無惨をじっと見つめている。瘦せ型の斗和だが、そのシルエットはどっしりと安定していた。どんな風雪にも耐えて立ち続ける一本の木のように、大きな存在感を放つその姿。現れた時の激しい感情の昂ぶりは見えず、天を衝く闘志は内に秘めて鎮まっていた。
(あの女は最初からあのような武器を持っていたか?違う、警戒すべきはそこではない。気配がまるで変わっている)
何か異質な、別の人間にでもなったような佇まい。
感情のまま、怒りに任せて攻撃してくる者など力の程は知れている。斗和が現れた時の様子から、無惨は特に詳しく観察もせず嬲(なぶ)り殺しにしようとしていた。
しかし、向かい合う女を改めて観察し、無惨ははっきりとその変容を感じ取った。先程折れたはずの変わった形の武器は長大な刀に変わっており、しかもその刀身はあの忌まわしい黒だ。それ以外、外見上どこが変わっているかは判然としない。しかし第二形態とでも言うべきその変容は明らかで、無惨はこの女剣士への警戒度を跳ね上げ、更に気付いた。
(思い出したぞ、此奴が猗窩座の言っていた者……。扉を開き、眠っていた力を目覚めさせというわけか)
その女は他の鬼狩りと違い、農作業に着るような野良着姿をしていた。先程までは鍬(クワ)のような形の得物を手にしており、一見すると農婦のようだった。そして顔には薄っすらと残る大きな傷跡。
無惨は炭治郎と並び、以前から斗和と倫道を密かに警戒していた。倫道の気配は消え、炭治郎は死にかけているがこの女が残っていた。
「そうか、お前が」
特徴が一致する。情報と照らし合わせると、目の前にいるこの者こそ、配下の鬼から何度も報告があった女の鬼狩り。そいつはこう呼ばれていた。
(倫道君、そう言えばさあ、何て言うの?私の物語のタイトル)
斗和は内なる倫道に聞いた。
『タイトル?ああ、それはね』
倫道が答える。
――【野良着の隊士】――。
「【野良着の隊士】か」
猗窩座を追い込み、妓夫太郎、玉壺を屠り、黒死牟をも倒した者。ついに現れたか、無惨はただ一人戦場に立つ斗和を嫌悪と呆れの眼差しで見つめた。どこかで会っているように感じられてならなかったが思い出せず、何故かその存在が無性に腹立たしい。
(【野良着の隊士】って言うんだ)
斗和は頷き、わずかに笑みを漏らした。
(野良着がしっくりくる、それも設定なんだよね。でも私、結構気に入ってるんだ、このキャラ設定)
「鬼舞辻無惨!!お前を駆逐してやる!じっちゃんの名にかけて!――さあ、お前の罪を数えろ!」
斗和が突如口を開く。だがこれは斗和の内にいる倫道が発したものだった。無惨は一瞬驚いた顔をしたが、聞こえているのかいないのかこのセリフには無反応だった。
(ちょっと勝手に喋らないでよ倫道君!みんなパクリじゃないの!それと……これ、何よ?)
斗和は内なる倫道に話しかける。手にした大刀をふと見ると、その鍔元には「悪鬼滅殺」ではなく別の文字が浮かび上がっており、どういう意味かと斗和は疑問に思った。
――「CAST IN THE NAME OF GOD YE NOT GUILTY」――。
『「我、神の御名においてこれを鋳造する。汝ら罪なし」って意味だよ!中世ドイツの処刑人の剣に刻まれていた言葉らしい。気にしないで!』(※作者注 元ネタの作品中での設定です)
複数のネタを同時にぶっこみ、複雑化する倫道のパクリに頭痛を覚えた斗和だったが、脳裏に浮かぶ倫道のドヤ顔を慌てて打ち消し、戦闘に意識を集中しようと気持ちを切り替えた。
武器のサイズや重さは以前の特殊日輪刀とほぼ変わらない。体力の限界をとっくに通り越した斗和にはそれを操って戦う事など不可能なはずであった。しかし佳成の魂が宿る刀はしっくりと手に馴染み、重みと手応えがありながらも子供用の竹刀のように軽々と扱える。
刀を握る腕だけでない。疲労でぼやけていた視界もクリアになり、体中に力がみなぎっていた。
「貴方の正体はいつも何かに怯えている只の臆病者。そのくせ傲慢で自分のことしか考えられない、本当に可哀そうな人。……決着を付けましょう。鬼舞辻無惨――いえ、月彦さん」
斗和は心を落ち着けて無惨を見据え、言葉を突きつけた。
(この女、一体何を知っている?……だが私は何故そのような事が気になる?この女を恐れているというのか?……あり得ない!)
「月彦」は無惨が人間に擬態する時に使う名前の一つだった。それを知っているという事は、何かしら縁のあった人間かと思ったが、無惨には思い当たる事が無く、却ってそれが不気味だった。
斗和の涼やかな視線と鋭い言葉に、無惨は自分の本質を全てを見透かされたような気分になった。それは狼狽と言うより恐怖に近い感情であったが、すぐに怒りに変わった。
『斗和さん、前世の“あの人”って、まさか?』
倫道の驚きが斗和にも伝わった。
「そう、もちろん鬼ではないけど、その素性を宿した人間。前世でも無惨みたいって思ってたけど、そんなことあり得ないでしょ?でも」
『物語の世界ならあり得る……?』
「そう。これは、この宿縁を断ち切るための、私自身の戦いでもある」
無惨は斗和を睨みつけ、警戒しながらゆっくりと斗和の方へ近づく。斗和も抜き身の大刀を右手に、ゆっくりと無惨の方へ歩を進める。両者の間合いが縮まるにつれ、緊張感は急速に高まっていく。凡そ十メートル、無惨の腕刀の間合いまであと僅か。互いにあと数歩ずつ踏み出せば、静寂は一気に破られ、激しい戦闘が再び始まる。
(だが、恐れる必要があるのか?さっさと殺してしまえば良いではないか)
無惨は自問自答する。この女は確かに雰囲気が一変した。生への執着により能力の扉を開き、あの男を彷彿とさせる黒い刀を持ってはいるが、自分の命を脅かすまでに急に強くなるなど考えられない。力の差は埋め難く、束になって掛かって来ようと虫けらは所詮虫けら。まずは目の前を飛ぶこの蠅を叩き潰し、他の鬼狩りも残らず殺す。
斗和と無惨、両者の間合いはついに、無惨の腕刀が届く距離になった。
「死に損ないが……!」
無惨は忌々し気に吐き捨て、刃と化した両腕を鞭のように振るい、攻撃を開始した。