ほのぼの鬼殺隊生活(完結)   作:愛しのえりまき

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第三十二話 心からの言葉 最終回その一

(さようなら月彦さん。貴方は地獄で全ての罪を償い、初めて真の人間となって生まれて来ることができる。そうしたらまた会いましょう。その時は友だちくらいにはなってあげても良いけど、自己中なままだったら今度は殴っちゃうからね!)

斗和は永きに渡る戦いを思い出しながら、無惨の残骸が消えていくのを感慨深く見届けた。

 

 斗和は建物の影から通りへと出た。周囲を見渡せば、全壊、半壊の建物とおびただしい瓦礫の山。街はまるで空爆されたかのような酷い有様で、隠の隊士たちが懸命に後片付けに追われていた。これだけの破壊を伴う騒動のため、警察や軍部も動くのは間違いなく、近隣住民への補償もあるだろう。真実を闇に葬るのは並大抵のことではないが、大富豪産屋敷家の財力と、若き当主・耀哉の人徳で乗り切る他ないであろう。

 

 斗和はようやく一息つくと、倫道と佳成の魂が斗和の肉体から離れて斗和の目の前に立った。斗和は体中の力が抜けてめまいを覚えたが、数秒間蹲ってじっとしていると力が戻り、再び立ち上がった。

 

「倫道君、佳成。私……できたよ。本当にありがとう、力を貸してくれて」

斗和が感謝を込め、倫道と佳成に呼びかけた。二人の体は実体に近い質感がありながらも薄らと透け、白く淡い光を放っていた。

 

 霊体の倫道が隣にいる佳成を小突き、照れくさそうな佳成が倫道を小突き返し、二人は顔を見合わせて微笑み合っていた。

 死して尚、強く結ばれた仲間の絆。最初は笑顔であった斗和も、共に過ごした多くの思い出が蘇って来て感極まり、涙が溢れそうになった。斗和は二人に涙を見せたくなくて、再び街の方へ向き直った。

 戦闘に参加した者はみな疲労が著しく、怪我をした者も多く、歩けない者は担架で、歩ける者は隠が肩を貸したり、自力で歩いて救護ブースへと向かって行く。戦闘に参加した者、救護する者、片付けに当たる者。大勢の人の声とたくさんの物音が交錯する中、姿は見えなかったが獪岳と善逸が言い合う声も聞こえ、無事を確認した斗和は安心した。

 

「斗和ァ!斗和は大丈夫か?!」

姿が一時見えなくなった斗和を探し、担架で運ばれながら不死川が怒鳴っていた。

 

「蓬萊様ならあちらに」

担架を持っている隠が、視線で斗和の存在を示した。確かに斗和は普通の人間の姿に戻り、大きな怪我をした様子も無く戦場となった街を眺めていた。不死川は斗和を呼ぼうとして、その傍らにいる倫道と佳成の姿を見た。

 

(水原、館坂!あいつら斗和と一緒に戦ってやがったのか。要らぬお節介をしやがって!……仕方ねぇ)

 

 ――ありがとよ。

 

 担架の上の不死川がそっと呟くと、どういたしまして!弟さんも待ってますよ、と運んでいた隠の隊員たちが笑顔で応じた。

 あの二人の姿は一部の者にしか見えないのだと悟り、不死川は複雑な気分になった。一緒に戦ったにも関わらず、誰にもその貢献を知られることはないのだ。

 

(斗和も玄弥も、みんな無事か。やっぱ礼はしねえとな……。それにあいつらだけじゃねぇ、みんながこの戦いを支えたんだな)

みんなの力で勝利を掴み、愛しい者たちも生き残った。不死川はようやく横になり、フッと表情を緩めてこれまでになく穏やかな表情になった。

 

「ありがとよ、助かったぜ」

不死川は、戦いに関わった全ての人に向けて礼を言ったが、極限の疲労と斗和と玄弥の無事を知った安堵感から、すぐに穏やかな寝息をたて始めた。

 

 

 

 自力歩行可能と判断された獪岳と善逸はお互いに支え合いながらよろよろと救護所の方へと歩いて行く。

 

「痛いよ獪岳」

「ったくお前はいつもいつもビービー泣きやがって!帰ったら先生にも報告するからな」

「いやああああ!それだけはやめてよぉ!俺、すげえ頑張ったじゃん!」

「いーや、報告はするぜ。……お前は良くやってたってな」

「えっ?ええっ!あっ兄……」

 

「仕方ねえだろ、壱ノ型しかできなかったくせに自分の型まで編み出しやがって。カスにしちゃ上出来だろ」

相変わらず善逸のことをカスと呼び、不機嫌な態度の獪岳。口調も乱暴だが、その内容に善逸は驚いた。

 

「でも獪岳も凄かったじゃん!もうできるんだな、壱ノ型」

何よりも、獪岳が発する音が違っていた。善逸は驚きと照れくささで急いで言葉を返した。

 

「先にできたからって生意気を言うんじゃねえよ。俺が宇髄さんにどんだけ鍛えられたと」

善逸と言い合っていた獪岳が言葉の途中で視線を外し、急に周囲を見回した。

 

『そうそう、みんなと仲良くするんだぞ。善逸ともな』

倫道と佳成が微笑みかけるイメージが頭の中に浮かんだ。獪岳は確かにその気配を感じ、その声を聞いたような気がした。

(そうかよ、やっぱり助けてくれたんだな。道理で上手く事が運ぶと思ったぜ……。俺が生きてんのはあんたらのお陰だ)

獪岳は心の中で礼を言った。

 

「壱ノ型、見せたかった奴には見せられたからな。多分あいつも褒めてくれるだろ」

獪岳は誰にともなく呟いた。

 その時、善逸は聞いた。悲しみを押し殺し、精一杯の虚勢を張っている音。獪岳はそんな切ない音をさせながら、いつもの皮肉な笑いを浮かべていた。

 

「どうかした?」

「何でもねえよ。俺は仲間の様子見てくるから、お前は一人で救護所まで行け」

不思議そうな顔の善逸にぶっきらぼうに答え、獪岳は善逸から体を離した。

 

「分かった、俺も仲間のところに行くよ。禰豆子ちゃんも来てるみたいだし」

獪岳の口から仲間と言う言葉が出てまた驚いた善逸だったが、きっとその存在が獪岳を変えたのだろうと嬉しくなった。

 

「獪岳」

善逸は、今度こそはっきり“兄貴”と言いたかったが、やはり照れくさくなってしまった。

 

「何だよカス」

獪岳は嫌そうな顔で答えたが、表情とは裏腹に、発する“音”は昔のように嫌悪ではなかった。

 

「何でもない、後で言う」

善逸は嬉しさを隠すように獪岳から視線を逸らした。

 

「変な奴!」

獪岳はフンと顔をしかめて背を向け、早く行けと追い払うように手を振った。だがその表情は柔らかく、その“音”には親しい者への感情があった。

 

(自分じゃ気付いてないだろうけど、アンタからはもう不満の音がしなくなって、代わりに優しい音がしてる。アンタの幸せの箱、直してくれる仲間がいたんだな)

善逸は胸を熱くし、ゆっくりと離れていく獪岳の背中を見送った。

 

「ありがとう。――兄貴」

善逸は獪岳の後ろ姿に呟いたが、張り詰めていた気が緩み、体中の痛みと激しい疲労が一気に訪れた。

 

「ギィイヤー!痛いー!疲れた!!もう歩けない!!誰かー!!」

その場にへたり込んで叫ぶ善逸に、やれやれといった調子で隠たちが慌てて駆け寄った。

 

 

 

 真冬の早朝、射し始めた朝日が徐々に高くなる。長かった戦いがようやく終わった。斗和は戦場となった市街地を改めて見渡し、感慨に耽った。

 

(この二人と会えるのも今日を含めてあと二日しかないんだな)

倫道が再び現れた時、三日間だけ戻ったと言っていた。残された時間は明けて今日と明日しかない。

 鬼舞辻無惨を倒し、前世からの因縁にも決着を付けた。自分が空っぽになってしまうほどの大きな達成感の一方で、生き残った事への罪悪感や寂しさもあった。

 

 そんな斗和の横で倫道と佳成は抱き合い、労い合って……いなかった。

 

『痛ぇなこの野郎!』

『倫道さんが先に思い切り叩いただろ!』

背中に回した手でポンポンと互いに叩き合っていた二人だったが、最初は軽く叩き合っていたものが何故かエスカレートしていった。

 

「倫道君も佳成も本当にありがと……っておおい!!喧嘩しないで!止めなさいよもう!」

斗和が落ち着きを取り戻して振り向くと、また倫道と佳成が揉めている。斗和は思わず大声を出してしまい、周囲にいた隠が驚いて振り向いた。霊体同士は叩いたりできるんだ、と斗和は妙なところに感心しながら仲裁して何とかその場は収まった。

 

(あと二日間しかこの世に居られないのに喧嘩ばっかりして!)

斗和は呆れた顔で二人を見遣った。

 

 

『それにしても斗和さん凄いよ、“身勝手の極意”を完全なものにしただけじゃなく、“透き通る世界”まで同時に発動するなんて』

倫道は何事も無かったように言った。

 

「えっ?あの無惨の体が透けたのって、透き通る世界だったの?忘れてた!」

驚いた様子で倫道に聞いている斗和は、すっかりいつもの調子に戻っていた。

『は?』

倫道は耳を疑った。

 

「傷の所に弱点があるっ!て思って、じいいっと見てたらどんどん透けてきて、あー便利だなーって」

『気付かないで使ってたの?』

「……うん」

意識せずに使っていたことを告白する斗和に、半ば呆れながら倫道が聞き返した。

 

『ううむ、斗和さんらしいと言うか。これぞ天然ボ……』

「倫道君、今何か言った?」

『天然ボケじゃなくて、そう!天性!天性の素質って言ったんだよ!斗和さんの可能性素晴らしい!』

『師範はやっぱり凄い人だったんですね。お役に立てて良かったです!』

倫道と佳成は今度は上手く連携し、斗和をおだてて機嫌を取った。

 

(赫刀、日の呼吸、透き通る世界。原作のチート全部発動しちゃってる!私凄いじゃん!)

褒められて機嫌が直った斗和が下を向いてニタニタしていると、また倫道と佳成が何やら不穏な気配を漂わせている。顔を上げてその様子を見た斗和はあ然とした。

 

 

 

『ってことで、お疲れ佳成』

『倫道さんもお疲れさまでした!』

倫道は、元の人間の姿に戻った佳成に右手を差し出す。佳成はいつか倫道がやっていたように、自分も同じように右手を差し出して握手しようとした。しかし倫道は握手せず、拳を作って佳成の手にこつんとぶつけた。

 

『ホラ、こうやって拍子を合わせて、手と手を打ち合わせるんだ』

『えっ?こうですか?あれ、違う?』

拳や腕をトントンと打ち合わせるハンドサインを倫道が佳成に教えていたが、不器用な佳成はできなくて戸惑っている。

 

『あーもう!佳成の下手くそ!ぶきっちょ!鈍クサっ!』

『初めてやったのに何でそんなこと言うんですか!』

リズムも動きも合わず、何度やってもできない不器用な佳成に倫道が痺れを切らし、佳成も逆ギレして再び揉める二人。

 

「はいはい、下らないことで揉めない!もう止めなさいって!」

ギャーギャーと騒ぐ倫道と佳成を止めようとした斗和だったが、二人はまだ言い争いを続けたためついに斗和がキレた。

 

「喧嘩すんなっつってっぺじゃ!!いいくれえにしねえどぶっ殺すぞ!!」(喧嘩すんなっつってるだろ!いい加減にしねえとぶっ殺すぞ!)

斗和は鬼の形相で二人を叱りつけ、その迫力に倫道と佳成が大人しくなる。言い争っている霊体の二人の姿は関連の深かった一部の者にしか見えないので、一人で突然怒鳴る斗和に周囲にいた隠の隊員たちがビクッと反応し、恐る恐る斗和に声をかけた。

 

「あ、あの……蓬萊様?」

「す、すみません、独り言です!何でもないんですよ!」

斗和は隠たちに愛想笑いをしてから倫道と佳成をギロッと睨み、叱られた二人はやっと冷静になった。

 

 

 

『佳成。会いに行ってやらないのか?』

倫道は深刻さを見せないように注意しながら、穏やかな口調で佳成に問いかけた。

 

『会いに行くって、誰にですか?』

心当たりはあるがそれ以上触れられたくないのか、佳成は顔を強ばらせて俯く。

 

『夏世ちゃんに決まってるだろ』

倫道はさらりと、いきなり核心を突いた。

 

『それは!……でも……今さら』

小野寺夏世(おのでらかよ)は斗和の屋敷にいたお手伝いの女性で、歳も一つしか違わず、斗和がこの世界に来て、初めてできた親友と呼べる人物だった。佳成が弟子として土柱邸に住み込むようになって親しくなり、将来を約束する仲にまでなっていた。しかし佳成が戦死してからは職を辞し、東北の実家に帰ってしまっていた。

 

『お前、お別れも言えてないだろ?行ってやれよ』

『でも俺……、どんな顔して会えば良いのか』

佳成は迷っていた。夏世にはもちろん会いたいが、もう死んでいる自分が会いに行ったところで、要らぬ心労をかけるだけだろう。自分の事は早く忘れて、幸せになって欲しい。だからこのまま消えよう、佳成はそう思っていた。斗和と倫道とともに戦えた。無惨討滅の役に立てた。それだけで十分だった。

 

『佳成、お前が残された立場だったらどう思う?一目でも会いたいんじゃないか?どんな顔でも良い、会いに行け。悔いを残すな、時間がない』

倫道の言葉で、佳成の心は大きく揺れた。

 

『早く行け!お前がいなくならないと、俺が斗和さんと二人きりになれないだろう』

倫道がいたずらっぽく笑ってみせる。土柱邸で一緒に励んでいる時から、佳成は倫道の想いに何となく気付いていた。倫道も佳成に知られていることは分かっていて、それを自分でネタにして佳成の背中を押したのだ。

 

『あ、そうか!すみません倫道さん、気が利かなくて。俺、夏世に会ってきます!』

『ああ、行ってこい!きちんと挨拶して来い』

倫道が茶化しながらも佳成を励ます。苦しそうだった佳成は吹っ切れたように笑顔で頷いた。

 

『師範、本当にお世話になりました。鬼になってしまって本当にすみません。いつかまた生まれ変われたら、その時はしっかり生きられるように罪を償ってきます。倫道さんにもたくさんお世話になりました」

佳成は神妙な顔で深々と頭を下げた。師匠の斗和にだけでなく、笑いに紛らせて決断を促した倫道の心遣いにも感謝していた。

 

『倫道さんも悔いを残しちゃダメですよ。思い切って打ち明けないと!』

佳成は顔を上げ、倫道に意味ありげな笑みを浮かべた。

『うるせえな、早く行けよ』

佳成の逆襲に倫道は苦笑した。

『分かりましたよ、言われなくてももう行きますよ!』

佳成はもう一度お辞儀をして消えていった。斗和と倫道は並んで手を振り、佳成を見送った。

 

 

 佳成の魂は、遠く離れた東北の地、故郷にいる夏世の元へと飛んだ。

 

 

 夏世は佳成戦死の報を受けて斗和のお手伝いを辞め、農業を営む東北の実家に帰っていた。家族の前でさえ涙を見せず、無理に明るく振る舞っていた夏世であったが、一人になると堪えきれずによく泣いていた。しかし帰郷から数ヶ月が経ち、精神的に幾分かは落ち着いていた。

 

 吐く息がくっきりと白く漂い、いつまでも消えないほど寒さの中、夏世は土間で家族の朝餉の準備をしていた。

 

 日が昇る。地平線が眩い橙色に光り始めた。

 

(きれい)

夏世は閉まっていた格子戸をほんの少しだけ開けた。痛いくらいに冷たい外気と同時に、日の出前の朝の光が入ってくる。

 夏世は細く開けた格子の間から外の様子を眺めた。降り続いた雪は今朝は止んでいて、朝焼けの橙色と空の青、雪の白のコントラストが美しかった。

 

 今日はあの景色が見られそうだ。

 

 冬の晴れ間には、降り積もった雪に陽の光が反射して世界がキラキラと光るのだ。雪に悩まされる北国の長い冬の中で、ほんの束の間訪れるこの光景が夏世は好きだった。

 

 遠く離れた東北の地で、夏世は鬼殺隊や斗和たちのことを毎日のように思い出し、朝を迎えられただろうかと気にかけていた。鬼舞辻が滅び、鬼がいなくなりますように、鬼殺隊の人たちが死にませんように。そう祈っていた。

 

 佳成のことは片時も忘れなかった。いつも悲しみに耐えながら生きていたが、家事をしているひと時だけは、愛する人を失ったつらさを忘れられた。

 

 夏世は今もまた佳成のことを思い出し、手を止めてしまっていた。いつまでもこんな様子では佳成も悲しむだろうと、夏世は思いを振り切って朝餉の支度を続けようとした時、背後に人の気配を感じた。家族の誰かが急かしに来たと思い、もうすぐできると振り向かずに声をかけた。何の反応も無く、おかしいと思いながらも夏世はまた炊事を続けた。

 

 背後に人が立った気配がした。ハッとして夏世は振り向いた。

 

「佳成さん……?」

愛する人の気配があった気がしたが、そこには何も無かった。

 

(そんな訳ないか……。気のせいだよね)

そんな都合の良い奇跡など起こるわけがない、夏世は苦笑した。

 

 太陽が地平線から顔を出した。薄暗かった土間にも格子戸の隙間から細い陽の光が射し込んだ。

 

『夏世』

光の中に佳成が立っていた。佳成は最後の任務に出た時と同じ、隊服の上に羽織を着て、何も変わらず穏やかな笑みを浮かべて夏世を見つめていた。ただ一つ違っていたのは佳成の体が透けて、向こう側が見えていることだ。

 

『夏世』

「佳成さん……」

久しぶりに会った二人は、しばし見つめ合った。

 

『夏世と出会えて俺は幸せだった。お礼を言いたかった。それと』

微笑んでいた佳成の顔が悲しそうに曇っていく。

 

『約束、守れなくて済まない。……それを謝りに来た』

夫婦になる約束。幸せにする約束。そして、必ず生きて帰って来る約束。

 

 手を伸ばして義成に触れたかったが、触れたら消えてしまいそうだった。夏世は涙を流し、佳成の幻影をただ見つめることしかできなかった。

 

『勝手な事を言ってるのは分かってる。だけど、夏世がいつまでも悲しんでいると、俺は心配であの世に行けないんだ。だからどうか前を向いてくれ。幸せにな。ま……た……いつ……か』

佳成の幻影が涙を流しながら微笑む。声が遠のいて途切れ途切れになり、姿が淡く消えていく。

 日が昇り、土間に射し込む陽の光がゆっくりと移ろうと、佳成の姿を細く照らしていた光が体から逸れ、佳成の姿は見えなくなった。

 

 もう一度だけ、一目だけでも。せめて夢の中でも良いから会いたかった。夏世のそんな思いが叶った。そして、夏世は佳成の思いをしっかり受け取った。

 佳成は人々を護るために自分を鍛え、恐ろしい鬼に立ち向かったのだ。

 

(私も強くなって、佳成さんに恥ずかしくないように生きていきます。でも時々弱音を吐きたくなったら聞いてね)

夏世の胸にも人生を生きていく勇気の炎が点った。

 

 

 

 

 

『うん、ストーリーは大分変わったけど神回になって良かった。あとは俺が――』

自分にできる事は全てやり切り、思い残すことはない。倫道はそう自分自身に言い聞かせていた。この世界での使命を果たし、また旅に出る運命。大きな寂しさは心の奥底に押しやって、清々しい気持ちなのだと自分で自分に言い聞かせていた。

 “野良着の隊士”の読者であった倫道は良く知っている。十二歳で前世の記憶を戻してから、斗和の人生は戦いの連続だった。

 だから、願う。斗和が不死川と共に、穏やかで幸せな人生を歩むことを。

 

 最終決戦を戦い抜き、目の前に斗和がいる。極限の疲労にありながらもその姿は命の輝きに満ち溢れ、もうどこにも死の影はない。倫道は満足そうに頷いた。

 

 

 

「ちょっと聞きたかったんだけど、“野良着の隊士”って私が主人公なんでしょ?鬼滅だから戦うんだろうけど、こんなに騒がしい感じなの?何て言うか、ちょっとイメージ違うような気がするんだよね。凝ったタイトルがついたロマンチックな展開とか……無いの?」

冷静になった斗和は、物語の主人公として漠然とした違和感を口にする。

 

『切ない恋愛展開もあったし、タイトルもなかなか素敵だったと思うよ。特に最終決戦は神回と言われていて、「限界突破!斗和、怒りの一撃!」って』

倫道は笑いながら適当なことを言う。

 

「えー嘘だ!そんなドラゴンボールみたいなタイトル絶対無いでしょ!」

『な、何故嘘だと分かった?』

倫道がおどけて大げさに驚いて見せると、斗和は呆れて笑った。

 

「ところで倫道君、時間無いってどういうこと?打ち明けるって?」

斗和は、佳成の去り際の言葉が引っかかっていた。

 

『と、斗和さんあれ覚えてる?煉獄家に行った時、斗和さんめっちゃ怒ったじゃない?』

斗和の問いかけに被せるように、倫道は突然関係の無いことを言い出した。

 

「ああ、あの時ね?当たり前でしょ!千寿郎君に変な事させて!」

斗和は急な話題の転換を不思議に思いながらその時のことを思い返した。

 

 斗和が杏寿郎との手合わせに招かれたのだが、槇寿郎を立ち直らせるという魂胆を持って、倫道も一緒に煉獄家を訪れたのだった。その時玄関前で掃除をしていた千寿郎に倫道が何やら耳打ちすると、それまで丁寧に箒を使っていた千寿郎が、塵が舞い立つほど勢い良く掃き出した。

 

『あれはただ、箒を速く強く動かした方が鍛錬にもなりますよ、とアドバイスをしただけで』

口ごもる倫道を斗和がさらに詰める。

「ほう、アドバイスねえ?で、その後千寿郎君に何か言わせようとしてたよね?」

調子に乗った倫道が「こう言ってください」と何かセリフを言わせようと千寿郎に囁いていたが、悪いことを企んでいるに違いないと見抜いた斗和が慌てて止めた。

 

「何て言わせようとしたの?!白状しなさい!」

斗和は鋭い眼で倫道を追求する。

 

『……お、お出かけですか、レレレのレって』

倫道は口ごもりながら答える。

 

「レレレのおじさんじゃねーか!!千寿郎君に何て事させようとしてんの!!」

『そんな鬼みたいな顔しなくても良いのに』

「何か言った?!」

『いえ、何も。あ、あとさ、斗和さんあれ覚えてる?村田さんの椿油にゴマ油混ぜといたの』

「えっ?ああーあの時ね……。村田さん、匂いがとれない!って半泣きで叫んでたよ。こんなことするのアイツしかいねえ!って激怒してた。私は黙ってたよ?倫道君の仕業って分かってたけど」

中華料理の匂いをさせながら怒りに震える村田を思い出し、斗和は噴き出した。

 

 

 

 日が少し高くなった。時折冷たい風が強く吹くが、穏やかな冬晴れだった。瓦礫撤去の部隊は道を作るために他の場所へ行き、要救助者の収容は一段落し、周囲には人がいなくなっていた。

 

「リンドー!!」

突然マスカラスがやって来て、近くの瓦礫の山の上から叫んだ。マスカラスには霊体となった主の姿が見えていた。

 

「リンドー!早ク言エ!時間無インダロ!!」

斗和は、先程から急に饒舌になった倫道の異変を訝しんでいたが、マスカラスの只ならぬ様子に何かあると直感した。懸命に面白い話をして笑わせようとしているのには、楽しく思い出を懐かしんでいるだけではない別の意図――例えば何かを隠すような――があるように思えた。

 

「マスカラス?!時間が無いってどういうこと?ねえ倫道君、さっきからおかしいよ。何かあるなら誤魔化さないでちゃんと言って」

『それは』

とても大事な何か。斗和はどうしても気になり、倫道に尋ねた。倫道は言い淀んで、それでも何か言いたげにしていたが、また口を噤んだ。

 

『お前、余計な事するなよ。このまま時間切れ狙ってたのに』

倫道は苦笑してマスカラスを見る。

 

「リンドー!!」

マスカラスがまた叫んだ。

 

『分かったよ、言うよ。すげえ恥ずかしいけど。まあどうせ忘れるんだし、良いか』

倫道はぶつぶつ言いながらも決心を固めたのか顔を上げ、眩しそうに斗和を見た。

 

『初めて話した時のこと覚えてる?俺が斗和さんの家に面会に行った時』

一体何を言い出すのだろうかと斗和は身構えていたが、倫道が語り出したのはやはり昔の話だった。

 

「うん、覚えてる。倫道君いきなり泣き出すからちょっとびっくりしたよ。それで話し始めたらメチャクチャ緊張してるし、あーヤバい人来ちゃったなーって思った」

『そ、そうだね、あれじゃ確かに挙動不審だよね』

「でも話してるうちに、良い人なんだなってちゃんと分かったよ」

フォローはされたものの、斗和の正直な第一印象を聞いた倫道は軽くショックを受けて苦笑した。

 

『ありがとう。俺もあの時斗和さんに会って確信した。俺たちは以前に会ってる。十二鬼月二体を倒した任務の時より、もっと前に』

「あの任務より前に?いつ会ったっけ?」

斗和は懸命に思い出そうとするが心当たりがなく、考え込んでしまった。

 

『俺は十四歳の時、雲取山で鬼に襲われたところを助けられた。助けてくれた隊士が、野良着を着て頭にはほっかむりで、鍬みたいな日輪刀を持ってたんだ。その時は本当に近所の農家さんだと思った』

「それ、私かな?」

まだ思い出せない斗和は怪訝な顔で聞いた。

 

『そんな恰好するの、斗和さんの他にいないでしょ』

「いるかもしれないでしょ!」

ムキになって言い返す斗和が可笑しくて愛おしくて、倫道は笑ってしまった。

 

『山の麓まで送ってもらってお礼を言った時、斗和さんのことジロジロ見ちゃってごめん』

こう言われ、斗和の頭の中で鮮やかに思い出される光景があった。

 

 夕日に照らされて、少し恥ずかしそうにしながら斗和を見つめる少年。周囲にはたくさんの彼岸花が咲いていた。少年の真っすぐな瞳に見つめられて急に気恥ずかしくなり、自分が助けたにも拘らず、斗和は逃げるようにその場から走り去った。

 今、斗和の中でその少年と倫道の面影が完全に一致した。黒死牟戦と無限城の崩壊で重傷を負って生死の境を彷徨った時、この光景を夢に見た意味が分かった。意識が朦朧としていたからではなく、斗和自身も無意識にあの少年を倫道だと認識していたのかもしれない。

 

「そうか、あの時の男の子!うん、やっと思い出したよ。あの雲取山の時だよね。そこら中に彼岸花が咲いてて綺麗だった」

『あの出会いの後で俺は記憶を取り戻して、鬼殺隊に入ろうって決めたんだ』

 

「やっぱりあれは倫道君だったんだね。凄い偶然!こんなに大きくなって、逞しくなったね」

巡り会い。運命の導き。そんな言葉を思い浮かべた斗和だったが、倫道との間にそんな深刻さは似合わない気がして、笑いを誘うようにわざと大袈裟に涙を拭う仕草をして見せた。

 

『主人公に助けられて目覚めるなんて、俺にはどうしても偶然とは思えない。やっぱりあれは必然の出会いだったんだ。それに斗和さんが助けてくれなかったら、俺は目覚める前に死んでた』

そう言うと、倫道は意を決したように斗和の方へ向き直った。いつもは能天気な微笑みを浮かべて飄々とした雰囲気だが、今は心なしか表情が強張っている。

 

「あの時助けたから、今度は私の命を救ってくれたんだね。鶴の恩返しみたい」

普段と違いどこか思い詰めたような倫道の様子に耐えかね、斗和は珍しく冗談を言って自分で笑った。倫道も笑ったが、緊張しているのかその笑顔はぎこちなかった。

 

『俺が斗和さんに助けられたのはあの時だけじゃないよ。一緒に稽古するだけで励まされたし、斗和さんを護るために努力して強くなれた』

「私が主人公だからって護り過ぎだよ!心臓治してくれたり、命まで……。私、何にも返せないのに」

斗和は少し涙を滲ませながら倫道を見た。

 

『俺が斗和さんを護ったのは恩返しじゃない。物語の主人公だからでもない。俺が斗和さんを護ったのは』

論道は感情を懸命に抑えながら、ついに斗和に想いを伝えようとした。

 

「倫道君、それって、その、つまり…………どういうこと?」

『え?いや、あの、それは、その』

倫道の真剣さは十分に伝わっだのだが、何を言いたいのか肝心な部分は斗和に伝わっていなかった。斗和は首を傾げ、困ったように倫道を見ている。本当に分かっていないのだと理解した倫道は、かと言ってストレートに表現する勇気も無く、しどろもどろになっていた。

 

(斗和チャン、鈍イ!リンドー行ケ!言ッテシマエ!!)

見守っているマスカラスが居ても立っても居られず、瓦礫の上でパタパタと足踏みをしていた。

 

『煉獄さんや不死川さんより、もっと前に出会っていた男がいるんだけど、誰か分かる?』

斗和さんはそういうことに疎いから、と倫道は気を取り直してもう一度シリアスに戻り、気付いてもらえるようにヒントを撒く。

 

「え、誰だろう?村田さん?宇髄さん?師匠は……関係ないよね?」

何故そんなことを聞くのか、どうして煉獄さんや実弥さんのことが出てくるのか、斗和はさらに混乱して、怪訝な顔で倫道を見つめた。

 斗和は恋愛には奥手で、さらに隊士一年目に顔に大きな怪我を負い、こんな傷のある醜い自分を好きになってくれる異性などいないと思い込み、鬼殺の任務と鍛錬に明け暮れてきた。不死川の不器用な優しさと一途な想いに触れ、愛される喜びを知り、人を愛する強さも知ったばかりである。

 

『い、いやあ、あのですね、つまり俺と斗和さんは十四歳の時に出会っていたんだよということで……』

「あ!そうか、そうだよね!そこまでは分かる」

察してもらおうとしたが全く伝わらず、いつもの調子に戻って懸命に説明する倫道と、その意味に気付かない斗和。

 

『煉獄さんより不死川さんより……俺が一番先に会ってたんだ』

倫道の呟きも考え込んでいる斗和の耳には届いていなかった。

 

 その時、倫道の全身がぼんやりと虹色に淡く光って揺らめき、一瞬完全に体が透けて輪郭だけになった。すぐに生身の肉体の質感に近い元の状態に戻ったが、それは間もなくこの世界から消滅する前兆だった。

 

『時間か』

この世界を去る時が来たのだと悟った倫道はポツリと呟いた。

 

「時間って?!あと二日あるんじゃないの?」

『色々やったから制限時間が早まっちゃったんだ。もうお別れの時間だ』

倫道は斗和から視線を外して答えた。驚き、絶句する斗和。

 

『俺が消えたらみんなの記憶も辻褄が合うように書き換えられる。初めから俺の存在は無かったものとして、この物語は続いていく。だから大丈夫、俺がいなくなっても悲しむことはない』

明るい調子で倫道が言う。

 

「大丈夫じゃない!!悲しいよ!!寂しいよ!!勝手に消えないでって言ったのに!」

斗和が悲痛な表情で叫ぶ。

 

『斗和さんの幸せをずっと見ていたかったけど、それは叶わない。俺の役目は終わったんだ。もう護ってあげることはできないけど、頼りになる人もいるし、斗和さんならきっと自分の力で歩いて行けるよ。心配無い、人生楽ありゃ苦もあるさ。涙の後には虹も出る』

「また聞いたことある!あー分かった、水戸黄門だ!ってこんな時まで小ネタ入れなくていいから!どうしてこんな時までふざけるの?!倫道君消えちゃうんでしょ?!そしたらもう会えないんだよ?!」

斗和が涙を滲ませながら怒る。倫道の体は淡い光を放って揺らめき、また元に戻る。

 

『だってさあ、さっきから俺が色々ヒント出してるのに伝わらないから!ホント鈍いね』

倫道は呆れた顔で言った。

 

「私鈍くないよ!…………でも、伝わらないって何が??」

斗和はムッとした顔で応じたが倫道の言葉の意味がまだ分からず、多少バツが悪そうに聞いた。

 

『じゃあ斗和さん、ここで問題です。俺の好きな人は誰でしょう?正解したらプレゼントもあるよ!鈍くないなら分かるよね?!』

倫道はもうシリアスを諦め、呆れながら話しかけた。

 

「倫道君の好きな人?そんな、急に言われても……ええと……“すきなひと”、五文字だから……」

何やら指を折って数を数えたりと見当違いの考察をして、額に片手を当て唸っている斗和。

 

『あの……斗和さん?なぞなぞじゃないんですが』

倫道もどうしたものかと額に片手を当てて悩む。

 

(……)

マスカラスまで片翼で自分の頭を押さえて悩む。

 

 斗和、倫道、マスカラスが同じポーズで一緒に悩んでいた。

 

『残念、時間切れだ。じゃあね、バイバイ』

数秒後、倫道は無表情に言い放つと斗和に背を向けて両手を空へと伸ばし、消えようとした。

 

「ちょっと待って!!待ってよ!!教えてくれたらすぐにここへ呼んで来るからっ!!消える前に会わせてあげられるよ!!」

斗和は消えようとする倫道を必死に止めた。

 

 

『呼ぶって?』

倫道は振り向き、怪訝そうな顔で斗和を見つめた。

 

 

「だって、会いたくないの?前に言ってた人でしょ?十四歳の時に会ったって」

『だから呼ばなくていいんだ。――その人ならもうここにいる。俺の目の前に』

 

 

 蘇る思い出の中の一場面に、斗和はハッとした。

 

 

 

 

 

 

「倫道君の”命を懸けて護りたい人”って誰?」

斗和は只の興味で何気なく聞いた。倫道は恥ずかしがって教えてくれなかったが、一つだけ話してくれたことがあった。

 

 十四歳の時初めて会って、それからずっと憧れてる人だ、と。

 

 約二年前、二十歳になる年の初めに倫道と二人で産屋敷耀哉と会談し、この世界が虚構であり、自分たちは現実世界からの転生者で物語の結末を知っていることを打ち明けた。その帰り路での会話だった。

 

――倫道は十四歳の時に出会った人をずっと想い続けていて、その人を護り抜きたいと思っている――。

いつも淡々として見える倫道の意外な純情さを、斗和は微笑ましく思った。だがその時斗和は杏寿郎に淡い気持ちを抱いていたせいもあり、それ以上追及せず気に留めなかった。初めて会ったのはお互い十八歳の時だから、倫道の想い人は自分ではない。斗和はそう思い込み、やがてそんな会話があったことも忘れてしまっていた。

 その時はほんの些細な事に思えたが、実は重要な意味を持っていた。鈍感な斗和もさすがに倫道の真意に気付いた。今までの倫道の行動を思い返すと全てが腑に落ち、それは一つに繋がった。

 

「倫道君の好きな人って……私だったの?命を懸けて護りたいって……そういうことなの?だって今まで何にも言ってくれなかったし」

斗和は様々な出来事を思い出し、その意味を理解した。

 

「最低だよね、私……」

読者であった倫道は全て知っていたはずだ。斗和の想いが誰にあるかも、自分が斗和の運命の相手とはならないことも。それを分かっていながらずっと支え、戦ってくれていた倫道の気持ちを、自分はただ一方的に利用した。そう思うと斗和は激しい自己嫌悪に陥った。

 

『斗和さんの力になれたのであればこれ以上の喜びは無いよ。斗和さんの傍にいられて嬉しかった。一緒に心を燃やして戦えて楽しかった』

倫道の体が淡く光って揺らめいてはまた戻る。しかし何度か繰り返すと、指が、手がぼんやりと光ったまま戻らなくなり、だんだんと姿が薄れていく。倫道はそんな自分の体を感慨深げに見つめる。

 

『斗和さん。自分を責めたりしないで、どうか精一杯生きて!それから……本当はこんなことも言うつもりじゃなかったけど』

微笑んで斗和を見つめ、深呼吸をしながら言葉を継いだ。

 

『斗和さん、あの、俺さ……、えーと……、えーと、そ、その……す……す…………』

「えっ?なあに、聞こえないよ」

倫道は口ごもりながら何かを伝えようとしていた。斗和も涙を流しながら、懸命に倫道の言葉を聞き取ろうとした。

 

(リンドー……)

マスカラスも涙を流しながら見守る。

 

『すっ……す、す……すき…………………………焼き食べたい……あと焼きお握りも。なあんちゃって』

傍らで涙を流していたマスカラスがズッコけて瓦礫から転がり落ちた。

 

(リンドオオオ!!!アホカ!!オマエ何言ッテンダヨ!)

「うん、分かったよ!すき焼きできなかったもんね、今度食べようよ!焼きお握りもいくらでも作ってあげるから……だから消えないで!」

せめて落ち着いて話してから、きちんと今までのお礼をして、その上で別れの挨拶をしたかった。だが別れは急にやって来て、この大事な人を永遠に連れ去って行く。そしてその人の想いにも気付かず、何一つ応えてやることもできなかった。悲しく、切なく、そんな自分に対する情けなさや悔しさが入り交じり、斗和は嗚咽した。

 

『斗和さん、俺の目を見てくれ』

「嫌!忘れさせる気でしょ?!そんなの嫌だよ!一緒に頑張ってきたじゃない!」

倫道は斗和に邪眼を使って記憶を上書きすることは諦めたが、結果が同じであることは分かっていた。マスカラスもまたポロポロと涙を流しながら見守っている。

 

『俺はまた違う世界に生まれ変わる。俺はそうして旅をしてきた。俺の存在が跡形も無く消えるのも、抗うことはできない』

「……また、どこかで会えるよね?」

『必ず会える。会いに行くよ!約束だ』

「約束だよ!」

無限にある世界で、同じ時間軸に二人がもう一度同時に存在することは困難だ。そして、例え奇跡的にまた会えたとしても、お互いに気付くことはさらに難しいだろう。それでも倫道は言った。

 

 斗和が倫道に手を伸ばす。倫道も斗和の方へ手を伸ばしたが、お互いの手は触れ合わずにすり抜けた。

 

 倫道の全身がぼんやりと虹色に光って揺らめき、涙を流しながら懸命に微笑むその姿が徐々に薄くなっていく。斗和も涙を流してそれを見つめている。

 

『斗和さん』

「なに?」

『風呂……入れよ』

「うん」

『歯磨けよ』

「うん」

『宿題やれよ』

「全員集合じゃない……!」

どこかで聞いたことがあると思っていたが、懐かしのテレビ番組だと気付いて苦笑する斗和。

 

『それから、便秘するなよ』

「加トちゃんそんなこと言ってた?」

『いや、凄く大事だから俺が言った!便の性状から己の状態を知る、これがウン己知新と』

「やだ、汚い!!」

最後までウケを狙う倫道に斗和は涙を流しながらつい笑ってしまい、無意識に下を向いた。

 

「もう!小学生じゃないんだから……あれ、倫道君?」

そう言って視線を戻すと倫道の姿は既に無く、気配が消えていた。

 

「待ってよ、そんなにあっさり行っちゃうなんて」

呆気ない別れに斗和は一瞬思考が停止して泣くのを忘れたが、やがてじわじわと実感が湧いて来て、新たな涙が斗和の眼から流れた。

 

「最後の言葉がウンコ……ホントにふざけてる!でも倫道君らしいかな」

倫道は最後の最後まで笑わそうとしていた。だから笑おう。

 斗和は自分で自分の口角を無理やり引っ張り上げ、頑張って笑顔らしきものを作った。

 

(笑え、斗和!笑うんだ。笑うんだ!)

懸命に笑おうとしているうちに斗和は自分自身が可笑しく思えて来て、最後には本当に笑顔になり、声を出して笑った。湧き上がる悲しみを堪え、止めどなく溢れて来る涙も構わずに笑った。

 

「そうだ!忘れないように手に書いておこう!忘れさせようとしたってそうはいかないからね!みんなが忘れたって私だけは絶対覚えててやる!みずはらりんどう、みずはら……」

斗和はしゃがみ込んで土を指に付け、掌に倫道の名を書こうとした。

 

「あ……あれ?どうして」

書こうとした斗和の指が止まった。

 

「名前が思い出せない……!忘れたくない人、忘れちゃいけない人……!誰?誰のことを忘れちゃいけないの?ああっ!」

斗和は頭を抱えて蹲った。

 

(私、今何してたんだっけ?何でこんな所に一人で居るんだろう?早く実弥さんのところに行かなくちゃ)

斗和は冷静になり、ゆっくりと立ち上がった。

 

(そうだ、佳成を見送ったんだ。夏世ちゃんに会えてると良いな。でもどうしてだろう?佳成のことだけじゃない、すごく悲しいことがあった気がする……)

自分が泣いている理由を佳成のことだと思い込んだ斗和だったが、ほんの少しの違和感を覚えつつ周囲を見渡した。

 

 救護所へ向かおうとしたその時。瓦礫の上に一羽のカラスがポツリと佇んでいるのが眼に入った。

 

 

「あなた、お名前は?どこから来たの?」

誰かの鎹ガラスだろうか、そう思いながら斗和は優しく問いかけた。しかしカラスは返事をせず、じっと斗和を見つめるばかりだった。人語を解さない、迷い込んだ普通のカラスかと思い斗和はその場を離れようとしたが、よく見るとカラスは涙を流していた。

 

 

(主を亡くして一人ぼっちになった子なのかもしれない)

斗和は胸を痛めた。

 

 

「斗和チャン」

斗和が次の言葉を探していると、不意にカラスが話しかけてきた。

(斗和ちゃん?この子は私のことを知ってる?!)

柱である自分をちゃん付けで呼ぶカラスはいないが、以前確かにそう呼ばれていたことを斗和は思い出した。だがその場面を具体的には思い出せず、誰のカラスにそう呼ばれたのかも思い出せなかった。

 カラスは不意に翼を広げると、想いを吹っ切るように勢いよく羽ばたいた。

 

 

「生キテ!斗和チャン!――ノ分マデ!!」

カラスはそう叫んで舞い上がった。羽音と吹き抜ける風の音で誰かの名前は聞き取れなかった。

 

 

「待って、もう一度言って!貴方のお名前は?貴方の主は誰?!」

斗和は呼び止めたが、カラスはすぐに空の彼方へと飛び去った。斗和はその影が小さくなり、見えなくなるまで見送っていたが、やがて救護所の方へと歩き出した。

 

 

 

 

 眼の前には、サムネイルになったたくさんの記憶の断片があった。

 

 倫道は、思い出たちがモザイクの様に無数に嵌め込まれた巨大な壁の前に立っていた。どれもが愛おしく、大切な宝物だった。倫道がそれを眺めていると、思い出のサムネイルは一つひとつ消えていき、やがてほとんどが空白になった。サムネイルの消失とともに倫道の記憶も消えていき、最後に残ったのは夕日に照らされた彼岸花の群生と顔に傷のある少女の姿だった。そして、最後にその記憶も消えた。

 

 

(名前も顔ももう思い出せないけど)

心から君を想っていた。これからも、ずっと。

 

 

 君がどの世界にいても、俺は必ず会いに行く。例え君が俺のこと忘れていても、俺自身が君を忘れていたとしても。どこかの世界で、時の流れのどこかで、いつか必ず。

 

 

 

 

 こうして倫道は新たな世界へと旅立って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最終決戦から三ヶ月後。産屋敷邸の会見の間で、最後の柱合会議が開かれた。

 

「みんなのおかげで無惨を倒し、鬼を滅ぼすことができた。だが、本当にこれで終わりなのだろうか、これからは何者と戦うべきなのか?みんなはそのように思ったことは無いかな?」

居並ぶ十一人の柱たちを前に、産屋敷耀哉は語りかけた。

 

 開け放った障子からは春の風が吹き込んで来る。庭の桜はまだ五分咲きと言ったところであった。

 

「鬼は人の暗部が具現化された存在だ。鬼は即ち人であり、人は誰しも鬼となる。無惨を倒しても人の心の内にある鬼は消えない。だから、私たちは自分の中の鬼と戦わなければならない。そしていつか、誰もが理不尽に命を脅かされない世の中を創らなければならない。――私は最近そう思うんだ」

耀哉は特段力みもせず、普段と変わらない穏やかな調子で語り続け、柱たちは感じ入って聞いていた。

 

「それはこれまで以上に困難だろうけど、私たちならきっとできるはずだ。いなくなってしまった大勢の子供たちのためにも、共に成し遂げよう」

「御意」

無惨討滅のために払った犠牲の大きさを思い、一同はしんみりとしたが、斗和は何故かハッとした。今ここにはいない誰か。急に浮かんだそんな言葉がどうにも引っかかった。

 

 語り終えた耀哉は微笑んで柱たちを見渡した。青黒く色素沈着し、顔一面を覆っていたケロイド状の組織はきれいに消え、耀哉は少年の時のような美しさと健康を取り戻していた。視力も元通りになり、その眼には新たな決意が宿っていた。

 

「只今を以て鬼殺隊を解散する」

耀哉はそう告げると、一族共々居並ぶ柱たちに深く頭を下げ、感謝を述べた。

 斗和も含め、柱たちはそれぞれに万感の思いをもってそれを聞き、感極まって涙した。しかし、耀哉の挨拶はこれだけではなかった。これからは当主としてではなく、みなさんの友人として接して欲しい、“耀哉”と呼んで欲しいと言い出したのだ。この申し出に、「滅相も無い」「もったいないお言葉」と柱たちは大混乱に陥った。慌てふためく柱たちだったが、それが日頃の冷静沈着な姿と余りにもかけ離れていて、見守っていた耀哉は声を出して笑った。

 

「お館様……?」

耀哉がこんなにも楽しそうに笑う姿は今まで誰も見たことが無く、柱たちは当惑した。

 

「私はもう“お館様”ではないよ」

一頻り笑った後、耀哉はまだ可笑しそうにしながらそう答えた。耀哉の晴れやかな笑顔につられて柱たちもまた自然と笑顔になり、場は和やかに落ち着いた。

 その後幾つか意見が出たが、“耀哉様”と呼ぶことに決まり、最後の柱合会議は散会となった。

 

 

 柱合会議の後、斗和と実弥の結婚をお祝いする会が行われることになっていた。柱はそのまま居残り、縁のある一般隊士や隠の隊士、刀鍛冶職人たちも大勢やって来ており、斗和の育手である西盛の姿も見えた。

 

 求められ、耀哉が挨拶に立った。

 

「おめでとう、実弥、斗和。柱として共に戦った二人が本日正式に夫婦になった。その門出を一緒に祝えること、本当に嬉しく思うよ」

耀哉は二人を見て微笑んだ。

 

「これから先、良い事もそうでない事も起こるだろう。だが二人ならきっと乗り越えて行けると私は信じている。二人は今まで命懸けで大勢の人を助けて来たから、困った時はきっと誰かが助けてくれるだろう。もっとも、こんなに強い二人のことだから、不幸も避けて通るかもしれないが」

耀哉は冗談を言いながらも祝辞を送り、最後にこう結んだ。

 

「人生は物語のようなもの、人の数だけ物語はある。物語の流れは決まっているが、登場人物たちが頑張ることで幸せな結末へと変えられるかもしれない。主人公は自分自身ということを忘れず、人生という物語を紡いでいって欲しい。――そうだね、斗和」

耀哉は斗和に微笑みかけた。

 

「はっ、はい!」

話を突然向けられ斗和は慌てて返事をしたが、一方でこの状況を冷静に分析していた。

 この世界は物語、虚構である。それは耀哉に説明した通りであるが、斗和自身も登場人物であり、ストーリーも大幅に変わった。

 そのことも含めて知っていたから、斗和だけに分かるようにそう言ったのかもしれない。

 

(やはり耀哉様は全てご存じなんだ……。でも何故、誰がそれを?)

斗和は懸命に考えを巡らせた。

 

 最終決戦を終えてから、斗和は違和感を覚えていた。幸せなのに、どこか現実味が無い。元々の病気である心臓の不調も無く、最終決戦も生き長らえ、顔の左側にあった大きな傷が薄く目立たなくなっている。物語は大きく変わってしまい、今後どうなっていくのか漠然と不安を感じていた。ただそれについて考えようとすると頭痛がしたり、何か用事が入ったりとゆっくりと深く思い出す暇が無かったのだ。

 そして斗和は奇妙な事に気付いた。

 

 

 何故、自分はそれを知っている?斗和はすっきりとしない思いを抱えながら曖昧な笑顔を浮かべていた。

 

 

 耀哉の挨拶が終わった。斗和と不死川の二人が参列者たちの輪の中へ入ろうと、広間の縁側から庭へと降りた時だった。

 

『プレゼント』

不意に、斗和の頭の中に声が響いた。聞き覚えの無い、しかし不思議と懐かしい誰かの声。

 

「あ!桜が!!」

次の瞬間、誰かが声を上げた。その場にいる他の者たちからも感嘆のため息が漏れた。

 

 五分咲きだった庭の桜が一斉に咲きだして、見事な満開となった。

 

 斗和は、ほんのわずかに思い出した。現実とこの世界を結んだ者。この世界をより良くするため、斗和を護るため、命を懸けて戦った者。

 何らかの意図を以て記憶から削除されているが、全ての痕跡が消え去った訳ではなかった。名前も顔も思い出せない誰かが共にいたこと、また会おうと約束したことを確かに思い出した。

 

 斗和の眼から、ひとりでに涙が零れ落ちた。

 

 

(そうか、君も喜んでいるんだね)

粋な演出をしたその人物に、耀哉は心の中で呼びかけて微笑んだ。

 

 耀哉の元に、差出人の名前の無い一通の遺書があった。最終決戦の前に「無惨を討滅したらお読みください」と伝言を添えてカラスが持って来たのだが、決戦後、耀哉はなぜかその差出人の隊士のことが思い出せなかった。全ての隊士を覚えている耀哉であったが、顔や名はもちろん、年恰好も、階級も覚えておらず、存在したのかすら定かではない。

 ただ辛うじて覚えているのは「お読みになったら破棄してください」とカラスが去り際に残したもう一つの伝言だけだった。

 

 耀哉宛てに書かれたその遺書には、ここは蓬萊斗和を主人公とする物語の世界であり、本当の部外者は自分一人であったことと、嘘を報告したことへの詫びが綴られており、どうか斗和を見守って欲しいと結ばれていた。耀哉はこれを読み、この世界を変え、斗和や自分の命を救った者の存在を認識した。

 耀哉はその遺書を今日まで捨てずに取っておいたが、迷った末に斗和には渡さずにおくことにした。

 

 

 

「いよう、お似合いだぜお二人さん!子供は男の子と女の子、どっちが良いんだ?」

祝福する大勢の人の中から宇髄が野次を飛ばす。

 

「う、うるせぇ!」

慣れない羽織袴姿の不死川が顔を赤らめて言い返すと、周囲からは笑いが漏れる。

 

「私は元気で生まれてくれたら良いんです。男の子でも女の子でも、ネコでも」

着物で美しく着飾った斗和は涼しい顔で冗談を返し、慌てる不死川に参列者一同は爆笑した。

 

(例え作られた人間であったとしても、私は私。この世界で生きている一人の人間なんだ。私はこれからも全力で生きる!――さあ、私を作った作者さん!!頑張って書いてね、私のこれからを!できれば飛び切り幸せな人生をお願いします!)

斗和はようやく幸せを実感し、今までのようにあれこれと心配し過ぎるのも止めようと決意した。

 

 

「ありがとう。私、幸せだよ」

見えない誰かに向かい、斗和は心からの感謝の言葉を告げた。




ようやく最終回をむかえることができました。読んでいただいた皆様、本当にありがとうございました。
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