一人の刑事が署内の一室でとある資料と睨み合っていた。
それは数日前に捜索願が出されていた女子高生と男性会社員のものだった。
二人は通報日さえ違えど、同日に行方がわからなくなっていると思われていた。
女子高生は実家にも帰っておらず、学校も無断欠席が続いていた。
男性会社員の方も無断欠勤が続き、連絡も全くつかないということだ。
心配した同僚が家を尋ねるも無人であった。
今のところ、二人には共通点は見つかっておらず、たまたま同日に姿を消したのか、
同一犯により何らかの事件に巻き込まれたのか、何も掴めていない状況であった。
同一管轄内で同日に起きたと見られたことと親族からの強い要望もあり、
形だけの捜査が行われたのだったが何か新たな事実が見つかることはなかった。
だが、この刑事には直観以外の物証があるわけではなかったのが、二つの失踪に関連性が
ある気がしていた。
なので、こうやって通常勤務が終わった後で一人残って資料を眺めていたのだった。
「あら? モッさん。こんな時間まで珍しいじゃないの? 」
廊下の方から室内を覗いていたのは交通課の早瀬だった。
人懐っこいキャラクターで割と署内でも人気のある人物だった。
『モッさん』と呼ばれた舞元刑事も飲みに行ったりと親しくしている仲間の一人だった。
「またまた不精髭を蓄えちゃって。相変わらず仕事熱心ですねー。」
「うっせー。お前こそ何してんだ。こんなところで? 」
舞元は煩わしそうに対応はしてるものの満更でもない様子だった。
「仕事ですよ。ハイキングでもしてるように見えますか? 」
「いや。飲み屋街を彷徨ってる飲んだくれのOLに見えた。」
「そんなゆーたら、モッさんも昼間っから飲み歩いとるオッサンみたいな風体やで。
確かに皺くちゃのワイシャツに何日も手入れをしていない髭面。
一般的な公務員のイメージとはかけ離れた存在であるのは間違いなかった。
「ほんで。小汚い名刑事さんはどんな難事件を捜査しとんの? 」
そう言いながら楽しそうに近づいてきた早瀬が舞元が眺めていた資料を覗き込んだ。
「こりゃまだ事件って決まったわけじゃないんだが、ちょっと気になってな。」
「ふーん...刑事のカンってやつですか? 」
「そんな大したもんじゃねぇーよ。行方不明者の二人がな...」
資料を見た早瀬の表情に変化が起きたことを舞元は見逃さなかった。
「ん? お前の知り合いか? 」
「...えっ? いや...ちゃうで。けど、知ってんで。この二人。」
「はっ? どういう...ん? 二人っつったか? 」
性別もタイプも違う二人の行方不明者。捜査しても接点の見つからなかった二人を
両者共に知っているとはどういう事なのか。
「せやで。二人とも同じ事故の現場に居合わせた目撃者や。まぁ...目撃者っていうよりは
ほんまに居合わせたっちゅうだけやけどね。」
早瀬の言葉によって舞元の想像は現実のものへと近づいて行った。
早瀬から事故の概要を聞いた舞元は急いで署内に残っていた記録を調べ始めた。
その結果、早瀬が言うように二人とも確かに同じ事故現場に居合わせていた。
そして、二人とも事故発生現場は目撃しておらず、証言としては二人からは何も得られなかった。
事故は現場の状況、運転手の女の証言から被害女性の過失も認められ、
運転手の女には執行猶予と罰金刑が科された。
被害者女性の母親が決定に異議を申し立てらのだが認められることはなかった。
被害女性は『
加害女性の方は『
残っていた資料からわかったことは、そんなところだ。
「...まさかな。」
舞元自身は自分自身の刑事としての能力に一定の自信を持っていた。
その中には『刑事のカン』というやつも入っているのだが、その『カン』が
明らかに舞元に囁きかけてきていた。
そう。『
舞元は資料に残っていた被害者女性の実家の住所をメモすると何かに誘われるかのように
警察署の出口へと急いだ。
舞元がメモを頼りに辿り着いた場所は何の変哲もない二階建ての民家だった。
周りには似たような民家が並んでおり、閑静な住宅街の一角といったところだろう。
その家が周りの違っていたところは真っ暗であったことだった。
すっかりと日も暮れているというのに、その暗闇に溶け込むように...。
まるで、その家自体が何かから逃げるために隠れているかのようだった。
ダメ元で玄関の呼び鈴を押してみるも、やはり反応が返ってくることはなかった。
それは玄関の扉を直接ノックしてみても結果が変わらない。
舞元が諦めて帰ろうとした時だった。
「町田さんに何か御用ですか? 」
公道の方から玄関前に立つ舞元に声を掛けたのは一人の老婆だった。
「あ。まぁ...そんなところですかね。」
「...。」
こんな時間の閑静な住宅街にスーツを着た不精髭の男が一人。
老婆の目が明らかに不審なものでも見るような目つきになっていた。
無理もないことだ。舞元は慌てて警察手帳を取り出して、老婆へと提示した。
昨今、この警察手帳というやつも昔ほどの威光を放つものでも無くなってきてはいたのだが、
何も無い状況よりかは何十倍もマシなのであった。
老婆は目が悪くなっているのか、目を細めながら警察手帳へと顔を少し近づけた。
「なんだ。刑事さんかい。ご苦労様ですね。」
「これはご丁寧に。あの町田さんはお出掛けですかね? 」
老婆の表情から緊張の色が薄らいだのを感じた舞元は優しく、丁寧に老婆へと話しかけた。
「町田さんか...。しばらく姿を見てないねぇ。」
「旅行か何かですか? 」
老婆は少しの間、舞元の顔を何かを見定めるように見つめた後で口を開いた。
「いや。
「
「ああ。ちまちゃんの事故の件は知ってるかい? 」
「ええ...詳しくは知りませんが、事故が起きて娘さんが亡くなったと言うことは知っています。」
老婆は少し悲しそうな顔になっていた。暗くてはっきりとは見えなかったのだが、
目にうっすらと涙が浮かんでいるように見えた。
「可愛くて良い娘だったんだよ。ちまちゃんは...。その事故の後で母親は何もかもを投げ出して、
ちまちゃんが運転手の女に殺されたんだと訴え続けてたよ。そんな中で父親が病に倒れて急死。
元々体が弱かったみたいだけど、精神的な衰弱もあったみたいでね。」
「そうだったんですか...。まさか、母親も倒れて? 」
「...いいや。母親は生きていたよ。何もかもに絶望して死ぬのは簡単だったろう。
でも、死ねなかったんだね。このまま理不尽に自分だけが大切なものを奪われたままで
逃げるのが嫌だったんだろう。以前に増して母親は抗議の声を大きくしていったよ。」
町田家の現状は舞元が想像していたよりも悲惨な状況であるようだった。
「それなら残された母親はどこへ? 」
「最後に母親の姿を見たのは一週間ほど前だったかの。家から出てくる所を見たっきりだよ。
恐らく、それっきり帰ってきてないんじゃないかな? 御覧の通りに家も真っ暗なままさ。」
何ということだろうか。
事故の目撃者二人が行方不明になる少し前に被害者少女の母親も姿を消していたのだ。
その時、舞元は背中に冷たいものが走るのを確かに感じていた。