「君の名は。キルヒアイス」歴史の真実と芯の世界 作:高尾のり子
キルヒアイスは目を覚まして木造家屋の天井が見えたので二度目だということを悟った。
「………やはり繰り返すのか……」
三葉の唇が男らしくつぶやき、静かに和布団から三葉の身体が起き上がると、そばに手紙があった。読んでみる。
キルヒアイスさんへ
はじめまして、宮水三葉です。
もし、またキルヒアイスさんが私になっているのなら、できるだけ私の生活を私のように過ごしてください。周囲から変に思われたくないので苦痛かもしれませんが女の子らしく振る舞ってください。入れ替わっていることも周りに言わないでください。
一度目のとき目を閉じて着替えていただき、ありがとうございます。今日も同じようにしてください。お願いします。私の身体は見ないでください。触るのも必要最小限にしていただけるとうれしいです。お願いします。
読み終えた三葉の手は手紙を机に片付けた。
「返事は夜に書く方がいいか……今日の出来事も含めて」
鏡を見ると三葉の姿が映っている。
「……女の子らしくか……。言葉使いも気をつけた方がいいだろうな……いいのかな。……いいのかしら? いいのでしょうか? いいの? ………難しい……」
三葉の細い腕が男らしく腕組みして、いいのだろうな、と考え込んでいた仕草から、少し女子らしく首を傾げて、いいのかな、と三葉の唇がつぶやき、さらに、いいのかしら、いいのでしょうか、と女性らしさを実直に研究し腕組みをやめて右手を腰へ、左手を顎にやり、やっぱり左手を顎にあてるのは男っぽいので軽く握って親指の先を唇にあててみる。
「右手は……こうか。……いや、こうでいいかしら…」
右手を腰から股関節の前あたりにやって指先をそろえてみると、かなり女性らしく三葉の姿が鏡に映っている。
「……独特の美しさのある人だ……いや、美しい人ですね。……あ、自分に言うのは変か…やっぱり難しい……ともかく、着替えを」
とりあえず着替えを探した。一度目のときは衣類は散らかっていたけれど、今は着替えがセットにして置いてあるのでわかりやすい。部屋の中も、ある程度は片付けられていて人目を気にしている感じがした。
「着替えるか。なるべく触らないように」
目を閉じて着替えを終えると、一階におりた。一葉がいるので挨拶する。
「おはようございます」
「ええ、おはよう。ジークさんなんね?」
一葉が訊いてくるので頷いた。
「はい、ご迷惑をおかけします」
「いえいえ、こちらこそ。向こうで三葉が迷惑をかけていないか、心配でたまらないくらいですよ」
「三葉さんには安全に過ごしていただけるよう上官にも頼んでありますので、どうか、ご安心ください。何か、お手伝いすることはありませんか」
「四葉を起こすのをお願いします。一昨日、夜更かしして昨日は二人とも遅刻したから、今日はちゃんと登校させんとねぇ」
「やはり、ご迷惑をかけたようです。すみません」
謝ってから顔を洗い、再び二階へあがった。
「四葉、おはようございます」
戸をノックしたけれど返事がない。繰り返しノックしていると一葉が台所から言ってくる
「入ってもらって、けっこうですよ」
そう言われたので室内に入ると、四葉は布団で静かに寝ていた。
「起きてください。四葉」
「……ん……」
なかなか起きない。小学生なので長い睡眠時間を必要とするのに、前々日は明け方まで三葉と話していたし、そのおかげで昨夜も睡眠リズムが戻っていない。
「起きてください。……………」
揺り起こそうとして、三葉の手が止まる。穏やかに寝ている四葉が、あと半年で非業の死を遂げるのだ、ということを思い出してしまい、三葉の瞳が潤んだ。ちょうど10歳といえば、キルヒアイスとラインハルトにとっても思い出深い時期なのに、この四葉は人生をそこで終えるのかと思うと、三葉の瞳が涙を零しそうになる。
「…………」
軽く頭を振って顔を引き締めた。
「起きてください。四葉」
「…ん~……あ、お兄さんの方?」
「見ただけでわかるのですか?」
「うん、まあ、姿勢から言葉遣いから、ぜんぜん違うし」
「……そうですか……女の子らしいというのは難しいようです」
三葉の顔が悩ましげに斜め下を向き、左手は軽く握って唇にそえられていく。四葉は起床の伸びをしつつ言う。
「今の方が普段のお姉ちゃんより、よっぽど女の子らしいよ」
会話しながら一階へおりて朝食の準備を手伝い、三人で食べる。
「ねぇ、お婆ちゃん、今の方が女の子らしいよね?」
「そうやね。いいところのお嬢さんという風やけど……ちょっと…」
「ちょっと、どう違うのでしょうか? できるだけ三葉さんに迷惑をかけたくないので、ご教授ください」
「うちの三葉に比べると、背筋がピシっとしすぎなんよ。小手先の仕草を女らしいしても背筋から軍人さんの雰囲気が、しっかり伝わってきて……そうやね、もう少し。たとえば、ジークさんの知っている女性らしい女性を真似されてみてはどうでしょう?」
「私の知っている女性らしい女性……」
アンネローゼ・フォン・グリューネワルトの姿を思い出した。憂いを含んだ穏やかな瞳と、しっとりとした座り姿、後宮に入るまでの微笑みも忘れていない。
「あの方の真似を……」
三葉のまっすぐ正座していた足が少しだけ崩され、背筋もわずかに傾けられると、たおやかな女らしい座り姿になった。
「このような振る舞いでよいでしょうか?」
「「…………」」
あまりに女らしく優美なので、また別の方向で三葉から離れてしまったけれど、もう注文をつけるのは気の毒なので二人は頷いた。朝食が終わり、家を出る前に四葉が告げる。
「お姉ちゃんが、トイレは小だけは済ませてくださいって。今も我慢してるよね? 学校で失敗されたら立ち直れないから、すっきりしてから家を出てあげて」
「……はい…」
三葉の顔が貴婦人のように恥じらい、赤面して頷いた。
「もちろん、身体は見ないようにしてあげてね」
「はい、当然そのようにいたします」
三葉の身体がトイレに向かい、緊張した面持ちで入っていった。しばらくしてトイレから出てくると、三葉の瞳が涙ぐんでいる。
「どうかしたの? どこか痛かった? 何か失敗して濡らしたなら着替えあるよ。目を閉じてトイレって難しかったでしょ」
「……いえ……三葉さんのお心を想うと……見ず知らずの男に……さぞや、おつらいのではないかと……」
つい、アンネローゼの境遇と重ね合わせてしまい、本人の意思に関係なく女性の身体が操られることに、深い悲しみと同情、そして罪悪感を背負った顔になっている。その悲しげにハンカチで涙を拭いている様子は、もう青年軍人というよりは不遇の貴婦人だった。四葉が複雑な顔になる。
「そこまで気を遣ってもらえると……お姉ちゃんも安心すると思いますよ」
「どうか、御安心くださるようお伝えください。誓って不埒なことはいたしておりません。目を閉じて、すべて成しておりますから。信じてください」
「うん、信じるよ。その顔を見たら、なんだかキルヒアイスさんの方が傷ついてるような気がする」
この人、きっと童貞なんだろうな、ちょっと潔癖すぎないかな、女性関係で何かあったのかな、と四葉はキルヒアイスの女性に対する潔癖さを感じるとともに、少し心配した。そろそろ家を出る時刻を過ぎかけているので四葉が促して、通学路を行くと、早耶香と克彦に出会った。
「おはよう、三葉ちゃん」
「おはよう、三葉」
「おはようございます、サヤチン、テッシー」
「「………」」
「どうかされましたか?」
少し首を傾げたアンネローゼが穏やかに問うように、三葉の唇が問い、早耶香が言う。
「また選挙モードなんやね」
「昨日は休憩やったんか。また無理すると明日、寝坊して遅刻するぞ」
「はい、気をつけます。ご心配、ありがとう、テッシー」
ありがとう、ジーク、と言ってくれるアンネローゼを真似して言うと、克彦が真っ赤になった。早耶香が少し冷めた目で言う。
「一昨日より女らしいね」
「そう心がけております」
穏やかに三葉の唇が微笑むと、同性の早耶香でさえ見惚れるような顔だった。
「どうですか、サヤチン、私は女らしく振る舞えているでしょうか?」
「……う……うん。十分に……」
もともと顔立ちの整った三葉が居住まいや仕草まで整えると、神々しいくらいになっている。そのせいなのか、学校に到着して授業を受け、昼休みになると柄の悪いクラスメートに野次られた。
「そんなに票が欲しいのかよ、お嬢様」
野次ってきたクラスメートは一昨日、上級生にからまれて金銭を巻き上げかけられたところを助けられる形になったのだけれど、それが気にくわないようでからんでくる。
「いい子にしてないといけないってか。宮水さんちの三葉ちゃんはよぉ」
「……」
無視するのもよくないと考え、ごく無難に応えてみる。
「私自身まだ未熟で選挙制度のことなどよく理解しておりませんが、お父様の選挙につきましては重ね重ね皆様にご支援いただきたいと存じております。どうか、この通りお願いいたします」
座っていた三葉の腰が立ち上がって深々と礼をすると、克彦も立ち上がった。
「おい、からんでやるなよ。親のことで」
「ちっ……」
舌打ちしてクラスメートが立ち去ると、克彦が心配する。
「大丈夫かよ、三葉」
「はい、ありがとう、テッシー」
「……そ、そんな真剣に礼を言われると照れるだろうが……べつに、たいしたことはしてねぇよ」
昼休みが終わり、午後の授業も平穏に受講して、なるべく宮水三葉としての生活を乱さないことを心がけていたのに、放課後になって校門を出ると上級生3名にからまれた。
「おい、宮水、ちょっと付き合えよ。こないだの礼をしてやる」
「………」
ついていくべきか、迷う。明らかに先日の件で意趣返しに来ている。それに対して正当防衛で反撃することが、宮水三葉としての生活に良い影響をおよぼすとは思えないし、戦力的にも3対1で筋力には自信がもてない。しかも、三葉の身体を無傷に、相手も軽傷におさめるとなると、かなり至難の業に思える。そして、たまたま自分が対応できる今日からんでくれたことは感謝したいほどの偶然で、この次も偶然に期待するのは危険すぎると判断して、三葉の頭が礼をした。
「先日は一時の感情に身を任せ、大変なご無礼をいたしました。どうか、お許しください」
「あん? ……えらく今日は感じが違うな……」
「こいつのオヤジ、選挙に出てるから、もめ事はヤバイってんじゃないっすか」
「なるほど。それならそれでよぉ、こっちも手荒なことはしねぇから、ちょっと付き合えよ」
三葉の胸に男の手が伸びてくると、さっと後退った。
「逃げんなよ、コラ」
「どうか、お許しください」
「だからよぉ、詫びなら詫びで、誠意みせろや」
「口先だけじゃなくてよ、口の中で頼むぜ」
「そうそう、白いの吐き出さねぇで、ゴックンしてくれや」
「口技は神業なんじゃねぇか、反吐女」
「………」
三葉の手に、つい力が入って拳になりそうになる。女性の尊厳を踏みにじろうとする三人の輩に鉄拳制裁を加えたくなる。相手は完全に油断しているので一瞬で正面の一人へボディーブローを入れて倒し、次の瞬間には右の一人を回し蹴りで仕留め、それで一対一になれば動揺するに違いないので勝機は確実に掴める。その自信はある。けれど、そんな宮水三葉はいけない、そして今日は勝てたとしても、こういった輩は軍法会議にでもかけない限り次回は6人9人と数を増やして再び来襲してくる。低俗ではあるけれど、それは戦略的には正しい上、その次回のとき宮水三葉が三葉本人だったら、ひどいことになる。だから、下品な言葉を浴びせられてもグッと我慢して再び頭をさげていると、克彦が間に立ってくれた。
「先輩、これだけ詫び入れてるんすから、このへんで勘弁してやってくださいよ」
「うっせぇ! ひっこんでろ眉毛!」
ガッ!
一喝されて克彦が蹴り飛ばされる。
「「テッシー!」」
心配して早耶香と二人で駆け寄った。すぐに克彦は立ち上がった。
「オレからも頼みます、もう勘弁してやってください」
「……ちっ…」
かなり強く蹴ったのに、すぐ立ち上がってきたのは意外だった。克彦は休日に建設現場で手伝いをすることもあるので体格も悪くない。小さな町なので、だいたいの素性はお互い知っている。
「勅使河原のぼっちゃんは、やっぱり宮水とデキてんのか?」
「もう手打ちにしてもらえませんか。お互い、一発ずつ、これで終わりに」
「けっ、足りねぇな」
「これ以上やると、こっちも問題にしますよ」
「あん?」
「オレは、ぼっちゃんっすからね。うちにも若いのが大勢いる。っていうか、あんたらの先輩も就職してますから、声かけたら、どうなりますかね?」
「くっ……家の力に頼るってのか、情けねぇ野郎だ!」
「お願いしてるだけっすよ。これで手打ちに、頼みます」
克彦が頭を下げると、悪態をつきながらも上級生3名が去った。三葉の瞳が申し訳なさそうに克彦を見つめる。
「すみません。私のために」
「おう。缶ジュースおごってくれよな」
「クスっ……わかりました。おごらせていただきます」
三葉の財布を勝手に使うことは少し気が引けたけれど少額なので缶ジュースを買った。
「………」
この時代の缶ジュースと、私たちの時代のもの、ほとんど形状に変化がないな、よほど人類にとって普遍的な形に完成しているのだろう、と余計なことを考えてから克彦に渡した。
「ありがとう、テッシー。蹴られたところ、痛みは大丈夫ですか」
「もう平気だって」
美味そうに缶ジュースを飲む克彦に、もう一度頭を下げてから帰宅すると、すでに帰宅していた四葉が訊いてくる。
「今日は、どうだった?」
「なるべく普通に授業を受けたのですが、一つ申し訳ないことがあります」
そう言って上級生にからまれた件の顛末を四葉に話した。
「そんなことがあったんだ。お姉ちゃんに伝えておくよ。他には?」
「あとは、お父様の選挙について周囲から言われたとき、どう対応するのが正しいでしょう?」
「テキトーでいいよ。無視でもいいし」
「………ですが、政治的な代表を選ぶものですよね?」
「子供に関係ないじゃん」
「……そうかもしれませんが……」
「私も訊きたいことがあるの、お兄さんに」
四葉は姉の身体が一日どう過ごしたかを訊いた後は宇宙や銀河について訊いてきた。それについて、後の歴史に問題とならない程度に答えながら夕食を終え、三葉へ手紙の返事を書いた。
宮水三葉さんへ
はじめまして。と言いましても、すでに私も、あなたへの手紙を置いておきましたし、これを読まれているときには、もう戻った後になりますから、2通目ということになるのでしょうか、なんだか、ややこしいですね。
ご依頼の件ですが、私の気のつく範囲で努力いたしました。至らぬ点はあるかと存じますが、どうかご容赦ください。とくに、お身体については細心に気をつけたつもりです。
ただ、四葉に話しておいたのですが、少々の揉め事を起こしてしまい、テッシーには申し訳ないこともありました。明日もまた彼をいたわっていただけると幸甚です。
手紙を書き終えると国語辞典で誤字脱字をチェックして、入浴せずに12時を待っているうち、気になったので糸守町選挙管理委員会から各戸に配布されている選挙公報を手に取った。俊樹の公約が書いてある。
ブレない責任ある政治を!
宮水俊樹は責任を果たします。
宮水俊樹の5つの約束
農林業を地域の主役に! 安全で美味しい農作物を提供することで地域の農業を元気にします。
建設業を生き生きと! 地域の雇用は建設業で守られています。建設業の応援団として皆様に役立ちます。
福祉・医療を充実! 皆様が安心して暮らせる町へ、高齢化社会に対応した支援を推進します。
地方創生への挑戦! 歴史的・文化的な資源に光を当て、民俗学者としての知見を発揮します。
子育て・教育は町の責任で! 子供を安心して産み育てられる町へ、教育の機会均等な実現のために奨学金制度を充実させます。
三葉の口がつぶやく。
「……すばらしい……」
三葉の瞳がキラキラと輝いていく。俊樹の写真を熱く見つめている。
「……これこそ、善政の模範……ラインハルト様が目指すところ……三葉さんのお父様も、すばらしい方……」
共和主義政体については情報を制限されて育ってきたので、俊樹の公約を見て深く感動している。民主主義について、ごく簡単に投票によって代表を選ぶ、ということと腐敗もあり必ずしも善政を敷くとは限らないという程度のことしか知らなかったので、生の選挙公報を読むことができたのは、とても新鮮だった。そろそろ12時という頃になって寝ていたはずの四葉が起きてきた。
「四葉? どうしました?」
「一応、見守りに来たの、お兄さんとお姉ちゃんを。……まあ、今日はお兄さんっていうより、お姉様だった気がするけど」
「ありがとう、四葉」
そう言って布団へ横になった。時計を見ると、あと2秒だった。
ミューゼル艦隊の旗艦タンホイザーの艦橋でラインハルトは定刻になってもキルヒアイスが現れなかったので指揮席から立ち上がった。それを見てノルデン少将がタメ息をつく。
「はぁぁ…遅刻とは、まったく、たるんでおりますな。しかも、これで二度目とは」
「………」
お前は黙っていろ、という言葉を飲み込んでラインハルトは艦橋をおり、キルヒアイスの部屋に入った。想定通り、三葉はイスに座って待っていた。
「おはよう、フロイラインミツハ」
なるべく優しい微笑みを心がけるとキルヒアイスの頬が赤くなったので複雑な気持ちになる。宮中の女性から同じような反応をされることには慣れてきたけれど、相手が親友だと反応に困る。しかも、宮中の女性が相手なら無礼でない範囲で冷たくすればよかったけれど、三葉には緊張させないように優しさを心がける必要があった。
「お…おはよう…ございます……ラインハルトさん?」
「もう、キルヒアイスからの手紙は読んでくれたようだね」
「はい」
三葉の手元にはキルヒアイスからの手紙が日本語で書かれていた。
宮水三葉さんへ
はじめまして。私はジークフリード・キルヒアイスと申します。
今回のこと、とても驚いておられると思います。正直、私も驚き、いったい何をすればよいのか、五里霧中の状態です。それでも、お互いに冷静になって自分たちのためには、何をすべきで、何をすべきでないかを、分別していかねばならないかと考えております。
すでにご承知かと存じますが、私は銀河帝国の少佐であり、ラインハルト様の部下です。まことに勝手なお願いではありますが、三葉さんが私の身体におられる間、その立場で振る舞っていただきたいのです。
子細につきましては、ラインハルト様よりご説明あるかと思いますので、どうか落ち着いて、イスに腰かけ静かに待っていてください。
追伸 ラインハルト様が知らぬこととはいえ、シャワーを浴びていただく際に無礼があったこと深く反省しておられますので、どうかお許しください。また、私の身体で入浴していただくことは不快でなければ、どうぞご自由に。
手紙を読み終えたことを確認したラインハルトは、すぐに手紙を処分した。余人をもって解読不能な文字ではあったけれど、コンピューターにかければ解読されるし、余計な嫌疑は避けたいので慎重に行動している。
「どうか、緊張しないでください。フロイラインミツハ」
「は…はい…」
「まずは一つ、私から詫びを入れさせていただきたい」
「え…?」
「知らぬこととはいえ、フロイラインの前で裸になってしまい見苦しいところを見せてしまった。どうか、許してほしい。気が済まなければ叩いていただいてもかまわない。どうか、この通り」
ラインハルトが恭しく片膝を床につき頭を下げると、三葉も日本人らしい仕草で両膝をついて頭をさげる。
「いえ、私こそ……いろいろ……わけ、わからなくて……」
「では、シャワー室の件は水に流してくださいますか?」
「はい、もちろん」
「ありがとう、フロイラインミツハ」
安心した顔をしたラインハルトに三葉は好感を抱いた。キルヒアイスにも好感を抱いているけれど、やはり一言の言葉も交わしていないので人となりをつかみにくい。鏡をみれば、そこにいるけれど、それは自分の肉体として動くので、どうしてもキルヒアイスに会ったという実感はなかった。
「では、まず、着替えていただこうか。いつまでもパジャマのままとはいかないから」
「着替え……」
「もちろん、私は退室するが、軍服の着方は説明させてください」
「あ、はい。お願いします」
三葉は帝国軍少佐の軍服の着方を教えてもらい、退室しようとしたラインハルトに告げる。
「わざわざ出てもらわなくても、背中を向けていてもらえば大丈夫です。この身体は女の子じゃないし」
「わかった。では」
ラインハルトは背中を向けて立っている。三葉は教えられた通りに軍服を着てみたけれど、やはり微妙な乱れはラインハルトに調整してもらった。
「うむ、どこから見ても立派な帝国軍少佐だ」
「……そう…ですか…? せ…戦争、してるんですよね…?」
キルヒアイスの身体が不安そうに立っているのは、ラインハルトとしては少し悲しかった。まるで貴族の子弟が戦場に出てきて怯えているような立ち方で実にナヨナヨとして情けない。けれど、ラインハルトはそれを顔には出さず三葉を励ます。
「大丈夫、軍隊といっても、この艦は旗艦、めったなことでは傷一つつかない」
「………わ……私も戦うんですか…? 大砲とか、撃つの?」
「いえいえ、ただ私のそばに立っていてくれればそれだけで十分です」
「…た……立ってるだけ?」
「ええ」
「………ここにいちゃダメですか?」
「どうしても不安なら、それでもかまいませんが、艦の構造上、指揮を執る艦橋が一番安全です。私はフロイラインミツハの安全のためにも目の届く艦橋にいてほしい」
「……わかりました。……言われる通りにやってみます」
「では、まずは立ち方と、敬礼をお教えします。私の真似をしてください」
そう言ってラインハルトは直立不動になり両手を腰の後ろで組んだ。
「これが基本の立ち方です」
「……こう、ですか?」
三葉は真似してみる。
「もう少し胸を張って」
「…はい」
「そうそう完璧だ」
「……」
もともと身体が覚えていたのか、やってみると、すぐにできた。
「では、敬礼」
「はい」
二人で向かい合って敬礼すると、ラインハルトは笑い出してしまった。
「プッ…クスクス…」
「え? …へ、変ですか?」
「い、いや、失礼。ついキルヒアイスの顔と、まじめに向かい合って二人きりで敬礼するなど、可笑しな状況だと思ってしまい。失礼した」
「う~……二人って、どういう関係なんです? 上司と部下ってだけなの?」
「いや、キルヒアイスとは友人です。大切な」
「そうなんだ……じゃあ、敬語じゃない方が自然なんですか?」
「二人きりのときは、くだけてもらってかまわない。むしろ、私もその方が嬉しい。ただ、周囲の目があるときは上司と部下のように振る舞ってください」
「わかりました」
「では、艦橋にご案内します。フロイラインミツハ」
ラインハルトと三葉は移動して艦橋にあがった。
「うわぁ……」
三葉は全天の星空を見て驚く。士官室にあったモニターの比ではない艦橋から見える宇宙空間に立ちすくんでいる。画像が鮮明すぎて、まるで宇宙空間に立っているような錯覚さえ感じた。
「これってガラス? ……軍艦なのに装甲は?」
「アハハハ、むき出しに感じるかもしれませんが、ぶ厚い装甲の内部ですよ、ご安心ください」
「モニターなんだ……」
見上げている三葉にノルデン少将が近づいてきた。
「ずいぶんと遅い出勤ですな。さすがは少佐殿」
「…は…はい……」
口調や目線の感じから、それが厭味だということは三葉にもわかった。とりあえず自分が着ている軍服よりも飾りが多いので敬礼をしたけれど、三葉が返答に困っているとラインハルトが前に立ってくれる。
「卿が言わずとも、私が指導する。しばらく離れていたまえ」
「わかりました。小言をともに聞いても仕方ありませんからな」
ノルデン少将が離れていくと、ラインハルトが耳元で囁いてくれる。
「指揮席までいけば、周囲には音が漏れにくいよう力場が働いている。こちらへ、どうぞ、フロイラインミツハ」
「はい」
二人で指揮席まで歩いた。
「女性を立たせて座るのは気が引けるが、立場があるので容赦してほしい」
「い、いえ、どうぞ、お気になさらず」
ラインハルトが艦隊司令らしく座り、三葉は指揮席の隣りに立ち、教えられた立ち方をしてみる。
「これでいいですか?」
「ええ」
「………すぐ戦いになるんですか?」
「いや、おそらく今日も敵とは遭遇しまい。油断はしないが平穏でしょう。落ち着いて二人で話をしましょう。いろいろとフロイラインミツハには知っておいてほしいこともあるので」
「話を……じゃあ、戦っているのは宇宙人とですか? それとも大きい怪獣みたいな?」
「っ……」
ラインハルトは目を丸くして、少し口を開けた。まさに唖然として、その美しい顔でポカンと口を開けている。けれど、それも数瞬だった。
「なるほど……なるほど……そういう思考になるか、…そうなるだろうな」
やや考えて納得し、それから答える。
「過去から来たフロイラインミツハに未来の出来事を教えてしまうのは、危険が伴うかもしれないから、絶対に過去に戻っても話さないと約束してくれますか?」
「…は…はい…」
「まず、いまだ我々人類は宇宙人というような存在と出会ったことはない。宇宙に巨大な怪獣もいない。まあ、銀河ことごとくを調査探検したわけではないから、ひょっとしたら何かいるかもしれないが、人類が宇宙に出て千年、今のところは確認していない。出会ってもいないのだから、むろん、戦ってもいない」
「……じゃあ、何と戦ってるんですか?」
「人間だ。我々と同じね」
「………どうして? 同じ人間同士で?」
「うむ、そう問われると哲学的だが、知っておいてもらわないと変なことを言い出されるから教えておこう。あなたがいた時代から、だんだんと人類は宇宙に進出していった」
「ワープとかで?」
「そう。だが、何度か統一されたり分裂したりと、争いを繰り返し、五百年ほど前、銀河帝国が人類をまとめて統一した。だが、そこから脱出して別の国家をつくった集団もある。それが自由惑星同盟、我々は叛乱軍、叛徒と呼んだりもするが、そこと戦争している。飽きもせず長々と」
「何のために?」
「まあ、銀河帝国としては人類はすべて銀河帝国のもとにあるべきだ、と考えているし、自由惑星同盟としては皇帝が支配する体制を打倒し民主主義を広めるべきだ、と考えているのだろう」
「銀河帝国って皇帝がいるの?」
「ああ」
「ふ~ん……」
「………うむ、第三者からみれば、ふ~ん、で終わることかもしれないな」
ラインハルトは一瞬、自分の人生目標がありきたりな虚しいことに感じられそうになって気を取り直して語る。
「私と二人きりのときは皇帝に対して、どう言っても問題ないが、他人がいるときは不敬な発言は絶対にしないでほしい。不敬罪で処刑されることもあるゆえ」
「はい、気をつけます」
「キルヒアイスから聞いたが、フロイラインミツハのいた国もテンノウという皇帝のようなものがおられるのであろう? 不敬罪はあるか?」
「いえ、別に」
「その支配は、どうだ?」
「……う~ん……支配はしてないかな」
キルヒアイスの顔が女子っぽく傾げられる。ラインハルトは女性らしい仕草の親友よりも国家体制に興味が湧いたので問うてみる。
「では、テンノウは何をしているんだ? 放蕩の日々か?」
「えっと、大半の国民は深く意識してないけど、うちは神社だから知ってますが、祭祀王っていう位置づけなんですよ」
「ふむ……どういうものだ、それは?」
「天皇は人だけど、神さまに一番近い人というか、半分神なような、やっぱり人のような」
「自己神格化か」
「あ~……そういうのとも違うんですよ」
「どうせ、自らの判断は常に正しいと主張して国民に厳しい政策を押しつけておきながら、自身の一族は特権を得て財産や欲望をほしいままにしているのだろう?」
「う~ん……そういうバカっぽい王様像とは、だいぶ違って、まず政策とか実際の政治には基本ほぼ関わらないんです。そういう意味では何もしてません」
「では、遊んでいるだけか?」
「いえいえ、王様というより、どちらかというと神官の代表者、私たち巫女や禰宜の総代表、そういう意味で、もっとも神に近い人です」
「うむ、宗教上の代表者なのか?」
「そういう理解の方が近いですね。だから、神事も多くて大変なのに外交儀礼もあったり総理大臣とか裁判官を任命したり認証したりで、放蕩どころか、ご高齢なのに毎日忙しくて、私も巫女っていう女性神官みたいなものをやってるから、わかるんですけどお正月も休憩する時間さえ無いくらいに……あの…、この話、ちゃんと語ると、とても長くなりますけど、聞きますか?」
「…………。やめておこう、フロイラインミツハには知っておいてほしいことが多いが、私が日本のことを知っても仕方ないからな。他に訊きたいことはあるかな?」
「銀河帝国と自由惑星同盟、どっちが勝ってるんですか?」
「うむ、いい質問だ」
ラインハルトは現在の情勢についてフェザーン自治領の存在も含めて説明していく。そのうちに昼食の時間になった。ラインハルトは冷たい声で言う。
「ノルデン少将、しばらく艦隊指揮を頼む」
「はっ」
「何かあれば、すぐ連絡するよう」
ラインハルトと三葉は士官食堂ではなく艦隊司令官としての住居室に入った。また二人っきりになったので三葉が訊いてみる。
「あのノルデン少将さんのこと、ラインハルトさんは嫌ってるんですか?」
「わかるのか」
「なんとなく」
「うむ、女性の勘というやつか…」
ラインハルトは通信で従卒に昼食を2人分もってくるように言い、三葉のためにイスを引いた。
「どうぞ、座って」
「ありがとうございます」
立ちっぱなしだったので座れるのは嬉しい。テーブルを挟んで二人で座った。ラインハルトも意図的に姿勢を崩して、頬杖をついてみせ雰囲気をやわらげて言う。
「ご察しの通り嫌っている。公言してもいいが、まあ黙っているのが大人というものだろうな」
すぐに昼食が運ばれてきて、食べながら午後の予定を説明される。
「午後からは避難訓練を行う」
「避難? ………やっぱり危険なんですね…」
三葉が不安そうに問うと、ラインハルトは優しさと厳しさ、どちらを表情に出そうか迷い、結局は優しさを選んだ。不慣れな優しい顔をつくって言う。
「フロイラインミツハ、この艦は旗艦ゆえ安全度は高い。だが、万が一ということもある。そんなときに安全にシャトルで脱出する訓練なのだ。しておいて損はない。………それに、フロイラインミツハのいた平和な時代でも、避難訓練はしておいて損はないと……いや、まあ、何でもない」
わずかにラインハルトも三葉が隕石落下の悲劇から偶然にでも助かってほしいと想い、口の端にのぼらせたけれど、やはり黙っておくことにする。
「ともかく、ここにいるからには、万が一のとき一人でもシャトルに乗り込めるよう手順を覚えておいてくれ」
「わかりました」
食事が終わると、二人でシャトルに乗り込み、艦外へ出てクルリとタンホイザーの周囲を遊覧飛行した。
「うわぁぁ……」
「やはり、見ごたえがあるかな?」
「はい、すごく……」
三葉は巨大な戦艦を見て感嘆している。ラインハルトは説明を始めた。
「前方に主砲をはじめ武装が集中している。後方は動力部、中央が居住区と艦橋になる」
「へぇぇ……」
「しっかり覚えておいてほしい」
「はい」
「では一度、艦に戻り、フロイラインミツハが一人で操作して同じことをやってもらう」
「え………」
「大丈夫、私もついてはいく。ただ、操作は一人でやってほしい」
「…はい……やってみます…」
シャトルが艦に戻り、わざわざ一度、艦橋まで戻ってから三葉の判断だけで艦内の通路を進み、シャトル発着装置まで行き、乗り込む操作も三葉が挑戦する。けれど一度は見たものの、モニターや計器に表示されているのがドイツ語なので読めない。
「えっと……どれだっけ…」
もたついていてもラインハルトが優しく指示してくれた。
「このボタンを押して。やはり、キルヒアイスが予想したとおり会話はできても、文字は不自由するのだな。夜にはドイツ語の勉強をしていただく」
「……はい…」
「では、艦に戻り、次は射撃、ブラスターの使い方を習得していただく」
「………やっぱり、撃つことが……あるんですか?」
「万が一、もしもというときに身を守る訓練ですよ、大丈夫、万が一です」
精一杯にラインハルトは優しい顔をつくり、三葉を艦内の射撃場に案内してブラスターの撃ち方を教える。三葉は説明された通りに撃ってみる。
ピシュゥン!
一発目から的に当たった。
「フロイラインミツハは筋がいい」
「………3メートルしか離れてなければ、当たりますよ。お世辞はいいです」
見え透いた世辞を言われて三葉は少し疲労感を覚えた。ラインハルトの方も世辞を言う技術も熟練度も低いし、そもそも才能がない。何より女子の扱いに慣れておらず疲労感を覚えてきている。
「そうか、すまない。では次は10メートルで」
「はい」
だんだんと遠くなる的に、それでも身体が覚えていてくれるのか、集中して狙えば当たる。けれど、集中力が切れると外してしまう。三葉がタメ息をついた。
「はぁぁ……」
「……」
こんなにやる気のないキルヒアイスの顔は見たくなかった、と思ったラインハルトは憮然とした表情になりそうになって、慌てて笑顔をつくる。
「はじめてにしては、とてもいい成績だ。世辞ではなく」
「ありがとうございます。この銃って、ぜんぜん反動が無いんですね。オモチャみたい」
「うむ、旧式の火薬銃は私も撃ったことがあるが、かなり反動が大きかったな」
以前の古式決闘戦を思い出しているラインハルトの前で、三葉がブラスターの発射口を覗いている。
「どういう仕組みで動いてるのかなァ…」
「っ?! 何をしている?!」
ラインハルトが怒気をはらんだ声をあげると、三葉がビクっと身を縮めた。
「この…」
この大バカ者が、と怒鳴りつけそうになってラインハルトは握った拳を反対の手で押さえ込む。
「……落ち着け……相手はフロイラインだ……そうだ、オレたちの方が悪い……勝手な都合を押しつけて……ハァ……そうだな、キルヒアイス……オレは発射口を覗くな、という説明をしなかった。うむ、オレの方が悪い、そうだな、キルヒアイス、お前が帰ってきたら、オレを誉めてくれ、オレは我慢したぞ」
ラインハルトは三葉へ背中を向けて心の中のキルヒアイスと会話すると、爽やかな笑顔をつくった。
「フロイラインミツハ、大切なことを説明し忘れていた」
「は…はい…」
「発射口は絶対に覗いてはいけない。たとえエネルギーパックが入っていなくても」
「はい、す、すみません」
「もちろん、友軍に向けてもいけない。向けていいのは的と敵だけだ」
「はい、わかりました」
「では次は動いている的を狙ってもらう」
「……少し休憩させてもらえませんか?」
「そうだな。では、ブラスターの訓練が終わったら休むとしよう」
そう言ってもらえたけれど、三葉は動的射撃の後には、物陰に隠れてから打つ訓練や、伏せて打つ訓練、さらには模擬戦用のブラスターに替えてラインハルトとの射撃戦を経験させられてから、ようやく休憩になった。
「よし、10分間の休憩の後、次は小銃と小火器の訓練を行う」
「……はい…」
すぐに終わった休憩の後で、小銃やハンドキャノンなどの携帯型小火器の扱いを学び、午後5時になった。
「少し早いが夕食にしよう」
「はい!」
まだ混雑していない士官食堂の使い方も教わり、食事が終わるとラインハルトが当然のように言ってくる。
「シャワーを浴びた後、装甲服に着替えていただく」
「え……」
「あ、ああ、もちろん、シャワーがイヤなら省略してもいいが、射撃訓練で汗をかいたから、その方がよいかと思うのだが、どうだろう?」
「いえ、その…シャワーはいいんですけど、装甲服というものに着替えて、何をするんですか?」
「むろん、白兵戦の訓練をしていただく」
「……まだ、続くんですね…」
「すまない。お互いの安全のためだ。いろいろな状況に対応できるよう。一通り学んでほしい」
「……わかりました……頑張ります」
疲れてきた三葉は、それでもシャワーを浴びてから装甲服の着方を教えてもらい、格闘戦で身を守る方法を教授された。
「では、次は攻撃の方法だ」
「……はい…」
「攻撃は主に戦斧、ナイフ、そして素手となる」
「………はい…」
だいたいは身体が覚えていてくれるので実演され真似してみるとできる。けれど、やっぱり疲れる。体力はある感じがするけれど、精神的に疲れてくる。軍事知識も教えてもらうと、忘れていたことを思い出すかのように頭へ入り、記憶の引き出しが整理されるようになっていくものの、やっぱり大変だった。ラインハルトと戦斧を交えつつ三葉が問う。
「…ハァ…ハァ…あの、そもそも、こんな原始的な戦い方をすることってあるんですか? さっきのブラスターで決着がつくんじゃ?」
「あ、そうか。ゼッフル粒子の説明を忘れていた。休憩がてら説明しよう」
「………」
休憩中にも、いろいろと説明され、午後8時なって装甲服のまま艦橋に戻った。ノルデン少将が驚いて声をかけてくる。
「どうしたのですか? そのような姿で」
「これより全艦規模での模擬白兵戦を行う」
「「えぇぇ……」」
三葉とノルデン少将が異口同音したけれど、ラインハルトは指令を発する。
「艦内の各員に告ぐ! これより全艦規模での模擬白兵戦を行う! まず陸戦要員を7対3に分け、7を侵入した敵兵、3を守備兵とし、陸戦要員でない者も艦航行に差し障りのない者はすべて守備側として参加するよう! 敵軍の勝利条件は司令部要員の制圧、防衛側は司令部要員を守りきるか、シャトルにて脱出させれば勝ちとする!」
「「…………」」
三葉とノルデン少将が、やる気無さそうに聴いているし、他の艦橋要員も金髪の司令官が急に言い出した模擬戦を心底迷惑そうにしている。すでに、午後8時を過ぎていて夕食も終わり、艦内の全員が舌打ちしたくなるような指令だったけれど、それはラインハルトも自覚していた。
「むろん、時間外超過勤務手当は支給される! さらに、勝利側へは今月の私の給料をすべて差しだそう! 一個艦隊司令官の給料だ! 男子に二言はない! 15分後、模擬戦開始とする!!」
個人的な報償の設定により、一気に艦内が沸き立った。
「よーし、やるぞ!」
「こっちは守りきるか脱出させればいいだけだ!」
遮音力場をこえて響いてくるほど艦橋要員も盛り上がっているけれど、三葉とノルデン少将だけは興味が無さそうにしている。
「……お金もらっても……」
「私は白兵戦が苦手でして、この演習はパスさせていただきたいのですが…」
貴族出身らしい発言にラインハルトの瞳がギラリを光った。すでに三葉に対して忍耐と優しさを一ヶ月分は差しだしているので、容赦なく怒鳴る。
「ノルデン少将! 苦手なればこそ訓練するのが道理であろう!!」
「ぅぅ……」
「さっさと装甲服に着替えてくるのだ! もっとも、そのまま参加でよいなら、そうしているがいい!」
「はっ…」
仕方なくノルデン少将が更衣室へ走っていく。三葉は艦橋の階段に座り込んでいた。
「……おうち帰りたい……男子に二言はなくても女子には、二言、三言いいたいことがあるよ…」
「フロイラインミツハ」
キルヒアイスの肩が見たことがないほど落ちているので、ラインハルトは今までの生涯に無いほど、優しく、そして申し訳なさそうな顔で告げる。
「巻き込んで済まない。だが、お互いの安全のためなのだ。万が一、この艦に敵兵が侵入した場合、どういう対処がされ、フロイラインミツハが、どう動くのが最適か、学んでおいてほしいのだ。頼む」
「……は…い…」
三葉は祖母の顔を思い出した。幼い頃から参加させられた神事の舞いや祝詞の練習は三葉が疲れたといっても、やりたくないといっても、優しく厳しく予定通りに進められた。祖母とラインハルトの顔は、まったく似ていないけれど、三葉にはラインハルトと一葉の顔が重なって見えてきた。
「…ぅぅ…どの世界にいても……やりたくないことを…」
審判役の艦橋要員が模擬戦開始を告げる。
「状況開始します!」
模擬戦が始まった。右舷から侵入したと想定された敵兵に対して、ラインハルトは防衛陣を構築していくけれど、もともと陸戦要員が味方3に対して敵側が7なので、じわじわと押されていく。ノルデン少将が不安そうに提案してくる。
「そろそろシャトルへ移動しませんか?」
「いや、まだだ。この状況で艦を捨てるのは早い」
気質的に逃げるのが好きではないため、自ら設定した勝利条件を満たすより、より実戦に近い判断をしていたけれど、敵側はラインハルトたち司令部要員が早々に逃げ出すと想定してシャトル方面への兵力を大きく割いていた。おかげで艦橋を守りつつ、敵兵力を待ち伏せによる逆襲で減らしていけた。それでも結局は艦橋への侵入をゆるした。
「突破されました!」
「迎え撃て!」
艦橋に雪崩れ込んできた敵兵は15名、もともと白兵戦の訓練が少ない艦橋要員は報奨金ほしさに奮戦したけれど、やはり倒されていく。三葉も倒されないことを目標に戦っていた。
「ハァ…ハァ…ぅう…ノルデン少将さん、もう、やられたの?」
「ははは、すみません。白兵戦は苦手で」
なるべく痛くないように殴られて倒れたノルデン少将は立ち上がらず、もうダメージ判定をほしがっている。ラインハルトは後ろから蹴ってやろうかと思ったけれど、もともと期待していなかったので自制して三葉へ叫ぶ。
「キルヒアイス! 私の後ろにいるんだ!」
「ハァ…ハァ…」
「キルヒアイス! こっちだ! キルヒアイスぅぅ!」
「………あ、私か…」
そう言って振り返った瞬間、敵兵に打たれてダメージ判定をもらった。
「あう……ごめんなさい…」
「いや、よくやった。想定以上に」
三葉はキルヒアイスの身体で敵兵を倒せないまでも複数を足止めしていた。おかげで、その間にラインハルトは数名を倒している。それでも、もはや艦橋に残っている自軍側はラインハルト一人だった。敵兵がラインハルトだけになったので嬉しそうに戦斧を手にして近づいてくる。
「へへへ、とうとう、お一人ですな。金髪の司令官どの」
「だが、貴様らも3人だ」
「3対1、もう降伏していただいて、けっこうですよ」
そう言われて降伏する性格なら、とっくにシャトルへ向かっていたので、奮戦してラインハルトは3人の陸戦要員を倒しきった。左腕と右脚にダメージ判定を受けて、もう死亡判定の寸前だったけれど、それでも生き残っている。
「ハァ…ハァ……オレの勝ちだ!」
勝ち誇るラインハルトを三葉とノルデン少将が微妙な目で見る。
「「………」」
これが実戦だったら、たった一人、艦内に残った司令官、という状況で、それはそれで勝ちなのだろうか、と三葉とノルデン少将は疑問に思ったけれど余計なことは言わないでおく。審判役が告げる。
「模擬戦終了です! 守備側勝利!」
「司令官万歳!」
「ミューゼル閣下万歳!」
「…ちっ……最後の最後で…」
「…くそっ……白兵戦が得意な艦隊司令官って、どうだよ…」
「…自分が暴れたかっただけじゃねぇのかよ…」
「…艦隊指揮なんてやってないでオフレッサーに弟子入りしてこいよ…」
「…まあ、ビビって逃げるぼっちゃん貴族よりマシか…」
報奨金がもらえる方は喜んでいるし、負けた方は悪態をついている。それでも年齢のわりに頼もしい艦隊司令官で部下を置いて逃げ出す可能性は低そうだと感じられていた。ラインハルトは晴れがましい笑顔で三葉を誉める。
「フロイラインミツハ、よく頑張ってくれた」
「…逃げ回っただけですけど…」
そう言いつつも三葉も疲れた顔で嬉しそうに微笑み、装甲服を脱いで自室に戻った。けれど、ラインハルトがドイツ語と日本語が併記されたキルヒアイス手製の学習帳をもってきたので、子供が嫌がるように首を横にイヤイヤと振った。キルヒアイスの瞳が泣きそうに潤んでいる。
「…うう…」
「フロイラインミツハ、もう少し頑張ろう」
「もう10時ですよ。少しは休ませて……」
「あと2時間だ。頑張ろう」
「………鬼……」
「本当に、すまない。だが、次にフロイラインミツハが入れ替わって来たとき、そこが戦場でないとは限らない。基本的な用語が読めないと致命的ということも。さ、今のうちに頼む」
「………………金髪の鬼」
「大丈夫、キルヒアイスが言っていたが、すぐに覚えられるそうだ。もともと会話は成立するのだから、普通に言語を習得する何倍も早く覚えられるらしい」
「……こいつは……赤鬼だよ……」
三葉は赤毛の頭を抱えつつ、学習帳に12時まで向かった。
キルヒアイスの瞳がイヤイヤ勉強している子供のような目から、穏やかな貴婦人のような瞳に変わり、それからキルヒアイスとしてラインハルトを見上げた。キルヒアイスは机に向かって学習している姿勢だったし、ラインハルトは隣にいて教えている体勢だった。
「家庭教師のようなラインハルト様を見ることができるとは思いませんでした。案外、ラインハルト様も教師に向いているかもしれませんよ」
「はぁぁぁ……やっと戻ったか。疲れたぞ、オレは!」
ラインハルトはベッドに倒れ込む。
「キルヒアイス、オレを誉めろ! これほど忍耐と優しさを総動員したことは、かつて無いぞ!」
「それは、ご苦労様です。三葉さんの方も疲れたでしょうね」
「そうだろうな………外見がキルヒアイスだから、つい忘れそうになるが、17歳のフロイラインに一日で叩き込めるだけ叩き込んだのだ。ひどいことをしているとは思うが……あいつめ……なかなかに口が悪い…」
「彼女は、何と?」
「金髪の鬼」
「クスっ…、それは、それは」
「お前のことは赤鬼と言っていたぞ」
「このカリキュラムを考えたのは、私たち二人ですから、そう思えるでしょうね。それで三葉さんであるときの私は、どうでしたか?」
「まあ、素材がいい、というか、キルヒアイスの身体だからな、白兵戦はそこそこ、射撃も悪くない。もう2、3回、訓練すれば、お前の半分くらい。半人前キルヒアイスにはなるだろう」
ラインハルトが起き上がって問う。
「お前の方は、どうだった?」
「もともとが平和な時代の、ごく平和な国ですから、学校に行って帰る。それだけです」
「羨ましいことだな」
「興味深いのは、やはり彼女の父親ですね」
「ほお、どんな父親だ?」
「誠実そうな政治家です。しかも、選挙の真っ最中で公約なども配布されています」
「ん? テンノウが儀式をして大臣を任命していくのではなかったか?」
「天皇という君主は象徴に過ぎず、国政も地方自治体の運営も共和主義的な選挙によって選出された首長や議員によってなされていますよ。行政の長である総理大臣も選挙で選ばれた議員の中から選出され、天皇は形として権威を与えているだけです」
「ふ~ん……」
そう言ってからラインハルトは三葉と同じ反応を自分がしたことを自覚して、笑った。
「ハハッ! なるほど、どうでもいいことだ」
「お疲れでしょう。もうお休みください」
「お前も疲れているだろう?」
「そうですね……身体は不完全燃焼というか、全力で白兵戦をしたかった身体が、とてもハンパなところで終了のホイッスルをもらったような感じです」
「アハハハ、そうだろうな。さて、寝るとしよう」
そう言ってラインハルトは退室し、キルヒアイスも一人になると、すぐに眠った。
三葉の貴婦人のように伏せられた睫毛が、イヤイヤ夜中まで学習させられている小学生のような目で開いた。
「Schlachtschifft…戦艦…あ! やっと戻った!!」
「お帰り、お姉ちゃん」
「ぅっ!」
呻いた三葉は右手で、はしたなく自分の股間を押さえた。強い尿意を覚えている。
「ぅぅ~……漏れるぅぅ…」
さらに左手でも股間を押さえる。制服のスカートを食い込ませて、とてもはしたない姿になったので四葉がタメ息をつく。
「はぁぁ…もどった途端に、これか…」
「トイレトイレ!」
三葉は両手で股間を押さえたままトイレに駆け込み、無事に用が済むと今度は喉の渇きを強く覚えた。
「喉、乾いた。お茶あるかな」
冷蔵庫からお茶を出して飲む。一杯で足りず三杯を飲んだ。その様子を見ていた四葉が言う。
「たぶん、お昼からは水分も控えてトイレに入ってなかったんだろうね。朝のトイレの後は悲愴な顔してた」
「こっちも悲愴だったよ。はぁぁぁ……殺されるかと思った」
「戦場だったの?」
「戦場なみ! お客さん扱いしてくれたのは最初だけで、あとは訓練! 訓練! 夕食の後には模擬戦まで! それが終わったら10時から12時まで勉強だよ! ひどいと思わない?!」
「……かなりスパルタだね」
「誉めて、私を誉めてよ、四葉」
「うん、頑張ったね、お姉ちゃん、よしよし」
四葉に頭を撫でてもらい、少し気分が癒された三葉は気になることを訊く。
「あの赤鬼は、どうしてた?」
「赤鬼?」
「キルヒアイスのこと! 私の身体で、ちゃんと女の子らしく過ごしてくれた? 学校で変なことしてない?」
三葉はキルヒアイスが残してくれた手紙を読みつつも、妹からも確かめておきたいので問う。
「私の身体にエッチなこととかしてないよね?」
「安心して。そんな人じゃないし、お姉ちゃんより女の子らしく過ごしてたよ」
「私よりって……お風呂とトイレは?」
「お風呂はまだ。トイレは小は済ませてって言ったから朝は、ちゃんとしてた。その後は、ずっと我慢したのかも。………」
四葉が朝の様子を思い出して、どう言うべきか迷った顔になると、三葉は強く不安になる。
「なに? 何かあったの? ねぇ?!」
「なんて言うか……つらそうだったよ」
「つらいって何が?」
「潔癖すぎるのかな………女性に対して、ちゃんとしなきゃって気持ちがありすぎて、おしっこするのにパンツを脱がせるだけでも、すごい罪悪感があるみたい」
「……罪悪感………」
「もしかしたら、女性関係で何かトラウマとかあるのかもね。沈着冷静な感じの人だけど、そういうとこはデリケート過ぎるっていうか。そんな感じ。だから、エッチなことなんて絶対しないよ」
「そっか………よかったァ……。でも、トラウマって何が……」
「私、もう眠いから寝るね。お風呂、まだ残ってるよ」
「うん、ありがとう」
三葉は入浴するために脱衣所で裸になった。鏡で自分の裸体を見る。身体に異変は無い。
「……この状態で意識が他人に……しかも男子に……嫌すぎる……。まあ、でも、トイレも我慢できる範囲は我慢してくれたみたいだし……。あ~あ……疲れた」
湯船に入ると、疲労感を再認識した。精神的にもヘトヘトだったし、自分の肉体も慣れない姿勢を続けていたからなのか、とても疲れている。湯船で寝そうになり、フラフラと揚がって布団に倒れると、すぐに眠った。
「おはよう、お姉ちゃん」
「…うん……おはよう…もう朝……一瞬だった…」
「そろそろ起きないと、また遅刻するし」
「…う~……」
まだ寝ていたそうな顔で三葉は起きて着替える。四葉が朝食の当番も代わってくれていて、ぼんやりと食べて家を出る頃になって、やっと目が開いてくる。路上で早耶香と克彦に出会った。
「おはよう、三葉ちゃん」
「おはよう、三葉」
「おはよぉー…」
元気が無さそうな三葉を見て早耶香が言う。
「今日は電池切れみたいやね」
「私はロボットか……あ、テッシー、昨日は、ありがとうね」
上級生にからまれた件を四葉が朝食時に話してくれたので、克彦へ礼を言った。
「おう。いいってことよ」
そう言って克彦がガッツポーズすると、三葉は気になったので克彦の上腕二頭筋に触れる。
「ふ~ん……普通は、これくらいか…」
「…ま、まあな。何と比べてだよ?」
「何って…………軍人さんとか」
「ぐ……そ、そりゃ、あいつらの訓練は、すげぇだろうしな……オレは、ただの高校生だからな」
やや男のプライドが傷ついた様子の克彦へ、沙耶香がフォローを入れる。
「テッシーは普通より逞しい方だよね」
早耶香は言いながら、反対の上腕二頭筋に触れた。三葉より、ゆっくり長く触れる。
「ほら、テッシーって現場の手伝いもしてるから、運動部よりあるくらいだよね」
「ま、まあな」
今日から筋トレしよう、と克彦は決意しながら二人と登校した。