「君の名は。キルヒアイス」歴史の真実と芯の世界 作:高尾のり子
キルヒアイスは三葉の身体で起き上がると、すぐに読めとばかりに枕元へ置いてあった手紙を開いた。
「……三葉さんを……とても怒らせて……」
手紙は、かなり感情が滲む字で書いてあった。
キルヒアイスへ
あなたのしたことについて、私はとても怒っています。
私たちと父の関係はとても複雑なんです。
勝手なことをしないでください。
学校でも家の周りでも、普通の高校生らしく過ごしてください。
繰り返す!
私はとても怒っている!
以上!
追伸、あなた宛にラブレターが来ています。私の生活を乱さないよう、丁寧な返事の手紙を書いて、断っておいてください。私は町のアイドルでも町長の娘でもなく、ごく庶民として生きたいんです! 目立つことは絶対にしないで! もちろん、身体にも触らないで! 以上!
きわめて感情的で追伸の方が長いくらいだった。
「………お父様とのご関係………」
すでに、この身体に入ったときは女性らしく振る舞うということが板に付いてきたので手紙を読み終わると、申し訳なくて祈るような形に手を組み、許しを請う。
「お許しください。三葉さん、私の配慮が足りませんでした」
自分と父親の関係なら、何ら問題がないような行動でも、もしもラインハルトが誰かと入れ替わるようなことがあって、その誰かが父親と仲良くしていたりしたら、戻ったときラインハルトが、どれほど激怒するかは想像するのが怖いほどで、それぞれの家庭にはそれぞれの事情があるのだと思い知り、三葉の怒気で乱れた字を見ると、日本式の土下座をしたいほどだった。
「………三葉さん、……本当に、ごめんなさい」
立ち上がって鏡を見ると三葉の顔に、バカ、圧政ボケ、と大きく油性ペンで書いてあった。
「…………ご自分の、お顔なのに……それほどにお怒りになって……」
このまま登校すると、それはそれで三葉の名誉を損ねることになりそうなので急いで着替えて顔を洗う。油性ペンなので、なかなか落ちなかった。やっと、三葉の顔が元に戻った頃、四葉が起きてきた。
「おはよう、お兄さん。っていうか、もうお姉様の方がいいかな」
姉の身体は本人以上に女性らしく髪を結っている。四葉が挨拶すると、上品に微笑みかけてくれた。
「おはようございます、四葉」
「顔、かなり赤いよ」
擦ったので三葉の顔が赤くなっている。
「私は三葉さんを、とても怒らせてしまったようです。どのようなご様子でしたか?」
「激ギレで喚いてたよ。ギャーギャー! って山びこ響くくらいに」
「………どうすれば、良いでしょう?」
三葉の眉が上品でありながら物憂げに顰められる。悩んだ顔であっても気品があった。わずかに涙まで滲ませている。
「少しでも、お怒りのとける行動を心がけたいのですが、どうしてよいか…、まったく、わからないのです」
「う~ん……とりあえず、お父さんには、あんまり関わらない方がいいよ。あとは普通に授業を受けて普通に帰ってくればいいんじゃないかな」
「そうですか……そのように心がけます」
申し訳なくて涙を滲ませたまま登校する。早耶香と克彦が声をかけてきた。
「おはよう、三葉ちゃん」
「おはよう、三葉。どうした? 泣きそうな顔して?」
「いえ、何でもありません。ご心配、ありがとう、テッシー」
ハンカチで楚々たる仕草で三葉の目元を拭く。それを見て克彦は男として強い保護欲を覚えた。守りたい、そう強く感じる。そんな女ぶりだった。
「三葉、つらいことがあるんやったら、相談してくれや」
「どうか、ご心配なく。お気持ちだけで私は十分に嬉しいです」
湿った瞳で三葉の顔が微笑みをつくると、ゾクッとするほどの魅力があった。お前はオレが守る! と叫んで抱きしめたい衝動を抑えるのに克彦は苦労してから、あえて普段通りに言う。
「選挙、終わったのに、そのモード出るんやな。……まあ、可愛いけど」
「私も真似してみよっかな」
「サヤチンには似合わんて」
「なんでよ?!」
「ほな、やってみい」
「………おほほほほ! おはようございます、テッシー。ごきげんいかがかしら」
やってから、早耶香は猛烈に恥ずかしくなった。顔が真っ赤になる。
「う~……もういい、やめる」
「ほらな、照れがあるやん。三葉はぜんぜん照れがないからな、すごいよな」
三人で登校して、三葉の身体は静かに深窓の令嬢のように授業を受け、そして帰宅してからは一葉を手伝い、ラブレターに丁寧な断りの返事を書き、そして思い悩みながら、三葉へ謝罪の手紙を書く。
宮水三葉様へ
前略
私の軽率な行動が、あなた様の逆鱗に触れたこと、深くお詫び申し上げます。
ご家庭の事情を考えもせず、軽々にお父様と交わりましたこと、本当に申し訳なく思っております。
この上は、いかなる罰でもお受けいたします。
そして、私の行動に至らぬ点があれば、どうかご教授ください。
ご意向にそえるよう全力で努力いたします。
申し訳ありませんでした。
どうか、お怒りが少しでもとけますよう、心よりお詫び申し上げます。 草々
書き終わると丁寧に机の上へ置き、ラブレターへの返事もそれとわかるように置くと、12時前だったので布団に寝た。廊下から足音がして四葉が入ってくる。
「お姉様に訊きたいんだけど、いい?」
「はい、なんなりと」
「本当は男の人なんだよね?」
「はい」
「……よく、そんな完璧に女の真似ができるね。役者でも目指してたの? それとも、もともと、そっち系の人?」
「役者を目指したことはありませんが、今の立ち振る舞いは、ある方の真似なのです」
「ある方って? どういう人?」
「………。……憧れの方です」
そう答えると、三葉の頬が赤くなった。まるで少年のような純朴さを感じ取った四葉は、さらに三葉の瞳の奥にある悲しげな光りにも気づいた。
「その人は、どうしてるの?」
「…………」
三葉の瞳が迷っている。そして、答える。
「……お元気に、されています」
「嘘は信じられるように、つこうよ。キルヒアイスさんって、人を騙すのが苦手だね」
「………」
「で、その人は、どうしてるの? うちのお父さんのことに立ち入ったんだから、こっちも少しくらい訊いてもいいよね」
「……10歳のフロイラインに話すようなことでは……10歳……」
ちょうど、キルヒアイスとラインハルトが不本意にアンネローゼから引き離されたのも10歳の頃だったことを思い出して、迷いが深くなる。四葉が諦めた。
「そう、よっぽどのことがあるんだね」
「……はい。……四葉は、まだ10歳なのに聡明なのですね」
「お母さんが早く死んじゃったのに、お父さんまで出て行ったら、こうもなるよ」
「…………」
キルヒアイスは四葉の瞳にラインハルトと似た光りを見つけた。それは10歳の頃にラインハルトが宿した野望という光りとは違うけれど、明らかに非凡な者のみがもつ光りだった。
「四葉、あなたは…」
「今は、もう時間もないから」
言いながら四葉が時計を見ると、12時だった。
三葉はリンベルクシュトラーゼの下宿にあるキルヒアイスの部屋で起き上がると、ドキリと緊張した。キルヒアイスの身体が不安そうに周囲を見回す。長身で筋骨逞しい身体なので、平穏な室内で怯えているのが滑稽でさえあった。
「……ここ……どこ? ……艦内じゃない……」
明らかに戦艦の中ではない。
「……ここ、地球なの? ……太陽もある……」
窓を見ると、日が昇っている。
「…………いったい、どうなってるの? ……また、時代が…」
窓から見える光景は中世ヨーロッパの街並みで石畳が続き、そして行き交う人々の服装も中世を感じさせる。
「……ハァ……ハァ……」
心臓がドキドキと高鳴ってくる。いったい、どこの時代にタイムワープしたのか、恐ろしくて仕方ない。窓ガラスに映る顔を見た。
「キルヒアイスそっくり……ジークフリード一世とか、そういうつながり?」
顔には見覚えがあった。背後のドアが開いてラインハルトが入ってくる。
「遅いじゃないか、キルヒアイス」
「あ……ラインハルトさん?」
「その呼び方は、フロイラインミツハか。お久しぶり」
「っ! 今は何年ですか?!」
「ん? 486年だが」
「……それは帝国暦で?」
「もちろん」
「…………えっと、第三次ティアマト会戦の後ですか?」
「そうだよ」
「じゃあ……時代は変わってない。よかったァ」
へなへなとキルヒアイスの腰が床へ座り込むと、ラインハルトは情けなくなった。
「まあ、立って。イスに座って」
「はい、ありがとうございます。それ、私服ですか?」
ラインハルトは軍服を着ておらず平服だった。三葉から見るとブラウスとカッターシャツの中間のような服に見える上質でヒラヒラとした服を着ている。そして平服であるせいか、口調も少し優しい。軍人という雰囲気が薄れている。
「ああ、私服だよ」
「……もしかして、軍をクビになったの?」
「アハハハハハ! あいかわらずフロイラインミツハは面白いな。ただの休暇中だよ」
「休暇、それで……もしかして、ここはテーマパークか何かですか?」
「いや、ボクらの下宿さ」
「下宿……」
「まあ、それはいいから、そろそろ朝食を食べよう。ああ、そうだ。フーバー夫人と、クーリヒ夫人の前ではキルヒアイスらしくしてくれよ」
「は……はい……じゃあ、私が変なことを言ったら寝惚けているってフォローでお願いします」
もう他人になりすますことに慣れてきた面もあるので外したときは寝惚けているで誤魔化すことにして朝食を食べて街に出た。街並みを観察して三葉が問う。
「あの、どうして、こんなに古いんですか?」
「古いって何が?」
「ここ、地球じゃなくて首都オーディンですよね」
「そうだよ」
「街並みが古いのは、そういう地区だからですか?」
「う~ん……フロイラインミツハの言うことは、よくわからないな。別に、これが普通だけど?」
「じゃあ帝国中が、こういう街並みなんですか?」
「いいや、田舎に行けば農園もあるし別荘地だってあるよ」
「…………文化なのかなぁ……一周まわってこうなったのかな、千年は経ってるのに、この街並み……服装も、みんな……」
行き交う人々の服装が、とにかく古かった。
「まあ、いいかな。これは、これで」
「お昼からは予定があるんだけど、それまでは、どうする?」
「また白兵戦とか言わないでくださいよ」
「しごいて悪かった」
二人とも平服なので誰も敬礼してこないし、とても気楽に過ごせている。
「ああ、そうだ。これ、フロイラインミツハに」
ラインハルトが5万2000帝国マルクを渡そうとしてくる。
「え…いえ、こんなのもらうわけには…」
「忘れたのかい? 報奨金だよ。防御側の勝利だったじゃないか」
「あ、ああ、あの」
それなら、と受け取ってポケットに入れた。お金があるおかげで買い食いもできる。屋台で売られていたクレープを買うと、ラインハルトに笑われた。
「似合わないな。キルヒアイスには」
「うう……この身体にいると、たしかに味覚も男の人っぽくなるけど、やっぱり見ると食べてみたいと思うんです。あと、量は私の三倍は食べられるし」
「なるほど。よし、オレも食べてみよう」
ラインハルトもクレープを買い、二人で食べながら道を歩いていると、ドレスを売っている店もあった。
「うわぁぁ……センスが古いけど、いつか、こういうのも着てみたいな」
赤いドレスを憧れの眼差しで見つめていると、ラインハルトが、また笑う。
「その身体で着るのはやめてくれよ。どういう罰ゲームかと思うから」
「むっ……着てやろうかな。キルヒアイスへの復讐に!」
「復讐? キルヒアイスが何かしたのか?」
「聞いてくださいよ。ひどいんですよ」
キルヒアイスの頬を膨らませて、三葉が語る。
「私の家、お母さんが早くに亡くなったんですよ。なのに、お父さんが、ちょっと勝手で私たち二人の姉妹のことより仕事のこと優先で家を出て行って。お婆ちゃんに育ててもらってるの」
「それは……気の毒に…」
笑っていたラインハルトが神妙な顔になる。
「それで?」
「それで、お父さんとの仲は、微妙なんです。大嫌いってわけじゃないけど、素直に仲良くしようとは思えないでしょ?」
「それは当然だろう」
「なのに、キルヒアイスってば、お父さんのところに行って仲良く写真にまで写ったりして。お父さんは町の町長だから世間から注目されてイヤなんですよ。私は平凡な庶民でありたいのに」
「……そうか……すまない。明日、キルヒアイスには必ず言っておく」
「お願いしますね。私の家族関係を変に動かさないでください」
「ああ、悪かった。オレからも謝らせてくれ」
「ラインハルトさんが悪いわけじゃないから、いいですよ」
「…………。オレも自分の父親が嫌いだ」
「そうなんですか?」
「ああ、フロイラインミツハと似たようなものだ。早くに母を亡くして、父は酒に溺れ、オレと姉さんを顧みなかった。それどころか、あいつは……」
そこまで言ってラインハルトは迷い、そして告げることにする。
「昼から会う姉のことなんだが…」
ラインハルトは周囲に人がいないか、監視システムと連動したルドルフ像が無いかを確認してからキルヒアイスの耳元へ語る。
「オレの姉は後宮に捕らわれている。父に売られて」
「っ……」
「オレとキルヒアイスが力を欲しているのは、姉を救い出すためだ」
「………それって……皇帝に逆らうってこと…?」
「…………」
ラインハルトは沈黙で肯定した。
「絶対に口外しないでくれ」
「わかりました」
「……意外に、オレとフロイラインミツハは共通点があるものだな」
「そうですね。千年経っても人は変わらないのかも」
あれほど訓練させられた理由が少しわかって三葉はラインハルトに抱いていた反感が消え、再び好感をもち、そして迷惑をかけないよう訓練を頑張ろうと思った。そしてラインハルトは何かを思い悩み始めた。彼らしくなく決断に逡巡している。
「どうかしたんですか?」
「昼から姉に会うのだが、キルヒアイスもいっしょにという形で後宮へ申請してある」
「……私も…」
「迷うのは、連れて行くか、行かないか、そして連れて行った場合、フロイラインミツハのことを話すべきか、話さざるべきか、だ」
「お姉さんにウソをつきたくないんですね」
「……それもあるし……とはいえ、……連れて行かなければ心配をかける……戦傷ということで安静にしているとウソもつけるが……そのウソを信じていただいても、それはそれで、キルヒアイスが面会に来られないほどの重傷なのかもしれない、と心配を…」
ラインハルトが爪を噛む。艦隊司令としての毅然とした態度とは違い、子供じみた仕草だったので三葉は助けてあげたくなる。
「ラインハルトさん…」
「………どうすればいいか……」
「お姉さんに会える機会って少ないんですか?」
「ああ、めったにないことだ。実の姉なのに」
「…………」
少し考え込んだ三葉が決断した。
「それなら、やっぱり言わない方がいいと思います。私がキルヒアイスとして面会します」
「だが、フーバー夫人たちとは違うぞ」
「………。面会は何時間くらいですか?」
「昼からといっても、皇帝への謁見があって、その後だから4時間もない」
「なら、少し心配をかけますが、戦闘中に頭を打ったことにして、頭痛薬を飲んで、ぼんやりしているとでも言えば、乗り切れると思います。その方が心配をかけないと思いますよ。入れ替わりなんて、普通、信じないですし、信じたら信じたで、めったに会えない分、とても心配すると思います」
「……そうだな。そうしよう」
二人は方針を決めると、下宿に戻り軍服に着替えた。二人とも階級章が新しくなっている。大将と中佐だった。
「出世したんだ」
「ああ、いよいよ大将だ」
やはり軍服を着るとラインハルトの雰囲気も少し堅くなる。三葉も気持ちを引き締めて背筋を伸ばした。ラインハルトが微笑んでキルヒアイスの肩を軽く叩いた。
「行こうか」
「はい。……皇帝か……怖い感じの人ですか? 大きくて強そうな…」
「そんなオフレッサーのようなものじゃない。むしろ、ただの年寄りだ。それに会うのはオレだけでフロイラインミツハは控えの間で待っているだけだから安心して」
「よかった」
三葉は新無憂宮へラインハルトと出向き、控えの間で退屈な時間を直立不動で過ごしてからアンネローゼに出会った。
「姉さん、久しぶり」
「アンネローゼ様、お久しぶりです」
「いらっしゃい。ラインハルト、ジーク」
基本的な会話は事前に打ち合わせているので自然にできた。
「………」
なんてキレイな人なんだろう、と三葉が見惚れている。見ていると胸が熱くなって、抱きしめたくなる衝動が湧いた。抱きしめてキスをしたい、そしてまた抱きしめたいと、胸が熱くなってくる。
「ジーク、どうかしたの?」
「いえ…」
「こいつ、戦闘中に頭を打って、ぼんやりしているんですよ」
「それは大変、具合はどうなの? ジーク」
「たいしたことはありません。医者からも異常はなく、頭痛薬で治るとのことですから」
「そう、それなら良かったわ。でも、気をつけて。ラインハルトのために無理はしないでくださいね、ジーク」
「…」
あ、この人、キルヒアイスのこと好きなんだ、と三葉は呼びかけ方で感じた。とても感情を抑えて押し隠してはいるけれど、ジークと呼びかける声色で、もともとは同じ女性である三葉にはわかった。そして今は身体が男性であるせいか、頬が赤くなりそうで抑えるのに苦労した。アンネローゼの美しさは帝国中から選び抜かれただけあって、まさに完璧な宝石といってよく、きっと銀河一の美女だと思われる。ブラウンシュバイックやリヒテンハイムの家系から後宮に出された娘と違い、まさに美しさだけを観点に選ばれているので何億人何十億人に一人という美貌だった。
「姉さんこそ、お元気そうだけど、お変わりないですか?」
「ええ」
「本当に?」
ラインハルトはいつになく気を遣って会話を進め、穏やかな三人の談笑を意図して造り出し、夕食をともにした。アンネローゼは地下のワイン庫から銘柄を指定したワインを取ってくるようにラインハルトへ頼み、三葉と二人きりになった。
「ジーク、ラインハルトをお願いしますね」
「はい、アンネローゼ様。……」
こんなにキレイな人が、この世に存在するんだ、高嶺の花っていうか、後宮にご指名で召されるくらいだから、帝国臣民の中でも選りすぐりの美人、やっぱり田舎の町娘とは違うなぁ、気品というか、オーラから違うし、と三葉が見つめていると、アンネローゼは少し赤面して顔をそらした。
「そんな風に見つめないでください。ジーク」
「し…失礼しました」
一礼して、少しさがる。近づいてしまうと衝動的に抱きしめそうだった。まるでキルヒアイスの身体が、本心では今すぐ彼女を連れ出したいと求めているかのように、三葉まで気持ちが熱くなってくる。二人とも、やや困惑していると、ラインハルトが駆け戻ってきた。ラインハルトは本来のキルヒアイスがアンネローゼと二人でいるのなら気を利かせて、ゆっくりとワインを探したのだけれど、今は中身が三葉なので、かなり急いで戻ってきたのだった。
「ハァ…ハァ…見つけて来ましたよ、姉上。ハァ…」
「大将閣下ともあろうお方が、そんなに息を切らして」
二人きりの時間が終わり、あとはラインハルトからのフォローもあって三葉は面会を乗り切った。ラインハルトと地上車で下宿先へ戻る道すがら言われる。
「よく姉上に気づかれなかったな。親しい仲は難しいだろうと思ったが」
「………親しくても、めったに会わない関係だと気づかないものですよ。私のお父さんだって、気づかないで万歳してましたから」
「そうか……そうだな。すまない」
「だから、ラインハルトさんが謝らなくていいですよ」
地上車が下宿に到着すると、午後8時だったので三葉は提案する。
「あと4時間ありますし、白兵戦やりませんか」
「ここでか?」
「組み手くらい庭でもできますよね」
「そうだな、やってみるか」
二人とも軍服から動きやすい服装に着替えると、庭で向かい合い、組み手争いをしたり、ナイフを持った相手と素手で戦う演習をしたりする。前回のイヤイヤ訓練していたときと違い、三葉にやる気があるので習得が格段に早い。下宿の窓から、フーバー夫人とクーリヒ夫人が声をかけてきた。
「金髪さんも、赤毛さんも、ご精が出ますわね」
「ホントお若いって羨ましいことです」
すでに10時を過ぎていて、鍛錬とはいえ非常識な行動になっていた。三葉が謝る。
「騒がしくして、すみません。どうしても今日、やっておきたくて」
「あらあら、では私たちは休ませてもらいますね」
ご夫人方にラインハルトも頭をさげて、さらに白兵戦の練習をしていると、だんだん三葉はラインハルトの動きが読めるようになってきた。
「えいっ」
「おっ?」
ラインハルトが投げられて驚いている。
「今の動きは、いいな。キルヒアイスらしい技のキレがある」
「もう一回、お願いします」
「ああ」
さらに続けると、ラインハルトがだんだん本気になってきた。
「よーし、一度、本気でやってみるか」
「はい」
本気で戦うと、むしろキルヒアイスの方が体格がいいので三葉が勝ってしまった。
「……フ、フフ。油断してしまったようだ。もう一度やろう」
「はい」
再び二人が対峙する。今度こそと、本気の本気で構えるラインハルトと、やはり本気で構える三葉が夜中の庭にいると、練習ではなく酔ってケンカでもしているように見えたので訪ねてきたオスカー・フォン・ロイエンタールは声をかけるのを躊躇った。
「……。コホン」
それでも火急の用件があるので咳払いして二人へ声をかける。
「ご決闘の邪魔をして申し訳ないが、ラインハルト・フォン・ミューゼル大将閣下とお見受けいたします」
「これは決闘ではない。ただの演習だ。卿は?」
「オスカー・フォン・ロイエンタールと申します」
「おお、卿が、あのロイエンタールか。武名は聞いたことがある」
「それはお耳汚しでした。私などより大将閣下の武名こそ轟いておりますれば、一つお願いいたしたいことがございます」
軍人なのに、けっこうなロン毛、と三葉は思った。けれど、夜中の訪問なので油断せず相手が武器を持っていないか観察する。すでに宮廷内に敵が多いことは聞いているのでブラスターを部屋に置いてきたことを後悔した。次から肌身離さず所持しようと決める。そんな表情をロイエンタールは見抜いたようで頭をさげた。
「閣下は、よい部下をお持ちのようですな」
「卿の用件は?」
すでに午後11時30分を過ぎている。演習も非常識だったけれど、訪問も非常識な時間だった。
「立ち話では、差し障りがございます」
「……。よかろう。入れ」
ロイエンタールから並々ならぬ気配を感じてラインハルトは居室内に招き入れた。三人でテーブルを囲み、密談が始まると、三葉は日本語でメモを取る。もうキルヒアイスと入れ替わる時間が迫っているので大切な話なら、手紙にする時間もないので書いていたのだけれど、ロイエンタールの瞳が、やめてほしそうにしたので手を止めた。
「すると、卿の友人を助けるため、私に助力を請いたい、というのだな?」
「そうです」
「そのために帝国最大の門閥貴族と対立しろと」
三葉は二人の話を記憶に残そうとするけれど、軍規や身分が関わるそれなりに複雑な話だった。すでに12時近くて眠くなってくるし、一日の最後に白兵戦をしたので身体も疲れてきている。ついつい話が頭に入らず、ロイエンタールの瞳をぼんやりと見る。
「………」
あ、左右で目の色が違う、視力も違ったりするのかな、ていうかロン毛が似合ってない、その顔の横に垂らした毛、すごいウザい、顔はなかなかハンサム、けど、この身体にいるときって男の人にときめかなくなってきたかも、どっちかというと女の子が可愛く見えて抱きしめたくなるし、食欲があるんだから性欲も、この身体からくるのかな、朝起きたときとかすごいことなってるし、あれを女の子のあそこに…、と三葉が無関係なことを考えていると、ロイエンタールが聴いているのか、という目で見てきた。聴いてますよ、という顔を作って背筋を伸ばした。ラインハルトはロイエンタールの話を信じつつあり、重要な問いを発して試しにかかった。
「卿は現在の銀河帝国ゴールデンバウム朝について、どう思う?」
「五百年になんなんとする巨体には、様々な膿が溜まっております。大規模な外科手術が必要でしょうな」
「あ…」
今の不敬罪っぽい、と三葉はつい声をあげてしまった。
「「「……………」」」
微妙な間があり、三葉は空気が読めていないことに気づいて、視線をそらせ、そして時計を見ると、もう5分前だった。
「す、すみません。ちょっと休憩を10分ほど…」
「………」
このタイミングでか、というロイエンタールからの視線が痛いけれど、ラインハルトがフォローしてくれる。
「キルヒアイスは前回の戦闘で頭を打ってな。ときおり強い頭痛に襲われるのだ。だが、少し休んで薬を飲めば問題ない。悪いが、待ってやってくれ」
「それは、お大事に」
「失礼します」
三葉はキルヒアイスの部屋に戻ると、紙に走り書きを残す。
アンネローゼさんに会い、気づかれず、無事終了。
夜中に訪問客あり、今もラインハルトさんの部屋で話し中。5分で戻った方がいい。
話題は派閥抗争
貴族の揉め事で友達を助けてほしい、みたいな。
信用できそうな雰囲気もあるけど、不敬罪っぽいこと言ってた。
名前はオスカー・フォン・ロイエンロールさん。
捕まってるのはミッター・マヤさん。
時間が迫ってくる。少しできるようになったドイツ語も混ぜて書いたけれど、スペルなどをチェックしている時間は無さそうだった。せっかく部屋に戻ったので置いてあったブラスターも身につける。
「まだ敵か味方か不明だし。手紙は…ん~……こんなもんかなぁ……忙しい一日だった……午前中は、のんびりでよかったけど…」
他に書くべきことを考えているうちに12時になった。
キルヒアイスは目前にあった紙を読むと、すぐにラインハルトの部屋へ入った。
「お待たせいたしました」
「よく戻ってきた。座れ」
「はい」
「……」
ロイエンタールは6分で戻ってきてくれたことはありがたかったけれど、内心では刻一刻を争っている。頼み事なので失礼の無いよう落ち着いているものの、本心では今すぐにでも駆けつけたい気持ちを強い理性で抑制している。なのに、戻ってきたキルヒアイスの腰にはブラスターがあり、警戒するのが当然だとわかっていても良い気はしない。それでもミッターマイヤーのために話を続ける。
「大将閣下のお力添えをいただきたくお願い申し上げに参った次第です」
「うむ。……。キルヒアイス、話は覚えているか?」
「はい、こちらのロイエンロールさんからのご依頼でミッター・マヤさんを助けるという話でした」
「ロイエンタールだッ!」
つい大きな声を出してしまい、ロイエンタールは詫びる。
「失礼、ロイエンロールではなくロイエンタールだ。できれば間違わないでいただきたい」
「これは失礼いたしました。ロイエンタール少将」
キルヒアイスは立ち上がって敬礼した。ロイエンタールは軽く頷き、付け加える。
「あと、ミッターマイヤー少将の救出をお願いしている。こちらも間違わないでいただきたい。キルヒアイス中佐におかれては、よほど頭痛に苦しんでおられたとお見受けする。夜分の訪問、まことに申し訳ない」
「いえ、こちらこそ、失礼いたしました」
「うむ、キルヒアイスには私から話そう」
そう言ってラインハルトは今までの話を、ほぼ丸ごと繰り返した。ロイエンタールの話が、本当のことなのか、それとも罠なのか、キルヒアイスの判断もほしいので繰り返しているけれど、ロイエンタールにとっては時間の空費に感じられる。
「どう思う? キルヒアイス」
「はい。では、ロイエンタール少将におかれては現在の銀河帝国ゴールデンバウム朝について、いかがお考えでしょうか?」
「……」
「キルヒアイス、それも訊いた。我々の考えと一致している」
ラインハルトとキルヒアイスが目で会話する。そして頷き合った。
「キルヒアイス! ミッターマイヤー少将が、どこに捕らわれているか、すぐに調べてくれ」
「はい、おそらくブラウンシュヴァイク公の息のかかった軍刑務所でしょう。すぐに!」
そう言ってからのキルヒアイスは迅速な事務能力を発揮してミッターマイヤーの居場所を突き止め、すぐに三人で駆けつけた。
「くくくっ…ここまで痛めつければ、もう後悔しただろう。死ぬがいい」
駆けつけた刑務所の奥からフレーゲル男爵の声が響いてくる。
「悲鳴をあげなかったのは、たいしたものだが、もう私は眠い。貴族は健康管理も気をつけるのだ。もはや飽きた。殺せ」
自分の手を汚さずに手下へ命じているところへ、ラインハルトたちが間に合った。
バシュゥン!
手下がミッターマイヤーを射殺しようとしていたブラスターをキルヒアイスのブラスターが撃ち落とした。フレーゲルが驚き振り返る。
「ミューゼルっ?! 貴様!」
「フっ」
ラインハルトとフレーゲルが睨み合い、少し遅れてアンスバッハが現れ、両者を仲裁する。ロイエンタールは倒れている親友を抱き起こした。
「ミッターマイヤー! 傷は?!」
「ぐぅ……見ての通りさ」
ミッターマイヤーは20分ほど前に胸部を狙ってきたブラスターの射線を見切って、致命傷をさけるため手のひらから肘までを射線に重ねて受け止めていた。二度の射撃を受けて両手が、まったく動かなくなったものの致命傷は受けていない。そこを電撃も付帯する鞭によって何十回も打たれたために、朦朧としていたけれど、ロイエンタールの顔を見ると、笑顔をつくってみせた。
「なんとか生きているさ。両腕も義手にすれば、なんということはない」
「……。そうだな。だが、ミッターマイヤー夫人には悪いことをした。抱きしめる両手が義手では、いささか、ものさみしいだろう」
一人の漁色家として冗談を言って励ましたものの、あと10分、いや20分、早く到着していれば、ここまで酷い傷を負わせずに済んだかもしれないと思うと、睨むつもりはなかったのにキルヒアイスを見てしまった。
「……」
「……」
これは、わだかまりが残るかもしれない、とキルヒアイスは思った。そして、ロイエンタールがブラスターを抜き、誰も止める間もなく撃った。
バシュゥン!
「ヒギィイアアア!」
牢内にいた拷問係が悲鳴をあげている。この拷問係というのが、黒の編み上げブーツに、網タイツをはいて、黒皮のパンツをはいた大男でオフレッサー並みの体格をしていたけれど、自身の痛覚には弱いようで、ロイエンタールが一人の漁色家として急所を撃ったために、喘ぎ苦しんでいる。アンスバッハが眉をひそめて言う。
「私は自重を願ったはずですが、ロイエンタール少将」
「ああ、人として自重はするさ」
ロイエンタールが平然と応答する。
「ただ、軍刑務所内にいるはずのない害虫がいたので殺虫剤をかけたまでのこと。フレーゲル男爵におかれては、身に覚えのない害虫であれば、実に申し訳ないが、今暫くお待ちいただければ、殺虫剤が効いて駆除できましょう。その上は死骸を捨てておいてもらいたい」
長めの口上が続くうちに、拷問係は撃たれた急所からの出血多量で息も絶え絶えになっている。今すぐ救急処置しないと死んでしまうのは明らかだったけれど、誰も助けようとしない。拷問係は薄れゆく意識の中で、今までに何度も拷問で死に至らしめた被害者が見ていたであろう刑務所の天井を見ている自分をあわれみ、泣きながら死んでいった。
「……ちっ…」
フレーゲルは舌打ちして手下に片付けておくよう命じると立ち去った。もともと、この拷問係を呼んだのもフレーゲルであったけれど、あまり気に入っていない依頼先で単に料金が安いということで使っていた。というのも、この拷問係の本業はマッスルジムの人気トレーナーで拷問係は趣味ということが大きかったけれど、趣味が災いしてジムの生徒たちは愛好する講師を喪うことになった。
三葉は自分の部屋にいる自分を認識し、目の前にいた四葉に言う。
「ただいま」
「おかえり。今日は、どうだった?」
「う~ん……午前中は街を見て回ったよ。けど…」
「けど?」
「ここは本当に未来なの、って思うくらい街が古かったよ。服装のセンスも、なんか一周回って先祖返りっていうか、中世気取りみたいな。日本で言ったら和服と、ちょん髷が復活してるみたいな感じ。逆明治維新でもあったのかな」
「へぇぇ」
「あと、午後からラインハルトさんのお姉さんに会ったよ」
「どんな人だった?」
「すっごい美人! ありえないくらい優雅で上品で落ち着いてるの」
「優雅で…落ち着いて…」
四葉は数分前の三葉の身体がまとっていた雰囲気を思い出した。
「その人の状況って、どう? 何か不幸なこととか、困ったことない?」
「え……うん。あんまり幸福じゃないかな」
「どうなってるの?」
「う~ん……こういう話、過去にいる四葉に私がしていいのかなぁ……」
「誰にも言わないよ」
「じゃあ、あのね。皇帝がいる話はしたよね」
「うん」
「その皇帝のお妾さんというか、第2、第3の夫人みたいな感じなの。光栄なことらしいけど、あんまり幸せそうじゃないっていうかイヤイヤみたいな感じでラインハルトさんとキルヒアイスは、そのアンネローゼっていうお姉さんを取り返したいから、強くなろうみたいな計画らしいよ」
「なるほど……それで10歳の私にする話じゃないって、あんな苦しそうに……」
「四葉も、キルヒアイス本人から聞いてたの?」
「少しだけね」
「じゃあ、私の勘だけど、アンネローゼさんはキルヒアイスのこと好きかもしれないって言ったら、どう?」
「………相思相愛なのに引き裂かれたんだ……そりゃ、女性への態度が潔癖にもなるよね」
「キルヒアイスも、アンネローゼさんのこと好きなんだ。………私、協力したい! なんとか助けたいよ!」
「それは………その気持ちは大切かもしれないけど、うかつに動いてマズいことになるくらいなら、慎重にした方がいいと思うよ。千年先の感覚とか常識って、私たちと、ずいぶん違うかもしれないし。たとえば、平安時代が千年前だけど、その頃の感覚とか常識って同じ日本人でも、ぜんぜん知らないでしょ?」
「あ……そうだね……そっか。慎重にしないとね。でも、何かしてあげたいなぁ……」
「その気持ちで訓練を頑張ればいいよ。とりあえずは」
「うん! 夜にね、格闘の練習したよ。かなり上手くなった」
「へぇぇ…」
四葉が半信半疑なので三葉は近くにあったノートを丸めて四葉へ渡す。
「これをナイフだと思って私を突いてみてよ」
「……。じゃ、いくよ」
ノートをもった四葉が構える。
「えいっ! と、みせかけて!」
四葉は素直に突かず、一度フェイントを入れてから、斜め下から三葉の顎先へ斬りつけようとしたけれど、三葉は反射的に対応して避け、妹の手首を取ると、ノートを握らせたまま手首と肘を捻って力の方向を最小限の動作で変えさせ、その先を四葉の喉元へあてた。
「ほらね。これで四葉は一回、死んだよ」
「……すごいね……一瞬だった……」
姉の成長に四葉が感心している。
「でも、一回死んだとか言わないで。縁起悪いし」
四葉は喉元を撫で、この技で殺される者は自らの喉を切り裂く感触を自らの手で味わうのだと感じた。三葉は無邪気に微笑む。
「射撃だって、かなり上達したよ。まあ、ブラスターだから反動ないし、火薬の鉄砲だと違うらしいから、そっちは感覚が違うかもだけど、この私の身体でも覚えた格闘技は使えるんだね。そこらの不審者には負けない気がする」
「はいはい。調子に乗って失敗しないでね」
「そうだね。男と女で筋力は、ぜんぜん違うし。食欲も。……もしかしたら性欲も違うかも」
「そうなの?」
「うん、男の身体でいると、いっぱい食べられるし、自然と食欲を感じるみたいに、性欲も………アンネローゼさんを見てたら抱きしめたいって気持ちが湧いてきてドキドキしたもん」
そう話す三葉の頬が少し赤い。
「今は身体が女子に戻ったから変な気分だよ。女の子を可愛いって思う気持ちが、わかるようになって……」
「なんかお姉ちゃんから男っぽさを感じるかも。逆にお姉様は、しっかり女性っぽいし」
「とりあえず、お風呂に入ってくる」
三葉はすでに寝ている一葉を起こさないように足音を抑えて脱衣所に入ると裸になった。ふと洗面台の鏡で自分の裸体を見る。
「……女の子の……裸………私って、けっこう可愛いかも……」
自分の身体なのに妙な興奮を覚えてしまった。
「…おっぱい…」
思わず自分の乳房を自分で揉んでみる。
「うわぁ……柔らかい……」
嬉しそうに自分の乳房を揉み続けていると、四葉が脱衣所に入ってきた。二人の目が合う。
「「……」」
四葉の顔が見たこともないほど、げんなりとした表情なり頭痛でもするかのように右手で額を押さえ、崩れて片膝をついた。
「……なんてアホな姿……すっごい既視感………我が姉ながら……ホント…もう…」
「べ、別に! ちょっと確かめてただけだから! 思春期きてないお子様にはわからないんだから!」
「はぁぁ……いっしょに、入ろうと思ったけど、もういいよ」
妹にタメ息をつかれた三葉は一人で入浴し、髪を乾かして自室の布団に潜った。
「……」
なんとなく寝付けない。
「あのあと、ロイエンロールからの頼み事、どうしたのかな……」
事件の始まりだけ知り、その続きが気になる。
「…でも、軍人なのにキザっぽい長髪で、軽く縦ロールまで入れてたよねぇ……あ、フォンが入るから貴族か、はいはい。それよりアンネローゼさん……」
銀河一の美女を思い出して寝返りする。寝返りした動きで三葉の左右の乳房がぶつかりあった。なんとなく、また自分の手で胸に触る。
「キルヒアイスは……私の胸、触ったりしてるかな……アンネローゼさんが好きなら、しないかな……でも、トイレでは……」
だんだん眠くなってきた頭で、ぼんやりと想像する。
「…トイレは仕方ないかなぁ……私だってキルヒアイスのを……握るし……、トイレは仕方ないとしても、朝起きたとき、すごい大きくなってるの、やめてほしいなぁ……あれも生理現象らしいけど……あんな大きく……」
想像が妄想へと変質していき、三葉は胸を揉みながら、反対の手を股間にやった。
「やっぱり無いか……有っても困るけど…」
さきほどまで有ったものが無い。それから確かめるように女子としてのものが有るか、まさぐった。
「よかった……ちゃんと女子……」
無くなっていたら、どうしようかと思ったけれど、ちゃんと有ったので安心する。
「……ここに……男子の…あれを…」
まだ無意識に胸を揉み続けていた三葉は股間を触り続ける。
「ハァ……やだ……こんなことして……あ、自分の身体だから、何をしてもいいのか……最近、ややこしいなぁ……」
寝惚けてきた頭で自慰を続けると、自分が女なのか、男なのか、妄想の中でゴチャゴチャになってくる。キルヒアイスの鍛え上げられた身体、ラインハルトの象牙細工のような姿、アンネローゼの宝石より美しい存在感、ありのままの宮水三葉の裸体、左右の瞳で色が違う縦ロール男、街で見かけた赤いドレス、今回は会えなかった軍人臭くないノルデン少将、大きな戦艦、未来の宇宙、男子トイレ、いろいろなものが走馬燈のように駆けめぐり、三葉は半分眠った状態で自慰を続けていき、そのまま朝を迎えた。
「お姉ちゃん、遅刻するよ」
四葉が戸を開けた。
「………」
そっと戸を閉めて見なかったことにする。姉の寝顔は幸せそうだった。だらしなく口を開けてヨダレを垂らしていた。それ以上は見なかったことにする。
「思春期かぁ……はぁぁ…」
タメ息をついた四葉は戸をノックして起こす。
「お姉ちゃん!! 起きないと遅刻するよ!!」
「……んぅ……」
やっと起きた三葉は時刻を見てバタバタと寝癖も直さないまま朝食を掻き込み、通学路を走った。しばらく走って、早耶香と克彦に追いついた。
「ハァ…ハァ…おはよう、サヤチン、テッシー」
「おはよう、三葉ちゃん」
「おう、おはよう。三葉」
三人で歩いていくと、不意に三葉は早耶香の胸に触った。三葉の手がモミモミっと早耶香の乳房を揉んでいる。
「う~ん、いい感触。しかも、私より大きい」
「っ?! いきなり何するんよ?!」
早耶香が驚いて振り払ったけれど、三葉は悪びれずに言う。
「ちょっと触ってみたくて。女同士の友達だし、いいじゃん」
「………。今の触り方、友達って感じじゃなかったよ」
早耶香が恥ずかしさと怒りで顔を赤くしている。まるで男子に触られたような触り方だったので女子同士のスキンシップとは想えない。
「ごめん、ごめん。私の揉んでみる?」
三葉が不必要に胸を張ったけれど、早耶香は遠慮する。
「いらないよ」
三葉は次に克彦を見て訊いてみた。
「テッシーってさ、私やサヤチンのことを見ていて抱きたいって思ったことある?」
「なっ………」
克彦の顔が赤くなるので、悟った。
「あるんだ」
「「……………」」
「………。あれ、私、今、かなり変なこと訊いた?」
「「………」」
二人が無言で頷くので、三葉も寝惚けていた羞恥心と、自分が女子であるという自意識を取り戻して、猛烈に恥ずかしくなってきた。
「ごめん! なし! さっきの無しで! お願いします!」
「ったく、お嬢様だったり変なこと言い出したり、三葉、大丈夫か?」
「えへへへ…、女心と秋の空、みたいな」
「はぁぁぁ……そろそろ夏だな」
あきれられながら登校してラブレターをくれた相手の下足箱に返事を入れたときだった。
「調子に乗ってんじゃねぇぞ」
「ぇ?」
三葉はクラスメートの柄の悪い男子に罵られて、首を傾げる。
「ごめん、私、何かした?」
「オヤジが当選したからって調子に乗ってんじゃねぇって言ってるんだ」
「………。ああ、その話」
三葉の胸中に不快感が湧いてくる。今までにも何回も言われたことで、三葉は何もしていないのに、からんで来られることが再び繰り返されているだけで、うんざりしてくる。実に苛立たしい。
「別に、私と父は関係ないから」
「ちっ、当選した途端、コロっと態度を変えやがって。親が政治家だと、子供も汚ねぇな」
「っ…」
三葉の顔が怒りで赤くなる。嫌っていても父親のことを他人に悪く言われると腹が立つ上、自分も含めて汚いとまで言われて相手を睨みつけた。
「何も汚いことなんかしてないから」
「あん? どの口が言う? 汚ねぇ酒、垂らしてるくせによ。よく、あんなこと人前でできるな? ゲロ酒お嬢様。スカートの中からも、白いの垂らしてみせろよ。ギャハハハ」
「…………」
ますます三葉の顔が怒りで赤くなり、ラインハルトが下衆を睨むような目になった。少し離れたところにいた克彦と早耶香がフォローに来てくれる。
「三葉、大丈夫か?」
「三葉ちゃん、もう行こう」
おかげで少しだけ冷静になれた。
「……うん……そうだね。フン! 負け犬の相手なんてしても仕方ないよね」
「なんだと?!」
「ああ、うるさい。よく吠える犬ね。負け犬ほど、吠えるって本当なんだ」
「てめぇ!!」
怒った相手が掴みかかってくる。三葉は掴みかかってくる相手にタイミングを合わせて前蹴りを入れた。三葉の靴底が相手の股間にヒットする。
「ぐはっ?!」
相手は股間を蹴られ、机が倒れるような無抵抗さで後ろへ倒れ込んだ。
「ぅぅ…ぐぅ…」
「もう私にからまないで」
「ぅぅ…てめぇ…ぐぅ…」
股間を蹴られて動けない相手に背中を向けて、教室へ向かった。
「三葉って、怒ると怖いな」
「三葉ちゃん、強いね」
「私は何もしてないのに、からんでくるからよ。………もしかして、昨日の私、あいつに何かした? 怒らせるようなこと」
手紙には書かれていない何かがあったのかもしれないと訊いたけれど、克彦は首を横に振った。
「いや、あいつには何も」
「そう。……昨日の私って、どんなだったっけ?」
「自分のことを忘れるのかよ。いや、まあ、あのお嬢様モードと普段の三葉って、もう別人みたいに変わるよな。態度がコロっとって言いたくなるのは、わかるくらい」
「そ、そう。き、気分で、やってるの。気にしないで」
「気分ねぇ……」
「だいたい、あいつが私をイライラさせるから」
そう言いながら、三葉は下腹部を撫でた。本当に気分が落ち着かない、まだ苛ついている。悪い予感がしてきた。授業を受けて昼休みになると、三葉は自分が女子であることを強く認識させられる事態を迎え、女子トイレの洗面台の前で暗い気持ちになっていた。
「う~……来ちゃったよ……夕べ、やたらムラムラするし……今朝からイライラしてると思ったら……う~……来ちゃった……」
毎月と同じように対処してから、洗面台で手を洗い、暗い気持ちで沈み、愛用のポーチを握って鏡を見る。
「うう~……鏡よ、鏡、私を私でいさせてください」
「三葉ちゃん、なに言うてんの?」
早耶香も女子トイレに入ってきた。
「う~……来ちゃったの」
「あれが?」
長い付き合いなので愛用のポーチに何が入っているか知っているし、身体の匂いも変化するので早耶香は、すぐにわかった。ただ、ごく当たり前のことなのに三葉は激しく動揺している。
「うん、あれが来ちゃった。どうしよう?」
「………いやいや、来ない方がヤバイでしょ」
「それは、もっとヤバイけど、そんなことはしてないもん」
「だったら、当たり前に来るよ、そりゃ。温泉旅行でも行く予定だった?」
「う~………そんな感じ……」
「そっか、気の毒にね」
「ああ~……」
絶望的な気持ちで帰宅して、四葉に相談する。
「来てしまいました。あれが」
「そっか。まあ、そろそろだとは思ったけど」
「どうしよう?」
「前に考えておいた通りにするしかないんじゃない?」
「ぐすっ……それしか、ない……かな…」
「他に手段がある?」
「………ない」
「じゃあ、一回は私も予行演習しないと、いきなりお姉様のときで失敗したら困るから、やっておくよ」
「うん………ごめんね、四葉……こんなことさせて……」
「別にいいよ」
「…………」
三葉は申し訳なさそうな顔で自室の布団に寝転がった。そして、愛用のポーチを妹に渡す。
「………この中に入ってるから……」
「お姉様のときは目隠しとイヤホンもしてもらう?」
「うん、そうして」
「音楽とか大きめの音でかければいいよね」
「うん。…………」
「じゃ、ちょっと腰あげて」
「…………。息も止めてもらって。今も四葉も」
「私、息止めは40秒が限界だよ」
「それでいいから」
「わかった」
そっと四葉は以前に説明されていた通りの手順で対処していく。見守る三葉の目は涙で潤んだ。
「それ、すぐ丸めて捨てて。手を汚さないように」
「こう?」
「そう」
「で、新しいのをパンツに貼る、だよね。これを、こうして……」
四葉は小学校ですでに習っている生理用ナプキンの使用方法を実演してみる。袋から出して、カバーを外し粘着部分を三葉のショーツに貼り付ける。ショーツの形に合うようにナプキンを拡げつつ前後にしっかり貼り付け、羽状になっている部分は折り込んで左右にもズレないよう固定する。もう、とっくに呼吸を止めていることができる限界は超えているので静かに呼吸すると、独特の匂いがする。血と汗、それだけでなく肉か内臓のような匂いだった。
「こう? これで完成?」
「うん、そう」
「じゃあ、もう一回、腰あげて」
「はい。…………」
ナプキンを替えたショーツを引き上げてもらう三葉は羞恥心の極みで顔を腫れそうなほど赤くしている。
「これで完了?」
「うん………ありがとう……ごめん…ごめんね、ごめん、四葉…っ…ひっく…ぅう…」
起き上がった三葉が啜り泣き始めたので四葉は首を傾げる。
「ここって泣くところ? 問題なく交換できたと思うけど……」
「まだ来てない四葉にはわからないよ、この情けなさは……妹に替えてもらうことが……あるなんて……ううっ……ごめん、ごめん……」
「謝らなくていいよ。ほら、泣かないでお姉ちゃん」
「ぐすっ…ぐすっ…」
そう言われても三葉は、しばらく泣いていた。