「君の名は。キルヒアイス」歴史の真実と芯の世界   作:高尾のり子

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告白、ルビンスカヤとルビンスキー、三竦み

 

 キルヒアイスは三葉の部屋で目を覚ますと、回数を数えて日付を見ていた。

「これで22回目………」

 三葉と入れ替わること、すでに22回となっている。

「三葉さんの時間では4月から6月に、けれど私の時間では486年の2月から11月まで進んで……私が三葉さんになるのは、三葉さんの時間で、およそ週に3、4回。けれど、私の時間では不定期ではあるけれど週に1回程度……もしも、このままのペースなら彗星落下の頃には、私の時間では489年中頃に……」

 入れ替わる日のペースが二人のいるそれぞれの時間で違うことには、ずいぶん前から気づいていたけれど、その記録から逆算して彗星落下まで入れ替わりが続くと仮定すると、帝国暦では489年までになりそうだった。

「この現象は三葉さんたちを救えという神の意志なのでしょうか………いえ、神のような非科学的なものが……もっと、よく知り、もっと、よく考えましょう……。けれど、もしも、彗星落下で三葉さんが亡くなるとすれば、私は彼女の残り少ない人生の半分を無為に奪っているということに…」

 胸に痛みを覚えつつ、三葉としての日常を女性らしく過ごすために枕元にあった手紙を読む。

「テッシーとカフェに………写真とお土産…」

 手紙には今日の予定として、克彦と電車で移動して地方都市にあるカフェに行くこと、もしも自分が行けずに入れ替わりが起こってキルヒアイスが行くなら、カフェの料理をスマフォで写真に撮っておくこと、テイクアウトのお土産を多めに買って帰ることが書かれていた。

「サヤチンは……」

 たいてい3人いっしょに行動するのに、早耶香のことが触れられていないのでスマフォでメッセージ履歴をチェックした。克彦とのやり取りが見つかる。

 

 明日、念願のカフェに行かんか? 割引券もらったし。

 行く行く!

 じゃあ、9時に駅に集合な。

 サヤチンは?

 あいつは家族で富山にマス寿司を食べに行くって言っておったやろ。

 ああ、そういえば、そんなこと言ってたかも。サヤチンが行けないなら来週は?

 割引券の期限が来るから。

 そっか。どうしようかな。

 割引券がある分、おごってやってもいいぞ。

 行く!

 じゃあ、決まりだな。

 

 やり取りを見ると、昨夜になって急に決まったことなのだとわかった。

「………これは……デート……どんな服で行けば……」

 着替えは用意されていなかった。もうお互い軍服や制服だと、用意しなくてもわかるし、普段着も三葉のショーツが入っているタンス以外は中身を把握している。

「明らかにデートなのですから、テッシーに失礼のない服装でないと……」

 いつもの日曜日に着ているような平服で行くわけにはいかないと思い、タンスを探って少し胸がきついけれど、三葉が中学生の頃に女性らしさへ憧れて買った白いワンピースを選んだ。

「もう、こんな時間に…」

 服を選んで、いつもより身なりを整えることに気遣っていると、約束の時間が迫り、朝食もそこそこに駅へ急いだ。到着すると、すでに克彦が待っていた。

「おはようございます。お待たせいたしました」

「………。そ、そんな女らしい服……もってたんや……」

 初夏らしい肩と胸元を露出したワンピースは17歳の三葉の健康的な美しさを外面からも内面からも輝かせていたし、白いワンピースに合う靴が無くて玄関で困っていたところ、一葉が二葉が使っていたヒールのある白サンダルを出してくれたので、いつも学校で見る三葉とは別人のように可愛らしく見えて、克彦は気温以上に暑く感じた。

「おかしくないでしょうか。スカートが短すぎる気がして、場にふさわしくなければよいのですが」

 スカート丈は制服と同じほどだったけれど、ふわりとした生地なので風が吹くと不安感が大きい。首から肩、胸元までを露出するのは宮廷婦人たちにも、よく見られる衣装だったので抵抗が少ないけれど、スカートは踝まで長さがあるのが標準で、膝上の腿半ばまで露出するのは内心で、とても恥ずかしいと感じている。ただ、周囲の女子高生も同じほど短いので、それが文化なのだと自分に言い聞かせているだけで、恥ずかしいことにはかわりはなかった。

「い…いや…ぜんぜん、大丈夫。ナイス、チョイス」

 そう言う克彦も普段の平服よりも決めてきていて、香林坊で買ったスラックスや勅使河原建設の嫡男として出席するパーティーなどでも着られるフォーマルさとカジュアルさを兼ね備えたカッターシャツを選んでいた。

「じゃあ、行こうか」

「はい」

 二人で電車に乗って糸守町を離れ、おしゃれなカフェのある街を歩くと、三葉の美しさと気品ある雰囲気は、とても目立った。立っていても座っていても、物腰の穏やかさと上品さは銀河屈指の女ぶりでエスコートしている克彦にも気合いが入る。それでも、お目当てのパンケーキが運ばれてくると、三葉の手が恥じらいながらスマフォを出した。

「……お料理の写真を撮りたいと思います。……失礼ですが、よろしいでしょうか」

「あ、…、ああ、どうぞ」

 克彦は普通のことだと感じたけれど、喫茶中にスマフォを出して料理を撮影することが、とても下品で不作法なことに感じられるのに、そうするように命じられているので羞恥心に耐えながら、一品につき角度を変えて3枚は撮らされ、恥ずかしそうに顔を赤くしている。そんな女の表情を見て、克彦は元々どうでもよかったパンケーキの味は一切記憶に残らず、ただ三葉の顔に見惚れた。とても恥ずかしそうに一枚一枚の写真を丁寧に撮りつつも、周囲の視線を気にして顔を真っ赤に染め、あまりに恥ずかしくて涙まで浮かべている。

「はぁぁ…」

 やっと撮り終わってスマフォを片付けると、両手の指で熱くなった頬を冷やしてタメ息をついている。

「はしたないことをして、すみませんでした。ご同席されていて、さぞやご不快であったかと痛み入ります。どうか、お許しください」

「いや、いいって、いいって。ほら、早く食べんと、クリームが解けるで」

「はい、いただきます」

 そう言って半分まで食べてから、また恐る恐る三葉の手がスマフォを出した。

「あの…」

「どうした?」

「……もう一度、写真を撮ってもよいでしょうか」

「ああ、いいけど、早く食べんと解けるぞ」

「はい、せっかくお誘いいただきましたデートで、このような不調法をお見せすること、どうぞ、ご容赦ください」

「…デート……だよな、やっぱり……これは…」

 克彦は満足そうに頷いて、迷っていた夕方の予定を三葉が喜びそうな手羽先の美味しい焼き鳥屋ではなく、景色のいい静かな公園の丘に決めた。けれど、三葉の顔は悲壮なほど羞恥心で染まり、食べかけのパンケーキの断面を撮ることに抵抗を覚えている。ふわふわのパンケーキの断面を生地の様子がわかるように撮っておくことという命令だったけれど、公衆の面前で自分が食べかけた物を撮るという行為が恥ずかしすぎて、スマフォを持つ三葉の手が震えている。見かねて克彦が言う。

「貸してみ、オレが撮ったろ」

 そう言って克彦が撮ってくれた。おかげで気持ちが楽になる。

「すみません。ありがとうございます」

「いいって。さ、食べようぜ」

「はい」

 ようやく喫茶を楽しみ、糸守町にはない都市部の賑わいを見て回り、夕方になると克彦に誘われて公園の丘にのぼった。

「ここ夕日がキレイなんや」

 克彦は有名すぎる夕日スポットだと、他にもカップルがいて告白しにくいので子供の頃に何度か見に来たことのある、ごく平凡な公園に誘っていた。その選択は正解だったようで運良く誰もいないし、夕日が美しく周囲を彩っている。

「これが夕日……」

 キルヒアイスは地球で見る夕日に心を打たれた。

「なんて美しいの………」

 生まれて初めて見る地球での太陽の夕日は心を揺さぶるほど感動的だった。

「あぁ……」

 どの可住惑星も当然ながら環境的に地球と近いけれど、恒星の大きさや色合い、恒星惑星間の距離、大気の微量成分、それらが少しずつ惑星ごとに異なるために夕日はとくに違いが鮮明になる。そして糸守町は急峻な山に挟まれた谷間であるために夕日となる前に日陰となってしまうので、今日のこの夕日が本当に初めての夕日だった。

「………」

「………」

 太古の昔から何十億年と繰り返されてきた自然現象を目の当たりにしてDNAが揺さぶられるような感動を受けていた。今までに見たどの夕日よりも美しいと感じるし、写真や絵画で見た夕日も、地球が核戦争で荒廃する以前の夕日を目指す印象の原点として描写されているので、その原点そのものを見ることができて胸と目が熱くなってくる。

「まるで夢のよう……」

 ここでは女性として振る舞い、危険な戦場でもなく、陰謀渦巻く宮廷でもない場所で心が安らぐ。一瞬、帝国軍士官としての自分が本当なのか、ここにいる自分が本当なのか、どちらかが夢なのか、わからなくなるほど夕日に感慨無量となった。

「こんな美しい夕日を見せてくれて、ありがとう、テッシー」

「三葉」

「はい?」

 克彦の方を振り返ると、真剣な眼差しで見つめられていた。

「オレは三葉が好きだ」

「っ…」

 前置きも照れもない直球の告白を受けて三葉の心臓が拍動の速度を早めた。

「オレは三葉が好きだっ!」

「……テッシー……」

 困った、という気持ちと、嬉しいという気持ちが等量に湧いて思考を混乱させてくる。自分が宮水三葉ではないことは忘れていない、けれど可能な限り女子の三葉として行動しようと思っている、もしも、この告白を受けたのが三葉本人なら、どう反応したのか、どう反応するのが、今後の三葉と克彦のためになるのか、それを考えるけれど、答えに至れない困ったという気持ちと、そして素直に嬉しいと感じる気持ちが混在して、三葉の頬も夕日で染められている以上に赤くなってくる。

「オレと付き合ってくれ」

「……それは……男女交際ということですか?」

 わかりきっていてバカな質問をしていると自覚していたけれど、それでも問うと、克彦は真剣に頷いてくる。

「ああ、そうだ」

「………」

 三葉の瞳が克彦を見つめる。克彦も見つめてくる。男性からの告白と熱い視線が、より三葉の心臓を高鳴らせてくる。答えに窮して無言だったけれど、三葉の表情を見て克彦は勝機を感じて、三葉の肩を握った。華奢な肩が男の厚い手のひらに包まれると、ますます三葉の心臓は早く鳴る。肩を露出しているので、お互いの体温を熱いくらいに感じた。

「ずっと、好きだった。なかなか言えなかったけど、伝えておきたいんだ。好きだ、大好きだ」

 ずっと言えなかった分、言えるようになると繰り返し言いたくて連射した。その連射が三葉の心臓を経験したことがないほど高鳴らせたし、感じたことのない嬉しさが胸に湧いてきて、このまま克彦の男性らしく成長してきた腕に抱かれたいという衝動さえ覚えた。

「………」

「………」

 イエスと答えたい、答えてあげたいし、答えたかった。言葉にしなくても、そっと目を閉じて唇を捧げるだけで気持ちは十分に伝わるし、身体がそれを求めている気がする。けれど、それはダメだとわかってもいる。たとえ、最終的にイエスと答えるにしても、それは三葉が決めることで、今日の自分が決めていいことではないとわかってる。そして、このタイミングで、また思い出してしまった。この真っ直ぐな熱い告白をしてくれた克彦でさえ、あと四ヶ月の命なのだと知っていることを思い出してしまった。

「………」

「好きだ、三葉」

 女として、とても嬉しかったし、男として尊敬に値する男だと想う。自分に、こんな勇気をもった告白をアンネローゼにできるだろうか、そう自問すると、より尊敬するし、握られている肩から感じる男の手の逞しさが、女の身体の芯を熱くさせてきて、このまま抱かれたいという気持ちで身体の重心が克彦の方へいってしまいそうになる。それを我慢して、踏み止まるのが、つらい。

「泣かないでくれよ」

 克彦は三葉の涙を指先でぬぐった。いつの間にか、涙を流していた。

「イヤだったか? オレなんかに好きだって言われて……」

「いいえ!」

 これは、はっきりと答えておかないといけない。三葉がイエスと答える可能性も大いにあるのだから、今は選択の余地を残して明日に持ち越さなければいけない。

「イヤだなんて、とんでもないことです! 嬉しいです! とても嬉しいです。この涙は嬉しくて泣いているのです!」

「三葉……」

 克彦はイエスだと想って三葉の身体を抱きしめてキスしようとしてくる。けれど、それには心苦しくも抵抗する。抱かれたいのに抵抗するのは、相手にも悪くて、とても苦しくて涙が零れる。

「待って、待ってください。どうか、答えは明日まで待ってください。お願いします、今は……今は、ここまでに…」

 キスは拒絶して顔を伏せ、克彦の胸へ頬をつけた。そして言い募る。

「本当に嬉しいです。けれど、どうか明日まで待ってください。勝手なことを言って、すみません。お願いします、どうか、待ってください」

 答えを待たせることが申し訳なくて泣けてくる。しかも、克彦と三葉には時間が残されていない、あと四ヶ月しかない。そう想うと涙が止まらなくなって、ぽろぽろと三葉の涙が零れ、夕日を反射してキラキラと光った。

「三葉……」

 克彦は待ってと言われて、一つだけ心当たりはあった。早耶香のことだと思った。自分が早耶香に好かれているという自覚は自惚れでなくあった。むしろ、早耶香は周囲から見てもわかるほど、はっきりとアピールしてくる。だから、三葉が躊躇うことがあるなら、それは早耶香のことだと、女性の人間関係は詳しくはわからないものの、そう解釈した。

「…………」

「…………」

 もう夕日が沈んでしまった。

「待つよ。三葉、一日でも一ヶ月でも一年でも待つ。オレは、ずっと三葉が好きだから」

「っ…ぅっ…くっ…」

 声をあげて泣きそうになって、それは17歳の少女として、この場面でするのは変だとわかっていても嗚咽が湧いてくる。泣き声を手で押さえて耐えている三葉の肩を克彦は優しく抱いていてくれた。ずっと、そうしていたいと克彦は思ったけれど、現実は少し冷酷で、もう時間がない。夕日をバックにしての告白は予定したものだったし、日没時間もネットで検索して知っていた。そして、糸守町まで帰る終電も、もう無くなることを知っている。山奥の町に帰るには、たった今、日没したばかりなのに次の電車を逃すと、無くなってしまう。

「三葉、そろそろ帰らないと電車が無くなるから」

「はい…」

 ハンカチで涙を拭くと、克彦が手を引いてくれる。泣き顔のままで電車に乗るのは恥ずかしかったけれど、ダイヤが極めて限られていることは行きに見たので知っている。せめて電車内に化粧室でもあれば顔を整えたかったけれど、たった2両しかない車両には化粧室もなかった。夕方の混み合う車両内で、泣いている白いワンピースの女子と、その連れに見える男子という組み合わせは、とても注目を集めてしまう。他の高校生たちからクスクスと笑われている気もする。

「三葉……そんなに泣かなくても…」

「ごめんなさい…っ…ごめんなさい…」

「いや、謝らなくてもいいから」

「…ぅぅっ…」

「泣きたいなら、泣いていいよ。……けど、どうして、そんなに泣くんだよ? ……心配になるじゃないか……」

「…すみません……ぅぅっ…」

 それは言えない。あと四ヶ月で克彦も三葉も彗星落下で死んでしまう。言ってあげたい。言って死を回避させてあげたい。なのに言えない。それがつらくて心が掻き乱れる。涙と嗚咽が止められない。両手で口を押さえて泣き声を忍ぶのに、その両手が涙で濡れる。死なないでほしい。克彦にも三葉にも生きていてほしい。こんなに若くて、過去よりも未来に積むべきものがあるはずの歳なのに、死んでしまうなんて悲しすぎる。

「ぅぅっ…ぅーっ…」

「……三葉…」

 ふと号泣する三葉の顔を見ていて、克彦は既視感を覚えた。こんなに泣く三葉の顔を見たのは、初めてではない。母の二葉を送る葬式でも見た。母親を喪って当然に大泣きしていた。それを思い出すと克彦は今日の三葉が履いているヒールのある白サンダルを二葉が履いていたことも思い出した。

「三葉………お母さんのこと思い出したんか?」

「…ぅぅっ…ぅっ…」

 否定も肯定もしなかったけれど、克彦は勝手に解釈した。

「そうか……亡くなるには、早過ぎるよな。……泣きたいなら、思い切り泣けばええ。人目なんか気にせんと、しっかり泣け。それが亡くなった人へのたむけにもなるって、オレの婆さんも言ってたから。ぞんぶんに泣いたらええ」

「っ…」

 そう言われて堰が切れた。

「うっ…うああぁあっ……死なないで! 死なないでください! お願いだから、生きて! 生きていてください! うああああっ! わああぁあああぁぅぅ…」

 もう声をあげて泣いてしまう。あまりに切羽詰まった号泣で重い事情があるのだろうと周囲の乗客も察し、さきほどまでクスクスと笑っていた高校生たちも静かになった。克彦は泣き続ける三葉の頭を抱き、抱かれながら三葉の手も克彦のカッターシャツをキュッと掴んでいた。そうして糸守町へ近づいていくと、どんどん乗客が減っていく。一駅ごとに乗客が減り、二人とも席に座ることができた。座ってからも、克彦の胸に顔を伏せていたけれど、さすがに一時間もすると泣き顔も落ち着いて、抱かれていることが恥ずかしくなって礼を言って離れた。

「………」

「………」

 明日まで待って、と言われた克彦は待つつもりだったので話題に困り、キルヒアイスも黙っているうちに少し冷静になれた。いくら女性を演じているからといって、自分を見失いすぎでないかとも思う。けれど、単に演じているだけでなく、身体も女性そのものなので男性である克彦と異性として感じる部分があることは確かだったし、何より生きていてほしい。

「………」

「………」

 外が暗いので、車窓に二人の姿が、はっきりと反射して映っている。克彦の隣りでワンピースを着て女らしく座っているのが自分だと意識すると、再び夢の中にいるような錯覚さえ感じた。

「次は終点、糸守ぃ~♪ 糸守ぃ♪」

「おりよう」

「はい」

 電車に乗る前は手をつないでいたけれど、糸守では少し離れておりた。克彦が夜空を見上げる。

「夕日は見えないけど、この町の星は格別だな、やっぱり」

「はい。……」

 戦艦の艦橋から見る星は空気の揺らぎによる瞬きが無く鮮明すぎて、むしろ糸守から見る星こそ一番美しい気がしてくる。なのに、この町はあと四ヶ月で壊滅的な被害を受ける。そう思い出すと、また涙が流れた。

「……三葉……やっぱりイヤだったなら、無かったことにしてくれ…」

「いえ! 違います! そういう涙ではないのです。ただの思い出し泣きです。明日、必ずお返事いたしますから、どうか待ってください」

「そうか……それなら……明日まで待ってるよ」

 あとは無言になってしまい、暗い夜道なので克彦は家の前まで送ってくれた。

「じゃ、また明日な」

「はい。今日は、とても楽しかったです。ありがとうございます」

「……。最期まで、お嬢様モードなんだな。ちょっとくらい、くだけてくれよ」

「すみません。それも明日、必ず」

「そうか、じゃ、明日、期待してるぜ」

 克彦は背中を向けながら手を振って歩み去った。その背中を見送ってから家に入る。四葉が迎えてくれた。

「お帰り、お姉様」

「ただいま戻りました。遅くなり、すみません」

「デート、どうだった?」

「とても楽しかったです。夕日が素敵で」

 三葉の顔が少女らしく微笑むと、四葉は少し冷めた顔になる。

「そう……自分が男って覚えてる?」

「………はい……ときどき忘れてしまいますけれど……」

「まさかキスとかしてないよね?」

「も、もちろん!」

「そんな慌てなくても……」

 話題を変えるためにキルヒアイスはお土産を差し出した。

「こちら、お土産になります。……そ…その…明日、三葉さんも食べる分があるそうですから残してあげてください」

 自分の分を確保するような口上を恥ずかしそうに言い、遅い夕食をいただくと入浴はせずに部屋着に着替えた。

「……今日の出来事、どう手紙に……」

 どんな手紙を書いて三葉へ克彦から告白されたこと、そしてすばらしい男性なので、ぜひ交際した方が良いことを伝えようかと思い悩んでいると、スマフォが鳴った。着信表示はサヤチンになっている。

「もしもし? 三葉です」

「メッセージ、読んでくれてないの?」

「すみません。いろいろありまして」

「そっか。富山土産のマス寿司、食べてくれた?」

「あ、はい。さきほど夕食に、いただきました。ありがとうございます、とても美味しかったです。お魚をあんな風に調理しているなんて、とても斬新で面白い料理だと思いました」

「……。まあ、喜んでもらえてよかったけど。話は、それだけよ」

 早耶香が電話を終えようとするので、こちらから話しかける。

「サヤチンにも聞いてほしい話がありますの」

「嬉しそうな声して、ええことでも、あったん?」

「はい! 今日、テッシーが私のことを好きだと言ってくださったのです。お付き合いしたいと! 私は、とても良いことだと思うのですが、サヤチンも祝福してくださいますよね?」

「……。それは何かの冗談?」

「いいえ、冗談などではありません。テッシーは本心から私のことを好きだと、まじめに告白してくださったのです。私、とても感動いたしましたし、あしからず想っておりました彼のことですから、まだ明日まで結論は保留しておりますが、前向きに考えたいと想っております」

「………それを私に話して、どうしたいわけ?」

 急にスマフォから響いてくる早耶香の声が低く冷たくなったけれど、話を続けた。

「お友達として祝福してください。テッシーと私が交際することを、いっしょに喜んでいただきたいのです」

「………。あのさ!」

 早耶香が怒鳴ってきた。

「いくら何でもひどすぎない?!」

「え………何がですか?」

「っ……そうやってスットボケるんや?! 私の気持ち、知ってるくせに!」

「サヤチンのお気持ち? すみません、よく知りません。教えていただけますか?」

「………ああそう!! じゃあ勝手にすればいいよ!! 付き合えばッ!!! こんな大事な話、そのふざけたお嬢様モードでされるなんて思わなかった!! わかってほしいなら、わかってほしいで、もっと言い方ってあるやん?! それなら私だって諦めたのに!!」

「あ……あの……お気に障ったのなら、謝罪いたします。どうか、落ち着いてください」

「バカにしないで!!」

 そう怒鳴った早耶香は電話を切ってしまい、こちらから何度かけても応答してくれなかった。

「いったい、どうして、サヤチンはお怒りになってしまったのでしょう……」

 まだ女心が十分に理解できない。けれど、ゆっくり何度も考えてみるうちに、だんだん早耶香の気持ちが見えてきた。

「もしかして、彼女もテッシーのことを好きで……」

 そう考えると思い当たる節は多い。そして、そうとしか思えなくなってきた。

「私は、なんてことを……彼女の気持ちも考えずに……」

 時計を見ると、もう夜の10時過ぎで早耶香へ会いに行くことも非常識だし、自分が謝りに行くと余計に混乱させる気もする。そして、やっぱり時間が残されていない三葉と克彦に幸せな時を少しでも過ごして欲しいという気持ちもあった。自分に置き換えても17歳の頃にアンネローゼと幸せな時間を数ヶ月おくれるなら、その後に過酷な運命が待っているとしても、その数ヶ月の価値は何物にも代え難いと想える。

「とにかく、お手紙に……」

 克彦から真剣な告白を受けて、とても好ましい男性だと感じたこと、そして早耶香とのやり取りを手紙にしていくうちに12時を迎える。ちょうど、入れ替わる瞬間を見守るために四葉が部屋へ入ってきたけれど、別れの挨拶をする前に日付が変わった。

 

 

 

 三葉はクロイツナハⅢの警察署内でホフマン警視から感謝状を受け取っていた。

「感謝状! ジークフリード・キルヒアイス殿。貴殿はクロイツナハⅢにおける麻薬捜査に協力され、多大な功績のあったことをここに証し、これに感謝いたします。帝国暦486年11月…」

 感謝状が手渡され、三葉も銀河帝国の礼儀作法で受け取る。

「この身に余る栄誉、恐縮の至りです」

 授与式が終わり、少しばかりホフマンと談笑したけれど、あまり話すと昨日の記憶がないことでボロが出そうなので、早々に切り上げ、ラインハルトが待っている喫茶店に入った。

「お待たせしました」

「ああ」

 ラインハルトは平服で優雅にコーヒーを飲んでいた。二人とも第四次ティアマト会戦が終わったことで、休暇で娯楽施設であるクロイツナハⅢに来ている。

「こんなのをもらいました」

 三葉が感謝状をラインハルトに見せる。ラインハルトは微笑してアイスブルーの瞳を細めた。

「キルヒアイスらしいな。どこにいても苦労性のようだ」

 それから、わざと芝居めいて貴族っぽい仕草で右手を胸にあてつつ名乗る。

「フロイラインミツハと初めて会ったときも少し話したけれど、オレの名も変わった」

「そういえば、どこかの家名を受け継ぐって…」

「ええ。ラインハルト・フォン・ローエングラムと申します」

 大袈裟に会釈してランズベルク伯アルフレッドが淑女に対してするような挨拶をしてみせる。

「以後お見知りおきを、フロイラインミツハ」

 冗談としてキルヒアイスの手をとり、その甲へキスをするような仕草も見せたけれど、さすがに唇は触れない。三葉も冗談とわかっていて応える。

「はい、こちらこそ、よろしくお願いします。ローエングラム様」

「クスっ♪」

「フフ♪」

 二人とも失笑したけれど、メニューを持ってきたウエイトレスが会話を聴いてしまい、真顔で同性へフロイラインと言っているラインハルトの顔を凝視してしまい、目が合って即座に顔をそむけられた。ラインハルトも三葉も休暇中の油断で、つい変な疑いをもたれる言動をしてしまったことを自嘲して笑い、席を立った。

「さて、せっかくの休暇だ。とりあえず観光でもしようか」

「そうですね」

 喫茶店を出て、二人でクロイツナハⅢの内部を歩き回った。やはり大人向けの娯楽施設なのでカジノやキャバクラなど、金、女、酒という組み合わせが目立つ。あまりラインハルトにとっては興味の湧かない場所だったので、ついつい話題が会戦のことになった。

「フロイラインミツハは、あのとき何か言いたそうにしていたな」

「あのときって?」

「ミュッケンベルガーから私の艦隊が単独で突出する形に布陣され、右に転進して敵の眼前を横断する、という策をとったときだ」

「ああ、あの。こんな邪道は二度と使わぬ、って言ってらしたときですか」

 三葉は第四次ティアマト会戦を思い出して答える。

「余計なことだから言わない方がいいかな、って思ったから黙っていたんですよ」

「どんなことを考えていたのか、知りたい」

「じゃあ言いますけど、あれって完全にミュッケンベルガー元帥さんからの仕返しですよ」

「仕返し?」

「ほら、第三次ティアマト会戦のとき、ホーランドさんの艦隊に猛攻されてミュッケンベルガー艦隊が大ダメージを受けてたじゃないですか。そのとき、いくら戦利にかなっていたとしても、ぜんぜん助ける様子も見せなかったら、そりゃ怒りますし、次で仕返しされますよ」

「ふむ……ミュッケンベルガーから好かれていないのはわかっているが、なるほど仕返しかァ」

「ミュッケンベルガー元帥さんにしたら、ティアマトの借りはティアマトで返す、みたいな気分だったと思いますよ。だいたい帝国軍も同盟軍も、お互いに友軍と協力しなさすぎです」

「フ、それが見抜けるようになったか。あの会戦でのフロイラインミツハの働きには感謝している」

「私は、ただ相性が悪そうだったノルデン少将さんを近づけないようにしただけですよ。第三次のときと違って、忙しそうでしたから」

 会戦の日に入れ替わっていた三葉は相性の悪い二人が揉めないように間に立って両方と会話し、直接二人が話すことのないよう立ち回っていた。それは糸守町でも相性の悪い氏子のおじさんたちが氏子総会や社務所月例会でケンカをしないように立ち回るとき身につけた技術で、お茶を淹れたり、コーヒーの糖分を多めにしたりと、細々とした配慮で衝突をさける戦術でもあった。それに、第三次ティアマト会戦でのラインハルトの勝利によりノルデンも批評より世辞が多くなったので、その世辞さえ耳に入れたくないラインハルトに代わって話を聴くことが三葉の役目になっていた。

「ああ、それが、とても助かった。あいつが何か言うとオレの思考が乱される」

「配属されてきた副参謀長のメックリンガー准将さんとは相性がいいみたいですね」

「女性は人間関係を見抜く目が鋭いな」

「……」

 思いっきり顔に好き嫌い出てますよ、と三葉は言いそうになったので黙ってキャバクラの看板を見上げた。

「ここに入ってみませんか?」

「ここにか……いや、こういう店は、ちょっと…」

「こういう店ばっかりの地区じゃないですか。避けてたら面白いものないですよ」

「だ…だが、フロイラインミツハが不快な思いをするかも…」

「イヤだったら、すぐ出ればいいじゃないですか」

 二人の美青年が店前で話し合っていると、すぐに客引きが声をかけてくる。

「いらっしゃいませ。本日サービスディにて30分2000帝国マルクで1ドリンクつき、しかも5時までは一対一以上の接待をお約束しております。さ! さ! どうぞ!」

「入ってみましょうよ」

「……では……少しだけ…」

 好奇心を刺激されている三葉と、乗り気でないラインハルトを客引きはプロらしく柔軟さと強引さを兼ね備えた攻勢で店内に引き込んだ。

「二名様、入りまーす!」

「いらっしゃいませ」

「キャー、お兄さん、ステキ!」

 まだ昼過ぎだったので他の客は少なく、余り気味だったキャバ嬢たちが二人の美青年を見て集中砲火を浴びせてくる。

「どうぞ、こっちに座って。お兄さん、お名前は?」

「ジークフリード・キルヒアイスだよ」

「キルヒアイスさんですね。かっこいい名前! まるで戦場を駆け抜ける疾風みたい! 軍人さんでしょ?」

「え、わかるの?」

「姿勢でわかるよ。何を飲みますか?」

「じゃあ、黒ビールを」

「黒ビールですね。私も何か飲んでいい?」

「いいよ。どうぞ」

「じゃあ、キルヒアイスさんと同じにしよ」

「君の名は?」

「私はエリザベート。エリザでも、エリーサでも好きなように呼んで」

 よくある源氏名で本名ではなかった。

「じゃあ、フロイラインエリーサって呼ぶね」

「きゃはっ♪ フロイラインとか言われると恥ずかしい!」

「一回言ってみたかったんだ。フロイラインって」

「うんうん、上流階級って感じがするよね。あ、ビール来たよ。乾杯しよ、乾杯!」

「プロージット♪」

 三葉は、どことなくユキちゃん先生に似ているキャバ嬢と盛り上がっているけれど、ラインハルトは不味そうに安ワインを黙って飲んでいる。ラインハルトに付いたキャバ嬢が話しかけても必要最低限に、ああ、と答える程度で盛り上がっていない。それでも律儀に30分間は待ち、立ち上がった。

「キルヒアイス、そろそろ出よう」

「はーい」

 まだ居たかったけれど、明らかにラインハルトが不機嫌なので三葉も立ち上がった。キャバ嬢たちもラインハルトの顔色は見ていたので、ここでしつこくすると次の瞬間に怒鳴り出すという気配を見抜き、次回のご来店を期待して引き下がった。どのみち宇宙に浮かぶ閉鎖されたクロイツナハⅢに居るのなら、また夜にでもキルヒアイスだけが来店してくれるかもしれないという見込みもあるし、そういうパターンの客も多い。三葉はユキちゃん先生に似ているキャバ嬢の頭を撫でた。

「ごめんね、フロイラインエリーサ」

「また来てください。キルヒアイス」

 店を出ると、ラインハルトは四葉のようなタメ息をついた。

「はぁぁ……うるさいところだった」

「ああいうの嫌いですか?」

「好かないな。むしろ、フロイラインミツハが楽しそうだったのが意外だ。あんな下品…いや、ああいう雰囲気は平気なのか?」

「雰囲気っていうか、女の子たちが可愛いじゃないですか」

「………。あれも、可愛いうちに入るのか……」

「今度は、あっちの店に入ってみませんか?」

 三葉が別のキャバクラを指したのでラインハルトは止める。

「い、いや。もう、たくさんというか、もっと別のジャンルの店にしよう。ああ、そうだ! カジノがある! カジノに行こう!」

 二人で別のフロアに移動してカジノに入ると、やはりバニーガールもいたし、スロットゲームもポーカーもあったけれど、賭け事に関しては二人とも経験がない。少し試してみて、すぐに負け、もともと吝嗇気味であるラインハルトは金銭の無駄遣いだと感じたし、田舎育ちの三葉も興味が持てずカジノに使うくらいなら、もう一度エリーサと乾杯したいと思った。

「出ようか、キルヒアイス」

「そうですね」

 ここは意見が一致してカジノを出た。

「次、どこで遊びます?」

「ふむ……」

 ラインハルトが悩む。たしかにクロイツナハⅢには休暇で遊びに来ているけれど、10歳で幼年学校に入ったきり、ずっと遊びとは無縁の生活だった。もともと壮大な目標があって座学にも訓練にも励んできたので大人の遊び方など知らない。遊んだ記憶といえば、噴水に入ったり鬼ごっこや戦争ごっこ、という子供の遊び方しか覚えていない。水遊びは好きだったけれど、水商売の店は好きになれそうにない。大人向け娯楽施設で水商売を避けると、やれることは少ない。ラインハルトは案内板を見て考えるけれど、フライングボールの競技場は現在閉鎖中と表示されているし、射的などでは三葉が怒りそうだし、おそらく遊技場の射的では、本格的な射撃訓練をしているラインハルトたちにとっては退屈と予想される。

「あ」

 声をあげてラインハルトが決めた。

「ここにしよう!」

「……ここですか…」

 小学生じゃないんだから、と三葉はプールを指されて思ったけれど、さっきはキャバクラに付き合ってもらったので同意した。二人で男子更衣室でレンタルの水着に着替え、プールサイドに出ると、やっぱり大人向けの娯楽施設なのだと感じる雰囲気だった。子供がキャッキャッと水遊びするプールではなく、大人の男女がゆったりと休暇を過ごすプールだった。

「キルヒアイス、競争しよう」

「……。場の空気を読んでください。ここで競泳とかしたら冷たい目で見られますよ」

「そう言われると、みな泳いでいないな。いったい何をしているんだ?」

「基本、カップルで来るか、ナンパでしょ。それか、日光浴、あとはお酒」

「プールの意味がないじゃないか……」

「いえ、プールがあるから水着になれるという口実があるわけですよ。ほら、ああいう水着の人もいるし」

 三葉は相手に気づかれないようにプールサイドのカウチで寝転がっているドミニク・サン・ピエールを指した。ドミニクは赤い水着を着ていたけれど、かなりの露出をしていて身体の大部分が見えている。

「あの女は、あんな姿で恥ずかしくないのか?」

「シッ、声が高いですよっ。遮音力場があるわけじゃないんですよ」

 三葉が心配したとおり、ラインハルトの声はドミニクに聞こえてしまい、寝転がっていたのに起き上がってフルーツカクテルを一口飲むと、こっちに歩いてくる。目のやり場に困るような水着姿でラインハルトは目をそらしたし、三葉はフォローするために前へ出る。

「す、すみません。田舎育ちなもので。あんまりキレイな人だから、びっくりして」

「そう。坊やたちも可愛いわね。どこから来たの?」

「オ…オーディンです」

「ずいぶん都会から来たのね。私の方が田舎者よ」

「お姉さんは、どこから来られたんですか?」

「フェザーン」

「ああ、あの」

 はじめて帝国臣民以外の人間に会い、ちょっと嬉しい。

「フェザーンって、どんな感じですか?」

「抽象的な質問ね。でも一杯おごってくれるなら、話してあげてもいいわよ」

「ぜひ」

 三葉とドミニクが会話を始めると、ラインハルトはすることがなくなり、とりあえずプールを一周泳いでから、また戻ってきた。まだ楽しそうに会話してるので、また一周してから戻ってくると、アドリアーナ・ルビンスカヤに声をかけられた。

「私の連れに、お友達を盗られたみたいね」

 ルビンスカヤは黒い肌を銀色のビキニ水着で包み、スキンヘッドの黒い頭皮も銀髪のウィッグをかぶっていた。ドミニクと同じくスタイルは良いものの、ドミニクよりは露出が控え目で、けれど瞳は野心でもありそうな光りを放っていたのでラインハルトも少しは興味をもった。

「ご婦人もフェザーンから、おこしですか?」

 ラインハルトは女性に対する礼儀として丁寧に問うた。

「ええ。坊や、と呼ぶには失礼な年齢かしら?」

「ラインハルト・フォン・ローエングラムです」

「ローエングラム……あの二度のティヤマト会戦で活躍された? たしか、以前はミューゼル…」

「フェザーンのご婦人方にまで覚えていただいているとは思いませんでした。失礼ですが、あなたは?」

「ルパーナ・ケッセルリンクと申しますわ」

 堂々と偽名を名乗った。お忍びで来ているので当然、自治領主ということは隠しているし、スキンヘッドで多くの人々に記憶されているだけに、銀髪のウィッグをかぶっていると、誰も気づかずにいてくれる。

「あの二度の会戦、本当に見事なご活躍でしたわね」

「いえ、それほどでも」

「そして、ウワサに違わぬ、この金髪もお美しいこと」

「そんなことまでウワサの種になっていますか」

「私は外側より、その内部にある実力に興味を覚えるけれど」

 ルビンスカヤが見通すように見つめてくる。せっかくの偶然の機会に最大限情報をえようとしてくる視線だったけれど、ラインハルトの方もフェザーン人という存在に興味を覚えるし、政治や軍事の話は退屈しない。二人も話し込み、三葉とドミニクの方も盛り上がっているので、ルビンスカヤが滞在しているホテルに呼ばれ、最高級ワインを飲みながら、また話し込んだ。ラインハルトとルビンスカヤは政軍について話していたけれど、ドミニクと三葉は完全に逆ナンになっている。

「坊や、女の人と、お付き合いしたことあるかしら?」

「いえ。……」

 キルヒアイスの瞳は赤いドレスに着替えたドミニクの胸を見ている。さきほどまでの水着より面積が広いので露出は控え目だけれど、胸元や腋は露出されて大きく開いているのでブラジャーを着けていないことは明らかで、下半身もスカートというよりチャイナドレスのように前後の布に分かれて左右は大きく露出している。腰よりも高い位置から左右の肌を露出しているのでショーツも着けていないのがわかる。きわどいところが見えそうで見えない色気があって身体が熱くなってくる。

「……」

 キルヒアイスの目がドミニクの肢体に見惚れている。

「フフ♪ 可愛い坊や」

 ドミニクは露骨な視線を浴びて楽しそうに微笑んだ。まるで少年が覚えたばかりの性欲に翻弄されているような視線で、大人の男性が隠すことを学習する前の、野蛮で野性的で物欲しそうな目で年下の美男子から見られると、ドミニクも身体が熱くなってくる。今夜どうやってキルヒアイスの身体で楽しもうか、せっかくの休暇を最大限に楽しもうと、挑発的なポーズをとってみると、やっぱり見つめられる。

「……」

「フフン♪」

 ドミニクが脚を組むと、スカートの奥を見られるし、腕を上げて髪をまとめるフリをすると胸と腋を見られる。そろそろ女優、歌手、ダンサーとしては第一線で活躍するには苦しい年齢になってきているだけに若い美男子からの視線は、とても嬉しくて、もう会話はどうでもよくなり、魅せるドミニクが見ている三葉の前で色々なポーズをとっている。だんだんダンサーとしての血も騒いできて、ほぼ踊りのように動いていた。

「………ゴクッ…」

 三葉が無意識に生唾を飲み、ドミニクは踊る。四つん這いになって、お尻を突き上げ、腰をひねって頭を低くし、露骨なまでに股間を強調する。布の面積が小さいドレスの裾がドミニクのお尻に食い込み、踊るたびにヒラヒラと怪しく危うく揺れた。ルビンスカヤの方も、ドミニクの方向性に賛同してラインハルトを口説こうと思ったけれど、こちらは容易に落ちない。軍略の話には乗ってくるけれど、ルビンスカヤの身体には一切の興味がないようで、銀色のドレスから見える内腿や胸元、腋、背中、お尻から目をそらせて話している。あまり見せつけると退室しそうな雰囲気さえ感じる。

「まるでイゼルローンの防壁ね」

「は?」

 ラインハルトが問い、ルビンスカヤは問いを返す。

「もし閣下が同盟側で、あそこを落とすなら、どう落とすかしら?」

「さて、それは思いついても話せないな」

 アイスブルーの瞳が野心的に光ると、ルビンスカヤは金髪の頭を抱きしめたくなった。けれど、正攻法で落ちないのはイゼルローン並みのようなので策略をろうすることにした。

「これは479年ものの白よ」

 そう言ってラインハルトのグラスにサイオキシン入りのワインを注いだ。この手の酒席に慣れているルビンスカヤとドミニクに比べて、まったく初陣に近いラインハルトと三葉は指先で微量ずつ入れられているサイオキシンに気づきもせず酩酊していく。それでもラインハルトは引き際を感じていた。

「酔い過ぎてしまったようだ。そろそろ失礼しよう」

「もう一つだけ昔話を聴いてほしいわ」

 もう、だいたいの話題は尽きてきたのでルビンスカヤは野心と恋について語る。

「もしも閣下が、野心と恋、いずれかを選ぶとしたら、どちらにする?」

「………。………野心だ」

「なぜ?」

「恋は誰にでもできるだろう。だが、野心は……その才幹のある…」

 アルコールとサイオキシンの作用で、もうラインハルトのろれつは怪しい。

「…者にのみ…達成可能…な…」

「そうね。昔、閣下と同じことを考えた男がいた」

「……」

「その日の暮らしにも困るような、ごく貧しい家の娘。けれど、とても可愛い。夕食を持っていてあげると、とても喜んで食べるような可愛い娘」

「……貧しい…か…」

 もうラインハルトは半分話を聞いていない。貧しかった家族3人での暮らしが脳裏を回っている。

「そんな貧しいけれど、それでも愛していた娘と結婚するか、銀河の富の数%を占める富豪の娘との縁談を選ぶか。とても悩んだし、悩みすぎてハゲてしまったけれど、結局は野心をとった」

「……」

 ラインハルトの家庭も似て非なる決断を迫られた。貧しい家庭に数%どころか、人類社会の6割を牛耳る体制の頂点からの誘いだった。もしもあのとき、アンネローゼに年上の恋人でもいて、いっしょに同盟へ逃げていたら、どんな未来が待っていたのか、そんな想像をするけれど、酔いと薬物の効果で思考はまとまらない。ルビンスカヤは目を細めて語る。

「おかげで、その男は恋以外のすべてを手に入れ、人生を大いに楽しむ、芳醇な酒、舌を溶かす料理、心の琴線を震わせる名曲、たおやかな美女、いずれも手に入れた。そして政略と軍略のゲームを楽しむ地位さえ」

 もうラインハルトの意識は朦朧としているので、ルビンスカヤは銀髪のウィッグをとって禿頭になった。

「けれど、ダース単位で愛人をつくっても、子供をつくったのは、その娘とだけ。そういうバカな男の昔話」

「もう聞いてないわよ。どっちの坊やも」

 まだ三葉は目を開けているけれど、もうドミニクの身体しか見ていない。ドミニクは三葉が意識を失わないようアルコールとサイオキシンの量を調節していた。完全に意識を無くしたラインハルトの身体をルビンスカヤは女性とは思えない膂力で横抱きにして持ち上げるとベッドへ運んでいく。

「私の最初の相手にふさわしいわ」

「まったく、あきれるわ。たしかに、あなたは男としての楽しみを、ほぼすべて手に入れた。だからといって、女の楽しみまで手を出す必要があったのかしら?」

 ドミニクは先月までアドリアン・ルビンスキーという男性だった元愛人に問うたけれど、彼らしく、そして彼女らしく微笑まれる。

「そうあしざまに言うものではないわ。人の運命なぞ、ちょっとした気まぐれで大いに良い方にも悪い方にも変わってしまう。むしろ、個人の才幹など、それを生かす場も与えられず死んでいった者の方が多い。さきの会戦でも何もできずに無駄死にした天才が100人はいたろうさ。才幹はあったが、運が無かったという者がな」

「運命と気まぐれねぇ……。前に話してくれたわね、まだ人類が地球だけにいた頃に出現したルドルフのような独裁者の話。ヒムラーだったかしら?」

「ヒトラーだ」

「そう、それ。その彼は美大志望で、それに落ちてから独裁者の道へ進んだ。もしも、美大に合格していたら、世界の運命は大きく変わっていたかもしれないって。あなたの息子が医大に合格したことも、ちょっとした歴史的事件なのかもしれないわね。しかも、病気を治す研究じゃなく性転換なんて技術に進んだ。そして、あきれることに第一号を志願したのが父親なんてね」

「ルパートが言ったのだ。私の男であるところが憎い、と」

「だから、切り落とさせてあげたのね。麻酔なしで輸血だけして苦しむ姿を見て、ずいぶんバカ笑いしたそうね。でも、やっぱり親子、裏切って殺したりはしなかった。ちゃんと女にしてくれたわね」

「オレにとって、いや、私にとって、女になったのは幸いな気まぐれだったわ。でなければ手術後に精密検査など受けなかった。あの精密検査で脳腫瘍が見つかり、運良く助かった。医者嫌いの私のこと、男のままだったら数年後に脳腫瘍で死んでいたから」

「お金儲けにもつながったしね」

 中年男性だった自治領主が見違えるような美女になったことは、すでに一部の業界では有名で銀河中から同じような手術を望む問い合わせが、すでに一万を超え、超高額にもかかわらず予約は100件を超えている。これはこれでフェザーンの新たな経済的優位点になりつつあった。イエス・ルパート・クリニックは結果にコミットする、という謳い文句で自治領主の顔写真をビフォアーアフターで流している。どう見ても別人というほどの美女になっているけれど、自治領主という立場に変更がないのでコンピューター合成写真でもない真実だと思われているし、医科大学院を出たばかりの実力派名医も笑顔でCMに出ている。地球教の司教たちも、いい顔はしなかったけれど、性転換がダメという教義もなかったので不問にしていた。

「はぁぁ…」

 タメ息をついたドミニクは聞こえないように囁く。

「あなたのような人が、わざわざ貧しい家庭の女とそれでも子供をつくったほど恋していたと想うと、この坊やたちより可愛いわね。富豪の娘がブスだろうと美女だろうと、天秤にかけて、いまだに心残りでそれを他人に語って自分の選択の正しさを反芻せずにはいられないのだから」

 そう言いつつ、ドミニクは若き日のルビンスキー青年を想像した。仕事帰りに貧しい恋人へ夕食を届けて、いっしょに喜ぶ笑顔。そして富豪の娘からの縁談が来て思い悩む顔。自らの地位が確固たるものになってから、ダース単位の愛人をつくって満たされぬ想いを満たそうとした背中。そもそも愛人にしても、せいぜい同性の親友と同じくらいの数しか人間は深く付き合えないのでダース単位でつくってしまうと、強精帝オトフリート4世が1万人以上の美女を後宮に集め日夜励むも5年後に死亡したとき、いまだ5000人が処女だったように、10ダース20ダースと愛人がいると豪語しても一夜二夜しか相手をできずに放置している女も多くいたりする。なんのかんので面影がルパートに似ているドミニクが指名を受けやすいのは、結局は忘れられないからだと察した。

「初恋か……」

 ドミニクも自身の初恋を想い出した。まだ16歳だった頃、フライングボールが巧かった先輩にときめいたことがある。けれど、歌手志望だったので恋人はつくらずに出世を選んだ。もしも、あの男子と結ばれていたら平凡な家庭の主婦だったか、それとも戦死されて未亡人になっていたか、どちらにしてもありきたりの人生だった気がする。

「本当に人間の運命なんて、わからないものね」

「運命は自ら切り開くものだ」

 つぶやきが聞こえたルビンスカヤがラインハルトの服に手をかけながら言う。

「よし、決めた。オレは、いや、私はダース単位の美男子を集める。さらに私自身は歌とダンスを極めて銀河に名をはせる。銀河一に」

「ダース単位が好きね。あと、歌もダンスも極めて銀河一なんて無理よ。知識も経験もないから安易に考えてるみたいだけど、歌って踊れるなんてのは、どっちも中途半端になるの。そうね、軍事と経済、その両方で銀河一になるのが難しいように。だから、どちらか選んだ方がいいわ」

「ふむ……経験者に言われると、……そんなに難しいことか?」

「激しくダンスすると、息が切れて歌えないし、歌うのに集中すると姿勢が限られるから、ろくにダンスできないの」

「なるほど」

「あと、あなたも女性ホルモンの影響が出て来るから、筋力もだんだん落ちるわよ。思ってるほど踊れなくなる」

「そうか、奥深いな」

 ルビンスカヤが禿頭を撫でて考えていると、ドミニクの身体へ三葉が理性を失って抱きついてきた。

「ぁあぁ…」

 もうアルコールと薬物、そして性欲によって理性が駆逐されている。ドミニクは嬉しそうに高級ハンドバックから注射器を出した。

「フフ♪ 最高にハイで忘れられない夜にしてあげる」

 やはりサイオキシンも麻薬なので口から飲食物に混ぜて摂取させるより血管に直接流し込む方がはるかに効く。サイオキシン入りの注射器の針がキルヒアイスの肌へ刺し込まれつつあるのと、ルビンスカヤの舌先がラインハルトの肌へ接触しつつあるのは、ほぼ同時だったし、そして夜12時だった。

 

 

 

 キルヒアイスの瞳がアルコールとサイオキシンと色香に酔っていた色合いから、熱い告白をされた余韻に浸っている乙女の色合いになって、そして今しも注射器で怪しげな薬物を投与されかかっている帝国軍大佐の危機感に満ちた目になった。

「やめなさい!」

 明らかに看護婦でも医師でもない妖艶なドレスを着たドミニクを平手打ちして倒すと、状況を確認するために周囲を見回すのと同時にブラスターを抜いた。

「くっ…」

 目まいがする。アルコールだけでない神経異常を感じた。

「何するのよ?! っ………」

 顔を叩かれたドミニクが激怒しているけれど、ブラスターの発射口を向けられて黙った。さっきまでの色香に惑ってくれていた様子とはまったく違い、下手に動くと撃たれると感じている。

「この注射器は何だ?!」

「……さあ?」

 ピシュン!

 威嚇だったけれど、ドミニクは顔の横を撃たれて、次の返答は慎重にしないと殺されないまでも、女性であっても膝や腿を撃たれるかもしれないと感じた。そのくらいキルヒアイスの語気は強く、視線は鋭い。

「ラインハルト様は?!」

「………」

 ドミニクは視線をベッドに向けた。

「ラインハルト様!」

「急に威勢が良くなったな、坊主」

 坊主頭の美女がラインハルトを人質に取るようにしている。ラインハルトは意識がなく、ぐったりとしていたし、ルビンスカヤはスカートの中から小型ブラスターを抜いている。一物が無くなったスペースに護身用の一物を装備することにしているようだった。

「ラインハルト様に何をした?!」

「………うむ、貴様、夢遊病者か何かか。それともサイオキシンが、おかしな回り方をしたか…」

 ラインハルトを人質に取りながら、ルビンスカヤは銀髪のウィッグをかぶる。

「さて、どうする?」

「くっ…」

 ブラスターで狙いをつけているものの、目まいがする。グラグラと頭が揺れて今にも意識を失うかもしれない。キルヒアイスはドミニクを人質に取った。状況は不明だったけれど、二人の女は仲間のように見えたし、その判断は悪くなかった。

「なるほど、では人質交換。そして解散といこうか」

「………わかった。ラインハルト様を無事に返すなら、それでいい」

「ドミニクと出口まで向かえ」

「ラインハルト様は?」

「部屋の奥に置く」

 そう言ってルビンスカヤはラインハルトを室内に残し、自分たちの重要な荷物だけを手にすると、ブラスターの発射口を天井に向けた状態でキルヒアイスと距離をとりつつ室内を時計回りに移動し、キルヒアイスにも同じように動くよう顎で指示した。

「………」

「………」

 お互いに一触即発を避けつつ、室内を迂回して距離をあけ、ルビンスカヤはドミニクのいる出口へ、キルヒアイスは部屋の奥へと動き、ラインハルトのもとへ辿り着いた。

「ラインハルト様、ラインハルト様!」

 呼びかけても意識はないけれど、呼吸はしてくれているし、顔色も悪くないので少し安心した。そしてルビンスカヤたちに問う。

「お前達は何者だ?! さっきの注射はサイオキシンなのか?!」

 けれど、すでに二人の姿は出口から消えていて、もう誰もいない。追いかけたいけれど、目まいがして歩くのも苦労する。なんとか、電話機まで辿り着くと警察署に連絡してホフマンを呼び出してもらった。

「ラインハルト様、ラインハルト様」

 ホフマンが来てくれるまで呼びかけていると少しは反応してくれた。

「ぅぅ…姉上…」

「ラインハルト様……よかった……ご無事で…」

 けれど、今度は自分の意識が朦朧としてくる。結局、意識を失ってしまい、駆けつけてくれたホフマンに事情を説明することができたのは、かなり時間が経ってからとなり、その頃にはルビンスカヤたちはクロイツナハⅢから消えていた。ラインハルトとキルヒアイスが不本意にサイオキシンを摂取させられたことは不名誉なことだったけれど、一昨日の警察への協力とホフマンの機転もあり、記録には残らないまま解毒剤をもらえたものの、もうクロイツナハⅢには滞在したくなかったので、すぐにオーディンへ帰還した。

 

 

 

 三葉は見惚れていたドミニクの顔が、急に四葉の顔へと入れ替わったので、驚く。

「うわっ?!」

「人の顔を見て、うわっ、とか言わないの」

「あーあっ……びっくりしたぁ……そっか、戻ったんだ、女の私に…」

 さきほどまで魅力的な異性の顔を見ている男の身体にいたのに、見ていた顔が急に同性の肉親に変わってしまった感覚は違和感がありすぎて困惑する。まるで牛乳だと思って飲んだのにコーラだったような吐き出しそうな違和感だった。そして、アルコールとサイオキシンの効果からは解放されていた。

「酔いも一発で醒めちゃったよ。飲み過ぎだったかなぁ……二日酔いっていう状態にキルヒアイスがならないといいけど」

「お姉ちゃん、むこうで何してたの?」

「今日はね、はじめて遊びらしいことできたよ。娯楽施設に行っててね。女の子とお酒を飲んだりプールで逆ナンされたりしたよ」

「……う~ん……なんか、それ、お姉様のイメージと違うなぁ……お互い、いろいろすれ違ってないかなぁ……」

「お風呂、まだお湯ある?」

「あるよ」

「じゃあ、入ろ」

 三葉は入浴するため脱衣所へ行って悲鳴に近い絶叫をあげた。

「なんで、このワンピが出てるの?!」

「お婆ちゃんは寝てるから静かにね」

 四葉も二度目の入浴が習慣になってきたのでパジャマを脱いで裸になる。小学生らしい幼さと女らしさを兼ね備えた裸体になり、姉を落ち着かせるために腰を叩く。

「どうして、このワンピが出てるのよ?!」

「はいはい、大きな声を出さない」

「まさか、この乙女ワンピで出かけたの?!」

 それでも三葉は小声で絶叫した。

「デートとか言ってから、まあ普通のチョイスだと思うけど」

「デートじゃないよ、ただのお出かけだよ。うう……このワンピで外を歩くなんて…」

「それ、お姉ちゃんが中学の頃に買ったやつじゃん。自分で買ったのにダメだし?」

「あれは気の迷いだったの! 思春期の黒歴史だよ! こんな女の子っぽいの着てみたいな、って思わず買ったけど着てみたら、いかにも過ぎて恥ずかしくて部屋から出られなかったし、四葉にしか見せてないの」

「お姉様とお姉ちゃんの羞恥心は、いろいろと水準が違うんだね」

「あいつ、ホントに男なのかな?! よくこんな女の子女の子したワンピでテッシーと出かけられるよ」

 そう言って湯船に入っていると、だんだん克彦と、どんな日曜日を過ごしたのか心配になってくる。さっと洗髪して、すぐに揚がると手紙を読んだ。

 

宮水三葉さんへ

前略、本日は大切な報告があります。ご予定通りにテッシーとデートいたしました。

 とても親切にエスコートしてくださり、楽しい一日を過ごすことができました。あれほど、すぐれた男性はそうそういないと感じております。優しくて頼りになって逞しくて、そして彼は三葉さんのことを好きでいてくださいます。

 これは憶測などではなく、確かなことです。

 はっきりと彼は私に、いえ、三葉さんに向かって、好きだと言ってくださいました。とても熱意のある告白で私が代わりに聞いてしまったことは本当に申し訳ないのですが、それだけに三葉さんにも伝えておきたいのです。あんなに感動的な告白をできる男性は、この宇宙にそうはいないでしょう。女の身になって受けても、男として見ても、とても尊敬に値する人であると感じております。

 もちろん、告白に対する答えは保留しております。

 明日、お答えいたします、と伝えて、お待たせすることも陳謝いたしております。

 あとは三葉さんのお気持ち次第です。

 ただ、差し出がましいようですが、テッシーは素敵な方だと思いますし、三葉さんのお相手として望ましいと感じます。また、青春の時間というのは、とても短いものです。とくに来年には大学受験を控えておられるのですから、お二人が楽しい時間を過ごせるのも今年の秋くらいまでかもしれません。そのことも含めて、テッシーの熱意に答えてあげてください。どうか、良い青春の思い出をたくさんつくってください。

 もう一つ、ご報告せねばならないことがあります。

 サヤチンのことです。これは憶測なのですが、おそらくは外れていないと思います。サヤチンはテッシーのことを好きでいらっしゃると感じるのです。

 それなのに、私はデートが終わった後にサヤチンからお電話をいただき、そのとき告白された嬉しさで軽率にもテッシーとのことを祝福してください、とお願いしてしまったのです。

 このために、彼女は大変に憤慨されてしまい、お詫びのしようもありませんでした。まことに勝手で申し訳ないのですが、サヤチンのことは、どう対応してよいかわからず、善処いただければ幸いです。 草々

 

 手紙を読み終えた三葉の手が震えている。

「善処って……あいつ、また私の生活をメチャクチャに……よりによってサヤチンに、テッシーから告白されたなんて自慢したら……なんてことを……普通、サヤチンの気持ちくらい見たら、わかるじゃん……」

「サヤチンさんの気持ちに気づいてなかったんだ。お姉様……そのへんは男っぽいね。あんなわかりやすいアピールに気づかないとか」

 横で四葉も手紙を読んでいた。

「う~……サヤチンに、なんて言って謝ろう?」

「それもあるけど、告白の方はどうするの?」

「……そんなこと言われても……私が告白されたわけじゃないし……」

「ぶっちゃけ、好きなの? 嫌いなの? 男子として」

「…………」

「……」

 あ、ちょっと赤くなった、でも真っ赤になるほどじゃないんだ、と四葉は姉の気持ちを計ったけれど、三葉は友情の破綻を心配している。

「ありえないよぉ……私たちは三人で、いい関係だったのにぃ……」

「そろそろ寝ないと遅刻するよ」

 そう言って四葉は退室し、三葉も悩みながら布団に入って朝を迎えた。あまり眠れずに布団を出て、休みたいけれど休むわけにはいかない、と登校する。いつもより早く出たり、遅く出たりして早耶香と克彦を避けようかとも考えたけれど、それをすると逆にあとあと話しにくくなると四葉に言われて普段通りのタイミングで通学路に出た。

「………」

「………」

「………」

 通学路には同じことを考えた早耶香もいたし、克彦もいた。克彦は当然として、早耶香もタイミングをずらすのは負けを認めた気もするし、もう負けているけれど最後の意地で長年の習慣通りに登校している。早耶香と重苦しい雰囲気で歩いていた克彦が挨拶してくる。

「よ、よぉ、三葉」

「……うん……おはよう。……サヤチン、おはよう」

「……。おはよう」

 返事はしてくれたけれど、目は合わせてくれない。顔も見たくないという気配が漂っている。

「………サヤチン、あのね…」

「…………」

 黙って早耶香が歩調を早めた。遅れないように三葉も歩調をあげ、克彦もついていく。

「………」

「………」

「……そ、そうだ! マス寿司、美味かったぞ! ありがとうな。こっちも、お土産にクッキー買ってきたんだ。な、三葉」

「う…うん…」

「………」

 無言で早耶香が、さらに歩調を早めた。話したくない、ついてこないでという背中を追いかけているうち学校に着いてしまった。早耶香と落ち着いて話すタイミングをもてずに授業を受け、昼休みになった。

「………」

 いつも通りなら三人で校庭で食べるけれど、どちらから誘うわけでもなく移動していたので、どうしようか迷っていると克彦が声をかけてくる。

「三葉、昼飯、行こうか」

「……。サ、サヤチン、お昼ご飯、食べに行こうよ」

 勇気を出して声をかけると、早耶香は弁当箱を出して考える。

「………いい。今日は教室で食べるから」

「そ……そう…」

「オレは先に行ってるぞ」

 克彦が行ってしまうと、三葉は二択を迫られた。校庭に行くか、このまま教室にいるか、場所の二択は、そのまま人との関係に反映されることが痛いほどわかる。三葉は恐る恐る弁当箱を持って、早耶香の机に移動した。

「い…いっしょに……食べていい?」

「………。……」

 いいともダメとも言わなかったけれど、早耶香は机上に少しだけスペースを空けてくれた。

「あ…ありがとう…」

「………」

「……。あの…ね……昨日は、私、どうかしてたと思うの……ごめんなさい…」

「…………早く食べたら?」

「う……うん…」

 二人で昼食を食べるけれど、あまり味は感じない。ちらりと校庭を見ると克彦が一人で食べながら月刊ムーを読んでいる。月刊なので一ヶ月間、ずっと同じ雑誌を読んでいることが多い。

「…………」

「気になるなら、行ってきたら?」

「ううん、そういうわけじゃ……ないから…」

「…………」

「ホントごめん! ごめんなさい!」

 三葉は両手を合わせて頭をさげた。早耶香が箸を止めて、三葉を見る。

「……………それで、私は謝ってもらったし許さないといけないわけ?」

「そ……そんな……つもりじゃなくて……ただ、謝りたくて…」

「…………」

 早耶香は食べ終わると、スマフォをいじり始める。三葉も食べ終えたので黙っているのも居心地が悪いのでスマフォをいじる。昨日のパンケーキの写真が出てきたので、あわてて閉じたのに、見られていた。

「二人で行ったカフェ、楽しかった?」

「ぅ……ううん! ぜんぜん! つまんなくて何も覚えてないよ!」

「…………」

 早耶香が立ち上がった。

「ど、どこ行くの?」

「トイレ」

「そ…そう…じゃあ、私も…」

 前の休み時間に済ませていたけれど、ついて行く。女子トイレで別々の個室に入ると、三葉は用がないので、そのまま便座に座った。かさかさと早耶香が入った個室から音が聴こえてきたので月経中だと気づいた。三葉ほど早耶香は重くないけれど、やっぱり機嫌は悪くなりやすい。しばらくして早耶香が個室を出たので三葉も出る。

「………」

「………」

「……と、富山、どうだった?」

「別に、普通」

「そっか。まあ、そうだよね」

 予鈴が鳴った。

「………」

「………」

 教室に戻ると、克彦も戻ってくる。三葉が目を合わさないようにしていると、克彦は黙って自席に座った。授業が始まっても、頭に入らない。先週にキルヒアイスが受けてくれた実力テストが返ってきて、先生に誉められても嬉しくない。そして、重い気分のまま放課後になり、早耶香が教室を出て行くので、あとを追った。

「ぃ、いっしょに帰ろうよ」

「………」

 早耶香は歩調を早めなかった。後ろから克彦がついてくる気配がする。三人で校門を出ると、いつも通りの道を黙って歩く。

「………」

「………」

「………」

 二つめの交差点まで沈黙のまま進み、克彦が口を開いた。

「オレ、三葉と少し話したい。神社前の公園に行かないか」

「え…」

「じゃあ、私は帰る」

 そう言って早耶香が離れていこうとしたのを、とっさに三葉の手は早耶香の袖をつかんで止めた。

「ヤダよ! 私はサヤチンと友達でいたいよ!」

「「………」」

「私は三人がいいの!!」

 叫ぶと涙が溢れた。

「三人でいたい! 二人とも好きだもん!! バラバラなんてイヤだよ!!」

「「……………」」

「お願い! このままの三人でいよう!」

「…三葉ちゃん……」

「三葉………」

「サヤチンとテッシーと私の三人でいたいの! お願いだよ!」

 ぼろぼろと三葉が涙を零すので、早耶香がハンカチを出してくれた。

「ほら、そんなに泣かんで」

 そう言う早耶香も泣きかけている。克彦がタメ息をついた。

「泣く子と地頭には勝てない、ってか」

 これ以上、三葉を困らせたくなかったので克彦は戦術的撤退を決め、今しばらく三竦みは続くことになった。

 

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