「君の名は。キルヒアイス」歴史の真実と芯の世界   作:高尾のり子

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運命の変化

 キルヒアイスは三葉の部屋で目を覚まして、手紙を読んで顔を曇らせた。

「……このままの三人で……」

 期待していた朗報と違う手紙だった。

 

 キルヒアイスさんへ

 私は今までの三人でいたいの。

 サヤチンは大事な友達だし、テッシーとも友達でいたいんです。

 今までの三人で、このままの三人で平和に、ずっと過ごしていきたいの。

 だから、必要以上にテッシーに近づかないで。

 二人きりで出かけるのは無しで、二人きりになるのもさけて。

 私の友情を壊さないでください。

 

 三葉の人生なので三葉の気持ちが第一だとはわかるけれど、あの克彦の告白を想い出すと残念でならない。

「……平和に、ずっと過ごして……、そんな時間は、もう…あなたたちには……」

 できれば三葉と克彦には、ほんの数ヶ月でも幸せな日々を過ごして欲しかったのに、早耶香に遠慮しているのか、決断を先延ばしにしたのか、もどかしい答えが書いてあった。

「………テッシーのあの告白を三葉さんにも聴いていただきたいくらいですのに……あんなに熱い想いを……」

 切なくて両手を胸の前で祈るように握った。三葉の胸の膨らみに手が触れているけれど、それさえ意識しないほど残念に思っている。それでも、いつも通りに身支度をして通学路に出た。

「おはようございます、テッシー、サヤチン」

「あ、ああ! おはよう。三葉!」

「……。おはよー…三葉ちゃん……また、そのモード……」

 克彦は何か期待した目で見てくるけれど、早耶香は冷めた目で見てくる。もう、そのお嬢様モードはやめてほしいんだけどな、という視線だったけれど、早耶香に会釈してから、克彦を見つめる。

「……」

「……」

 二人とも、夕日に照らされたお互いの顔を想い出してしまった。

「「………」」

 必要以上に近づくな、と呪縛されてしまい、まるで後宮にいるアンネローゼと自分のようだとさえ感じると、余計にもどかしい。けれど、このままの三人でいたいという気持ちにも少し共感できる、あのままの三人でいられたら、と10歳の頃を想い出しもする。ただ、似ているようで姉弟という家族愛がある三角関係とは、まったく違う部分もあるのだと考えれば、いつかは選択のときがくるかもしれないし、この三人には永遠に来ないのかもしれない。克彦を見つめる三葉の目尻に涙が浮かんだ。

「……テッシー…」

「…三葉……」

 克彦が何か言う前に、早耶香が大きく手を振りかぶった。

「サヤチン・ハンマー!」

 ハンマーと言ったのにチョップを頭頂部に受けてしまった。

 

 

 

 三葉はオーディン市街地に文句を言いながら買い物へ出ていた。朝から夕方まで座学と訓練とサイオキシンの危険性について、みっちり学ばされて、かなり疲れている。

「好きなワインを買っていいとか言ってさ。エサがあれば頑張って勉強すると思う、その魂胆がイヤだなぁ……そりゃ、サイオキシン盛られた私も悪かったけどさ。休暇中くらい宮廷闘争から離れてるかなって思うじゃん。相手もフェザーン人だったし。ホント油断ならない世界だなぁ…」

 つぶやきながら目的の店に着いた。

「この店かぁ…」

 教えられたワインの専門店に一人で入った。店内には中級貴族の夫婦や、上級貴族の使い走りで来ているメイドや執事がいる。三葉は商品棚を見て回った。

「どれにしようかなぁ……って、知識もないし。高ければいいってものじゃないかな。ラベルのイメージで決めちゃおう」

 なんとなく手を伸ばしたワイン瓶を取ろうとして、同じく手を伸ばした隣りにいた客と手が触れ合った。

「「あ…」」

 二人とも手を引っ込めたけれど、三葉は相手が女性だったので今現在は男として譲る。

「どうぞ、フロイライン」

「ありがとう」

 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフは快活に礼を言ってワイン瓶を取った。

「「………」」

 何か社交辞令でも言うべき場面だったけれど、三葉は不慣れだったし、ヒルダはキルヒアイスの襟元に大佐の階級章がついていることに興味をもっている。上級貴族という雰囲気もないのに、この若さで大佐というのは異例の出世といえる。どういう武勲があるのか、訊きたいという好奇心にかられたけれど、さすがに初対面なので遠慮した。

「では、失礼します。大佐」

 ヒルダはキルヒアイスの瞳が自分の胸や腰を見てくる男性らしい視線も感じていたけれど、だいたいの男性は自然の摂理なのか、男の生理現象なのか、似たような反応をするので、もう慣れているし、それほど不快でもない。会釈して背中を向けた。

「お父様の好きな銘柄があってよかったわ」

 あまりワインなどには詳しくないけれど、それでも父親の嗜好くらいは把握しているので会計を済ませ帰宅する。居間に入ると、フランツ・フォン・マリーンドルフは浮かない顔で何かを悩んでいた。

「どうされました? 浮かない顔をして」

「ああ。少し親類のことが気にかかってな」

「ハインリッヒのことですか?」

「いや、マクシミリアンのことだ」

 穏健な良識派で知られるフランツだったけれど、なぜか気がかりな親戚には恵まれている。

「マックが、どうかしたのですか?」

「ああ、財務省の調査官を追い払ってしまってな」

「彼なら、やりかねませんね」

 親戚なので子供の頃に遊んだこともある。あまり、いい性格でないことも知っているし、男勝りのヒルダとは外で遊んで衣服を汚し、いっしょに入浴したこともあるけれど、なぜか、まだ9歳だったヒルダの下半身をジロジロと見てきたことを印象深く覚えている。そして、ヒルダが15歳を過ぎると、もうパーティーで出会っても興味なさそうにしていたので、かなり残念な性的指向をもっているのだと、薄々察してもいた。貴族間の噂話でも、幼い少女を囲っていると流れているし、貴族内の一部では同好の士が集って、いかがわしいグループをつくっているとも聴く。フランツはタメ息をついた。

「はぁぁ…やれやれ、近いうちに説得に出向かなければならないかもしれないな。隣の星系でもあることだし」

「そういうことなら、私もついていきましょうか」

「ヒルダが?」

「マックとは歳も近いですし、何より、こういったことを経験しておきたいのです」

「うむ、お前は、そういうことにばかり興味を持つなぁ……まあいい、では、連れて行こう」

 フランツは激しく後悔することになる選択をした。

 

 

 

 キルヒアイスが自分自身に戻るとラインハルトとワインを呑んでいる状況だった。場所はオーディンの下宿先、ラインハルトと二人きりなので安心できる。まずラインハルトが本日の三葉が行ったキルヒアイスとしての行動を教えてくれた。予定通りの学習と訓練をしてくれていた。

「彼女は総じて、それなりに真面目にやってくれている。オレから、とくに報告すべきことは無いな。そっちは、どうだ?」

「はい、こちらも平穏な学生生活が続いております。……」

「そう言うが、なにかはあるな?」

「あるといえば、ありますが……我々には不得手な分野の問題です」

「オレたちに不得手?」

「はい」

「そう言われると、ますます気になる。言ってみろ」

 矜持が刺激されたラインハルトがワインをキルヒアイスのグラスへ注ぎながら促すので、三葉と克彦、そして早耶香の三角関係をキルヒアイスが説明した。聴いたラインハルトは不得手という表現に納得している。

「なるほど……確かにオレたちには不得手だ。ロイエンタールあたりなら、巧く解決するかもしれないが……いや、余計に…」

「三葉さんは、そっとしておいてほしい、関係を変えないでほしいと願っておられますから」

「ならば、そうしてやるがいい。まだ若いのだ。これから成長する時間は………そうか、彼女らに時間は無いのか………気の毒に」

 ラインハルトの瞳も、そのアイスブルーの輝きが曇る。解決してやりたいけれど、それはできない、という想いが胸の中にわだかまる。

「キルヒアイス、そのテッシーとフロイラインサヤチンも隕石落下で死ぬ運命なのか?」

「はい」

「そうか…………」

「せめて、あと少しの命なら、わずかな時間でも幸せな時間があってほしいのです。……そう考えるのは傲慢でしょうか?」

「どうだろうな……………傲慢か、そうなのかもしれんな。人の運命を知っているのは、いわば神の視点だ。あと少しで、お前は死ぬのだから、せいぜい楽しめ、というのは傲慢以外のなにものでもない」

「…………」

 キルヒアイスが悲しげに視線を落とした。どことなく女性っぽい雰囲気があったのでラインハルトは話題を変えるために意図的に言う。

「フ、だんだん女らしくなってきたな。もしも、お前が女に生まれていたら、オレとお前の運命も大きく変わっていただろうな」

「そうですね、少なくとも私は軍人にはなっていないでしょう」

「そうなるな。クスっ、案外、オレはお前に嫌われていたかもしれない」

 ラインハルトが途中で失笑したのでキルヒアイスは不思議に思って問う。

「なぜ、私がラインハルト様を嫌うのですか?」

「女子であったなら名はジークフリードではないにしても、何か俗っぽい名であったとき、オレはその感想をそのまま初対面で伝えてしまい、大いに嫌われたかもな」

「クスっ、たしかに。アンネローゼ様とは仲良くしたかもしれませんが、その弟とは初対面以降、ぎくしゃくしたかもしれませんね」

「赤毛の長身の美人になるか……姉上のいい友人になってくれたかもしれない……まあ、そうなるとオレは死んでしまうか」

「なぜ、ラインハルト様が亡くなられるのです?」

「お前がいなければ、同盟軍相手にはともかく、これまでの数々の陰謀でオレが生き残れたとは思えない。最悪、初陣で戦死という報告の形での謀殺が成立していただろう」

「………」

「お前が男に生まれてくれて、よかったよ。もしも女だったら、不仲になるか……仲良くなっていたら、それはそれで未亡人にしてしまったかもしれないな」

「ラインハルト様が女子に生まれておいでになれば、その美しさで高名になられたでしょう」

「オレがか……………」

 二人ともラインハルトが女子であった場合の運命を想像した。まずアンネローゼが後宮にあがる。次に皇妃の美しい妹がどうなるか、酔いが醒め、吐き気を覚えるような想像をしてしまった。

「よそう。くだらぬことは考えぬ」

「はい…」

「二人とも男でよかった。それだけだ」

 ラインハルトはグラスを呑み干した。語り込んでしまい、もう一本開けたいという飲酒欲求を覚えたけれど、自身の父が酒に溺れていた姿を思い出し、自制した。

「もう休もう」

「はい」

 キルヒアイスは一人になって寝台に入ると、眠りに落ちる前に、改めてアンネローゼを早く救い出すと誓った。

 

 

 

 三葉は自分自身に戻ると、妹の四葉と入浴しながらオーディンでの一日を語っていた。

「また訓練、訓練の一日だったよ。ワインは美味しかったけど」

「お疲れ様」

「あのワインって、日本円にすると、いくらなのかなぁ……そもそも1帝国マルクは何円に……」

「それを言い出したら、今の戦艦や戦闘機が何億円でも、ワープできる宇宙戦艦が何億帝国マルクでも、どうでもよくならない?」

「まあ、そうだけど……イゼルローン要塞なんか、建設費が高くなりすぎて担当者を皇帝が死刑にしたって話だし」

「勝手な皇帝だね。アンネローゼさん、大丈夫?」

「あ、その話は今の皇帝のお父さんかな。今の皇帝は遊び人で若い頃はさんざん遊んだらしいよ。今は枯れた老人みたいで、せいぜいバラの世話くらいしかしてないって」

「ランを大事にしてるんじゃないの?」

「それはキルヒアイスのお父さん」

「ふーん、銀河帝国期の男性って晩年は花の世話をする文化なの?」

「どうかなァ……文化的な幅は狭い気がするけど」

「過去の核戦争が文化の幅を狭めたの?」

「うーん………そんな風に観察したりしてないから」

「せっかく未来の世界に居るんだから、もっと観察しようよ」

「そんな時間が無いんだよ。訓練と勉強で、もう、みっちり。ラインハルトさんもキルヒアイスも、なんとかアンネローゼさんを助けてあげたい一心だから」

「そっか、それは頑張ってあげないとね」

 三葉と四葉は遠い世界のアンネローゼたちの幸福を願いつつ、お風呂から揚がった。

 

 

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