ヒカ碁小話連作   作:ろしゅ~

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第三章 『神戯霊枢』
3-1 本編


【宙の随に・宙の間に/\】

 

「“宙”って“そら”と読んでくれよな。19路の宇宙の広がりを感じたいからさ」

『ふーぅん、中々に味わい深い字を書きますね、ヒカルは』

「ま、この字体は相田師の猿真似に過ぎないんだけどな。何も考えてなけりゃこんな字になる」

『ほぉぅ……ッ!!!、こ、これは兄(あに)さまの手(書風)!』

 

「え?ひょっとして、つかやっぱり佐為って藤原佐理(ふじわらのさり)卿の兄弟?そんで爺さんは清慎公(摂政実頼)?あ、ぃや佐為ってかなり高貴な血筋だとは思ってたけどさ」

『えぇ、幼き頃に御祖父様の小野宮第(おののみやてい)に引き取られてからというもの、将来的には兄弟のいずれかは摂関、最低でも三司(大臣)に至ることになるから精進せよ、と言われ続けてました。兄さまは書に私は囲碁に心を惹き寄せられてしまい、兄弟そろってすっかり懈怠(なまけ)者になっていましたけど(苦笑)』

 

「ちぇッ、ホントは“手紙”したところを驚いてもらおうと思ったんだけど、考えたらオマエらにとってはごく普通のことだしなぁ……前の人生でタイトル保持者の署名やサインが下手クソな字だったら格好つかないとか言われてさ、書道を習うようになって……そしたらさ、コレはコレで意外と楽しいんだよな!でも自分としては世尊寺流(藤原行成の書風)を習ったつもりがどうしても佐蹟(佐理の字)にしか見えなくってさ、まッ佐理だったら佐為と名前も似てるしそれはそれでイィや!ッてことで」

 

『そういういい加減さも何か兄さまに通じるものがありますねぇ。ひょっとしたらヒカルは兄さまの末裔か生まれ変わりなのでしょうか(戯笑)』

「生まれ変わりかどうかは分かんねぇけど、末裔ってのはないかな。佐理卿の子孫って確か絶えてたはずだし、それにオレの苗字見りゃ判るだろ、“進藤”ってことは確かに“藤”原氏に関わってるかも知んねぇけど、良くて地下(じげ)家か武家っぽい右京少“進”とかの家系、普通ならその家に仕えていた在郷の人ってところが相場だ。オレのじーちゃんが諱(いみな)じゃない“平八”だから藤右京進家に仕えてた平家の落ち武者が戦国・江戸期を経て帰農した家系かもな。単に家康に過ぎたるものの本多平八郎忠勝(ホンダム)とかにあやかっただけかも知ンねぇけど。ちなみに今いる“藤原”さんも維新後に古(いにしえ)の名族にあやかった人が殆どで基本的には藤原氏と無関係だってさ。“佐藤”さんで3割ぐらい?」

『それは何と言うかひどく現実的に考えすぎでは……』

「佐為の方こそイィ風に考えすぎ!(苦笑) まぁ分家の次男であるじーちゃんが土蔵付きの家持つくらいだから、戦前なら庄屋みたいな結構大きな地主か名士の家だったとは思うぞ」

『そうするとそれなりに名のある、例えば近江進藤家とかの末裔なのかも知れないじゃないですか』

 

「オレ・父ちゃん・じーちゃんの名前から見ても少なくとも格式張った家系ではないのは確かだろうな。第一そんなこと言ってたら桑原のじーさんは虎次郎の家系にも関連があり得ることになっちゃうじゃん。実際に前世の本人に聞いてみたけど、あのじーさん因島には縁もゆかりもない華族の分家の出身で本姓は“菅原氏”、桑原の“桑”の字も元々は十・二十(卄)・木の“桒”で分家の際に一般的?な“桑”の字にして読みもクワハラからクワバラに変えたんだってさ。本家は不祥事かなんかで廃絶してしまったらしいけど。ひょっとしたらオマエを陥れた菅原顕忠の家系かもな。今回のオマエも“なんかヤダ”って思ったつーことは、じーさんのシックスセンス?がどーのこーのとゆーより、オマエの何か・どっかで顕忠のタマシイのカケラみたいなモノでも感じ取ってしまっちゃったんじゃねーの?」

『囲碁に対して精進を極めているであろう人物に対して僅かながらでも何故嫌悪感が先立ってしまったのか自分でも解らなかったのですが、そういう理由であるなら何だか納得できてしまいそうですね』

 

「オレが書道を本格的にやろうと思ったのはさっき言ったこともあるんだけど、前世で“秀策の碁盤”のニセモノが売りに出されててさ、そのときのオマエがそれに気づいてオレが指摘したらオレの方が嘘つき呼ばわりされちまって……もしそんなことがまたあったらちゃんと自分でも虎次郎の字を判っておかないといけないし、そのためには書の基礎を固めておかないと、って考えたりもしたんだよな。そしたらいつの間にか棋界一の能書家みたく思われちまって、免状にも署名だけでなく本文の方も認(したた)めさせられたり……そうする頃にはちゃんと“秀策の鑑定士”なんて呼ばれ方もしてたっけ」

 

「オレの短歌や揮毫、結構評判良かったんだよ……率直で趣があるって。まぁ短歌の方はともすれば狂歌とかになっちまうけど。でも佐蹟っぽいので認めるにゃ逆にイメージが損なわれるってさ、そんで相田師の字をオレなりに模倣してみたんだ」

 

【呼吸って吸うのが後になっている 先も吐でなく何か呼ぶんだ】

 

『先ほどの揮毫といい、この和歌(やまとうた)といい、おおらかで率直ながらも何某(なにがし)かの説くところの深淵なる摂理をも感じさせる……ヒカルにはこんな才能もあったのですね。でも碁打ちであるヒカル以外の人が詠んだのでは味わいが欠けてしまいそうですし、それに確かに兄さまの字には合わなさそうな(苦笑)』

「でも佐理卿の真蹟(残ってるの)って失敗したコトのイイワケや尻拭いのオネガイばっかじゃん(笑)そんなのをミヤビな字で書き綴られてもな~。しかも御大層なことにそんなのが“国宝”になってるし(憫笑)」

『兄さま;……ところでその“あいだし”と仰るのは?』

「あぁ、オレのオキニな昭和の詩人で書家の人。オレは勝手に相田師って呼んでるけど。オレはそこまで書にタマシイを込められないけど、彼の詩を読んでたらたまに“アナタはオレですか~!”ってなるくらいスゲェ共感する。“人間だもの”」

 

「……なぁ佐為。オレ、思うんだ。佐為が入水したのって実は勘違いの早とちりかもって。佐理卿の兄弟だったらなおさら」

『ヒカル、それってどういう……』

「オマエって囲碁のこと神聖視し過ぎてストイックになり過ぎてもいたんじゃないかな、と。ンでもって知らず知らずのうちに打つ人すべてに自分と同じようにソレを求めてた」

『……』

「でもさ、当時も今も囲碁ッつーのは世間的にはただのお遊び、オマエの時代なら双六や貝合わせなんかと同じレベルの。そんな囲碁の指南役なんてどう考えたって正式なモノじゃなかったろうな。蹴鞠や和歌みたく役所が出来ちまう程の芸能だったらそりゃ正式なモンかも知らねーけど。でもオマエは囲碁の神聖さを感じ取ってしまったが故に指南を授ける側の心得としてなおさら棋道に邁進した」

 

「後の世じゃ囲碁の役所もできたけど、そうするともっとドロドロした足の引っ張り合いなんかもあっただろうしな。囲碁じゃないけど多分虎次郎とも面識のあった天野宗歩なんて抜きん出た実力者なのに生前は準名人にすらなれなかったし」

『まぁ宗歩殿は普段の素行が良くなかったですし……強いだけでは認められないのは古今東西似たようなものでしょうね』

 

「ソコだよ!強いだけじゃダメなはずの世の中に、碁での強さ以外たぶんまだ実績を示しきれてない佐為が宮中で囲碁を指南出来るなんてどう考えても血筋のおかげだろ。けど本来のオマエの役割って、侍従かなんかの天皇の身の回りの御世話をすることや緊急時の警護要員なんかかな。そうして他の殿上人の仕事ぶりを実地で学ぶことまでもがオマエの熟さなければならない仕事の内だったハズ。天皇サンご自身も初冠(元服)前から囲碁の上手とウワサされてたであろう佐為のことに興味を持って囲碁指南として召したんだろうけど、そんな興味本位に振舞えてしまってた天皇サンの存在自体がやっぱ本来有り得ないことだぞ」

 

「さっきオマエも言ってたように家族や周りの人たちもきっとオマエのことを心配してたのは間違いないんじゃないか?現代の評価によると奇行が目立つということにされてた天皇な上に、その天皇と縁戚関係が薄くて十分な後見(うしろみ)が果たせず不安定な政局運営を余儀なくされてた関白の爺さん、その爺さんの跡取りは予期せず早世し、叔父や従兄弟の中には優秀そうな人も十分にいたから何とかなるかも知れないけど、やはり跡取りの後胤(おとしだね)なオマエら兄弟を自身の養子にまで取り放っ(迎え入れ)たぐらい期するところ大なハズなのに二人そろって懈怠者じゃぁ関白の爺さんもたまったもんじゃぁねぇだろ」

 

「オマエのその恰好、入水時とゆーか御前対局の時そのままだろ?平安の昔だったら宮中にその恰好で出仕できるのって宿直(とのい)に限って勅許を得てた時ぐらいしか有り得ないハズ。多分間違いなく公式的には宿直の際の余興なんだろうから、御前対局だからといってその勝劣が何か・誰かの仕事や出世に関わるなんてちょっと考えにくいだろ。ホントかどーかは知ンねぇけど、後に関白まで至った公卿が御前で催された肝試しで怖がって面目を失ってたというハナシなんてのも残ってるし」

 

「きっとオマエのことだろうから仕事ぶり自体は至って真面目に勤めてたんだろうけど、清慎公はいつまで経ってもどこか真剣みを感じられない佐為をどうにかして魑魅魍魎どもが闊歩している廟堂においてしっかりと渡り合えるようにするには泥臭い茶番じみた猿芝居の一つでも打ってみないことにはいけない風に考えたんだろうな」

 

「清慎公が天皇サンに話を持ち掛け、その天皇サンが半ば面白がって仕掛けを大袈裟にしてしまい、不安定な政局だったからこそちょっとした娯楽に飢えていたオマエの親父さんと同世代の叔父たち(頼忠・斉敏)や九条三兄弟(伊尹・兼通・兼家)なんかだってきっとノリノリで御膳立てを整えただろうし、むしろちょっと囲碁が出来ると見込まれてた顕忠は単にそれに巻き込まれてただけかも知ンねぇ……、ッてなところがコトのアラマシなんじゃないのかな」

 

「顕忠って菅公(道真)の子孫・血筋だろうから紀伝道の人だろ?宮中に上がれてるところを考えれば役職で言えば極官である文章(もんじょうの)博士から弁官ってところ。そんな顕忠が殿上人になりたてとは言え摂関家の血筋でしかも菅公のことを最後まで擁護してた貞信公(藤原忠平)直系の佐為のことを悪し様にモノ申すことなんて普通できないんじゃね?きっとオマエは囲碁に関することになるとそーゆーコトすら失念してしまうくらい周りが見えてなかったんだろうな」

 

「でもオマエにとっては主上(帝)の御前(おんまえ)で対局すること自体が神仏に捧げる重大な儀式だったろうし、きっと周囲にいる立ち合い・見届け人なんかは衣冠の正装だったろうこともオマエの思考に正統性を与えてしまってた。そんな神聖な場で不正が行われたり況してや声を荒げられたりすることでオマエの信ずる神様の存在ひいてはオマエの存在そのものを否定されたと思い込んでしまうのもその当時だったら無理からぬことだったろうしな」

『……言われてみれば、思い当たることばかりですね』

 

「虎次郎に取り憑き始めたころの佐為って、多分まだ怨霊つーか荒魂成分が高かったんだろうな。でも同時に碁を打つことによって清らかなものに浄化されていくことにも何となく気づけた虎次郎がそのまま佐為に打たせ続けることで自分のココロの平穏とタマシイの精進を図った。佐為の為だけではなく自分自身の為にも当時の実力者たちとの手合い自体は望んだことだろうけど、自身に対する栄誉なんてモノにはさして興味を持てなかったに違いないんじゃぁないかな」

『えぇ、虎次郎は本因坊家に入ることどころか因島を出ることにすら抵抗があったようでしたから……周囲の人たちが外堀を埋めに埋めて、果てには本因坊家の娘を嫁がせてまでしてようやく取り込んだのです。それでもなお虎次郎は周囲の人々に感謝の気持ちを持ち続け、虎狼痢(コレラ)の禍が江戸の町を席捲した時もそれまでの恩返しとばかりに門人たちの看病を積極的に行い、自らの命と引き換えに彼らの命を救ったんです』

 

「なぁ、佐為。前世だけでなく今世もオレに取り憑いてくれたこと、本当に感謝してるよ。神様にも、オマエにも」

『虎次郎の臨終の際、彼もあなたと同じく私に取り憑かれたことを感謝してくれていました。最期には自分が死んで貴方が天に帰っても、これまでと同じように囲碁に打ち込む佐為のままであって欲しいと』

 

「そんな世事のあれやこれやに拘わらず、ただ純粋に“碁を打ちたい!”って、オマエ自身がもう神様になってしまってるんだろな。まぁまだまだ童神のウチなんだろうケド。“齢(よわい)千年の童神”、何だかカッコ良いのやら悪いのやら(笑)」

『ヒカル、それはあんまりです~~~(えぇ、こんな私を取り憑かせてくれて心より感謝してますよ、ヒカル)』

 

 

 

 

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