あきらめず進み続けるものに、やがて光が宿る。 オリウマ回
URAファイナルズ。きっと誰もが夢見るウマ娘の頂点へ至れるレース。
それに出走する機会は極めて少なく、出るだけでも華だなんて言われることの多いこのレースに、私は出走できる。
当然喜ばしい、なんて気持ちは、すでに地へと落ちていた。
先行にAしか持たない私の他には、先行のSや追い込みのS、はたまたステータスがSSといった具合の強敵ウマ娘しかいないこの決勝戦。
いつも通りの先行で行ったら喰われると分かり切ったレース。
トレーナーにはいつも通り先行で行ってけん制スキルを使えば勝てると言われていた。
もちろん練習なども先行やけん制の練習メニューばかりでそれ以外に何か違う手を取れるかと言われれば、当り前ですけど、取れるわけがない。
それはトレーナーも分かり切っているのでしょう。いつも通り咥えているキャンディーを舐めるわけでもなく、ただ口に入れているだけ。
よくたばこ代わりにストレスが溜まったらやっていると教えられた行為。
何もできない。ただその言葉だけなのに、遥か高見の壁のように、立ちはだかってはどうしようもない。
ターフへ向かう途中、コンクリートに蹄鉄を履いた足音が響く中で、トレーナーが悔しそうに息を噛む音が、嫌に耳に入ってくる。
「トレーナー。どうして君までそんなに悲しそうなのですか?」
「……私の考えが、見通しが……知恵が浅はかだったからだ」
まるで後悔してもしきれないといったように俯きながら答えるその姿に、いつものように覇気の限りをトレーニングに詰め込む姿が重ねられない。
「あると聞いていた覚醒……因子でも上質なトレーニングでも開花しない、潜在覚醒を思考に含めなかった私の落ち度だから。それを君に負わせてしまうことが……どうしても悔やみきれないんだ」
きっと。今からでもレースを辞退していい。なんて言いたいんだろう。憂慮の籠る瞳が、私を翳して見通す。
そんな感情、背追わなくていいのに。
もし負けても、お疲れ様の一言で私たちウマ娘は十分なのに。
いつもみたいに、楽しんで来いって、耳を揉んでほしいのに。
「きっと。これが私の限界だったんです。たとえトレーナーがどれだけの思考を巡らせてくれたとしても。きっとこれが私の
巨大すぎる壁に押しつぶされるように敗北したとき、ウマ娘のウマとしてのプライドは崩御する。
私自身で痛いほど感じる。
怖くて、呼吸すら億劫で。進む時間を感じたくなくて。
ターフに向かおうとするこの足も、蹄鉄が歪んで落ちてしまわないだろうかと期待してしまう。
それほどまでの、恐怖。
でもきっと、トレーナーはそれを分かっているんだろう。
ウマ娘しかわからないであろう、この感情を。
「させ……ない……」
「え? 何、を?」
「
わかっているはずなのに。
なんでそんなに必死になって私を止めるんですか?
もう、いっそのこそ足が崩れてしまえばいい。走れなくなったっていいって。
覚悟を決めたのに。
「どうしてトレーナーがそれを言うんですか!? 私だってっ、勝ちたいのに!」
ウマ娘とは、走るために生まれたモノだから。
勝つために、勝利するために。
一着に執着するために生まれてきたから。
負けたくないなんて思いは正常なのだ。
トレーナーが言っていることは、それをすること。
私を一着にするなんて言っているようなもので……。
「もうトレーナーだってわかってるでしょ! もう私じゃ次元が違うの! みんなを見てよ!」
ライスシャワーにスペシャルウィーク、メジロマックイーン。テイエムオペラオーやグラスワンダーだっている。
名だたるウマ娘しかいないこのレース。
どう見たって勝てるわけがない。
だって走る私がはっきりわかるんだよ?
それをトレーナーが勝てるだなんて。
「無謀、だよ……」
私のぽつりと出た言葉に、驚いた、なんてことはなく。
ただ息を飲んだ様子で眺めていた。
「私のステータスなんてよくて評価B⁺。Sがスピードとかにある程度で。周りを見たってオールSなんて当たり前で。そんなところに入って勝てるなんて思えるほど、私は初心じゃないんです」
厳しく唸る言葉端を、トレーナーは受け止めるように聞いてくる。
気づけば、これが初めてだったのかもしれない。
「初めてですね、私がトレーナーにこうやって言うのは」
「……無理、させてたか?」
「ううん。とっても、充実して、毎日が楽しかったです」
その日々を彩る日常に、後悔なんて言葉が付け入る隙なんて無いくらいに。
だから。あの時こんなトレーニングをしてたら。あの時遊びに行かなければよかったなんて思うはずもない。
「夏合宿での砂浜トレーニングは膝を砕いた方がマシだと思えるほど、辛かったです」
「正直、全てを喰らいついてトレーニングする内容を造った覚えはなかったからな」
「でも。私は掛けてくれた信用に報いるように頑張って、やり遂げて。とても嬉しかったです」
私の言葉に、少し目を見開いたトレーナー。
きっと、あの時ばかりは恨まれるという自覚はあったのだろう。
見当違いなトレーナーに、思わず口角が緩んでいった。
「ダイエット期間だというのに、トレーナーに甘味処に連れていかれパフェをごちそうされたときは、恨みました。体重が増えてるとトレーニングメニューを増やされたときは、理不尽だともっと憎みました」
「あ、あれはっ……あはは」
弁明しようと開いた口を、観念して苦笑いに変える。
反省してほしい肝心なところで、風のように揺蕩うトレーナーは、それでも好きでした。
「でも。そんな日々も、とても楽しかったのです。汗に泥を被って。嗚咽すら吐き出す喘鳴も。トレーナーと過ごしたおかげで青春色の思い出なのです」
「……きっと。それは言い訳だよ。自分が過ごした日々を昇華させるための――」
「――例えそうだったとしても。私にとってトレーナーの言葉が全部で。とても暖かいものだったんですっ!」
突然の私の大声は、ただ二人しかいない登場口通路には大きく響き渡り耳を刺激する。
ウマ娘の耳だから、ではなく、真っすぐな眼差しで見つめてくるトレーナーが耐えているのだろう。
どうしてよ。いつも見たいに飄々とした態度で受け流してよ。
そんな目で、私を見ないでよ。
「なんでいつも見たいに楽しめって言ってくれないの? なんで私に勝てなんて言ってくるの!?」
一度は目を覚まさせてやろうと頬に伸びた左手を、地面に向けて振り下ろして叫んだ。
痛い静寂が私を惨めにするから。
「なんで私を惨めにするの!?」
負けるのは分かり切ってるのに。悔しいと思う気持ちを掻き消すために。
「負けて悔しいのはトレーナーだって一緒なのにっ!」
――どおしてっ!!
「――違う」
叫ぼうとした口が、まるで間抜けに閉ざされた。
それは他ならないトレーナーに、抱きしめられたから。
「私は君が勝つと願い続けるから」
ゆっくりと抱擁のように背に手を回された。
衝撃などはまるでなく、体が揺らぐことすらないほどに抱きしめられた。
「君のトレーナーだから。最後まで信じ続けるからっ」
背中を撫でるように触れる手が、緊張で敏感になった背筋を甘く蕩かして行く。
どうしてか涙が出てくる。
悔しくもないのに。
痛くもないのに。
ただトレーナーに抱きしめられて。
「自分を追い込むな。自分だけのせいにするな」
トレーナーの優しい声が。女性特有の柔らかさが。きっと香水なのだろう、安心させてくれる匂いが。
その全ては私の耳を霞ませてくれる。
きっと、聞こえていたはずのターフに流れる観客の雑声を。
「トレーナーとウマ娘は一心同心なんだ。私にも少しは背負わせておくれ」
悲しそうに掠れたトレーナーの声に、私の涙はとどまることを知らずにあふれ出てくる。
嗚咽だって耐えきれないほどに漏れては仕方がない。
トレーナーが私の頭を撫でれば、それだけで知らずの内に後ろに向いていた耳が、恋しいようにトレーナーの方を向いていく。
「なにより。君にそんな顔じゃターフに出てほしくないんだ……」
きゅっと。
刹那に強く抱かれた体が、熱を帯びる。
血色が悪かったのだろう。
無色になりかけた視界には、流すトレーナーの涙にも、彩色が宿っていく。
「君に、負ける試合に出る意義を、見つけないでほしいんだよ」
痛い。
他人にやられれば冷酷な声を出すほどのこの抱擁が、どうしてか嬉しく感じてしまう。
どうしても体が高ぶってしまう。
どうしても……。
「君にその涙を、押し殺してほしくなかった」
だんだんと強まる腕に、そっと、頭を抱き込まれる。
まるで離さないと愛情を与えるように首元に抱き込まれて。
何かをしゃべろうとするトレーナーの喉音が聞こえてくる。
何を言えばいいのか。
真剣に考えてくれているのだろう。
トレーナーを傷つけようと反旗を考えたこの私に。
どうしてか失うはずだったプライドに、焔の色が灯ってしまう。
勝ってほしいだなんて思いがある限り。
負けないように全力で走るのが私だから。
トレーナーの期待に応えるのが、ウマ娘なのだから。
誰かの人生を貴ぶものに彩るのが、
「プライドレリーフ」
「どう、しました?」
不意に撫でる手の止んだトレーナーの声が掛かる。
その声は先ほどまで掠れたような声ではなく。
まるで優しく――縋るようで。
「勝ってほしい」
「……勝てるとお思いですか?」
不思議な言葉に、返答に詰まってしまう。
それほどまでに予測してなかったから。
勝てないのはトレーナーが一番わかっているはずのことなのだから。
「いや。勝てない、と思う」
いつもの歯切れの良さのない言葉に、自然と頬が緩む。
初めて見せてくれた、トレーナーの情けのない姿。
練習の合間に教えてくれた、きっとたった一つの弱点。
「とっても無茶なお願いですね」
――心が躍る。
まるで私自身。諦めていないように。
「だからお願いなんだよ」
――体が火照る。
まるで乗り越えようと、足掻くように。
「きっと、負ける。勝てっこない」
辛辣な言葉を吐かれて体が委縮する、なんてことはない。
きっと、耐えてきたトレーニングに眠っていたのだろう。
「でも。諦めないから」
覚醒するための
「――勝ってこい」
「――っ!」
まるで風が吹き荒れた。
そう錯覚するほどの、言葉だった。
初めて言われた『勝ってこい』なんて言葉に。
――あきらめず進み続けるものに。
――やがて光が宿る。
「勝てると思う?」
「いいや、負けるさ」
腕は解かれ、勝負服も手で払うように直した。
脚の蹄鉄も床を踏みつけるように強く嵌め込んだ。
流れた涙も、振り払って笑みを浮かべた。
――行けるよ。
「知ってたっ」
私の笑顔に、トレーナーが送り出す。
背を向けた私の背を、そっと押すように。
歩いて進む私に。
立ち止まることしかできないトレーナー。
ターフに出れば、私一人だから。
何も出来ないトレーナーの精一杯の応援だったんだろう。
熱く解ける背筋に、トレーナーの指先を感じれた。
「――楽しんで来いっ」
「ふふっ。変なトレーナーッ!」
そしてターフに――
――あふれんばかりの歓声を生んだ。
――2021年春 URAファイナルズ 決勝
京都 芝 (3000) 右・外
最下位? 最低人気? それがどうした。
走りで決まるのは、生き様だ。
――照らす生き様 プライドレリーフ
『出走』
勝てる勝てないの次元の話は置き去りだ。
照らした道が結果だから――