奇跡の覚醒 オリウマ&オグリキャップ回
『美しい青空の広がる、中山レース場。ターフも絶好調の良バ場になりました!』
『名勝負になる舞台は整いましたね』
『さぁ、一番人気の紹介です』
中山レース場で、出走レーンに入るウマ娘たちが揃う中、拡声器に皆耳を集中させていた。
我こそが一番人気だと。
『一番人気テイエムオペラオー。続く二番人気にはスペシャルウィーク。三番人気にはメジロマックイーン』
上位三名が発表されれば、観客はもちろん、レーン内で出走待機をするウマ娘の中にも「やっぱり……」という雰囲気が広がる。
そして発表順位は次々に下がっていき、そしてすぐに最下人気まで遡った。
『これは二回りほど実力の及ばない十六番人気、プライドレリーフ。レースの展開に着いて行けるでしょうか』
『彼女には光るモノが眠っています。今回でそれをものにできることを願うばかりですね』
ここまでの人気順発表に、会場にどよめきが起きることはない。
誰もが予想通りとでも言いたげな会場のムードに押されるように、ウマ娘たちがゲートに入っていく。
「どうもですレリーフ先輩」
「うん。久しぶり、ネイチャ」
横は見えないゲートの中で突然と名前を呼ばれたが、その相手が誰なのか、声が掛かる前から検討はついていた。
自分の隣が誰なのか。気になって横目で窺っていたからだ。
鹿毛の短いツインテールに、赤と緑色のイヤーネットの特徴で、すぐに分かった。
それに。声なんて聞かなくても分かる。姿なんて見なくても分かる。
この薄く冷たい鉄壁を挟んでなお伝わる熱量は、ナイスネイチャしかいないと。
「いつの間にか強くなったね」
「うん……私のトレーナーに言われちゃったからさ。期待されてる身としては、ここで先輩だからって言って華を譲ることは出来ないんですよ」
「それは承知してるよ。それに、そんなことをしてくるようなレースに不真面目じゃないって言うのは、ネイチャを見てきてわかってるから。きっと、どんな場面でも全力で一着を狙う強い子だって」
「あっ、え? ……ちょっと恥ずかしいですけど……」
「ふふっ。こうやって照れるところも昔から知ってるネイチャだよ」
ゲート内には、二人の呑気な話声だけが流れる。
本来何時ゲートが開くのか。針に糸でも通すかのような真剣さを帯びるのが当たり前のゲートイン状態。
もちろん周りのウマ娘たちもそれに倣ったように無駄口を開くことは、一切なく。
「だからこそ。強くなったね」
「っ……ちょっとは認めてもらったみたいでよかったです」
私の一言に、先ほどまで見ていた人懐っこい雰囲気はなりを潜め、息を飲んだような真剣さが言葉端に孕みだした。
きっと、何か感じ取ったのだろう。
すでに雰囲気はお喋りのそれではなく、レースのクラウチングと同じだ。
みんな、闘志が漲ってる。
押し負けそうなほどの。食い潰されそうなほどの雰囲気に、何とか堪えている状態だ。
やっぱり怖い。
知っていたみんなが、知らない皆になったような。
まるで――
「レリーフさん。今は、敵ですから」
敵のようだった。
スぺちゃんっ。
なんて声を掛けようとした刹那には。
風が吹いていた。
『スタートっ。各ウマ娘、綺麗なスタートを切りました』
体が勝手に動いたのだろう。
気づけば私の体は、ゲートが開いたと同時に動き出していた。
張りつめられえた緊張感の中だったからなのか。
それともまぐれだったのか。
「いやっ。今はそんなことよりも走るしかないでしょ!?」
余計なことを考えて勝てるレースだなんて、私が一番否定するはずのこと!
なのにどうしてネイチャと話してっ!?
「レリーフさん、出遅れは平気でしたね」
隣からは、スペシャルウィークの声が聞こえた。
横を見てみれば、明らかに手を抜いているようなフォームだ。
普段の歩幅よりも、だいぶ小さい。
「敵である私に塩を送ったのは?」
「……あくまでもプライドさんのことを敵とは思いませんから」
それだけ短く言えば、すぐさま私を追い抜いて先の方へと上がっていく。
やっぱり早い。
日本の総大将と呼ばれるのも納得だ。
一度はこのトレセン学園で代表として外国ウマ娘と戦って看板を守ったことがあると言える脚だ。
トレーナーでない私から見ても、無理をしての追い上げでないことがはっきり分かる脚だ。
『先行争いはミホノブルボン。ライスシャワー、ダイワスカーレット』
前を見上げてみれば、私のはるか先にその三人が。
先行組の軍列を超えておよそ二バ身先。
まるで大逃げの前段階とでもいいたげな位置で三者争っている。
「ライスも逃げで来てくれましたか」
「はいっ、ブルボンさんと戦いたかったからっ!」
「あらライスシャワーさん。この私を忘れられるのは困るんですけどっ?」
「あっ、スカーレットさんも。一緒に競えるのは嬉しいですっ!」
「っへぇ。ちょっとは度胸が付いて来たんだっ!」
三人が睨み合わされば、すぐさま差をつけようとさらに速度が増していく。
『一番人気のテイエムオペラオー。期待通りの結果は残せるでしょうか』
現在オペラオーの位置は十二番手。今回は差しの戦法で行くのだろう。表情には余裕が残り快調は走り出しの様だ。
レース開始直後ではあるが、当然常識ではありえないほどの速度で走り出すのだが、この余裕な表情のままだ。
『さぁ、ハナに立ったのはミホノブルボン。このまま後続たちと距離を離せるか?』
二番手にはライスシャワー、三番手ダイワスカーレット。その先三バ身離れてマヤノトップガン、エルコンドルパサー追走。そしてナリタブライアン並びかけてきたっ。
実況の声が、私の耳に周りの状況を教えてくれる。
わかっても何にもできることはない現状だが、それでも変わる。
「やぁレリーフ」
「テイオー……。君ならもっと前にいるとは思っていたけど。もしかして私のことをこのまま追ってくの?」
「ううん。ちょっと話掛けたくてね」
「ちょっとテイオー。私のことも言ってほしいのですけど」
突然、なんてことはなく、呼吸が切り替わった途端に後ろからかけられた声。
鹿毛色の髪の毛と、芦毛色の髪の毛が左右から揺れながら視界に入る。
トウカイテイオーとメジロマックイーンだ。
息すらかくことなく駆け上がるその脚は、私から見てもさすがとしか言えない。
でもどうしてこの大事な舞台でここにいるのか。
「正直レースには来ないと思ってた」
「あら。それは心外な言い方だね」
「だってそうじゃん。今のレリーフには、
「別に侮辱のつもりで来たわけではありませんわ。ただ……」
――ボクに負けても
――私に負けたとしても
『それは誇りですよ(だよっ)』
きっと、励ましのつもりなのだろう。
いつからか抜き去ってしまった先輩に対するせめてもの慰め。
でもそれは。
「二人に勝ってから誇ることにするよ!」
トレーナーに送り出された私にとっては一位以外は冒涜な結果なんだよっ!
追いつけるようにと、息を噛んででもペースを上げる。
今の位置は十位……でも先ほど二人に抜かれたのも合わせれば、現在位は十二位だ。
前の六人に、スペシャルウィークにナイスネイチャ。そしてトウカイテイオーにメジロマックイーンだ。
すでに最後二人はナイスネイチャを抜かしており、そして私もそれに迫って。
「あー。流石に私には今はついてけないかなぁコレ」
一歩踏み込んだ先で聞こえたのは、ナイスネイチャがペースセーブをしたときだ。
二歩進んだ先では、ナイスネイチャと目が合い、そこには申し訳なさのような憂慮が籠った瞳だ。
やはり、戦犯だったのだろう。勝つための、蹴落とすための。
「気にしないの。だってこれはレースなんだから」
例え手で撫でることが出来なくても、きっと伝わってくれるだろう。
その一心で駆けた優しい声色の私に、ナイスネイチャが掠れる笑みで返して後ろへと下っていく。
『ただいま後方からトウカイテイオーにメジロマックイーンが上がっていき、その後方からはプライドレリーフが前方を窺う位置だっ』
何が伺う位置だっ。
思わず実況に声を荒げそうになるが、それすらも今やってしまえば不利な状況を作りえない要因になるだろう。
それほどまでに、切羽詰まった状況だ。
どれだけ踏み込んでも前に進める未来が見えない。
なのに先のテイオーやマックイーンたちはまるで羽でも生えているかのような軽い踏み込みで上がっていくし。
勝てっこない、が一番に突き付けられる。
レース前にもわかっていたことだけど、やっぱり勝てない。
当たり前だけど。
わかってたことだけど。
やっぱり……
「くや、しいなぁ……っ」
昔は、なんて枕言葉が着くようだが、周りで走る子たちのほとんどが私の後輩で。
昔まではいつものように一緒に走って私が勝ってたのに。
速さという言葉を教えたのも私だったのに。
どうして今私はその子たちに速さを教えられて。
走る辛さを教えられてるのっ。
悔しくて、投げ出したくて、走るのも止めたくて。
でも走り出したレースがあって。今も私の足は走りたいと動いている。
惨めだなぁ。
トレーナーにも応援されちゃったのに。
こんな無様な私を見たらトレーナー。私に冷めちゃうかな?
次から次へと出てくるネガティブな考えに一粒、涙をこぼしたいと願ったときに。
背後からまるで追い上げでもするかのような加速する足音が近づいてきた。
誰だっただろうか。
このとても親しく、聞き覚えのある足音は……。
「レリーフ。久しぶり」
「お、グリ……」
芦毛色の髪が、まるで風に靡かれるように視界に入れば、すぐ純粋な黒目が映った。
入校時から、友達として馴れしたんだ呼び方をした、旧ルームメイト、オグリキャップだった。
「こうして一緒に走るのも、久しぶりだな」
「私が遅くなっちゃったばかりにね」
あの時ばかりは馬鹿なことをしたと今でも後悔をしている。
高等部に入ってからオグリの成長は拍車を掛けるようにさらに早くなっていき、それに反して私は後輩にも置いていかれ。
気遣いだったのだろう。夜中、負ける恐怖に目覚めた私を抱きしめて介抱した彼女を突き飛ばしてまで外に出て。
結局は寮長であるフジキセキにまで迷惑をかけて、咄嗟に出た言葉が「オグリのせい……」だなんて。
きっとどれだけ傷ついたか。どれだけ悲しんだか。
あの後、寮を追い出されたのは私ではなく、オグリの方だった。
あの時の気遣うような、悲しむような細んだ目に、私は目を逸らしたままで。
問題児として三浦寮でルドルフ会長と同室に割り振られたと、結果的には会長にまでも迷惑をかけて。
自分の実力に
どうしてオグリは声をかけてくれるの?
「そこは私が速くなったと褒めてくれないのか?」
「褒められるくらい自分に余裕がなかったのっ!」
突き放すようにとがった声を宛てるが、やっぱりオグリだ。
追い抜くでもなく、下がっていくでもなく。
後ろを追走するわけでもなく。
「うん。レリーフは速くなった」
隣で並走するんだ。
「私はとっても、惨めだよ」
「ん? ……どうしてだ?」
「かつての友に迷惑をかけた過去があっても。こうしてオグリは肩を並べてくれて。優しい友達に恵まれた私が、とても惨めなんだよ」
「……だから早く私を抜いていけ、といいたいのか?」
「……きっと、そう言いたいんだ。私の口じゃ、きっとまた傷つける言葉しか出てこないと思うから」
オグリの口から言い当てられた本心に、言葉など出るはずもないだろう。
罵られたこともない友達に、まさか自分の惨めな部分を知られているなんて。
きっと私は気づいていなかった。
「だったら。私はレリーフの背中を押していくしかないと答える」
「……どうして?」
「隣でウイニングライブを踊ってほしいから。あの時離れ離れになってからの、夢なんだ」
「……そんなの、今じゃなくてもいいじゃないかっ。こんな強敵揃いで、お情けを貰って勝ちたいほど私は魂まで汚れちゃないっ」
「わかってる。だからだ」
まるで意味が分からない。
何が言いたいのかと、転々とするオグリの言い草に、私の顔は怒りに染めることができない。
今すぐにでも怒鳴りつけたい。
でも、それができない。
隣で走ってるオグリに、手加減されてると分かってるのに。
わざと脚を溜めて遅く走ってるのも分かってるのに。
「レリーフはまだ走れる」
「っトレーナーも言ってたけどさ。何を根拠に私をぬるま湯につからせるのっ!」
「……私は昔言っただろう。走れるだけで十分だと。ならレリーフ。君はどうだ?」
私の罵声に驚くわけでも見捨てるわけでもなく、まるで懐かしむような語り草で言ってくる。
この話は昔オグリから聞いた覚えがあった。
昔、オグリは足が弱く、それこそ満足に立てないほどに。だからこそ今は走れるだけで奇跡とも。
なら今回の問いかけはどういうことなのだろう。
そう考えるのも、久しぶりだと、自分で驚く。
誰かの言葉を、その意味を考えるために思考する。
オグリと部屋を別れてからはなくなったことで、とても懐かしさを覚えた。
「私の走る意味なんて……っ」
――勝つため。
それだけだった。
私がさんざん否定してきた、トレーナーやオグリから言われたものだった。
たった一度の目前の勝利を望み。
とこよ全ての勝利に願った。
ウマ娘になれば、必然と生まれてくる欲求。
なんだ。
やっぱり私。
「――全力じゃなかったんだ」
「ようやく気付いたか」
オグリの声が掛かれば、まず先に自分の体の違和感を覚えた。
走りにくいや、痛いなどといったものじゃなくて。
どうしてか、息がしやすいのだ。
どうしてか、足が軽いのだ。
どうしてか、気分が健やかなのだ。
「レリーフ。私は待ってたよ」
何を。なんてことは言わない。
きっと、私は理解してるから。
ようやくなんだ。
トレーナーでもなく、自分でもなく。
友に気づかされたのだ。
「なんか、待たせちゃったみたいだけど」
――覚醒を。
『そして第三コーナーを曲がった先先頭からミホノブルボン、並んでライスシャワー、半バ身遅れてダイワスカーレット。二馬身遅れてトウカイテイオー後ろにメジロマックイーン。それに並ぶようにマヤノトップガン。そして少し遅れてスペシャルウィーク、ナリタブライアン、エルコンドルパサーが並びまして――』
実況の声が聞こえてきて、瞬時に頭の中でレースが把握できた。
少し縦長みたいだな。
どこから出れば前に出れるか。
それを自然と考えられるほどには、私の脳内は安定した。
「……きっと今なら見せて上げれるよ、トレーナー」
聞こえもしないだろう。
小言の独り言染みた言葉を溢せば、トレーナーの方を見る。
観客席のところには先頭の位置にトレーナーがいた。きっとスぺのところの沖野トレーナーに場所を取ってもらっていたのだろう。
遅れて言ったはずのトレーナーが、最前列で見ていたのだ。
やめてくれよ。そんな期待の込めた目で見てくるのは。
大丈夫だよ。もう、勝てるから。
「オグリ。ようやく久々の競争ができるね」
「あぁ。この日を待った。あの時から」
またあの時と同じ細めた目で私を見て、そして微笑んだ。
――楽しもう
と。
『おぉっと! ここでオグリキャップとプライドレリーフが抜け出してきたっ。かかっているのでしょうか?』
『いいえ。きっと、勝負を掛けに行ったのでしょう。これから、一気に展開が動きそうですね』
足を軽く踏み込んでみれば、すぐさま速度を上げて走る私の体。
先ほどまで全力と言っていたはずの体が、軽く走り抜けていくのだ。
とっても楽しいっ。
そう思って横を見てみれば、そこには私と同じように笑っているオグリが。
先ほどまでの私の全力は、まるでジョギングとでも言いたげな加速に、若干腹立たしいが、それもいいだろう。
だって、今のオグリが笑顔だから。
「……ひっさびさに全身全霊かな?」
「私相手に手を抜いて勝てると思っていたの?」
「全然。ただ全力じゃここにいる誰一人にも勝てそうにはないからね」
周りを見てみれば、実況の声で把握していたのだろう。
私を生かしも殺しもしないといった具合で保っていたレース進行が、今度はまるで私たちを抑えようとしているかのようにみんな加速しだしたのだ。
私のスピードには付き合えないといったネイチャでさえ、速度を上げてきているのだ。
末恐ろしい、なんて言葉じゃ片付かない。
だからこそ全身全霊なのだ。
泥臭くなっても、たまにはいいでしょ。
「ねぇオグリ。もしもこのレース、私が勝ったらまた友達に戻ってくれる?」
「おかしな話だ。もとから私とレリーフは友達だ」
「そうだったね」
まるでオグリに見送られるように。
――怪物から逃げてやる。
走り出した――。