魔法を構成する第一は魔力であるが、万人が(多寡や放出可能性はさておき)魔力を持ち剰え魔導エネルギーの安定生産と貯蔵が叶う現在、魔法士に求められるのは専らイマジネーションの方である。ロイヤルソード・アカデミーにせよ薔薇の王国のベルタワー・スクール・オブ・ウィッチクラフトにせよ、あるいは凡百の魔法士養成校にせよ、芸術科目を必修としないものはまずないと言っていい。
ここナイトレイブン・カレッジにおいても、魔法士の卵たちは美術と音楽のどちらか──望めば両方──を学ぶことが義務づけられている。ポムフィオーレやディアソムニアの多くは美術を学び、オクタヴィネルやスカラビアの多くは音楽を選ぶ。イグニハイドとポムフィオーレ、それに幾らかのサバナクロー生から工芸の授業を求める声が止んだことはないが、悲しいかな選択必修科目群C1が三つに増えたことは一度も無い。
エペル・フェルミエは大方のポムフィオーレ生のように美術の授業を選んだ。音楽にも美術にもこれっぽっちも興味が湧かないので、せめても
ハーツラビュル寮の一年生、デュース・スペードも同じ様な事情だった。彼は楽器が一つも弾けない上に、歌もさほど好きなわけではなかったので美術を選んだ。
彼らの友人、オルト・シュラウドは必ずしも芸術の授業に出席する必要があるわけではなかった。学籍を共有する兄は二年前に美術の授業に最低限ながら出席して単位を得ている。ただ、オルトが出席する意義のある授業、というものは少ない。兄の時間割が空きコマや魔法史や魔導工学のような出るまでもないもの、あるいは飛行術のように代替機能があって完璧な場合などには彼は別の、時には他学年の授業に混ざることがあった。特に芸術のクラスはインプットした情報をそのまま出力するのではいけない。オルトにとって一番必要な勉強だと、少なくとも彼自身は思っている。
「エペル、オルト」
ところでデュース・スペードはチャイムが鳴ってもまだ悩んでいた。他でもない、美術Ⅰ(1-A、1-B合同)の課題のことだ。ポムフィオーレOBの美術教師からは「『美しき女王』をテーマに自由に制作せよ」と言われたものの、薔薇の王国出身かつハーツラビュル寮生であるデュースにしてみれば
「どうしたの、デュースクン」
「課題どうするか悩んでて……自分で考えようとは思うんだけど、向いてないのも分かるし……参考に聞きたいんだが、何か思いついてることあるか?」
心底困ったというようにそう言う友人に、エペル・フェルミエは首を傾げたまま答えた。
「僕は……《美しき女王》って言ったら林檎のイメージが強いから、それでなにかやろうかなって思ってる。オルトクンは?」
《美しき女王》が、特定の果実──特に自領の特産であった林檎の表面に塗ったときにだけ効果の変わる魔法薬を用いていたことは、よく知られた事実だ。エペルの出身である豊作村も、元々は《美しき女王》の指導で林檎を栽培し始めたという伝承*1があるくらいだ。エペルにとって《美しき女王》と言われれば自寮ポムフィオーレの前に林檎が浮かぶくらい、二つは身近なものだった。
「うーん……あ、在学生の提出した課題は学校側で保管されていて、希望者は閲覧できるみたいだよ」
情報を調べるのは得意だけれど、その中から一つを選び出すための重み付け条件が分からないと、オルトにはどうしようもない。だから参照情報は多い方がいいと、オルトはそう提案した。兄が見せてくれなかった提出課題を見てみたいというのもある。
「え、それってケイト先輩とかのもか?」
そう言ってから、デュースは軽音楽部員であるケイト・ダイヤモンドは音楽選択に違いないと言うことに思い至った。けれど続いてエペルが正副寮長の名前を出したので、そこのところは突っ込まれないで済んだ。
「うん、管理は年度別だからレオナ・キングスカラーさんの作品が見たかったら個別になるけど、ヴィル・シェーンハイトさんとルーク・ハントさんの作品は一緒に見ることができるはず」
それから、イデア・シュラウドのものも。オルトが言わなかった続きを正確に理解したエペルは微笑んで、それなら二年前のものを見せて貰おう、と言った。
誘おうかという声も(主にオルトから)あったものの、音楽選択者であるエース・トラッポラとジャック・ハウルの参加は見送られた。ジャックはともかくエースは散々揶揄うのが目に見えているから、というのがデュースの主張だ。その代わりと言っては何だが、オルトのすぐ傍にはタブレット端末が浮かんでいた。
「わ、すごい」
さすがは魔法士養成校と言うべきか、その場所は保管庫、と呼ぶには広々としている。ずらりと並んだ棚には作品が、保存魔法を掛けられて置かれている。
「今の三年は大体この部屋。出席番号順。ヴィル氏もルーク氏も、美術取ってたか知らないけどケイト氏とトレイ氏も留年なんかしてないからこの部屋にあるはずだよ。好きに見て回れば。ああ、あと当時のクラスはオルトが知ってる」
そう一息に言ったのは宙に浮かぶ三角髑髏印のタブレット端末──イデア・シュラウドだ。誰が部屋に入ったのかは記録されていると言ったところで、この学校の生徒が聞くはずもない。提出後の課題をめちゃくちゃにする事件が複数回あったことから、成績を付け終わっている場合でも保管庫に入るときには教員、各寮正副寮長のいずれかを伴わなうことになっている。と言っても一年生用の区画ではないので実兄かつ端末越しなんて道理も通ったのだが。
エペル・フェルミエは、林檎の描かれた絵を探していた。けれど《美しき女王》の描かれた絵に出てくるものは、一番まともなものでも林檎だと分かるだけで、ちっとも美味しそうでなかった。酷いものなどただの赤い丸で、林檎だと言われれば頷けなくもないけれど、それよりボールだと言われる方が納得できるような代物だった。赤くないものはもっと酷い。見るからに毒々しい紫色のもの、酸を掛けられたように溶けたもの、クッキー、ジャム、ケーキ、香水瓶。エペルにも、これが自分の造りたいものでないことはよく分かった。
「エペル!ヴィル先輩のあったぞ」
デュース・スペードの上げる声を棚二つ向こうで聞き、慌ててそちらへ向かう。ヴィル寮長の絵に林檎が描いてあるとは限らないけれど、あの人なら絵の細部まで手を抜きはしないだろう。
作品のすぐそばにはタイトルと製作者名、それにクラスと番号の書かれた小さなボードが置かれている。ヴィル・シェーンハイト作の「
「それがヴィル・シェーンハイトさんの作品?」
「ああ。そうみたいだ」
デュースが指を指した先には、真っ暗な鏡があった。黒の上に青と黄色と紫と赤と緑と茶色ともう一回青を乾かないうちに塗り重ねて黒で覆った、偏執的なくらいに塗りつぶされた「なんでもあり」の暗闇。ありとあらゆる絵の具を重ねて作られた影の鏡面を、オルト・シュラウドの目はまず捉えた。絵の中でそれが一番広い面積を占めていたからだ。
暗い部屋、真っ暗な鏡。その前に佇む女の肌と夜着の青白さだけが浮き上がって、月光のようだとエペルは思った。
「さすがにポムの寮長は素直に《美しき女王》で出してきましたか」
タブレットから発された言葉に、デュース・スペードは頷いた。後ろ姿の女性と、その向こうにある鏡。部屋が暗いのか鏡像を見ることは叶わないが、それはデュースでさえ知っている、《美しき女王》の絵姿だ。
「あれ、でもどうして《美しき女王》の絵って後ろ向いてるんです?ヴィル先輩以外のもそう言うの多かったんですけど」
「ああ……それについては《女王》存命時から続くくだらない伝統がありましてな」
「というわけでメインストリートの銅像は例外中の例外なんすわ」
てかこの話美術の授業で聞かなかった?と言われたデュースは必死に記憶を浚ったが、「そうかもしれない」以上の記憶を引き出すことは叶わなかった。そもそも「美」と「女王」の二単語が繋がらないのが、そもそもの問題かもしれなかった。デュース・スペードにとって美しさとは、マジカルホイールの流線型を指す。
トレイ・クローバー作「赤の女王」は、タイトル通りに赤色の鮮烈な絵だった。A4サイズの画用紙を見れば、普通はまず床まで広がる深紅のドレスと、それをぎゅっと絞める黒のコルセットが目に入ることだろう。
イデア・シュラウドは映像越しにその絵を見て、かなり意外に思った。コルセットは黒一色かと思いきや、釦や紐が丁寧に書き込まれており、ボードの名前がなければ作者は服飾に興味があるのだろうとさえ思わせた。
「トレイ氏、こんな細かいとこまで凝る人だったんすな……」
自分で考えたなら相当だし、もしかしたらネットや書籍の資料をそのまま持ってきたのかもしれない。オルトなら分かるだろうけど、わざわざ調べて貰うほどではない。いずれにしても
「先輩、なんか言いました?」
「いや、なんでも。これ画材何?絵の具と……色鉛筆?」
薄く灰色に塗られた背景に、女が立っている。胸から上は殆ど影になって見えないが、金の冠だけが暗闇の中から覗いていた。ドレスは裾を引きずる長いもので、まるで血塗れの床から吸い上げたように赤はコルセットのすぐ上辺りで尽きている。
ドレスの赤は
「『美しき』女王、か……」
デュースは呟いた。《赤の女王》と言えば通常、ハートの女王に倣おうとして失敗したことで悪名高い薔薇の王国のある女君主を指す。《断頭王女》の二つ名通りの政策を進めたというだけで、その失敗は理解に易いだろう。けれど彼女は、美貌で有名な女性でもあった。コルセットに矯正された腰は細く、肌は青白く、長い金の髪は艶やかで、されど唇は血よりもなお赤く。首都の広場に血の海を作ってもまだ縁談が止まなかったほどに。「美しき女王」ではあったのだ。
イデア・シュラウドはなんとかして「岐路に立つ少女」を見られまいと思った。いや、オルト・シュラウドに見られる分にはまだいいのだ。けれど他寮生に見られるのは勘弁願いたい。なのでなんとかしてその棚以外に二人を誘導しようとして、だけれどそういったことに特段慣れているでもないイデアのこと、見事に失敗した。幸いなのはエペルとデュースはジェイド・リーチやエース・トラッポラのように先輩だろうと構わず積極的に揶揄ってくるタイプではないことか。
「《美しき女王》……ではないですよね、これ」
エペル・フェルミエがそう言うと、イデアが何か言う前にオルトが答えた。いや、答えたのとは違うかもしれない。
「『岐路』『少女』『女王』で検索を開始します……『嘆きの島』を追加……一致する情報があります。最も可能性が高いのは『女神ヘカテー』です」
そう結論づけた弟が「どう、兄さん。合ってる?」とばかりの顔をするので、イデアは観念して肯定した。ソシャゲのキャラに寄せなくてよかった。
「シュラウド先輩、それって嘆きの島の神様かなんかですか?」
デュース・スペードは薔薇の王国の出身で、強いていうならば統一教会系の信仰を持つ。と言っても本当に「強いていうなら」の話で、教会にも神の奇跡にも縁遠い。エペルは周囲に信心深い者も多く、デュースよりは詳しいが、それにしたところで統一教会であることに変わりは無い。精々が聖典の内容を幾らか諳んじることができるくらいだ。
「ああ、うん。月と魔術の女神様で、《死者の国の王》の部下……みたいなもの、かな」
四つ辻に立つヘカテー。少女、成人女性、老婆の三つの姿を持つとされる月女神にして魔術師の守護者。天界山の麓*2、特に
そのように説明するイデアがずいぶん楽しそうなので、エペルは意外に思った。古い信仰を、イグニハイドの生徒は嫌っているような印象があったからだ。けれどこのA4の上質紙にプリントアウトされたデジタル絵を宗教画と見れば、熱心な信徒のような姿も納得はいく。
月明かりすらもない夜の辻路。少女の髪は長く艶やかな濃緑、不透明度の下げられたヴェールの向こうには蝕月の赤。上衣の下から覗くワンピースは夕と夜の境を切り取ったような紫のグラデーション。夜の空同様に黒紫にちかちかとラメの輝きの混ざるヴェールで目元を覆い、黒いリップの少女が立っている。
たっぷりとドレープのついた生成りの上衣と夜空の星の輝きのような白い肌に、エペルは石膏の像を連想した。翼持つ
「ラヴェンナ」と題された絵を見つけたのは、オルト・シュラウドだった。それは緑褐色と黒の二色刷版画で、ルーク・ハントの作品だった。変色した丸ごとの心臓(オルト・シュラウドの持つ知識はそれが豚、ないしその近縁種のものだと告げた)が平皿に乗せられ、黒いソースが掛けられている。
「よくやるよ、よりによってポムフィオーレ生がさ」
イデアの呟きはマイクにほとんど拾われず、高性能の集音機能を持つオルトだけがそれを聞き遂げた。
《毒心臓のラヴェンナ》は、《美しき女王》の別称とも言われる。蔑称だと言っていい。似たような伝承からの汚染にすぎないと言う者もいるし、同一人物だと言う者もいる。
ロイヤルソード・アカデミーではよく知られた歴史だ。義理の娘の美貌に嫉妬し追放したばかりか、城抱えの猟師に追わせて心肺を取らせる。それがすり替えられた偽物と知るや抹殺を試み、その内には林檎にだけ反応する毒を用いた毒殺も含まれる。この毒の利用から、《美しき女王》と同一人物なのではないかと囁かれ──今のところ正否どちらも決定的な証拠はない。不自然なまでに。
エペルは、じっとその「毒心臓」を眺めた。隅から隅まで。変色しているし心臓丸ままだしこれっぽっちも美味しそうな要素はないそれは、料理の絵としては全く参考にならない。けれどこの絵はびっくりするぐらい「生きて」いた。まったくもって林檎ではないが、その辺りの絵に描かれた林檎より余程、エペルの参考になるような気がした。
弟が木炭画に取り組んでいることを、イデア・シュラウドは当然知っていた。わざわざ
細やかな手指の操作のために
オルトの隣であの一年生が取り組んでいただろう作品は、驚いたことに立体だった。本物の林檎をベースに、魔法薬などを駆使して「作品」として提出できるまでに加工してあった。さすがはポムフィオーレ、と言うべきか。「あなたの心臓」と題されたそれは、よっぽどそれしか受け付けなくてお腹の空いているときでもなければ果物など食べないイデアの目からしてもまだ美味しそうに見えた。それで誘惑薬の類を使っていないのだから驚きだ。毒入りでも構わないくらいに美味しそうな林檎、なるほど《美しき女王》が扱うに相応しいものと言える。
デュース・スペードに公衆の面前で頭を下げられて、仕方なしに机上の空論でしかないマジカルホイールのデザインを描いたのは他でもないイデア・シュラウドだった。デザインだけなので真っ当な範囲の出力に抑えることはできるとはいえ、イデアの想定するエンジンその他を積み込んだ場合、あれにまともな人間が乗ったら最高速に達する前に死ぬ。
「ロードレース・クイーン」と題された貼り絵を(タブレットの通信越しに)見たとき、イデアは思わず笑い出してしまった。イデアがデザインしたマジカルホイール(のマイナーチェンジ版)がレースの曲線を曲がるところだった。デュース・スペードにとっての美しさはマジカルホイールの車体が風を切るところで、デュース・スペードにとっての女王とはレースを制した機体を指すらしい。まあそれもまた一つの解釈だろう。
懐かしいなあ、とイデアは思う。去年も、二年前だって、オルトは同じテーマで作品を作っている。一昨年のそれはネットに上がっている著名な《美しき女王》の絵画を切り貼りしたものにすぎず、教師に提出する前にイデアが止めた。去年はオルトなりの解釈が現れていたが、それでもモデルがあからさまだったから「本当なら追加課題の一つも出そうか迷うところだが」という言葉と共に受け取られた。
でも、今年は。「満月」はオルトの作品だ。他の誰でもなくて、オルトだけの。類似画像検索にかけてみたから間違いない。そうやってあの子は一つずつ、自分を獲得していく。イデアの弟、オルト・シュラウドの記憶データだけでなくて、自分で決めた学習内容を積み重ねていく。新月が満ちるように、満月が欠けるように、冬が終わるように。
そしてきっといつか、イデアの知らないオルトになる。