あの一件以来、僕たちの関係性は少し変わった。……変わってしまった。
ノアは「僕を婿にする」と公言し、広場の子供たちからよくはやし立てられるようになった。だけど彼女はむしろ誇らしいようで、その勢いで僕にアピールをしてくる。
まあ、言動そのものは今までのノアとほとんど変わってないので、僕からの扱いをそこまで変えないで済んだのは助かった。彼女の単純さに助けられたとも言える。
どちらかというと、困ったのはユニちゃんの方だ。以前にもまして僕にべったりになり、ノアに威嚇するようになってしまったのだ。
僕の何が彼女の琴線に触れたのかはわからないままだけど、ともかく彼女にとって僕は「だいすきなおねえちゃん」という認識であることは理解した。……僕が男であることは、さすがにわかっていると思う。
だから、積極的にアタック(というにはズレがあるような気がするけど)してくるノアのことを「おねえちゃんをとるひと」として警戒しているのだろう。
ただし、ノアの人柄の良さはユニちゃんも理解しているので、僕が間を取り持てば以前どおりの関係に戻る。一時的に、という但し書きはつくけど。
そんな感じで、変化はあったものの少しで済んだのは、運が良かったと思ってる。あるいは、ノアとユニちゃんの性格が良かった。
大きく変わったのは、僕の家庭環境だ。あの件の数日後、お母さんの妊娠が発覚した。
元々夫婦仲はよかったんだし、いつかはそうなってもおかしくなかった。近所の人たちもお祝いしてくれて、喜ばしい報告だったと思う。
僕自身としては、これから兄になるんだという緊張と、お母さんの分の家事をお父さんと分担して担う責任感で、少し固くなっていた。
もしかしたらノアが僕に構ったのは、そんな僕を解す意図もあったのかもしれない。もちろん、前述の理由もあるだろうけど。
いろんな意味で、ノアには助けられた。もちろん、ユニちゃん含め、村の皆にも。農村の助け合いというものだ。
そうやって日々を過ごし、暑い時期を乗り越え、実りの季節を迎えた。収穫祭で、お酒を飲んでしまったらしいノアに引っ付かれたり、なぜかユニちゃんのご両親からお世話を任されたりと、大変なこともあった。
それを楽しいと感じている僕もいて……当分引きこもりには戻れそうにないなぁと、前向きに諦めていた。
雪が溶け始めるころ、妹が生まれた。ルフィーナと名付けられた彼女はルフの愛称で呼ばれ、僕の家族だけでなく、ノアとユニちゃんにもかわいがられた。
ユニちゃんにとっては、子供広場では最年少組ということもあって、初めての年下の子だ。僕の妹というよりも、ユニちゃんの妹と言った方がしっくりくる感じがした。
……というか、ルフのお世話をするのにユニちゃんが八面六臂の大活躍を見せたのだ。おしめの交換も寝かしつけるのも、僕よりよっぽど上手かった。そこらへん、さすがは女の子と思ったほどだ。
ちなみにノアはいろいろと雑なので、妹の世話を任せるわけにはいかなかった。彼女に比べれば僕の方がマシだった。ノアにも弟がいて、赤ちゃんの世話は経験があるはずなんだけどなぁ……。
さすがに夜泣きについてはお母さんが対応するしかなかったけど、突然起こされて大変なのに落ち着いてお乳をあげるところは、やっぱり母親が一番必要なんだなと強く感じた。
何せ、お父さんはルフを溺愛するだけだったから。僕への愛情もお母さんとの仲の良さも変わらなかったから、暑苦しさは何倍にもなった。それがお父さんの良さなんだろうけどね。
僕の役割に子守が加わり、大変だけど充実した日々は過ぎて行った。10歳の誕生日に知った「聖女の力」のことなんて、調べる余裕はなかった。
僕自身、調べる気もなかった。農村の民として生きていく上で、大それた力は不要だ。僕に必要なのは、家事をこなす力と、畑仕事をする力、それとルフの面倒を見る力ぐらいだ。
だから、僕と両親、ノアとユニちゃん。大きくなればルフにも話すことになるだろう。
この少人数だけが知っている未確認の力は、僕の一生とともに眠り続けるだけだろう。
……そう、思ってたんだけどなぁ。
「アルバ殿に、王立学院への入学要請が発令されました」
ルフが一歳の誕生日を迎えて少しした頃、代官様が村にやってきた。徴税の時期ではなく、村はにわかに騒がしくなった。
村長に案内されて我が家を訪れた彼は、あわてるお父さんに「息子殿に話がある」と説明し……対面した僕にこう告げた。
ただでさえ代官様という身分違いの方(領主様よりは下とはいえ貴族、農民とは比較にもならない)との対談でいっぱいいっぱいなのに、意味不明なことを言われて理解できる余裕は残っていない。
「アルバ殿は、王立学院についてご存じかな?」
「は、はい! 本で読んだ程度の知識ではありますが……」
王立学院とは読んで字のごとく、国のトップの人が命令して設立した、指導者を育てるための学び舎だ。
ここに入学するのは、領主様の後継者であったり、国を魔物から守護する騎士や魔法使いの見習い、平たく言って「選ばれた人たち」だ。
僕の認識を、代官様は訂正する。
「少し違いますね。王立学院自体は、学ぶ意志を持つ者すべてに門を開いております。ただ学費等の関係もあって貴族御用達になっている、というのが実態です」
「そ、そうだったんですか……」
それなら僕でも入学できるということにはなるが、理由にはならない。なぜなら僕はこの村で生きていきたいと思っていて、学院が求めるであろう「学ぶ意志」は持っていない。本から得る知識で僕は満たされている。
ますますもって、代官様のお題目の意味が分からない。僕の知識不足をくみ取ってなのか、代官様は追加の説明を行う。
「もう一つ、王立学院への入学方法があります。この場合費用は国等が負担するため、貧しい商人や農民であっても入学が可能です。国王からの入学要請です」
「っっっ、こ、これって、国王様からのご命令なんですか!?」
代官様はこくりと頷いてから、「要請であり命令ではありませんよ」と訂正をした。一応、拒否することは可能であるとのことだ。
……でも国王様からの要請を拒否するって、後々に響くのでは。実質命令だよね、これ。
ガチガチに固まって言葉が出なくなってしまう。黙っていられなかったか、お父さんが前に出る。
「ま、待ってください! そんな、いきなり国王様からのご要請と言われても、わけがわかりません!」
「農民の身で差し出がましい発言ではございますが、こちらが納得できるご説明をいただけるのでしょうか」
お母さんも、僕を守るように抱きしめる。両親の愛情で、少し僕も余裕を取り戻すことができた。
「もちろんですとも」と、代官様は気を悪くした様子もなく、事の経緯を話し始めた。
「最初に報告が上がってきたのは、行商人からです。「この農村で魔法関係の本が売れた」と。誤解される前に説明しますが、これ自体は珍しいことではありません。農民だろうと、魔法に興味を持つ者はいますからな」
実際に魔法を使えるのは、世界でもごく一握りの人たちだそうだ。もちろんこの村に魔法の使い手は存在しないし、僕も使えない。
それでも魔法に憧れ、せめて教本や逸話だけでもと求める者は、農民都市民問わず少なくないという。
「それと合わせて奇妙な報告が一件あったのです。二年前の魔物襲撃の際、「わき目も振らず逃げるおかしなブラッドウルフがいた」。この村の警護に当たった者からの報告です」
「っ」
思わず息をのむ。間違いなく、僕が殴り飛ばしたあのブラッドウルフだ。あれの逃げた先に、目撃者がいたのだ。
表情に出てしまっただろうか。僕は大丈夫だったとしても、お父さんとお母さんは? ……抱きしめられていて、様子が見えない。
代官様は一拍おき、説明を続けた。
「村に侵入した魔物が撃退されただけという可能性もありますが、それはそれで希少な戦力を眠らせているということになる。領主様は調査の命令を言い渡されました」
背中に氷を入れられたような冷たさを感じ、カタリと震える。僕は、事を小さく考えすぎていたのだ。
領主様は、多少の違和感も見逃さなかった。この農村が豊かな生活を行えている時点で名君に違いないのだから、考えて然るべきことじゃないか。
「失礼ながら、旅人に扮した調査員をこの村に派遣させていただきました。「作付に適しており、住民も朗らかで不自然な点はない」との報告を受けております」
「おかげで調査は難航しました」と彼は続ける。それでも、二年かけて、彼らはたどり着いたのだ。
「昨年の秋の終わり頃に、ようやくいつもと違う報告を得られました。「頭の良い子供が一人いて、彼の言うことならば小さな子供でも理解する。不思議な男の子だ」と。……あなたのことですね、アルバ殿」
「……お母さん、もう大丈夫。そうだと、思います」
「アルバ!?」
お父さんが僕を止めようとするが、首を横に振る。隠しても、貴族に反逆する結果になるだけで何もいいことはない。正直に話した方がいい。
お父さんは悔しそうに床を殴った。それでも代官様が気を悪くした様子はなかった。
「変わったご両親ですな。普通、息子が王立学院への入学が許可されたとなれば、喜ばれるものなのですが」
「その、お父さ……父は子離れができない人なので。僕と離れるのが嫌なんだと思います」
「ほう。なるほど、それはそれで素晴らしいご両親ですな」
代官様は表情を緩めた。僕の緊張を解そうとしてくれているのだろう。だけど、僕は緊張を緩めなかった。
大げさかもしれないけど、これは僕にとっての戦いなんだ。
「報告に間違いはないようですな。農村の子供とは思えないほどに聡明だ」
「お恥ずかしながら、引きこもって本ばかり読んでいました。その影響でしょう」
「知識を得ることは力を得ると同義。何も恥ずべきことではありますまい。……して、詳細を尋ねても?」
「……わかりました。隠さず、お話します」
そうして僕は、二年間、5人だけの秘密だった事実を、代官様に打ち明けた。
僕の話を聞き終わり、代官様は目を丸くした。
「……なんと、これは想像以上だ。あなたは御神託を受けたのですね」
「御神託……? 夢に出てきた方は「神ではない」とはっきりおっしゃっていましたが」
「我々が便宜上そう呼んでいるだけです。稀に、固有の力を持つ者に対して夢を介して説明が行われることがあるのです」
僕は知らなかったが、魔法ですらない個人に依存する力というのが、この世界には存在しているらしい。
そういった力は、本人が気付かないことが多いためか、「力そのもの」の方から語りかけてくるのだそうだ。
……あれは、多分そういうものじゃなかった。力については話したけど、「世界の運営意志」については黙っておいた方がよさそうだ。
「しかし、なるほど。あなた自身把握できていない力となれば、見つけ出すのも苦労するわけですな」
「……報告しないで、申し訳ありませんでした。僕は、この村で生きていくには必要ない力だとしか思ってませんでした」
「気にすることはありません。あなたの判断は間違いではないし、我々が勝手に蓋をあけてしまっただけのことです」
さすがにばつが悪かったのか、代官様は苦笑した。話をしていて気付いたけれど、領主様だけでなく、この人も人格者だ。僕たちのことを慮ってくれている。
ただ、今回は報告が国王様の耳にまで届いてしまっている。そのために、彼も動かざるを得なかったのだ。
代官様は咳払いを一つして空気を戻す。
「私見も入りますが、アルバ殿は要請を受けるべきでしょう。自身の力がわかっていないというのは、安全とは言い難い。学院は調査の助けになりましょう」
王命だから従っていることも事実だろう。それでもこの人が僕に寄り添った意見を言ってくれていることも間違いではない。
僕自身は過小評価していたかもしれないけど、現実に影響を及ぼし得る力ではあるのだ。少なくとも、領主様が動く事態になる程度には。
もしこの力が、僕たちが考えているよりも大きな力だったとして――それを意図せず発揮したとして、大事故につながらないと言い切れるだろうか。
僕の感情は、この村で過ごしたいと言っている。だけど理性は……だからこそ離れろと警告する。
代官様は答えを待つ。お父さんは諦め、お母さんは覚悟を決め、僕を見守る。
僕は……、……首を、縦に振ることができない……。
「おれも行く!」
我が家の戸が乱暴に開かれる。最近すっかり女らしい体つきになった友人が、仁王立ちしていた。
「ノア! いつから……」
「最初から全部聞いてた! ユニもいるぞ! っていうか近所の連中全員だ!」
見れば、ノアの横に幼女から少女に成長したユニちゃんもいるし、後ろには近所のおじさんおばさん、子供たちまで勢ぞろいだ。
突然の出来事にさすがの代官様も固まっていると、彼女はずかずかと歩み寄ってきた。鼻がくっつくぐらいの距離まで。
「ちょ、ノア……」
「お前ひとりじゃ決められないなら、おれも一緒に決めてやる。一緒に、お前の力を解き明かしてやる」
力強く、宣言するように、僕に告げる少女。「お前は決してひとりじゃない」と。
「おれがわかったんだ。お前だってわかってんだろ。学院とやらに行くべきだって」
「それは、そうれかもしれないけど……、そもそもどうやって君が入るのさ。この村に、学費を払える家はないよ」
「ふむ……そういうことなら私が力になれますな。よろしい、領主様にかけあって、アルバ殿の補助枠を作っていただきましょう」
代官様!? なに言ってるんですか!?
「そ、それに、ルフがまだ小さいし……」
「ルフちゃんのことはわたしに任せて! アルバおねえちゃんよりも、お世話上手なんだから!」
ユニちゃん!? 君もか!
「俺たちも応援するぞ、アルバ!」
「村から王立学院に入学できる人が出るなんて、めでたいものねぇ」
「おじさんとおばさんが寂しくないように、おいらたちも手伝うよ!」
近所の方々の声援。当事者でない彼らのやる気に、僕の方が押しつぶされそうだ。
……彼らは、純粋に僕の身を案じてくれている。だから、僕が不安を感じないで、正しい選択ができるように、背中を押してくれている。
コンと、僕の胸板にノアの拳が当てられた。
「お前は、おれの婿にするんだからな。支えてやるのが嫁の仕事だ」
「ほっほっほ、心強い婚約者殿ですな。これで尻込みをしていては、男が廃るのでは?」
「……この子が勝手に言ってるだけですよ。ノアを嫁にしたら、尻に敷かれそうで恐ろしくてたまらない」
「なにおう!?」と怒ってみせるノア。……ありがとう、僕の大切なともだち。
代官様の言うとおりだ。これだけの勇気をもらって前に進めないようでは、男が廃る。力が「聖女」だったとしても、僕は「男」なのだから。
「謹んでお受けいたします。ノアールの件、よろしくお願いします」
「了解いただき感謝します。王命を果たすためです、必ずや通りましょう」
こうして僕は、12年生まれ育った村を離れることになったのだ。
ちなみにノアは、勝手に王都行きを決めたことで家族とケンカになったそうだ。
村から王都までは、馬車で5日もかかる。そのため、今回は王都から「飛竜便」なるものが派遣された。
一応、竜という動物については図鑑で見たことがある。爬虫類の一種で、例外なく巨体を持つ。「トカゲの王様」なんていう、すごいんだかすごくないんだかよくわからない異名を持っている。
ただし生息域がとても限られていて、それもほとんどが人が住むには適さない環境であるため、僕らのような農民がお目にかかることはまずない。
だから、僕たちの出立の日に子供広場に降り立った飛竜便は、多くの見物人を集めた。
トカゲというにはいかつい姿の飛翔生物の背に固定された籠から、正装の紳士が広場に降りた。彼は、旅の荷物を背負った僕とノアを見つけて、一礼した。
「アルバ様、ノアール様ですね。ご案内を任されました王宮付騎竜師のシエルと申します。短い間ですが、お見知りおきを」
一挙一動すべてが洗練されており、思わず見とれてしまうものだった。彼も貴族なのだろうか。
呆けていたのはほんの一瞬で、僕はあわてて頭を下げた。
「ア、アルバです! よろしくお願いします!」
「お、おう! ノアールだ! じゃなかった、です!」
いつもの調子が出そうだったノアに対し、肘で突っ込みを入れて訂正させる。
領主様にわざわざ枠を取ってもらったのに、失礼なことはさせられないので、数日みっちり礼儀作法を叩きこんだ。この様子でわかる通り、残念ながら定着はしなかったけど。
カチンコチンになってる僕たちの緊張を解すためか、シエル様……さん?は微笑んでみせた。
「本日移動をお手伝いする飛竜のランディは、とてもおとなしくて利口です。王都まで快適な旅をお約束致します」
「は、はい! お気遣いいただき、恐縮です!」
それで緊張が解けるなら苦労はしないけど。王都に出発する前からこんなので、僕たちは大丈夫なんだろうか……。
シエルさんは、僕たちと村の皆の別れの時間を待ってくれた。
ガキ大将だったノアは、彼女を慕う子供たちから別れを惜しまれた。中には「ずっと好きでした!」と告白をし、「おれの婿はアルだ!」とフられる者もいたり。
人気者だなぁと、自然と笑みが浮かんだ。
「アルバおねえちゃん……」
僕の決意を手助けしてくれたユニちゃんは、やっぱり離れるのは寂しいようで、小さい頃のように僕の服の裾をつかんだ。
僕も、彼女がまだおままごとで遊んでいたころのように、しゃがんで目線を合わせる。頭を撫でてあげる。
「僕を勇気づけてくれてありがとう。大丈夫。学院には長期休暇があるんだって。そのときには、絶対に戻ってくるから」
「うん、約束だからね……!」
「約束だ。ルフのこと、お願いするね」
彼女がいなければ、僕は決断できなかっただろう。幼すぎる妹を任せられる彼女の存在に、僕は何度も助けられた。
感謝と約束を告げ、僕は立ち上がる。両親が、僕を抱きしめた。
「ごめんなさい、アルバ。お母さんがもう少し慎重だったら、あなたの自由にさせてあげられたのに……」
「お母さんのせいじゃないよ。僕が、不用意に力を使ったから、知るための機会が与えられただけなんだ。いつかが、たまたま今だっただけだよ」
魔法関係の本を大量に仕入れた件で、お母さんはずっと責任を感じていたのかもしれない。
お父さんも、無力を嘆いていた。僕を抱きしめる腕は力強く、涙声も隠せていない。
「ごめんなぁ、アルバ。父さん弱くて、ごめんなぁ……」
「お父さんは強い人だよ。いつも、僕とお母さんとルフを守ってくれる強い人だって、僕は知ってるから」
僕は両親を恨んでなんていない。力を使ったことを、後悔していない。カミサマにだって、ちゃんと感謝している。
お父さんとお母さんを抱きしめ返すことで、感謝を伝える。生んでくれて、育ててくれて、本当にありがとう。
お母さんの腕の中で、小さな妹が無邪気に手を伸ばす。
「うー?」
「ルフ。お父さんとお母さんをよろしくね。……いってきます」
キャッキャとはしゃぐルフの額にキスをし、僕は家族との別れを終えた。
「お二人とも、準備はよろしいですね。それでは、飛竜の籠までご案内致します」
シエルさんの手助けを得て、僕とノアはランディの背中に乗り、籠に入る。
籠の中は騎竜師の席と客席に分かれており、意外と座り心地が良かった。王宮付って言ってたし、本来なら僕たちが乗れるものじゃないんだろうなぁ。お値段おいくら万金貨なんだろう……。
気付きたくもないことに気付き嫌な汗が流れる僕とは対照的に、ノアは「なんだこれ! おれのベッドよりフカフカだ!」とか楽しんでいる。やめてくれよ……。
僕たちが席についたことを確認し、シエルさんは騎竜師席に乗り込み、手綱を引いた。飛竜の出発を告げる、一度の雄叫び。
ランディが羽ばたき、グンと体が沈むような重さを感じる。窓から外を見れば、徐々に地面が遠ざかっていた。
地面では、村の皆が、ユニちゃんが、両親が手を振っていた。ルフも、皆の真似をしているのか手を振っている。
ノアが大きく手を振ることで返し、僕もまた――ノアのように、ただ感情のままに手を振った。
「みんな、行ってきます!」
手綱がピシリと鞭を打ち、飛竜便は飛行を開始した。
村は、すぐに見えなくなってしまった。
ノアに指摘されるまで、僕は気付かなかった。
「アル。お前、何泣いてんだよ」
「……そういうノアだって、人のこと言えないよ」
僕たちは、村を出るまで笑顔でいられただろうか。胸を締め付けられる痛みに、耐えていただろうか。
騎竜席から「ふふふ」とシエルさんの声が聞こえた。視線は、操縦のために前を向いたまま。
「郷愁は恥ずかしいことではありませんよ。それだけ故郷を大切に思っている証拠です。私などは、それを羨ましく思いますよ」
「あの、失礼ですが、シエル様は……」
「シエルで結構ですよ。私は農民の出です。騎竜の腕を見込まれ、今はこのようなことをしておりますが」
もしかしたら、農民である僕たちの事情を考慮して、農民出身の彼が派遣されたのかもしれない。
さらに言えば、彼は僕らの先達でもあった。
「お二人は国王様のご要請を受けて王立学院に入学されるそうですが、実は私は卒業生なのですよ」
「シエルさんも、国王様のご要請で?」
「私のときは領主様のご推薦でした。動物とある程度の意思疎通が取れるオリジン……失礼、固有の能力が見込まれてのことです」
先日代官様から聞いた「固有の能力」は、オリジンという俗称を持っている。一般化するにはあまりに数が少なく、性質も十人十色であるため、学問にはならず正式名称もない。そのための俗称だ。
さらに言うなら、オリジン持ちに出会うこと自体、普通ならば機会がないため、この言葉は能力を持つ者とその周辺、貴族の間ぐらいでしか通じないそうだ。
シエルさんが言い直したのは、オリジンでは通じないと思ったからだろう。彼は、僕たちの事情を詳しくは知らされていないみたいだ。
「能力のせいか、村の性質だったのか、私は生まれた農村で馴染めず、領主様に見出していただけなければ、どうなっていたことか」
「その、大変だったんですね……」
「っと、失礼しました。お客様にするようなお話ではありませんでしたね」
「んなかしこまるこたねーだろ。要するに、おれらもあんたも農民なんだ。普通に話そうぜ」
シエルさんが農民出身と聞いて、すっかり緊張が解けた様子のノア。ざっくばらんな物言いに、僕は叱責する。
「ノア、シエルさんはあくまで「元」農民なんだ。今の身分は、僕たちよりずっと上なんだよ」
「あはは、気にしないでください、アルバ様。いえ、アルバさん。私も、与えられた身分に馴染めていない「変わり者」ですから」
「本人がこう言ってんだから、気にする必要ないだろ。気楽に空の旅を楽しもうぜ」
すっかり涙の引っ込んだノア。気付けば、僕も胸を締め付ける痛みはなくなっていた。
……僕は周りの人に助けられてばかりだなぁ。シエルさんのひそかな気遣いに、感謝した。
飛竜便の旅は、空から見える景色を眺めるだけでも飽きることはなかった。
森が流れ、見たこともない石造りの町が現れ、今度は大河が見えてくる。僕の知らない世界が、はるか下方に広がっていた。
「世界って、広かったんだなぁ……」
ノアの言葉がそれを端的に示していた。本当に、それ以外に言葉がない。
騎竜席のシエルさんから解説が入る。
「距離の単位はご存じですか。お二人の故郷の村の大きさが、東西に10km、南北に20kmです。王都までが、直線距離で500kmとなります」
「ごひゃっ……!?」
数字を出されてちんぷんかんぷんのノアとは異なり、僕はしっかりと理解してしまった。地上を行く場合は迂回路などもあるから、もっと長くなるだろう。
そりゃ馬車で5日もかかるわけだ。しかもこれ、相当飛ばして5日だよね。
「王国全土が約2,000km四方、その外側の人類生存圏外となると、どれだけの広さかはわかりかねますね」
「……世界って、広いんですね……」
「おれは逆にわからなくなった! きろめーとるってなんだよ!」
だからあれほど本も読んだ方がいいと言ったのに。頭がクラクラするレベルの数字から逃れるために、まずは1mがどれだけの距離かをノアに教えた。
……数分後、ノアも「世界広すぎィ!?」と目を回した。
500kmの道のりも、障害物のない空なら真っ直ぐ、素早く駆け抜けることができるのだろう。
僕たちの村を出て3時間。シエルさんから声がかかった。
「間もなく王都が見えて参りますよ」
思わず、僕もノアも窓に張り付く。今の高度は雲より高く、その隙間から地上が見えている。
まず見えたのは、一際大きな石造りの建物。かつて絵本で見たそのままの荘厳な王城が、遠くにそびえたっていた。
そしてその裾から広がる、同じく石造りの街並み。これでもかというぐらいの広さであり、僕たちの村が何個入ってしまうだろうか。
特に目を引いたのが、王城よりは小さいけれどそれでも十分な大きさを持つ、しかも周りに一切建物がない広大な敷地を持つ建築物。多分、あれが僕たちが行くことになる……。
「すっげー……なんだよこれ……」
ノアの感想は、あまりの迫力に語彙力が消滅してしまった。正直、僕も言葉にすれば同じぐらいの感想しか出てこないだろう。
思わず息を飲んでしまうほどの、ダイナミックな光景。これもきっと、飛竜便ならではなのだろう。
高度を落としたようで、いつの間にか雲は見えなくなっており、ただ広い城下町が視界いっぱいに広がっていた。
「王都は東西南北50kmのひし形となっています。王城周辺の貴族街はもちろん、城下町には商人や旅人も大勢出入りし、人口は100万人とも言われています」
「……シエルさん、僕たちが大きな数字でびっくりするの、楽しんでませんか?」
「私も通った道ですから」と軽く笑う騎竜師。確かに、この衝撃は実際に目にしないことには実感できないだろう。目にしたら、衝撃を受けない人はいないと思う。
飛竜便そのものは、王都ではそれなりに使われているものみたいだ。道中全く見かけなかったけど、王都上空に入った途端、遠目に空飛ぶ竜の影が見えるようになった。
王都の広さを考えると、それも当然か。目的地間の往復だけで1日を使っているようでは、何の用事も果たせない。
「それでは、これより王宮の飛竜便停留所へ降下を開始します。お席を立たないように」
「……へ?」
王都の威容に飲まれていると、シエルさんから聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がした。
今、「王宮の」って言わなかった?
「ち、ちょっと待ってください! 王宮に行くんですか!?」
「? お二人は国王様のご要請で学院に入学されるんですよね。でしたら、まずは国王様に謁見がございます」
「……うせやろ?」
「事前に説明してくださいよ、代官様ぁ!」
空の向こうに、ウインクしてサムズアップする初老男性の姿が見えた気がした。
果たして、僕らは王宮の飛竜便停留所へたどり着いてしまった。僕たちが今立っているのは、既に王城の敷地内だ。
出発前と同じような綺麗な礼の動作をするシエルさん。
「お二人とも、空の旅は楽しんでいただけたでしょうか」
「……ええ、とても。ほんと、ちょっと前までは」
「マジで王様に会うのかよ……」
目の前には、空から見えた荘厳なお城。飛竜便の速さもあって、3時間前まで村の子供広場にいた僕たちには、状況がワープしすぎてついていけない。
驚きを通り越して灰になりそうな僕たちに、シエルさんは苦笑しつつアドバイスをくれた。
「心配せずとも、国王様はとてもお優しい方です。農民出身のお二人の礼儀作法に無礼だとおっしゃられることは絶対にありません」
「それはとてもありがたい話なんですが、その、それ以前の問題と言いますか……」
「農民出身のあんたならわかるだろ、この感じ……」
「ははは」と笑って言葉を濁すシエルさん。つまり、どうしようもないということか。
クァ~と気の抜けた感じの鳴き声を上げるランディ。動物と意思疎通のできるシエルさんが通訳してくれた。
「がんばれ、だそうです」
「……しょうがねえ、がんばるか。おら、気合い入れろアル!」
バシンと背中を叩かれる。痛みで、飛んでいた感覚が現実に引き戻される。……そうだね、やると決めたのは、僕たちなんだから。
「君が一緒でよかった、よ!」
お返しに背中を叩き返す。ノアも、これで完全にいつも通りだろう。
「ってえな! 強く叩き過ぎだバカ!」
「いつもの分のお返しも兼ねてね。君は僕が男だってことを忘れ過ぎだよ」
「んなわけねえだろ! お前が男じゃなかったら、おれの嫁にしてるぞ!?」
「はは、大丈夫みたいですね。……お二人の今後の幸運をお祈りして、私は失礼させていただきます」
シエルさんはもう一度礼をし、ランディの手綱を引いて歩き出す。彼ももう一鳴きして、ドスンドスンと去って行った。
彼らと入れ替わりで、王城の方から正装の老人が現れた。
「お待ちしておりました、アルバ様、ノアール様。国王様がお待ちです」
「はい。……頼んだよ、ノア」
「おう、任せとけ」
改めて震えが湧いてきたけれど、頼れる幼馴染に勇気をもらい、僕たちは老執事の後を追って、王城の門をくぐった。
短いけどキリがいいのでここまで。
最低でもあと1話はやると思います(そのあとは知らない)