ハリー・ポッターと魔術王の継承者   作:スティグリッツ

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第2話 悪魔の杖

 

 魔法。

 それは決して人々の紡ぐ空想ではなく、現実に存在する。しかしてその実態は御伽噺の通り。杖を振るい、魔力を用いて起こす奇跡そのもの。

 更には、ドラゴンや天馬、ヴァンパイアにウェアウルフなどの一般には空想上の生物とされるものたちも、間違いなく存在しているらしい。

 こうしたモノたちが住み、普通の物理法則とは隔絶した異界常識を備えた世界────魔法界。

 

 そんな与太話をソニアとその両親が信じたのは、実際に家にやってきた魔女が目の前で魔法を行使してみせたからだ。目の前でコーヒーカップやスプーンから手足が生え、マイムマイムを踊り出した時には空いた口が塞がらなかったものだ。

 その老魔女がやってきた目的はソニアへの〝ホグワーツ魔法魔術学校〟の入学案内であった。なんでも、スコットランドにある大変歴史の深い魔法を教える学校だとか。

 

 ────結論から言えば、ソニアはホグワーツへの入学を決意した。

 老魔女曰く、ソニアの周囲で起こる異常な現象は未成年の魔法使いに見られる無意識下での魔法行使によるものだという。魔法学校はそうした力の制御を学ぶための機関でもあるらしい。

 であれば、ソニアが入学を拒む理由など無い。魔法の世界で生きていくにせよ、マグル───非魔法族のこと───として生きるにせよ、今のままではマトモな生活を送れるとは思えないからだ。魔法の制御を学ぶことは必須であると言える。

 両親も困惑はあれど特別反対することは無かった。或いは、厄介な娘を追い出せて精々しているかもしれない。

 

 かくして〝普通〟を軽々と飛び越えてしまったソニアは、ロンドンのとある駅のベンチでボーッと座っていた。

 

 7月31日。ホグワーツに入学するにあたって必要な学用品やら制服やらを買い揃える為、〝ダイアゴン横丁〟に行く予定の日だ

 勿論ソニアはダイアゴン横丁なる場所など行ったことがない。なんなら聞いたことすら無かった。故に引率の先生がそこまで案内してくれる手筈となっていて、待ち合わせの駅前で待っている⋯⋯のだが。

 

「⋯⋯⋯⋯遅いわね」

 

 既に待ち合わせの時間から2時間近くも過ぎようとしていた。しかし、一向に件の先生が来る気配はない。僅かに傾いてきた機嫌を誤魔化すように、ホグワーツからの手紙に視線を移す。

 入学案内には魔法の授業で必要な教材が多数記されている。ローブ、杖、大鍋、フクロウ⋯⋯。なんというか、誰もがイメージする典型的な魔法使いそのものだ。自分がそんな格好をするかと思うと、どうにも想像が湧かなかった。

 

「お? ひょっとしてお前さんがスター⋯⋯⋯スター⋯⋯スターラインか?」

 

 頭上から振り返る嗄れた声に顔を上げ、思わずソニアは息を呑んだ。

 そこには小山のように巨大な大男が立っていた。縦も横もソニアの数倍はあろうかという人間離れした巨漢である。

 間違いない。彼こそあの老魔女が言っていた引率の先生────ハグリッドだろう。並外れた大男、と聞いていたがまさにその通りだ。想像以上の威容にソニアは緊張を滲ませながら口を開けた。

 

「⋯⋯スターリングです。貴方がハグリッド先生ですか?」

「おお、そうとも。待たせて悪かったなぁ。クソッタレのダーズリーどもがあんな辺鄙なとこまで逃げちまったせいでちーっとばかし遅れちまった」

 

 悪びれた様子も無い口調だったが、豪快に笑う大男の姿は自然と愛嬌があって怒りは湧かなかった。

 

「にしてもお前さん、そんな髪長くて前見えるんか?」

「ご心配なく」

 

 冷たくピシャリと言い返す。一方、ハグリッドは気にした様子もなく鷹揚に頷いて「おお、そうか」とだけ返した。

 

「えっと、ハグリッド。そっちの子は?」

 

 そこで初めて、ソニアはハグリッドの影に隠れるように立つ少年の存在に気がついた。

 

「ん? おお、言って無かったか? この子もハリーと同じマグル出身の子で、一緒に必要なもんを買いに行くんだ。同じ学年になるんだから、仲良くするんだぞ」

 

 ハグリッドに摘まれるようにしてソニアの前にその少年が放られる。

 

「あ、その、はじめまして。僕、ハリー・ポッター」

「ソニア・スターリングよ。よろしく」

 

 モゴモゴと吃りながら自己紹介をしたポッター少年は、率直に言って、なんとも見窄らしい風貌をしていた。身長は低く、ひょろっとしていて全体的に肉がない。服はヨレヨレだし、眼鏡は罅だらけだ。オマケに顔色もあまりよろしく無いようにも見える。

 もっとも、ソニアも他人の容姿について偉そうに言えたものではないが。

 

「よーし、じゃあ『漏れ鍋』に向かうぞ。逸れるなよ」

 

 巨体を揺らしながら、ハグリッドが人の波を掻き分けて進む。二人はそれにくっついて歩けば良かったので非常に楽だった。

 

「ねえ、魔法界ってホントにあるのかな。しかも、ここロンドンだよ? 僕まだ信じらんないや」

「さぁ、どうかしら。すぐ分かるんじゃない?」

「そ、そうだね。えっと、ソニアはどこに住んでるの?」

「ロンドンのグリモールド・プレイス」

「そ、そう。僕はリトル・ウインジング。住んでた、っていうか居候みたいな感じだけど⋯⋯」

「そう」

「うん⋯⋯⋯⋯」

 

 二人の会話は長く続かなかった。ハリーは初めて友達になるかもしれない少女に必死に話しかけるのだが、ソニアの興味が無さそうな態度に気圧され、徐々に口を閉ざしてしまった。困ったような顔でハリーがこちらに視線を向けて来るが、ソニアは我関せずとばかりにハグリッドの背だけを見つめていた。

 

 ────別に、ソニアはハリーに嫌悪感を抱いている訳ではない。むしろ、同じような境遇の同種ということで、親近感すら覚えていた。しかし、そうした感情が表に出てこないだけの話。

 

 多くの魔法族の子供と同様に、ソニアは物心つかぬうちから感情の起伏に呼応して魔法を暴走させてきた。だが、不運にも彼女の魔法力は普通の子供とは一線を画するほど潤沢で強力なものであった為に、魔法の暴走も生半可なものでは済まなかった。

 小学校低学年頃は特に酷く、物が壊れたり、地面が捲れ上がるなんてのは日常茶飯事。非常に不思議なことに、翌日には同級生や両親は魔法による破壊現象のことをサッパリと忘れていたが、まるで記憶がすり替えられたかのように───先日家にやってきた先生から聞くところによると、実際に魔法省とやらの役人達が記憶の操作を行っていたらしい────ソニアによる〝癇癪〟として処理されていた。当然、周りからは腫れ物のように扱われ、疎まれるようになったのだが、それがまた彼女の心に波を打たせ、魔法を暴走させる悪循環に陥っていた。

 

 幼いながらに『異常』が自分の感情に起因した現象であることを朧げに察したソニアは、徐々に塞ぎ込むようになってしまった。

 数年経ち、ソニアの分厚い心の壁に阻まれるようにして魔法の暴走は大分収まってきた。余程のことが無い限り、眠っている間以外はポルターガイストじみた現象は起きなくなった。

 しかし、その対価に、ソニアは何に対しても無関心で誰の目にも止まらないような地味で暗い女の子になってしまっていた。外界を拒絶する様に顔をすっぽりと覆う前髪がそれを如実に表している。

 

 つまるところ、彼女はマトモな人との接し方を忘れてしまっているのだ。そんな排他的な雰囲気を感じ取ったのか、ハリーもすっかりと口を閉ざしてハグリッドの後ろをピッタリと着いて歩く。

 

 ハリーにとって非常に居心地の悪い時間は、ハグリッドが小汚いパブの前で立ち止まったことで終わりを迎えた。

 

「ここだ」

 

 一見、今にも潰れてしまいそうなほど薄汚れたちっぽけなパブだ。しかし、ソニアにはそこだけが周囲とは明らかに異質な雰囲気を発しているように見えた。一度意識してしまえば道行く人達が気づかないのがいっそ不思議なほどに存在感を放っている。これも一種の魔法なのだろうか。

 

 ハグリッドに促されるまま入店したパブの内装は、外観に違わず酷くボロボロで照明も薄暗かった。ダークな雰囲気に思わずソニアは顔を強張らせるが、店内の客が親しげにハグリッドに話しかけるのでそれもすぐに和らいだ。

 

「大将、いつものやつかい?」

「トム、ダメなんだ。ホグワーツの仕事中でね」

 

 グラスを取りながら話しかけるバーテンに、ハグリッドはまるで見せびらかすようにハリーの小さな肩を叩いた。

 思わずたたらを踏むハリーに、バーテンは大きく目を見開いた。

 

「やれうれしや! ハリー・ポッター⋯⋯何たる光栄⋯⋯」

 

 そこからは怒涛の展開だった。

 目を潤ませてハリーに握手を求めたバーテンを皮切りに、パブ内の客がこぞってハリーの下に群がり出したのだ。ソニアは訳も分からず輪から弾き出されてしまった。

 ぽかんと口を開けて瞠目していると、いつの間にか隣に立っていたハグリッドが鼻をさすりながら誇らしげに声を弾ませた。

 

「お前さん達がまだ赤ん坊の頃、魔法界は暗黒時代だった。『例のあの人』⋯⋯悪い魔法使いのせいでな」

 

 ハグリッドはその巨体をブルブルと震わせながら視線を落とした。どうやら思い出したくもないらしい。

 

「『名前を言ってはいけないあの人』は魔法界の殆どを支配しちまった。酷い時代だったよ⋯⋯。俺の知り合いも随分と『例のあの人』とその仲間たちに殺されちまった。ハリーの両親もな。

 けど、『例のあの人』はもうおらん。10年前、ハリーが倒しちまったんだ!」

「えっ、彼が?」

 

 素っ頓狂な声が漏れてしまう。バッと勢いよく振り向いてハリーの顔をまじまじと観察する。しかし、目を白黒させながら困惑した様子で握手を行う彼がそんな大層な人物にはとても見えなかった。服も眼鏡もボロボロで、痩せぎすで、背はソニアよりも小さい。しかも10年前と言ったら彼もまた赤ん坊であった筈だが⋯⋯。

 

「うんむ。そう言われちょる。10年前、両親は殺され家も壊されちまったが、ハリーだけが生き残った。そんで『例のあの人』はその夜、綺麗さっぱりとどこかで消えちまったのさ。ハリーの額に傷を残してな。だから、ハリーは魔法界じゃ英雄扱いなんだ」

「へぇ⋯⋯」

 

 まるで信じがたい話であったが、大の大人達に揉みくちゃにされるハリーの様子を見るに、少なくとも誰もがポッターを英雄だと思っているらしい。

 

「⋯⋯ん? おや、クィレル教授じゃないか!」

 

 知り合いを見つけたのか、ハグリッドはソニアを放って嬉しそうに輪に混ざっていく。

 

 

 

 結局ハリーが解放されるまで、ソニアは10分近く椅子の上で待ちぼうけを食らってしまったのだった。

 

「いや、また待たせちまったな。悪い悪い。もう行かんとな。買い物がごまんとあるぞ」

 

 首を軽く振ってハグリッドの謝罪を流し、パブを後にする。やってきたのは中庭の突き当たり、レンガの壁の前だ。

 

 ここにもまた、ソニアは特異な違和感を感じ取っていた。きっと何かしら魔法的な仕掛けが施されているに違いない。

 その予想を肯定するように、ハグリッドがブツブツと何事かを呟きながら傘の先で壁を3度叩くとレンガはまるで生き物のようにクネクネと動いて巨大なアーチの入り口を形成した。その先には石畳の通り道が続いている。

 

「ダイアゴン横丁にようこそ!」

 

 ハグリッドはニコリと人好きのする笑みを浮かべ、二人を魔法界に迎え入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 マグルの非常識は魔法界の常識だ。

 当たり前のように売っているドラゴンの肝、空飛ぶ箒、フクロウ、動く写真⋯⋯。この街に来て、ソニアとハリーはその事実を見に染みて知った。

 何より、パブで感じたような違和感がこの街では当たり前だった。逆に、ところどころに〝普通〟の隙間が覗いている。まるで外の世界をひっくり返しにしたかのようだ。

 

 

「まずは金を取ってこんとな。グリンゴッツだ」

 

 ソニア達がやってきたのは通りでも一際大きく、立派な白亜の建物だった。道すがら聞いたところによると、魔法界唯一の銀行にして最も堅牢な守りだという。

 

「そういや、ソニア。マグルの金は持ってきたか?」

「はい」

 

 目が眩むほどに広く美しい大理石のホールを進みながら、ソニアはカバンから大きめの紙袋を取り出す。中にはギッチリと50ポンド紙幣が詰まっていた。

 

「ふうむ、マグルの連中はこーんな紙切れを使っとるんか。なんだかチャチなもんだなぁ」

 

 ハグリッドは鼻で笑いながら札束を眺めているが、マグルの世界で育ったハリーはその価値を正確に把握しており、目を剥いていた。

 

「ひょっとして、キミの家ってお金持ち?」

「かもね」

 

 ハグリッドを先頭に奥のカウンターに向かう。手隙のゴブリン───グリンゴッツを経営する種族───に近づき、ハグリッドが声をかけた。

 

「ハリー・ポッターさんの金庫から金を取りに来たのと、こっちの子のマグルの金を換金してもらいたいんだが」

「かしこまりました。ポッターさんの鍵はお持ちでいらっしゃいますか?」

「どっかにある筈だが⋯⋯⋯⋯おお、これだ」

 

 無造作にポケットを探りカウンターの上を汚しながら取り出したのは、小さな金の鍵だった。ゴブリンが慎重にそれを検分し、間違いながないことを確認する。

 

「それと、ダンブルドア先生から手紙を預かっている」

 

 ハグリッドが声を潜めながら手紙をゴブリンに渡す。何か仕事の話だろう。聞き耳を立てるのも悪いので、ソニアは気を遣って視線を外した。

 

「────では、お二人は金庫の方に案内致します。そちらの貴女の換金はその間に済ませましょう。グリップフック!」

 

 新たに現れたゴブリンに連れられ、奥の扉の方に向かったハグリッド達を見送り、ソニアは小鬼の前にやってきた。

 

「これ、お願いします」

「承知いたしました。少々お待ち下さい」

 

 どすんと置かれた紙袋から3ダースほどの札束を丁寧に抜き取って帯封を解き、大きな鉄の板の上に置く。

 

「あっ⋯⋯⁉︎」

 

 すると、風に吹かれたかのようにお札が一人でにパラパラと捲れ上がり、宙に浮いては解けるように消えていった。

 見る見るうちに札束は無くなってしまい、代わりにカウンターの上には眩いばかりの金貨や銀貨、銅貨の山が築かれていた。

 

「ふむ、ひょっとして貴女はマグルの出身ですか?」

 

 一体どんな魔法がかけられているのだろうか。交換レートはどう計算しているのだろうか。幾らかくすねられてはいないだろうか。

 目を丸くして財貨の山とマジックアイテムを眺めるソニアの姿があまりにもお登りさんだったのだろう。珍しくゴブリンが老婆心を見せて話しかけてくれた。

 

「え、ええ」

「では、魔法界の貨幣について説明を致しましょう。

 まず、この銅貨が1クヌート。29クヌートでこちらの銀貨、1シックルと等価。17シックルでこちらの金貨、1ガリオンと同じ価値でございます」

「⋯⋯もしかして、本物の金?」

「勿論、魔法界の貨幣は全て本物。ガリオンは純金、シックルは純銀でございます」

 

 思わず感嘆の声を漏らす。魔法界では金銀が珍しい物ではないのかもしれないが、少なくともソニアの持ってきた大金でもここにあるだけの金を買うのは不可能だ。

 

「念のために言っておきますが、これらの貨幣を意図的に溶かしたり、マグルの世界で悪用するのは法律違反ですからお控え下さい。進んでアズカバンに行きたいというのであれば別ですがね」

 

 不意に頭をよぎった悪知恵を見抜かれたのか、ゴブリンの静謐な瞳が向けられる。カバンに金貨を詰め込みながらソニアは視線を逸らした。

 

「⋯⋯アズカバン?」

「ええ、魔法界で最も恐ろしい絶海の監獄です。大罪を犯したものが収監されるのですが、殆どの受刑者は寿命よりも先に精神がおかしくなって死んでしまうとされるほどに恐ろしい場所です」

 

 ゴブリンのおどろおどろしい口調も相まって、ソニアは思わず身震いをした。

 

「まあ、そのようなところに行くことが無いよう慎ましく生きるのですな。さて、お連れの方々が戻ってきたようですよ」

 

 何故かソニアよりも青い顔をした二人を迎え、三人は揃って逃げるようにグリンゴッツを後にした。

 

 

 

 

 

 

 その後、『マダム・マルキンの洋装店』で制服の採寸を行い、『フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店』で教科書を買い揃え、鍋や秤など教材を一通り買い揃える。ちなみにハリーはフクロウを買っていた───正確にはハグリッドに買ってもらっていた────が、ソニアは買っていない。昔から動物に好かれないタチだからだ。

 買い物は滞りなく進んだ。洋装店でハリーが他の子とトラブルがあったらしいが、女子であるソニアは別室に案内されていたので詳しくは知らない。

 

 最後の買い物は杖だ。『オリバンダーの店』───ハグリッド曰く、魔法界で最高の杖店らしい。杖を買うなら間違いなくここが良いらしい。

 

 紀元前382年創業というのも納得のショーウィンドウに飾られた古い杖を尻目に、3人は店内に入った。

 天井近くまで整然と積み重なった細長い箱の山はまるで背の高い本棚のようだ。思わず口をつぐんでしまうような雰囲気は図書館を連想させる。

 

「いらっしゃいませ」

 

 突然目の前からかけられた声に、思わずソニアは仰反った。いつからそこにいたのか、3人の前には一人の老人が立っていた。

 何とも浮世離れした雰囲気の老人は、一心にハリーを見つめている。

 

「おお、そうじゃ。そうじゃとも、そうじゃとも。間もなくお目にかかれると思ってましたよ、ハリー・ポッターさん」

 

 オリバンダー老人はスーッとハリーに近づいて彼の身の上話を始めた。赤の他人が盗み聞きするのも悪いと思ったソニアは、すっと彼らから離れ、山のように積まれた桐の箱の一つを手にとってみた。中に入っていたのは案の定杖だ。試しにそっと触れてみると、まるで拒絶するように火花を立てて弾かれてしまった。

 

「おや、そちらの子も新しい新入生かな?」

「え、あ、はい⋯⋯ッ」

 

 振り返ると、いつの間に近づいていたのか目と鼻の先にオリバンダー老人の顔があった。喉の奥でひゅっと息を呑む音が漏れる。

 

「ふむ⋯⋯? 失礼じゃが、お名前を伺っても?」

「え、えっと、ソニア・スターリング⋯⋯です」

「ふぅーむ。スターリング⋯⋯気のせいかのぅ⋯⋯。あぁ、いや、申し訳ない。随分昔に来た客に雰囲気が似てたものでな」

「は、はぁ⋯⋯」

 

 既にソニアはこの老人が苦手になりつつあった。

 

「ふむ。さて、さて。それでは⋯⋯⋯ポッターさんから拝見しましょうか。どちらが杖腕ですかな?」

「あ、あの、僕、右利きです」

 

 老人は銀色の巻尺でもってハリーの全身の寸法を隈なく採りつつ、杖について講釈を垂れた。

 ソニアは、杖の話よりも途中で出てきた〝不死鳥〟という単語の方が気になって仕方がなかった。その肉を食らえば不死が得られるという逸話があった筈だ。いや、それは人魚だっただろうか。

 

「────では、ポッターさん。これをお試し下さい。ぶなの木にドラゴンの心臓の琴線、23センチ」

 

 手渡された杖をハリーが気恥ずかしげに振ると、オリバンダー老人はすぐにそれを取り上げてしまった。パチパチと瞬きをするハリーだが、すぐに次の杖が差し出される。しかし、それも振り上げた途端に老人にひったくられてしまう。

 その後も次々と色んな杖を試してみては、老人がもぎ取って椅子の上に放ってしまう。見る見るうちに試し終わった杖の小山ができてしまった。

 

「難しい客じゃの。え?心配なさるな、必ずピッタリ合うのをお探ししますでな。⋯⋯おお、そうじゃ。滅多にない組み合わせじゃが⋯⋯柊と不死鳥の羽根、28センチ。良質でしなやか」

 

 どうやら、それは当たりだったらしい。ハリーがその杖を握った瞬間、明らかに空気が一変した。事実、彼が杖を振るうと先端から赤と金色の火花が花火のように流れ出し、暖かな光の玉が壁を明るく照らして見せたのだ。

 

「素晴らしい! いや、よかった。さて、さて、さて⋯⋯不思議なこともあるものよ。全くもって不思議な⋯⋯」

 

 ブツブツと何度も繰り返すものだからハリーが訳を聞くと、『名前を言ってはいけないあの人』と同じ不死鳥の尾羽根を芯材に使用しているという。

 魔法界を混沌の渦に落とした魔王と、それを打ち破ってみせた少年。その2人を選んだ兄妹杖⋯⋯⋯とても偶然とは言い切れない。これが因果というものなのだろうか。

 

 複雑そうな表情で代金を支払ったハリーと入れ違いに、ソニアはオリバンダー老人の前に立った。

 

「さて、スターリングさん。杖腕はどちらかな?」

「右です」

 

 ハリーと同様に巻尺で身体の至る所の寸法を測ると、オリバンダーは徐に杖を取り出した。

 

「では、まずこちらから。リンゴの木にドラゴンの心臓の琴線、29センチ」

 

 杖を振るうが、何も起きない。その辺の木の枝を振るっているのと大差ない感触だ。

 

「ふむ、では、次。リンボクにドラゴンの心臓の琴線、32センチ」

 

 これは悪くない。パチパチと稲妻が跳ねるように溢れ出し、室内を淡く照らした。しかしオリバンダー老人は満足しないようで、次々と杖を渡してきた。

 

「ほう、ほう。ではこれはどうですかな? クマシデに一角獣の鬣、21センチ」

 

 これも悪くない。しかし、これなら先程の杖の方が良いだろう。

 

「ふむ。では、変わり種を。サクラにセストラルの毛、36センチ」

 

 ふわりと宙に半透明な薄紫色のカーテンがたなびく。幻想的な光景にほうと息を漏らすが、その余韻が収まらないうちに次の杖を握らされる。

 

 ⋯⋯それからも、次々と杖を渡されては取り上げられていく。気づけばハリーと同じように杖の小山を築いてしまっていた。長く退屈なのか、背後では椅子の上で二人がこくこくと船を漕ぎ出していた。

 

「おお、これだけ難しい客が一日に2人も来るとは珍しい。なに、杖はまだまだありますからな。間違いなく最高の杖を見つけて見せますとも」

 

 どうやら、まだまだ時間がかかりそうだ。ソニアは溜息を抑えながら視線を逸らす。

 

「⋯⋯ん?⋯⋯あれは──」

 

 吸い寄せられるように視線を向けた先にあったのは、窓際に置かれた一本の杖だ。色褪せた紫色のクッションの上に置かれたそれは、外のショーウィンドウから見えていた展示品だ。

 

 ソニアに次の杖を手渡しながら、オリバンダー老人が答える。

 

「ああ、アレはこの店で最も古い杖です。ニワトコの木に、悪魔の角、33センチ。大昔───創業当初からあったとも言われる杖です」

「あ、悪魔?」

「そう言われております。実際のところはわしにも分かりませんがね。しかし、わしが見たことがない生物の芯材が使われておることは確かじゃ」

 

 安堵のため息を吐く。どうやら魔法の世界でも悪魔なる生物は架空の存在らしい。敬虔な十字教の一家で育ったソニアにとって、悪魔は何よりも恐ろしい生物なのだ。

 それにしても、悪魔にニワトコ。何とも不吉な組み合わせである。神を冒涜する為にあるかのような悪しき杖だ。

 

 しかし、ソニアはその杖から目を離せない。引力のような()()()があった。

 

 それを感じ取ったのか、或いは何か思うところでもあったのか。オリバンダー老人はその杖をそっと手に取った。

 

「⋯⋯⋯ふむ。試しに振ってみますかな?」

「え? でも、展示品なんじゃ⋯⋯」

「スターリングさん、杖は使ってこそのものじゃ。誰にも使われることが無いのであれば、それはただの木の棒でしかないじゃろう。⋯⋯もっとも、この杖は実に2000年以上も木の棒であったわけじゃが」

 

 そう言いながら手渡された杖は、間近で見ると確かに何十世紀もの歴史を感じさせるほどの骨董品だ。杖の表面は細かい傷や裂目でぼろぼろだし、所々焦げたように黒ずんでいる。

 今にも中折れてしまいそうな古ぼけた杖だが、ソニアはその杖を握った瞬間、全身が沸騰するような熱を帯びるのを感じた。

 

 気分は高揚し、全能感に包まれる。ソニアは、まるで杖に操られるように優雅に腕を振るった。

 

 ────その瞬間、夜の帳が下りた。

 

 まるでヴェールで包み込むように、冷たく暗い影が空間を覆い尽くしていく。

 

「ぬおっ、なんだ⋯⋯⁉︎」

「うわっ⋯⋯⁉︎」

 

 突然真っ暗になった視界に跳ね起きた二人が、背後で息を呑む音がした。無理もないだろう。杖を振ったソニア自身も、目の前に広がる幻想的な光景に魅入ってしまっているのだから。

 

 

 ──それはまるで、満天の星空に迷い込んでしまったかのようだ。

 薄暗かった店内はさらに暗く、まるで夜空のように黒い闇に閉ざされてしまっていた。

 しかし、それでも微塵も恐れが湧いてこないのは、宙に揺蕩う無数の光の粒のお陰だ。それはまさに天から地を見守る彼方の星の煌めきの如く、虹を閉じ込めたような不思議な光の球が当たり一面に散らばってソニアたちを優しく照らしているのだ。

 

 とても曰く付きの杖で織ったとは思えない神秘的な夜空に、背後から興奮したような歓声が聞こえた。

 

「す、凄い⋯⋯!僕、こんな綺麗な星空初めて見た!」

「こりゃあたまげたなぁ。ホグワーツの夜空にも負けとらんわい」

 

 手放しの賞賛に気恥ずかしくなり、ソニアは軽く杖を振るう。パチン、パチンとシャボン玉のように光の玉が次々弾け、途端に店内が明かりを取り戻した。

 

「ブラボーっ! いや、わしもホグワーツでの天文学の授業を思い出して懐かしくなりましたよ。⋯⋯おや? スターリングさん、その杖は⋯⋯」

「え?」

 

 目を見開いて右手を凝視するオリバンダー老人に釣られて、ソニアも杖に視線を向ける。そこには、先程までとは随分と様相の異なる杖が握られていた。

 

 まるで琥珀を切り出して作ったかのような輝きと透明感を宿した、すらりと細長く美しい杖だ。どう見ても先程までの古ぼけた杖とは似ても似つかないが、脱皮した蛇の抜け殻のように床に散らばった木端がこの杖の正体を示していた。

 

「ううむ、わしも長いことこの店をやっておりますがこんなことは初めてじゃ。真の姿を隠匿する魔法でもかかっておったのか⋯⋯。いや、スターリングさん、良いものを見せてもらいました」

「⋯⋯は、はあ。私には何がなんだか⋯⋯。あの、それで⋯⋯⋯⋯お代は?」

 

 戦々恐々としながら尋ねる。非常に希少な(であろう)素材に加え、歴史的価値も高い逸品。一体何ガリオンになるのか、検討もつかなった。

 

「7ガリオンで結構じゃ」

「え? でも⋯⋯」

 

 しかし提示された額はハリーのそれと同じもの。まだ魔法界の物価を正確に把握しきれていないが、それでもその価格が安すぎることくらいは分かった。

 

「良いのです。何千年もかかって、ようやっと主人と会えたのです。その杖も喜んでおることでしょう。これはそのお礼とでも思って下さればよろしい」

 

 それでも、とソニアは言い募ったが、オリバンダー老は最後まで頑として7ガリオンしか受け取らなかった。結局根負けしたソニアは、オリバンダーに何度も深くお辞儀をして店を後にするのだった。

 

 




 
 前髪長い系美少女が何かの拍子に顔を晒しちゃって突然意識されまくる奴が好きです、はい。

 主人公の杖は終局の某せんとくんの角みたいな感じのやつです。

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