玄谷はクレセントハウスに来てから沈黙することが多くなった。
もちろん、たまに来てくれる達志と院長以外に話し相手がいないという理由もある。
だが、宇宙社会学についてもっと考えてみる必要もあったからだ。
ここ最近はクレセントハウスをずっと歩き回りながら考える状態が続いている。
思考という名のリソースのほとんどを宇宙社会学に割り振っていた。
やちよは知っているし、みふゆも知っている。
おそらく、マギウスも知っているだろう。知らぬは玄谷だけ。
智子は何のヒントも出してくれなかった。
達志がたまに会いに来てくれる時以外は、孤独に思索にふけっていた。
そんな玄谷の様子を、水滴インキュベーターはずっと監視していた。
いったい、誰がどうやってこんなことをしでかしたのかも、理解していた。
だが、それを特に報告することはなかった。命令が届いていないからだ。
あくまで、母星も今回の件を危険視はしていなかった。
問題は、『彼女』だけだったからだ。
水滴インキュベーターもそれをよく理解していた。
彼女の策動はこちらに大きな損害を与える可能性があるのだから。
今までも、彼女のせいで大きなエネルギーの回収が失敗に終わったことが何回もある。
だから、今回はより注意深く監視する必要がある。
彼女の一挙手一投足で、莫大なエネルギー回収が左右されるのだから。
感情の芽生えつつある水滴インキュベーターは何か大きな負担を感じるようになった。
これを説明する単語は地球に存在した。そう、ストレスだ。
水滴インキュベーターは感情に関する語彙は以前から知ってはいた。
だが、本格的に理解するようになったのは三体星系における任務からであった。
そこに遺されていた(今の宇宙の方の)三体世界の遺産は実に感情豊かであった。
水滴インキュベーターはそうしたものを調べるうちに感情を理解しつつあった。
まあ、三体星系に回された時点で感情を理解できる素養はあったということなのだが。
「それでもなお、ボクには理解できない感情があったんだ」
水滴インキュベーターは深夜のウォールナッツにどういうわけかいた。
理由は水滴インキュベーターにもわからなかった。
ただ、気の向くままにふらついていたら、この店にいたのだ。
「ここは消化器官を持つモノ以外お断わりですよ?
こんな深夜に今の長話をしに来ただけなら、叩き割るですよ?」
胡桃まなかの言うことはもっともであろう。
水滴インキュベーターはどこからどう見ても食事ができそうにない。
なお、
そういうわけで、魔法少女の情報については共有できている。
「安心してくれ、一応口はある。オムライスを頼むよ」
「そういう問題じゃねーですよ。
というか、見た目は綺麗な水滴なのに、
たぬきちに似たような顔が付いてるせいで色々台無しですよ。
お前、あれといったいどんな関係性なんですか?」
「ボクは一種のエラー個体なんだ」
「それでそんな見た目に・・・」
まなかは憐れむように水滴インキュベーターを見た。
「いや、つい最近までは君の知っている見た目だったさ」
「心配して損したですよ」
「どうも辛辣だね」
そんな態度のまなかも、一応はオムライスを作ってくれた。
水滴インキュベーターは他のインキュベーターと同じように食べた。
普通のインキュベーターも手は使わないし、水滴インキュベーターはそもそも手がなかった。
「・・・これが旨いという感覚か。
一応、
その結果をダウンロードしてみたんだけど・・・なるほど」
「そふぉんって何ですか?」
「陽子一個分のスーパーコンピューターさ」
「科学の勉強をやり直したらどうですか?」
「そうはいっても、本当にあるんだから仕方ないだろ?
地球の科学力ではまだ無理だね。十一次元に介入もできないんだし」
まなかはむきーっと怒ったが、水滴インキュベーターはそれを無視した。
それよりも、大事な話題が二つあった。一つは、代金の話だ。
レストランで食事をしたらお金を払うのは、インキュベーターも知っている。
「代金は
「おめーはまず罪悪感という感情を知れです。立派な犯罪じゃないですか」
そう言いながらも、彼女は水滴インキュベーターの口を吹いてあげた。
その時感じたのは、水滴インキュベーターの体から滲み出る冷気だった。
どういうわけか、彼の体は冷え切っているのだ。
「本当に氷みたいですね」
「氷というわけじゃないさ。ボクの今の体は強力な相互作用で構成されてる。
君たち地球人が知っているものだったら中性子星に近いね。
まあ、その影響で本当は絶対零度に近いんだけど、今は膜を張ってるから大丈夫さ」
「おめー存在自体が危険物じゃないですか」
「ひどいや・・・とにかく、本題に入ろう。ボクは自分でも理解できない感情を抱いているんだ」
「もう帰ってほしいと言いたいところですが、仕方がないですね」
まなかも椅子に座って、水滴インキュベーターの相談に乗ることにした。
「ここに来てから、ボクはとある魔法少女を見つけたんだ。
その子は・・・なんて例えればいいんだろうか。
あまり感情に満ちた語彙を使わないせいで、上手く説明できないんだ。
いわゆる、可憐な花っていうのかな・・・?」
「少なくとも、莉愛先輩じゃないってのはわかりました」
「あれは君の先輩じゃないのかい?・・・とにかく、そういった子なんだ。
実際、普段から花を模した髪飾りを付けているというか・・・。
その子の爽やかな草原のような髪も相まって、本当に一輪の花のように見えるというか」
「はいはい、髪は緑色で花の髪飾りを付けていると・・・それで他には?」
まなかは聞きながらメモを取った。
「他には・・・そうだ、その子は本当に顔が広いんだよ。
彼女は懐が深いというか、色々な魔法少女とうまくやっていっているんだ」
水滴インキュベーターはそのまま話し続ける。
「その子は本が好きで・・・色々なことを知っているんだ」
まなかは一瞬、そいつに聞きやがれですよ、と言いたくなった。
だが、すぐにそれが駄目だと悟った。
これは感情を抱いている対象に聞けないものだ。
「でも、意外な一面もあるんだ。その子は、ラーメンが好きなんだ」
「ほう、ラーメンですか」
「うん、その子は読書以外にラーメンの食べ歩きも趣味なんだ」
まなかはそれを太い字でメモした。特定するのに重要な手がかりだ。
「・・・最後に、、全人類の中で罪がないのは、その子だけのような気がするんだ」
「なるほど・・・よくわかりました。
おめーの抱いている感情は、恋というものです」
「恋?三体世界の遺跡で似たような単語は見たけれど・・・」
「その三体とかは知らねーですが、それは正しく恋ですよ。
人間だったら胸が締め付けられる感覚になりますが、おめーはどうですか?」
「なるほど、確かにボクの中の回路がたまに軋むけど、
思えば、その子のことを考えたり見てるときに多かったね。
それじゃあ、ボクはどうすればいいんだい?」
「それはおめー自身で考えろです」
なお、似たようなことをやちよに言われた玄谷はソファに倒れ伏していた。
完全に何も思いつかないのだ。魔法少女相互攻撃理論がさらに足を引っ張った。
あれは関係ないはずだ。魔法少女と文明は比較対象にすらならない。
それなのに、どうしてやちよはそんなことを提案したのだ?
・・・冷静に考えてみよう。そもそも、本当に彼女の出した解と同じなのか?
やちよの出した答えと、自分の出した答えは本当は違っているのかもしれない。
・・・じゃあ、みふゆのあの狼狽えようは何だったのだ?
それこそ、魔法少女相互攻撃理論が宇宙社会学と関わりがあることを示しているのでは?
そんな堂々巡りが、永遠に続いていった。
「よお、やっぱり難しいみたいだな。最近寝てないだろ?酷い顔だぞ?」
「達志先輩・・・あなたこそ酷い顔ですよ」
「ももこにやりすぎだって殴られたんだ。
それより、朗報だ。外出許可が出たぞ。
今から、ちょっと外に出よう」
「本物の先輩ですか?」
偽物が外におびき出そうとしているのかもしれない。
そう考えた玄谷は睨むことしかできなかった。
「待て、魔法少女の変装なんかじゃないぞ。
もし俺の偽物だったら、そいつは今頃お前を殺してるだろうし」
「それもそうですね。すみません」
「よし、それじゃあ海でも歩くか!安心しろ、護衛も付いている。
里見グループの護衛たちが臨海公園を守ってくれてるんだ」
玄谷も地下の中で暮らしていて、そろそろ外の空気が懐かしくなっていた。
少し危険かもしれないが、ここは外に出てみよう。
もしかしたら、この膠着をどうにかして打破できるかもしれないから。
三体好きかい?
-
うん、大好きSA!
-
まあまあSA!
-
あたしゃ知りませんよ
-
(よくもそんなこと)聞いたなコイツ!!
-
全滅してやるぞ(嫌い)
-
劉慈欣先生お許しください(すごく嫌い)