水滴インキュベーターは決断を迫られた。
玄谷は明らかに宇宙の真理に辿り着いてしまった。
彼が選ぶ行為は二つであろう。
一つは、楽観的な性格で宇宙に陽光をもたらそうとする行為。
これは地球にとって、破滅的な結果をもたらすことになるかもしれない。
そうなると、水滴インキュベーターが恋をしている少女にとっての救いは一つ。
その破滅的結果を体験する前に、寿命で死ぬことである。
二つ目は・・・玄谷が母星を破滅に追いやる行為。
これはもはや喫緊の問題であった。事実、彼の網膜に座標が映し出された。
KIC8462852。これは地球式の座標だから、他の文明には通じないだろう。
しかし、宇宙で場所を示すにはもっといい方法がある。
そして、その方法自体は地球人をとっくに考案はしている。
ただ、今までやってこなかっただけだ。
よりにもよって、考案したのは星ノ森家の学者であるのがもっと問題だ。
このままでは、母星文明は確実に滅びるだろう。
その場合、魔法少女をしばらく増やせなくなり、魔女の枯渇は確実だ。
だが、その場合は問題ない。
それどころか、とっくに水滴インキュベーターは半ば無意識にそうした。
・・・だが、母星に対する責任をどう考えるつもりだ?
「・・・そりゃ暗い眺めだな」
「真実の宇宙は、ただひたすらに暗いんです」
新しい服に着替えた玄谷は達志に宇宙の真理について説明していた。
宇宙の暗さを実感するためか、明かりは最低限になっている。
まるで太古の宇宙社会学者がそうしたように、彼もそうしていた。
「それで、KICだったか?そこか奴らのハウスなんだよな?」
「ええ。でも、それを活用するために、座標送信の方法を考えないと。
そのために、また数日中に天文学に詳しい人を読んでもらうつもりで・・・。
いえ、待ってください。あの方法があったじゃないですか!」
ああ、ついに母星を破滅に追いやる方法を思い出してしまったようだ。
件の天文学者が考案した座標発信法の存在を、思い出してしまったのだ。。
それはマークしたい恒星と他の星の相対的な位置関係を含むメッセージを送信するというもの。
この方法は受信者となる文明が高度でなくてはいけないという制約がある。
しかし、高度な文明など山のようにあるのだ。
「ちょっと待ってください・・・もしもし、ええ、僕です。
さっきのですが、来てもらう必要はないかもしれません。
僕の親戚が思いついた、座標発信法を利用するだけでいいかもしれません」
タイムリミットは刻一刻と迫ってくる。
水滴インキュベーターの任務は観測だけにすぎない。
だが、それでも責任というものがあるはずだ。
この地球にも長い歴史があるように、母星にだって長い歴史がある。
もはや何十億年も前だが、二つの恒星が星間雲の中で誕生した。
そんな恒星たちの傍に、一つの惑星が誕生した。それが母星だ。
最初の五億年間は、まさに地獄であっただろう。
まだ赤ん坊のころの惑星には同じように赤ん坊の海が存在した。
その海は降り注ぐ隕石や真紅の稲妻で常に煮えたぎっていた。
一つの奇蹟が起きた。ある原子と原子が結びついたのだ。
それが、有機生命体の始まりだった。
「・・・えっ、もう呼んじゃったって?」
最初はごく小さな、細胞ともいえぬような生命体だった。
だが、それは少しずつ進化を進めていった。
やがて有機生命体はいくつかのタイプに分かれた。
地球の分類でいえば、独立栄養生物と従属栄養生物だ。
独立栄養生物は植物に、従属栄養生物は動物に・・・。
「ああ、あの子ですか。すごく興味深々だったんですね。
そうでしょうね・・・何しろ、あの子の好きな分野ですし」
最初に陸に上がったのは植物だった。その次は動物だ。
それからは、また地球と違うようで同じような生物史をたどっていく。
地球と違うのはふたつの太陽があるのと、ある生物が生き残り続けたこと。
それは巨大な陸生菌類で、地球でいうプロトタキシーテスに非常に似た生物だ、
その生物は地球と違い、文明史が始まるまで生き残り続けた。
いくつものスパンの後、ある生物が進化を始める。
その生物は初めて『虚構』を手にしたのだ。
『虚構』というのはすなわちフィクション。概念ともいう。
地球でも同じことが起こった。神、国、正義、信念・・・これらは物体として存在しない。
地球人が物体として存在しないものを信じたように、その生物もそれらを信じた。
そして、彼らは自らの信じる概念を周囲の現実に当てはめるようになった。
神という概念が当てはめられたのは、件の巨大菌類だ。
周りのものを吸収し、枝分かれすることなく成長する姿に神秘性を感じたのだろう。
動物の肉や収穫をささげていた生物は、だんだんと進歩していった。
彼らの信じていた神も、いつの間にか芸術の対象となっていった。
「えっ、もう向かってる?まあ、善は急げですからね」
品種改良や遺伝子改良により、巨大菌類の塔は華やかになった。
発光遺伝子を組み込まれた菌類の塔は、繁華街を照らしていった。
ニューヨークのロックフェラーセンターのクリスマスツリーのように。
菌類だけではない。高層ビルの光もまた母星の夜を照らした。
それから数百年もすると、今度は宇宙船の光が母星を照らすようになった。
非常に享楽的な文明が築かれた。彼らは人生をひたすら楽しんだ。
地球人が見れば、こう思うだろう。私たちよりもなんて自由で豊かで明るいんだ。
彼らの発展は永遠に続くかと思われた。曲率推進と空間牽引がそれを後押しした。
遠く離れた星に一つ、道楽的に植民地まで築かれた。
そのときから、母星は母星世界と呼ばれるようになり、植民地は植民地世界となった。
だが、感情豊かな黄金時代は一つの
「達志先輩、もう来てくれているようですよ」
「そりゃよかったな」
瓶というには不適切だろう。何しろそれは箱型で、金属製だったのだから。
そこから発されていたニュートリノ・ビームはこの宇宙の前身に関する情報を伝えていた。
彼らはそれを受け取り、そして知ってしまった。
最初はなんということはないような反応を見せたが、本当は違った。
彼らは暗い宇宙の真実を知ってしまった。そして、精神は確実に蝕まれていった。
彼らはもはや享楽的な文明を手放すようになった。
手放したのは文明だけではない。感情も手放すようになった。
この暗い世界で正気を保つために導き出された結論だった。
同時に、とある信仰心が彼らの精神的支柱となった。
この暗い宇宙でも、自分たちは今まで生きてこれた。それは宇宙が受け入れてくれたからだ。
ならば、今こそ宇宙のために奉仕しよう。この巨大菌類のごとき宇宙で。
こうして母星世界は感情なき信仰者と化した。
一方、植民地世界はそこまでショックはなかった。
それどころか、母星世界の変貌を常に非難してきた。彼らの言い分はこうだった。
人生を楽しむのは、いつか人生が終わるからだ。
ならば、この宇宙も楽しもう。この宇宙もいつか終わるだろうから。
こうして交流はだんだんと少なくなっていった。
いまや交流といえば、精神が芽生えた者を植民地世界に追放するぐらいだ。
母星世界は銀河各地に植民地世界以外にも隔離世界を設けた。今の三体世界もその一つだ。
こうした情報は、隔離される前に知ったものだ。
「それで、奴らのハウスをどうするつもりだ?」
「さあ?まだ決めていませんね。これは非常に大事なことなので」
母星世界の数十億年にもわたる荘厳な歩みが、もうすぐ止まろうとしている。
何もかもが、消えてしまうだろう。植民地世界や隔離世界をのぞいて。
そこで水滴インキュベーターはあることをようやく思い出す。
母星文明も地球に対する暗黒森林抑止を有していたことを。
玄谷がどっちの手段を選ぶにしても、地球の破滅は避けられなくなる。
もしかすると、あの少女が生きている間にそれが来るかもしれない。
「・・・僕は今から来る子にある程度ぼかしながら聞くつもりです」
たくさんの眼に見つめられている気分だった。
今まで存在した多くの生物の眼が水滴インキュベーターを見つめていた。
そして、その中には母星世界の人々の眼もあった。
ここで何も行動を起こさなかったら、地球も母星世界も破壊される。
でも、行動を起こしたら、状況は維持され、両方の星はこれからも永続する。
少女もまた、ソウルジェムに仕込まれた
「・・・久しぶりだね、玄谷兄さま」
「灯花、久しぶり。よく来てくれたね」
だが、達志は即座に構えた。
「・・・下がってろ、玄谷。よりにもよって、こいつかよ」
水滴インキュベーターは安堵した。行動を必要はないかもしれない。
玄谷にばかり注目していて気づかなかった。
マギウスの一人、里見灯花が直接決着をつけに来たのだ。
「くふふ、バレちゃった。そうだよ、わたくしも魔法少女なんだ。
そして、マギウスの一人なんだよ?驚いたよね?」
「・・・」
玄谷は数秒間何も言わなかった。だが、数秒間の沈黙の後に口を開いた。
「KIC8462852。智子さんによると、それがインキュベーターの文明の座標らしい。
灯花、教えてくれ。君だったら、どうするつもりなんだ?僕にはどうも決められない」
玄谷の言葉に、灯花は口をぽかんと開くだけだった。
これは水滴インキュベーターにとってもある意味予想外だった。
彼は敵の眼を見つめることはできるが、その後の決断はできなかったのだ。
だが、すぐに灯花はもとの調子に戻った。
「・・・くふふ、そんなのもうどーでもいいよっ。
よくよく考えたら、玄谷お兄さまは楽天的すぎるけど、度胸はないだろうし。
それより、わたくしたちはもっといい方法を思いついたんだ」
「へえ、いい方法か。ウワサなんてもの作ってどうするつもりなんだ?」
「それはひみつ!」
玄谷はここしばらくクレセントハウスにいたので外の様子を知らなかったのだ。
神浜市ではウワサという存在が出現し始めており、あちこちで害を及ぼしていた。
達志も環いろはという魔法少女と協力し、その原因について追っていたのだ。
水滴インキュベーターはマギウスの企みについて知っていた。
だが、それは一般人や魔法少女に犠牲を強いる計画であった。
これを外部で把握しているのは『彼女』と水滴インキュベーターぐらいだろう。
だが、玄谷はさらに灯花と水滴インキュベーターを驚かせた。
「一般人や魔法少女の負の感情を集めて、それをエンブリオ・イブの孵化に利用、ですか」
間違いない。『彼女』が玄谷の網膜神経にマギウスの計画を映し出したのだ。
「ど、どうして・・・」
「智子さんが教えてくれたんですよ、僕の視界に映し出したんです」
「智子さん・・・ああ、あのよくわからない人のこと?
やっぱり、前から聞いてはいたけど、わたくしたちの邪魔をする気なの?」
灯花は虚空に向かって話しかけた。
「ねえ、あなたが何をしようとしているのか知らないけど、
わたくしたちの解放の邪魔をしないでほしいの」
数秒の沈黙の後、『彼女』の
目に見えるように現れた球体に表示されたのは、たったの十四文字であった。
宇宙はおとぎ話じゃないからよ。
『彼女』の言う通りだ。宇宙はおとぎ話なんかじゃない。
「あなたはずっと魔法少女を見殺しにしてきたんでしょ?
わたくしも聞いたことがあるもん。数百年前からあなたが生きてるって。
その間、ずっとインキュベーターを放置していたんでしょ?
しかも、わたくしたちの解放の邪魔までしようとしてるじゃん。
ねえ、わたくしたちにだって生きる権利はあるんだよ?」
ええ、そうでしょうね。生きる権利は誰にだってある。
でもね、あなたの生存権のために、他の人の生存権が侵害されることは許されない。
「・・・何様のつもりなの?」
「玄谷、このガキ、ブーメランって言葉知らないのか?」
「あの父親にして、この娘ありですよ。仕方ありません」
私はただ、やるべきことをやっているだけ。
もうすぐ神浜市を訪れる予定よ。そこで話をしましょう。
その時、あなたはようやく大事なことを思い出してるはずだけど。
そして、低次元展開された
もとの十一次元状態に戻っていったのだ。
「・・・玄谷お兄さま、余計なことしなければ見逃してあげる。
あと、もうすぐ神浜市から逃げたほうがいいよ。
わたくしたちは、ワルプルギスの夜という魔女を呼び出したから」
彼女のそばに穴が開いた。保澄雫という魔法少女の空間結合によるものだ。
彼女はそこからホテルフェントホープに帰っていった。
「どうするんだ、玄谷?」
「どうしようもありませんね。ただ、灯花を止めないと」
「止めるってどうやって?」
「いい方法がありますが、それはやはり秘密です」
面壁者だ。ここに一人の面壁者が誕生したのだ。
彼はまさに、太古の面壁者たちのごとく、自らの思考に鍵をかけた。
水滴インキュベーターは自らに二つの任務を課した。
一つは、彼が少女の命を奪うようなことがあったら、彼を殺してでも食い止めること。
二つ目は、すぐに終わった。ネットワークに保存された地球の座標の一部を書き換えたのだ。
これにより、地球が暗黒森林抑止を実行しても、母星世界はなんの反撃もできなくなる。
地球の座標だったデータを受け取った文明は、永遠に地球を発見できなくなる。
しかも、もしデータを復旧しようとしても、
ついに水滴インキュベーターは母星世界を完全に見限ることに成功した。
もうあんな世界に責任なんて感じていなかった。もう、うんざりしていた。
母星世界が消えた後、いったいどうするべきか?三体世界に戻るべきか?
植民地世界や隔離世界をゆっくりと周遊するのもいいかもしれない。
死ぬことも一応はできる。いくつかの手順を経て、自己停止するのだ。
そういえば、植民地世界や隔離世界には墓碑という文化が今も残っているらしい。
もし墓碑が与えられるとすれば、そこにはこう書いてほしい。
来た。愛した。そのために母星世界に審判を下した。去った。
どちらにせよ、地球からは離れる予定だ。
少女が見た目を気にする人間じゃないってのは知っている。
でも、この見た目で愛を伝えられても、彼女に迷惑をかけるだけだろうから。
三体好きかい?
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うん、大好きSA!
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まあまあSA!
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あたしゃ知りませんよ
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(よくもそんなこと)聞いたなコイツ!!
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全滅してやるぞ(嫌い)
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劉慈欣先生お許しください(すごく嫌い)