玄谷は故郷に帰っていた。もちろん、達志と共に。
故郷は、いい場所だ。心理的にも安全上でも。
智子を霧峰村から保護するため、星ノ森家は町を要塞化していた。
一般人が訪れても、城に塀が多いと感じるくらいだが。
それでも、各国の軍人は訪れるたびにゲリラ戦に使えると即座に理解した。
とにかく、重要な立場になってしまった玄谷にはぴったりの場所だった。
まあ、重要な立場といっても大したことはしていないはずだ。
重要な人物とリモートで話したり、インキュベーター文明と会合したりとかだ。
それ以外は、自主的に勉強したり、農業にいそしんでいるくらいだ。
「・・・ももこからのメッセージ数がとんでもねえことになってんな」
達志はある時、久しぶりにSNSを確認した。
彼は何も言わずに神浜市を去ってしまったのだ。
だから後輩からのメッセージも多かったが、ももこからは特に多かった。
狼狽えた達志を見て、玄谷は肩をすくめた
「いいじゃないですか。僕なんて一般人のメッセージしかないんですよ?
魔法少女だと、やちよさん、みふゆさん、衣美里さんだけがスタンプを送ってきました。
でも、それ以外はほぼ沈黙してしまっているというか・・・」
「お前はそりゃ雲の上に立っちまったんだからな。
まあ、実際に付いてきてみりゃ、いつも通りだけどよ」
故郷は、本当によかった。
さすがに住民に何があったかを隠し通すことはできなかったが。
それでも、彼らはあっさりと事実を受け入れてくれた。
何しろ、近くに霧峰村というよくわからない存在があるからだ。
のんびりとした日々が続いていたある日、智子があることを告げた。
最近、各国で産声を上げている思想・・・逃亡主義について話し合うべきだと。
玄谷も執剣者とかそれ以前に、星ノ森家の人間として嫌な予感を覚えてはいた。
生存権の不平等は、最悪の不平等だ。誰が新世界に去り、誰が滅びゆく世界に残るべきか?
祖父とも話し合ったが、結論は一つ。方舟なんてないほうがいい。
おそらく、智子のことだから同じ結論には辿り着いているはずだ。
でも、本当にそれでいいのか迷ってもいた。どこかで種子は残すべきなのではなかろうか?
そして、智子は同時にあることを告げた。ある少女が訪ねてくると。
その少女の名は暁美ほむら。玄谷はその子のことを微かに知っていた。
記念写真を撮った後、ちょっとだけ話した覚えがある。
三つ編みの髪形の眼鏡をかけた少女で、あどけなさが残っていた。
智子は彼女について、事前に一つだけ教えてくれた。
曰く、彼女は一人の少女を救うために、いくつもの時間軸を旅したというのだ。
その夜、玄谷はあのあどけなさの裏でどれほどの重荷を抱えたのだろうと想像した。
智子曰く、今回は同席するだけで、あまり話には関わらないこと。
そして、しばらくこの集落にほむらが滞在するということを告げた。
それでも、なぜか彼女を滞在させる理由を教えてくれなかった。
ともかく、その日がやってきた。場所は智子の家だ。
彼女の純白の家は竹林に囲まれており、その小径を通るのも好きだった。
その竹林に差し込むうららかな日光は心を清めてくれるからだ。
そして、ちょうどほむらと偶然に出会うことができた。
「ほむらさん、久しぶりですね」
「お久しぶりです、玄谷さん。元気そうで何よりです」
ちなみに、達也は今日は欠席することになった。
何しろ、ももこからのメッセージという重大な仕事があるからだ。
何も言わずに去っていけば、心配されるのは当然だ。
こうして二人で智子の家に入っていく。
彼女の家の内装は和と中華が融合したものであった。
壁には品のいい書画がいくつか掛かっている。
「いらっしゃい、二人とも。そこにかけてちょうだい」
智子に言われた通り、アンティークの木製文机に座った。
そして、彼女はお茶を二人のために出してくれた。
茶葉は中国の龍井茶のようであった。
椀の底では小さな緑の森のように茶柱が立ち、爽やかな芳香を漂わせていた。
味も落ち着きを与えてくれるものだった。
「まず、逃亡主義の問題について話す必要があるわね。
まあ、結論はほぼ同じであるはずだけど・・・。
その前に、ほむらさんは逃亡主義について知っているかしら?」
「あっ、はい。事前に職員さんから聞いたので・・・」
「・・・遥かなる星計画とやらに誘われたの?」
「はい、そうです・・・断りましたが」
遥かなる星計画は日本政府によって作成された逃亡計画だ。
どこの国も、逃亡計画にSF小説からアイデアを得ているようだった。
アメリカであれば、スターチャイルド計画だし、
イギリスは最後にして最初の人類計画という名前を付けた。
ただ、後者の方は少し様相が異なっており、運ぶのは人ではなく、人の種子だ。
もっとわかりやすくいえば、DNAやら有機物やらだ。
「私の代わりにまどかを乗せてほしいと言ったら、断られてしまったので・・・」
「・・・あの子の因果はあまりに高すぎる。
もし、船内で異常が起きて魔女になってしまったら大変なことになるわ。
・・・でも、あなたのような人間ばかりだったら、逃亡計画は問題にならなかったわね。
でも、たいていの人間は我先にと乗り込みたがるの。別に彼らを責めるつもりはないわ」
そう、誰も彼もが先に方舟に乗り込もうとするだろう。
それで、乗れなかった人間はいったいどうなる?
もしかすると、彼らはこう考えるかもしれない。
自分たちが生き残れないなら、あいつらも生き残れないようにしてやる。
玄谷は人間というのがそれほど清廉潔白ではないと知っていた。
祖父からして、優しいのに汚職に塗れているのが一目瞭然だからだ。
だが、同時に人間がそれほど穢れた存在ではないとも知っていた。
だからこそ、迷っていた。人間の善性にかけるか、悪性にかけるか。
気が付けば、玄谷の視界には広大な宇宙が広がっていた。
上も、下も、右も、横も、漆黒の世界だった。
だが、そこがどこの座標なのか即座に理解できた。太陽系だ。
その理由は、目の前に浮かぶ輪を有した天体、土星が目の前に浮かんでいたからだ。
それに、暗いはずなのにやけに眼が冴えて、他の天体も確認できた。
しかし、その雄大な天体は一瞬で形が崩れてしまった。
見えない何かに触れてしまったかのように、ある一点から平面状に潰れていった。
よく見ると、土星の近くに衛星ではない何らかの物体が確認できた。
球形上や円筒状、またはその中間といった建造物が浮かんでいたのだ。
そして、その建造物から多くの宇宙船が脱出していた。
土星が厚みのない一枚の絵になると同時に、建造物も後を追うように絵となった。
そして、玄谷はある光景を目の当たりにしてしまった。
崩落していく建造物から人間が落ちてきた。そして、その人間たちも平面状に潰されたのだ。
老若男女問わず、人種も問わず、あらゆる人間が生き生きと宇宙にプリントされた。
玄谷は小さなころの記憶を思い出す。前を歩いていた人がカタツムリを踏みつぶしたのだ。
それに気づいたのは玄谷だけだったが、その時の記憶と重なってしまった。
ふとあることに気が付いた。宇宙船たちがなぜか動いていないのだ。
もう逃げることを諦めたのだろうか?いや、エンジンが青く輝いている。
彼らは逃げようとしているのだ。それなのに、なぜか宇宙船が動かない。
「無駄だよ。あの可哀想な子どもたちは決して逃げられない」
一人の老人が、玄谷と同じように宇宙空間に浮かんでいた。
だが、その体はどこか透き通っていた。
「ナイアガラの滝、ナイアガラの滝みたいなものなんだ。ははは・・・
脱出速度を計算してみるんだ。彼らは決して、脱出できない」
「脱出速度・・・悪いけど、僕は文系じゃありません」
「君の目の前に、とってもすごい計算能力の持ち主がいるはずだろう?
その人に聞けばいいさ。わははは・・・。
手つかずのテーブルなんてないし、宇宙に純潔な乙女なんていない・・・」
まだ十秒も経っていなかった。白昼夢だったのか?
それにしては、やけに具体的すぎた。
玄谷は智子に聞いてみることにした。
目の前にいるのが、彼女だったからだ。
「・・・智子さん、もし暗黒森林攻撃を受けたとして、
人類が必要とする脱出速度はどれくらいなんですか?」
智子は驚きもせずに言った。
それは捕らわれた宇宙船たちに対する判決だった。
「光速よ」
ほむらもそれが何を意味するか理解した。
今の人類に出せるスピードではない。
つまり、攻撃を受けてからでは遅いということだ。
それを悟った玄谷は再び漆黒の宇宙にいた。
今度は海王星だ。海王星が崩壊しつつあったのだ。
「脱出速度を聞いただろ?」
「ええ、光速って。それがあれなんですか?」
必死に逃げていた宇宙船が突如と動かなくなった。
そして、他の物体と同じように絵になった。
「ああ、そうだ。君が見ているのは、太陽系の二次化だ」
「二次化・・・」
「生きとし生けるもの、すべてが絶滅という絵に加わることになるんだ。
おっと、ヨーロッパⅥの二次化が始まったな・・・。
実に愚かな子どもたち。傲慢さ故に死んでしまうことになった子どもたち。
子どもたちは
だから、ガス惑星の裏に掩体都市を建造することで生き延びようとした。
でも、高度な文明がそれに気づかないとでも思うかい?」
玄谷の脳裏に浮かんだのはインキュベーター文明の存在だ。
「・・・気づきますね」
「そういうことだ。わざわざ見逃す理由もない」
老人はパイプをくわえた。
煙は出ていないのに、香りが漂ってきた。
そういえば、なぜ真空状態なのに、この老人と話せるのだろうか?
そんな疑問がよぎると、もう一つの記憶がなぜか蘇ってきた。
それは子供の時に聞いた智子のおとぎ話だ。
『物語のない王国の物語』という名前だったはずだ。
そのお話に出てきた針孔絵師の絵みたいだ。
彼に描かれた人間は、死んだ絵として吸収されてしまう。
目の前で繰り広げられる太陽系の滅亡はまさにそれだった。
「おっ、今度は地球だな」
老人の指差した先では、母なる大地が大いなる絵と化した。
なんという残酷で壮麗な滅亡であろうか。
それを眺めていた玄谷の目の前にある文字列が浮かび上がった。
いまから五時間前、太陽系早期警戒システムは、太陽に対して暗黒森林攻撃が行われたことを確認しました。
今般の攻撃は、次元攻撃のかたちをとっています。太陽系内の空間を三次元から二次元に崩潰させ、それによって太陽系内のあらゆる生命が殲滅されることになります。
このプロセスが完了するまでの時間は八日から十日と見積もられています。いま、この瞬間も、太陽系宙域の次元崩壊が進行中で、その範囲と速度は急激に大きくなっています。
次元崩壊宙域からの脱出速度は高速であることが確認されています。
いまから一時間前、太陽系連邦政府と連邦議会は、逃亡主義を禁ずるすべての法律の撤廃を決議しました。しかしながら、政府は全ての市民に対し、あらためてお知らせします。脱出速度は、現在の人類が保有するいかなる宇宙船の最高速度よりもはるかに大きく、次元崩潰からの逃亡が成功する確率はゼロです。
太陽系連邦政府、連邦議会、太陽系最高裁判所、太陽系連邦艦隊は、最後まで職責をまっとうします。
気が付くと、老人は消えていて、葉巻をくわえた別の男が立っていた。
その男の片袖は腕がなく、空っぽだった。
彼は滅びゆく人類の滅亡を嘲笑うかのような表情をしていた。
だが、玄谷の方を見ると、その表情は一変した。
「二度と同じあやまちを犯すな」
その声は、あの交渉を後押しした声と同じだった。
肩に手を置いてくれたのは、この男性だったのだ。
再び意識は智子の家に戻っていた。
「智子さん、僕は逃亡主義には半分賛成です」
「あら、そう」
智子にとって、この回答は予想の範疇だったようだ。
「しかし、現時点では様々な問題があります。
誰を乗せるのかもそうですし、速度も問題です。
だいたい、今の有人宇宙船でも火星まで時間がかかりすぎる。
ですが、普通に禁止にしてはいざという時に破滅を迎えます。」
「その通りね。だったらどうするの?」
「恒星間宇宙船を完成させるまで、禁止という方向で行きましょう」
この言葉に、玄谷自身も驚いていた。
今までは、どうでしょうか、だった。
だが、今、はっきりと自分の意志を告げたのだ。
「そうね、それがいいわ」
かくして、ここに人類の未来を確定する決断が為されたのだ。
ふと、窓を見ると、先ほどの男が親指を立てていた。
どうやら、これで正解だったらしい。
その後は普通に雑談を楽しんだ。
今回のお茶会は、ほむらとの親睦を深めるのも兼ねていたらしい。
智子がこっそり耳打ちしたのだが、彼女はとても役立つから招いたそうだ。
帰り道、ほむらは驚くべきことを聞いてきた。
「玄谷さんはあの時、何を体験していたんですか?」
「・・・えっ?」
あれは一種の白昼夢だと完全に思っていた。
だが、隣に座っていた彼女はそうではない何かを感じ取ったのだ。
よく考えれば、不思議なことではない。彼女は魔法少女なのだから。
「私の使っている魔法と似た感覚が伝わってきたんです。
・・・私の能力について、智子さんから聞きましたか?」
「・・・ええ、聞いています。
つまり、僕は別の時間軸に行っていたと?」
これは玄谷をとても不安にさせた。
もしかしたら、今も別の時間軸にいるのかもしれない。
今、こうやって話しているほむらも、先ほどとは別人なのかもしれない。
じゃあ、元の時間軸にいた僕は消えたってことになるのか?
そして、今いるのはかつての僕を知っていた別人で・・・。
だが、次のほむらの言葉が彼をこの問題に関して安堵させてくれた。
「いえ、私のとはまた違った感じでした。
まるで、本当に過去に遡っていたというか・・・。
私の能力はあくまで別の時間軸の一点に向かうだけなんです。
でも、玄谷さんはまるで川の源流に遡っていたというか・・・。
ごめんなさい、上手く説明できなくて・・・」
「いえ、いいんです。川の源流ですか・・・。
うん?源流?今、源流って言いましたか?」
「はい、そうですけど・・・?」
彼女の言うことが本当であれば、玄谷は過去を視たことになる。
だが、あれは太陽系だった。太陽系はまだ滅びていない!
いったい、玄谷は何を体験したというのだろう?
家に帰った後、いったんくつろぐことにした。
「よお、玄谷」
「達志先輩、疲れているようですが・・・」
「そういうお前もちょっぴりそう見えるぞ?
こっちはももこからのメッセージの対処で忙しかったんだ。
いつ戻ってくるんだとか、こっちは心配したんだぞとか・・・」
「戻る気はあるんですか?」
すると、達志は笑顔になった。
それは、あの男の絶望を笑う表情によく似ていた。
「嫌に決まってんだろ、あんな街。
まあ、お前が行きたいってんなら付いていくけどよ」
それから、玄谷は自室で一人考えた。
あの決断は、本当に正しかったのだろうか?
いや、これは人類を延命させる手段かもしれない。
それに、決定権が執剣者にあるのなら、変更権も執剣者にある。
都合が悪くなれば、また理由をつけて方針を変えればいいじゃないか。
・・・でも、やはり決断が正しかったか不安だ。
今の玄谷は、全人類の運命を双肩に背負っているのだ。
その責任はあまりにも、重すぎた。
気が付けば、玄谷はあの時のように衣美里に電話をかけていた。
そして、あの時と同じように、謝った。
三体好きかい?
-
うん、大好きSA!
-
まあまあSA!
-
あたしゃ知りませんよ
-
(よくもそんなこと)聞いたなコイツ!!
-
全滅してやるぞ(嫌い)
-
劉慈欣先生お許しください(すごく嫌い)