水滴インキュベーターが現われたのを誰も知らなかった。
智子と一人の魔法少女を除いては。
その魔法少女の名は美国織莉子。彼女は以前からそれを予知していた。
だが、あくまで彼女が視ることができたのは、それが現われる未来だけ。
一方、智子は未来を視ることはできなかったが、現在進行形で視ることはできた。
それも、三体星系における一連の経緯から。
だが、彼女はとくに行動は起こさなかった。
なぜなら、水滴インキュベーターは今のところは観測するだけだからだ。
さて、そんな二人と違い、星ノ森玄谷は当然のことながら水滴インキュベーターを知らなかった。
彼は今のところは宇宙の真理に近いだけの人間なだけだったから。
さて、そんな玄谷は目下休学中である。命の危機的状況で大学に行くべきではなかった。
代わりに休学手続きをしてくれた達志曰く、意外にもすんなりと手続きは済んだとか。
玄谷はその理由がだいたいは予想できた。一つは、休学届を出したからだ。
星ノ森家で学者に進んだものたちは、それすらしなかったこともあったのだから。
先祖の行いのおかげで、相対的に教授たちからの評価は意外にも高くなっていた。
そして、二つ目は完全に推測でしかないが、智子の手引きであろう。
彼女はたまにふらっと姿を消すことがある。
そして、その度に何か世界の行く末を決めるような条約やら会議があるのだ。
誰もがわかっていたが、それを明言することはなかった。
そんな彼女だからこそ、玄谷の休学を支援することができたのかもしれない。
まあ、玄谷は少しだけ不満だったが。
「・・・直接助けに来てくれたらいいのに」
掃除の手を休めずに、彼は呟いた。
玄谷は調整屋で住み込みでアルバイトをしているのだ。
とくに仕事が厳しいとかいうわけでもない。
手料理を振る舞わされそうになった時は走馬灯を経験したが。
掃除と料理、これがアルバイトの内容だった。給料は身の安全。
調整屋の周囲での争いは禁止、というのは本当のようであった。
ほとんどのローブを着た魔法少女がしぶしぶと見逃してくれたからだ。
ここでアルバイトするようになってから、わかったことがある。
ローブを着た魔法少女は羽根と呼ばれており、マギウスの翼という組織の所属していること。
そのマギウスの翼、というのはマギウスという三人の魔法少女に率いられているということ。
これは白黒問わず羽根の魔法少女たちから直接得た情報である。
別に脅迫とかしたわけではなく、普通に親しくなったのだ。
なんとも不思議なものだった。彼女たちは自分を殺せと命じられているのに。
最初にわかったのは、恐怖を抱いているの彼女たちも同じだったということ。
彼女たちに配布された写真は、それはもう酷かった。
完全に悪人面して笑っている肥満体の男が地球に牙を剥こうとしていたのだ。
ところが、羽根たちが実際に会ったのは小太りで優しそうな青年だった。
そして、加害者を前にしているからぎこちないものの、本当に優しかった。
当たり前であろう。何しろ、彼は大学の先輩からトトロと呼ばれるくらいだからだ。
肝心の情報はなかなか言ってくれなかったが、お互いの誤解みたいなものは解けていた。
これが智子の言っていた愛とやらの力なのか?
とにかく、こうしている間にも掃除は終わってた。
この空間は、智子の家とはまた違う安らぎを与えてくれる。
「あら、お疲れ様。うん、やっぱり玄谷さんが掃除するといい感じね」
まだ寝癖が残っている八雲みたまが入ってきた。
彼女は快く玄谷を受け入れてくれた魔法少女である。
なお、彼女に対面したとき、達志は立ち会わなかった。
十咎ももこのアドバイスによると、達志のことを言及しないほうがよいとのこと。
あと、もう一つアドバイスをしてくれたが、それを無視したせいで酷い目にあった。
そう、手料理を食べてしまったのだ。あれは酷かった。
「それほどでもありませんよ。僕はやれることをやってるだけなので」
「それでもわたしはすごく助かってるわ。ありがとねえ」
今のところ、互いにとってウィンウィンの関係が続いていた。
みたまは安全を提供し、玄谷は労働を提供する。
なお、ももこ曰く、達志の名前を出すだけでそれは崩れるから気をつけろとのこと。
達志はよほど許されないことを彼女にしたのであろうか?
そもそも、みたまのことがあまりよくわからない存在であった。
彼女の素性を知る者は意外と少ない。ももこでさえも知らないらしい。
少なくとも、達志と十七夜は知っているであろうことは確信できる。
だが、達志とはももこを介してでないと連絡を取れないし、十七夜の連絡先はそもそも知らない。
ただわかることはある。初めて会った時、彼女の眼に浮かんでいたのは同情だ。
いや、同情よりかはむしろ仲間意識と言ったほうが正しいだろうか?
そこからわかるのは、彼女が何か迫害を受けていたに違いないこと。
彼女は人間を嫌っているかのような表情を無意識に浮かべることがあるのだから。
「朝食もすぐに作るので待っていてくださいね」
「わかったわ」
さっと軽いものを作る。サンドイッチとコーヒーだ。
料理は智子から教えてもらった。彼女は料理が上手いのだ。
もしかすると、智子はこの世のありとあらゆるメニューを知っているのかもしれない。
朝食は今日も好評であった。そして、仕事が始まる。
始まる、といっても誰かが来ない限りは仕事にならないのだが。
「噂を聞いてやってきたけど・・・順調そうね」
やちよがやってきた。彼女が魔法少女だと知ったのはアルバイトを始めてからだ。
道理で達志が彼女のことを知っているのは、他の魔法少女から情報を得ていたからだ。
「ええ、賢明に友達を選んだおかげです」
玄谷は皮肉めいた笑みを浮かべながら言った。
「そう・・・なら良かったわね。
ところで、宇宙社会学とやらはあれから進んだ?」
玄谷は首を振った。無理であった。
アルバイトもあるし、休学明けのための勉強もある。
とても、宇宙の真理など追いかけている暇はない。
「こっちが教えてもらいたいくらいですね」
「だと思った。ほら、これ渡しておくわ」
彼女が渡してきたのは大量のノートのコピー。
それは玄谷が本来受けるはずだった講義の内容だった。
取っている講義は違うはずなのに、やちよはあちこちに掛け合ってくれたのだろう。
彼女もまた、賢明に選んだおかげで得た良き友達であった。
ちょっとだけ皮肉を言ったのが恥ずかしくなった。
「これで休学明けのことは心配しなくてもいいはずよ。
とにかく、あなたは宇宙社会学に専念しなさい」
「・・・やけにサブカルに注目しているようですね」
「宇宙社会学は、ただのサブカルじゃなかったのかもしれないわ。
少なくとも、それには人を殺してしまうほどの価値があるってことね」
「でも、僕にはとてもじゃないけど扱いきれない」
宇宙にはおそらく幾千万もの文明が存在するだろう。
決して、荒涼とした砂漠なんかではないはずだ。
だが、そのような文明がどう超社会を構成するというのだ?
公理二階段を、一歩一歩昇り続けるのだ。
よくある勘違いだが、あれは三段目、すなわちタイプⅢで終わりではない。
後世の学者たちがさらなるスケールの拡張を提案したからだ。
宇宙の制御を行えるタイプⅣ文明と、複数の宇宙を管理できるタイプⅤ文明だ。
さらにジョン・D・バロウはミクロ次元の習得度なるものを提言している。
彼曰く、タイプΩマイナス文明が最高で、空間と時間の基本構造その物を操作できる段階らしい。
そんな神秘的な文明群が築く超社会を、タイプⅠ未満の文明の学生が予想できるわけがない。
それに、フェルミのパラドックスの存在も考慮しなくてはならない。
文明がたくさん存在するのなら、どうして接触が起こらないのだ?
「・・・じゃあ、簡単なことから練習してみたら?
どうせカルダシェフとかフェルミとかに頭を悩ませてるんでしょ。
私が提案するのは、もっとあなたの日常に近い分野よ」
やちよがプリントを渡してきた。
一番上の段落には、魔法少女社会学と書かれていた。
そして、その社会学の公理もきちんと書かれていた。
公理一:生存は魔法少女の第一欲求である。
公理二:魔法少女は魔女を狩り続けるが、各地域における魔女の総数は常に一定である。
宇宙社会学の公理を拝借した感じであったが、ある程度納得はできた。
まず生き残ることは重要で、マギウスの翼はこれが顕著に表れている。
公理二は、魔法少女は魔女化して魔女の数は一定に保たれるということを意味してるのか?
さらに、プリント下部には二つの単語が書かれていた。
相互猜疑
魔力衰退
これもまた宇宙社会学からの拝借だった。
魔力衰退は理解できる。年を取るごとに魔力が落ちるという噂は聞いたからだ。
しかし、相互猜疑とはどういうことであろうか?
互いが互いを疑い合う。わけが・・・いや、これはつい最近体験したばかりだ。
玄谷とマギウスの翼は相手を互いに疑っていたではないか。
玄谷は命を狙われたというのもあるし、彼女たちは玄谷を怪物だと思っていた。
「・・・ええ、確かに僕の"日常"には近いですね」
「宇宙社会学の模倣だけど、いい練習台になると思うわ」
「なるにはなりますけど・・・魔法少女と宇宙文明では大きな違いがあるのでは?」
やちよは微笑むだけだった。
「いいからやってみなさい」
そして、調整屋を出ていく際に彼女は振り向いて言った。
「平時のときの友達くらいはきちんと選びなさい」
玄谷の横はうんうんとみたまが頷いていた。
三体好きかい?
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うん、大好きSA!
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まあまあSA!
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あたしゃ知りませんよ
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(よくもそんなこと)聞いたなコイツ!!
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全滅してやるぞ(嫌い)
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劉慈欣先生お許しください(すごく嫌い)