目覚めると真っ白い空間にいた。
はて俺は部屋で大好きな赤ワインを飲みながらアニメを見ていたはずなのだが、一体ここはどこなのか。そう思ったところで声が聞こえた。
『ここは天国と地獄の狭間ですよ。あなたは死んでしまったのです』
まじか。まじなのか。俺はもう赤ワインが飲めないのか?
『死んだくせにまだワイン飲みたいんですか?』
男とも女とも判断のつかない声だ。しかも相当呆れた様子。
ああ、飲みたいね。流し込みたいね。あの血のように赤黒くて香りの立つ深い味わいの液体は何度飲んでも飽きることはないのだ。赤ワインとクラッカーに乗せたチーズの組み合わせは最高なのさ!
しかしどうして俺は死んでしまったんだろう。酒の飲みすぎか?
いつもより飲んでいなかったと思うんだが。
『ああ、あなたの死因は出血多量ですよ』
ええっ? もしかして鼻血ブーですか? それとも胃潰瘍?
『いえ、痴情のもつれですね。彼女さんに間女ともども刺されてしまいましたよ、ゾッとするくらい』
あー、そういや途中で彼女が乱入してきたんだったけ。おかげで一本五万円する赤ワインが音を立てて砕けてしまって酷く怒った気がする。サラリーマンであまり高い給与額とは言えない俺が勇気を出して買った一品だ。結局グラス一杯しか飲めなかったか。残念だ。
『口論になった末に刺された挙げ句、狂ったあなたは背中を刺されながらも間女の首から流れる血を新しい赤ワインと勘違いしたのか、うまいうまいとペロペロ舐めだすのですから、私は酷く驚いたものですよ。長いこと迷える魂を輪廻に転生させる仕事をしていますが、あなたはトップクラスの狂人です。あれを見た時は呆れを通りこしてよくやったと拍手を送ったものですよ』
そうですか。照れるなぁ。
俺がそう考えると神様的な人は姿はよく見えないが、両腕を抱えて身を温めるように手を動かした。
どうやらゾワゾワしたらしい。
『褒めてません。がしかしあなたみたいな狂人を普通の世界に転生させるのはどうかと思うので、別の世界に転生させることとします』
別の世界に転生? 一体そこにはどんな赤ワインがあります?
『赤ワインがあること前提で聞くんですね、気持ち悪い』
重要なことなので!
神様的な人は顎に手を当て指を数えるようにトントンと叩く。
『そうですねぇ……あなたが最後に見ていたアニメにしましょう。ちょうど吸血鬼が出てきますから、自然発生した怪異ということでここは一つ』
俺の返答などどうでも良いのだろう。話は終わりです、とでも言うがごとく神様的な人は指をふるった。
すると俺の体は粉のように溶け、視界は照明が輝度を増していくようにホワイトアウトしていく。次に目覚めたのは、おびただしい血と死体が散乱する薄暗い部屋の中だった。
あまりの光景に思わず目をつぶると、殺戮されたたくさんの人間の怨念・邪念がぐるぐると俺の中で渦巻き、突如として現れた化物に恐怖で縮こまっては震える殺人鬼と思しき男に殺意を向ける。
「……ひぃっ!」
くぼんだ眼窩に吹き出した汗が大量に流れ込み、奴の顔色も蒼白と称してよい程に悪い。まさに恐れおののいた、というところだろうか。
無意識に開けた自分の口から本来犬歯に当たる部分が鋭利な刃物のように、もしくは貫く針のごとく伸びる。なるほど。捕食せよということか。俺は息をついて瞠目し、満を持して行動する。さながらフランスパンに齧りつくが如し、ガブリと殺人鬼の首に噛み付き、吸引力が変わらないただ一つのお掃除器具のように吸い出していく。すると奴はみるみるうちにミイラのようにやせ細り、最後は砂のように空気に溶けていった。
「ふふん。赤ワインには負ける。けれども、悪くない」
これも人生。いや、今は吸血鬼生というべきだろうか。部屋の片隅に横たわる赤ワインを見つけると、俺は割れたワイングラスに注ぎ、これから起こるである事柄に思いを馳せながらじっくりと妖艶な味を舌で転がす。
この世に赤ワイン好きの吸血鬼が誕生した瞬間だった。
赤ワイン好きの吸血鬼こと、俺が夜を恐怖に陥れて約二百年ほどが過ぎた。人にまぎれて過ごしていく内、年代としては中世で場所は西欧といういうことがわかった時は原作開始まで長過ぎることに憂鬱な気分で酒浸りになっていた。
けれども、現時点で収集したワインをどうにかこうにか保存して原作開始のタイミングで飲めば最上級なワインになるのでは、という名案が浮かんだので今はそれを目標にワイン作りと名物の収集に力を入れている。
え? 吸血鬼の力はどうだって?
もちろん吸血鬼の基本的な能力はすでに持っている。霧化、翼を生やしたりコウモリや他の動物への変身、想像具現化、回復力、超身体能力。
吸血鬼の能力は個々によって違う。原作でキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードは不死性と回復力が特化しており、エナジードレインができる万能タイプだが、ドラマツルギーは身体能力は吸血鬼らしく高いものの回復力が低いし、エピソードは半吸血鬼ということもあって霧化はできるが不死性は弱い。
俺はキスショットに似たようなもので、不死性と回復力はかなり高い。現状では日光に当たっても十分ぐらいなら燃えても耐えられる。
これはたまに見かける『本当に元人間か?』と思うぐらい知性のない、ただ暴れるだけの吸血鬼が迷惑なので喰らっていたらエナジードレインが使えることになったことで成長したらしい。いつかはお日様の下で読書をしながらゆったりワインを飲みたいと考えているので、今後も目についた不埒な吸血鬼や邪魔な怪異を小腹程度にちゅるちゅるしていくつもりだ。
その他に挙げるとするならば驚異的なスピードだろうか。某アメリカンなヒーローと比べて遜色がないほど速く動けます。畑仕事や収穫にとても便利! 時折小金稼ぎにワイン農場にお邪魔して手伝っていることは内緒だ。
また、水の上を歩ける程度に速く動けるので橋いらずである。この世界に転生して長い。海外旅行をして日本食が恋しくなるのと同じ気持ちなのだろう。いつか大西洋を横断してアメリカ大陸へ行き、太平洋を完走して日本へ行こうと思っている。吸血鬼としての役割はもちろんのこと、それ以外に食生活を豊かにしたいと思うことは、化物である自分に人間性が残っている証拠ではないだろうか。
まぁ、シリアスぶってはいるが単に人間や怪異を喰らってもあんまり美味しいとは言えないので飯のうまい日本に行きたいという願望を掲げているだけだ。今頃は日本各地の大名が領地争いに一所懸命しているような時代だろうから五百年ほど経る必要がある。
さて、この頃は吸血鬼退治の専門家がマスケット銃を使い出したので銀の弾丸を射出されることも多い。そんな時は超スピードで動いて弾丸を逸してみたり、自分とハンターとの位置を入れ替えたりと遊んでいる。
スピードだけは全盛期のキスショットより早いと自負しているので、いつかかけっこで勝負をしたいものだ。
逆に彼女より劣っている部分としては創造具現化である。どんなに脳みそを手でぐにゃぐにゃしても屋敷やゲーム機を創造することはできなかった。作れたとしてもせいぜいが自分の服とかワイングラスやボトル、剣ぐらいだ。きっと思い入れがあったり詳細がわかってないとできないんだろうな。これは後の課題としておこう。
「ふーむ、今回のワインは香りは立っていて……うん、味も悪くないな」
「さようでございますな。熟した果実のような匂い、私の舌に妖艶な旨味が広がっていきます」
「うん、さすが『俺』だもんな。五十年ほど熟成させたシラーだが、自分で作った初期のものとしては上出来か。そら、トロピカレスク。チーズも食べろ。これは俺の作った自慢のゴルゴンゾーラだ。牛のステーキもうまいぞ」
「ありがとうございます、カトラス殿」
「ちっ。うざってえ吸血鬼がいたもんだ。このワイン馬鹿が!」
「ケッケッケッ。だが血以外にもうまい飲み物はあるだろう? 悪態をつきながらも『悪くない』とか言っていたのは誰だったかな?」
「うるせぇ。俺様は自分で殺したものしか食わねぇ主義だ。つーか殺すぞワイン馬鹿。俺様は不死身の化物。決死にして必死にして万死の吸血鬼なんだぞ!」
そう言って自慢の金髪を逆立てるデストピア・ヴィルトゥオーゾ・スーサイドマスター。当初俺が立ち寄った時は闘いにもなったものの、要件が自分の作ったワインを飲んでくれないか、ということだとわかった途端、戦うことが馬鹿馬鹿しくなったらしい。まぁ、それももう百年以上昔の話だ。
俺はだいたい二十年に一度くらいの割合でここ、死体城に来ていた。この偏食吸血鬼にも美味しく飲めるワインを作りたくて赴いたが今の所満足行くものは出来ていない。嫌々一口飲んで受けつけなければ俺の首を落とすし、及第点だと舌打ちして終わりとなる。なかなかどうして難しいものだ。
「マスター、そうおっしゃらずとも。カトラス殿が作るワインは王国でも非常に人気でございます。マスターのためにと作られたこのワインは、貴族が殺し合いをしてでも手に入れたいと思うほどに美味なのでございますぞ」
「あぁ? カトラスったぁ誰のこった。俺様のつけた。このデストピア・ヴィルトゥオーゾ・スーサイドマスター様がつけたワイン馬鹿の他に、なんて名がコイツにあるんだよ、トロピカレスク」
「カトラス殿ですよ、マスター。マスターが彼におつけになったのです」
「そうだっけ?」
頭をポリポリと掻くスーサイドマスター。
さて、遅くなったが自己紹介をしよう。俺の名はピノ・ノワール・カトラス。
神速にして迅速にして敏速の、ワイン好きな吸血鬼である!