芦毛の誇り高き妹 作:室星奏
「嫌だ……どうして?」
まだ話と夕飯は終わっていないというのに、兄から聞かされた言葉の重みに負け、自分の部屋へと戻ってきてしまった。確かにトレセン学園なる場所には十分興味あるし、そこで勝利を続ける事で、兄に褒めてもらえるのならば、どれほど良いだろうか。
実際に数年前、トレセン学園に行ってみたいと、兄に漏らしたことはある。当然『まだまだだな』と言って、あしらわれてしまったが。
けれども、突然その時が訪れると、一気に不安が押し寄せてくる。その間に兄と毎日会えなくなるというのは、きっと私には耐えられない。心の拠り所を失った結果、足が動かなくなってしまうかもしれない。
それでは、兄を悲しませてしまう。嫌われてしまう。それだけは絶対に避けなければならない。
「ずっと、一緒にいたい……」
ベッドの上のドーナツぬいぐるみをぎゅっと強く抱擁し、頭を埋める。こんな自分は、兄にさえも見せた事がない。
兄と出会う前、私はとにかく凱旋を見る為にだけ走ってきた。バ鹿にしてきた皆を見返す為に、世界に私の名を知らしめる為に。その様は、正に自己中心的そのものだった。そのような性格も嫌われていた要因の一つなのかもしれない。
けれども、何時しか私の走る理由が、兄の喜ぶ顔が見たいからという物に置き換わっていた。いつからだろうか? 今となってはもう思い出せない。
『やったな! オグリ!』
初めて地方レースで優勝した時、兄さんは他の誰よりも喜んでくれた。奮発してその日の料理は、かなり豪勢な物になった記憶がある。結局足りずにおかわりを要求してしまったが。
その喜ぶ顔は、どんな歓声よりも嬉しく、有難く、そして暖かかった。心が爆発したかのように熱くなる。その感覚を感じれるだけで、レースを優勝する価値がある。誰にも邪魔されたくない。
同僚とかいらない。兄さえ、兄さえいれば……私は……。
「兄さえいれば……私は生きていられる」
その為に、私はこの地を離れるわけにはいかない。もしそれでも、向こうが進めてこようとするのなら、するのなら……。
――一体、どうしようか。
***
翌日。
「どうだ? 決まったか?」
「無いっすよ。話を切り出したら、オグリが珍しく飯を残して部屋に戻ったくらい。嫌だったんじゃないか?」
「おいおい、明日は雨を通り越して槍だな!」
他愛もない会話をしつつ、昨日の
そんな筈はない。一応
俺には、どうもわからない。
「どういう事なんすかね」
「ん~~~? お前非公式とはいえ、オグリキャップのトレーナーだろ? 自分がよくわかってんじゃねぇか?」
「トレーナーじゃないっすよ。手伝っているだけで、そんな大層なもんじゃない」
トレーナーとは、ウマ娘のトレーニングや栄養を管理・記録し、目標としている凱旋を見させるためにサポートする人達の事である。ウマ娘にとっては、必須とも呼ぶべき貴重な存在だ。
この人は俺をそう呼ぶが、あくまで俺は兄として、妹のオグリをサポートするだけの存在だ。
そんな会話を毎日と言っていいほどするのだが、その度にこの人はニヤニヤと笑いながら、羨ましそうな言葉を並べる。一体何だと言うのか、ごはんを用意する毎日は、楽しいが大変だという事を、少しは理解してほしいものだ。
「そうかぁ? ……もしかしたらあいつ、孤独が嫌なのかもしれねぇな」
「そんな筈はない。何時も
「嫌々、わからねぇぜ? そこで、だ。お前、公式にウマ娘のトレーナーをやる気はないか? 勿論、担当はオグリキャップで」
「は?」
思ってもなかった言葉に、つい言葉を失ってしまう。いやいや、何度も言っているが俺にそんな大層な役目が務まる筈がない。
色んな資料を見て、様々なトレーナーを見てきたが、どの人もかなりの敏腕であり、ウマ娘もトレーナーに対して多大なる信頼をしていた。……そういう点では、確かに適任なのかもしれないが、あくまで俺は兄というだけだ、ウマ娘の信頼とは、少し語弊が生じる。
確かにトレーナーという職には、
「さすがに無理っすよ。まあ
「トレーナーなんてそんなものだぜ? 知り合いのチーム・スピカのトレーナーなんざ、お前より腑抜けた顔してるぞ? ま、腕は確かだがな」
「その腕が問題なんじゃないっすか」
「腕なんざ、最初は皆クソくらえだ。それならば、トレーナー補佐から初めてくれてもいいぞ?」
「補佐?」
曰くそれは、見習いのような物らしい。先輩トレーナーから色々学びながら、少しづつトレーナー業になじんでいく。それがトレーナー補佐としての仕事らしい。まあ付添のいるトレーナーという説明が一番わかりやすいだろうか?
「……まあ、それくらいなら別に良いかもしれないですが、俺一応バイトやってるし……」
「給料。1.5か2倍くらいまで跳ね上がるかもしれないぜ?」
「うっ」
痛い所をついてくる。こいつ、俺の逃げ場を完全になくすために色々言葉を準備してきたな? クソ、トレセン学園のスタッフはみんな策士なのか? 化け物なのか?
最終的に、俺は屈して
いくら地位のある学園とはいえ、無理やり連れて行く何てことはできないからだ。したのなら大問題だ。
「了解。んじゃ、良い報告を待ってるぜ」
そう言い残し、向こうは電話を切る。
「……ふう」
「学園?」
「うわっ!? ……気配遮断すんな。びっくりしただろ」
「ご、ごめん……」
気づくと背後には、
何か気に障る事でも言っただろうか? 思い返すが、それらしい単語は見当たらなかった。
「なんか俺、不味い事言ったか?」
「……。それで、なんだったの? 電話」
「怖い顔のまま言うな。……俺もトレーナー。いや、トレーナー補佐として、
「それ、本当!?」
ガバッと俺の方へと駆け寄る。先ほどまでの暗い表情はどこへやら、その言葉を聞いてすぐに何時もの
……にしても、ここまで近くまで顔を寄せるのは、何時ぶりか? 恥ずかしいから、もう少し離れてほしい物だが、まあ我慢する。
「ああ。本当だ――何、寂しかったのか?」
「……ぅ、ぅん」
「ん? なんて?」
「何でもない」
赤面しながら何言ったんだお前は、顔を近づけたのは一応お前だからな? と突っ込もうとしたが、止める。
嫌なら向こうから離れていくだろうし、余計な事はしない方が良いだろう。
「そ、それよりも。兄も行くのか? 行くのか?」
「お前が良いのなら、な」
「良い、うん、良いよ。拒否何てする筈がない。私、凄く嬉しい」
「……片言外国人みたいになってんぞ」
急に語彙力が壊滅的になっているが、俺と一緒なら良いという事らしい。なんだ? 昨日は俺が行かないみたいな雰囲気だったから嫌がったのか? 顔は出すって言っただろうに、聞いてなかったのだろうか?
まあでも、行く意思を見せてくれただけでも上々だろうか? 俺としても、学園で経験を積んで、世界に名を残してくれたならば、どんなに嬉しい事か。いや、それ以上の嬉しさは恐らくこの世に存在しないだろう。
「何というか、良かったよ。行く意思を見せてくれて」
「私も。兄が一緒に来てくれて、嬉しい」
こんなに顔を近づける程にか!?
「そ、そうか」
「ああ。……ずっと見ていてくれ、兄さん」
急な兄さん呼びに驚いたが、まあただの偶然だろう。
こうして、俺と