芦毛の誇り高き妹 作:室星奏
こうなる事は想定するべきだった。いや、別に他のウマ娘と兄が会話する事ぐらい、ここに来たなら当然起こりうることだ。
こういう時こそ平常心を保っているべきなのだろう。昨日同部屋のタマモクロスからそう教わったじゃないか。
『つまらなくても後悔するなよ?』
『ええ、しませんとも』
何を話しているのだろう? もっと近くで聞きたい、聞いてみたい。だけどこれ以上近づいたらさすがに感づかれてしまう。兄は異様に勘が鋭いのだ。
兄はまんざらでもなさそうな表情で何かを語り、スズカは暖かそうな笑みを浮かべながら顔を下にうって相槌を打っている。彼女にとっては楽しいひと時なのだろうか?
もう少し早く教室を出ていれば、私も兄の隣に座る事が出来たのだろうか? もしそうだとするのなら、今回ばかりは食事の量を少し減らしておくべきだった。その分の埋め合わせは夜すればいいのだから。
「……兄さん」
私はスズカから先ほど返されたハンカチを懐から出す。兄が彼女を手当した際に使ったものだ。もっともこれは、私が誕生日の時兄におくった品ではあるのだが。
兄は昔から誰に対しても親切だった。練習風景を見ていただけだというのに、私の身元引受人を担ってくれたし、熱中症になって倒れた時も必死に看病だってしてくれた。
それだけじゃない。他の人間にだって、頼まれごとは嫌々ながらも引き受けていたし、老人の荷物を持ってやったりもしていた。傍から見たら何でも屋な人だった。
『嫌なら、引き受けなければいいんじゃないか?』
私はある日、そう兄に問いかけた。返ってきた言葉を聞いたとき、私は少し驚いた。
『見捨てて放っておいたら、後味が悪いからな。俺が出来ることなら、少しだけでもやってあげたいだろ?』
口調こそ男性の大学生の如く、荒みがある言い回しにも拘らず、その内容は完全に善者そのものだった。
他の人なら当然そんな言葉は出ないだろう。出たとしても、全ては偽善だといって片づけられる。だけど彼はその言葉をすべて行動に移していた。
それゆえなのか、兄は周囲からの人望も厚かった。誰からも親しまれる、そういう素質を兄は持っていた。だからこそ、私は兄に心を開けたのかもしれない。
そういう意味なら、彼女が兄に心開いているのも納得が行く、会話だって普通にするだろう。分かっているからこそ、ここは暖かい眼で見守ってやるべきなんじゃないのか。
いや、暖かくじゃない。『許してやる』ぐらいの気持ちだな、せめて。
「せめて、自分のを使ってくれればいいのに……」
少しばかり、悲しかった。兄の為に作ったハンカチを、別の誰かの為に使うなんて。
それ以外に手がなかったら、見捨てるのも一つの手段だと思わないか……いや、それは兄の性格なら考えられない選択肢だな。
優しい兄というのも、妹としては難儀なものだ。
「どしたんオグリ、何見てるんや?」
周囲からトレーニング休憩中のタマモクロスが話しかけてくる。少しだけ、平常心を整えられた気がする。
「……兄のストーカー」
「本当に何をしてるんや!?」
ここは一つ、冗談を言って和ませてやるとしよう。
***
「成程……優しい人なんですね、貴方は」
「優しい、かは知らん。当たり前の事をやってるだけに過ぎないからな」
これまで
「……貴方は不器用ですね」
「不器用?」
「はい。もっと自分に自信を持ってください。一人のウマ娘を、事前の知識なしに引き受けて乗り越える事なんて事例は一切ありません」
「……というと」
彼女は俺に続いて立ち上がり、隣へと立つ。ゆっくりと沈んでいく太陽を眼に、何か昔のことを回想するかのように目を閉じる。
「ウマ娘の家系は、代々からその知識があるものが殆どです。有名どころで言えば、メジロ家とかそうですね」
「……お前もそうなのか?」
「小さな家ですが、代々からウマ娘の事を知る家なんです。最も、全てのウマ娘はそういう物だと思います」
「成程な。道理で色々大変だったわけだ。当時は死ぬかと思ったよ」
「ふふ。それでも、貴方はやり遂げました。語り継がれてもおかしくありませんよ」
凄いな、ウマ娘の家系というものは。曰く、産まれてくる事を予見した上でそれを想像し、事前に対策を講じるのが基本だとかなんとか。
所々めんどくさがりな節のある俺にとっては、事前対策など到底考えられない事だな。途中で『もうどうにでもなれ』って言って投げ出してしまうのがオチだろう。
というか、これまでの
全て耳にくる話である。悔しいが。
「語り継がれるだけは勘弁だな。有名にはなりたくない」
「貴方が将来誰かと結婚して子供が出来たら、ウマ娘になるかもしれませんよ?」
「ブッ!? ……それだけはさすがに」
突然この子は何を言い出すんだ? びっくりしたじゃないか。
その様子を見ていた彼女はふふふっと言ってさっき以上に笑う。か、揶揄っているのか? くそ、恥ずかしい。
「……まあでも、ウマ娘とそういう関係にならない限り、遺伝的に早々ない話だろうし、俺にとってはあまり問題ないことだな」
「人生何が起こるか分からないですからね」
「不吉な事言うのは止めてくれ。ほら、練習再開だってさ」
「分かってますよ?」
彼女は腑抜けた口調で言い返し、レース場へと戻っていく。
全く、落ち着いた話し方からなのか、油断も隙もない。話しやすいという点では、評価するべき所なのかもしれないが。
ウマ娘って全員こういう性格なのか? いや、
……本当、よくわからないな。
***
「なあ、あれは何だ? 何の話をしている?」
「うちに聞くなや! でもいい感じの関係やであれは」
「良い感じって、どういうことだ?」
「あれは間違いなくうまぴょいルートやで」
「は?」
「その怖い返しやめーや!」
きっと彼女は冗談で言ったんだろうな。彼女はそういう子だ、私を気遣ってくれているのだろう。
この世界で「うまぴょい」という単語が出たら、それが意味するものは基本的に二つだ。一つは、栄えある舞台のライブで使用される楽曲、うまぴょい伝説を踊る事。
そしてもう一つは――……ちょっと、良い感じの関係になる事。
これをタマモクロスに話したら、『結局いい感じって言っとるやんけ』と突っ込まれてしまった。だってそれ以外に形容しようがないじゃないか。
「あそこに突撃したらダメか?」
「さすがに無理やろ。素直にあきらめて、夕方の二人きりの時間に思う存分スリスリしとき」
「……そうする」
この嫉妬心を紛らわせるには、兄の養分が足りなすぎる。一日の兄の摂取量が足りなさすぎる。
夕刻の練習時間、出会ったら思い切り抱きしめてやろう。これは確定事項だ、絶対に譲らない。
兄の隣は、絶対に妹である私でならなければならない。兄妹って、そういう関係じゃないとダメなのだろう?
私はそう、教わった。
最高ですわ!