物を見ては真を写す   作:Iteration:6

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博麗神社

「そういう訳でして、妖怪の山に登った時に逢った大雨でカメラの調子が可笑しくなっちゃったみたいで困ってるのです。修理できたりしませんかね?」

「このカメラは僕の店で購入したものだろう。修理できないことは無いんだが、これを分解して修理するというのは些か忌避感がある。まさかあのカメラが付喪神になっていたなんて驚きだよ」

 

 森近さんは興味津々と言った様子で付喪神を見つめている。カメラは四肢をわちゃわちゃさせて私の手から逃れようとしていた。きっと私たちの話を聞いて分解されてしまうかもしれないと思ったのだろう。

 

「しかも君は妖怪の山に立ち入ったのかい。あそこは人間にとっては半ば禁足地だろう。よく生きて帰って来れたものだ」

「ふふふ、頂上まで行ってきましたよ。あまり余裕は無かったですが良い写真も撮れました。実に満足です」

「だがこの写真は夜空の月と虹しか映っていないじゃないか。態々大した手間を払って辿り着いたのだろうに、被写体のチョイスが奇妙だと言わざるを得ないね」

「雲海とか地上の風景を撮った方が良かったですか?」

「そっちの方が自然ではあるね」

「月と虹、そして空。これ以上に自然なものなんてないですよ」

「僕は人間の一般的な感性について話しているんだよ。君は少し変わり者だ」

 

 首を傾げて見せると呆れられてしまった。

 

「それにその眼はなんだい。霊夢から聞いたよ。百鬼夜行絵巻を自分の能力を使って直視したそうじゃないか。『目に写したものを見せる程度の能力』だろう。まさか影鬼が文字通り目に写るとは君にとっても予想外だっただろうけど、随分と軽率な事をしたね」

「確かに軽率でした」

「しかしその目があるなら写真を撮る必要など無いのでは?」

「そんな事はありませんよ。中秋の見えざる名月を思い浮かべるように、想像と記憶の中のものが現実のものより遥かに美しかったとしても、思い出は頭の中にしかありませんから」

 

 

 カメラから手を離して自由にしてやり、椅子に腰掛けた。修理ができないならば仕方がない。何処へなりとも行くがよい。あれ、何処にも行かないの? 肩に乗られるとちょっと重いのだけどなぁ。

 どうやら彼は私の肩に乗ったりぶら下がったりするのが気に入ったらしい。妖怪の山を徒歩で登ったのが相当に大変だったのだろう。

 

 

「森近さん、私って結構色んな所を見てきたんですよ」

「ああ、そうだろうね」

「でも、あと数年もすればきっと記憶も薄れていって、写真みたいに一つ二つの思い出を思い出すだけになるのだろうとも思います」

「忘れ難きこともあるだろう」

「程度の問題だと思います。全て忘れ去られていって、でも時折ふと思い出したりする、そんな思い出が私たちの過去の全てです。私たちの記憶全てがそうだとも思うのです。忘れない記憶は無い、忘れていない記憶は、思い出した記憶だけ。水の流れに呑まれて浮き沈みする笹舟のように、忘れては思い出すことを繰り返す」

「では、そうやって忘れていくとして……それに何か問題があるのかい?」

「問題など、一切ありませんよ」

 

 そう断言すると彼は面食らったようだった。

 

「てっきり君は記憶の儚さに対する嘆きを口にしているのかと思ったよ」

「私は、忘れることこそが何よりも美しいことだと思っていますから。病的でない忘却は、私たちの魂を美しく整える鑢のようなものです」

 

 多くのものを忘れられるように、ありったけの情報を頭に詰め込んできた。この幻想郷という世界のありったけを。

 

「その為には、コイツも忘れてあげないと」

 

 私は笑って右目を指差す。森近さんは察してくれたようだった。

 

「霊夢に伝えておこうかい?」

「いえ、私から口にします」

 

 彼とも別れを告げて、私は香霖堂を後にする。

 

 

 

 

 

 場所を知っているとはどう言うことを言うのかと問われれば、私はその場所への道を知っている事だと答えるだろう。博麗神社への道のりを歩みながら、ふとそんな事を思った。

 長い長い石階段を一段ずつ登るにつれて、僅かずつ彼方に見える雪の積もった鳥居が大きくなっていく。疲れからか、気の迷いからか、足が少しずつ重くなっていくのを感じる。

 

 

「本当に覚悟の上なのね?」

 

 

 目の前に一人の女性が立ち塞がった。私が度々幻視していた少女だ。

 

「貴女の目の影鬼を無理矢理に祓ってしまえば、その右目はもう光を写すことはできなくなるわよ」

「今もできていませんよ」

 

 石階段を一歩登る。

 

「私は八雲紫。ずっと貴女を見てきた。貴女がこの世界をその目に写してくれる事を期待したからよ。片目であれ貴女の目が失われる事は私にとっても損失なのよ。やめて頂戴」

 

 石階段を一歩登る。

 

「貴女に幻想郷を見て欲しかった。そして私に見せて欲しかった。この世界に住まう一人の人間としての目で見た幻想郷を。貴女の能力に気付いた時からずっと気に掛けていたわ」

 

 足を止めた。これ以上は少女が退かない限り進めない。

 

「私は全てを思い出の底に沈めて、現実が堆積していくのに任せて忘れ去ったものを、掘り起こすことを楽しみとしながら日々を過ごしたいだけです」

「忘れ去られたもの達の楽園である幻想郷に、忘れ去られたものを掘り起こすことを楽しみにする貴女だなんて、とっても素敵だと思うわ。だからこそ私がお手伝いをしましょう。貴女の右目の影鬼をあるべき場所に戻すお手伝いを」

「影鬼については霊夢さんに依頼するつもりで此処にいます」

 

 

「ならば彼女も呼べば構わないのでしょう?」

 

 

 少女は霊夢さんの名を呼び、私の右目のお札を剥がした。右目から影が漏れ出し始め、怪物の頭蓋の形をした影鬼が現れる。次いで絵巻物が宙に広がった。百鬼夜行絵巻だ。気味の悪い眼球の蠢く空間から、輪を描くようにはためき伸びている。

 

「紫!? あんた何やってんのよ!?」

 

 当惑した表情の霊夢さんが鳥居の向こうから飛んでくる。はためく百鬼夜行絵巻とお札を剥がされた右目から滲み出す影を見て、彼女は臨戦態勢に入った。

 

「霊夢、この鬼を断ちなさい」

「何を急に──どうやって!?」

 

 のっぴきならない状況で、霊夢さんは即座に少女に指示を仰いだ。恐らくは二人の間の信頼が為せる技なのだろう。

 

「影を断つにはその境目を作らなければならない。即ち光と影の境界を」

 

 少女がその手を振り下ろすと、私の目と影鬼を繋ぐ影に陽光が差す。同時に霊夢さんが寸分違わず阿吽の呼吸でお祓い棒を薙いだ。

 断たれた影はまた繋がりを求めて蠢くものの、百鬼夜行絵巻に引き摺りこまれていく。

 

「貴方にとっては百鬼夜行絵巻こそがより繋がり深いものなのよ」

「いや、ちょっと待ちなさいよ。これ阿求が保管してた筈よね」

「拝借してきましたわ、霊夢が返却しておいてくれるかしら?」

「はぁ……どうせ無断で拝借してきたんでしょ。阿求に謝っておきなさいよ。それにこの状況──大体理解したわ。人騒がせな奴ね」

「あら、それは酷い偏見だわ。私は阿求のコレクションと彼女の右目をより完璧な状態に復元するお手伝いをしただけですのに」

 

 軽口を叩き合った二人は、私に目を向けた。

 

「右目の調子はどうかしら?」

「……見えます。お二人の姿がハッキリと」

「それは本当に良かった。案外、一か八かの賭けだったのよ」

「でも存外に呆気なかったですね」

「ふふ、私は一人でも強いけど最強の助っ人まで呼んだのよ。これで呆気なくなかったら全く嘘ですわ」

「あんたねぇ……次から人を呼ぶときは前もって教えなさい。じゃないと来てあげられないわよ」

 

 

 二人の間を通って歩を進める。石階段を登り切って鳥居の真下に辿り着いた。振り向くと幻想郷の風景が一望できる。冬真っ盛りの雪景色だ。空気は冷たく澄んでいて、肌寒い風が頬を撫でる。

 田畑は真っ白に染まっていて、家屋だけでなく森や山、川にまでも雪が積もっている。夜中に吹雪いたからか、ここ最近でもかなりの積雪だ。しかし、日はしっかりと差していて厳寒というほどではない。春は未だ遠いが、雪解けはそう遠くはないだろう。

 

 

「良い景色ですね」

「お気楽な感想ね。確かに見る分にはそうだろうけど、雪掻きだって大変だし、歩きにくくて敵わないし、不便なのよ」

「でも本当に……綺麗です」

 

 ふといつもの癖でカメラを手に取って、写真を撮った。

 

「あんた、何やってんのよ?」

 

 霊夢さんに言われて、この手にカメラが無いことに気付く。ハッとして目を白黒させた。まるで体が勝手に動いたようだった。

 

「多分、いつもの癖です。美しいものを見るとつい……」

 

 霊夢さんは微笑む。

 

「よく撮れたかしら?」

 

 返答に少し窮した。少し考えてみてから、この風景が切り取られた写真を思い浮かべてみる。

 

「はい、そんな気がします」

 

 きっとそうに違いない。

 

「今度、私にも見せなさいよ」

「今、貴女にも見せますよ」

 

 私の手のひらを彼女の瞼に重ねた。彼女はふいと言葉を漏らす。

 

「見る目を変えるだけでこんなに変わるのね」

「ちょっと霊夢狡いわよ。私にも見せてくださらないかしら?」

 

 仲良く押し合いをする二人をしばらく見ていると、つい笑みが漏れた。そんな私の見た二人を見て、霊夢さんは頬を染めて境内に早足に去っていく。クスクスと、悪い顔をした八雲さんが嘯いた。

 

「あら、気にしなくて良いわよ。まだ彼女は自分を他人の目で見ることに慣れていない年頃だから」




他人の目で見るわたし。
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