「めっきり眠りが浅くなって悪夢ばかり見るようになった? そんな時はこの商品がオススメ。その名もスイート安眠枕! なんと今なら一ヶ月間は全額返金保証制度付きですよ」
獏の妖怪だと名乗ったドレミー・スイートさんは、自らの名が付けられた安眠枕を販促していた。最近は何故か里の人間から避けられ気味で、夢見まで悪くなってやな感じだと相談したのは私からではあるが、まさか寝具の紹介が始まるとは予想外である。
獏なのだし、悪夢を食べるとか吉夢に変えるとか、そういう対処法かなと思ったのだけどなぁ。
「確かにそれでも構いませんけど、それだと私が貴方の夢に付きっきりにならないといけませんよ。分身を寄越すにしても楽じゃありませんし、その点この寝具ならば私に頼らず快適な睡眠生活を送れます」
此処はドレミーさんの管理する夢の世界らしいので、私の心を読むのも朝飯前らしい。
「夢だけに朝飯前ですよ」
「みたいですね」
私たちは西洋風の城の寝室で語らっていた。窓から外を覗くと月明かりに照らされた夜の森の風景が目に入る。まるで絵本の中のような景色で、空に浮かぶ星や月までも絵画的な有様だ。比喩でなく本当に五芒星が空に浮かんでいるので正にメルヘンチックである。ジェットコースターやメリーゴーランドなど外の世界の遊具も目につく。
しかし、あの禍々しく捻れたジェットコースターには絶対に乗りたくないなぁ。遊具が禍々しいなんて可笑しいでしょ。いや、無邪気な子供なら気にせず楽しめる……かなぁ?
「素敵でしょう? 子供の頃に誰もが一度は夢見る童話的世界よ。ちょっと不気味なのはスパイスです。少し恐ろしい程度が人の記憶に残りやすいですから」
「さいですか。話は変わりますが、枕を買っても如何にして夢から持ち帰れば良いのですか?」
「貴方の枕元にお届けしますよ。代金もそこに置いておいてね。それと時々製品アンケートに答えてくれると嬉しいです」
何処からともなく取り出したマグカップ片手にホットミルクを口にしながらドレミーさんは語り始めた。
「夢の世界の貴方にはほとほと手を焼いていました。この安眠枕で少しでも落ち着いてくれることを願いましょう」
「夢の世界の私?」
「そう、簡単に説明しますと──」
またまた魔法か手品のようにホワイトボードが現れ、マジックペンを片手にドレミーさんは解説を始める。
「あらゆる生き物が見る夢は根底で繋がっています。故に自分が見る夢から他人の夢に移動したり、夢の中で知り得ない知識を得たりもできる。そして、これらの夢が複雑怪奇に接続されている広大無辺な領域を私は夢の世界と呼びます」
気泡のように沢山の夢。それらから引かれる線が無数に交差してゆく網の目。ドレミーさんはこれらを広がりを持った円で囲む。
「一人の夢から無数の経路が伸びていたりバス型になっていたりもします。外の世界で言うネットワークに近しい構造です。夢が支離滅裂で突拍子もなく様々な世界を形作る事が有るのは、こうした莫大な接続によって種々の夢が
「夢ってそんな構造になっていたのですね」
「知らなくて当然よ。知られないように監視して隠蔽してきたのは他ならぬ私ですから。因みにこの説明をしている夢も貴方が目覚めればしっかり処理するから何も覚えてはいられないわ」
ありゃ、それは残念です。
「そして夢の世界には現の世界と同じように住人たちがいるのです。つまり、ざっくばらんに言うと貴方は二人いる。夢と現の貴方たちという具合にね。ただ、この夢現の二人はドッペルゲンガーのように決して出会うことはない。片方が現れればもう片方は反対側の世界に押し出されてしまうからです。そういう意味では貴方の主観的認知世界において自らはただ一人であるという認識は正しい」
ドレミーさんが描いた夢現の世界にそれぞれ在る二人の私を見て違和感を覚えた。眠りに落ちた時、私は確かに夢を見る。でもそれは夢を見ている現の私であって、夢の世界にもう一人私が居るなんてことは──
「居ますよ。しかも現の世界の貴方たちとは違って欲望や願望に素直な住人たちが。貴方もとても素直です。素直すぎて困っているのです」
困らせている?
「あらゆる夢は繋がっているけれど、近頃はプライバシーや個人情報保護も求められている時代ですので夢の世界のセキュリティも甘くはありません。種々の夢が衝突していくと言いましたが、それは稀な事で通常は夢見る本人の一連の夢が秩序だって現れます。それなのに夢から夢へと歩き回る覗き魔がいるのです。頼むから自分の夢でじっとしていてくれないかしら?」
責められるように見つめられるものの、まるで心当たりがない事なので何とも言い難く返答に窮する。
「分かっているわ。現の貴方とは会うのも話すのも初めてだから、これは八つ当たりのようなものです。しかし甘んじて受け入れなさい。現の貴方がこの安眠枕を使い自らの槐安の夢に憩うことが夢の貴方を一つどころに根差させることに繋がるのです」
夢はネットワーク状に接続されていて、そこでは現では現せないような欲望や感情に身を委ねている私たちの
私はこうした構造を夢以外にも知っている。例えば外の世界にあるゲームやインターネットはこれらと同じ構造だろう。そこまで考えてふと不思議に思った。
何故私は外の世界の事を知っている?
インターネット、ゲーム、歴史、科学技術、その他諸々の万学についての朧げな知識。幻想郷の結界の内外に関わらないこれらの知識を当然の事であるかのように私は知っていた。幻想郷に流れ着く外来人や外来本の知識も少なからずあれど、それでも私は
「夢は繋がっていて経路を辿れば何処にだって行ける。そして夢現の私たちは互いに影響を与え合う。もしかして──夢の私は外の世界の夢を覗き見たのですか?」
「古来より人は夢を通して多くの事を学んできました。しかし言った通り、私はそれらを悪用するものを監視しています。貴方はかなりグレーな感じです。望ましくないけれど悪しくもないと言ったところですね」
だから警告の意も兼ねて現の貴方とお話をしたかった。そう語るドレミーさんの警句とは裏腹に彼女はとても優しげだ。
「貴方の知識に関しては妖怪の賢者譲りでしょう。夢の貴方が外の世界を認知してその経路を見出し始めたのもある日を境にしてのことです。心当たりありますよね? まあ、鶏が先か卵が先かと言った話ですが」
思い当たる節が無いでもない。かつて紫さんが私に見せた光景の中には外の世界の情景が異物のように混ざり込んでいた。
「しかし夢であれ世界を見て回るなと私にいうのは無理というものですよ」
そう、無理なのだ。私のことは私が一番良く知っている。何処にでも行ける道が開けているというのに他ならぬこの私が動かない筈がない。
「季節は巡り終わる事なく花は咲き散る事を繰り返しています。またそのように、雲は行き水は流れ万物は流転する。こうした不変の流転は私の目を魅了して止みません。現の世界がこんなにも美しいのだから、夢現共に別ち難く何れも美しいに違いないと思うのは私の勝手な妄想に過ぎないのでしょうか?」
移ろうことだけが移ろわないこの世では、有形無形問わず全てが風化して神さびてゆく。万物を流転させる無限に等しい力が絶えずやまない風の如く世界を吹き抜けているのだ。
例え幾たび一処を見つめても、寧ろ際立つ微細な変化が揺らぐ色彩の風として目に写るばかりであった。それはきっと私にしか見えない葬送の風なのだろうと思う。
私にとって世界は素敵な墓場だった。
故に私はこの世の美しさに魅せられてやまず、眼を開けながらいっそ盲目的に世界を恋しく愛している。そんな私が夢の世界を漂泊しないなどという事があろうか? いや、ない。私はどうしようもなく夢の私に共感していた。
「ですので、その私を止めることは私にもできませんよ。そして夢の私がそうであるという事は、夢の世界は私にとって美しいものであった証左に違いないのです」
「そんなに褒められると悪い気はしませんね。それに貴方の言葉を聞き心を読んで見る限りは……夢を悪用する類の人間ではないようですし、少しぐらいは見逃してあげましょう」
ウインクをしたドレミーさんは、顔を手で覆う仕草をしてから夢の世界を片付け始めた。
「この世界もまた夢幻の一幕に過ぎません。けれど貴方と語らった時間は夜が明けても残存する」
目覚めが近い。崩れ行く夢の中で彼女は一言を遺す。
「故に今宵は目を瞑りましょう」
寝ぼけ眼を擦りながら布団から身体を起こした。枕元には真新しい枕が添えられていて私の財布が転がっている。あ、代金はそんな感じで持って行くのね。存外に乱暴な支払いに呆気に取られたが、それよりも夢の話を覚えている事に驚くべきなのだろう。
「見逃されたのかな」
寝起きのお茶を作ろうと台所へ向かいつつドレミーさんとの会話を反芻した。大丈夫、しっかり委細覚えている。その最中に縁側を通り掛かった時、中庭に魔法使いが舞い降りた。
「よ、明香! おはよう!」
和かに元気溌剌として挨拶をしてくれる魔法使い、霧雨魔理沙さんは私を見て近づいてくる。
「最近、夢の中でとある少女が現れるという噂話で人間の里は持ちきりなんだぜ。これは異変の予兆に違いないって話になって、霊夢と手分けして里の知り合いの元を訪ねて回ってるんだ。すると面白い事が分かってな」
「え〜と、外で立ち話も寒いでしょう。長話になるようでしたらお茶を用意するので居間で待っていてください」
「そりゃ有難い、そうさせてもらうぜ」
タイムリーな話題である。すっごく心当たりがアリアリなので、きっとドレミーさんについての話なのだろうなと当たりをつける。さて、急須と湯呑みを運びながら居間につくと魔理沙さんは待ってましたとばかりに待ち構えていた。
「じゃ、お茶を頂くぜ。それで夢の話の続きなんだが、どうも聞き取りをしていくと誰の夢にも同じ少女が現れてはふらっと去って行くって話でな。さては悪い妖怪だなと捕まえようとして追いかけても煙のように逃げられちまうってんで、みんな記憶に残って気味悪がってるらしい」
なるほどねぇ。ドレミーさんはスイート安眠枕を販促して回っていたようだし、製品アンケートとやらで購入者にもついて回っていたようだからそれもまたむべなるかな。
「これは何かあると踏んで似顔絵を描いてもらったんだ。まさに
歯切れを悪くする魔理沙さん。どうしたのかなと訝しんでいると、彼女は恐る恐る似顔絵を卓に広げた。
「まるっきり明香なんだぜ……」
私は口に含んでいたお茶を吹き出しかけて飲み込み、それはそれは盛大に咽せた。あれ、私? ドレミーさんではなくて? 最近私が里を出歩いている時のなんか避けられてた感じはそういう……。
「おっと、まさかやっぱり何か知ってるのか」
「あ〜それは私です。私なのですけど私ではないといいますか」
「寝言は寝てから言えよな。知ってる事を洗いざらい吐いてもらうぜ」
霊夢さんより先に真相に辿り着いたとばかりに自信満々の魔理沙さん。真実を語っても納得してもらえなさそうだし、彼女が望むような物語を語った方が都合が良さそうだと判断。
「その通りです。幻想郷だけでは飽き足らず全てをこの目に写さんとする私の宿願の第一歩ですよ。私は他人の夢を見ることに成功したのです。これで夢の世界もまた私の目に映る」
「だがみんな気味悪がってるぜ。もうここらで止めといた方が身のためだ。里のみんなはお前を避け始めてる。このままじゃ独りぼっちになるぜ」
心優しい魔理沙さんは私を説得し始めました。その通りです、魔理沙さんの言う事は全て正しい。
「そうですね。魔理沙さんにもバレちゃいましたし、もう辞めます」
「お、おう。随分と潔いな」
「こういうのは引き際が肝心ですから」
それからは毎夜スイート安眠枕で眠りにつくようになった。悪夢を見ることも少なくなり、夢に現れる少女の噂話も七十五日もすれば忘れ去られる。それでも時折他人の夢を見ることがあったり、絵葉書の便りのように見覚えのない異界の風景が目に写っていたことがあった。
それは天に向かって根を伸ばす木であったり、山よりも巨大な岩であったりした。そしてこうした便りは、私の密やかな楽しみでもあった。私が目に写す幻想郷の光景も、同様に
私は夢現を想い、今日も床に就く。
「明香に要らぬ知恵を与えたのですね」
「あら、嫉妬かしら? 妖怪の賢者ともあろうものが」
「嫉妬ではなく執着ですわ。私は彼女を霊夢と同じぐらい愛しておりますから」
「うわぁ……いたいけな少女達相手に二股ですか……」
「あら? 愛は何等分しても愛でしょう?」
閉口したドレミーを前にして、紫はしたり顔で語り始める。
「彼女狡いわよねぇ。あんなにも純粋な目をして貴方の世界を愛していますだなんて、とんでもない殺し文句ですわ」
言外にお前も絆されてしまったのだろうとニヤける紫相手に、ドレミーは何も言い返せなかった。事実、夢の世界に対する憧憬とその美に対する底知れない感動は彼女にとって眩いものだったからだ。
「そうですね。私たちが維持している世界に彼女は生きている。それは彼女がこの世界にもっと生きて居たいと心の底から願ってくれていることに他ならないのでしょう。それは──」
言い淀んだドレミーの言葉を、紫が引き継ぐ。
「私たちに対する、最大級の賛辞に等しい」
ドレミーもまた無言で同意した。人はいつも目先の物を求める。富、名声、そして幸福。だが彼女は自分が生きる世界そのものを何よりも求め愛する変わり種。
「こんなにも愛されているのに、愛さないだなんて、不義理ですわ」
彼女は世界を愛している。だから世界も彼女を愛してやりたく思う。それだけの事なのだと、紫は嘯いた。