物を見ては真を写す   作:Iteration:6

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無名の丘

 冬が明けて春めく季節の頃に、地名と日時が記された便りが豊聡耳様から届いた。手紙に記されていた無名の丘は、春一面に咲く鈴蘭の花が繁茂する閑静な場所である。

 

「春らしくなって来てはいたけれど……」

 

 目前の光景に言葉が漏れる。青空の下に鈴蘭の花の群生地があった。そこでは目に写る淡白で美しい花々と、匂い立つ腐臭が混じり合っている。

 

 

「やっぱり陰鬱だよねぇ、此処」

 

 

 幻想郷では赤子を捨てるならば無名の丘だと暗黙的に定まっていた。その理由の一つが人間の里から程良く遠い立地だ。万が一にも他人に見つかったりする事がなく、捨てられたものが帰ることもない。人目について欲しくないものを捨てるには絶好の場所だったのだ。

 人間が此処に赤子を捨てる二つ目の理由は、鈴蘭の花の毒である。何でも手に取り口に運ぶ習性のある赤子は鈴蘭の花を口にして、そのまま土に還るという訳だ。

 

「良い土だね」

 

 無名の丘の大地は、無機的な岩石の破片と動植物の遺体を混ぜ合わせた土である。土壌とは堆積した死であり、それに根ざして美しく群生する鈴蘭の花は何処までも組織的だ。

 誤解されたくはないが、私は人間の間引きそのものについて思うことはない。幻想郷における人間の食糧生産に限りがある以上は飯にありつけない人間が生まれるのは自然な事だ。

 その一点では人間も畜生も大差ない。飯があれば生き、なければ死ぬ。何者が残るべきかを意図的に選択するという点において間引きは極めて人間的でさえある。

 けれどせっかく生まれ落ちたのに、この美しい世界を目に写すこともなく去らねばならなかった退去者達が此処には眠っている。気が付けば彼らの冥福を私は祈っていた。そして苦笑する。赤子達は今も賽の河原で石を積んでいる。哀れみも慈悲も望んでいないに違いないのだ。

 

 

「ふむ、少し待たせてしまったかな」

 

 

 豊聡耳様の声が背後から届いた。

 

 

「人と世界とその美について──だったね」

 

 

 

 

 

 豊聡耳様は小高い丘の上に腰掛けて、パノラマのように全展望を見晴るかしていた。彼女は耳当てを外して私を手招きしている。

 

「ほら、こっちに来たまえ。此処は静かだが、この距離では貴方の欲が聞こえないからね」

 

 豊聡耳様の隣まで近づくと、彼女はにっこりと微笑んだ。

 

「貴方が寄越した手紙には困らされたよ。謎かけなのかとさえ思ったのだが、十の欲望を聞いて漸く理解できた。どうやらちょっとした悩みだったようだね」

「豊聡耳様ならばご存知だろうと思ったのです」

「知っているとも。和を以て貴しとなすように、美と法の双方を扱って民衆を支配するのは私の手管だった」

 

 相互の尊重を美しく貴いことだと定めて個人間の私闘を戒める事は秩序だった社会の維持に重要なことだったのだと。そう語って豊聡耳様は説明した。

 

「真理や真実、或いは正義などというものは法にとってはどうでも良い。何故ならば、法とは第一に社会秩序の維持の為にあるからだ。例えば戦争での殺戮が許されるようにね」

 

 私は殺人を許さない。豊聡耳様はそう断った上で言葉を続けた。

 

「個人間の殺戮は社会秩序を乱すけれど、戦争での殺戮は自国の社会秩序を維持する。故に敵兵を殺す事は罪に問われない。社会は時に人間を殺す事を要請する──できる限り慈悲深く」

 

 人道に対する罪という言葉が思い浮かんだ。残酷に殺すことが罪であることに異議はないが、残酷でなければ殺しても良いのだと暗に語る秩序に空恐ろしいものを感じる。

 

「だからこそ戦争を続ける為には秩序が必要である。戦時下に厳格に民衆が管理されねばならないのは正にそこなのだよ。厭戦感情や反戦主義が蔓延り戦争によって自国の秩序が乱れるという本末転倒な結果を避ける為に、古今東西あらゆる国家は自らの戦争を自国民に対して正当化する」

「しかし正当な戦争などあり得ないでしょう」

「私もそう思うよ。どれだけ理由付けしようと所詮は人間同士の殺し合いに過ぎない」

 

 憂いを帯びた瞳が私を見つめていた。

 

「法は秩序を守る為にある。そしてこうした秩序は正義と言い換えても良い。だから戦争は無くならないのだ。誰もが自らの秩序(正義)を最大化しようとしている。行き着く先は互いの秩序の衝突だ。私はこれを戦争と呼んでいる。自らの正義(秩序)を語り、これを最大化し、地に満ち溢れさせようとする行為こそが他ならぬ戦争の下地なのだよ」

「それは……皮肉ですね」

 

 私は思わず笑ってしまった。

 

「結局強い奴が勝つのですよね?」

 

 豊聡耳様も笑った。

 

「そうだとも。最大の秩序は最強の正義だ」

 

 いっちょ殺り合って決めましょうやという訳である。餓鬼の喧嘩じゃないのだからいい加減にして欲しいなぁ。

 

「秩序は人間社会を維持する為に必須の要素だ。だけれども、社会と言うものはそこに生きる人々を幸福にする為に形作られた幻想に過ぎない。もしもその社会の為に不幸にならざるを得ない人間が生まれたとしたら、そんな幻想は解体するべきだろう」

 

 法は秩序の為にあり、秩序は社会の為にあり、社会は幸福の為にある。豊聡耳様はそのように語る。現実主義的で打算で動く彼女にしてはとても夢のような話をするものだと意外に思った。

 かつて仏法で民衆を統制し道教で超人となった彼女が言うに事欠いて人々の幸福の為に社会があるなどと、一体何枚舌なのだろうかと疑ってしまう。

 

「最大多数の最大幸福でしょう。より多くの人々が幸福になる為ならば少数の犠牲は仕方がないのでは?」

「ははは、貴方も夢想家なのだね」

 

 夢想家? かなり残酷な事を言ったつもりなのだけど。

 

「社会を見てみたまえ。最大多数の最大幸福? より大いなる幸福の為には小さな不幸は仕方がない? ふふふ、冗談はよしてくれ」

 

 笑い泣きした涙目を拭い、豊聡耳様は両手を広げて断言した。

 

「極限られた少数の人間の幸福の為に、この世を占める大多数の人間が不幸を噛み締めているこの世界でそんな夢のような事をよくも言えたものだね。貴方の言うソレは一つの理想だ。実現すらしていない理想の是非を問うなど夢想に過ぎると言わざるを得ないね」

 

 目が覚めるような心地だった。てっきり人間という残酷な畜生は大の為には躊躇わずに小を犠牲にする飄逸な利己主義者(エゴイスト)の集まりだと思っていたのに。人間の残酷さは常に私の想像の上をいく。

 

「しかし私もまた貴方のように夢想家だった。人間が幸福になれる社会を思い描き、その社会を維持できる秩序を作り、そうした秩序を守れる法を()こうとした」

「立派なことじゃないですか」

「しかし失敗した」

 

 

 無限とも思える逡巡の後に法大王(のりのおおきみ)は私に問いかける。

 

 

「戦争……戦争はどうすれば無くなるのだろうか?」

 

 

 明朗に語り、明晰に考える豊聡耳様が不意に見せた困惑。しかし彼女に分からないことが私に分かるわけがない。それでもぞんざいに答えられる問いではなかった。

 

 

「戦争は無くなりません。それは終わりなき季節のようなものです」

 

 

 豊聡耳様の目が更に深く憂愁の色に染まる。

 

「でも、もっと()()()()()にはできるかもしれません」

 

 何十万人も武器を持って互いに殺し合うよりマシな方法などいくらでもあるはずなのだ。

 

「そうですね……戦争をしたくなったらその時は、お互いの国の一番偉い人が殴り合えばいい。勝った方が勝者です」

 

 豊聡耳様は呆然としていた。まあ、きっと、呆れているのだろう。

 

「戦争なんて所詮は餓鬼の喧嘩です。だったら本当に餓鬼の喧嘩にしてやれば良いのですよ」

 

 豊聡耳様は首を傾け、目を閉じて、口元に微笑みを浮かべた。

 

 

「素敵だ。とても素敵で──なんて幻想的な提言なのだろうか。それが叶う程に人々が理知に富むことそのものがあり得ないだろうに」

「ならばそうすれば良い。世の人々皆が理知に富み賢しく自らの意思で物事を解釈し互いを尊重できる人間になればいい」

「不可能だ」

「ならば」

 

 答えは一つ。

 

「ずっと畜生として殺し合いなさい。そしてそれを受け入れなさい。奪い喰らい殺し犯すその衝動を生まれ持ったものとして諦めなさい」

「不可能だ」

「ならば」

 

 道は一つ。

 

「足掻きなさい。清らかなる人間として生まれ落ちた幻想を捨て、生まれ持った醜悪な性を克服しようとする不断の努力を続けなさい」

「可能だ。だが現実的では無いね」

「でしょうね。だって私は夢想家だから」

 

 鈴蘭の花畑に向けてカメラのシャッターを切った。これらは人間の醜悪さに根を伸ばし花を咲かせている。しかし人間の醜さと悪辣さには海のように底がない。これほどの醜悪さ、果たしてどれだけの美を産むのか? 不意に私は頓悟した。

 

 

 醜いものは()を産む。自らを縛り付けるように。故に人間は醜く、世界は()に満ちていくのだ。

 

 

「有難うございます。豊聡耳様のお陰で私の心も晴れやかです。美は醜悪な人のそれでも美しくあろうとする不断の努力の賜物だったのですね。如何に不出来であろうとも私はそれを愛おしく思います」

「明香女史、それは本心かい? それとも皮肉なのかな?」

「本心ですよ。そして本心からの皮肉でもあります」

 

 

 

 

 

 雲見明香が去った無名の丘で豊聡耳神子は立ち尽くしていた。彼女の胸中にあったのは感動だった。

 

「いつの世にもいるものだな」

 

 天から与えられた才でも、秀でた才でもない。言うならばあれは異才異能の類だと神子は結論付けた。彼女は震える手を握り締めて興奮を抑える。

 あの人間の美醜をすら愛おしく思うと語った少女の超然とした瞳が、神子の脳裏に鮮明に焼き付いて離れなかった。

 

「そしていつの世も争いか」

 

 千四百年もの長大な時を経ても戦争は変わる事なく存続している。明香の言葉が神子の心中で渦巻く。春が過ぎて夏が来るように、平和が明けて戦争が来ることは変わりがないのだと少女は説いていた。

 

「今はただ、悲しい」

 

 深い悲しみがあった。丘を越える風が吹き鈴蘭の花がゆらゆらと揺れる。この花々はいずれ散りまた咲くだろう。戦争もいずれ止みまた起きるだろう。いつまでも延々と繰り返す循環。

 

 

 まさに──

 

 終わりなき季節のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

fin. 2022/03/11




読了、ありがとうございました。
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