この美しき世界の果てまで。
思うに私にとって4は区切りを表す数字です。それに、終わりと始まりを重ね合わせる癖があるようでして。
つまり、完結させたり連載させたりを繰り返すことになりそうです。全てを書き切ってスッキリ終わらせても、書きたい事がふと浮かんだりする。そういう浮かんだ物を終わっているからと言って書かないということが、どうしてもできないのです。
ともあれ、お楽しみ頂ければ幸いです。
迷いの竹林
「流石は迷いの竹林。その名に違いなしだね」
為す術無く苦笑しながら空を見上げた。目に写ったものを見る程度の能力を用いてもこの竹林を抜けることは叶わず、夜空の星を当てにしてもいつの間にか同じ場所を延々と周回してしまう。参っちゃうなぁ。
紫さん曰く、六十年目の今この時しか目にできない風景が迷いの竹林にはあるらしい。きっと面白いものが見られるはずだと、彼女は遠回しに教えてくれた。
「暦が還り全てが始まりに戻る。還暦とはよく言ったものね。始まりと終わりは重なっている。それはアルファでありオメガなのよ」
相も変わらず幽玄で浮雲のように掴み所がない紫さんは、しかし私とは異なる視座から世界を見つめて囁く。
「人間が四季の巡る一年を繰り返し生きるように、私たち妖怪は暦が巡る六十年を繰り返し生きる。だから今年は私たちからすると年末年始って感じなのよね」
「スケールが違いますね。あと六十年もすれば私でも白髪混じりのお婆ちゃんですよ」
故に、私にとっては一度きりしか目にできない風景になるだろうと紫さんは断言していた。
「困ったな。ゆっくりと迷ってはいられないのに」
しかし、延々と迷い同じ風景を繰り返し目にしていたからこそ、些細な変化が目に付いた。其処には人の足跡があり、その先には明かりに照らされた人影があった。
「なんだ、迷子か」
藤原妹紅さんが其処に居た。妖怪退治をしたり竹林で迷った人間を助けてくれる彼女は、分かりやすい人間の味方でありヒーローという奴だ。人間の里でも有名で人気がある。悪い噂は聞かない人だ。故に私は一切の躊躇いなく助けを乞う。
「はい。道に迷ってしまって、助けてくれませんか?」
「勿論だ、付いて来い」
「まあ、適当に寛いでくれ」
妹紅さんは私を囲炉裏のある居間にあげて座布団を手渡してくれた。ここは彼女の竹林の中の住まいであるそうだ。
「もう夜も深いからな。下手に出歩くと私でも道に迷うくらいだ」
「ありがとうございます。お世話になりまして」
「いや、構わない。慣れてるからな。お前も例の場所が目当てなんだろ?」
「例の場所? 私以外にも同じように道に迷った人がいたのですか?」
「ああ、居たぜ。あれは丁度六十年前の時だった。里の花屋の娘さんだったな。いまではすっかりお婆ちゃんだが、里に降りた時に顔を合わせると思い出話に花が咲くんだ」
老いることも死ぬことも無い程度の能力。正に完全な不老不死である妹紅さんは、六十年前の事をつい昨日のことのように語った。そして同時に、私を見つめて言う。
「羨ましいよ」
感情は匂いに出ると言う人もいる。その言を借りれば、彼女からは憧憬の香りがした。
「限りのある生を営み、死へ向けて歩みながら自らの願いを叶え続けていく。まるで人間ってのは流れ星みたいだな。お前達みたいな奴らが生きているからこそ、この世界は美しいのだろう」
「私から言わせると人間なんて糞の詰まった肉袋ですよ」
「随分と口汚いお嬢ちゃんだな。年長者の言うことは素直に聞いておくものだぜ」
妹紅さんは火の灯った囲炉裏を火かき棒で弄りながら語る。
「人間ってのは確かに残酷な生き物でもあるが、同時に美しくもある。それから目を背けている限りお前はへそ曲がりの餓鬼だ」
「私だって例外は認めますけど、それは原則として人間が残酷な畜生であることに同意する事と同義でしょう」
「小賢しいな」
にべもなく言い捨てられる。人生経験千年を超えようかという仙人よりも長生きな妹紅さんにとっては、私の言葉を切って捨てるなど造作もないのだろう。彼女は何処かから取り出した外の世界の紙巻き煙草に火を付けて一服した。煙が緩やかに立ち昇るのを見つめながら、彼女は大きく息を吐いて言う。
「美しいものを、ああそうだと、認めればそれで済む話だろう」
「しかし」
「人間だ妖怪だ世界だなんて御託を並べるから煙に撒かれるんだ」
妹紅さんは煙草を暖炉に放り捨てる。彼女は柄の悪い不良みたいに膝を立てて、私に鋭い目つきを向ける。しかし、その鋭さは美しかった。
「お前がいる、木がある、空がある、竹が生えている。世界というものはそこに属する個々の存在をひとまとめにした呼び方に過ぎない。
妹紅さんはそう宣言した。私から言わせれば、そうして在るそれぞれのものが組み合わされたものもまた在るのだが、彼女が言いたいことの肝はそこではないのだろう。
「これは醜い、あれは美しい、そう一つずつ見定めるんだ。それをやめて全てを確かめることもせずに十把一絡げに語るのは、単なる怠慢でしかないぞ」
怠慢。全てを俯瞰して分かった気になって、実際に形を持って在るものを無視してはいないか。妹紅さんは暗にそう問うていた。
「しかしそれをするには時間が足りません」
「私もだ。何百年、何千年も生きてきたが、それでもまだ世界の全てを見渡せてはいない」
「では尚更私には──」
「喜ばしいじゃないか、お嬢ちゃん。お前の知ることには終わりがない。それだけは確かだぜ」
私は然りと頷いた。人間の生涯では見渡せぬ程の未知が世界には満ちている。これに不満などあるものか。私の人生には終わりがあるが、私の知ることには終わりがない。これもまた一つの永遠の形であろう。
私が静かに感動していると、妹紅さんは今まさに思い出したかのように私の事を語り始めた。
「風の噂で聞いたんだが、雲見明香って名前の少女が幻想郷を見て回っているらしい。彼女はカメラの付喪神を従えているとか、酒を呑みながら歩き回る酔っ払いだとか、奇妙なお守りを持ってただとか、影鬼を目に宿してたとか……まあ、噂話に尾ビレ背ビレが付くのは常だが、兎に角話題に事欠かない少女でな」
生憎と、妹紅さんが語った特徴は今の私には一切合致しない。カメラの付喪神は気まぐれな猫みたいで一緒にいる時の方が珍しいし、今は酒を呑んではいないし、御守りは神様に供えたし、影鬼は百鬼夜行絵巻の中に封じられている。
ただ、名を問われた訳でもないのに名乗り出る気にはなれなかった。それで私は、私についての語りに他人事のように耳を傾け続けた。
「それで、その少女の噂話の中で私が一番気に入ってるのは、仙人に成れる機会を棒に振ったって話だ。そいつは私みたいな不老不死になって世界を見て回れるチャンスを手に入れたのに、それをふいにした。人間の里では特に有名な話だろ。あの聖徳王が言いふらしていたからな。妹弟子に逃げられたとかなんとか」
わーお、豊聡耳様ったらそんな話を漏らしてたんだ。正直な所、朝から家を出て夜に帰ってくるなんて生活を続けているから、里の噂話はあまり耳に入らないのだ。
「それで、お前はどう思う? 私は案外好きなんだけどな。その話を聞いた途端に親近感が湧いたっていうか、そんな感じで」
ああ、妹紅さんは雑談の話題を振ってくれているのか。素性も知れない人間と共通の話題を見出そうとすれば、自然と話せる内容は限られてくるからね。天気とか、有名な噂話とか、そんな類の話のネタなのだろう。
「う〜ん、私はその子は馬鹿だと思いますよ。不老不死ってのは人類の夢の一つです。お偉いさんから下々の人間までみんなの憧れでしょう。そのチャンスをふいにするなんて間抜けに違いありません」
「随分と辛辣だな」
「でも、きっとその少女にとってはそんなものどうでも良かったのでしょうね」
ピタリと妹紅さんの腕が止まった。彼女は囲炉裏の火を見つめたまま動かない。
「人類の夢、だなんて言うから煙に撒かれるのですね。きっとその少女の夢は不老不死なんかじゃなくてもっと別のもので──そしてそれは叶ったに違いありません」
「へえ、詳しいんだな。実は知人か友人だったのか?」
「いえ、そんな事はないのですけど」
「そうか。だが面白い考え方だ。私は好きだな。うん、人の夢は十人十色だからな」
ぼそりと呟いた妹紅さんは、再び火かき棒を弄りながら言葉を続ける。
「明日、どうせまた竹林を彷徨くんだろ。私が案内してやるよ。じゃなきゃまた迷っちまうだろうからな」
「しかし」
「年長者の言う事は素直に聞いておくもんだ」
「……はい、有難うございます」
「今日はもう早く寝な」
部屋の隅で横になって目を閉じても、パチパチと微かな音が囲炉裏から響いていた。うつらうつらと目を開けたり閉じたりする度に、ずっと火の番をしている妹紅さんが目に写った。真っ赤な火をじっと見つめている彼女は、まるで幻影か何かのように儚げに見えた。
翌日、快晴、雲一つなし。しかし、それでも迷いの竹林では容易に道に迷う。だが、今日は妹紅さんが道案内してくれていた。
「ほら、こっちだ。六十年毎に訪ねてるからすっかり道のりを覚えてしまっているんだ」
「六十年前だなんて、私なら忘れてしまいます」
「繰り返すことは忘れにくいんだよ」
彼女は勝手知ったる庭を行くようにスイスイと進んで行く。
「さぁ、御目当ての場所は此処だろう」
迷いの竹林の中で細い獣道を辿り、見たこともない深部へと向かう事しばらく。その開けた場所は周囲一帯を竹藪に囲われていた。妹紅さん曰く、永遠亭の輝夜さんや妖怪兎達さえ立ち入らず、一切の人の手が入っていない秘境であるのだそうだ。
「奇妙な──」
言葉が詰まった。生まれて初めて見た竹の花が、無数に咲き誇っていたのだ。見上げた瞳に写るのは、真っ白な竹の花々だ。
「壮観だろ。六十年周期で花が咲くんだ。しかも特に奇妙なのは、この周囲の竹だけが花を咲かせているというところだな。多分、此処の奴らは仲間外れなんだろうさ」
妹紅さんはそう語ると、私に振り向いた。
「良い景色だろ。私はこの景色が好きなんだ。以前ここを訪ねた時から六十年経って多くの事が変わった。見知った顔はみんな皺くちゃになったし、見知らぬ顔が沢山増えた。人間の里も見違えたしな。でもだからこそ、変わらないものが何よりも目立って見えたりもする。変わらない私、変わらない景色──」
万感の思いが込められているような声音だった。
「そしてまた私はここに立ってこの花を見ている。相変わらずにな。凄く、生きてるって感じがするんだ」
妹紅さんは、柔和に微笑みながら呟いた。
「生きているという事は、素晴らしいな」
一切の他意なく、一欠片の含みすらなく、言葉のままの意味が全てであることに間違いないと私は確信した。
陽に照らされて立ち尽くし、竹林の花に囲まれている妹紅さんは底無しに美しかった。六十年という時の重みが繰り返し地層のように積み重なり、縞瑪瑙もかくやと言わんばかりに研ぎ澄まされ、そして透いて見えていた。残酷で冷たく宝石のように無機質な美しさだった。
「不老不死に成ってからは、人の身には永すぎる命や不変の自らを憂いたこともあったが、今はそう思っている」
人とは異なる時を生きてきた妹紅さんは、孤独で救われず苦しまなかったことは無いはずなのだ。それでも尚、彼女の心はこうまで人間らしく救われている。
「
気が付くと膝を付いていた。目が潤むのを感じる。私は堪らずに、背に負っていた荷物から酒瓶と盃をそれぞれ取り出した。目を丸くしている彼女を前にして、しかし何を言うべきか迷うことはない。
「乾杯をしませんか?」
妹紅さんは煙草を咥えて火を付けた。たっぷり時間をかけて息を吸い、大きく吐くのを何回か繰り返していた。甘い香りが漂う中、彼女はやがてゆっくりと煙草を口から離すと、一言だけ問う。
「何にだ?」
「この美しき蓬莱の地に」
「ああ、そいつは──喜んで」