なのでまたもや始まりました。
今回もまた彼方此方へフラフラしている明香のお話ですが、旅に道連れができたようです。彷徨う場所が場所だけあって、ちょっぴりダークになりそう。ともあれ、お楽しみ頂けると幸いです。
畜生界
自宅の縁側で胡座をかいて昼下がりの庭に目を向ける。木枯らしに晒されて落葉しきった晩秋の木々は、枯れ木と見紛う有様だ。
「あの木は私が物心ついた時からずっと老木なの。今年も枯れてしまわないか心配だったけれど、どうなることやら」
秋は、栄えたものが潰えていく斜陽の季節である。夏に繁茂した草木達もその姿を隠して久しい。
「私には枯れているように見えるぞ」
「夏には葉をつけていたのだよね」
「ならば冬を越すまで分からんな」
私の隣でオオワシ霊さんがお結びを啄んでいた。彼は饕餮さんに派遣されて来たらしく、私に畜生界まで足を運んで欲しいそうだ。
「懐かしいなぁ。旧地獄の温泉で顔を合わせて以来だね」
「饕餮様は名指しでお前をお呼びだ。今すぐ返事を頂きたい」
オオワシ霊さんは私を急かすが、どうにも気が乗らない。畜生界は終わりなき季節が巡る世界だ。好き好んで足を運ぶような場所ではない。
「畜生界に来いだなんて急なお誘いですね。理由を教えてもらっても良いですか?」
「私も詳しくは知らぬ。だが、饕餮様は手駒にできる
ただ人間ならば誰でも良かったという訳ではなさそうだ。オオワシ霊さんは続けて、私の能力も重要らしいことを教えてくれた。
「特にお前の目だ。饕餮様はそれを欲しておられる」
「まさか食べられたりしないよね?」
「案ずるな、私たちは争いを好まない。敵を作るより味方を作る方が何かと便利だろう。これは私たちからお前への要請であり嘆願だ。私たちの味方になってはくれないか?」
「私は誰の味方にもなりたくないなぁ。だって、誰かの味方になるってことは誰かの敵になるという事だからね」
オオワシ霊さんの言うことに嘘や偽りがあるようには思えないけれど、私は首を縦には降らなかった。
「オオワシ霊さん、私は貴方達の仲間にはならない。その上で頼み事があるなら聞いてあげるよ」
「そうか、ありがたい」
オオワシ霊さんは飛び去ったが、程なくして引き返して来た。忘れ物でもあったのかなと周囲を見回すが何もない。
「何をしている、早く付いてこないか」
「え、私? 今すぐ行くの?」
「そうだ」
「なら、ちょっと心の準備を」
急転直下の展開であった。返事をして終いだと思っていたのに、まさか今すぐ畜生界へ向かう事になるなんて。まずは深呼吸して気を落ち着けよう。
「女々しいなぁ、腹を据えぬか」
オオワシ霊さんは呆れ顔だ。何言ってんだお前って感じの表情だね。
「お前はこの幻想郷を旅したのだろう。それに比べれば畜生界など恐れることはない。ここよりずっと都会なのだぞ。むしろ良くこんな未開の地を旅できたものだ。里の外など山と森ばかりではないか」
「そう言われれば、そうかもしれませんが」
オオワシ霊さんは私の肩に乗り、霧散して形を失った。すると、身体の中で野生的な力の奔流が渦巻く。狩り、食らい、生きるだけの明解至極な獣の情動。一喜一憂しては人生を踊り飽かす刹那の境地。これらに身を任せれば、それ即ち畜生なのだろう。
一方身体の外では、背から服を突き破ってオオワシの翼が生えていた。どう見ても妖怪少女だ。霊夢さんに見つかったら退治されてしまうに違いない。
「さて、行こうか」
身体が動かなくなって、勝手に口が動き出す。
「この身体を使わせてもらう。畜生界までは私に任せろ。お前に任せて道に迷ったり空から落ちれば目も当てられんからな。大船に乗ったつもりでいるといい」
オオワシ霊さんは小慣れた様子で身体を動かし胸を張る。自信満々といった様子だ。そこまで自信があるなら任せてみようかな。
「ふむ、任された」
背の翼がはためき地から足が離れてゆく。あ、本当に翼で飛ぶんだ。鳥類って感じだねぇ。
三途の川を飛び越え、彼岸の空を行き、真っ赤な豪風の吹き荒れる地獄をひたすらに進んだ。するうち、視界を遮る風が次第に弱まっていく。細めていた目を開くと、そこには無数のビルが乱立している摩天楼を一望できる見晴らしがあった。
「ようこそ畜生界へ、だな」
オオワシ霊さんは手近な屋上に着地する。外の世界の都市と瓜二つなその光景に私は絶句した。都会だとは聞いていたけれど、まさかここまでとは思いもしなかったのだ。
重苦しい雰囲気をした淀んだ街、というのが第一印象だった。林立する暗黒のビル群は夜だというのに暗赤色の光を放っている。夜に眠るということを忘れてしまった畜生達が今もまだ働いているのだろう。
「察しが良いな。皆が昼夜を問わず抗争に明け暮れているのだ」
空気も酷く汚れているようで、人口密集地特有の不衛生さというものが存分に滲み出ていた。あまりの異臭に耐えられず、身体の制御を奪い取って口元を押さえる。
「平気なの?」
「ああ、私からすると懐かしき匂いだな。幻想郷の空気はやけに澄んでいて寧ろ気味が悪かったぞ。まあ、お互い慣れるまで苦労するという事だ」
通りを行き交う動物霊達は、私に物珍しげな視線を向けて通り過ぎていく。しかし、その目は一様に生気がなく濁っていた。まさに生ける屍のようだ。その実、動物霊達は既に亡くなって畜生界に堕ちているのだから生気が無いのは当然ではあるのだが。
「死者にしても酷い目ですね」
「皆限界だからだ。騙し合い、奪い合い、殺し合い、全て終わる事なく繰り返している。心身共に休まる時がないのだ」
「全部やめて休めばいいのに」
「それがそうもいかん」
私たちは互い違いに口を使いながら会話を繋げていく。
「敵がいるからな。争う事を止める事は死を意味する。生きる為には戦わねばならん。例え限界であろうと止めることはできないのだ。末端の構成員達は悲惨なものだ。明日に同じ顔を拝めるかさえ定かではない」
「お偉いさんなら止められるのですか?」
「誰にも止めることはできない。偉かろうとそうでなかろうと、皆組織の歯車の一つでしかないからだ。組織が大きくなると、私たちは小さくなった。私たちが望んで始めた事なのに、もう誰の望みも叶わないのだ。皮肉な事だな……」
組織とはそういうもので、一人残らず壊れるまで繰り返すのだと。オオワシ霊さんは辟易したように気怠げに屋上から飛び降りると、道端の薄汚れた壁に背を預けた。
「一昔前は、畜生界は弱肉強食の世界だった。互いに殺し合い、食らいあって終わりだった」
オオワシ霊さんは遠い目をしてぼんやりと空を眺めている。きっと在りし日を思い出しているのだろう。
「今は違う。私たちは組織を起こし、一人残らず限界まで争いあって破滅するまで殺し合う。先人達の憎悪や悪意を受け継ぎ、絶えることのない敵意を育み、顔を合わせたこともない相手に殺意を向ける。ただ違う組織だからというだけでだ」
畜生界では無数の巨大組織が乱立し日夜抗争を繰り返している。故に、生きる為には組織に属して戦う他なく、組織から離れては生きられない。しかし、組織に属してもいつかは限界を迎えて壊れる他ない。
「つまり此処はまさに地獄のどん詰まりなのだ。だが、そう悲観することでもない。争いの中で生きて最後には死ぬ。それは畜生として生まれたからには当然のことで、なんなら生前も皆そうであったろうからな」
オオワシの翼を目にした何匹かの動物霊達は、明らかに敵意が込められた視線を向けていた。けれどその敵意は、何処か草臥れているように見える。
「そして今からお前もその争いの一端に触れるのだ。だが安心しろ。私たち剛欲同盟は争いを好まない。抗争なんて野蛮で面倒だ。喧嘩なんぞ腹が減るだけで何の利にもならん」
オオワシ霊さんはやれやれと首を振る素振りをした。人を傲慢に小馬鹿にするような嫌味な仕草だ。
「漁夫の利こそがモットーさ。楽して腹一杯になろうじゃないか。私たちは組織の歯車ではない。剛欲同盟は皆が属する袋ではなく、個々が胸に誇るイコンなのだ。私たちは手を取り合うが支配はされず、助け合うが馴れ合いはしない。自由で、自分勝手で、剛欲な奴らばかりが集まっている」
なんとも素敵な話に聞こえる。実際、オオワシ霊さんは畜生界の動物霊達と違って澄んだ目をしていた。
「後はそうだな……皆、饕餮様の事が大好きだ」
饕餮さんファンクラブ? そんな風に思ってしまって吹き出しそうになってしまう。しかし、考えてみればそういう組織は数多い。個人のカリスマに依拠する集団には得てしてそういう側面がある。
「剛欲同盟は、厳格に組織化された合法的支配に則る他の畜生界の組織とは違って、カリスマ的で、なんと言うか──原始的──なのですね」
「ああそうだ。私たちの組織はこの畜生界にあって最も野生的かもしれんな。ほら、私の目にもまだ残ってはいないか? あの輝かしき弱肉強食の掟の残滓が」
私の目を凝らして見る。壁面のガラスに写る私の瞳には、確かに輝きが残っていた。暴力的で生き生きとした、残酷さを孕む輝きだ。
「私の目であんまり変な目をしないでくださいね」
「明香よ。悪いが言ってる意味が分からん」
意地悪く笑うオオワシ霊さんは、少しばかり軽やかになった足取りで動物霊達の雑踏の中へと分け入っていく。まさに、獣道を行くが如し。
私たちが向かった先は、建築途中で捨て置かれた廃ビルだった。完成することもなく廃れたようで電気も通っていない。階段を使って進んでいくほかないが、道中は暗く静まり返っている。
「飛んでいかないのですか?」
「飛ぶと目立つ。人目につきたくない」
「何階で待ち合わせているのですか?」
「最上階だ」
廃ビルの真っ暗な階段に、錆びれた窓から畜生界の夜景が差し込んでいた。登山の途中で木々が開けて目につく風景に見惚れるように、私は何度か足を止めながらも階段を登り続ける。
今日一日オオワシ霊さんと一つの身体を使い続けたことで、私たちは無意識的に身体の制御を分担できるようになっていた。二人で意思のままに身体を動かし、しかしその意図は衝突することなく滑らかに遂行されていく。こういうのを阿吽の呼吸って言うのだろうなぁ。
「饕餮様、只今参りました」
ふと気がつくと夜空が一面に見えていた。私が足を動かしている間に最上階に辿り着いていたのだ。野晒しのフロアから畜生界の夜景を見回したオオワシ霊さんは、一人佇む人影に向かっていく。
「明香……いや、オオワシ? どっちだ?」
「私です」
「そうか、ならまず明香と話したい」
オオワシ霊さんと代わって、私が表に出る。
「お久しぶりです、饕餮さん」
「懐かしいな。お前とは初めて会って以来か。積もる話に花を咲かせるのも悪くないが、実は頼みがあってな」
しかし、饕餮さんは言葉を濁した。困ったように笑みを浮かべながら、彼女は身を引いてゆく。
「クックック、オオワシよ、面倒な奴を連れて来たな」
「は? いえ、尾けられたりはしていない筈……!?」
なんだか物騒な雰囲気になって来た。何が何やら分からずに困惑していると、急に背後から手が伸びて来て翼を鷲掴みにされてしまう。
「ぐぅ……誰だ!」
振り向くとそこには、紫さんがいた。彼女は私の翼を引っ張ったり捏ねくり回したりして首を傾げている。いやいや、神出鬼没にも程があるでしょうに。
「饕餮さん。お目にかかるのは初めてかしら?」
「そうだな。噂はかねがね耳にしていたよ」
「それは重畳。けれど、これは見過ごせないわ」
「合意の上だぞ」
「不公平な情報の上でしょう」
「否定はしないが、久方ぶりの知己との語らいに横槍を入れるなんて無礼だな」
「あら、畜生に礼節を尽くすなど滑稽でしょう?」
二人とも敵意剥き出しで空気が重い。私は何がなんやら分からないので、バチバチと火花を散らして睨み合っている二人の間をなんとか取り成そうと試みる。
「紫さん、私は饕餮さんの頼み事を聞きに来ただけですよ」
「それが駄目なのよ。貴女ったらどうして畜生達と連んでいるの?」
紫さんの語気が普段よりも荒い。これはもしかすると怒ってたりするのかなぁ?
「熱くならないでくれ八雲紫。ほら、平和裏に行こうじゃないか」
「貴方、霊夢にもあのオオワシを使ってちょっかいをかけていたでしょう。別にそれは構わないわよ。あの子なら自分の身ぐらい自分で守れるでしょうから、存分に手を出してみなさい。彼女は最近弛んでるから良い刺激になるでしょうね」
紫さんは霊夢さんに厳しいなぁ。或いはこれも一つの信用の形なのだろうけど。
「じゃあこいつはダメなのか」
「ええ、ダメよ。空も飛べない無知で無力な少女を畜生の都合の為に利用しようとするなんて吐き気がしますもの」
私にはそういう信用はないみたい。要は目が離せない子供扱いをされているのだ。もしかして本当に目を離していなかったりするのだろうか。
「私はこの子が畜生界の争いに関わることを認めません」
「いやいや、本人の意思を尊重するべきじゃないか?」
紫さんの眼光が増す。
「正誤善悪賢愚美醜全ての物にとってそんなものは関係ありませんわ。意思そのものを大切にすることではなく、正しい意思を持てるようにしてあげることこそが大切なのです」
「ひっでぇ奴だなぁ八雲紫。つまり明香の意思なんざ知るかって事かい」
「そう、この子は間違っている。だから私が止めてあげるのよ」
紫さんの指が私の頬を突っつく。
「よく聞きなさい明香。貴方が世界を見て回る分には構わない。けれど争いに首を突っ込むのならばそれ相応の力が必要なのよ。君子危うきに近寄らずというでしょう」
「それならば私の部下が力になろう」
畜生界の弓張月の下で、饕餮さんは両の手を広げて微笑んでいる。その瞳孔は怪しく人外の形に煌めいていた。
「そのオオワシは私の側近で忠実なボディーガードみたいなものだ。これまで何度も私を守ってくれた。この畜生界では数少ない心から信用できる奴だ」
「成る程それは、興味深い提言ね」
オオワシ霊さんは饕餮さんの言葉を聞いて誇らしげに胸を張った。紫さんはそんな彼を見て微笑む。実際、実に微笑ましくて私も頬が緩んでしまう。
「饕餮さん、貴方を信じてみますわ。もしこの信用に瑕疵が付けば、私は貴方を
「ああ、構わんぜ」
「ではまずは、丁度美酒がありますれば、この素敵な出会いを祝いましょう。実にお目出度いわ」
「そりゃ良い。最近空腹気味でね。空きっ腹に酒は最高だ」
少し前まで敵意を向け合っていた筈の二人は、合意へ至った途端に友人同士かのように親しげに振る舞い始めた。これは偏見なのだけど、神や妖怪は変心が激しい。それはその神髄に、移ろい祀ろわざる自然を仮託されているからなのだろう。もっと落ち着いて欲しいと願う私の思いは極めて人間的なものに違いない。
「饕餮様、もう少し警戒してください……」
私と同じくオオワシ霊さんも呆気に取られているみたい。しかしそれもむべなるかな。どうやら自然に振り回されるのは人も畜生も変わらぬらしい。
「ああ、気にすんなオオワシ。今しがた話が付いた所だからな。お前は明香と一緒に霊長園に潜入しろ」
「霊長園へ向かうならば無力な人間である彼女が最適でしょう。私が共にいても無用な警戒を招くだけですよ」
「いいや、お前は必要だ。もし何かあったときに私だと思って明香を守れ」
オオワシ霊さんは何事かを言い淀み、口を固く閉ざした。その心には当惑が浮かんでいたが、彼はそれを呑み込み厳かに応える。
「饕餮様のお言葉であれば、是非もなく」
「いつもすまんな。今度また鱒でも食いながら酒でも飲もう。積もる話が山程あるぞ。先ずはそうだな……吸血鬼の話とか」
「ええ。楽しみにしております」
一方紫さんは、まるで私が此処にいることを確かめるかのように、じっと私の目を覗き込んでくる。
「帰ったら貴女には説教ですわ。勝手にあの世へ行ってしまうのはやめて頂戴。本当に、心臓に悪いから」
私は悟り妖怪のように紫さんの心を読んだりはできない。けれど少しばかり物覚えが良いこの瞳のお陰で、万の表情と彼女の表情を照らし合わせる事ができた。結果は──安堵、そして怒り。
そう大層なことをしなくても、ひと目見れば分かる程度のことしか分からなかった。それがなんだか可笑しくて、謝りながらも笑顔が漏れてしまう。
「ごめんなさい紫さん。今度からは地獄に行く時は前もって言うよ」
「貴女、反省してないわね。次があると言っているようなものじゃない」
どうやら火に油を注いでしまったようだ。怒られる前に逃げ出してしまおう。私たちは二人に手を振りながら、足早にその場を立ち去った。
「ねぇ、あの二人混ざりかけてるわよ」
「そうか、よっぽどオオワシと気が合ったんだな」
「元に戻るのでしょうね?」
「知るか。一つを二つに別けるのはお前の専売特許だろ」
「私にだって出来る事と出来ない事がありますわ」
「え? いや、嘘だろ。戻るよな? 戻らなかったらオオワシは私の物だぞ」
「……」