「うーん、参ったなぁ」
「身から出た錆でしょう。逃したのが迷いの竹林で良かったじゃない。ここから外に出ていないのは確かでしょうし」
永遠亭の縁側に腰掛けている鈴仙さんは、呆れ顔で横になった。彼女は疲労困憊といった様子で竹筒の水筒に口を付けている。何故かと言うと、私がツノゼミを逃がしたせいで竹林の兎達が捜索に駆り出されてしまっていたからだ。
「竹林の兎達みんなで探してるし、そのうち見つかるわよ」
「本当に申し訳ありません……」
トリフネから帰還後には色々あった。八意さんに綿月さんの伝言を届けたり、鈴仙さんと月のお土産を食べたりね。ただ、私がツノゼミを逃した話が紫さんに伝わったらしく、ここ暫くはツノゼミ捜索が続いていたのだ。
捜索を手伝ってくれている永遠亭の皆さんに感謝の気持ちを込めて、私はお手伝いさんをさせて貰っていた。半ば騙して穢れ仕事をさせたのは私だから気にしなくて良いと八意さんには言われたものの、酔っ払って外来種を逃したのは他ならぬ私なのである。
酔って正体を失えば一夜にして凡ゆる罪を犯す!
本当にごめんなさい……。
紫さんは地獄の閻魔様もかくやと言わんばかりの長ーいお説教をし、ツノゼミが見つからなければもう二度と飲酒させないと宣言した。その翌日には、私が溜め込んでいたお酒が一つ残らず神隠しに遭ったのだった。
しかし、紫さんが説教の最後に見せた表情と言葉を、私は忘れる事ができない。彼女は困ったような、諦めたような笑みを浮かべつつも、その口元を哀しげに歪めながら言ったのだった。
どれだけ目をかけても、貴方は行ってしまう。
けれど目は離さない。何処まで行っても
面倒見た相手には、いつまでも責任があるのよ。
律儀な人だと思った。立場は人を形造る。真面目で律儀な者程、自らの立場に合わせた自分を創る。彼女は妖怪の賢者であり、幻想郷の面倒を見ている者である。それは律儀以外の何者でもない。
「しかし、地上の人間が打ち上げた人工衛星を散策してたなんて信じ難い話ね」
「あの昆虫が見つかれば信じて貰えると思いますよ。写真も撮ってますし」
「疑っている訳ではないわ。凄い所を旅したのだと思っただけ」
私は鈴仙さんのお手伝いを任されていた。まあ、医学薬学の知識は無いので雑用と荷物運びぐらいしか出来ることはないのだけどね。
「ちょい、鈴仙。それに人間。例のツノゼミを私の手下が見つけたよ」
幸運の素兎である因幡てゐさんが、ツノゼミが捕らえられた虫籠を手にしていた。それを見た鈴仙さんは目を丸くする。
「奇妙な見た目ね。こんな昆虫は初めて見たわ」
「でしょー。見つけた奴も若干ビビってたねありゃ。私も驚いたよ。見た目もそうだけど、この私の幸運を以ってしても見つけるのに数日かかったところが特にね」
「ありがとうございます。本当にお手間をかけました」
深々と頭を下げる。すると因幡さんは私の顔を上げさせて悪どい笑みを見せた。
「感謝の言葉なんて要らないよ。腹が膨れるものをくれないかな?」
成程、尤もである。私は手持ちの小銭から三食分ぐらいの人里のお金を支払った。因幡さんはしかし納得してくれなかったようだ。
「私とその部下みんなを何日も扱き使ったってのにこれっぽっちかい。感謝の気持ちが足りないんじゃないか」
至極、尤もである。しかし私は子供でお金を稼げる定職に就いている訳でもない。なのでこれが現在の全財産なのだよね。困ったなぁ……。
「その、お金以外で何かできる事があれば喜んでそうしますので」
「ちょっとー。支払い能力も無いのに人を使うなんて信じられない。じゃあ払えない分はあんたの」
「あんまり揶揄うのはやめてあげなさい。明香が困ってるじゃない」
「ちぇっ、師弟揃って変なとこで甘いんだから」
因幡さんは虫籠を私に押し付けた。
「ありがとうございます」
「だーかーらー。感謝の言葉は要らないって言ってるでしょー」
鈴仙さんがジト目で見つめる中、因幡さんは脱兎の如く去ってしまった。
「あれは照れ隠しね。人から真っ直ぐ感謝されるのに慣れてないの。竹林の兎なんて悪戯をするか人に迷惑をかける事しか考えない妖精みたいなものよ。気にする事ないわ」
中々辛辣な言葉であるが、実際に落とし穴なり竹槍なりで罠に嵌められたりしている鈴仙さんが言うと刺々しさが違うねぇ。
「兎も角、ツノゼミが見つかって良かったわね。師匠には私からも伝えておきましょう。これまでお手伝いありがとう」
「身から出た錆ですから、感謝の言葉なんて要りませんよ」
「人の感謝は素直に受け取るものよ。明香ってどこかてゐに似ているわね」
鈴仙さんは私をまじまじと見つめてから言う。
「人に迷惑をかけるけれど、一線を越える事なく、変なところで律儀で、何故か憎めない。そんな感じだわ」
「一線は越えまくってますよ」
「地理的な話ではないわよ」
「さいですか」
ともあれ、ツノゼミが見つかって良かった。私はこの名状し難き形状をした昆虫が入れられた虫籠を貰い受けて、永遠亭を後にしたのだった。
「永琳から話は聞いているわ。外来種を見つけられたのね」
自宅に帰り着くと、なんと紫さんその人が玄関前で待ち構えていた。彼女は私が首から下げている虫籠を見て僅かばかり表情を顰める。
「す、凄いわね。私も見た事ない奇形だわ」
「豊姫さん曰く、低重力の閉鎖環境に適応し出した亜種で、地上とは異なる進化の道筋を辿り始めているそうです」
「……そう、ならば地上に居場所は無いわね」
「どうするのですか?」
「一番良いのは、元いた場所に送り返してあげることよ」
紫さんは私から虫籠を受け取ると、そのツノゼミに憐れむような目を向けた。
「きっと異邦の郷に迷い込んでしまって恐ろしいのね。送り返すには明香の手助けが必要よ」
「私のですか?」
「そう。流石にトリフネにスキマを開くのは私でも大変。でも、貴方が目にして来たビジョンを頼りにすればとっても楽になるわ」
「しかし……」
胸に突っかかるこの違和感を吐露してしまわねば、どうしても気が済まなかった。
「幻想郷は全てを受け入れるのですよね?」
「そうよ」
「ならば」
「けれど」
紫さんの底知れない瞳が私を射抜いた。
「在るべきものは、在るべき場所に在るのが一番よ。幻想郷はね、在るべき場所を失ってしまったもの達の為の楽園なのよ」
虫籠を優しく揺らして見せた紫さんは、まるで羨むような表情をしてツノゼミを見つめた。
「この子には在るべき場所がまだ在る。それはそれは幸福な話ですわ。そんな幸福を取り上げてしまうほど残酷な話はないわよね」
「ならば人間は、外の世界に在るべきではないのですか?」
紫さんは私を見た。底知れなかった筈のその瞳は、悲しみを映し出していた。それでも、私の言葉がどれだけ彼女を傷付けるかを理解した上で、問わずにはいられなかった。
「人々を在るべき場所から神隠して囲う事は、残酷ではないでしょうか」
「ならば在るべき場所に在れるように、貴方を外の世界に送り出してあげましょうか?」
今度は私が閉口する番だった。しかしその沈黙は、紫さんを笑顔にさせる。
「そう言う事よ。人間なんて大きな言葉を使うから形あるものを取りこぼす。少なくとも貴方は人間だけれど、幻想郷に在るべきだし、貴方自身もそれを望んでくれているわ」
一転して嬉しげで、優しい手付きで紫さんは私の胸に手を当てる。彼女はそのまましなだれ掛かるように私の額に額を重ねた。互いの目が合い、離せなくなる。
「ほら、温かい。人間は生きていて賢いから、自らが何処に在るべきかを自分自身で決める事ができるのよ」
「しかしその判断の為には正確な情報が必要です。人間の里の人々は妖怪に怯えずに暮らしていける外の世界の事を知りません」
「それは外の世界の人間達もそうよ」
敵わない。心の底からそう思う。
「外の世界の人間達は幻想郷を知らないし、幻想郷の人間達も外の世界を知らない。けれどみんな自分が手にしている情報を元にして自らが在るべき最適な場所を見つけ出そうと試行し続ける。私たちは全知全能ではないから、それで良いのよ」
ニッコリとした紫さんは私から身を離して、取り出した扇子で虫籠を覆い隠す。次の瞬間にはまるで奇術のように籠中のツノゼミは姿を消していた。
「もしかしたら後数千年もしたら、人々は地球よりもずっと素敵な、自らが在るべき星を見つけたりするかもしれないでしょう?」
「でも情報は必要ですよ。外の世界も幻想郷も、互いの事をもっと知るべきです。そうすれば私たちはみんな自らが在るべき場所をより良く選べます」
「それはNoよ」
頭をコツンと叩かれる。
「断絶された者たちが出会う時、起こるのは争いである。私は幻想郷の平和の為にもそれはできないの。これについてはごめんなさいね。でも、理解して頂戴」
紫さんは扇子で口元を隠してしまった。けれど彼女の言葉は、私が畜生界でオオワシに口にした事と殆ど同じだった。平和の為には境が必要である──出会い無くして争いは無い。
「けれど人間の知識欲は止まらない。貴方が外の世界を知っているように、互いが互いを強く思えば知る事ができますわ。知ろうとする者は知る事ができる。その程度の塩梅で勘弁してくださいな」
パチンと、小気味良い音をあげて閉じられた扇子が仕舞われる。紫さんはしかし、これまでの厳格な雰囲気を霧散させた。カランと虫籠が落ちる音がして、私は強く抱き締められる。
「えっ……あの、紫さん?」
「地底も彼岸も地獄も畜生界も、天界も月もトリフネも夢も外の世界も、何もかも知って尚、貴方はこの幻想郷を自らの在るべき場所に定めてくれている。これが何を意味しているか、分からぬ程に私は愚かではない」
ぎゅうと力を込められる。
「明香、忘れないで。貴方が幻想郷を愛しているように、私が貴方という人間を愛していることを」
「……はい」
そのまま暫く、されるがままに抱かれていると、気まずそうな声が背後から聞こえる。
「その〜あんたら、真っ昼間の軒先で何やってんのよ」
紅白の巫女、霊夢さんが頭を掻きながらぼやいていた。
「見ていて分からないかしら、親愛のハグよ。因みに外の世界ではメジャーな挨拶でもあるわ」
「うーん、胡散臭いわねぇ。ほら、ちょっと退きなさい」
霊夢さんは足元の虫籠を拾い直して言う。
「明香が妖怪を虫籠に入れて人間の里を練り歩いてるって聞いたんだけど?」
紫さんは私を離して抗弁してくれる。
「あら、証拠がありませんわ」
「そのようね。はぁ、骨折り損かぁ。人間の里の妖怪退治は人気だから参拝客集めに丁度良かったのに」
両手をやれやれと上げて去っていく霊夢さんに、しかし紫さんは背後から抱き付く。
「骨折り損ではありませんわ。此処に一人妖怪が居りますもの」
「あー、成る程ねぇ、やる気?」
「ええ、精魂尽き果てるまで付き合ってあげましょう。丁度良い鍛錬になるわ」
二人して飛び上がり、人間の里上空で弾幕ごっこが繰り広げられた。私は一目見て息を呑む。それは美しさを競うだけあって、見るものの目を惹きつけてやまない。しかし私は視線を外して玄関を開く。
遠い旅だった。終わりなく、果てしもない道のりだった。けれど私が帰ってくる場所はいつも
「ただいま」
fin. 2022/08/28
またもや完結しました。
読了ありがとうございます。
流石にもう明香が見て回る場所も中々に尽きてきましたので、また連載する事がありましてもかなりゆっくりしたものになるかもしれません。或いは不意にアイデアが湧いてきて手早く書き殴るかもしれません。結局分からないのですよね。
いつかまた何処かでお目にかかりましょう。