物を見ては真を写す   作:Iteration:6

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月一


鯢呑亭

 鯢呑亭の卓で微睡んでいた私は、火照った身体を起こして目を軽く擦り、お猪口をぐいと口に押し付ける。酒の香りが鼻を突き抜けて行き、喉にジンジンとした灼熱感を覚えた。

 

「明香さん、程々にしないと」

「だいじょーぶ、お金ならあるからさ」

「そういう問題じゃ……」

 

 鯢呑亭の看板娘、奥野田美宵(おくのだみよい)さんが眉を顰めながら私を見つめている。とはいえ、駒草さんの賭場で勝ちを重ねた為に、私の財布はずっしりと重い。金が余ったらどうするか。酒を呑むしかないねぇ。

 

「あんまり酔い過ぎると帰れなくなりますよ!」

 

 美宵さんが困り顔をしていた。それでも、酒と肴が揃った一人酒は身に染みて旨い。その上、外からは激しい雨音が響いていた。言い訳には困りそうにないね。

 

「傘を忘れちゃったから雨宿りさせて欲しいなぁ」

「でも、ラストオーダーも過ぎてますし」

「そこを何とか。こんな大雨の中に放り出すなんて殺生です」

 

 私は両手を合わせてお願いする。頭を下げてみると、美宵さんは進退窮まったような表情だ。

 

「仕方ないですね……。まぁ、酔わせて潰せば問題ないかなぁ」

「え?」

 

 何やら呟いた美宵さんは、一転して一升瓶をガンと卓に出す。どうやら飲めという事らしい。私としては嬉しい限りなので遠慮なくいかせてもらおう。

 

 

 

 

 

「あんなに酔っていたのにまだ呑めるなんてどうして!?」

 

 美宵さんは私がどれ程の酒飲みかを見誤っていたみたいだねぇ。空になった一升瓶を横にやり、私は冷たい机に突っ伏して頬擦りをする。冷たくて気持ち良いなぁ……。

 

「あんまり呑ませすぎると身体に悪いけど、こうなればもう徹底的に呑ませるしか……」

 

 私は酒を呑んで頭が冴えていた。酔いからくる特有の全能感を冷静に嗜みつつ、疑問をぶつける。

 

「ねぇ、私がお酒で潰れないと困るの?」

「そ、そんな事ないですよ」

 

 笑って誤魔化す美宵さんは極めて怪しい。ジト目で見つめてみると、彼女はぎこちない笑みを浮かべながらも更に酒を勧めてくれる。

 

「ほら明香さん、もっとお酒はどうですか?」

「私、お酒飲むと冴えるタイプだから何か誤魔化したいなら逆効果だと思うよ」

「あはは〜誤魔化したいことなんて無いですよ〜」

 

 まあ、無理に聞き出すこともないかな。ラストオーダーを過ぎているのに店に居座らせてもらって、その上酒と肴まで頂けているのだから。例えどんな思惑が美宵さんにあっても、私からは感謝しかない。

 

「そっかぁ。なら私も気にしないよ。お酒、頂きますね」

「ひえぇ、まだ呑めるの?」

 

 するうち、背後で店の戸が開く音がする。既に鯢呑亭は閉店している時間帯で、しかも大雨だ。こんなタイミングで来客があるなんて思わずに振り向くと、そこには蛇の目傘を閉じて目を丸くしている知人が立ち尽くしていた。

 

「あやや、先客が居るなんて──明香さん?」

「あれ、なんで文さんが?」

「わぁっ、もうお終いです! 里の人間にバレて……え、知り合い?」

 

 三者三様の疑問が飛び交う。私は美宵さんに視線で説明を求めたものの、彼女は顔を青くして祈るように私たちを見つめていた。分かりやすい顔するねぇ。

 

「美宵さんは文さんを知っているのですか? 彼女は山の鴉天狗ですけど」

 

 口に出して問うてみても返事はない。そこで、文さんに向き直る。

 

「お久しぶりです文さん。鯢呑亭はもう閉店の時間ですけど、何用で来られたのですか?」

「あやや、私は当然酒を飲みに来たのですよ。蚕食鯢呑亭の開店時間はもう過ぎている筈ですが」

「蚕食鯢呑亭?」

「此処ですよ。深夜に開かれる妖怪専用酒場です。ご存じなかったので?」

 

 

 

 

 

 文さん曰く、鯢呑亭では深夜にひっそりと酒場が開かれていたらしい。私にお酒が大量に出されたのも、酔わせて潰さないとその事がバレてしまうからだったのだ。

 

「あやや、そういう事でしたか。明香さんにはバレても問題ありませんよ。彼女は私の知人です。それに彼女は名誉妖怪人間という奴です。なんなら現人神でもあるかもしれません」

「それなら安心ですね。良かった〜」

 

 胸を撫で下ろしている美宵さん。確かに私と文さんの間には親交があり、人間と妖怪という垣根を越えて語らえる数少ない理知的な相手だと私は思っていた。しかし、彼女の奇妙な言い草には目を細めざるを得ない。

 

「名誉妖怪人間? 現人神?」

「妖怪の賢者である八雲紫との度重なる逢瀬や、神として扱われて駒草の賭場を荒らしたその様から、そのように私が記事で扱ったのですよ」

 

 頭を抱える。その頭痛は酔いから来るものだけではなかろう。文さんは素知らぬ風で隣に腰掛けて酒を口にしていた。いや、そんな新聞をばら撒かれると困るのだけどなぁ。

 

「人間離れするのも程々にしないとこうなるのです。もはや貴方は人間としては許されないだけの事をした。ならば、人間でなくなるしかない。私はそのお手伝いをした迄ですよ」

 

 ゾッとする程冷たい声だ。私は冷や水を浴びせられた様に酔いが覚めていくのを感じ、それに抗うように酒を口に運ぶ。

 

「私は人間だよ」

「貴方がどう思おうと自由ですが、貴方以外がどう思うかもまた自由であることをお忘れなく」

 

 実に瀟洒に酒を煽る文さんは、私に目をやらずにそう言い捨てた。少しムッとしてつい口を尖らせてしまう。

 

「それを言えば文さんもでしょう。ルポルタージュは順調ですか? 里で人間のフリをする貴方と、山で神様のフリをした私は、共に同じ穴の狢ですよ」

「あやや、これは手厳しい」

 

 舌を出してちゃらけて見せる文さんの腹は底知れない。ともあれ、この酒場の事は胸にしまって秘密にしてあげないと、美宵さんが可哀想だね。

 

「私は酔って鯢呑亭で酔夢を見ているだけ。大丈夫だよ美宵さん。私は妖怪が里で酒を飲んでいても咎めない人間なのです」

 

 私と美宵さんは手を結んだ。文字通り握手して、酒場の事は他言無用だと合意する。さて、肴でもつまみますか。

 

「うん、美味しい。美宵さんって料理が上手なのですね」

「自慢ではないですけど、自信ならありますよ」

「私はお酒を。それと、明香さんに水を」

「へ?」

 

 首を傾げる私に文さんは言う。

 

「明香の奴が酔っ払ってたら水を呑ませろと、萃香さんから言われてましてね。一体何をやらかしたんですか?」

「その……萃香さんと勇儀さんの酒を全部呑んで潰れたことがありまして」

 

 私の言葉を聞いた瞬間、文さんは口に含んでいた酒を吹き出しかけ、勢い良く飲み込んでから咽せて机に突っ伏した。

 

「じょ……冗談でしょう。良く無事でしたね」

 

 あの時は、浴室で水責めに遭いながら意識を取り戻したのだった。あれ、もしかして私ってお酒を呑むと失敗ばかりしてないかな……。注がれた水を一杯飲み干しながら目を泳がせる。

 

「全く貴方程に妖怪を恐れない人間は珍しい」

「ちゃんと恐れてますよ。妖怪は人間が何を恐れるべきかを教えてくれます。そして、何処で生きるべきかを」

 

 幻想郷を巡る一連の旅路で分かった事は、美しい場所は恐ろしい場所だと言う事だ。それらはその美しさで人を惹きつけて離さない。文字通り帰らぬ人となる事もあろう。

 

「沢山の場所を目にしてきたけどさ、人間が生きられる場所はこの里だけだったからねぇ」

「明香さんが言うと説得力が違いますね」

「あ、ちょっと見てみますか?」

「遠慮しておきます。私の目には毒です。記者として、公平公正な視点から目を光らせねばなりませんから」

 

 幻想郷でも比類なき情報通の一人である文さんは、見る目が変われば世界が変わることを知っている。だから彼女は、私の目に写るものをそのままに受け取る事ができないのだろうね。

 

「幻想郷は客観的に見れば残酷な楽園です。だからこそ面白おかしく記事に書くのです。或る意味では読者の皆さんを騙している訳ですよ。けれど、騙すという行為そのものは善くも悪くもありません。意図こそが重要なんです。私が振るうペンは剣であり、何の為に振るわれるかが肝ですから」

 

 私は文さんの言葉が胸につかえるのを感じた。彼女の主張をそのまま鵜呑みにする事はできそうにない。

 

「人を騙すのは許されない事だと私は思うなぁ。目的が行為を正当化する事はない筈だよ。例えどんな正義に基づこうとも、その行いの罪が許される事はない。だから閻魔は銅を飲むし、私たちは手を合わせてから命を食うのですよ」

 

 人を裁くことは罪であり、命を奪う事もまた罪である。故に閻魔は罪人を裁きながら自らも責め苦を負い、人は生きる為に食らいながら手を合わせて許しを乞う。

 

「どんな理由があっても、人を騙す事は罪です」

「あやや、お堅い方ですねぇ。水清ければ魚棲まずですよ」

 

 文さんは私の胸に手を当てた。中指で心臓を指すように置かれたその手のひらは、そのまま北上して頬に添えられる。彼女の手の温かさが伝わる。まるで、人間と変わらない熱だった。

 

 

「この世には、知る必要のない痛みがあります」

 

 

 次いで、文さんの端正な顔立ちが視界一杯に広がる。彼女は身を乗り出して私を見つめていた。仄かに紅潮しているその表情は、妖しい雰囲気を醸し出している。

 

「だから、優しい騙りが必要なんです」

 

 文さんは私の口に手を当てた。それは沈黙を人に要求するサインだ。けれど、彼女自身は雄弁だ。

 

「里ではよく神隠しの噂話を聞くでしょう? 誰々が居なくなったとか、妖怪に攫われたとか」

 

 含みを持たせた言い方をしながら、文さんは嘯いた。

 

「私たちは当然それを肯定します。私たちが攫ったのだと。そうすれば人間達が妖怪を恐れてくれますから。さて、貴方たちはその神隠しの果たしてどれだけが本当に私たちの仕業なのか分かりますか?」

 

 私はゾッとする。天狗は古来より人を攫う妖怪だとされていた。それは確かに事実なのだろう。けれど、この世に遍く伝わる神隠し全てが妖怪の仕業だとするのも無理がある話だ。つまり──

 

「結果が変わらないのなら、過程は素敵な方が良いでしょう?」

 

 文さんは微笑んだ。しかしその微笑みからは、どうしようもなく人間臭い死臭が漂っているように思えてならない。私は恐れから無意識に身を引いたが、彼女は私の手を掴んで強引に引き寄せる。

 

「それとも、真実だけを知りたいですか?」

「……遠慮しておきます」

「では、人を騙す事は悪い事でしょうか?」

 

 言葉に詰まる。けれどやっぱり、答えは変わらない。

 

「はい。人を騙すのは悪い事です」

「あやや、これは全く頭のお堅い」

「でも、理解はします」

「……ハハッ」

 

 乾いた笑い声を漏らした文さんは、私の手を離して深く椅子にもたれ掛かり、胸を反らして鯢呑亭の天井を茫と見つめる。彼女は脚をぶらぶらさせながら大きく嘆息した。

 

「あ〜……好きです。私の助手になりません? お給金は弾みますよ」

「いや、今はお金には困ってないのですよ」

「そりゃ残念です。いずれご再考を」

 

 悪い笑顔を浮かべた文さんは、枡に並々注がれた清酒を一気に飲み干した。彼女は私を越えるペースで酒を口にしていて、ようやくほろ酔いであるように見える。

 

「情報を制するものが社会を制するのです。しかし、未だかつてここまで情報が不足した時代があったでしょうか? 私たちは深刻な酸欠状態のようなものです。呼吸をしようと口をパクパク開けて、その口に意図と解釈を詰め込まれる」

 

 ありゃ、文さんったら舌が回ってきたね。美宵さんの目がドン引きしているけれど、文さんは憚らずに一升瓶をラッパ飲みして笑顔を浮かべている。分かりやすい酔い方だねぇ。

 

「何処を見ても人々の意図と解釈だけがあります。外の世界の新聞を読んだことがありますか? あれを食え、ここに行け、こう思え、そう命令されているかと錯覚する程に明け透けな意図ばかりです。私たちには処理できる情報がない」

 

 文さんは指し示すかのように両手を広げて見せる。

 

「情報とは、これです」

 

 何が何やら分からずにポカンとしていると、文さんは分かりやすく言い直してくれた。

 

「吹き荒ぶ夜風に、篠突く雨が屋根を叩く音。私たちの元にやって来るこれらのものには意図がない。故に私たちが処理し、解釈し得る情報なのです。私は──」

 

 文さんは言い淀んだ。酔いに後押しされても簡単には口に出せないこともある。けれど彼女は一旦冷静さを取り戻してから、それでも尚その胸の内にある言葉を吐き出す。

 

「情報を制して、人々の目の届かない所に押しやり、世界がどう在るかではなく、私がどう思っているかを伝える。故に明香さんに言わせれば、私の行為には罪が含まれているのでしょう」

 

 けれど文さんは、まるで悪びれる事はない。

 

「その罪のお陰で里の人々がこの幻想郷を楽園と思えるならば、私はそれに胸を張りますよ」

 

 挑発的な笑みを見せながらも、文さんは誇らしげだ。彼女の新聞は私も目にした事がある。その内容は様々だが、読んだ者を一様にアンニュイな気分にさせる。幻想郷で起きる異変や珍事を取り扱うそれは、真実に付随する残酷さを虚偽を用いて薄皮一枚分包むようにして作られていた。

 よく噛み砕いて読んでみると、仄かな苦味がするような記事である。不思議な魅力があり、休日の朝方にカフェでカプチーノを口にしながら読みたいような新聞だ。文さんが自らの記事に胸を張るのも当然だろう。その行いが罪ならば、惚れ惚れする犯行だと言っても良い。

 

「でしょうね。私も文さんの新聞は好きですよ。貴方は私が知る中では最も優れた現実の二次創作者(ジャーナリスト)ですから」

「あやや……そんなに褒められると照れますねー」

 

 酒を更に口にする文さん。彼女はにっこりとして私にも枡を手渡す。目元を引き攣らせている美宵さんをよそに、私たちは浴びるように酒を飲み続けた。

 

 

 

 

 鯢呑亭で酒を飲んでからの記憶がない。あれだけあった財布の中身もない。飲み過ぎで記憶が飛んだのだろうけれど、その失われた記憶の中で何かがあったのだろう。何故なら、その日を境に文さんが新聞を届けに来るようになったからだ。

 月に2回程、彼女は決まって天気の良い日の早朝にやって来ると、私の寝室の縁側に新聞を置いて行く。私が目を覚ましていた場合には、記事の内容について他愛もない雑談をする事もある。

 

「明日は文さん来るかなぁ」

 

 カフェではないから珈琲はないけれど、渋い緑茶を口にして眠気を覚ましながら記事に目を通す事は、私の日々のささやかな楽しみとなっていた。いつの間にやら始まった文さんとの奇妙な関係は、長く細々と続いている。

 

「早起き、しないとね」

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